3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
自分の古い記憶
よだれかけが三枚あって、水色、黄、ピンクのワンポイントが入っていた。
自分(女児)は、ピンクをつけて欲しい、水色はイヤだと思っていて
ピンクをつけてもらって嬉しかった記憶があります。
だから、まだしゃべれない赤ちゃんにも、色の好き嫌いがあると思います。
3 :
名無しの心子知らず:2009/07/19(日) 19:02:21 ID:JZUglX6U
私は夜泣きが酷かった。
母が外に連れ出して抱っこしていたのだけど、
お尻をトントンとされると、眠いのに気が散って
嫌で嫌で更に泣いた。
トントンして泣く子は、試しに止めてみてはどうか。
4 :
名無しの心子知らず:2009/07/19(日) 20:37:27 ID:i8sXm0tF
うちの母は、動いてる母(つまり祖母)の背中でオンブされてるのが気持ちよかったらしい。
私は暑かったかな。
何かタオルケットとか掛けられても、要らないなと思ってた。
たぶん2歳前後の記憶。
私も保育園の先生がお昼寝の時お腹をトントンするのが
すごく嫌だった。
気が散るし力加減が苦しかった。
それとクレヨンが嫌いだった。
汚れるし素材がなんか気に入らなくて
ペンにしよーぜといつもウンザリしてた。
だから息子2歳にはいろんな書く物を出して選ばせたら、
色鉛筆が一番好きみたいでした。
>>2 色の好み、ありますよね。
うちの娘がまだハイハイするくらいのころ、お店で黄色・ピンク・水色の服を見せたら
水色の時だけにこーっと笑ってうれしそうに手をのばしたことが。
7歳の今も水色大好きです。
私の子供のころの話。
母がよく寝る前にふとんごしにおしりのあたりに手を乗せて
ゆっくりトン…トン…と指先で軽く叩いてくれていたんですが、
すごく安心感があって気持ち良く眠れた記憶があります。
うちの子たちはそれより背中をかいてもらいながら寝るのが好きなんで、
好みもあるのかなー。
育児に役立つ記憶ではないけれど
2歳の頃、いとこが産まれる時のことを覚えてます。
祖母の家での出産だったんだけれど、
「子供はあっちに行って」
「早くお湯を沸かさなきゃ」
とバタバタと大人たちが台所でお湯を沸かしたり
シーツやタオルを沢山持って来てるのを
台所の入り口から見てた記憶。
私も祖母の家で生まれたから
それが自分の産まれた時のことだと
勘違いしてた子供の頃。
自宅出産に憧れていたけれど
二人目を産む時には40歳になっていたから
何かあったら、と諦めた。
バタバタした中にも、幸せなムードがあったのを
なんとなく覚えています。
良スレage
もっと聞きたい
3歳のころ、「おとうさまおかあさまおやすみなさいませ」と
三つ指ついて挨拶させられていたんだが、大人になった今
言葉に直すと
「おとうさまおかあさまだってうぇうぇ・・pgrっちょ しゃらくせ〜」と
思っていた。
だから分不相応な厳しいしつけは恥ずかしくてやる気がしない。
何か悪い事をした時に「電気屋を呼ぶぞ」と脅された記憶がある。
電気屋が来る→電ノコで手足を切ってもらう、という意味。
二間続きの和室で、自分は電気を消した部屋に1人立たされ、
母と兄は隣の部屋で、泣いている私を見ながら爆笑。とにかく怖かった。
悪気はなく、単純に面白がっていただけだと思うけど…
みなさん、冗談半分だとしても、命の危機を感じさせるような脅しは
絶対にやめてくださいね。
未だに母に対しては心を開けません
11 :
名無しの心子知らず:2009/07/22(水) 22:46:43 ID:ZvJM+7KN
「おばあちゃんとママ、どっちが好き?」
と訊かれた。
ママの方が断然好きだけど、
めったに来ないおばあちゃんを前に、そんなかわいそうなこといえない
と思って
「おなじくらいー」
といった。
あとから考えると、母が可哀相だったなと思う。
なので、「子どもなりに気を遣ってたんだぜw」と笑い話として話したことがある。
2歳の頃の記憶。
人見知りしない、といわれて育ったんだけど
知らない人に抱っこされるのはいやだった
客人に失礼になって両親が困るだろうと思ってたからおとなしくしてただけ。
結構子どもは気を遣うことも多い。
>>11 あるあるw
私が3〜5歳のころに祖父母の間で川の字になって寝てた時、
「おばあちゃんの方を向いて寝たらおじいちゃんが可哀相…。でもおじいちゃんの方を向いて寝たらおばあちゃんが可哀相…。」
と悩んで、いつも右を向いて寝てたけどその日は苦しかったけど仰向けで寝たw
幼児期から少しはみ出るけど、小学校一年生の時の記憶。
学校から帰り家にいる母を外の階段の下から呼ぶと、母が「おかえり」
と迎えてくれるのが嬉しかった。
ある日いくら呼んでも母が出てこず、半泣きでずっと呼び続けていた。
結局ちょっと手が離せなかっただけだったみたいだけど、あの時の
「母がいなくなってしまった」という不安と恐怖が忘れられない。
今自分が専業主婦やってる理由はいくつかあるんだけど、この記憶が
かなり大きな部分を占めてる。
3才か4才の頃の記憶。
外出時は母が私の手をしっかり握っていたのだけど、
血が下がるんだか、手が疲れてよくぐずってた。
手を繋ぎたがらないお子さんをお持ちの方は、
道路事情を鑑みつつ、時々左右反対の手を繋ぐと良いかもよ。
15 :
名無しの心子知らず:2009/07/23(木) 14:04:25 ID:W8L7KTYF
一番古い、自分の見た夢の記憶は、母親がいなくなるというものでした。
夢の中で、すごく悲しくて、ワーワー思いっきり泣いた。
そしたら目が覚めて、母親がいて「これは夢だったんだ、ああ、夢で良かった」
と、とてもほっとした覚えがあります。
だから、幼児が泣いて起きる時には、そういう不安な夢を見ている可能性があるかも。
16 :
名無しの心子知らず:2009/07/23(木) 14:38:40 ID:EYkhRUWE
保育園に通ってたころ。
真冬の夜の台所で一人でつまみ食いしてたら窓の外から何か聞こえてきた。
太鼓みたいな、歌みたいな、話し声みたいな。
なんだろうって窓から外を覗いたら、家の前の道路をたくさんの人たちが歩くのが見えた。
薄暗い外灯に照らされて、お面かぶってた気がする。
そしたら隣の部屋でテレビ見てたはずの母が後ろから「見たらいかん」って言った。
そこで記憶はおわり。
母に確かめたいけど、なんとなく「聞いたらいかん」気がする。
17 :
名無しの心子知らず:2009/07/23(木) 14:53:32 ID:Oe9VP78/
↑何の役にも立たねぇ。
寝返りが出来ない時、タンスの上に飾ってあったパンダのぬいぐるみを見てたら
頭の形を心配した親が反対向きにしてメリーを回してくれたけど
遠くのぬいぐるみがよく見えるのが嬉しかったのに邪魔されて泣いた。
メリーはクルクル回るだけで触らせてくれないし飽きてたし。
寝返りが出来た時は自由に体が動かせるようになった!って何でも出来るような気がした。
手づかみで食べてた時は行儀よく食べてたつもりだったのに、実は違ってた。
子供は調子に乗るくらい褒めまくって育てるほうが、いろいろ早く出来るようになるんだろうなと
自分を思い出してみて思った。
恥ずかしながら、私は人生で3度、溺れています。
1度目は1歳頃。母が洗濯している間にお風呂のフタに乗って遊んでいて、お風呂の残り湯にドボン。
双子の妹が泣き叫んで母を呼んでくれました。
妹は、それからしばらく「どもり」になってしまい、困ったらしいです。
2回目は、2歳ごろプールで。これは記憶が残っています。
プールの底に仰向けで沈んでいて、水の表面がキラキラしてきれいだなあ〜と思っていたら、
姉が潜水平泳ぎで探しに来て、引き上げられました。
苦しかった記憶はありません。
3回目は4歳ごろかな?海で、浮き輪で浮かんでいたら、大波が来てひっくり返りました。
苦しくて暴れていたら、砂浜に居た母が慌てて来て引き上げてくれました。
近くに人がいたのに、全然助けてくれませんでした。
あ、あと1回。砂浜で遊んでいたら、大波に足を取られて海に引きずりこまれました。
このときは母が近くに居たので大事になりませんでした。
ていうか、うちの母よ…しっかりしてくれ、私が今生きているのが奇跡じゃないか?!
皆さん、水辺で遊ぶ時はお子さんから目を離さないようにね。
子どものころ、食べたり飲んだりしててむせて咳が出ると、
母や祖母は背中をバンバン叩いた。いやトントンくらいかもしれんが。
とにかく、むせてるのであって喉に何か詰まらせてるんじゃないので、
大変に不快だった。
それをうまく説明できないし、言っても聞いてもらえなかった。
なので娘にはサスサスしてる。
しかし孫に同じくバンバンをする母。全力で止めてる。
多分2才半位の、一番古い記憶。
トイレの失敗を母に物凄く怒られた。本当に怖かった。
当時にしたらオムツ外れが遅くて、母は神経質になっていたみたい。
怒られたからできるようになったかと言うとそんな事はなく。
なんとなくトイレっていいづらくなったりして、お漏らしやらおねしょは
ずっとあった。
息子もオムツ外れが遅いけど、なるべく怒らずにやっていきたい。
私の息子だから遅くて当然だろうし。
幼稚園年長の時のこと
発表会のお遊戯を何をやるか決めることになった
当時は年長の女の子はフラメンコか舞踊の二択で(もちろん子ども向けの踊り)
赤いドレスを着て踊るフラメンコに憧れてた子は多かった
私もそうだった
そんなわけでどうか私をフラメンコ組にしてくれ〜と
先生の顔を期待を込めて見たんだ
そしたら
「私ちゃんは着物が似合いそうだから舞踊の方ね〜」と決められてしまった。
ナ、ナンテコッタイ
大人しくその決定に従ってしまったけど、私の意見も聞いて欲しかったな〜と
未だにちょっと思う
妹が産まれて初めて家に来た、私が一歳5ヶ月だった頃の話。
なんだこれ?と思って見てたら泣きそうな顔になったので、いい子いい子しようと頭を撫でたら泣き始めた。
周りの人間(親やじいばあ)に「ほら、やっぱり泣かした!駄目でしょ!」と、口々に責められた。
泣かないように撫でようとしたのに!と思いはしたものの、それを口に出す術など知らなかった。
結構傷付いた。
年子のママさん、頭ごなしに上の子叱らないであげてね。
25 :
名無しの心子知らず:2009/07/24(金) 20:30:37 ID:yoWchrlf
面白age
1歳半だった保育園のときの記憶。
お昼寝の時間に熱をだしたようで、保育士さんたちがバタバタと母に連絡する様子などを
先生の膝のうえでぼーっと見てた
先生が「高熱なのに泣かないしおとなしいし、甘えてもこないわねー」
なんて話しているのがわかった。
しばらくして母が迎えに来て母の顔を見た瞬間、うわ〜ん!と我慢していたものが
あふれて抱きついて大泣きしてしまった
あのときの緊張感や我慢、母の顔をみたときの安堵感がいまも忘れられない
もうすぐ2歳になる娘がいるけど病気が治ったあとの長引くグズりにも
なるべく付き合って甘えさせてあげてる。
3歳幼稚園のお遊戯会にて。
急に前の子について行くよう指示され舞台に。
トムとジェリーの曲に合わせて踊るらしく
踊れてる子もいたようだが事態が把握できず
踊りも覚えてないしでネズミの装束でまごつく私。
あっという間に出番は終わったらしく
後ろの子に押されるようにしてソデに退場。
3、4才の頃病院にて。
なぜ病院に来てるのか、今日は何をされるのか
分からずずっと不安で緊張していた。
結局自分の診察じゃなく弟の診察だった。
この記憶があるので子供には何かあるときは
前日と当日朝、どんな用事があるか、その時
どうしていてほしいか説明するようにしている。
(本人や下の子の予防接種や健診等は特に)
予定把握できてる大人はいいだろうけど
何も説明なしに急にイレギュラーな事態になると
ものすごくストレス感じたので。
三歳くらいだと思うんだけど、両親・叔父・叔母がいる場面。
大人同士が喋っているので襖を隔てて一人遊びをしていたら
たまに私のことをあーだこーだ推測で話してるのが聞こえる。
内容は忘れちゃったんだけど、私の行動や性格について
「きっとこれが嫌なんだろう」とか「〜〜って思ってるんだろう」とか。
それがことごとく的外れですごく嫌で、泣きながら『違うの違うのー!』と訴えに行ったら爆笑された。
もっと嫌なのが、私は本気で泣いてたのに20年以上経っても
微笑ましいエピソードとして時々蒸し返されたこと。
ずっと我慢してきた、嫌だったって言っても伝わらないみたい。
子供って、大人の話を聞いてないようでもかなり聞いてて理解してるんだし
きちんと一人の人間として扱ってあげたいと思う。
特に「どう思う?」と「ごめんね」は親の側からもちゃんと言えるようにしようと思う。
私の最古の記憶は、まだ食べさせてもらってる頃、(何歳かわかりません)
一歳くらいかな?食べろ食べろとどんどん口に食べ物を押し込められ、口の中が
いっぱいで苦しくて、でも親が怖くてべーって吐けなくて死にそうになって食べていた記憶があります。
肉を噛んでるときなんて、まだ噛んでる!残ってる!って思いながら拒否できずに
食事がくるたびに憂鬱で毎回死にそうになってました。
早くこの地獄が終わらないかな、早く自分で食べたいようって祈るように過ごしていたのを覚えています。
また、母親は朝が弱く園によく遅刻しそうになってました。朝の準備時に早くしろ早くしろと毎日きれられて
子供心に「あんたが起きるの遅いからじゃん。なんて理不尽なDQN親だ」と思っていたのも覚えています。
うちの母親は暴言暴力の多い親なので、苦しい思い出しかないです・・涙
こんなひどい思い出は参考にならないですね。
あ、あと、こちょこちょをよくされて、無理やり笑わされてたんだけど、
やりすぎで本当に苦しくて嫌でたまらないのに、くすぐったくて笑っている私を見て
楽しんでると勘違いして喜んでた。
やめたほうがいい。
31 :
名無しの心子知らず:2009/07/25(土) 00:38:37 ID:XwodKYXf
母から聞いた話だけど、一歳前に断乳するため、おっぱいに練りわさびやらからしやら、塗ったらしい。
泣きながら舐めて、それでもおっぱいからなかなか離れなかったそうだ。
多分それが原因で、今でも、練りわさび&からしは、味がどうしても嫌で食べられない。
その他の辛いものや、粒マスタードは大丈夫なのに…
今時いないと思うけど、断乳のために手荒な真似は止めてやって下さい。
可愛いお姉さんや、かっこいいお兄さんが電車に乗り込んできたら、やたら見てた記憶があるw
カアチャンに注意されても、チラチラ見ちゃってた。
だから、何をしてなくてもやたら子どもと目が合う人は、子どもながらに認定した人なんだと思うw
育児に役たたねースマソ
四歳保育園
きれいな若い先生に折ってもらったチラシの折り鶴を大事に持ってあるいてた。
引っ込み思案で「わたしも作って…」とようやく言って作ってもらったもの。
ところが、お迎えの支度の時に折り鶴を教壇の上に置き忘れてしまった。
支度を終えて思い出し、教壇の上を見ると何もない!
ビックリして担任の先生に尋ねると、しばらくして「捨てちゃったって…」と言われた。
が、子供心にホンのちょっとの時間でしかもちゃんときれいな折り鶴の形をしていたのに!(そして一番人気の若いきれいな先生に作ってもらったから)と納得できずに泣きながら必要なんだ&家に持って帰ると猛抗議。
その後、一番年上でガミガミしているおばさん先生が、大きなゴミ袋を持ってきて「この中から探しなさい」と。
泣く私と担任の先生でゴミ袋を漁り発見。
手から離した自分もうっかりだが、今でもあれは、ガミガミ先生が一番人気先生に嫉妬して折った折り鶴を捨てたのだと思っている。
他にも沢山折り鶴が捨ててあったから。
当時極貧だったらしく託児所に私を預け母親がパートに出た。
託児所の先生にすごく意地悪な人がいて、いじめっ子もいた。
他の子がおもらしした所へいじめっ子が私を座らせて
「せんせー私ちゃんがおもらししたー!」
「まあ私ちゃんは悪い子ねえ。汚い汚いw」
先生は私じゃないのを知ってるのに馬鹿にして笑った。
私はオムツしてるし違うと泣いて訴えてるのに言葉が通じなくて悔しくてお昼寝の時に
思い出して泣いたら、意地悪な先生に「泣いたら叩くよ!」と怒られた。
翌日、託児所前で異常なくらいギャン泣き始めた私を見て「何かおかしい」と母親が察し
「今日は帰ろうか」と言うとピタリと泣き止んだらしく気味が悪かったそうだ。
大人になり、その時の事を母親に話したら生後9ヶ月の時だったそうで
母親に泣いて謝られてしまった。
生後9ヶ月でもちゃんと話せないだけで、言葉はほぼ理解出来ていたから
赤ちゃんだからわからないだろうって扱いはしないほうがいいと思う。
35 :
名無しの心子知らず:2009/07/25(土) 20:41:58 ID:UDxdx2EN
>>33 他にも山ほど捨ててあったから嫉妬て…。
いやまあ、その時はそう感じたのはいいにせよ
今でもそう思うのか。
他にも嫉妬してそうに感じるエピソードが
何かあったのかな。
>>30同じ記憶あるw
あと、幼稚園児の頃押し入れに入ってしまい怖くてギャーギャー叫んでたのに
親は喜んでいると思い、押し入れを開けられないように手でおさえ
「ヒュードロドロ」など幽霊が出るかのように演出。
>>30 私もそれある!
なのに、忘れて赤にこちょこちょしまくってた…。
笑いたくて笑ってるんじゃないかもしれないんだよね。苦しがってたら可哀相だ。
>>35 書き方悪かったよね。
今でも 当時 嫉妬してやったのだと 思っている。
かな?
多分、子供心にいろんなエピソードを目にしてそう感じたんだと思う。
その後通った幼稚園でも若い人気の跡取り先生におばさん先生が嫉妬していた感じは覚えてるので、そういうのに敏感だったんだと思う。
生後8ヶ月なりたての頃の記憶がある。
お正月に母の実家に行った時で、写真にも残ってる。
同年代の従兄弟達がいて、従兄弟が乗っていた歩行器に興味があったが、自分の母親に「○ちゃんにはまだ早いよ、無理だよ」と言われた。
それでも乗りたいとアピールしてなんとか乗せてもらった。
でも一歩も動けず、やっぱり無理だと言われるのが嫌でやせ我慢して無理に楽しそうにした。
ちょうどその時、目の前にピコピコハンマー(叩くと笛の音がするおもちゃ)を持った兄がいて私がハンマーを奪って適当に振り回したら、兄の頭にヒット。
その後一人でおもちゃで遊んでいると、母が写真を撮ろうとして私の名前を呼ぶがしばらく無視しておもちゃで遊んだ。
おじさんにだっこされるのが嫌で泣いたが慰められて、しょうがない、泣き止んでやるかと思った事など色々覚えている。
小さいながらも大人の言う事を大体理解していた。
今、我が子も同じくらいの月齢だが、とりあえず変な事を言わないように気を付けている。
記憶の後付けかもしれないけど、
最古の記憶は百か日。
ポカポカした天気のいい日に、おばあちゃん家の縁側で、
晴れ着を着て母の膝で写真を撮った。
おめかししてお祝いしてもらってる幸せな記憶。
小さなうちからでも、お祝い事はいろいろしたほうがいいかも。
私が凄い勢い(のつもり)で祖父母の家を走っていて、人がいっぱいいた場面が最古の記憶。
恐らく曾祖父の葬式だと思われるので当時1歳半くらい。
どうも、やっと走れるようになって嬉しかった時期のようだ。
前後の記憶は無く、廊下を走抜ける数秒だけが切り取られたように残ってる。
ひとつ目は歩行器で歩いてて引き戸のレールにひっかかって転んだけど
思ったより痛くなかったこと。
ふたつ目は保健所に連れてかれて注射やだなぁって思ってたら
赤い液体飲まされて、甘いいなぁとか注射なくてよかったって思ったこと。
前者は1歳前で後者はポリオだろうから1歳半辺りかなぁ?
この前、娘のポリオ行ったときに記憶と同じ液体だったから
思わず甘いから大丈夫よって言いそうになったw
言ってあげても良かったんじゃないのかな?
まだハイハイできない頃、ベビーベッドで仰向けになりながら
眠気もないし天井を見ているのも飽きて
隣の部屋にいるお母さんに聞こえるようにグズってみたら
一緒にいたおばさんとの会話が楽しいのか
明らかにこちらの呼びかけを無視した上に、二人の笑い声が聞こえてきてショックと怒りで大泣きした。
「今回はたまたま暇で呼んだだけだけど
万が一、身の危険があって泣いていたとしたら
手遅れで後悔するのはおまえらだろうに」と
赤ん坊ながらにカッカッしていた。
本当に気づいてないなら許せるが、無視は許せなかった。
三歳くらいに、同じくお母さんにとことん無視されて(相手をするのが面倒で新聞を読んでいるふりと返事なし)
いよいよ存在を否定されたように感じ、この人にお母さんは無理だという絶望感から
背後から刺し殺してやろうと決心し、台所の包丁を取り出した瞬間
パトカーや救急車のサイレン、連れて行かれる私と運ばれいくお母さん見て
泣いている大好きなおばあちゃんのイメージがはっきり浮かび胸が痛くなった。
五分か十分くらいお母さんを許せない衝動と良心の葛藤をしながら
どうにか包丁を元に戻し「ばあちゃんのおかげで命拾いしたな」と殺し屋みたいなセリフを胸に秘めながら
お母さんの背中を見続けたのを覚えている。
子供だからといって、ないがしろにしすぎると殺されても不思議じゃないと思った。
普段、仕事で不在の母親だったから、いつも他人に世話を丸投げしていて
久しぶりに1日一緒に居れたと思ったらこの仕打ちかよ‥みたいなショックが大きかったな。
子供と話したり愛情や信頼関係を築く作業を重ねることは
育児のうえで本当に大事なんだと思う。
45 :
名無しの心子知らず:2009/07/28(火) 12:18:09 ID:7CZuSszI
トイレトレーニング?の記憶。
ずっと、縁側のすみに置いてあるオマルでしていたけど、ある日、母から
「これからはトイレでするように」と言われました。
その時の感想は
「えー、めんどくさい…」でした。
縁側だと明るいし、広いし、いつでも気軽にできるからそれが気に入って
いたみたいです。
あと、オマルには持ち手があるのも、乗り物感覚でよかったのかも。
良スレ。
自分は3歳くらいの記憶がある。温泉に行った時、母親が若い男の子から
「おばさん」と呼ばれたのを怒りながら父親に言ってるという。母は当時30くらい。
まあ小さい子供連れてりゃ呼ばれるわな。あれから30年、今度は知らない子供から
「おばあちゃん」と呼ばれたってプンスカしてたわ。
47 :
42:2009/07/28(火) 13:11:55 ID:9yQdQSNz
>>43 ハイッハイッ!って言う保健婦さんの勢いに負けて
言う間もなかったよ…ヘタレだorz
記憶ではこれ飲んでって渡されたような気がするんだけどな。
スレ見ると楽しい思い出より、辛かったり嫌だったりした記憶が
残ってる人のほうが多いのかな。
トラウマっぽくなれば脳裏に焼き付いちゃいそうだもんね。
48 :
名無しの心子知らず:2009/07/28(火) 14:15:07 ID:lDK3zemg
携帯からスマソ。
私の一番古い記憶はマッチでボヤを起こした事。
(ボヤって言っても布団を焼いただけで済んだらしい)
父親がこたつの上に置いていたマッチに触ったら怒られたので父親がトイレに行った隙にばれないように隣の布団がある部屋へマッチを持っていった。
で、火をつけてみたら熱くてマッチ落として布団に引火!
私の記憶はここまで。その後は母から聞いたが自分は覚えてない。
自分ではずっと3歳の記憶だと思ってたけど実際は2歳の記憶らしい。
マッチの形や父親がいなくなったらとろうと様子を伺っていた感情は普通に覚えてる。
2歳でもちゃんと悪知恵って働きます!
気をつけてください。
49 :
名無しの心子知らず:2009/07/28(火) 14:18:45 ID:g0kEkdHm
3歳のころ妹がうちにきたときから大人に相手にされなくなった
妹が憎くて散々いじめた
今思うと可哀相だ。
でもお姉ちゃんなんだからって理屈は今でも理解できない
まだ抱っこされてしゃべれない頃に
自分が見つめて微笑めば、見知らぬ人もどんな仏頂面の人も
一気に笑顔にできる力がある!なぜなら私は赤ん坊だから!という確信で
バスの乗客で下を向いていた人達が
母に気づかれないようにひっそりとこちらに微笑みかけてくれたのを
心の中でカウントしては満足していたこと。
自分の立ち位置をフルに利用して人を笑顔にすることが
使命感と高揚感の伴う感覚だったので
赤ん坊も何かしら意識して役割を果たそうとしているんだなと思う。
一〜二歳の頃かな。
海岸?砂浜?で、年上の従兄弟二人に挟まれて並んで座ってる私。
んで、その従兄弟達は市販の弁当か何かをがっついてるんだ、黙々と。
でも、自分には何も持たされてない。
自分にも欲しくて、一生懸命手を「頂戴」にしてアピってるんだけど
全く気づいて貰えず、自分の父親も気づかず呑気に写真撮ってやがる。
この悔しさ伝える手段が分からなかったから、まだ喋る前だったのかな。
もしかしたら自分は食事を済ませてたか、まだ食べられない物だったのか
定かではないが、そうだとしても両隣に飯食ってる人の間に座らせて
お預けって、いくら相手が赤子でも酷いと思うよw
>>51 結構やりがちなシチュエーションだw
気をつけます。
多分3歳。
ソファに座って晩酌している父の足元にちょこんと座って口をあーんと開けるとおつまみのマグロを食べさせてくれた。
何回も行くと、母に「もうやめなさい!」と怒られた。
54 :
名無しの心子知らず:2009/07/30(木) 22:07:55 ID:J4vXKbxi
みんなの書き込み見てると、かなり小さい頃でもいろんなことが
わかっているんだと、勉強になるよ。
自分の記憶では、壁に貼った色々なシールを見て、頭の中で
ストーリーを考えていた。
絵本は読むだけだけど、シールなら、自分で話が考えられるから飽きない。
子どもには、シールを貼ってもいいスペースを作ってあげるといいかも。
55 :
名無しの心子知らず:2009/07/30(木) 22:25:39 ID:+wwp/XQG
多分、二歳。
親戚と祖母と家族でプラネタリウムを見に行った。
皆が沢山かわいがってくれるので、プラネタリウムを観察する席をなかなか決められずウロウロしていた。
おじさんの隣に座ったら
おばあちゃんが寂しいだろうな、でも パパの所にも行かないと…と小さいながらにそう思った。
しかし、私のウロウロは
大人からしたら 落ち着きなく見え、帰り際に、
親戚のおじさんに叱られて泣いた。
「いっぱい泣け、ほんと落ち着きない、泣け泣け」
こう言われて かなりショックを受けた。その時は上手く話せなかったから泣くしかなかった。
今でも鮮明に覚えている。
知り合いが 沢山集まり、
子供が 色々な人の所にいったり来たりしていたら
叱らないで どうして
チョロチョロしているのか少し観察した方がいいかも
多分2、3歳の頃。
幼稚園に入る前、日中は母の知り合いに預けられてた。
そこのおばさんは毎日近所へ散歩に連れてってくれてたんだけど、
ある日、葉っぱに止まっているカタツムリに夢中になってたら、おばさんがどんどん先に行っちゃって、
気付いた時にはすごい遠くで大泣きした記憶がある。
遠くって言っても、当時の私がそう感じただけで、実際は走ってすぐ追いついたから、たいした距離じゃないと思う。
ただ、すごく遠くに感じた。
子供が何かに夢中になってても、ちゃんと隣にいてあげた方がいいと思う。
57 :
名無しの心子知らず:2009/07/30(木) 23:34:04 ID:9MtXGjVP
弟が生まれて病院にお見舞いに行ったこと覚えてる。
年子だから一歳五ヶ月のとき。
お母さんが家にいなくなってさみしかったから、会いにいけてうれしかったけど久々に話しかけられるのが恥ずかしくって、部屋に入らずに廊下走り回ってたなぁ。
二歳過ぎにお祭り行って暑くて弟とお母さんから離れて一人で家に帰ったことある。大人の足で10分以上かかる距離一人で走って迷わず帰った
2〜3歳頃
当時晩御飯は、父が食べるのを手伝ってくれてた。
その日はご飯を食べたくないのに、
父が何とか食べさせようと、
白いご飯に白菜のお漬物を巻いて、
「ほらお寿司だよ〜」と勧めてきた。
それお寿司じゃないしと思いながら、
でも一生懸命ご機嫌取ってくれてるからと、少しだけ食べた。
2歳頃の記憶。
おむつが外れたけどまだ時々おもらししてた頃で、
おかあさんといっしょを見てたら尿意をもよおし、トイレに走ったけど間に合わずに漏らしてしまった時のことを覚えてる。
証拠隠滅を図ろうとしてたら、洗濯物を取り込み終わった母に見つかり、「アンタはまた漏らしたね!」とお尻を叩かれた。
それがもの凄い恐怖だったので、自分の子がトイレ失敗しても絶対に怒らないと心に決めてる。
子どもだって失敗したくないんだし、叩いても萎縮するだけ。
2歳前後の記憶で兄 姉と子供会のハイキングに行った。集合写真の時隣のお母さんに抱っこされて「なんで抱っこすんのー!」と泣いて訴えた。
もちろん写真もあるけど 幼児はなかなか意識あるなってこのスレ見て思う。
3歳くらいの頃、地震があって「ママ怖いよ」と
母に抱きついている記憶。
「ママが守ってくれるからもう大丈夫だ」と安心した記憶がある。
現実は、地震相手じゃ、大人だから大丈夫ってわけではないが
子供ってそのくらい、親を信頼してるんだなあ。
3歳の記憶。
アパートのゴミ捨て場に蛍光管が捨ててあって、
割れるってわかってんのにどうしても落としてみたくてたまらなくなった。
で、手に持って地面に落としたら、割れた。
母親がすっ飛んできた。
ほんとこのスレはためになる。
子供には誠実に接しようと思うよ。
自分の2〜3歳の記憶。
おもちゃ屋さんでぜんまいで動く小さなねずみのおもちゃを見て
どうしても欲しくなってしまい、悪い事とわかっていながら
ポケットに隠して持って帰った。
家に着いてそれで遊んでいたら、親にそれはどうしたのかと聞かれ
叱られると思い泣きべそをかいて「持ってきちゃった」と言った。
親は冷静に私を諭して、一緒にお店に返しに行った。
お店の人に頭を下げている親の横で、私はなんて悪い事を
したのだろうと恥ずかしくてうなだれていた。
今でもそのおもちゃの形状はしっかりと覚えているし
その時の罪悪感も覚えているから、これから先いくら食べ物に困っても
万引きは絶対にしない。
トイレトレ、母は叱って躾ける派でかなり厳しく叱ってたみたい。
でも三きょうだい、体質だったのか皆二歳前にオムツとれ、
お漏らしおねしょもほぼゼロ。皆トラウマもなし。
でも、私が物心ついた五歳くらいの頃、一度だけおねしょしてしまった事がある。
母は感情的で怒ると凄く怖い人で、
めちゃめちゃ怒られる!ガクブルと思ったんだけど、
母は優しく「そうなの」って言ってきょうだいにも秘密にしてくれた。
すごくほっとした。
65 :
名無しの心子知らず:2009/08/01(土) 16:07:52 ID:b4uUT64l
良スレあげ
少し大きくてごめん
たぶん5〜6才の頃
弟と母と三人で公園に行こうと支度中、私はどうしても母に買ってもらったオモチャの腕時計をしていきたかった
でもそれがなかなか見つからなくて、必死に探して見つけて自分で腕に巻いて母の元へ行ったら
外にいた弟が他の自転車に引かれておでこを切る惨事に
「あんたがグズグズしているからこんなことになったのよ!」という母の言葉と表情はいまでも忘れない
67 :
名無しの心子知らず:2009/08/01(土) 17:20:19 ID:DljFdxVw
なんか、このスレみて、今日の自分を思い切り後悔してる。
幼児も、心は一人の人間なんだと思い知らされた。
良スレだ。また見にこよう。
68 :
名無しの心子知らず:2009/08/01(土) 17:56:01 ID:wwmusPgr
いいスレだね。
私も記憶ある。
母は2歳になったばかりの頃だって言った。
海で滑るから気をつけなさいと何度も言われて
後ろに滑って頭を打ったら大変だって言われた時に
言われたように後ろに滑って頭を打った。
家の鍵を持ちたくてお願いして持たせてもらったけど
エレベーターとフロアの隙間に落とさないでねとしつこく言われた。
エレベーターが開いて、その隙間に落としちゃダメだと思っていたのに落としてしまった。
すごい怒られた。
子供って暗示にかかり安いんだなって思う。
69 :
名無しの心子知らず:2009/08/01(土) 18:08:29 ID:wwmusPgr
好きなだけ笑ってくれよ
71 :
名無しの心子知らず:2009/08/01(土) 18:38:59 ID:AtqpzzGL
三才の頃の記憶。
父方のお婆ちゃんの家で食べたラーメンが温くて軟らか過ぎて気持ち悪かった。
生後半年くらい。
親戚の集まりがあり、料理を食べている大人たちの輪の外で
今で言うハイローチェア的なものに座らされている私。
いつもはしっかりかまってくれる父や母が、私に背を向けて
私以外のもの(=料理)に夢中になってるのが面白くなくて、
「ウゥ〜」と声を出して呼ぶものの、「ハイハイハイ」とおざなりに対応され、
ちょっと傷ついたのを覚えている。
1歳前。
曾祖父に初めて会った時、ヒゲの長さに驚いた私。
「泣いちゃうかな?」周囲に言われ、期待に応えねば、と思って
特に怖いわけでもなかったけど大声で泣いたら
曾祖父が悲しそうな顔をして、悪いな〜と思ったけど
泣きやみ方を知らなくてそのまま泣き続けてしまったこと。
曾祖父に会ったのはあの時だけだったから、今でも後悔してる。
73 :
名無しの心子知らず:2009/08/01(土) 23:04:30 ID:sy497LPA
私もちょっと大きくなってからの記憶だけど…。
六歳か七歳か、それぐらいの時に朝ご飯を食べてたら母が早く後片付けをしたかったみたいで「早く食べてよ!」と何度も怒鳴られ、私は逆に緊張して、ご飯食べるどころじゃなかった。
ますます食べるペースの落ちた私に苛ついた母に、更に酷く「早く!もう!」と怒鳴り立てられて号泣しながら何とか食べるも、泣きながらだから上手く食べれなくって。
「汚い!こぼさないで!誰が掃除すると思ってんの!」と、背中を叩かれた挙げ句また怒鳴られて。
恐いし悲しいし痛いしで、頭真っ白になりながらグチャグチャになりながら必死でご飯食べてた。
今考えても、人生の中で一番泣いた時かもしれない。
このスレ読んでるとなんか泣けてくる…。
何歳かは覚えてないけど、父と母が私の事を話しながら笑っていた。
決して悪い笑い方じゃなく、愛情込めた笑い方だったのだろうけど、
私は真剣なのに何で笑うのよ、と結構傷ついた覚えがある。
1〜2歳くらいの記憶。
母の膝の上でパイを飲んでいた。
(当時としては珍しく断乳しなかったらしい)
母が「おいしい?」と聞いてきたので「オイシー!」と答えた。
甘くて温かくてとても幸せだった。
現在乳児持ちだが、
パイ飲んだ後の満たされた笑顔を見てこのときの気持ちを思い出した。
3〜4歳頃の記憶。車で移動中。
母は助手席に座っていて、私は後部座席。
そして運転席には知らない男の人。
私は不安な気持ちになり、前に顔を出して必死に母に話しかけた。
でも相手にされずほとんど無視された。
あの男の正体をずっと知りたかったけれど、
なぜか罪悪感にとらわれ、気がひけて聞けなかった。
去年里帰り出産で母から思いも寄らぬ過干渉でボロボロにされ、
今は連絡を絶っている。
いつか帰省したら父の前で母に聞いて見ようと思う。
「ローリーおじさんって誰?」と。
>>1をちゃんと読んでなかった。
育児に役立たないね。ゴメン
謝んなくていいから今すぐ帰省して!
ローリーおじさんって誰?誰なの???
気になって気になってたまらん!
いつか真実がわかったら私にも教えてほしい。
たぶん4、5歳の頃…
妹の世話ばかりの母に、構って欲しくてちょっかいをだしたら少し冷たくされた。
ショックを受け「私の事きらいになった?」と聞いたら「そんな事ないよ、大好きだよ」
と言ってくれたのが子供ながらにも涙が出るほど嬉しかった。
それから妹にも優しくなれた気がする。
育児日記を読んだら産まれた翌日なんだけど、親戚がたくさん来てくれて
可愛い、可愛いと言ってくれて嬉しかった。
明るい日差しの中で、白いシーツを被ってるみたいな目の見えかたなんだけど
頑張って見たらみんなが顔を覗いているのが見えたけど、輪郭と髪しかわからなかった。
寝返りが出来ない頃に上を見たらメリーがあって「あ!目がよく見えるようになってる!」
と気が付いて、家の中を見回してみたらいろいろ見えて嬉しくなった。
産まれて間もない時は、生まれてきた事がすごく誇らしくて嬉しくて
自信に満ち溢れて、期待感でいっぱいだった。
「泣いたらお母さん、ちゃんとわかってくれる!」って理解してたから
自分の子もそうかもと思い育児が楽しかった。
新生児の微笑は生理現象って言うけど私は違うと思う。
親戚が来た時に私は「自分の意思」で「期待に応えて」笑ったもの。
低月齢の赤ちゃんでも言葉はかなり理解してるし、要求に応えてもらえたら笑うと思う。
たまにニヤリと笑うのはなんか考えてた時で、指摘されたら恥ずかしかった。
あと、寝返りするまではメリーがないと退屈過ぎて泣きたくなる。
放置するならメリーは回してくれないと困る。
81 :
76:2009/08/02(日) 12:25:16 ID:rvOUiY7v
コメありがとう。
今はまだ母の所業が許せないし「私が’会う’と承諾する」
→「母が’娘に許してもらえた!キャハ’と図に乗る」のが目に見えてて、
再び母のペースに巻き込まれるのがいやなので、
どうしても帰省する気になれないんだ。
いつになるかわからないけど、
いつの日か母と対面する日が来て、
おじさんの正体がわかったら、その後スレに書き込むよ。
BCGの予防接種のときの記憶。
母に抱っこされていて、知らない人が母に
「大きい赤ちゃんね」と言っていていい気持ちがしなかった。
その人が、「全然なかなくていい子ね」と言ったら
母が「注射すればすぐ泣くわよ」と答え、
私に「痛いよ、痛いよ〜w」と脅した。
順番が回ってきたら、また
「痛いよ〜w痛いよ〜ww」と言うから
本当に痛い気がしてきて、注射針が刺さったら泣いた。
母は「ほら、泣いたwwww」と嬉しそうだった。
そんなに痛くないな。と思ったけど泣きやむことができなくなった。
それから何年後か
父親に抱かれ初めてプールに入る時も
母は、「怖いよw怖いよww泣くよ、泣くよwww」
と言っていたので、怖くなってきて水に足がついた途端に
父親にしがみついて泣いた。
内心、「あれ?楽しいかも」と思ったけど
泣くのをやめれなくなってしまった。
私が妊娠報告したときの第一声も
「痛いよ〜w痛いよ〜www」
だった・・・
83 :
82:2009/08/02(日) 21:43:10 ID:jtRnc6ic
肝心の育児について書き忘れ・・・
というわけで、
子供の予防接種の時は
「ちょっとチクっとするけど大丈夫だよ。病気にならないためだからね」
とか説明するようにしています。
そのおかげかどうか分からないけど
注射したときは少し泣いたけど
「えらかったねー!すごいね!」ってほめると
誇らしげに笑って「うー!」って言ってましたw
最古の記憶じゃないけど。
両親の職場のお祭り?か何かに連れて行かれた。たぶん3〜4才頃。
なんか卓球の台の上に寝ていて、同僚?のおっさんも横に寝転がり
腕とかもだけど、胸(ペッタンコ)を執拗に撫でまわされた。
すごく不快で怖くて恥ずかしかったけど、傍にいる両親も何も言わず
私も何も言えなかった。
今思えばロリコンだったのかもと思う。就学未満の幼児対象?
高校生くらいの時に、その寝そべっている写真を見つけてびっくりした。
おっさんの顔も記憶どおりで、気持ち悪い顔だった。
撫でまわされている状態を写真に撮るって…うちの両親あほすぎる。
今ならロリコン絡みの事件ってよく報道されてるけど、当時はそんなもんだったのかも。
でもその写真を証拠に今でも訴えてやりたい。
多分2、3歳のころ
当時私は母親のおっぱいが大好きだった。
多分もう卒乳してたんだろうけど、しょっちゅう触ったり乳首に吸い付いたりしてた。
母親もたまに「もうダメ!」って怒ってた。
ある時母親が友達との会話で「この子まだ乳離れしないの。」と言っているのを聞いて急に恥ずかしくなり、
それを境におっぱいに関わるのを一切やめた。
隣で聞いてない振りしてたけど相当恥ずかしかった。
2歳頃
子供だからわからないと思ったのか、お母さん達がいなくなったお酒の席で
調子に乗って、浮気の武勇伝を話しているおじさん達に腹が立ってしょうがなかった。
自分の父親がだんまりを決め込めんで話に乗ってこなかったのが救い。
その場で、寝たフリをしていたけど、じっと話を聞いていた。
その晩から、親戚のおじさん達が一気に嫌いになり(不潔に思い)
小学校あがる頃まで、そのおじさん達に抱っこされそうになったり
接近されるたびに、嫌悪感で泣きながら逃げたり隠れたりした。
大人になった今は、一途で居続けることの難しさや浮気に対して、いくらかいろんな見方ができてきたものの
当時、おじさん達が垣間見せた
大して悩んでもないのに、ペラペラと浮気話を人に披露したり
夫婦不仲ネタの相談を相手女性に持ち掛けて
それをきっかけに浮気しようという隙や手口は
今でも許し難いこととして刻み込まれている。
酒の席の大人の話も、子供には内容がわかると考えていいと思う。
なんだかトラウマ的なことや怨み辛みぽいのが多いね。
参考に、というより切ないな。
自分は2〜3歳のころ、夜徘徊(泣いてないから夜泣きじゃないのかな)してた。
みんな寝静まった頃に普通に起きて、一人でこっそり深夜にテレビ見てた。
気づいて起きた親が「何してんの?早く寝なさい」って驚いてたな〜
でもその特別感が止められずに夜中に起きてはこっそりテレビ見てた。
姉と妹はそんなことしなかったので、今思うと夜起きるクセがある幼児だったのかも。
夜泣きや朝方の遊びに困っているお母さん、お子さんも夜に行動するタイプかも。
無理に寝かし付けずに本人に気が済むまで放っとくのもいいと思いますよー。
私は気が済んだら勝手に寝たり、朝までそのまま起きてることもあったけど、
幼稚園に通い出したら夜ちゃんと寝るようになりました。
私の最古の記憶は社宅でポリジュースを凍らせたものを食べている記憶。
たぶん一歳半くらい?
その次に古い記憶は二歳の時に母と一緒に
東京の母の友人宅に遊びに行った事。
夕飯に卵焼きが出た事、新幹線の中で母ととんかつ弁当を
分け合って食べた事をよく覚えている。
食べものの記憶ばっかwww
ごめん全然育児のヒントになってない。
89 :
名無しの心子知らず:2009/08/12(水) 23:44:47 ID:+Yh2kCBN
まだ2歳になる前の記憶だと思うけど、おんぶしてもらっていた時の
記憶があって、すごく安心感があって幸せな感じだった。
でも、重いから、とすぐにおろされてガッカリした思い出がある。
とりあえず、赤ん坊がおんぶでよく寝るので、やっぱり安心感が
あるんだろうなと思っている。
>>84 自分も似た様な事があった。3歳
父親の同僚。湖のボートの上で膝に抱っこされてて
親もいたのに。きんも〜!
>>88 食べ物の記憶アルアルw
自分は2歳前に父が母に内緒で買ってくれたファンタグレープ
あの昭和の合成の甘さ忘れられないww
哺乳瓶を丸めたタオルに乗せてセルフ飲みさせられて
「何て横着な親かしら」
と悲しい気持ちになりながらも我慢して飲んでいた。
空になったのに気が付いてくれないのが嫌だった。
ミルクが嫌で嫌で仕方なくなって、食べさせてくれる離乳食が嬉しかった。
なので哺乳瓶セルフ飲みはあんまりやらないほうがいいと思う。
>>92 最近の育児書には
危ないから絶対にやめましょうと書いてあるよ
94 :
名無しの心子知らず:2009/08/14(金) 11:44:19 ID:KkE5pPdc
良スレあげ
まだ手足をばたつかせるのがやっとの頃、
母が家事をするために抱いてた私を座布団に寝かせた。
「もー!もう少し角度を考えて寝かせてくれたら庭が見えるのに!
気が利かない!」
と腹が立った。
なので、自分の子を寝かせるときには暇つぶしができる何かが見えるように気を付けた。
あと、寝かせるときにバスタオルをかけられたんだけど
片足だけ足首からでたりするとその中途半端が気になって寝れなかった。
バタバタ動いてもどんどんずれるだけでむかついてた。
2歳になったばかりの頃、自宅庭のブランコに乗せられて父親が私の写真を撮っていた。
父親の手際が悪く、モタモタする父親に「早く終わって、抱っこしてくれないかなぁ」と思っていた。
どれ位昔の記憶か分からないけど。
海パンはいた親父と白いワンピースの水着を着たお袋がいる。
自分は砂浜のひなたで白いバスタオルにくるまれてバスケットに入れられてミルクを飲んでいる。
何となく不安になって泣いてみるとすぐに両親が駆けつけてくれるので安心してまた眠る。
多分まだ歩けるようになるかどうかの頃の記憶じゃないかなと思う。
98 :
名無しの心子知らず:2009/08/17(月) 12:22:27 ID:ydzyeJSI
良スレだね。
何歳か具体的には覚えていないけれど、まだ言葉が話せない頃。
二つ下の弟がいるんだけど、まだ産まれていないし母のお腹も膨らんでいなかったから1歳頃だろうか。
DVの現場を見た。
激しい口論の様を見て、止めようと間に入ると父が「パパとママは喧嘩してるんじゃない。お話をしてるんだよ。」と言って、その後激昂しビール瓶を割って、それで母を殴った。
母は手で防御して、手から大流血。
救急車と祖父母が来た。
祖父が父を怒鳴りつけた。
随分後になって結局両親は離婚したんだけど、最近になって記憶違いかも知れないしと思い母親に聞いたら「まだ小さかったのに覚えているなんて。」と号泣され何度も何度も謝られた。
お陰で何が役に立ったかと言えば、赤ちゃんや幼い子供にだって気持ちがあるんだと分かってあげられることだと思う。
汲んであげられているかは分からないけれど、随分寛大でいられる。
このスレ読んでから、赤子に接するのが楽しくなり、
よりいっそう心配りをするようになったよ。
気付いたらトイレトレーニングは終わってた。三歳くらいの時。
和式で母に抱えられながらシーシー言ってたのを思い出す。
ダラだった実母、私に歯磨きと風呂くらいは習慣つけて欲しかった。
虫歯だらけで歯並び悪いし、とにかく何もかも汚い生活だった。
自分の子供には歯のことはきちんとしてあげたい。
>>100 私も歯磨き、洗顔、身だしなみ、小学校まで身についてなくて
自分で気がつくまでひどい有様だった。虫歯健診はいつもひっかかってたし肌荒れもすごかった。
うちの母の場合は気難しい父と母自身のフルタイム勤務、そして家事で
いっぱいいっぱいだったのかなと大人になってから思ったけど。
それにしても、「できているか見ていてもらった」記憶が全くといいほど無い。
「やっておきなさい」といわれた事は結構あったと思うんだけどね。
ついでに、スレ違っちゃうかもしれないけど
思春期までにはお金の使い方と服の買い方も教えて欲しかったな…。
小学生の時、友達の親御さんにデパートに連れてってもらうまで服屋に行ったことが無かった。
多分それまではお下がりと親の買ってきたものを知らないうちに着ていた。
だから店での選び方がわからなくて、何が欲しい?って言われてもわからなくて
友達にも呆れられたしすごく悲しかった。
102 :
名無しの心子知らず:2009/08/17(月) 21:26:07 ID:DsETuj83
>>92 横着な親が通りますよっとwww
スレチにも程があるけど、思い当たるフシがあるので懺悔させてください
完ミだった長女が10ヶ月の頃、夜中のミルクは子供を枕で上半身を高くして、私は横になったままミルクをあげていた
うっかりそのまま寝てしまったことも数回
朝目覚めた娘が、空になった哺乳瓶をチューチューしている音で目が覚めた事もある
その娘は現在2歳だけど、さぞ横着な親だと思った事だろう
うちの娘と
>>92 横着してごめんなさい
うわあああ…
生まれたばかりの頃(魔の三週間)、余りにも泣き止まないので、
おしゃぶり代わりに空の哺乳瓶を吸わせた事あるよ…orz
ここ見て反省した。赤よ、すまん。
自分が2歳頃の記憶。
私が昼寝をしてると、近所の同級生親子が遊びに来た。
寝てる私に同級生の子が「遊びに来たよ」と話し掛けてきたんだけど、
『こっちは寝てるんだよ!空気読めよ!』と思い
わざと大声で泣いてやった。
自分性格悪いな。反省した…orz
104 :
名無しの心子知らず:2009/08/17(月) 22:59:39 ID:eyeVw1NU
一歳過ぎくらいかと思うんだけど、カメラを構えられて
無反応でもアレかと思い、突然鏡台に歩いて行って
自分が鏡に映るのを見て驚いているようなパフォーマンスをしたことがある。
>>104 すごいな〜
まさに「サービス」なんだね
親側も子供の反応にきちんと喜んであげなきゃだ
106 :
名無しの心子知らず:2009/08/18(火) 14:57:23 ID:6wUjhyTq
うちにある写真、私の初節句=6ヶ月。
雛人形のまえに座らされた私は誰が撮影したか、誰が私がこけないように支えていたか、その2人の会話も覚えてる。
107 :
名無しの心子知らず:2009/08/18(火) 15:03:39 ID:gQz7U+EK
赤ちゃんくらいの記憶。
右足にすごい火傷を負って、どうやら家族が言うには足をコードに引っ掛けてお膳の上のポットを倒した?らしい。
それで自分は救急車で運ばれたのだけど
運ばれる前後の記憶?というか感情を覚えていて
家族の誰かが、「冷やしたから大丈夫だと思う」
「救急車呼ばなくても大丈夫ぽい」
家族全員「そうだね」
私(いやいや、そんな簡単に考えてもらっては困るし。そんなに痛くないけど救急車に乗りたいからもっと思いっきり泣いてやる)
「うわああああん!!!!!」
家族全員「ヤバいヤバい、やっぱり救急車呼ぼう!」
みたいな。
結局救急車に乗ったけどその後の記憶はない。
今も火傷はあるけど、何故こんなに覚えているかというと何度も小さい時に夢で見てたからだと思う。
自分が2歳8ヶ月の時に妹が産まれた。
母が入院中、心配かけちゃいけない、母や祖母の前で絶対泣いてはいけないと思っていた記憶がある。
最近父から、夜に父と二人になってから、「さぁてそろそろ泣くか」と前置きしてから私がわんわん泣き出したと聞いて、記憶に間違いないことがわかった。
今妊娠9ヶ月なので、3歳の息子もそんな風に我慢するのかと思うと切なくなる。
なるべく上の子をフォローしようっと。
ちなみに産まれたての妹のことは全く記憶にない。母の病院食のエビフライが美味かったことの方が鮮明w
母は某会にハマっており捨て育てだった私。
たぶん1歳ごろ。私ひとり。
部屋のコタツの上に腹ばいになりグルグル回って遊んでた。
おしりに●ベッタリだった。
隣の家に昼過ぎまで起きて来ない母親と子供二人が住んでて、毎日腹を空かせて&オムツに●ベッタリで泣きながら 我が家に来てた。
母は私よりその放置子の世話に明け暮れてて私は毎日泣きたかった。
…を子を産んでからふと思い出して、辛くなった。
我が子には絶対そんな思いさせたくない。
私は一番古い記憶は4〜5ヶ月ごろで、一歳過ぎくらいからはわりとちょくちょく記憶に残ってる。
そんな中で思うことは
「絶対に、子供にその場限りのごまかしを言わないこと」
はいはい、後でね とか 今度〜〜してあげるね とか、すごく良く覚えてるしごまかした大人には不信感を感じてた。
3歳くらいからは、 早くとか もう少し なんていうあいまいな表現に疑問を感じてた。
早くって言うより、○分後 とかっていう風に時間で示してほしいとか。
「そんなわがまま言うならもう抱っこしてあげない!」とかを父や祖母がいうと、その後何を言われても
「はいはい、抱っこしないんでしょ。こっちからお断り!」的な気持ちでいっぱいだった。
でも、不思議と母だけは別で、なんとしてでも甘えたくて機嫌をとりたくて必死だった。
だから、損な役目のようだけど怒るのは母親がいいかも。と思っている。
参考になります
1〜2歳ぐらいの頃だと思うけど
1歳上の兄が泣き出すと、それまで自分は全然泣きたい気分じゃなかったのに
泣き声を聞いてるうちにだんだん不安な気持ちになってきて
つられて一緒に泣いてたことが良く有った
良スレ発見
年の離れた兄と姉が小学校高学年?2〜3歳の時だと思う。
朝、声を掛けてもなかなか起きない兄姉に母親は毎日毎日苛立ってたと思う。
それで階段の下から2階に向かって「○○!××!起きなさい!」って叫ぶ。
私はとにかく大声を出されるのが嫌いで、私に言ってる訳ではないのは理解してるけど
母親に対して「うわあああん」と大泣きした。
母は「違うよ、△△に言ったんじゃないよ」と優しく言ってくれて
悪いことしたなと思ったけど、一方で、んなこと分かってる、
そうじゃなくて大声出す以外の方法ないのか?と思って、数回同じことをした気がする。
自分に対してでなくても、苛つくとか大声出すとか、理想的でない母親の姿は腹が立つもの。
あと、大声そのものが嫌いな子もいる。
うちの2ヵ月も、トメは好きではあるみたいだけど、大声で声掛けされるのは迷惑そうにしてる。
最古の記憶ではないんだけれど、4歳か5歳の頃。
アレルギーの検査で遠くの大学病院に通っていた。その帰り道で起こったこと。
乗換駅のホームで、変わったおじさんに母が声を掛けられていた。
母はいつもと違い、愛想笑いをしている。
おじさんがこっちを見たので、「こんにちは」と挨拶をした。
おじさんは私の目に火の着いたタバコを近づけ、「こんな美人な母さんを困らせたら
これを鼻に入れるからな」と言った。
私はそんなことをされるのは初めてで、ただただ立ちすくむだけだった。
怖くて泣きたかったけど、泣いたら本当に鼻にタバコを入れられそうで泣けなかった。
言うだけ言うとおじさんは満足したらしく、立ち去った。
今思い返すと、あのおじさんは酔っ払いで、たまたま近くにいた母に絡んだんだと思う。
あの時、母はおじさんを止めることもなく、そのことを私にフォローするでもなく
何事もなかったように電車に乗って家に帰った。
あれ以来私は母のことが信じられなくなった。
何かあっても私の事は守ってくれないのかもしれないと。
実際その後も一番大事なのは自分!って場面を何度も見た。
親になったらあの時の母の行動がわかるかとも思ったけれど、結局理解できずに疎遠に。
子供に危ないことをされそうになったら、相手が誰であろうと体を張って守って欲しい。
それで自分が怪我をしたりしても、子供がそうなるよりいい。
私の母のように事なかれを狙っていたとしても、その後は子供が安心できるように
「怖かったね」「もう大丈夫だよ」「あの時私も怖くて動けなかった、ごめんね」
などの声かけをして欲しいと思う。
あと、当時の親には多かったのかもしれないけれど、親も間違ったことをしたら
ちゃんと非を認めて謝って欲しい。私は謝られたことがない。
最古の記憶思い出した。
ちょっとはしゃべれてたから2歳くらいかな。
遠距離の知り合い宅へ泊まりがけで行ったらしい。
で、この世で一番大切なぬいぐるみをどうした訳か忘れてきた。
家に帰って気付き、それまでの人生wで感じたことのない喪失感に襲われ
何故一時でも手と目を離したのかと自分を責めた。
世界は輝きを失い、もう何もかもが終わったと思った。
ただ救いは、その様子で親が気付いてくれて、知り合いに連絡を取ってくれ
知り合い宅でもすぐに探してくれてすぐに宅急便で送ってくれた。
生まれて初めて感じたであろう後悔の念と、
すぐに事情を理解してくれた親と知り合いへの感謝の気持ちが忘れられない。
でもこれが電車の中とか、見つけにくいところに忘れてたらどうだったろう。
だから、自分は絶対に子供のものも、殊に普段大事にしてるものは
ちゃんと確認して絶対に置き忘れないように気を配ろうと思う。
離乳食を始めたてのころ(6ヶ月くらい?)
祖父が口でくちゃくちゃと噛んだものを自分に差し出してきた。
汚い!!と思い大泣きしたら、母がすっ飛んできて祖父を止めてくれた。
それ以来、ずっと【祖父=汚い】という思いが消えなかった(祖父死亡後も続く)
ネンネの頃〜ずっと
とにかく、赤ちゃん言葉でしゃべりかけられるのが嫌いだった。
「おばちゃんでちゅよ〜」とかそういうやつ。
ばかじゃね〜の?って感じで覚めた気持ちだった。
「パパとママどっちが好き?」とかっていう二択は答えづらいし、なんか試されてる感じで嫌いだった。
そういうことを聞いてくる大人もドンドン嫌いになった。
結果、父はあまり好きじゃない。
三つ子の魂百まで っていうけど、赤ちゃんの頃に嫌いと思った相手はその後どうしても生理的にだめでした。
118 :
名無しの心子知らず:2009/08/20(木) 10:12:22 ID:W6oekkIH
このスレ発見してから前よりもいろいろ考えるようになった。
他にも知りたい
5歳の時、同居していた祖父が癌で亡くなったのだけど、入院する前だから4歳頃。
夕食のため居間に来た祖父が思いっきりすっ転んだ。
多分その頃既に癌が進行してて体が弱り、敷居にでも引っかかって
かつ、体を支えることができなかったんだろうね。
ドリフも真っ青な転びっぷりが、もう面白くて面白くて反射的に大爆笑。
が、真っ青になってたのは他の家族。
転んだ時の派手な物音でみんながサッと寄ってきて介助してた。
その様子で笑い事ではないと感じ、非常にばつが悪い思いをした。
10年後くらいに、やはり結果的に晩年、祖母が祖父と同じようにすっ転んだ。
たまたま来ていた従妹(小5くらい)がそれを見て大爆笑。
その後の周りの反応で、私と同様まずかったと思ったようだったので誰も咎めなかった。
何が言いたいかと言うと、派手に転ぶのを見るのは本能的(?)に面白いらしい。
だから、子供が他人が転んで大爆笑していても頭ごなしに怒らないで。
笑ったことを肯定も否定もしないで、転んだ人を気遣おう。
その様子で絶対自ら反省するから。
良スレ!
ここ読んでから、息子への接し方をより丁寧にするようになったよ。
まだ1歳半だけど、いままでずいぶんイライラして大声を出してしまったり、
その日の予定とか説明もせず大人の都合であちこち連れまわしてしまったりしていたなあ。
きっと大人に振り回されて色々不満が募っていたことだろうと思う。
書き込んでくれてる人たち、ありがとう。とても参考になります。
>その日の予定
これはぜひ話してあげてほしい
というのも、私の両親は旅行好きでしょっちゅう泊まりや遠出に連れていかれたんだけど
事前にいつどこへ行くのか、話してもわからないと思ったのか
ほとんど教えられないまま車に乗せられることが多くて、
子供なりに予定とかあったのにと、口には出さなかったけど黙って怒っていた。
それも幼児には面白くも何ともない観光地、沼とか寺とかばっかりで、
道中も短気な両親が決まって口論を始めるし、私は後部座席に一人だし
退屈で退屈でずっと旅行嫌いだった。
それより家で絵本を読んだりテレビを見たりしたいと思っていた。
なんという興味深いスレ!
ものすごい赤ちゃんの頃からの記憶が残っている方、すごい。
「赤ちゃんは全部わかっている」
って思って今まで接してきてよかった。
これからも忘れないでおこう。
子育てに直接関係無いかもしれないけど・・
自分は赤ちゃんの頃、花とかに全く興味が持てなかった。
というより、「綺麗」という感情が沸かなかった。
「花」という「赤いもの」がある、って感じ。
一生懸命
「ほ〜ら!赤いお花が咲いてるね〜 綺麗だね〜」
って言われても、感動することは出来なかった。
だから、その花を手に持ってみたい気持ちしかないのに、綺麗なお花をとっちゃだめ!とかしかられて嫌な気分だった。
125 :
名無しの心子知らず:2009/08/26(水) 12:39:27 ID:lUMdHj5u
母親のスカートをつかんでいたから、2歳か3歳ぐらいの記憶。
出かけて、混んでいるお店では迷子にならないように、母親のスカートを
つかんでいた。
ところが、いつのまにかに、他人のスカートをつかんでいたようで、見上げたら
知らない人だった。
迷子になった!!と思った不安、恐怖心が忘れられない。
結局、母親はすぐそばにいて、間違えてるね、アハハハとその人と母親が
笑ってたみたいだけど、その時の羞恥心も記憶にある。
それからも迷子になった=母親を見失った、という思い出があって、
その場合にどうしたらいいのかわからずに、とにかく不安と恐怖だった。
今思えば、「迷子になった時はその場を動いちゃダメ。必ずお母さんが
探しに行くから、待っているように」というようなしつけがあればよかったのかも。
うちの子はまだ赤ん坊だけど歩くようになったら、迷子札をつけるつもり。
(表には子の好きなキャラクターで、裏側には、子どもの名前と
母親の携帯電話の番号を書いたものを、名札のビニールに入れる)
迷子札は気を付けてね。
親切な人に見つかればいいけど、悪用されることもあるから。
母は私が5歳の時、数年の入院生活の末に亡くなったので家にいる記憶がない。
妹は年子だが全く記憶がないそうだ。
それでも病院にお見舞いにいって、一緒に散歩したりお話した記憶は断片的にある。
お葬式の記憶もあって、遠くから親戚が来たりしてはしゃいでたような気がする。
育児とは少し違うけど、お母さんが家で明るくて元気なのは当たり前のようにも思うけど、
子供にとってすごく大切だと思うので皆さん健康には気をつけてください。
6月産まれだから、多分生後2〜4ヶ月くらいの頃。
暖かい日に公園の芝生?みたいな場所に仰向けで寝かされてるんだけど、
下に敷いてあるベビーマットがマシュマロみたいな肌触りで
気持ち良いから頬擦りしたいんだけど、まだあんまり動けないから
両手と足をわずかに動かして肌触りを楽しんでたw
両親の話声とか、たまに吹くそよ風とか、マットの感触とかが幸せだったのをすごく覚えてる。
空を見てたんだけど、景色はあんまり覚えてないから眩しくて目を閉じていたのかも。
でもそのベビーマットを物心ついてから見た記憶がないので、夢かもと思ってたけど
小学生になってアルバム以外の写真を見てたら当時の写真を発見!
母親にベビーマットの肌触りの話をしたら驚いてた。
連投スマソ
昔から訪問者が多くて、2歳頃には本の暗記が得意だったからよく人前で発表させられてた。
でも面倒だし、早く帰って欲しいからみんなの前でわざと寝たフリとかしてた。
うちの家族は煙草吸わないから家で煙草吸う他人も大嫌いだった。今でも嫌い。
歩けるようになった頃は、ちょっとでも親とはぐれると(大抵近くにいたけど)
もう二度と母親に会えないんじゃないかと、物凄い絶望感に襲われてた。
いまでも迷子やキョロキョロしてる子供を見るだけで泣きそうになる。
130 :
名無しの心子知らず:2009/08/26(水) 23:39:57 ID:9MwSCGSP
鮮明に覚えている記憶なんですが…、
停止している白い大きな車の助手席に座り、一人でパイの実を食べている私。そしてその様子を父がちょくちょく見にきていた。
その記憶を両親に話したら私が1才半の時に、夫婦喧嘩をし手のかかる私を置いていけば父が反省するはず…と母が兄だけをつれ、でていったそうです。しかし私はおとなしくパイの実を食べていて、白い大きな車も仕事の時に使っていた車だそうです。
その記憶があまりにも鮮明で両親がすごくびっくりしていました。
131 :
名無しの心子知らず:2009/08/27(木) 09:41:43 ID:6bV84rcy
私の一番古い記憶は、1歳5ヶ月の時。
妹が生まれたので、祖母と産院へポットとか荷物を持って行く所。
「長く歩かせてゴメンネ。病院で抱っこするからね」
と祖母が謝りながら、歩いてました。あたしだって大人なんだから、歩けるわよ!と思っていた。
大好きな和菓子屋さんの前で立ち止まったら、
「買ってあげるから、1個選んでいいよ」と言われ、すごくすごく悩んだ末、1個選んだら他にも3、4種類ぐらい購入した祖母。
え〜!そっちも買うの?そっちも食べたかったのに!!と思った。
到着した産院の薄暗い階段や階段は危ないからと祖母が手を引いてくれたこと。
明るい部屋に母と妹が居て、すごく嬉しかったこと。
結局、大好きな和菓子を2個食べたこと。破れ饅頭と鹿の子。
その後も、妹が家に帰った日のこと。私の帽子が川に落ちて、祖父が一生懸命取ってきてくれたこと。親戚のイザコザ話。曾祖母と祖母の確執。
本当に、記憶があるんですよね。
だから、子どもだから、赤ちゃんだから、わかんないだろうと思わないようにしています。
大人の嫌な話はこどもの前では絶対しない。日々の予定はきちんと話す。など
嫌な事も嬉しかった事も、経験が少ないだけで
感じる心は赤ちゃんだって大人とちっともかわらないんですよね。
記憶に無いだけで、きっと色んな事考えながら生きてきたんだと思います。
祖父が、ケースに入れた雛人形を持ってきてくれて、
それがどうしても見たくて見たくてもがいていたら、
体がクルン!と引っくり返り、母親が驚嘆の声を上げていたのを覚えてる。
これが初めての寝返りだったらしく、
驚嘆の声が上がったのは、生後2ヶ月になっていなかったから。
直前の、据わらぬ首でエクソシストのように
寝返りしようとしている私の写真が残ってるw
赤子は、ものすごーーーーく興味のあるものがあれば
頑張るんだとわかってるので、今は子供の前にいろいろと
興味を引きそうなものを置いている。
>>132 その生後二ヶ月になっていない時の記憶があるの?!
すごいな・・・
思い出した。
シロップの薬、甘くて大っっっ嫌い!でした。
子供心に、「子供だからって甘くして
果物の匂いつけたら喜ぶなんて思うなバッキャロー」って思ってた。
もうホント、粉薬ならおとなしく飲むのに。薬が嫌な訳じゃないのに。
でも、この「子供だましの味」が嫌いと上手く伝えられなかった。
ちなみに、お菓子でも「フルーツ風味」が嫌いだった。
ようやく幼稚園年長くらいで主張する事ができたけど、親は理解してないようだった。
小学生になってシロップ薬が出なくなった時は、救われた〜と思ったな。
記憶にある限りかわいらしい小さなガラスのコップで飲まされてたけど
もしスポイトというものの存在を知ってさえいれば、
自ら進んでスポイトに薬入れて喉に流し込んでいたと思う。
薬の重要性は分かっていたから。
皆さん赤ちゃんの頃の記憶があるなんてすごいですね!
私の古い記憶は、家庭の事情で祖父母の家に預けられてたときだから、多分3歳なるかならないかの頃。
長崎の田舎で農業を営む祖父の畑の横で遊んでいた私は、
お気に入りのサンダルをうっかり用水路に落としてしまった。
泣いていると祖父が一生懸命流れていくサンダルを追いかけてくれたんだけど、結局追いつけず。
サンダルはなくしちゃったけど、
一生懸命探してくれたこと、泣いてる私をおんぶして家まで帰ったことはすごく嬉しかった。
もう亡くなっちゃったけど、じいちゃんの事というとまっさきに思い出します。
子供に無くし物はよくあるけど、
一緒になって気がすむまで探すと物の大切さやありがたさかがわかると思います。
>>133 自分でも「ヤッタ!」と思ったからね。
寝がえりしたことでなく、雛人形が見えたことで。
このスレには、もっと早いうちの記憶がある人も。
メリーがないと新生児はつまらん、とか
ある時家の中のものが鮮明に見えるようになった、とか。
そういうの知って、できるだけ赤子にはメリーを見せたりしてるよ。
おすわりが出来た頃だから6ヶ月以降だろうけど、
当時は父の職場が徒歩で行ける所にあり母に抱っこされ父の休憩時間に会いに行った。
写真を撮るのに母が「笑って」と、言うので自分の精一杯の顔でパチリ☆
時たま、車のボンネットに座らされパチリ☆
数年後・・・それらの写真は、いつも同じ顔で(・`-´・)眉がしかめてて口がムになってた・・・orz
こんなはずじゃ無かった。
まだハイハイも出来ないような赤ちゃんの頃から、ちゅうされるのがものすっごく嫌でした
特に近所のおばさん?みたいな人がよく抱っこと同時にほっぺにしてきたんだけどすごく嫌だった
今でも嫌なものは嫌と言えない性格なのですが、その時も嫌がって泣くことはできませんでした
小さい時から根っからの性格って出来てるんだなぁと。
そして赤ちゃんだし泣かないから絶対大丈夫っていう訳でもなさそう
難しいね
育児には何も役立たないが、思い出したのでカキコ
保育園の広いお遊戯室で、おままごとをみんなでやっていた
リョウタ君はいつも「僕、火の鳥の役がいい!!」って言ってて
お遊戯室を両手をバサバサして「クェー!クェー!」って言って走り回っていた
子供心に、火の鳥って何だろう?なんでいつも火の鳥がいいんだろうと思っていた
140 :
名無しの心子知らず:2009/08/28(金) 13:51:17 ID:qrzyeJW2
私も幼稚園の頃のこと思い出した。
いつも母がお昼に飲むようにと持たせてくれていたジョアを
隣の席の男の子に「よこさないとパンチだぞ」と脅されて
毎日取られてて一度も飲めなかった。
父母参観のとき、その男の子が自分の母親に
「ママ、いつもこの子がジョアくれるんだよ」
と言っていた。
いつも威張っていたから母親に甘えた声で言ってたのに
少し驚いた。
父母が帰るときにそいつが
「ママ帰っちゃやだ〜」って泣いてて
「家に帰ったらいるのに何で泣いてるんだろう?」
って不思議だった。
ジョア取られてたのは親には言わなかった。
いいつけるなんてこと思いつきもしなかった。
純粋だったのかアホだったのか…。
>>137 かわええ〜w
(・`-´・)の顔を想像して和んだ
うん、
>>137かわええ
赤ちゃんが精一杯サービスするのも、
それが意図せぬ顔だったのも、あーかわええww
このスレはどんな説教されるよりも役に立つなぁ。
なんとも胸にぐっとくる。
3歳ちょっと手前、妹が生まれたからっていうんで、父におんぶされて夜の
雪道を産院に向かってたのをすごく覚えてる。
田舎だし、今から30年近く前なので街頭がものすごくボロくて薄暗かった。
父はモンクレーのダウンに私を包んでおぶってくれてた。
でも病院は夜中だったので開いてなく、開けてくれることもなかったらしい(これは
後日聞いた話)。
名前を考えるぞという話になり、私が「○○か」という名前なので妹の名前も
「か」で〆ると父が言うので、一丁前に真剣に考え、「リカちゃんがいい」と
言うと「それは安易すぎる」みたいなことを言われて一蹴され、ガッカリしたのを
憶えてる。
「か」と言えば「りか」としか考えつかなかった自分に恥ずかしいなと思ったのも憶えてるなぁ。
そして出産祝いに乾杯しようと父が多分ビールか何か飲み、「じゃあわたしは
麦茶」って言って用意して、乾杯した記憶もある。
所詮麦茶だし、別においしいとも思わなかった。
ただその父との浮かれた雰囲気にワクワクしてた。
2歳10ヶ月にもなると、なんだか色々しっかりしてるんだなぁ、とあの日の自分を思い出すとそう感じます。
>>140 私も同じような経験があります!
いじめてくる男の子がいました。
お泊り保育のとき、夜のイベント終了後保護者が帰っていくときに、
その子がお母さんを恋しがって、一人だけものっすごい大泣きして「お母さーーーん!!!!
ぎゃぁぁぁぁぁあ」ってなってるのを見て、勝った気分になってたww
「なぁんだ こういう男だったのか」と。
連投スマソ
2〜3歳頃かな。
泣いた後、機嫌が直って笑ったら「今泣いたカラスがもう笑った」って父や祖父に冷やかされるのが物凄く嫌だった。
人前で泣いてしまってただでさえバツが悪いのに、恥の上塗りみたいに思えてひどく居心地が悪かったのを覚えている。
>>145 あ〜、わかる、わかるよ。
機嫌直すのが心底いやになるよね。
私も、子供には言わないようにしようと思ってます。
0歳の記憶だと思う。
ベビーベッドに寝て上から吊ってあるメリーを見てる。
その部屋は2階で日当たりがよく、すぐ横の窓から空が見える。
足元のほうに目をやると、部屋の隅に足踏み式のミシンが置いてある。
その空間がとても穏やかで、満ち足りていて、安心しきっていたのを覚えています。
実母は「あなたはベッドに置いておくといつの間にか寝てる子だった」と言います。
つかまり立ちが出来るようになったころ、よく干したての布団が積んであるのに
つかまって立っていた。お日様のにおいが気持よくて、大好きだった。
一方、狭小住宅だったので1階の部屋はあまり日が差ささず、薄暗い感じで、
どうも好きになれなかった。2階の明るい部屋が好きだった。
いつもハイハイで階段を登ろうとして困ったと母が話していた。
0歳の頃、メリーから流れるオルゴールの音が淋しくてうるさくて嫌いだった。
でも動けないから寝かされてそれを見てるしかなく、これつけないでほしい、淋しくなるしうるさくて眠れない、って思ってたよ。
だから自分の子にもメリーは使わなかった。
あと父が私を座らせて何か言ったたあと「こんな事言ってもわかんないか〜ガハハ!」と笑ったのを見て「わかるのに!わかるけど話せないだけだよ!」って言いたいのに言葉を使えないなかったからかなりムカついて泣いた。
もひとつ、父が「いい顔!いい顔!」ってしつこく変顔を求めてくるのも、つまんねーと思いつつ喜ぶから全力でやってあげてた。
だから娘にはいい顔なんて教えなかったw
みんなスゴイ記憶力だね。
0歳の頃の事なんて覚えてないなあ。
2歳頃からの記憶はわりとあるけど…。
2歳頃の記憶。
近所のお友達の家に兄と遊びに行ったとき
玄関でその子のお母さんが
「○ちゃんは風邪ひいてるの。
うつっちゃうからまた今度遊んでね」って言った。
「なんで風邪ひいたら写真にうつるんだろう?」
って思ってた。
『写真にうつる』は知ってても
『風邪がうつる』っていう言葉の意味がわからなかった。
>>148 俺は0歳頃の記憶なんてないからよくわからないんだけど、
>「わかるのに!わかるけど話せないだけだよ!」
相手の言葉はわかってるけど、話せないってのはどういう感覚なの?
言っている事がわかるって事が、相手の言っている単語がわからないから話せないってのとは違うわけだよね
単語はわかってるけど、発声が出来ないだけみたいな感じ?
外国語と同じじゃね
話せないけど言ってることはなんとなくわかるっていう
単語とかじゃなくてフィーリング
>>151 それって、少なくとも母国語をマスターしてて、
コミュニケーションのスキルがある程度成長してるから持ってる感覚のような気がするんだけど
上に書いた通り、俺はその頃の記憶なんて無いから、
ある人はすごいなと思うし、どんな感覚なのか知りたくもあるし
>>150 みんなそうなのかはしらないけど、自分の場合は
単語の雰囲気とか言葉の雰囲気はだいたいわかった。
多分やっぱり外国語と同じなんだと思う。今自分が英語ヒアリングするよりはわかったw
ある程度成長してるからってわけではないんじゃないかねえ。
けど、言語を自分が(練習すれば)使えることを知らなかった。
口や発声や舌がまったく思い通りにいかないとか、声に出してみても、いざ自分でつかってみると接続詞がまったくわからないとか
同じに見えてたものが実は全然違うものだったり(例えばバスとビルは同じに見えてた)とか、
いっしょうけんめい喋っても親に通じなくて、伝える努力を放棄し数年拗ねたみたいで。
母には「ちっとも喋らなくて、ある程度大きくなるまでかわいそうな子なのかと思ってた」といわれた。
頭の中では結構いろんなことを考えてたんだけどね。
今のところ胎内記憶のある人はいないみたいだね
お腹の中にいるときから母国語は浴びてるから、言ってる事を理解できてても不思議じゃない気がする
胎内記憶は専用スレに時々持ってる人いるね。
>>154 ここは幼児期の記憶スレだからね。
胎内記憶は胎内記憶スレに行かないと。
>>150>>152 私はせいぜい、2〜3歳頃の「うまく話せない」程度の記憶しかないけど
0歳くらいの「言ってることは分かるが自分は言葉を使えない」も理解できる。
何故なら、全身麻酔をかけた時、そういう状態になったから。
麻酔があまり効かないタイプで半分覚醒してたんだけど
医者の言ってること(単語というよりニュアンス)や
自分の状況(同意した手術だが、拘束されて体をいじられてるという本能的には異常事態)
といったことはひしひしと感じて、
「何これ誰あんた」「やめてくれ」「助けてくれ」というようなことを言いたいのに
それをどうやったら相手に伝えられるのかさっぱり分からなかった。
唯一はっきりと「私を助けてくれる存在があるはず…○○と声を出せば…」と
意識の中枢みたいなところに感じて、必死で「○○!○○!」と叫んだ。
旦那の名前なんだけどねw
後から聞いた話では、最初は「アー!ウー!」と叫んでてそのうち名前になったらしい。
私は最初から名前を叫んでたつもりだったけど。
という訳で私は赤子のアーウーやうなり声も言葉だと思って接してるよ。
たまに音遊びの時もあるけど。
長文&スレチ気味すみませんでした。
158 :
157:2009/09/01(火) 09:32:29 ID:+0sHY7YE
説明不足すみません
麻酔でそのような状態になった時、
「自分はそれなりに知能はあるはずだが不自由な存在」と感じて
赤ちゃんもきっとこんな感じだろうと思ったので。
159 :
150:2009/09/01(火) 12:29:12 ID:VK4XoB2O
>>153 雰囲気は何となくわかったような気もするけど、
やっぱりその頃の記憶を持ってないと、うまくつかめない感覚かなぁ・・・
>>154 胎内とは微妙に違うかもしれないけど、
俺は3歳児と0歳児の父で、下の子が生まれる前に、
出産関係の本を上の子に見せて、「赤ちゃんはこうやって産まれるんだよ〜」
ってイラスト見せながら教えてたら、骨盤の辺りに頭があるイラストを指して
「ここの時怖かった」とか言い出して驚いた
本当に覚えてるのかどうか、上の子も会話が完璧じゃないから定かじゃないけども
>>157 >0歳くらいの「言ってることは分かるが自分は言葉を使えない」も理解できる。
麻酔というのはある程度成長してからとか、大人になってからという事ですか?
失礼ながら、それなら「言ってることは分かる」ってのはある意味当たり前だと思うのですが・・・
0歳児と比較するのはどうかと
>>154さんの言うように、0歳児もある程度はヒアリングの訓練済という事なのかもしれませんが
>>159 麻酔は大人になってからの経験です。
「なんとなく言ってることが分かる」ってのは、「言葉が分かる」とはまた違う感覚。
自分の後天的な知識がリセットされて
自分が誰かもどういう存在物なのかも分からない不思議な感じでした。
まあこれも、麻酔にかかった人全員が経験することではないし、
理解してもらえなくても仕方ないです。
でも、赤ちゃんはこういう状態で生まれて、でも訳わからないなりに必死で、
だんだん状況掴んだり学んだりしてくのかな〜と想像しながら子育てしてます。
>>154です
胎内記憶スレがあったのですね。
そっちも見てこよう
ありがとうございました
歯が生えてた?ころだと思うので、たぶん1歳になる前かな。
お母さんと友達がいるときに、おっぱいを飲んでた。
なんだか急にムシャクシャして、乳首を思いっきりかんだ。
お母さんが「痛い!」と言ったので、「怒られる?」と思ったけど
すぐに「赤ちゃんだから、しょうがないよねえ」と言った。
私は「へっへっへ。なんも分からないフリしとこうっと」と思ってアブアブってやった。
この話をお母さんにしたら、「ほとんど完ミで、おっぱいは出なかったからイラついたんでは?」と言っていた。
保育園の年長の時、妹が生まれることになった。
私は赤ちゃんが生まれるときの上の子の気持ちを描いた絵本を読んで
予習した。
妹が生まれて、病院へお見舞いに行ったとき
その本に書いてあったとおりスリッパの先を見つめてもじもじした。
本当に、どんな顔をすればいいか、どんな態度をすればいいか
当時すごく悩んだ。
両親は私をあまり可愛がってくれなかった気がするが
こういうところが可愛くなかったのかもしれない。
夫の話だけど、つかまりだちを始めた頃だから1歳ごろの記憶。
「そろそろハイハイで歩くのもなんか恥ずかしいなぁ」
と思い、立ち上がろうとするも関節がすごく痛かったみたい。
それでもつかまりだちすると、
周囲にいた親がものすごく喜んだからこれからは歩かなきゃと思ったって。
やっぱ親がほめると、子供も期待にこたえなきゃって思うみたいね。
ちょくちょく出てくるけど、「恥ずかしい」という気持ち、1歳前後でも
ちゃんとあるんだなーと勉強になりました。
自分は事情があり祖母宅で、伯母に育てられてたんだけど、その伯母が本当に大好きだった。
自分が二歳くらいまでは家業をやってて、伯母は毎日家にいたんだが、家業を廃業して、伯母が外で働くことに。
その初出勤(当日急に告げられた)の朝のショックとパニックと絶望感と言ったらもう。
私は伯母が仕事に出る事実よりも、事前に話してくれなかった事が嫌だった。
寂しいけど、でも前もって知っていたらせめて心の準備ができたのに!と憤った。
赤ちゃんだからわからないだろうとか思わず、きちんと説明をしてあげてほしい。
現在自分の子供にも、なんでもわかっている前提できちんと語りかけようと思う。
質問です
ここのスレの方たちは、自分の名前をいつごろから認識していましたか?今うちに2ヶ月娘がいますが、呼ばれてる名前が自分のことだってのをわかってるのかな?と思って…
物心ついたころから同じ夢を見る。
若い母親と幼い姉と3人で高台にある階段を下りる夢。
30を過ぎてから、ちょっとした機会があって、
生後8ヶ月まで住んでいた場所に行ってみたら、
その夢で見る場所と全く同じ景色だった。
>>165 あるよ〜!
生後半年くらいから、ちょっと色々がんばって新しいことをしようとしてるときに、
それをワイワイとからかうようにいわれるととっても恥ずかしかった。
無事に出来るようになったのを披露して言われるのは誇らしげなんだけどね。
たとえば、がんばってスプーンをもって口に運ぼうとしてみる。
その様子を見て
「見て!すごい!がんばれ!」 → もっとがんばるぞ〜!
「プ!口に入ってないwwpgr」 → 恥ずかしくてやる気がうせる
こういう微妙な違いがある。
自分では、「自分は子供。だから何もできない」とは思ってなくて、なんでも一人前にやろうとしてるから
それをからかうような突っ込みは恥ずかしいし腹が立ってたなぁ。
わかるわかる
法事かなにかの集まりで、ひとしきりすねた後機嫌が直ったら
「あんなに泣いてたのにもう笑ってるよww」「今泣いたカ〜ラス〜がも〜うわらった〜」
と親戚たちに茶化され悔しくて泣いたなあ。
特に歌でからかわれると恥ずかしくて悲しくて、あの歌今でも忘れない。
もう絶対に泣きやんでなんかやらない!とギャンギャン泣いた。
母が抱っこしてくれたがしばらく泣き続けてた。
>>170 > 「あんなに泣いてたのにもう笑ってるよww」「今泣いたカ〜ラス〜がも〜うわらった〜」
私は親にこれを言われて「泣いたり怒ったりしたら、しばらく機嫌直しちゃいけないんだ!」と解釈し、
機嫌が直りそうになると
怒ったり泣いたりした理由を思い出して維持するよう努力してた。
そして気分転換の下手な大人になったorz
自分の子には絶対言わないようにしようと思ってる。
2〜3歳の頃だと思うけど、お蝶婦人とテニスする夢を見た。
ただそれだけです。ごめん。
173 :
名無しの心子知らず:2009/09/05(土) 02:28:03 ID:YZ63jtNE
>>197 名前について書こうと思ってたところ。
自分は例えば「なつみ」という名前だとして、まわりが自分をなつみと呼ぶ事で「あ、自分の名前はなつみなんだ」って1歳くらいには理解してたよ。
でもたまに親に「なつみ〜!なつみ〜!」って呼ばれても、うっかり自分がなつみな事を忘れてて「あっ、なつみって自分の名前だった!今回の自分の人生はなつみだった!」って気づくって感じ。
名前について慣れなくて、小学低学年くらいまでは名前を呼ばれて「自分はなつみって名前なんだな〜」って違和感。
前世の記憶とかはないけど、生まれる前は違う人間だったって直感してたよ。
>>173 アンカーにワロスww
しかしそれ系のエピソードももっと聞きたいです。
>>175 それ系のエピソードって、前世の記憶のこと?
スレの主旨から外れる行為を助長する
自身の悪質な行為について良く考えてみて下さい。
>>173 名前呼ばれる → 返事する → 更に周囲が反応する → 嬉しい
繰り返し名前を呼ばれて、返事だって最初は手を持ってあげさせられていたけど、
自分の意志で「はーい(無音)」と手を挙げられるようになると、周りが凄く喜んでくれた。
それが6ヶ月くらいの時だったかな。
当時は名前らしきものなら誰の名でも「はーい」と手を挙げていたけど、
7ヶ月くらいで自身の名を認識して、それのみ手を挙げられるようになった。
保育園で、泣いたときに先生が
あわわわーっ(口に手をやってインデアンみたいにやる)てして
他の子に「ほらー、インデアンだよー☆」ってやってて、みんなで笑ってた。
すごい悔しくて、余計に泣いた。
あのときのやり場のない怒り・・・。
みんなに笑いものにされたと思った。
たぶん原因があって泣いてたときだったと思うので、
そういうときはちゃんと聞いてあげてほしい。
>>176 カリカリしすぎ。
今の育児に役立つような話ならスレの主旨から外れないでしょ。
>>173の話は、たとえなかなか子供が名前に反応しない時があっても、
173のようなことがあるのかも…と思ったら、
おおらかに子供と接することができる気がしたし。
質問へのレスなので仕方ないけど、176のような単なる記憶エピソードには
「ふーん…」としか思えない。173の方がずっと役立つよ。
>>178 >>176は
>>175に対して苦言を呈しているだけで
>>173に対しては、何もカリカリしてないように見えるけど?
勝手に誤解してあなたがカリカリしてるね。
>>176 名前というものの認識の仕方になるほど、と思わされて凄く参考になった。
>>179 >>176本人?
自分も、
>>176はカリカリしすぎだと思ったよ。
もちろん、
>>175に対してね。
誤解してるのは、
>>179の方だよ。
>>178は「
>>175はアリ。そこに噛みつくなんてカリカリしすぎ。
だって、
>>173は今の育児に役立つよ?」って内容なので、
「
>>176が
>>173にカリカリしてる」という話ではない。
ちゃんと読解した方がいい。
>>176が良くないのは、前世のエピソードのこと?と聞き、
それに対するレスも待たずして勝手にそれが答えだと思い込み、
苦言を呈しているところ。
この、マッチポンプな思考回路が似ているので、
>>179=
>>176かと思ったのだが違うかね。
(ま、同じだとしても認めるわけないだろうけど。
>>179の最後の一行、自演ってことになるしねw)
前世の記憶つながりでも、現世の記憶と混在しつつ
幼児期の記憶としてインプットされており、
なおかつ一人でも今後の育児に役立つと思えるレスならウェルカムのはず。
>>176のような、有益な書き込みを制限させるような仕切り厨はイラネってことで終了。
名前については5ヶ月くらいには
「自分のことを指す音の響き」という感じで分かってた。
だから、似た響きだと ん? って思わず振り向いちゃったり。
かおり と さおり とか。
7ヶ月くらいでは、気に入っている呼び方があったよ。
たとえば「まゆみ」なんだけど「まゆちゃん」と呼ばれるのが好きで 祖母がいう「マァちゃん」という呼び方が大嫌いだったり。
182 :
178:2009/09/06(日) 20:16:02 ID:jeACZXvX
>>180 その解釈の通りです
こちらも176が役立たない的なこと言ってスマソ
ただ、とても興味深かったカキコを願うレスを悪質なんて言うほど、
有意義な内容か…?と思ってしまってさ
一人よがりな自治で、役立つはずのレスが自重されては残念だし
小さな頃から「あなたの前世は第2次世界大戦中に死んだ人に違いない」といわれていた。
理由は、私が戦争に関することに他の人以上に拒絶反応を示したり、昭和初期の写真等を見るのがとても好きなこと。
そして私は、前世はあったら面白そうだがまあ無いだろうと思って生きてきた。
ところが先日、もしかしたら前世は本当にあったのかもしれないと思う出来事があった。
何となく天皇の良い話集みたいなものを読んでいた時だ。
(私は別に皇族に何か思い入れがあるわけでは一切無い。本当になんとなく読んでいた)
そこで、昭和天皇にまつわる話を読み始めてすぐ、首から耳、頭にかけて急にカーッと熱くなった。
あまりにも急激で、自分でその熱さにおどろいた。
そして涙が止まらなくなった。
何ともいえない喜びのような気持ちと、親愛のような気持ちが湧き上がって、暫くずっと泣いていた。
一通り泣き終わって冷静になると、どうしてこんなに泣いてしまったのかわからない。
でももしかしたら、前世は本当にあって何か関係していたのかも知れないと思った。
というか、そうでも思わないとあの急激な反応に説明がつかない。
それただの昭和好き・・・
185 :
179:2009/09/06(日) 23:37:09 ID:S00HIBXh
このスレは良スレだし大好きなスレなので
こんな形で荒れて欲しくないという思いでレスしたことが
逆に自演を疑われて荒れる結果になってしまい、申し訳ないです。
私が参考になったとレスをしたばかりに
疑われてしまった
>>176さん、本当にごめんなさい。
イコールで結ばれて自演と言われても、私のレスの仕方を疑われてのことなので
私自身は構わないけど、疑われたもう1人の方にはとんだとばっちりでしたね。
本当に申し訳ありませんでした。
無視されるよりずっといいよ。
空気変えて次に行こう!
これだけではアレなので、3歳の頃の保育園での発表会の記憶。
みんなで歌うだけの発表会だったんだけど、同じ組の大好きな友達はみんなワンピースなのに、私はなぜか白タイツ白ハイネックにパンダのお面を頭につけた衣装だった。
知らない人の前で白タイツいっちょなんて!恥ずかしすぎるー!嫌だー!って思ってたけど、とにかく最後まで耐えなきゃと思って頑張って歌ってた。
でもホールの奥にカメラを抱えた自分の父親発見!
今までガマンしてたけど、もうこんな白タイツ姿耐えきれなくて半泣きでステージをおりて、ほほえんでる父親に抱きついてわんわん泣いた。
当時は白タイツが嫌だってうまく説明できなくて、嫌だ嫌だしか言えなかった。
今でも父親に当時の事を説明したいけど、父親は死んじゃったからもう説明はできないやー。
もし娘が、いつか発表会が嫌でステージからおりても、父親みたいにほほえんで抱き締めたい。
死ぬ時の感覚をなんでもない日常のなか思い出した。
車の後部座席で寛いでいると急にドアが開き暴漢に
殴られたか撃たれたか首が熱く感じるのだが痛みは感じない。
息苦しさを感じながら、流れる血を押さえる。
絶望的な寒さと共に気が遠くなる。
記憶じゃない、感覚でそれが死だとわかった。
一瞬の恐怖と頭が冷えて寒いと同時に俺が死んだとこでどこの馬鹿が泣くのだろうかと思った。
そして瞬時に全部どうでも良くなった。
一瞬が永遠なのかもしれない感覚。永遠が一瞬に圧縮される
何かにかいてあった罪を天秤にかける行為は本当かもしれない。
前世の記憶じゃなくてスマソ。
良スレなんだし、マターリいきましょう〜。
私が2歳くらい?の時の話。
夜、いつものようにお風呂に入って、すっぽんぽんで出てきた。
(親は服を着せようとしてたんだけど、裸のまま走り回って遊んでた)
そしたら、ちょうどその時家に来てた叔父さんが私のおしりを見て、
「あ〜おしりだ〜」と、にやにやしながらからかったのね。
その瞬間、それまで裸でも全然平気だったのに、男の人に裸を見られたことが急に恥ずかしくなって
(なんでこのおじさんは、女の子の裸を見てわざわざそんなことを言うんだろう!失礼な!)
(ていうか、私こんなに小さいんだから、裸だってしょうがないじゃん!
そんなこと、大人なら察しろよ!全くデリカシーがないおじさんめ!)
(こんなおっさんに見られたなんて、私恥ずかしい…!つうか、おっさんにやにやして気持ち悪い!)
のようなことを思って、一人でぷんすか怒ってた。
(「失礼」とか「デリカシー」なんて言葉は知らなかったけど、そんなようなことを考えてた)
それで、その叔父さんのことが大嫌いになって、中学生くらいまで毛嫌いして、ろくに口もきかなかった。
ていうか、ロリコンではないかとまで、ひそかに疑っていた…。
もちろん叔父はロリコンではないです。
単に、赤ちゃんすっぽんぽんで走り回ってかわいいな〜と思っただけなのに
ロリコンとまで疑ってたなんて、今思うと私の方がひどい…orz
なので、皆さん言われてるように、小さい子にも「恥ずかしい」という感情はあるんだなーと。
そして、いったん思い込むと、その感情を大人になるまでずーっとひきずることもあるのかも。
自分の子には、赤ちゃんだと思ってひどいことを言わないように気をつけてます。
>>187 産まれると死ぬとは表裏一体だから
誰かが役に立つかもしれないよ。
もし死きり厨にかみ付かれても気にスンナ。
詫び入れてるふりしてるだけで反省してないしどうせまた自演してくるから
そしたら毅然とした態度で、団結してまた追い出せばいいよ。
ダイジョブダイジョブ
思い出したら結構昔の記憶あった。連投スマソ。
やっぱり2歳くらいの時かな。母に遊んで欲しくて、「遊んで〜!」とダダをこねてた。
でも母は皿洗い中で「ちょっと待っててね。もうすぐだからね〜」
私は、(こんなにママに遊んで欲しいのに!あんなつまらないことやめて、早く遊んでよ意地悪!)と思ってた。
「家事」とか「仕事」ってよくわからなくて、「遊びの邪魔をわざわざしてる」と思ってた。
当時、自分のやりたいこと以上に大事なことがあるなんて思ってもいなかった気がする。なんて俺様な幼児orz
だから今、娘が後追いして大泣きしてるのに「ちょっと待っててね〜」と家事をしてる時があるけど
(きっと娘も、昔の私みたいなことを思ってるんだろうな〜w)とちょっとおかしくなったりするw
ちなみに旦那は一歳前の記憶があると豪語していて、さすがにそれは夢か勘違いじゃないの〜?と疑っていたら、
このスレ見ると、1歳前の記憶もたくさんあるね。疑ってごめん夫よ。
なんでも、長かった前髪をゴムで上で結んでちょんまげにされた時に
「こんな女みたいな髪型嫌なの〜!!」と母に訴えたら、
「ちょww何か言ってるけど、何て言ってるの?わからないよ〜www」と笑われて、
(あ!こいつらには俺の言葉は通じないんだ!ちゃんとしゃべってるのに…!)と愕然としたらしい。
やっぱり、赤ちゃんでも意思はあるし、「だ〜う〜」とかも、何かしゃべってるんだろうね。
「ちょww何か言ってるけど、何て言ってるの?わからないよ〜www」
これ10ヶ月赤に対して私がよく言ってしまう言葉だ・・ 反省
>>186 説明しなくてもお父さんは全部わかってそう。
186さんも素敵な親になりそう。
>>167 遅いけど自分の名前。
私はあだ名で呼ばれることのほうが多かったんだけど、
自分を呼ばれる符号としては、2才にはあった。
その前は覚えてないすまそ。
で、肝心の本名の方は、保育園にはいるとき(3歳くらい)
名札に名前を書いてもらったときにだった。
「えええー私『ちーちゃん』だと思ってたけど実は『ミチコ』だったのか!」
みたいな。
抵抗はなく素直に受け入れてたから、「ほんとうの名前」を知らなかっただけなのかも。
別になにが問題というわけでもないけど、
その後も怒られるときしか本名で呼ばれず、周囲もあだ名で呼ぶばっかりだったので
いまだに本名で呼ばれても自分の名前って感じが薄い。
一般的にはどれくらいからの記憶があるものなのかな?
いくつか書き込みしたけど、何才までの記憶なら役立つのかわからない。
ここはへたな育児本より面白くてタメになるなぁ
一般的には3歳くらいじゃなかった?
荒れるモトみたいな書き込みをしてしまった
>>175です。
ごめんなさい。
もしかして前世の記憶なんていうものが赤ちゃんには残っているとして、
実はそれが元でギャン泣きをしていたり、夜泣きをしていたり、大人たちにはなかなか
理解されない言動があったりするのかもしれない。
だとしたら、赤に対する見る目の幅が広がりそうな気がしたので、もしそういうエピソードを
持っている人がいたとしたら聞かせて欲しいと思い、書き込んでしまいました。
失礼しました。
幼児期の記憶。
3歳ぐらいのときに、あるとき「牛乳・・・?おいしくないこれ!なんで今まで
何もかんがえずに飲んでたんだろう!?」と、急に牛乳が嫌いになった瞬間があった。
それまでは、近所のおばちゃんがいつもくれてた三角パックの牛乳を自らすすんで
飲んでいたらしい(母談)。
「ハッ!!これ私嫌い!」って、突然スイッチしたのを憶えてる。
それ以来、今でも牛乳をそのまま飲むのは嫌いだが、あんなに唐突に嫌いになることもある
んだなぁと不思議に思ってる。
おそらく0さいの頃母のパイを噛んだ時の記憶がある。携帯からなので、読みにくかったらごめんなさい
ぼんやり見えているのは、目の前の薄いピンク色と水色の小花の刺繍。私はうっとり幸せな気持ち。
うつらうつらしながら、なぜか突然グッと食いしばりたい衝動に駆られた次の瞬間
母が「痛たっ!」と叫んだ。
私はそれまでのうっとり幸せな気持から一転
泣きたいような怖いような気持ちに。
驚いて起きた父に母が状況を説明しているんだけど、その会話から
どうやら自分が何か大変なことをしてしまったようだ、ということが判って、とても不安になった。
あまりにも鮮明で、繰り返し思い出すから、ずっと夢だと思ってたんだけど
後々、私が見ていた水色の小花模様は、母がどうしても欲しくて買った
お気に入りのガウンの胸元にあった刺繍と判明。
母いわく「すごい形相で噛み付いてきて、なかなか離さなかった」そうだけど
私には全く悪気なんてなかったんだよなぁ
赤に悪気はないので、母乳育児中の皆さんもパイを噛まれた時には
どうか鼻をつまんだり低い声で叱ったりしないであげて欲しい
歯茎が浮いたような、ムズムズ感が不快で噛み締めずにはいられないんだ。
198 :
196:2009/09/08(火) 11:10:06 ID:L3WEdfeC
>>196 わたしは逆だ。
4歳頃だとおもうんだけど、カレーが嫌いだった。
なのにある日、お風呂中に突然「カレーが食べたい!」ピコーン!となって
大騒ぎ。親もビックリ。
急なリクエストにも親が頑張って作ってくれたのか、レトルトだったのか
はたまた実は後日のことなのか、夕飯はカレーだった。
目をひんむいて「おいしーー!!」と喜ぶ私。
家族ポカーン。
急に好きになることもあるんだね。ってか、ホントに嫌いではなかったんだね。
↑ごめんなさい、わたしは196さんじゃないです。
また自演とか言われてしまう。。。
196さんごめんなさい。
>>196 私は赤ちゃんはうっすら前世の記憶があると思ってるよ。前世の怖い記憶で泣いたりする時もあると思う。
息子が生後2ヵ月くらいの時に「あなたはここに生まれる前、どんな人生だったの?」って聞いたら必ず号泣した。偶然だったかもしれないけど、息子はおっぱい以外泣かない赤ん坊だったからびっくりしたよ。
>>200 じゃあ、「お話できるようになったら、おなかの中にいたときと生まれてくる前はあなたはどんなだったか
ママに教えてね〜」って時々言ってるけど、言い続けたら話してくれるかもしれないなぁ。
202 :
名無しの心子知らず:2009/09/08(火) 20:57:27 ID:aCnhB2FZ
>>201 1〜2歳の子が自分の前世について話してる途中、もし嫌なこといっぱい思い出したりでもしたら辛いよな
忘れるべくしてってこともあるかも、聞くんならその後のケアも考えてからにしてあげろよ、このスレ読んでる限りじゃ
聞かれたことも覚えてて不思議じゃあない、 まあ前世なんてもんはねぇんだし
赤ん坊のころから幼児期の記憶を育児に役立てるってゆう主旨にそろっと戻そうじゃないか
>>201 それ、あんまり言ってると子どもも無意識に期待に応えようとして
適当なこと言うようになるらしいよ。
>>203 その記憶あるわw
誰かが妊娠すると決まって性別を聞かれた。
当然分からなかったんだけど、みんながwktkしてるので
適当に答えてたよw
>>197 >赤に悪気はないので、母乳育児中の皆さんもパイを噛まれた時には
>どうか鼻をつまんだり低い声で叱ったりしないであげて欲しい
>>162みたいな場合もあるみたいだけど、
そこは赤ちゃんの個性ってことかな。
どちらにしても、噛まれたからといってしかるのはかわいそうだけど。
>>201 3歳くらいのときに、1度だけ聞いてみるのがいいって
どっかのスレで見たよ。
幼稚園の頃の睡眠時間は8時から朝8時までだった。
小学生になると夜9時には寝ていたけど、
今二歳の息子は遅いと夜10時まで起きているので大丈夫なのか。
もっと自分が子供の頃の事を実母に聞きたかったけど
昨年他界してしまったので聞けないや、残念。
多分3歳頃だと思うが、母と手を繋いでお出かけ。
子供は背が低いから、手を繋ぐと当然私の腕が上がった状態になる。
腕が疲れるな〜と思っていた。
自分の子供が手を繋いで歩けるようになったら、
たまに場所を変わって腕が疲れないようにしてやろうと思う。
>>206 あなたのお母さんには代われませんが、もし息子くんが大丈夫じゃなかったら
今体調崩してばっかりだとか、食欲にムラがあるだとか、泣いてばっかりだとか、
サインがあるはずなので元気なら心配ないんじゃないかな。
私は小学生のとき、10時までなんて平気で起きてたし、11時になることもあったけど
(母には遅いよと𠮟られてたけど)元気はつらつだった。
子なりのペースやサイクルがあるんだろうからね。
一歳前後だと思うんだけど、コップで飲む練習を始めた頃。
あぶない、こぼすこぼす!と大人が手を添えて来るのが嫌だった。
手を添えられると自分の力加減が掴めなくてすごく迷惑だったのを覚えてる。
目を盗んではおもちゃのコップで自分で飲む練習をしてた。
だけど水が入ってないと感覚が違って、水が入ったコップで練習をしたいとおもってた。
なので、子供が練習をするようになったらこぼしてもいいようにして好きにさせたい。
>>209 今まさに、うちの一歳娘がコップ練習中。
溢しそうで、手を添えるとキイイイイーと怒りコップを投げてギャン泣きしたりしちゃって、困ってました。
きっと娘も、ジャマしないで欲しい!自分でがんばってやりたい!とか思ってたんだね。
すごく有益なレスありがとう。
明日からはもっとおおらかに構えて練習を見守ります。
>>210 お役に立てればうれしいです。
レジャーシートでも床に敷いて、好きにさせて上げてください。
1歳半頃の話。
庭に一人で出て遊んでいた。
母親が何か白い物を無言で差し出すので、受け取ってみた。
匂いを嗅いでもなんだか分からないので、口に入れてみた。
すごく甘くておいしい!くちの中でとろけちゃった!!
と、その瞬間はテンション上がったが、母親は相変わらず無言…。
「どうしてママは何も言わないんだろう?」
疑問は一瞬でふくらみ、
「どうしよう、ひょっとしたらアレは食べちゃいけない物だったんじゃないか」
「アレは毒だったのかもしれない」
「私、死んじゃうかもしれない」
と思って泣いた事を覚えている。
213 :
212:2009/09/12(土) 00:01:38 ID:WFtlPvvP
母親が何も言わなかったのが嫌で、顔だけニコニコしていたのが不安に拍車をかけた。
しかも、一部始終をなぜかカメラにおさめていて、アルバムにこのエピソードの写真が貼られている。
(写真の横に「どうして泣いたの?」と母親の書き込みもある)
ひとこと、「おいしいから食べてごらん」とか言ってくれればよかったのにな…。
あと、「も〜、にんじんさんが食べて欲しいって悲しんでるよ〜」
こういう擬人化も大嫌いだった。
バカにするな!にんじん位食えるわ!と思いながら意地で食べた。
(本当は嫌いだったが、やせ我慢して食べてたらおいしいと思えるようになった)
>>212 無難に薬か牛乳かなとは思うけど、白いものが何なのか気になるw
できればkwsk
カメラにおさめて、って写真だけ?ビデオは?
写真にしてもビデオにしても、意識してか無意識か声を抑える人っているよ。
録画中なぜか急に無言になり、ビデオ撮り終わった後、
「は〜、声だしそうになったー」なんて言う人いたから。
ハイハインかと思って呼んでたorz
しゃべれない赤ちゃんに
「嫌な時は泣けばいいんだよ」的な、
こういう時はこうしてね、みたいな内容を言ったら理解してくれるのかな。
結構、嫌だけど我慢したという書き込みがあるから、嫌な思いをするくらいなら
泣くなりして気持ちを伝えてほしいと思ったもので。
218 :
212:2009/09/12(土) 18:40:04 ID:WFtlPvvP
実は私もその白い食べ物の正体わからない…
って、ひょっとしたらハイハインかも!ありがとう>217!!
ビデオじゃなくて、写真だけ撮られてたです。
最初ニコニコ→怪訝そうな顔→『うぇ〜〜ん』
約30年ぶりに見たら笑えたw
何が言いたかったかというと、
「言葉は話せないけど、理解はできてます。」
「『どうせ言っても分からないだろうから〜』と思わず、どうぞ話しかけてください。」
って事。さんざん既出な事ですみません。
しかしどうして「お母さんが私に毒を盛った!」という発想が浮かんだのか…。
もちろん「毒」という単語は知らないんだけど、概念としては「毒」っていうのが近いというか。
我ながら訳がわからない……。
>>197 歯が生えそうな時期の記憶が私にもあった。
口のなかがモーレツにむずかゆい感じがして、どうしていいかわからなくて
キィイーと叫んでみた・・・。
哺乳瓶の乳首を伸ばしてたら母がリングの中にカラフルな玉が入った歯固めをくれた・・・
噛むとギュムギュムと音がして三種類あるイボイボも気に入った。
かーちゃんGoodジョブ!
歯が生えて初めてのシリコン歯ブラシも好きだった。「上手ね」って、褒めてくれたから。
>>216 私も、ついビデオでは無口になってしまうほうだ。
なんか、赤ちゃんに対してしゃべってる自分を撮られるのがすこし恥ずかしいみたい。
最近は少しなれてきたけど、まさか自分がこんなに赤ちゃんに話しかけるとは思わなかったな。
ここ見て、普通に話しかけてます。
向こうもそれに対して「あー」とかだけど言ってくれるから
ここ見てよかった、ほんとに。
221 :
名無しの心子知らず:2009/09/14(月) 01:13:46 ID:9NFU6MJe
「何歳?」って尋ねられることが多くて、でも2の手(ピースサイン)が上手く出来なくて、独りで練習していた。
どうしても親指で薬指・子指を押さえられない。最終手段で、空いている方の手で親指・薬指・子指を押さえつける方法をあみだした。
だが両親その他大人に、そのピースサインを笑われ、ひどく傷ついた。
今思えば、子どもらしい仕草可愛さに笑ったのだろうけど、大人の笑い方が下手に伝わると、子どもの自尊心を傷つける事もあるんだな〜と思う。
2歳の記憶
姉が幼稚園に行きはじめて間もなく
一人で部屋で遊んでたら、突然一人ぼっちってことが
怖くてたまらなくなり、泣き出した
母は台所で洗い物をしてたから、こっちに来てくれなかったけど
「ママここにいるよ
大丈夫よ」
と叫んでくれたから、安心して泣き止んだ
そんで自分で歩いて母の元へ行った
抱っこして欲しくて母を見てたら
「今お仕事してるから待っててね」
と言われ、それじゃ仕方ないなと思って
母の足元に座って待ってた
あと、まだ幼稚園に行ってなかったから3〜4歳頃と思うけど、
多分母の創作話で、蟻さんは食べ物がないと、
果てしなく長い旅をしなければいけない…
みたいな内容の話を聞いてから
オヤツを食べるときは必ずポケットに少しだけカケラを入れて
後でこっそり庭にまいて蟻にあげてた
母にどうしてポケットに毎回お菓子のカスが入ってるのか聞かれてたけど
叱られて、蟻さんにあげるのを禁止されると思って絶対に言えなかった
224 :
名無しの心子知らず:2009/09/14(月) 03:24:31 ID:s0IwT0Tn
2才になる前。
砂場で泣いて当時妊婦だった母のおなかに飛び付いた、と思ったら、
違うママでやっぱり妊婦さんのおなかだった。
まわりのママ達皆に笑われて、プライド(当時は知らない言葉だけど)が傷つき、
いっそう泣きわめきながら、母を探していた。
225 :
名無しの心子知らず:2009/09/14(月) 10:00:07 ID:EpbvryTL
なんかおもしろいスレだな
自分の一番古い記憶は幼稚園前くらいかな…昼寝かなんかしようとしてる時のだった
昔、狭い団地に住んでて、家の真ん中で寝てればトイレと風呂以外は家中見渡せる感じだった
昼寝しようとウトウトしててハッ!と気がつくと母がいない。(たぶんトイレw)
一人ぼっちにされた!誰もいない!誰も戻ってこないかも!私、このまま死ぬ!とパニックになりガン泣きw
しばらくして母が来て「どうしたの?怖い夢見たのぉ〜?wwww」とか笑いながら話しかけてきて
私は「ちくしょう!笑うなっ!驚かしやがって!!!!」と怒りと安心した感情が混ざったような気持ちになった…
あー、アホな子でしたw
3歳ちょい手前で妹が生まれた。
でも、「妹・・・ふーん・・・」って冷めた気持ちだったのを覚えてる。
だから自分も幼児で小さいくせに、赤ちゃんダイスキ!年下ダイスキ!な子供を見ると、
もう天使に見える。
227サンとは逆で、妹が可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて、
もうどうしたらいいかわからず、自分のできる最大級の愛情表現として
ほっぺを甘噛みしてたら歯が立ってしまい、「フェェェ〜ン」と泣かれ、
焦ったことがある。
時は二十数年経て、私と妹の年齢差と同じ差で次女が生まれた。
長女も可愛くてたまらないらしく、当時の私と同じように次女のほっぺを
甘噛みして「フェェェ〜ン」と泣かせていたw
気持ちがわかるから、叱れるわけがないw
「やさしくチュウしてあげてね」と言ったら喜んでいた。
甘がみが愛情表現なんだ〜
うちの赤、児童センターで会う特にじーっと見た子だけ舐めにいくのは好き好きアピールなのかな。
よく見ると結構赤同士ちゅっちゅしててかわいい。
このスレを見るようになってから、
子供が家事中にギャン泣きしてもイラつかなくなった。
喋れないぶん、色んな仕草で精一杯表現してるんだね。
長女だったんだが、いろいろこのスレ見てたら思い出した。
うちは弟がまだアレルギーの概念とかが普及する前にアレルギー持って産まれたから、ほとんど親は下にかかりっぱなし。
2歳くらいから記憶が残ってるんだが大体弟がだっこされてて、自分はあくまでオマケ・弟関連お出掛けの記憶しかない。
叩かれたとかはしてないけど暗に求められてた手のかからないいい子を演じてた。
小学校の転校した先でいじめられてたけど、妹が産まれたばっかで心配させたくなくて友達と遊びに行くって嘘ついて一人で公園でゲームしてたりしてた。(今思うと、何かしらの事件に巻き込まれなかったのは奇跡だと思う)
唯一嬉しかったのは、夜に弟が寝た後母と二人っきりでやった砂絵キットの記憶。
ここ見てるお母さん、わかりきった事だと思います。
特定の子が手のかかる場合お父さん・お母さんへの負担はすごく重たいものだともわかります。
けれど、他の手のかからない子に皺寄せが来てないか、見てあげてください。
そういう子は、子が親にかけて当たり前の負担さえ遠慮している事があるんです。
スレチになってすみませんorz
232 :
名無しの心子知らず:2009/09/16(水) 05:16:15 ID:+Zul+fBO
俺は子供もいないけど妻もいないけど彼女もいないけど仕事もないけど結婚も一生出来ないだろうけどこれは良いスレだ
さようなら
233 :
名無しの心子知らず:2009/09/16(水) 06:28:39 ID:Ocj4tLCA
何しに来たのかw
とりあえず働こう!
毎日ここみるとなんだか幸せな気分になるよ
うちの娘もいろいろ表現してるんだよな〜
これからが楽しみ
親の話しによると2歳半〜3歳手前頃。
病院に来たんだけど、何故か家に帰ろうと思って
勝手に病院を出て家に向かって歩いてた。
この道見たことある!家はもうちょっとだ!
と思ってたのだが
こんな小さい子が一人で歩いてるなんて!って不審に思われてパトカーに拾われたw
パトカーの中では動物園に行った時に見た
ペンギンの話しをしていた。
署に着いたらデッカイ鬼の人形?があって、部屋の様子も覚えてる。
電話帳見て警察官がいろんなところに電話してて、
しばらくして父親が迎えに来た。
時は経ち、そんな私の息子も2歳4ヶ月の頃
家を勝手に出て行き迷子になったorz
無事見つかったけど、あの時の親の気持ち考えると申し訳ないです・・・
1歳ちょっとの時、祖母の家で法事があって親戚が集まった。
子供は私だけだったので、お姫様扱い。
みんながちやほやしてくれてとても嬉しかった。
親戚のおじさんがカタツムリを何匹か取ってきて、それをダンボールの
上に這わせて、私に見せてくれたんだけど、私は気持ち悪くて泣きそうに
なった。
そんな私に向かって、他の親戚達は
「ほら、面白いね〜」と私を喜ばせようとしてくれたんだけど
気持ち悪くて気持ち悪くて・・。
でもみんなが私のために場を盛り上げようとしてることがわかったので
涙をこらえて必死で面白いフリをした。
子供ながらに結構気を使ったなw
あと私が3歳のときに弟が生まれたんだけど、弟に母をとられると思い
不安で仕方なかった。
不安で母に抱きついたら、育児でイライラしてた母に突き飛ばされた
ショックは今も忘れない。
母は「あの時は本当に可哀想なことをした」と後になって反省してたけど。
2番目のお子さんが産まれて大変なお母さんもここにはいると思うけど
上のお子さんも甘えさせてあげてほしい。
お母さんをとられるんじゃないかと不安でたまらない子もいると思うから。
>>235見て思い出した。
3才くらいのとき、家から勝手に出て迷子になった。
でも住所は言えるように仕込まれてたので(3人兄弟で、母なりの子を守る考えからか?)、
「あれ?ここどこ?」とふと不安になって、通りすがりの人に
途中で送ってしまった。
通りすがりの人に「○○(名前)です。家はどこですか?住所は△△です。」と
いいまくったけど、通りすがりの人たちだから住所を言われてもわからん様子。
というか、用事があるから構ってられないんだろうな。今から思うと。
なんとか家まで帰りついたけど(今にして思えば徒歩3分くらいのところで迷子になってた)、
「住所覚えても意味ないじゃないかこのやろう」とか思っていた。
育児に役立ってなかったと気がついて戻ってきました。
「(交番に連絡してくれると期待して)お店の人に聞きなさい」と教えるべきなのかな。
でも違う気もする。まあ「勝手にでていくな」と目を離さないことが重要なんだろうけど。
>>231 すごく分かる。
うちの弟も7ヶ月の時に生まれちゃって母は産前から入院、産後は約3ヶ月母乳を届けに病院に通った。
入院中祖母に預けられ平気なふりしてたけどすごく寂しかった。
祖母に涙を見せると母に知られると思い、夜ひい婆ちゃんのベッドで隠れて泣いた事、遊んでた風船が割れて急に母が恋しくなった事を覚えてる。
お見舞いに行く日はすごく嬉しくて帰るのが嫌だったけど心配かけまいと笑顔でいた。
母が退院してからは乳首から母乳出てくる映像とか覚えてる。
当時私は4歳だったけどまだまだ母が恋しかった。
大変なのが分かっていたから平気なフリした。
242 :
名無しの心子知らず:2009/09/18(金) 00:31:52 ID:5uk/xzyd
何歳か分からないけど、母親に抱っこされてる時期かな。
母が洋服屋さんに入って服を選んでる。
抱っこされてる私。
棚の上に、コアラのぬいぐるみ発見。ちょー欲しい!!
母親「どれにしようかー?」
私はもちろんコアラのぬいぐるみ!!それしか眼にない。
コアラがいいと指差す。
「服じゃないからねぇ〜。他のにしようか。あれは売り物じゃないのよ」
店員さんも「これが欲しかったのね〜」と優しい。
また「どれにする?」と聞かれる。
コアラは駄目ってハッキリ言わないし、
「どれにする?」と母も店員さんも優しいし、これはイケる!と確信
コアラだってば!!
「それは無理よ〜」と母の口調もだんだん厳しくなる。
だからコアラだって!! 「服を選ぶの!」→ギャン泣き
もう買ってやらん!!とキレて店を出る母親・・
駄目だって初めからハッキリ言っててよ〜と幼いながらに思った。
後日、兄から聞いた話。
家に帰っても泣き止まないので何十発もビンタくらってたみたい。
「お前は虐待されて育った」と兄は言い切るくらい
いろいろ殴られてました。あぁ なんか悲し。
243 :
名無しの心子知らず:2009/09/18(金) 00:45:51 ID:eU+3ZIRQ
正確に何歳か忘れたけど
多分三歳くらい
抱っこするときに脇に手をいれられて持ち上げられるのが
痛くて嫌だったな
幼稚園で鬼のパンツって言う歌を教えてもらって
家に帰ってきて歌ってたら母に、そんな歌歌ってんじゃないわよ!っていきなり怒られた
多分ヒスだったんだな
たぶん0歳〜1歳前半くらい
夜泣きしたら、母親が起きてすっごいだるそうにミルク作って哺乳瓶くわえさせてくれた。
でもその時あまりお腹は空いてなくて、「それじゃぁないんだよね〜」と思いながら、でもだるそうで不機嫌な母親が怖くて、気を使ってミルクを飲んだらすぐ寝た。
夜泣きしといて気を使うとか変な乳児だなw
多分二歳〜三歳くらい。
私は居間で座って遊んでいて、母は台所に立って洗い物をしている。
そのうち退屈してきたので母の足にまとわりつきに行ったら
物凄いイライラした態度で「あーっ!もうあっち行っててよ!」と
居間に押し戻された。(恐らく事前に何か苛立たせるようなことをしたがケロッと忘れている)
その時の気分を言葉に表すと
押し戻された事にイラッとしたのと、構ってほしい自分は最優先されて当然なのに
その態度は何事だ、大人は自分の都合で動いて私を振り回すくせに。
(母はフルタイム勤務で平日は0歳から預けられていた)
という感じ。
もちろん言葉でうまく表現できないから余計にムシャクシャして、
近くにあったトランプのキングのカードに思いっきり歯形をつけた。
そしたら母が飛んできて、「どうしてこういう事するの!」と
肩をつかまれて怒られた。母泣いてた。きっとイヤイヤ期相手に疲れ切っていたのかも。
でも私は「あんたのせいなのに何泣いてんの?」とプリプリまだ怒っていた。
2歳6か月の夏、母親が39.6℃の熱を出した。
朝起きたら高熱だったみたいで、
父親は「お母さん病気だから、今日は静かに遊んでいてね」
と肩に手を置いて言い聞かせてから家を出て行った。
真っ赤な顔してハァハァ言っている母と、
私がいつもお世話になっている小児科(兼内科)に行った。
「今日はお母さん具合が悪いから、静かに遊んでいていね」
と先生からも言われてハイっと返事。
帰宅してチャーハン作ってくれて、
ムシャムシャ食べていたら、
「お母さんちょっとだけ寝ててもいい?」と母。
絵本読んだりブロックで遊んだり、
お絵かきしたりしてずっと一人で遊んでた。(続きます)
247 :
246:2009/09/18(金) 18:14:09 ID:7L0jtWPZ
と、朝余裕がなかったからそのタイミングで便意が。
当時トイレトレはほぼ終了していたけど、
大の時に紙を上手く使えないことがたまにあって
一応母に確認wしてもらってた。
『お母さん…ウンチ…』って声をかけたけど
全く起きなくて初めて一人で済ませた。
かなり時間がたっても母親は起きてこなくて、
おやつもなかったし、喉がカラカラ。
大きな椅子を引っ張って流しへ行って
自分でマグにお水をいれて飲んだ。
無性に美味しかった。
18時過ぎに早めに帰宅した父は、
「昼からずっと寝ちゃった」という母の言葉に唖然。
でも自分は全く平気で、むしろ誇らしげだった。
父が慣れないカレーを作ってくれて、
お風呂に入れてもらって、
初めて寝室の電気を自分で消して寝た。
布団の中でなんだか大人になった気がしたのを覚えてる。
>>246-247 えらいなあ、きっといつもきちんとしたお家だったんだね
こんな風に育てたいと思った
母が風邪で寝込んだ日、たぶん3歳ぐらいかな
2つ上の兄と一緒に母の枕もとにロールパンと牛乳と飴を置いといたの覚えてる。
いつも元気な母が寝込んで心配しながらもお地蔵さんごっこみたいで楽しかったw
>>248 病の母、地蔵wwwwww噴いたwwww
>>248 お供え物wwww
そういえば
>>247のウンチの話でなんか記憶が蘇った
うんちを漏らしてしまった時の事
いつも鬼みたいにすぐ怒りやすい母に「今から何言っても怒らない?怒らない?」
と必死に確認してからうんち漏らした事を告白。
母は怒らずにテキパキとお風呂入れてくれて着替えさせてくれた
私が「いつもすぐ怒るのになんで怒らないの?」と聞くと
「いつも怒るのはあんたが怒られる事してるから!うんちは…まぁ、しょうがない!w」と言った
しかも「今度は我慢しないでトイレ行けるようにがんばりなさい!」って応援までされて
なんかうれしかったなぁw
授乳の思い出ある奥様いらっしゃいますか?
おっぱい飲むのって幸せなのかな?
よく「一歳半ごろまでには断乳を」とか反対に「好きなだけ何歳になっても」とか両極端に言われるけど
おっぱい止めて超悲しかった…気力無くしましたとか
おっぱい止めて大人気分!飯もますますうまいです!とか
記憶力の良い奥様方、思い出ありましたら是非教えていただけますか。よろしくお願いします。
>>251 全レス読んでみたら?
甘くておいしくて幸せだった、という記憶とか
お母さんが誰かに「この子、まだ飲んでるのよ…」と聞いて
恥ずかしくなってやめた、みたいな話がチラホラあった気がするけど。
指しゃぶりの思い出なら・・・
>>251 胎内の記憶4スレより
518 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 14:26:24 ID:/UXKgepX
自分の赤ちゃんの時の記憶
最初に寝返りした事を憶えている。何故かうつぶせ寝させられ苦しくて嫌だっだ。で必死でバタバタしたけど
無駄で、ヒンヒンしても助けは来ず・・悲しく怒りに震えていた。
ふと手を身体の下に入れればいいかも(ピーン と来て試したら見事反転!
私の人生史上最上の喜びを得た。あれ以上の満足感と達成感は未だ無い。
初めて立った事も憶えている。大人の足に手を掛け、次に飯台に手をかけて立った。
嬉しくてはしゃいで、飯台の上に有った物を手で払ったら、全部どけられた><
必死で追っかけて飯台のハジを伝い歩きしたら、角で曲がれずコケて泣いた;;
おしめを替えてもらった事や、おっぱいを飲んでる事も憶えている。
おしめは旨い下手が有って、母が替えてくれるおしめが上手くて好きだった。
おっぱいは私の至福の時だった。ただ満足感いっぱいでおっぱいを吸ってると、
頭をツンツンしたり、たまに叩く大人が居て、これが超不満だった。
その大人をいまでも恨んでる(軽くだがw
イナイイナイバー、最初はを面白かったんだけど、あんまりしくこくされてウンザリして
出て来た顔にムギューと掴み掛かったら驚いた顔をして面白かったw
イナイイナイバーは最初は本当に楽しかったんだが
母がイナイイナイバーしてたら、祖母が割り込んで来てしつこかった
なんか嬉しかったと事と悔しかった事が重なった時に良く憶えてるようだ
その頃から自分はちゃんと居た気がする
>>254 わぁーありがとう。
251ではないが、もっとあったら貼ってください。
やはり「胎内の記憶3」スレより
829 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2008/07/02(水) 17:19:18 ID:pzrl9Pxj
最近子供@4ヶ月を見てて、自分の乳児期の頃のことを思い出した
旦那がおんぶ紐で子供をおんぶしてるの見て
「そうそう。おんぶ紐でおんぶされるの気持ち良かったよね〜
お母さんの体と密着するし、程よく揺れて、すぐ寝ちゃってたな〜」
って自然と口から出たんだけど、旦那から「それいつの話?覚えてるの?」
と言われてハッと気付いた
普通に過去の記憶がよみがえる感じで、
おんぶ紐でおんぶされながら、母親が子守唄歌いながら食器洗いしてて
私は眠たいんだけど、寝たら下ろされるから、
必死に手足をジタバタして起きてるよアピールしながら、アーとかウーとか叫んでたw
多分1歳未満だと思うんだけど、はっきり分からないから、スレ違いだったらごめんなさい
838 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2008/07/03(木) 10:12:21 ID:ZzfDNcTu
>>829 私もおんぶしてもらってた記憶がある。
五つ放れた妹が母におんぶされているのを見て、
「おんぶって、暖かくて気持ちよくってお母さんとくっついてるから
安心する。妹はおんぶされていいなぁ。私もおんぶして欲しいな」
と、うらやましく思っている記憶がある。
もう一つ、「胎内の記憶3」スレより貼っておきます
842 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2008/07/03(木) 15:48:38 ID:cnGAtxBQ
胎内かどうか微妙だけど…
自分は発達が遅めの子で、親とか親戚がよく心配してた
6か月の時、母親とおばあちゃんが
「まだ一人座りができない」ということを長々とはなしてて
「ほっといてよー」と思ったのを覚えてる。
で、母親が「赤ちゃんが座ってるのってカワイイのに、
このままじゃお座りした写真が一枚も撮れない」と言い出して
おばあちゃんと母親が 手を添えたり声をかけたりして
なんとか一瞬でも一人座りさせて 写真を撮ろうと頑張ってて
自分は「うるさいなぁ〜 こんなことしなくってもいいのに。
あ〜あ 昔はよかったなぁ。あの頃に帰りたいよ」と思ってた。
あの頃っていうのは、外ではいろんなことが起きてたけど
自分にとっては他人事で、居心地のいい所かのぞき見して
楽しんでた頃のこと。新生児期だったのか胎内だったのかはわからない。
結局その時は、おばあちゃんと母親が腕で支えて写真を撮った。
その写真を見ると、当時のことをすごくよく思い出す。
母親の着てた服とか、外が晴れてたとか。
一人歩きは二歳11か月29日目wwだったんだけど
今まで「別に歩く必要ないじゃーん 疲れるだけだし 抱っこウメェw」と
思ってたんだけど、サンシャインの水族館に連れて行かれたとき、
あんまりにも感激してわーーーっとなり 走っていろんな水槽を見て回った。
親はたいそうびっくりしたらしいw
はいはいもお座りも一人歩きも、必要と感じるまで何もしない赤子だった。
人に貼ってもらってばっかで悪いので私も頑張って貼ります。
胎内の記憶4スレより
231 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 10:57:30 ID:kYT8teyT(2)
私の友達の体験談です。
彼女は病気だかの事情で妊娠したが3ヶ月くらいで堕胎しなくては
ならなくなりました。
病院で麻酔を吸引して気がついたらどこだかわからないところに居たそう。
なんか明るいけど窓も何も無い部屋だかに居たと。
その時凄くドキドキしてたみたいで、言葉を話せると頭で言葉にして
考えるけど、そういうのが無かったと。
今その時の感情を思い出すと「怖いどうしようどうしよう。逃げなくちゃ」
みたいな感情だったと。
壁だかに背中を付けている状態みたいだけど自分では動けないようで
どうしようどうしようって気持ちでただそこに居たそう。
そして何かホースみたいのが見えた時に、絶望と諦めが体を支配したと。
その時は言葉にして考えていないけど、今思うと「もうダメだ」って
思った感情だと言っていた。
そして頭からそのホースに吸い込まれて、ホースの中をグルグル凄い勢いで
回って、目が覚めたそう。
その時はまだ手術中だったそうで、目が覚めたのに麻酔も効いていて
体が動かせないし、言葉を話そうとしてもうーしか言えなかったそう。
で、そのまま又眠りについたようです。
232 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 10:58:15 ID:kYT8teyT(2)
彼女はきっと胎児の感情とリンクしたんだと信じている。
そしてその後は寝ようとするとその時の感情が鮮明に蘇ってきて暫くは
泣いて泣いて眠れなかったと。
仕方無いとはいえ申し訳無い事をしたと自分を責めて居た。
言葉も何もわからない子でもあんな恐怖心や悲しみがあり、なんとも言えない
気持ちになると。
私はそういう事もあるかもしれないと思う。
まだ胎児の間は母親の一部で、その後母の一部から個人になるとかね。
ここでよく胎児で自我があったのか等と出るけど、彼女みたいな感じかな?
と思った。その時は言葉では考えていないけど、言葉を知るとその時の
気持ちを思い出して当てはまる言葉を付ける・・ってな。
233 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 11:14:04 ID:SuLsTxVJ
>>231 ああ、そういう考え方の方が納得できるな〜。うん。
自我というか、色々なことを感じ取る事はできるということだよね。
だとすると、堕胎は事情がどうであれ切ないし悲しいね。
どうでもいいけど文章難解すぎ(w
234 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 15:36:35 ID:fpt0BYvh
前にも乳児時代の記憶がある人が、そういう書き込みしてたね。
後で言葉を当てはめればこういう感じだけど、その時はウーしか言えなかったとか。
胎児が逃げ回る堕胎ビデオ、学生の頃見たよ。感情があるなら切なすぎる。
235 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 15:57:33 ID:FzBJMSkk
申し訳ないけど、麻酔ってそんなもんだと思うよw
話題がつながってるので胎内の記憶4スレより続きます。
236 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 21:00:20 ID:x0GZRAEm
>>234と同じものか分からないけど堕胎ビデオ見たことある
テレビ番組で取り上げられていたんだけど
ヒトっぽい形をしたものが羊水の残っている場所へ逃げ回っていて
最終的には口らしき場所をパクパクさせながら堕胎器具にバラバラにされてた
恐怖というか本能的なものは早くから感じるのかもしれないね
237 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/06(金) 23:37:27 ID:dQJQKoVM
スレチとは言えないんだろうけど、このスレだけはほのぼの和みたいので
あんまり気持ち良くない話は他でやって欲しい。
238 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/07(土) 01:46:08 ID:LpAXHmz0
>>237に同意
239 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/07(土) 12:33:16 ID:yI91/Vkd
麻酔による幻覚。
それにしても読みづらいしわかりにくい。
しかもスレチだし…
240 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/07(土) 14:20:11 ID:OtNkEz1L
本当だよね。
ここに居る人は子供を持つお母さんが多いでしょ?
読んでてすごく悲しくなったし、何でそんな話したの?
こんな話二度としてほしくない
胎内の記憶4スレより続きます。
241 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/07(土) 16:21:47 ID:G+BMj+Pn
>>239 だよね。
なんだか文章がおかしいとオモ。
全身麻酔って目が覚めてもしばらくは
声とか出せないんだよねー。
目が覚める時に世界がグルグル回る感覚になるのは
不思議なことじゃなく、ごくごく普通だと思う。
242 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/08(日) 00:52:57 ID:Z17FeVBU
本当に、、、涙が出て眠れないよ。
知らなくちゃいけない事でもあるんだろうけど辛いわ。
243 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/08(日) 00:57:33 ID:MGKRluoq
てかスレ違いだな。
そもそも妊婦のいる確率の高い板で不適切なレスをすべきではない。
何のために板やスレが分かれてるのかと。
244 名無しの心子知らず [sage] 2009/02/08(日) 00:59:45 ID:9g88Zqo6
そこでスルーですよ
寝ようっと
みんなおやすみ〜
245 名無しの心子知らず [] 2009/02/08(日) 01:14:06 ID:+Nhz1PLZ
おやすみなさい。
話題がつながってるので途中で切れませんでした。
連レススマソ。
また良レスあったら貼りますね。
>>258 育児に役立たないし、乳幼児期の記憶でもないスレチ。
全然良レスじゃないよ。
中のレスにもあるけど、わざわざ出産したばかりの母親に見せる内容じゃないでしょ。
せっかく良スレなのに気分悪いよ。
豚切りスマソ
2歳の誕生日の記憶 (写真で確認)
私の誕生日に、父がちぎり絵セットをプレゼントしてくれた。
(え〜何これ、こんなのいらない…)と思ったけど、
ワクテカしてる父の顔を見ると言い出せず、
渋々ちぎって貼ってを繰り返してると、意外と楽しかった。
やはりおんぶはいいものだよなあ。
なぜかおんぶ大嫌いでおんぶひも見ただけで泣くうちの子は何かあったんだろうか。
3歳頃の記憶。
母と買い物に行ったときソフトクリームを買ってもらった。
最初はうれしかったけど
食べてもなかなか減らない。
あんまりにも食べるのが遅いので
母が食べさせながら帰ろうとしたら
見知らぬおばさんに「店の中で食べ歩きしちゃダメだよ」
って言われた。
母がいらいらしながら「早く食べなさい」とせかすので
急いで食べたけど、口の中は冷たいし、なくならないしで
泣きたくなった。
泣くと怒られるので我慢して食べたけど。
子供は食べるのが遅いのでせかさないであげて欲しい。
おんぶひもで思い出した。
母が私をおんぶして、姿見にその姿を映して私に見せ「ほら」といった。
母はおんぶがどのような状況か、私を安心させるため見せたんだろうけど。
私は「そんなん分かりきっとるわ!バカにするな!」とプイとした。
とにかく子供扱いが嫌いで、子供番組のお兄さんお姉さんの子供を小馬鹿にしたような話し方も嫌いでした。
可愛げの無い子と思われていたでしょう。
でも中には子供でも冷めた子はいるんで、生意気と思わず生暖かい目で見守ってやってください。
>>269 いやわかる。
「わたしは今こどもという立場」って自覚してた。
>>258 ナニコレ。気分悪。
全く育児に役立たないし。
>>269 あるあるw
私も3歳頃、塗り絵に「ガンバ!」と書いてあるのを見て
「なにがガンバだよ、ダサッ。“頑張れ”だろ」と冷めた気分でいた事を思い出した。
他にも幼稚園のお遊戯やままごとを「ばかばかしくてやってらんねー」と
思っていた。全然愛嬌の無い子供だったらしいw
幼稚園の時はIQがかなり高かったそうなので
子供の体に大人が入ってるような感覚だったのかも。
(幼児期のIQ=精神年齢の高さ、と聞いた事がある)
273 :
名無しの心子知らず:2009/09/25(金) 18:39:15 ID:bi4aD3ru
自分の記憶、よちよち歩き出来たころだから1歳台。
家から外に一人で出て、となりのとなりの家の前まで歩いた。
「こんなに遠くまで来たのは生まれて初めて!遠くまで来たなぁ」
と、一人で心の中で達成感を味わっていた。
(今なら、赤ん坊一人で外に出たら危険ですが)
とにかく、新しいことができるたびに、赤ん坊も達成感を
味わっているんだろうと思います。
275 :
名無しの心子知らず:2009/09/25(金) 22:45:21 ID:4jGNNSvX
祖父が生きていた時だから2歳前くらい。
祖父母の家のベランダに面した庭には、孫達のためにブランコや砂場があり
その日も母に見守られながら遊んでいた。
ふいに空を見上げると、飛行機ではない大きな何かが浮かんでる。
びっくりして母のもとに行こうと振り向いたら、母がいない。
怖くなって、泣きながら居間に入ってさけんでも返事がない。
とにかく怖くて、テーブルの下に隠れていると、家の中が真っ暗になった。
しばらく隠れて、明るくなった頃に、トイレに行っていた母が戻って来てくれて、泣いてる私を抱きしめてくれた。
以来、母にべったりになったし、なによりもUFOが苦手になった。
UFOはいまだにダメ。
今考えると、気球船とかなんだろうけど、とにかく母の姿が見えなくなると
「もう会えなくなるかも」と不安になってた。
おんぶはスイングする感覚が大好きだった。
二つ下の弟がおんぶされてるのをある日夢で見て、いいなあと思ったけど
「あそこはもう自分の場所じゃなくて弟の場所なんだからわがまま言っちゃいけない」と思って
生まれて初めての喪失感というものを味わった。
「もうお姉さんなのに泣いたらカッコ悪いかも」と布団の中に潜って我慢してた。
一番古い記憶は、母が、まだ赤ちゃんだった弟をおんぶし、二歳の私の手とつないで夜、家出しようとした時かな。
家出と言っても、家からすぐの駅(田舎だから無人駅)にしばらくいて、戻ったんだけど。
母が泣いているのがものすごくショックだった。
たたその事が悲しくて、自分も泣いていた。
しばらくしたら母は涙を拭いて、帰ろっか!と笑顔で言った。帰り道、また母が泣かないか心配で、何度も顔を覗きこんだなぁ。
あの時の気持ちを思い出すと、今でも胸がざわざわする。
1番怖かった記憶が、誘拐されそうになったとき。
母親と祖母と地域のイベントみたいなものに行って、2人がほんの少し目を離してたときに、知らないおじさんに手を掴まれた。
本当に本当に怖くて、小声すら出ないぐらい。
「ママとおばあちゃんにもう会えなくなる!」ってずっと考えてた。
ひたすらもがいていたら、まわりに気づかれるのを恐れてか、手を離された。
本当に少しの時間だし、2人の背後でのできごと。
こんな状況でも、悪いことは起こるということ。
自分は気をつけないとって思う。
乳児〜幼児期にかけて両親が事業をやっていてとても忙しく、保育園に預けられていた。
お迎えが遅くなると友達はどんどんお母さんと一緒に帰って行くし、広いホールで一人お迎えを待つのはすごくみじめな気持ちで自分からお母さんを奪う「仕事」は敵だと思ってた。
その頃は裕福で私にもブランド物の服を着せていたのよ、と母は言っていたけど、そんなこと子供にはわからないからもっとお母さんと一緒に居たかった。
だから私自身はご飯が食べれるくらいの生活ができていれば、せめて小学校にあがるまではできるだけ家にいてあげたいと思う。
幼児教室というところに通っていた。2年保育前の集団生活の
練習みたいな場所だったらしい。そこが何しろ嫌いで嫌いで
母を追いかけて教室から飛び出し、数百メートル母の後を
尾行した記憶が複数回分ある(家までの尾行に成功したり、
先生に連れ戻されたり、保育時間中脱走したり)。
お遊戯の意味と動作を、自分ひとりがまるで理解していなかった
感覚も恥ずかしい記憶だ。
総合的に考えておそろしいほどに集団生活に適応していなかった。
母は2〜3歳まで家庭内で私を育ててくれたけど、そこから集団生活に
入ったときのあの不適合さ加減を思うに、社会で生きる以上
集団に入れるのは早ければ早いほど良かったのではないかと今は思う。
>>281 一歳台から保育園行ってても集団苦手だった私みたいなやつもいるから
一概には言えないとおも。わかってるだろうけど
>>79 うちは母はずっと専業だったけど、たまにいないだけで寂しかったしもう会えないかもと不安になったりしてた。
だから私もギリギリでもごはん食べてやってけるならしばらくは専業でいたいな。
あまりにもカツカツなら働くけど
284 :
名無しの心子知らず:2009/09/28(月) 00:43:16 ID:fOHM+QQh
>>282だから自分のこどもで実験してみた。自分の遺伝子を持った
こどもをゼロ歳から集団に入れて、自分のような集団不適合になるかと
いうことを…。結果はスレ違いなので書きません
子供の頃は自分がいずれ大人になってしまうってことが、
どうしようもなく嫌で嫌でたまらなかった
幼稚園までは自分の掌を眺めて
「おっまだ小さいな
まだまだ子供でいれるんだな」
とか考えて安心してた
あと、わざと抱っこ抱っこと甘えてみて、父や母が軽く抱っこできるか
そろそろ重そうか、とかチェックしてた
だけどなぜか、ままごととか、着せ替えとか
塗り絵とか、セーラームーンとか
子供の遊びには全く興味がなかったけど、無理して楽しんでるフリをしてた
行動一つ一つを、こうすればより子供っぽいだろうか…
とかいちいち考えて行動してた
今思うと子供の頃から全然子供っぽくなかった
ちなみに大人になるのが1番嫌な理由は、両親から
抱っこしたり、スキンシップをしてもらえなくなるからでした
しかしこの記憶は育児に役立ちそうもないか…
285の幼いころってセーラームーンなのか!すごいな
おばさんの小さい頃の魔女っ子はサリーちゃんとかメグちゃんで
足踏みミシンが家にあったよ洗濯物も母はたらいで手で洗ってたよ
1番古い記憶は2歳の時。
父方の祖母が末期ガンで自宅の部屋で寝てて
祖母の体には外から管が通されてて子どもがうろつくと危ないという理由から
母が私におばあちゃん今寝てるからその部屋に近寄っちゃだめよと言った。
でもだめと言われると行きたくなって、こっそりその部屋に行ってそっと襖を開けて
部屋には入らず襖のとこからおばあちゃんが寝てるのを確認。
その瞬間台所にいた母に呼ばれて慌てて返事して
叱られないよう何事もなかったかのように台所に走って戻ったなぁ。
そんな記憶が今はおばあちゃんについてのたった一つの記憶。
>>284 > 結果はスレ違いなので書きません
書くべきである
ここで書かなきゃどこで書くのだ
断固書くべきである
書かなきゃ一生許さない
>>283 少数派の意見だと思うけど、私は母に一挙手一投足を見られてる感じが
息苦しかった。
>>288 書かなきゃ一生許さない
じゃあお言葉に甘えて書くわww結果として子は集団に物怖じしない子に育ち登校拒否にもならずに
済みました(自分は登校拒否気味でした)。また幼児期自分が適応できなかった部分を
子供がどう捉えているか本人に聞きました。
Q保育園を抜け出したいと思ったことある?たとえばお母さんのところに帰りたいなあ、とか?
Aなんで?そんなこと考えたこともないよ
Q保育園に行きたくないと思ったことはある?
Aなんで?保育園は楽しいよ!必ず行くよ。
Q保育園で辛いことはあった?
A保育園は楽しいところだよ?
Q保育園のどこが楽しいの?
Aお友達がいっぱいいるとこ!
Qお友達というけれど、でも途中から入ってきた子とかは馴染めなくて泣いたりしてたでしょ?
A泣いてなかったと思う。みんなお友達だよ
Qたとえば自分がベビーホテルから保育園に転園したとき嫌だった事はなかった?
A保育園の方がいいね。ホテルは人数が少ないし、お友達が少なかったから。
Q保育園でできないことあった?
A逆上がり(今もできないorz)
Qお遊戯はできた?
A朝のお遊戯はやらないの
Qできないから?
Aできるけどかっこ悪いから
言葉遣いが未就学児に戻って、お友達お友達うるさくてすみません。
4月生まれで思慮深いほうに聞いたらまた違った感想だと思います。
保育園児はおうちに帰ってもお母さんはお仕事でいないんだということをよく言い聞かせられているから
里心が出ないんだと思います。保育園で、家に帰りたくてしょうがなかったという友人は
「ウチは弱ってるけどばあちゃんが家にいて、たまにはばあちゃんと留守番て日もあったから甘えてた」と回顧してました。
だから家庭=仕事の自営業のお宅はいかに保育園が楽しかろうとも子供を納得させるのが大変だとおもふ
>>279 うはw 私もだ。昼間は楽しいのだけど、薄暗くなってくる帰りの時間、窓に映る自分の
姿で外が見づらくて色々角度を変えながらも母の姿を探したあの頃。
スレチだが、しかし思い出せば一番寂しかったのは保育園の頃ではなく小学校の頃だった。
2歳の頃に弟が生まれ、哺乳瓶や大きな缶に入った粉ミルクが凄くおいしそうにみえたこと。
母に弟のように抱っこしてもらい、弟のようにミルクを飲ませてもらった時の、恥ずかしさと
嬉しさが入り混じったくすぐったいような気持ちを覚えてるな。
ミルクは全然おいしくなかったが、しつこく熱望した手前おいしいといって飲みきったんだよな。
保育園って、楽しかった派と寂しかった派にハッキリ分かれるよね。
私は保育園が楽しいくて、保育園に通ってない従姉妹は可哀想…と
本気で同情してたw
母親も、毎晩こっちがお腹一杯ってほど遊んでくれていつも
ニコニコしてたから、従姉妹の家に行くと、伯母が一日中家にいて、
しかも厳しく叱ったりするのを見て、うわぁ可哀想…と
これまた同情してたw
それでも、母に叱られた記憶はもちろん残ってる。
ブルーナの絵本が色が少ないのが可哀想で(私、可哀想と思ってばかりだw)
一生懸命にミッフィに色を塗ってあげたのに、
「絵本を大切にしないなんて!」と叱られた。
でも、理由を説明したら納得してくれて、
「それでも絵本は大事にしなくちゃいけないから、
ママの絵に塗ったら?」と、ミッフィーの絵を画用紙に描いてくれた。
嬉しかったけど、やっぱり本物のミッフィーに色を塗りたいな…と
思ってたな。
うちは母親が産後1ヶ月から働いていて私は子守さんの家に日中預けられていた。
母親が迎えにきてくれると嬉しいのだけれども忙しい母親に甘えちゃいけないと思って家に帰らないと言った。
1歳半には保育園に預けられたから1歳前後の記憶だとおもう。
言葉が遅かったのでいやいやするぐらいしかできなかったと思う。
母に安心して甘えた記憶が無くておばあちゃんになら甘えても良いと思っていた。
おばあちゃんも働いていて、保育園に迎えにくるのはいつも最後。
どんどんみんなが帰っていき、心細く待っていると笑顔のおばあちゃんが迎えにきてくれて嬉しかった。
弟と競うように甘えながら帰った
おばあちゃんと母親の違いは「話を聞いてくれる余裕の有り無し」だと思う。
忙しいのは子供はよくわかっている。
だから時間が作れたらちゃんと構って愛情を示したほうが良いと思う。
子供は生まれた環境が全てで自分の生活に疑問を持たないけど、
ある程度大きくなったら他人の生活が見えていろんな感情を抱えるようになるものだ。
>>293 1歳半ぐらいでも、「お母さんは忙しいから甘えちゃだめだ」なんて
気をつかうんだ!!
って、なんか泣きそうだ。
我が母は、私が生後6週くらいで仕事復帰した。
私は親戚やら父方祖母やらに育てられた。
保育園ではなくて(今思えば何故か?)幼稚園だったんだけれど、行き帰りの送り迎えが母親じゃなくて祖母な子は、自分を含めて三人しかいなかった。
祖母は大好きだったけど、その事実(自分は少数派)は子供ながらにわかっていて、やっぱり寂しかった。なんとなく引け目も感じていた。
母は子育て嫌で、でも仕事が生き甲斐とかでもなく嫌々兼業な人だったので、たまに一緒にいる時間も目一杯可愛がってはくれなかった。
すごく厳しくて、叱られて泣かされてる思い出しかない。
祖母(今は故人)は大好きだが、母親とは今も疎遠だ。実際に会う事はあっても精神的に完全に埋められない隔たりがある。
正直嫌いだし慕うとかの感情もない。
まあ、うちの場合は預けた預けなかったとかより、母親の性格による結果だとは思う。
でも自分は子供が小さいうちだけでもなるべく専業になろうと、子供の頃からずっと決意していたし、今、専業だ。
家庭の事情で保育園とかでも構わないと思う。ただ、一緒にいる時間は目一杯可愛がって愛情を伝えてあげてほしい。
(うちの母は、仮に専業でもそもそも伝える愛情がなかったのかもだが)
子供って、かなり小さくても、まだ話せなくても、こちらが思うよりずっと色んな事がわかっているよね。
自分も親になった今、肝に命じなきゃな。
父親に抱かれて近所の公園に連れて行かれた。
いつもとは違う足にまとわり付く着物が不快だと訴えるのだが聞いてくれない。
アルバムには、幼児用のブランコに座らせられ、泣いてはいないが機嫌の悪そうな表情の
生後9ヶ月の初節句の写真が貼ってある。
3歳半の頃、まだ歩けない妹と二人で遊んでいたのだが退屈になり、
なぜか妹をベビーベッドに上げてやりたくなり、
畳面から50cmくらいの高さのベッドの手すりに妹を掴まらせ、
お尻を押してベッドに押し上げた。
後に母が語るには、母がおとなしく座って遊んでいる私たちに安心し用事で10分くらい隣家に行った間のことだったらしい。
帰宅してまず目を疑い、私がベッドに上げてあげたと言うのを聞いて驚き、
子供だけ置いとくのは少しの時間でも大変危険と認識したとのこと。
あの頃は10分くらいの時間が永遠の長さに感じられた。
子供が短時間でもじっとしてられないのは当たり前だと、今でも実感を持って言える。
おばあちゃんとかに子供見ててもらってるとさ、どっか遠慮しちゃって母親の方は父親役に
なってくるっていうか、どこかこどもに踏み込めなくなっちゃうよね…そんなことないか?
「あなたは、そんなふうに怒らないで頂戴!」とかおばあちゃんに言われちゃったりさ?
相当大きくなった子供には「おばあちゃんのほうがいい!お母さんなんか私を育ててないくせに!」
なんて言われちゃったりしてさ。想像だけど。親の心子知らずだよな。でもさーそんな子育ても
したかったよ。おばあちゃんにおんぶにだっこ。核家族母だと愛憎一手に引き受けていて、もーヤダヤダw
やさしいおばあちゃんと暮らした時間があるって超うらやましいwスレチスマソ
たぶん、ハイハイの頃の記憶だと思うんだけど、
窓が開いていたので、窓の方に移動して外を眺めていた。
母に呼ばれたので、振り返ったら、
部屋の中が真っ暗で、呼んだはずの母も見えず、
恐ろしくなり大泣きした。
目が眩んで見えなかっただけだと思うんだけど、
その後、この暗い部屋が何度も夢に出てきて、
その度、大泣きした。
この夢は、その後、小学校あがるくらいまで続き、
知力のアップとともにバージョンアップし、
おねしょをともない、私を悩ませる事となる(泣)。
大きくなってから、母に、私は夜泣きがひどかったって言われたけど、
こんなつまらない事が原因だと思うと申し訳なく思う・・・
3歳くらいの頃、母が私の髪をおだんごに結った。
私はこの髪型が、おばあさんみたいだから嫌で、
変えてくれと頼んだのに聞き入れてもらえず、
お友達と会うのが嫌で、ふてくされて一人で遊んでいた。
後ろから、「あの子、かわいー」という声がして、振り返ったら、
知らないお姉さん二人が寄ってきて、
口々に、「おだんごかわいいねー」と盛大に褒めてくれた。
とたんに、今までの不機嫌はふきとび、
嫌で嫌で仕方なかったおだんごが好きになった。
その後の事は覚えてないんだけど、
母に「あなた、おだんご好きだったわよねー」と言われたから、
どうやらお気に入りの髪型になった模様。
子供って単純だよねw
だから今、子がぐずってる時は、なんでもいいから盛大に褒めて、
褒め殺しにしている。
幼少期ほぼ母子家庭で祖母が見てくれていたけど、子供ながらに
「母が一生懸命働いているのも愛情」…なんて思ってたな。
祖母も働いていたし、5歳まで保育園には通っていなかったから
大抵は弟と二人きりだったけど、そのおかげで人の面倒を見るのが
苦でない性格になったのかも…。
ただ、保育園の迎えがいつも最後で、
小学生のときはいわゆる鍵っ子だったし、
自分の子にはそんな経験をさせたくないと思う。
でも孤独感や寂しさも大事なんだよね。
満たされてばかりじゃ他人の気持ちを想像できなくなりそうで。
その辺りが難しい…。
300 :
名無しの心子知らず:2009/10/01(木) 05:36:47 ID:hTSrDbfD
泣き続けて、
外に抱っこされて
空気と草花の緑がふわっと心地よくて
泣き止んだ記憶がある
これだけが強烈に記憶にあるのは何故なんだろう…
302 :
名無しの心子知らず:2009/10/01(木) 07:27:03 ID:HIP/zS59
私の一番古い記憶は母が泣いている記憶。
その話をするとびっくりされた。
小姑が私を誘拐したらしい。
母が私を捜し回って、小姑に聞いたら、普通に知らないと言っていたらしい。
ちょうど2歳で違う家に引っ越したから、2歳になる前の記憶。
一番最初に住んだ家の配置とかはっきり覚えてるから、子供の記憶ってばかにならないと思う。
現在25歳
育児になんの役にも立たないなぁ
新生児で目がハッキリ見えるようになった瞬間を覚えてる人もいたし。
子供の記憶が馬鹿にならないのはこのスレでは当たり前。
田舎の大家族の四人兄弟一番上。しかも自営。
保育園は行かなかったけどほとんど母親と二人の記憶はないわー。たいてい隠居した爺様婆様や同居の叔母のとこにいた。
でも幼なじみも農業か自営で同じようなもんだから気にならなかったな。父親も家の裏にある工場にいたし。
親戚やご近所みんなで育てられたような感じ。おかげで敬語は自然に学んだし、爺婆は褒め上手だから勉強も頑張った。
今も子供にはなるべく親戚との時間は持たせるようにしてる。
まだ歩けなかったから一歳前くらいだと思うんだけど、両親が口げんかをしていた。
その勢いで父が私に
「こんなお母さんなんか要らないよな〜。お父さんと二人でいいよな〜?」と言って来た。
「ふん、んなわけないだろ。むしろどっちかっていえばお前が要らんわ!」と思ったが言葉に出来ず
自分がしゃべれないから、私の気持ちは「お母さんいらない」だと誤解して母がいなくなったらどうしようと不安になり
大泣きしてしまった。
両親は「お父さんとお母さんが喧嘩したら嫌なんだね」と仲直りしたけど、泣いた理由は実は違う。
ちなみに、うちの父は何かと「お母さんよりお父さんが好きだよね?」的なことを言ってきていたけど
毎回 んなわけなwwwpgr な気持ちでいっぱいだった。
こいつウザイとも感じてた。
1歳半ころ?
おっぱい飲もうと、寝転がってる母の乳首をぎゅっとつねった。
白い父が出てきて、私「でた〜」と嬉しくなる。
飲もうかどうしようか悩み、結局「いらない」と言った。
それで卒乳した。なんか恥ずかしくなっちゃって。
白い父ワロタ
まだスプーンが上手く使えなかった頃、自分はこぼさずお行儀良く食べたつもりなのに
周りを見たらたくさんこぼれていてびっくりしてた。
えー?ちゃんと上手に出来るのに何でこんなぐちゃぐちゃになってるの?
と、自分を過大評価というか上手く出来ていると過信していた。
だから、自分の子が頑張って一人で食べて、こぼしても散らかしても
「この人は上手に食べてるつもりなんだろうなあ」
と全くイライラせず見守れたと思う。
>>308 そんな体験を知ると、私も子供がこぼして散らかしても
イライラせず見守れそうだ。書いてくれてありがとう。
良スレばんざい
夏に、神社で額に判子を押してもらう行事がある。
一才になる子がやってもらうんだけど、朱肉のついた判子が顔に迫ってくるのと、
母や神社の人が自分を羽交い締め(されてるように感じられた)にするのが怖くて、
「なにこれー!やめてーーー!」と泣き叫んだ。
それが一番古い記憶だけど、役には立たないね…。
311 :
名無しの心子知らず:2009/10/05(月) 00:17:45 ID:85m/V0Pj
初めて車を指差して「ブーブー」と喋ったときの事。
多分一才半〜二才だと思います。
年の離れた兄姉が、興奮しながら
「私ちゃんがブーブーって言った!お母さん、私ちゃんが喋ったよ〜!!」
と喜んでいた。
それで、母のもとにつれていかれ、
兄姉が「さあ私ちゃん、もう一回ブーブーって言って!」
と言ってきた。
でも私は、
「何で言わなきゃいけないの、喋りたくなったら自分で喋るもん」と思って黙り込んでしまいました。
気分的に見せ物にされたような嫌な気分になってしまったんです。
しかしその後、 ブーブーと言えばみんな喜ぶ事を学習し、ブーブーを連発するも、そのうちみんなの反応が薄くなり、
イミワカンネーって思いました。
312 :
名無しの心子知らず:2009/10/05(月) 00:27:25 ID:sLY4tpMh
産まれてはじめて産湯で洗われた記憶がある。
視界はやけに狭くて霧がかかっているようで魚眼レンズに見えた。ピンクのタライで洗ってくれた看護師さんが雑で大きな声のおばさんで寒くて怖かったのを覚えている。二歳頃まで着ぐるみを着せられて生活をしているような体の不自由さがあったよ。
313 :
名無しの心子知らず:2009/10/05(月) 03:13:13 ID:M3SDtS0c
三歳くらいのとき、夜中に無性に母親の乳を触りたくなり、服に手を突っ込んだら、母から「やめなさい!」と叱られ手を払いのけられた。物凄くショックだったが、授乳を終えた今ならその時の母の気持ちがよくわかる。
4歳ぐらいまで、よくガミガミ叱られていたんだけど、「するなってことばっかりする!」と言われても
その時は「悪い事なんだな」と思っても、同じ状況があれば頭の中はリセットされていて、
親にとっては同じことでも、自分は新鮮な気持ちでやっていたと思う。
例えば
植木の葉っぱを千切ったら面白い♪バラバラ散らばって楽しい♪→叱られる。→何か悪いことらしい。悲しい。
→他の遊び。→リセット!→あ!葉っぱ!引っ張ったら楽しいかも?千切ったら楽しい♪→叱られる。
→何かダメみたい。怒られたから悲しい。→忘れてリセット→葉っぱ!千切ったら(ry・・・→叱られる。
みたいな、やってみたい、触ってみたい対象が同じものなのに、毎回新鮮に思えてたように思う。
例えの葉っぱで言えば、「ああこれは千切ったらこんなふうになるのね。汁がでて手が緑になるし
散らかしたら楽しいけど怒られるし、葉っぱって千切るものじゃないね。」と、認識出来たらやめる。
どうしてもやってみたい、触ってみたい衝動が抑えられるのは、4歳ぐらいになってからだった気がする。
怒られるからやらないとか、叱られて理解したからやめるんじゃなくて「興味がないからやめる。」
興味の対象を「理解したからやめる。」という感覚だったので、親の「同じことばっかり言わせる」の意味が
全く理解出来なかった。
親から見れば「同じイタズラ」なんだろうけど「ちょっとワカッテルけど、シッテルけどやってみたい!」な
「もうちょっと触ったらどうなるか調べたい」みたいな・・・すごく新鮮な好奇心いっぱいの気持ちだった。
続きます。
続きです。
4歳くらいになって、自分の身近にあるものがだいたいこんなもんだ、と理解できるようになって
余計なイタズラはしなくなったし、叱られたら「そういや前にも同じことで怒られたんだった!」と
「以前」の出来事と「今」がつながるようになり「同じことばっかり言わせる!」がわかるようになったと思う。
だから、聡明な理解力、記憶力のある子はどうだかわからないけど、3歳くらいまでの子は
叱っても怒っても、その時はなんとなく「悪いことしたらしい」と思うけど、すぐ忘れて
新しい気持ちで同じこと(イタズラ)を繰り返してるんじゃないかと思う。
「イタズラ」→「叱られる」の、原因と結果が理解出来ず、「大変興味深いこと!」と「なんか怒られた!」
は別々の出来事みたいだったから、叱るよりはイタズラを出来ない、させない状態を作ったほうがいいし
イタズラされても、本当に悪いこと(人を叩くなど)以外は、叱らないほうがいいと思う。
親の話を記憶と照らし合わせても「研究(イタズラ)」wと「怒られたこと」は、別々に保存されている。
なんだか長いばかりでわかりにくかったらすみません。
>>314-315 よく分かったよ。
うちの2歳の息子も同じようないたずらばっかりして何度言ってもするから
心配だったんだけど、そういう事だったんだね〜。
いたずらされないようにこっちが気をつけるのはやっぱり大事なんだな。
いたずらされても必要以上に怒らない方がいいね。
>>308 ぼろぼろこぼして服や手が食べ物まみれでも
「どや顔」する時ってそんな心境なんだろうかw
可愛いね。
>>314-315 >>興味の対象を「理解したからやめる。」という感覚
すごい…まさにモンテッソーリ教育で言う敏感期だ。
子どもの発達って面白いね。
危険・迷惑でないいたずらなら、無理にやめさせずに、
納得いくまでやらせたほうが、スムーズに卒業できるんだろうね。
>納得いくまでやらせたほうが、スムーズに卒業できるんだろうね。
だがふすまにマジックで落書きされるのはキツイぜ・・・w
納得いくまで、飽きるまで放置、わかる!
時間が許すなら、どんなにしつこく同じことを(例えば滑り台を延々すべるとか・・・)
繰り返しても、子に付き合おうという自分のスタンスが正解だなって思いました。
よかった。
子にとってはイタズラではなくほんと「研究」だよね。
よく泣く神経質な赤ん坊だった私。
重ね着させられた時に下に着せられた肌着が、きちんと引っ張ってくれなくて、中でぐしゃぐしゃになってるのとか
タイツや靴下が途中で止まってるのが気持ち悪くてグズグズ泣いてた。
ある時、親戚で出かけた時の記憶なんだけど
自分は赤ん坊がよく着ているような股にボタンがついてる黄色いつなぎ服を着せられていたが
同じ年の従姉妹はワンピースみたいな可愛いらしい服を着せられていた。
それを見たら、太もも丸だしの自分が何だか格好悪く感じて
恥ずかしい嫌だとグズグズ泣いたが、話せないから説明できなかった。
その時の写真が残っていて、不機嫌な顔した黄色い服着た私が写ってる。
322 :
名無しの心子知らず:2009/10/13(火) 09:47:14 ID:tCqAv8gs
age
3歳位かな。
親戚みんなと親と、ケーキを買いに行った。ケーキを「持ちたい」と言った私に親が持たせてくれた。
でも大きなケーキの箱抱えてヨチヨチ歩いていたら、やっぱりコケた。
ケーキが落ちないように膝をついたので膝がすごく痛かった。んだけど
親は私の心配なんか一つもせずに、立ち上がるのも待たずに「何やってんだ馬鹿やろう!」と本気殴り。
いつも優しい親戚達は微妙な顔で苦笑いで無言。
体が小さく固く石ころみたいに縮こまってしまったまま歩いた。膝から血がでていたが一言も声が出なかった。
家に着いたら、待っていたばあちゃんは
真っ先に私の膝を心配してくれて、
ケーキが少し崩れたくらいでなんじゃ味は変わらんよと笑ってくれた。
ばあちゃんは呆けちゃって家族を泥棒と思い込んだりウンコ漏らしたり毎日大変な騒ぎだけど
うちの両親はばあちゃんを捨て出て行ったけど
私はばあちゃんが好きで世話も苦にはならない。ヘルパーさんにも頼りつつこれからもうまくやっていこうと思う。
324 :
名無しの心子知らず:2009/10/13(火) 10:26:14 ID:uqrPo2UJ
>>323 泣けた。
そうだよね、少しぐらい崩れたってケーキの味はかわらないよね。
おばあちゃんもあなたもいい人だ。
このスレ読むと、はっとさせられることばかり。
(´;ω;`)
326 :
名無しの心子知らず:2009/10/13(火) 11:16:39 ID:ehFfns7x
みんなすごいなー。
私、苦い思い出しか残ってないw
・爺婆にうまく甘えられず、甘え上手な妹が羨ましかったこと。
・年中の時、担任の招集にすぐに従わなかったために、節分の鬼の面が残り物の緑色のお面になってしまったこと。
・年中のとき、友達のお便り帳を間違えてもって帰ってしまって、申し訳ないと思い、50円玉を渡して大問題になったこと。
・年中のとき、運動会の徒競走で一緒に走った子を押しのけて、コース外へ追いやってしまった。(私は自覚無し)
それを何度も何度も母親から言われて悲しくなった事。
>>323 >ケーキが落ちないように膝をついたので膝がすごく痛かった。
3歳でも考えて転んでるんだ・・。子供を叱るときは親も考えなきゃなあ
4歳なりたての時、妹を出産するため母が入院。
1週間ほど日中は祖母と、夜は父と過ごした。
父はご飯を作れなかったのか面倒だったのか、毎晩一緒に外食した。
といっても昔だからファミレスとか無くて、駅前のおでんの屋台とか。
あとバーにも連れて行かれた。
父は私を話の種に店の女性と楽しそうに話していた。
私は何もわからないふりをして静かにフルーツ盛り合わせを食べていたが、会話はちゃんと聞いていた。
小さい女の子なんかが来て迷惑だったろうな、と今は思う。
妹を連れて退院してきた母にバーのことは言わなかった。
別に口止めされてたわけじゃないけど。
でも2〜3年後に「そういえばあの時パパとバーに何度か行った」とちくったら、母はやっぱり怒った。
↑書き忘れ
本音・本性が出がちなお酒の席には子供は同席させるべきではないと思います。
神経質かもしれないけど、私の親がわりとお酒ではっちゃける人で、子供心に不快だったので。
同意。
うちも親が友達夫婦と家で呑んでて、夜の夫婦生活の具体的な話をしてた時は、私は4歳くらいだったがかなり引いた。
しかし分からないふりをして横で遊んでた。
あとエロ本とかも、分からないだろうと思われてたのか適当に置かれてたの見てた。
単語の意味はわからないけど空気で分かるよ。こどもをなめちゃいけない。
分からないふり、あるある。
私は「分かっちゃいけないのかな?」と思ってて、大人同士が話しているときは
何時間でも無言でひとり遊びをするようにしていたら
どこに行っても驚愕のおとなしい子認定されてた。
一人っ子だし、会話は聞こえてるけどスルーしてただけなんだが。
それでもうひとつ思い出した。
ずっと自分のことを○○ちゃん、親をパパママと呼んでいたんだけど、
年中くらいのときに唐突に「そろそろお姉さんっぽく振る舞おう」と考えて
何日か呼び方を変えるチャンスをうかがってから「あ、今日にしよ」と決めた。
「私」か「あたし」か迷って「おかあさん、あたし…」と話し掛けたら
母達が騒いで恥ずかしかった。そこはすんなり受けとめてほしかったんだけど
今考えればそら無理だよねw
332 :
名無しの心子知らず:2009/10/13(火) 16:59:21 ID:5WOYMqDy
勉強になるな〜。
義実家が下ネタすごいので注意しよう。
314
子供を怒りづらくなった
ありがとう
323
その時の323をヨシヨシしてやりたい…
こんにちは
相談させてください。
近いうちベビーゲートを買おうと思ってるのですが子供心にはどう思うのでしょう?
やはり『隔離された』というように思うのでしょうか?
きちんと『危ないから』というのは理解出来るのでしょうか?
>>334 私が幼い頃は、ベビーゲートの類いはまだなく、当時自宅はキッチンと部屋の間に障子がある造りでした。
おそらくつかまり立ちはできたけれど、歩いたり自力でドアを開けたりはできなかった頃、寂しくて母親が恋しくて障子に穴を指で開けて、穴から覗いて母親を見ていました。
当時の切ない気持ちを今でも思い出せる。
私の母親はあまり丁寧に言い聞かせとかするタイプではなかったので、なぜ自分が「隔離」されているのかは理解できず辛かったです。
でも親になった今、やっぱりベビーゲートは必要だと思い、使用しています。
ただ、このスレを読んだり、自分の子供(一歳)に接していて思うのですが、本人がまだあまり話せなくても聞く分にはかなり理解しているようです。
だから今、私はなるべくきちんと言い聞かせて説明するようにしています。
うちの場合、ベビーゲートは拒否しませんでしたが、大嫌いだった歯みがきは、一度ダメもとで真面目に意義をゆっくり説明したところ、しぶしぶやらせてくれるようになりました。
やはり子供はかなりこちらの話を理解してると思います。
ベビーゲートも、なぜ危ないから必要かをちゃんと説明してあげたら多少わかってくれると思います。
ちょっとスレチ気味ですが、補足。
うちはベビーゲートは本体がメッシュで透けて見える&ぶつかっても痛くないタイプを買いました。
そんなに拒否しなかったのはそのため(キッチンの中に居る私の姿がよく見えるから安心)かもしれません。
母が私を出産したあと、病室へ戻った時の記憶がある。
黒い目覚まし時計が枕元に置いてあって、外の天気は悪かった。
周りに誰か(助産婦さんとか)いたと思うんだけど、なんか疲れてて寝た。
母親が全然私に興味なさそうにしてて(出産直後だから疲れてたんだろう)まぁいいや、とにかく寝よう。って感じで寝た。
ベビーゲートの件じゃなくてスマソ
多分3歳くらいの記憶。
保育園に「くにやく」って名字の先生がいて、どうにも覚えられず
こんにゃく…じゃない…こんにゃくに似た名前…っていつも呼びかけるとき困ってた。
結局、「…にゃく…先生」と小声でモゴモゴごまかしつつ呼んでいた。
先生は慣れているのか笑って振り向いてくれていたがw
幼児でも、人の名前を覚えてないのは失礼だと分かっていたのだね。
あと、私は0歳から保育園通いだったんだが
朝、母と別れるときは泣いたほうが「よい子」な気がして
年長になっても度々空気読んだつもりで無理くり泣いてたwかーちゃんごめんよ
母が風呂上りに授乳してくれると、いい香りに包まれて暖かくて
至極の時が過ごせた
一番古い幸せな記憶
母がずっと使っていたニベアクリームの匂いも好きだった
今もニベアの匂い嗅ぐと母に会いたくなる
3歳の時に弟が生まれて「名前はまだ決まってない」と言われたので
自分なりに一生懸命考えていた
でも数日後あっさり決まってて無駄な事をしたとガッカリしたな
341 :
名無しの心子知らず:2009/10/15(木) 10:51:54 ID:2QBsaSES
すごいね〜
小さいからってなめちゃいかんな。気をつけよう。
塗り絵やお絵かきをしてて、大人が隣で上手にすると自分の作品が恥ずかしくて、
もう嫌だーってなってた。
大人みたいに上手にしたいのにできないって悲しかった。
だから子供@一歳半が遊んでるときは一緒になって
程度を合わせて書いたり塗ったりしています。
3さいの時の記憶。
父の転勤で引っ越すことになった。
幼馴染達と離れる事に不安を感じた。
父親は
「新しい所でもお友達が出来るよ。すぐに幼稚園に通うようになるしね。
それにもう、意地悪なHちゃんに虐められなくてすむよ」
とフォローした。
Hちゃんが大好きで、彼女と離れるのが一番イヤだった私は、
それを聞いて大号泣。
なんて酷い事を言うオヤジだろうと憎らしくなり
「パパだけテンキンすればいいんだー」
と言い返した。
一つ年上のHちゃんに言いように転がされながらもくっ付いて歩いている私は、
親から見たら意地悪されている・おもちゃにされているように見えたのだろう。
しかし父親と離れるのはよくても、
Hちゃんと離れるのはイヤなくらい好きだったんだな。
なので我が子が多少酷い扱いを受けていても、
本人が嫌がらなければ嘴をなるべくw突っ込まないようにしようと思う。
余り小さいときでなくて申し訳ないけれど、多分4歳くらいの記憶。
幼稚園で英語教室みたいなのがあって、父兄が見に来る日に、
先生がアップルと叫ぶとリンゴの絵の所へ走っていくという遊戯?をさせられた。
それで、デッシュというのが全く分からなかったけど、皆がお皿の絵の方へ走っていくので一緒に行けばいいと思ってついていった。
それを見ておりこうね〜とか言っている大人に、分かってないのにほめてるよ・・・と内心呆れていた。
5歳のときに父の転勤の関係で別の幼稚園に行ったときは、教育系の幼稚園で、
毎日ワークブックをさせられて、遊具で遊ぶのは禁止だった。
そのせいなのかキレる子供がいっぱいいて楽しくなくて、半年くらい登園拒否してた。
卒園式の日にしばらくぶりに行ったら、担任の先生に「○○ちゃんのワークブック、やっておいたわよ〜」と渡された。
子供心に、やってもらったら意味無いじゃん・・・と思ってた。
子供が自発的に喜んでやるのならまだしも、大人の期待沿うための早期教育はさせないようにしようと思う。
親が、「○○、これ好きでしょ」と指差すキャラクターや有名人が変なのばかりで
全然好きではないので本当に嫌だった。
346 :
名無しの心子知らず:2009/10/15(木) 17:42:15 ID:uYym75tw
あ、それ私もあった。
幼稚園入園のときにノリピー柄で通園バッグを作られたのがすごぉぉぉく嫌だった。
習い事は、どうですかね〜
私は、子供の頃、絵を描くのが好きで
母が習ってみる?って聞いてくれたんだけど
気恥ずかしくて拒否
結果、専門学校卒のデザイン職に
高校進学の時も、芸術コースのある高校に進学しないのかと、担任が聞いてくれたけど
気恥ずかしくて拒否
デッサンとか基礎習って、芸術コースのある高校行ったら
終着地が、同じデザイン職でも、スキルとか自信が違ってただろうな〜って思う。
子供が、習い事嫌がっても続ける?
向いて無いな〜って感じた時は?
赤ちゃんの頃の話じゃないけど
大人になればなるほど、
習い事を途中で辞めたことを後悔してる人が多い現実を見ると
(特にピアノ系)、ある程度続けさせる方がいいとは思うけど。
>>347 小学校二年生くらいだから、すれ違いかもしれないけど、習ってたピアノの先生が嫌いだった。
親がいるときといない時で全然態度が違って、親がいるときはやさしいのにいないと叩かれたりとか。
でも、それをいうとピアノを辞めさせられる気がして言えなかった(ピアノ自体は好きだった)。
だから、今振り返ると同じピアノ教室でも、他の教室のことをさらっと振ってくれたらうれしかったなと思う。
「近所にこんな教室が出来たよ〜。見学行ってみる?」とか。
>>349 私も保育園の時からピアノ習ってて最初はヤマハの教室で楽しかったんだけど、
小学5年くらいに個人レッスンの所に替えられた。
そこの先生はできなかったら手を叩いたりして怖かったけど、親には言えなくて
嫌々通ったなあ。
あまり練習もしなくなり先生もやる気があるのか確認したかったようで
「あなたはピアノを本格的にやりたいの?それとも趣味で弾ければ良くて有名な
曲が弾ればいいの?」と聞かれた。
本当は趣味というか楽しめたらいいな、と思ってたけどそれを言うのが
言い辛い雰囲気で「本格的にやりたいです」と言ってしまったorz
親には「もうピアノやりたくない」と言ったけど本当は先生が嫌だっただけ。
結局中学にあがる前にやめてしまって今は譜面も読めなくなってしまった。
趣味で長く続けていれば良かったと後悔してるよ。
今思えば正直に親に言っておけば良かったな。
譜面って、読めなくなるものなの?
読書と同じで、一度読めるようになったら
読めない状態になるのは難しい気がするんだけど…
>>351 350じゃないけど私も読めなくなった
当時から苦手だったからかな
私も読めなくなった。
読めなくなるというか読み方を忘れる。丸に横線がドとかはまだわかるけど。
いい加減スレチ
私も譜面読めなくなったよ。思い出したから投下。
4歳前までピアノ習ってて、当時は凄く好きだった。
多分月謝が払えなくなったせいで急にやめさせられた。
もうピアノは行かないのよ、と言われたけど行きたくて、楽譜を持ってピアノ教室へ行こうとしたら
その楽譜をとりあげられて倒れるまで何回も往復ビンタされた。
初めて母に手をあげられた。それからピアノ類はこわい。
うわ めっちゃスレチだ。ほんとにごめんなさい。
思い出を語るスレだと思ったorz
スレチってレスみたはずなのに
お許し
4歳児の思い出。
幼稚園へ向かう道が二通りあり、一度でいいから違う道を通ってみたかった。
母に何度も頼んで、やっと約束をした。
念願の違う道にワクワクしていたのに、母はいつもの道を通って幼稚園へ。
裏切られた思いでいっぱいになった。
358 :
名無しの心子知らず:2009/10/18(日) 07:15:02 ID:fWdiRWxF
約束はちゃんと守ってあげないとね、、
バイオリンを習ってたけど今思えば先生と合わなかった
私は褒められれば木に登るタイプだったけど
練習してもしなくても何も言われないので家での練習はやらなくなった。
しばらくして引っ越しをすることになり「頑張れば今までの教室に通えるけどどうする?」と聞かれ
今まで練習やってないのに他の先生についたりしたら毎日怒られると思い
嫌々その先生のところに通い続けた。(やめさせてはもらえなかった)
親はその先生が好きだから通ってると思ってたけど違うんだよ……
ついでに、十五年以上嫌々続けたので音楽自体が嫌いになってしまった。
葉加瀬太郎の子も母親に無理にやらされて葉加瀬太郎から
「習わせてもいいけど音楽が嫌いになるようなことだけは避けて」と言われてたのに音楽が嫌いになったと聞いたことがある。
昔は地域の保育園が4歳から入園だったから私1歳の時だけど(2歳年上の友達もまだ保育園行ってなかったから)、
姉の保育園の送り迎えに行った記憶が1番古い記憶だったと思う。
その次は自分の入園式。和菓子嫌いだからお祝いの紅白まんじゅうが嫌で逃げまわってた。
保育園時代、私問題児だったよ。
毎日のように柵乗り越えて脱走して近所のニワトリ見に行ったり山で迷子になったり。
来年その保育園が老朽化で壊されるんだけどあの時の保育士さんはまだいるかなぁ…
>>360思い出を書くだけじゃなく、
>毎日のように柵乗り越えて脱走して近所のニワトリ見に行ったり山で迷子になったり。
なぜ、どんな気持ちでやってたのかが知りたい
362 :
名無しの心子知らず:2009/10/18(日) 10:49:36 ID:77sgpkyu
>>360 私も知りたいからもしその動機とか教えてほしい
うちの子がそんなタイプだorz
0歳時の記憶がある。
姉が溝側に落ちドロドロに…母が玄関先で頭からホースの水をかけていたのをお座りで眺めていた。
その時の気持ちは覚えていない。
あと2〜3歳くらいの時、部屋で1人でオルガンを弾いていたら隣の部屋から両親とその友達の会話が聞こえた。
『うちのアーティストが作曲してるわ』
と笑っていた。
聞こえないふりしてたけど孤高のアーティストって感じの気分になった。
デタラメだけど美しいメロディを意識して弾いてたなぁ。
高い音が美しいと思ってたよ。
360です
私の場合は、近所で同じくらいの子供っていったら男の子ばっかりで小さいころから一緒に山で木登りしたり昆虫採集したり、山が庭みたいな感じだったから保育園が狭かったんだと思います。
隠れんぼも保育園の敷地外なら広くて隠れる場所だらけだったし…
柵があると行動が制限されるしそこから出るなと言われると逆に出たくなりませんか?大人になっても。
違う理由で脱走する子もいると思うんで参考にならなかったらすみませんorz
自分が二歳のとき、肉が食べられなかった。
あるとき保育園の給食に豚汁が出たが、自分だけ食べられない。
給食の時間が終わっても食べ終わるまで席につかされて
ずーっとお椀の底の肉をつついていた。
そのことはどうとも思わないんだけど、
嫌だったのは先生たちが廊下からこちらを見て
「あの子食べられないのよ…」とひそひそ話してたこと。
いたたまれない気持ちで、恥ずかしかった。
あと、言いたいことは面と向かって言ってよ!と子ども心に思った。
多分3〜4歳くらいだとおもうけど、
スーパーで自分と同じ名前のおもちゃをみつけた。
「これ買って!」と母親に頼むも、
もちろん「あらあら、○ちゃん(私)と同じ名前だねー。
○ちゃんを買うのはおかしいよね」と笑われてはぐらかされた。
買ってもらえないこともだけど、
そうやって親に自分の名前で笑われるのがすごく嫌で
意地になって「買って買って!」と大泣きして引きずられて帰った。
心の中では「あー私なんでこんなに泣いてるんだよ…
よく絵本とかにある駄々こねシーンを、まさか自分が体現するとはね」と冷静だった。
子どもが泣いて駄々こねても買わないのは当たり前なんだけど、
はぐらかさず買わない理由をちゃんと説明してくれたら
あんなに大泣きしなかったと思う。
でも後日買ってくれた。
そのおもちゃで母親と一緒に遊んだけど、すごく楽しかったのも覚えてる。
年少か年中の時。
日曜日に家にいて、暇でつまらなかった。
あまりにつまらなくて、一日幼稚園が休みなだけで、これだけつまらないなんて、
幼稚園に入る前の私は、毎日何をしてたんだろう?と不思議に思った。
考えたけど、何一つ思い出せなくて、自分にビックリした記憶がある。
幼稚園に入る前くらいかな?
うちの母親はしかる時に、だいたい毎回どうして悪いことをしたのか説明してくれてた。
説明がない時でも自分が何かいたずらする→叱られたという流れは理解していたので
叱られても自分なりに納得していた。
ある日買い物をしてて、母が何か買い忘れて、父がそのことで怒って、
母は私を連れて買い忘れを買いに行った。
母はいらいらしていたんだと思うけど、私が「ねえねえ」って感じで腕を引っ張ったら
静電気がパチ!っと起こって、母が「うるさいわね!」って怒鳴った。
私が今まで認識していた「怒られること」はしていないのに、
普段だったら怒られないようなことで怒鳴られたのがものすごくショックで悲しかったな。
静電気のショックもあいまって、ほんとに拒絶されたような感じでガーンってなってた。
人間は誰しも機嫌が悪い時はあるけど、
機嫌が悪いからって子供を邪険にしないようにしよう。と思う。
何歳のときかはわからないけど、兄と並んでソファに座らせられていた。
私はまだアイスを食べてはいけないらしく兄だけ食べていた。
すごく欲しくて手を伸ばすのに駄目って言われる。
もらえないのに食べてる兄の隣に座らせられているのが嫌だった。
あと、ピクニックに行ったときにおしっこしてたら親に写真を撮られた。
いまでもカメラ向けられるのは大嫌いだ。
勝手にカメラ向けて写真を撮る人って図々しいという気持ちがある。
370 :
名無しの心子知らず:2009/10/20(火) 12:37:44 ID:ymMSkl5M
二歳下の妹が産まれる前(母のお腹にはいたのかも?)、
近所の喫茶店に、母と行ったのが一番古い思い出。
母は、大好きなチーズケーキを食べていた。
小さい頃は、妹ばっかり可愛がられてて時々不満だったけど、
「○○が産まれる前、私はお母さんと二人きりであそこの喫茶店に行ったんだもん」
と、自分を慰めてた。
あと夜、母が寝かし付けに胸をトントンしてくれたのも覚える。
「トントンうるさいなー。眠れないんだけど」って思ってた。
でも、母が好意でやってくれてるのは分かってたから、何も言わなかった。
母は母で、「もー早く寝ろよ」って思ってたのかもしれないけど。
>>370 うちの娘はとんとんやるとその私の手をサッと払いのける。
「んん〜〜」と不満声をもらされたりする。
「邪魔なのね・・・大人ね・・・ごめん」と思うw
三歳から四歳位まで、ベビーカー(バギーかな?でも当時はバギーってあったかな?)に乗ってた私。
親も止めたら?と言ってたのだが、私は楽だしやめられなかった。
が、ある日ベビーカーに乗ってたら、前方から幼稚園の先生が歩いて来て、声をかけられた!
急に恥ずかしくなって、慌ててベビーカーから降りたよ。
その後は二度と乗らなかったな…
一応恥ずかしいとは分かってたのかね?
幼少時の記憶がいっぱいあるけど
「子どもにはああいう思いをさせないように」
って頑張るお母さんも多いと思うんだけどさ
子どもの頃そういうことに遭いながら、それを克服してやさしくなったりいろんなこと考えたりして
ちゃんとした大人になって親になってるんだし、
だからどうしろっていいたいわけじゃないんだけど、
傷つけないで育てるのが全面的にいいことってわけじゃない、といっておいてみたい。
鍛えろよっていいたいわけでもないんだけど。
また別の部分で思いがけず傷付けてしまったりしてるだろうし
その辺は最終的にはバランスが取れるというか
まあ特に問題ないんじゃないかと思ってる。
375 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 01:52:10 ID:2/ahckrd
そだね、子供にやさしくしてあげよう、自分を戒めようってここ見たりしてる気持ちはせめて伝わってるはず。
4歳くらいのとき。
母が洗った食器を拭く、という手伝いがあり、
やりたくなくてこたつで寝たふりをよくしていた。
兄がよく働くタイプだったので、あいつにやらせときゃいいじゃん、みたいな。
いまも寝かしつけついでに寝てるふりして、旦那に結構いろいろやってもらってる。
いまこの時間に起きているのも実に私は寝つきが悪いからである。
377 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 10:10:00 ID:DcjvNmDr
4歳くらいの頃あれこれ
夜中にトイレに行きたくなったが、面倒だった。
「ま、4歳だし許して貰えるよね」とそのまま放尿。
翌朝「ごめんおねしょしちゃった・・・」と言う。母は「いいよいいよ。しょうがない」って。
ちなみに、放尿中は気持ち良かったけど
その後がべちゃべちゃで気持ち悪かったので、その後二度と同じ事はしなかった。
風邪をひいたとき、母が私が飲みやすいようにと錠剤をつぶしていた。
私は「錠剤くらい飲めるのに・・・てか、錠剤ってお腹の必要な所で溶けるからダメじゃん」
って思っていた。多分、テレビか何かで知識を得ていたんだと思う。
ある日突然
「もう自分はいい歳なのに、なんでパパ・ママって呼んでるんだ?」
といきなり思い立ち、お父さん・お母さんと呼び始めた。それを弟にも強要したw
ある日、母親に「お腹すいた」と言ったら大量のごはんが出てきた。
自分は小食だったので食べきれず残したらすごく怒られたので
「もう母親にお腹が空いたなんて絶対に言わない・・・」と思った。
もうひとつ。
私が頭が痛いと訴えたら
母がバファリンを出してきた。
(当時は小児用バファリンは無かったと思う)
で、両親が「これって子供に飲ませてもいいの??」みたいな会話をしていたが
結局飲むことになった。
「大丈夫かなあ・・・怖いな・・・」と思いながらバファリンを飲んだ。
このスレ役立つね。今までの自分の態度に反省しきりだよ…
私は幼稚園からの記憶しかないけど、ちゃんと周りを見ていた気がする。
年長の頃、幼稚園で飼っていたニワトリを先生と数人の友人で見ていた。
ニワトリが鳴いていたので、それを見た私が
「あーっ、今ニワトリさん○○って言ってたよ!」(○○の部分は不明)
と言ったら先生に「私ちゃんはニワトリの言葉がわかるんだね。すごいね!」と言った。
その先生はいつも本当に優しくて大好きな先生(今でも名前覚えているくらい)で、
何気なく褒めて言ってくれたと思うんだけど、「本当はわかるわけがないのに適当な事を言い、
嘘をついてしまった。どうしよう。」と焦った。
その後もニワトリが鳴いていて先生は「次は何て言ったのかな?」って言ってたけど
嘘がバレないように「…わからない」と言うのが精一杯だった。
この出来事で「嘘はいけないことだ」って心に深く刻まれました。
380 :
379:2009/10/21(水) 13:05:28 ID:C423VkQI
推敲途中で送ってしまったorz
6行目訂正
と言ったら先生に「私ちゃんはニワトリの言葉がわかるんだね。すごいね!」と言った。
↓
と言ったら先生は「私ちゃんはニワトリの言葉がわかるんだね。すごいね!」と言った。
書き込み慣れてないので、改行下手で読みにくくてスミマセン。
381 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 13:16:30 ID:rlUPF1KA
>>365全く同じ体験をしているので私が書いたかと思った。
同じく肉が当時あまり好きではなく、いつまでもくちの中に
残ってしまう。保育園の給食で肉が出たときは食べるまで
絶対にせきをたつなと先生に言われ、いつまでも座っていても
食べれないものは食べれないのに。って悲しかった。やはり私の
保育園の先生もヒソヒソと私を見て話していたのでものすごく嫌だったし。
しかもそれでもまだ食べれずにいると、先生が他の皆に大声で
○○ちゃんはまだお肉食べられてませーん!恥ずかしいねー!
と言い出す始末。きっと恥ずかしいのをバネにし、食べてもらう
のが目的だろうがあまりにも陰険な奴だ。とハラワタ煮えくり返ってたw
しかもカレーだ大好物なので、カレーの時はすぐに食べ終わってたんだけど
その事でもネチネチ言われてた。
年長になる手前で引っ越しをしたので、保育園が変わった
ので母にはじめてこの肉事件を伝えると、気付いてやれなくて
ごめんと泣かれた。もうこの当時は保育園からいかにして
脱出しようかとかしか考えていなかったなあ。お母さんが
早く迎えに来てくれる妄想を常に描いていた。
ちなみに今では肉は大好きだけど、やはり飲み込むタイミングが
掴めなくてくちに残る事があります。子供ながらに
これは母に言っていいのか?と考えてる部分て
あるから、保育園や幼稚園を楽しく過ごしていない様子
だったら、子供に何かあったのかやんわり聞いてみるのもいいかも。
長文失礼。
>>365>>381 同じく肉事件経験者ノシ当時4歳。
自分は幼稚園だったので、弁当と給食半々。
弁当のときは肉が苦手な私のためのメニューを母が作ってくれたので完食したが、
給食のときは無理で…でも先生は残すな!とスパルタで、毎回のように噛み切れないで
戻してしまい、先生からは汚ねーな、みたいな目で見られ舌打ちされたなー。
確かに毎回汚物処理は嫌だろうけど、子供ながらにショックだった記憶がある。
最後のほうは給食の蓋開けただけで嘔吐してた。
先生からは連絡は行っておらず、私も話したくなかったので母は知らなかったが、
生徒何人かが「私ちゃんが苛められてる」と保護者に言ってくれたおかげで転園できた。
来年入園の娘も肉苦手なんだが、自分の苦い経験のおかげで、イラつくことなく見守れている。
ああ、噛み切れないから、飲み込むタイミング難しいよね、とか
肉の臭みが若干残ってて、それが苦手なんだよな、とか、当時の自分見てるようだ。
383 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 14:04:32 ID:rlUPF1KA
>>382同志よw私の娘も今四歳で、ちょうど当時の私くらいになったので
幼稚園で何か嫌な事はないか、給食で嫌な想いはしていないか
見守っていますが娘は旦那に似たのか入園当日から幼稚園マンセーw
そして嫌いなものは嫌いなんじゃゴラという感じで食べなかったり
気分で食べてみたりみたい。私も、他の部分では怒りやすくても
食事に関しては生温かく見守れるので、自分の体験も少しは
役立っているようで嬉しい。それにしても親の前意外では子供に
つらく当たる先生、いなくなればいいのに。トラウマを産むね。
給食で思い出した。
年中から通い始めた幼稚園。
毎日給食(といってもお弁当箱に入った物)を配られたが
私は蓋も開けなかったらしい(母談)
一ヶ月目位からご飯だけ食べ始めたらしい。
それくらい他人の作った食事が嫌いだった。
で、
>>381さんみたいにみんなの前で言われて
クラスの子いじめられた。
「ごはんが食べられないだけでいじめないで」と先生にも
クラスの子に対してもおもってたなぁ
年長になってもお残しさんだった。
「なんで私は給食が食べられないだけでこんな酷い目に合うのだろう」
「そうだ芯じゃえばいいんだ!」
と思って2階の教室から窓を開けて飛び降りようとしたorz
その日から給食を強制されなくなったw
母も大変だったろう…
子供達にもこんな血が流れているとおもうとgkbrだが
自分の遺伝子だから仕方ないか…
私は逆に、食べるの大好きで丸々太った女児だった。
特に好きなメニューの時はおかわりもしてた。
それゆえに幼稚園の給食の時間に「○○はいつも全部食べるからブタになるんだ〜」って男の子達にからかわれて
食べるって恥ずかしいんだ!好き嫌いってないとダメなんだ!って感じてしまった。
それ以来、本当は好きなものでも「嫌い、もう食べられない」って残すようになった。
それでも家では食べるからデブだったんだけどねw
今思えば、先生のフォローはなかったのかな…。
386 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 16:29:13 ID:Eg5ehjiV
2歳頃の記憶。
母(専業)がヒステリックでとても怖く、毎日一緒にいるのがとても
苦痛だった。
何をしても怒られるので、父が帰ってくる時間だけがとても楽しみだった。
姉が幼稚園に行っている時間帯だったと思うが、私と父と母の3人で
海水浴に行った。
母は浜辺で日傘をさして座り、父は沖の方へとずっと泳いで行くのをみて
「このまま帰ってこなかったらどうしよう、お姉ちゃんと
私とお母さんと三人になったら、ますますお母さんに怒られる」
ととても不安だった。
4歳になったばかりの頃からはかなり記憶が鮮明でほぼすべて
しっかり覚えている。
ぜんそく餅だった姉をなんとかしようと、父が姉とふたりで
早朝ジョギングを始めて、うらやましくて一緒についていって
案の定転んだけど、駄々こねて無理やりついてきたので、転んで
泣いたら叱られると思い、泣くのを我慢して立ち上がった。
「わたしすごい。4歳になったら泣くのを我慢できるようになった。
4歳ってすごい」ってそりゃ興奮したのを覚えてる。
387 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 16:34:40 ID:kytaC+V1
スレチかな?
私も肉事件経験者です。
小さいころからお肉がたべられなかった。因みに今も
保育園のとき、いつもと同じで、皆がお昼寝してるなか、自分だけお肉突いてた。まあ、そこまではいつものこと。
その日はなぜか倉庫?みたいな所につれてかれて、お肉食べるまで出さない。
と言われ、4歳の私パニック。結局、泣きながら首に巻いていたタオルに肉を巻いて、家で捨てた。肉汁が首に染みてた。
小学校でも似たような事があったので、その時は歯を磨く振りして、コップに入れてトイレで捨てた(ゴメンナサイ)
388 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 16:43:34 ID:Eg5ehjiV
姉と年子で生まれたんだけど、二人続けて女だったので、
姉だけスカートはいてブラウス着て、髪の毛のばして三つ編み結ってて
すごく羨ましかった。
私は男の子のお下がりの服ばかりわざと着せられて、
髪型はモンチッチ、服は近所のけんじくんや、まことちゃんの
お下がりのロボコンのTシャツにラッパズボンばかりだつた。
姉はピンクの自転車なのに、私は近所のよしあき君のおさがりの
黒いギア付きの自転車だった。
本当はすごく嫌だったけど、男の子の服を着て、男の子っぽい
荒い動きをすれば喜んでくれるので、嫌われたくなくて
怖いのにジャングルジムのてっぺんまで登ったり、木登りして
みせたり、好きな靴下選んでいいよって言われても、
インベーダーのプリント付きの紺色の男の子用のハイソックスを
買ってもらってた。
本当は、かわいいレースのついたハイソックスが欲しかった。
親はなんちゃって男の子気分で楽しんでいたみたいだけど、
未だにスカートをはいたり、オシャレするのがどうも苦手だ。
自分が女らしい服装をすると親が嫌がるんじゃないかとか
30代半ばになっても、なんだか親の目が気になって仕方ない。
ボーイッシュな格好をした方が、親は喜んでくれるんじゃないかとか
思ってしまう。
せつないな
390 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 17:11:20 ID:TIoGuwvw
保育園の年長の頃、担任の先生が皆に見つからないように泣いてるのを見て子供ながらに
切なくなった。あと、先生達は子供は気付いてないと思ってるかもしれないが、
先生同士のいがみ合い?やいじめみたいなのはすぐ分かった。
391 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 17:11:21 ID:rlUPF1KA
親の趣味であなたは女だからこれ。あなたは男だからこれ。ってのは
ほどほどにしないとだね。自分は本当はこうしたいのにっていう気持ちを
子供が我慢するなんて親の責任だよ。せつない。
3歳違いの弟(乳児だった)の口が臭くて「XXの口が臭い」と言ったら母に怒られた。
今思うと乳臭かったんだよね。
時は流れ、自分の子の口が乳臭いのが大好きで、臭いをかぎながらハタとその時のことを思い出した。
あの時の弟に「ごめんね」と心の中で時折謝る。
確か3歳のとき。
12月に両親と私の3人でデパートのようなところへ買い物に行った。
すると、私と手を繋いでいた母がフロアの端の方で立ち止まり、
父親一人だけがフラフラと先に歩いて行ってしまった。
何だなんだ?と父を目で追ったら、
30mほど先にいたサンタクロースの格好をした人に
父が何かを注文しているような様子が見えた。
その時、
・サンタクロースは店の店員
・クリスマスプレゼントは親が用意しているものであって
“サンタさん”がくれていたわけではない
・大人たちはサンタの存在をでっちあげている
・だけど悪い意味じゃなく、子どものためにやってくれているんだ
と瞬間的に察してしまったw
店は混んでいたけど真っ直ぐ30m距離をとったくらいじゃ
全部丸見えだし、子どもの理解力をなめちゃいけないw
せめて小学校に上がるくらいまでは夢を壊さぬよう
この手のイベントは本当に慎重にやってあげたい
>>388 耳が痛い
次女二歳が、産み別けにリンカル飲んで男の子希望だったから
新生児服は、男の子物を用意してた
旦那似の男顔なんで、ついブルー系着せてる
一応ワンピだけど
本人はメゾピアノが好きみたい。
私も
>>388と似た感じ。
6歳くらいまで「私は実は男なんだ」と言い張っていた(痛いw)。
なんでだろうかと思ってたんだが、かなりあとになって母からあることを聞いて納得した。
父の実家は長男教。母は結婚三年経っても子ができず、やっと生まれた私は女児だったため義実家にかなりいびられたらしい。
「こんなに待たせといて女かよ!」と言われたとか。
父も私が生まれた日に「二人目は男じゃないとな」と母に言ったとか。
その後無事(?)弟が生まれたのが私が6歳の時。
記憶はないんだけど、周りのやりとりを察してたからあんなこと言ってたのかなと思う。
覚えてないのに記憶してるっていうか、うまくいえないけど無意識下にすりこまれちゃってたのかな。
何歳か忘れたけど、多分4歳前後の記憶。
ある日親戚一同の集まりがあって、豪華な食事やお菓子やいつもと違う雰囲気にハイテンション。
お開きの時間になってもテンションは下がらず、大好きな伯父伯母&いとこ姉妹の家に泊まる!と言いだす自分。
勿論、両親共に「ダメ」と言われたが粘る私。
伯母が私を諦めさせる為に「泊まっても良いけど、ユキ(凶暴な飼い猫)の寝床で寝かせるよ」と言った。
が、『子どもをそんな所に寝かせる訳がない・諦めさせる為の口車に乗せられますか』と内心思ってて「ユキのお布団でも全然いいよ〜」なんて余裕綽々で答えてた。
結局、伯母は根負けして、私はもちろん普通のお布団で寝泊まりした。
振り返ると、子どもながらに嫌な奴だな〜と思って恥ずかしいわ。
しかし、陳腐な小手先の子供騙しは通用しないんだという教訓になると実感した。
398 :
名無しの心子知らず:2009/10/21(水) 21:45:40 ID:iZfKD2WF
2才くらいの話。
私には3才上の姉がいて、遊び友達も姉と同い年ばかり。
その子達は兄姉がいる子ばかりで、いつも年下と言うことでバカにされてた。
絵を描けば「私ちゃんはまだまだ下手だね〜w」、かけっこすれば「おっそ〜いw」
ゴム跳びすれば「こんなのもできないんだ、赤ちゃんだねw」って。
今思えば、一人意地悪で強い子がいて、みんなその子に従ってたわけだけど、
子供心に『世の中は意地悪な人ばっかりだ』と思ってた。
で、負けたくなくて、絵も、走るのも、ゴム跳びも特訓して、必死になって
3才上にバカにされないように頑張ってた。
姉が幼稚園から帰ってくるとその子らのところにいくのだけど、そんなんだから
ちっとも楽しくなかった。毎日遊びに行くのが苦痛で、緊張する日々だった。
だから、幼稚園に入って同い年の友達ができたとき、「もうあんな頑張らなくていいんだ」
と安心して遊べるようになった。
今、近所は息子より大きい子ばかり。意地悪もされないけど、本気で相手に
されてないことも良くわかる。
から、面倒くさくても支援センターや児童館で、同じレベルで遊べる子と触れあわせてる。
楽しく遊べなきゃ、意味ない。
母は、そんな私を「年上に揉まれて、負けず嫌いのしっかり者になった」と思ってる。
確かに幼稚園で同い年の子に比べたら何でもできる方でしたが。
でも、出来なくても良いから楽しく遊びたかったよ。
>>388 うちは逆だ。
お揃いの服でも、妹ばっかりピンクの服を着せてもらって、私はいつも水色とか黄色。
手編みのセーターも、妹はピンクで私は緑。
サイズが違うんだから、色が同じでも不都合はなかったはずなのに。
あと紺色の服ばっかり着せられてて、自分には紺しか似合わないんだと思い込んでた。
だから、中学生のとき真っ赤なセーターを着たら、
母に「○○は赤が似合うね」って言われたときは心底ビックリした。
服の色だけじゃなく、玩具とかも自分で選ばせてもらった記憶がない。
親が選んであげるのも大事だけど、私はなるべく子供本人の意見を聞いてあげるようにしたい。
>>393 幼稚園の年中の時なんだけど、サンタの存在を信じてました。
というのは、うちには「サンタさんの手」が写っている写真があったから。
子供心に、うちにはサンタさんが来た証拠があるんだ!と思っていたよ。
今思えば、母親の手なんだけどね。
証拠に頼るなんて子供っぽくないと思うけれど、とにかく証拠があるから!と思ってたw
寝る時には手放せなかった黄色のタオルを「きいよ」と呼んで大事にしていたけど
幼稚園に入園する時に「もうようちえんだから!」と張り切って卒業した思い出がある。
ザッと30年ほど前の2年保育が主流の時代だったので多分4歳ぐらいの時。
そしていま、2歳半の娘がピンク色のカエル柄のタオルを
「ちっちゃいぴんくのかえりのたおり」と呼んでお休みのお供にしているので
コイツはいつどうやって卒業するのか興味津々で見守っております。w
何かにつかまってなければうまく歩けなかったころ、ソファーとテーブルの隙間をうろうろするのが
好きだった。
転びそうだが、倒れそうになったら、テーブルかソファーにさっとつかまるというのが、
スリルを感じて楽しくてたまらなかった。
そこをうろうろしながら、白黒だったし再放送だと思うが、鉄人28号のアニメを見ていて
ロボットってかっこいいと思っていた。
そのときの写真があり、写真で見ると1歳半位。
>>402 単なる思い出を語るスレではないので、
育児に役立つ情報をお願いします。
多分魔の2才児の頃の記憶。
道端でギャン泣きしてて、一緒に居た祖母と祖母の友人達に、「眠いんだね〜」と口々に言われてた。
でも私は、「別に眠くないし!何となく泣いてるだけだもん」て冷静に思ってた。
特に理由もなくギャン泣きすることもあるんですね。
>>402 うちの子が同じよなことを繰り返しする。
なんとなくスリルを楽しんでんじゃないか?と勘ぐってたが、ビンゴかもしれないな〜と思った。
汚い話。
2〜3歳ころ●をわざと漏らしていた。
出せるのに出さない、●を操縦するの面白い!と楽しむうちに漏らしてしまう。
もちろん、漏らしたら母が怒りつつも必ずキレイにしてくれるとわかってやっていた。
年中組の頃に、自転車の後ろに乗っていたら、後輪に足が巻き込まれてしまった。
今も右足のアキレス腱に500円玉大の傷跡がある。
おかあさーん!!おかあさーん!!と大泣きした記憶がある。
幼稚園を休んで、久しぶりに行く日に「幼稚園マンドクセ、家でNHK見てる方が楽チン」
と思っていた自分はスクスクと怠け者に育った。
離乳食の頃だから1歳前だと思うけど
おかゆを無理やり口に入れられて吐いてしまった。
どろどろした舌触り、うす甘い味が気持ち悪かった。
いまだにこのときの味を覚えていておかゆを食べられない。
母によると結局おかゆを食べないまま離乳食をすすめて
原型をとどめた米になってからは普通に食べられるようになったらしい。
兄が言ってたのだが「本当に眠いんだけど眠たいんだよねと言われながら寝かされるのがムカムカした」と言っていた。
子供でも本当の事言われると腹がたつのだろうか???
小さい頃の自分はとにかく「恥ずかしい」気持ちが人一倍強くて、幼稚園のとき、みんなの前で転んで絶望的な恥ずかしさを感じたり、小1の授業参観で全員が手を挙げるような簡単な問題を出してくれてるのに、自分は一人だけ頑なに手を挙げなかった。
恥ずかしくて挙げられなかった。
帰ってきて母に、自分だけ手をあげなかったことを怒られ、ひどく落ち込んだ。気持ちも聞かずに怒らないでほしかったな
>>403 私は小さい子供の心の中をちょっと覗けたようで、充分参考になったよ。
どうしてそんな意地悪を言うの?
幼稚園の頃、お遊戯が猛烈に恥ずかしくて嫌だった。「でもこれは私の仕事だから仕方ないな」、と割りきって嫌々ながら頑張ってやっていた。
2歳の時、朝起きて両親が裸で一緒に寝ているのを見てすごくショックを受けた。
仲間はずれみたいな、疎外感。
あと、そういう日の前の晩は父親が無理矢理早く私を寝かし就けるのを分かっていたので困らせてやろうとわざとギャン泣きして喘息の発作出して気を引いていた。
今思うとなんちゅー親じゃ。
>>407に近い経験が!
私の場合、年少さんの頃に補助輪付き自転車で近所をフラフラしていたら
近所のお兄ちゃんに『急いでるんだ!貸して!』と緊迫した空気で迫られ、
かと言って、このまま私をココに放置されたら困ると思って
『後ろに乗せてくれたらイイヨ』と言い、二人乗りに。
年上のお兄ちゃんが運転?する自転車はすごく早くて楽しくて
後ろでおにいちゃんにしがみ付きながらも、つま先がカツカツカツ後輪に
当たるのが面白くて楽しんでいた。
直後、何かの拍子に思いっきり足が後輪に巻き込まれ、右足の親指の爪が
はがれるという大惨事に…。
この直後、近所のお姉ちゃん(多分年長さん)が補助輪取れたと知り
『あの子にできるなら私だってできる!』と言い始め、一日で補助輪が取れた。
その気質は今でも変わらず、負けん気の強い気の強い女子になりました。
歩き始めの頃、母と手をつないで団地の階段を登っている時に
私が階段を踏み外してアゴをパックリ切った時には
母『この位大丈夫よ』
私『ギャアアアアア(こんなに血が出てるのに!?ギャン泣きしてやる!)』
と、思いギャンギャン泣き続けた。
母は病院に連れて行ってくれて、医者に見せたところ
医者『この位大丈夫だよ、でも泣くと傷口が広がって治らないから一応1針縫う?』
という事で、ギャン泣きが止まらない私はアゴ1針縫われまた。
未だに縫った後はバッチリ残ってるし、何故か最近その傷口から1本だけ毛が生える(ひげ?)
母の言う事を聞いて、泣き病んでいればキズも残っていなかっただろうし、
ヒゲも生えてこなかったハズなのにw
でも、母ももっと確り手を握っていてくれれば良かったのに、と思う。
そんな自分も来年、子を産むのでこのスレみて今から勉強中。
まだ育児始まってないから書き込んだらマズかったかな?
長文失礼しました。
>>413 髭に噴いたw
でも顔に残った傷って気になるよね
子どもの時ブランコで怪我した鼻の下の傷が私も薄く残ってる
縦一本の傷だからあんまり目立たないけど横だったらもう…
もう一つ怪我した話
3歳くらいの頃、母と一緒にスーパーに行った
私は母から離れて店内を探険していて、包丁売り場についた
何となく包丁をいじっていたら包丁がケースから出てしまって手を切ってしまった
不思議と痛みは感じなかったけど着ていたワンピは血まみれ
私を見つけた母が絶叫していたなぁ
その傷は残ってないけど指を切り落とさなくて良かった…
子どもは危機感が薄いから目を離すとどこで何やってるかわかんないね
415 :
413:2009/10/23(金) 15:44:47 ID:5pcJqI4b
包丁!!((;゚Д゚))
旦那の妹は、カミソリで子供の頃顔面ズタズタにしたらしい…
義母が顔反りをお風呂でしていたのをマネしたみたい。
ガード付カミソリじゃなかったみたいで、向きとか分からなくって
そのまま垂直に切ったのだとか…
刃物はいくら興味があっても、絶対に気をつけなきゃいけない。と思いました。
少しスレチ?になるけど実母に聞くと私の小さい頃
『オモチャの包丁やハサミで、コレは危なくない物だ、
と思われたくないから大人用の本物使わせた』らしい。
確かに、大きな包丁を使ってニンジンを切ってる記憶がある。
母は沿い手?もせず、横で見守ってたけど、あれは何度か練習した後の
記憶が残っているのかなぁ多分。
>>414 ヒー!!それは怖い!
そっか、家で気をつけていても、スーパーやホムセンに包丁置いてるもんなあ。
気をつけよう。
3歳まで住んでいた家出の記憶なので、
たぶん2〜3歳ぐらいのとき。
お父さんにだっこされながら、屁をこいた。
『抱っこしてくれてるお父さんの腕に屁かけちゃったよ!
おとうさん、ゴメンね』
と思ったが屁をこいたことは気まずく黙ってた。
このころから放屁=恥ずかしいって感覚ってあるのね。
ハンニバルを思い出した。
3歳か4歳の頃。
母親に「危ないから駐車場であそんではいけない」と言われてた。
でも自分は『ちゅうしゃじょう=注射場/皆が注射を受ける広場のようなもの』
と勘違い?誤変換?していた。で、よく駐車場で遊んでた。
大人にとっては当たり前の言葉も、子供が理解しているとは限らないので、
自分の子には、気をつけようと思う。
一卵性の双子を育ててるんですが、双子の方で赤ちゃん時代を覚えてる方居ませんか?
妹が生まれるときだから、2歳くらい。
切迫早産で入院してた母の病院におみまいに行ってた。
でも、いつもは家にいる母がベッドにいて、
「いい子にしてた?」
「さみしい?我慢してね」
とまるでドラマの中のようなしらじらしい(と感じた)台詞をいうのがつまらなかった。
病院の廊下に胎児のホルマリン漬けが月齢別に並べて飾ってあって、大人は気持ち悪がっていたけど
とっても神聖で可愛いものをみる気持ちでいっぱいだった。
でも、じっと見てると、「怖いからあっち行こうね〜」と連れて行かれていたので、廊下で必死に遊んでいるふりをしながら
そのホルマリン漬けを見ていた。
大人の目線と子供の目線では感じ方が違うんだろうなと思う。
>>422 聞かせて聞かせて
双子だから育児の効率化をせざるをえないんで、どう思っているのか気になる
>>422 うちも双子だから是非聞きたい。
特に、相手のことをどう思っていたのか。
親がもう片方をほめたりしかったりするのをどういう目線で見ていたのか。
が知りたいです。
425 :
名無しの心子知らず:2009/10/26(月) 09:50:36 ID:CxNfNjWP
良スレage
こんなスレあったんだ〜!
一升餅背負わされてたから1歳ぐらいの記憶なのかなぁ。
ただ、背中が重い、重いすぎる!って思ってたのに、
大人は助けもせず、ケラケラ笑っているばかり。なんでこんなことしなきゃいけないんだよ?って思った記憶あり。
その写真見ると、すごい険しい表情で写っているw
427 :
名無しの心子知らず:2009/10/26(月) 12:27:28 ID:gXDjCtt5
自分はほとんど記憶に無い。
年中位からの苦い思い出だけポツポツと残ってる。
乳児時代からの記憶がある人って、特別に記憶力の良い方なんでしょうか?
>>427 私は6ヶ月の記憶が一番古いけど、かなり記憶力がいいほうです。
今は歳をとってそうでもないけど、学生時代は教科書などを二回も読めば丸暗記できてました。
マヤ・・・恐ろしい子・・・!
多分2歳くらいの記憶。
庭で遊んでいたら、父親が向こうの壁まで走って戻っておいで〜というので、一つ上の兄と一緒によーいドンでかけ出した。
私が半分も行かないうちに兄が壁にタッチして戻ってきたので、父親が「そこから戻っておいで〜」と声をかけた。
だけど、向こうまで行って戻ってくるように最初に言われたのだから、それをきちっと守らなきゃ!と思って、ちゃんと壁にタッチして戻ってきた。
なんというか、大人が言った事をコロコロ変更するのが好きじゃなかったみたい。
前に言ったことと矛盾することを言われると、大人って理不尽だ・・・とか思ってた。
(本を読めといっぱい買ってきたのに、本に夢中になると本ばっかり読むな、と言われるような)
>>430 おお!
きっと赤ちゃんでもそんなふうに感じるはずだと、私は子に約束したことは
やってあげてる。
「あとでボーロ食べよう。だからおうちに帰ろう。」
って釣って、なんとか公園から帰宅させるのに成功。
だけど口にしたおやつは絶対あげる、とか。
よかった。
ここ見てるといろいろ思い出す。
幼稚園年少の時、3段フリルのスカートを履いていったら、いつも仲良くしてたはずの子達にハブられた。「私ちゃん、あんな可愛いの着て云々」コソコソ話してるのが聞こえた。
そんなことでシカトかよと思ったが、ハブられるのも嫌で、そのスカートは二度と幼稚園には履いていかなかった。
母は不思議がっていたが、ハブられたなんて言ったら、母が悲しむと思って理由は言えなかった。
幼稚園児でも色々悩んでるもんだよな〜。
大人になった今では、食う寝る遊ぶが仕事なんて裏山の極みだが。
>>432 私も似たような記憶が…
年長の頃まで、母の趣味で髪をすごく伸ばしてた。
毎日いろんな髪かざりで結ってくれてたけど、
ある日幼稚園の友達グループのみんなから、「私ちゃんはかざりすぎ、髪が長くて気持ち悪い」
と何回も言われた。
母にそのことは言わずただ髪を切りたいとだけ伝えた。
すごく反対されたけど、押し切って美容院に連れて行ってもらった。
美容師さんは何十回も「本当に切っていいの?」
と確認してくれたけど、決意は変わらなかった。
434 :
名無しの心子知らず:2009/10/27(火) 17:18:48 ID:LabVEhyh
へー。みんな妬まれるほど可愛かったんだね。
私は背が高かったので、大人達に「大きいね」って言われるのが大嫌いだった。
男の子より大きいのが恥ずかしかった。
だから劇をやるときでも目立たないように「村の子その3」とかばかり選んでた。
自分の子はガリガリチビなんだけど、あんまり言わないようにしてる。
435 :
sage:2009/10/28(水) 00:39:40 ID:rbjYjHg9
3歳のとき妹が生まれた前後ぐらいからだからぽつぽつと記憶がある。
縁側でスイカを食べながら父が
「お前の妹がお腹にいるんだぞ」
って母のおなかをなでながら言った。
へぇ〜としか言わなかったけどわくわくしてた。
予定日が近づいてくると母がヒステリックになっていった。
それまでおもらししても怒られなかったのに
ビンタされた時はこの世が終わったような絶望感だった。
陣痛で苦しそうな母がすこしでも楽になればと
そうだ!楽しい話をしよう!
と一生懸命喋ってるとうるさい!!と一括された。
優しかった母がこんなにも鬼(に見えた)になるなんて…
と私はもうこの人に頼ってはいけないんだと思った。
まあ、今思えば母の気持ちも分かるけど
436 :
sage:2009/10/28(水) 01:40:32 ID:rbjYjHg9
(続きです)母のことはそれ以来ずっとまあこの人はこんなもんよねと冷めた目で見てた…
大きくなっても頼ってはいけないと相談事とかできなかった。
愛情表現は大袈裟なぐらいでちょうどいいと思う。
自分が妊娠・出産の時上の子にはこれでもかと抱きしめて大好きを連発した。
まだオムツのはずれていない、1歳後半の記憶。
遊んでいる最中に●がしたくなったものの、母に●したいからトイレに…と説明するのが面倒で(当時確かトイレトレ中。まだ赤ちゃんみたいなもんだし言いたいことがうまく伝わらず)、
そのままその時に履いていたオムツだかパンツの中に●した。
その後おやつよ〜と呼ばれ席につくと、お尻で●がベチャッと潰れ最高に気持ち悪く…
結局「ママ…うんち出たの」と言って替えてもらった。
気持ち悪い感覚とか、五感的に印象的だと記憶に残りやすいね。
最初の記憶は3才くらいの頃庭で妹が手押し車のオモチャで遊んでるの見てた。
いつもお姉ちゃんなんだからって我慢させられたのが嫌だったからお手伝いも大嫌いになった。
妹はお小遣いにつられて手伝ってたので親に好かれ、将来妹は近くに嫁げ、私は遠くに嫁に行けと言われた。
実際は妹のほうが遠く(海外)に嫁に行ったんだけどねw
だから娘にはお姉ちゃんなんだから、って絶対言わない。
お姉ちゃんだから甘えられなかった記憶があるから娘はいっぱい抱きしめてる。
4歳ごろ、親戚たちと団子つくってたときのこと。
自分より小さかったいとこは団子をうまく作れずイタズラしだした
それを見て自分が「だめだこりゃ」ってただ素直に言ったら、大人爆笑(にきこえた)
今思うとかわいいなぁ、的な感じで笑ったんだと分かるけど、
その時は(何で笑うの?馬鹿にされてるの?はずかしい)と泣きたい気持ちになった
小さい子が失敗したり転んだりって微笑ましくて笑っちゃうけど、子供なりに羞恥心てあるよね
0歳
おっぱいが好き、ミルクは嫌い、おんぶ好き
お母さんが大好きだからずっと一緒にいたかった
自分の手が面白くてよく観察してた
何かしたいけど体が思うように動かないので暇だった
寝かしつけられた後お母さんが居なくなるのが嫌で泣いた
離乳食は味気なくてまずかった
1歳
親の言うことは難しい言葉以外、雰囲気などで理解していた
教育テレビ大好き
テレビの仕組みを知りたいがわからない
足が思うように動かなくてイライラ
言葉がうまく伝わらなくてイライラ
他にも色々おぼえているが
自分の体験から、赤ちゃんは大人が思う以上に色々考えていると思う。
カヨコ婆が赤ちゃん言葉使うなって言ってたけどそれは同意。
わんわん→犬
とかいちいち覚え直さないといけないのが面倒だったから。
441 :
名無しの心子知らず:2009/10/28(水) 10:48:37 ID:jVwoC6av
440すごい…
今でも利発な方なんだろうな。
私の一番古い記憶は1才半。
祖母と神社に行った時に
砂利によろけて祖母の手提げにつかまったら取っ手が外れて顔面から転んだ。
他には、引っ越しの多い家だったんだけど
2才で花模様の襖と縁側のある家で隣の同い年の子供が大きなビニールプールを持っていた。
向かいの家の犬にすごく懐かれていたが、怖くて苦手だった。
3才は階段が13段の家で近所にいつも野球をしているお兄さんがいたこと
初めての遠足で水筒を壊したことやお祭りで迷子になったのを覚えてる。
4才は転園ですごく泣いた。お友達がお別れに書いてくれた絵をいまでも覚えてる。
他にも部屋の様子や間取り、家に訪ねてきた人なんかをおぼえてるけど
年齢が上がるごとに情景だけじゃなく感情を伴う思い出になってるよ。
反対に旦那は6才以前は全く覚えてなくて、今でも些細な出来事や会話はすぐ忘れる。
言えば思い出すこともあるけど、時間かかるし。
それぞれとは思うけど全然覚えてないからびっくりしたw
>>441 残念ながら学生の時ヲタ属性で
趣味に時間を費やし、あまり勉強をあまりしなかったので
利発とは程遠いかも…。
子供の頃からの夢だった職業に就けてるのがせめてもの救いか。
色々な記憶がありすぎるのも良くないな、と思う。
自分も周りの子も日々成長するけど、昔の記憶をおぼえていると、なんだか取り残された感覚になった。
そして、周りとは感受性が違っていたので、馴染みづらかった記憶がある。
でも、自分が本当に母に愛されていたんだと確認できる点については良かったと思う。
母のおっぱいの感触、背中があったかいこと、微笑んでくれたこと
絶対に忘れたくない。
444 :
名無しの心子知らず:2009/10/28(水) 14:32:00 ID:sVbYs7NM
幼稚園に上がる前、伸ばしてた長い髪を切れと親に言われておばあちゃんが美容室へ連れて行ってくれた。
だけど私は切りたくなくて切りたくなくて、だけどどうしてもそれを言えなくてボロボロ泣いた。
そしたらおばあちゃんと美容師さんは暑いから泣いている、とワケのわからない事を言っていて、子供ながらに理解されないことが悔しかった。
思えば、親の意向に添わない事や親に迷惑がかかる事を極端に恐れてた子だった。
自分の子には親の様子を伺って欲しくないし、本人の気持ちを少しでも聞いてあげたいな。
私は保育園に一年、その後幼稚園に一年通ったんだけど
幼稚園の記憶がほとんどない。
保育園は初めて外界に放り込まれた感じだったので
割と鮮明に覚えている。
引っ込み思案で小心者の私には
幼稚園は楽しいところではなかった。
「ねえねえ先生」と話しかけることもできず、ツンツンと服を引っ張ってた。
しかし先日、母親から「発表会の時に、皆はお遊戯してるのに
あんただけ椅子に座って鼻ほじってた」と言われ、
記憶の中の自分と実際の行動の差に驚愕した。
私は年中のとき、家を建て替えてる途中でまだビニールが敷きつめてある時に、
母の靴を履いて2階に行こうとして階段の上から2段目から落っこちた。
階段下は硝子張りの台所のドアで、幸い割れもせず無事だったんだけど
父がすっ飛んできて抱っこしてくれたのを覚えてる。
照れ屋で保育園には行きたくなくてずっと家にいたかった。
記憶力が良かったからひとりで前に出てあめふりくまのこを歌わせられたり、
やりたくもない劇の主役をさせられたりで苦痛でしかなかった。
母方の祖父母の家に勝手に電話して、よくひとりで泊まりに行ってた。
電話をするって行為と泊まりに行くって行くって言う気持ち?が好きだったけど
実際泊まりに行くとおもちゃもないし暇で暇でしょうがなかった。
それでも少しすると電話して泊まりに行ってたけどw
叔母が大好きでよく膝の上に抱っこしてもらってたけど、
叔母が妊娠したため母に「お腹に赤ちゃんがいるから駄目よ」って言われて悲しかった。
年中の時風邪をひいた。
病院帰りのタクシーで、気分が悪くなり吐いてしまった。
隣にいた母は慌てて私を「吐きそうならいいなさい!」と叱り飛ばし
運転手に謝りながらお金を多めに渡していた。
家について気持ち悪いのと申し訳ないのと悲しいので
横になって静かに泣きながら、着替える母を見ていた。
「こっち見ないでよ!」とブラに手をかけていた母は怒鳴った。
いやあ、弱ってるとこだったから心がくだけたね。
粗相には教育とフォローちょうだいね
迷惑でも感情まかせに怒らないでね
しっかり覚えちゃうからさ
このスレ見ているとなんか悪い意味じゃないけど胸が痛くなる。
赤ちゃんや幼児はやっぱりこちらが思うよりずっと色んなことを考えてるし、理解してるんだよね。
もし育児中イライラすることがあっても、絶対忘れないようにしなきゃな。
自分はひとまず、排泄関連の生理的現象の粗相は絶対に怒らない叱らないを心がけてる。
わざとじゃないし、たぶん本人がいちばん恥ずかしくてつらいだろうから、絶対に頭ごなしに叱ったり、からかって笑ったりとかはしないし、他の家族にもどうかしないでくれと頼んである。
オムツ外しはまだの我が娘が、たまにへんな場所でおしっこしちゃったりした際に、すごく「しまった!」って顔するから。
私が怒鳴ったりしないとわかるとホッとしてるみたいに見える。
とんでもない所に吐いたりとかした時も、内心アチャーと困っても、絶対に叱らないで本人の具合をまず心配して、片付けをするように、本当にそれだけは肝に命じてる。
このスレは本当に参考になる。
449 :
名無しの心子知らず:2009/10/29(木) 13:49:41 ID:rjSrzvdh
2歳ごろ、おまるで用を足しているのを母がニコニコして見てた
「恥ずかしいから見ないでよ」と思っていた
おまるの中身を親がトイレに流しにいくのも、屈辱的だった
早く排泄を自分でコントロールしたいものだといつも思っていた
でもボットン便所だから、一人で使わせてもらえるのはずっと先だった
しかし超内気だったので、保育園では「おしっこしたい」と先生にいえず
しょっちゅう漏らしてた、年長になるまで
あと、大人が子供を後ろから膝の裏かかえる(うまく説明できん)
あの「しっこしーしー」の格好
インリンのM字開脚みたいなやつ
あれ嫌だった
「子供だからって、この私にこんな格好させて、私を誰だと思っているの」
気高い子供だった
今は恥を忘れたおばさんですが
抱えられてシーシーでおしっこ、私もされた〜
一歳半でおむつとれたらしいからその頃トイレトレだったのかな
当時トイレは家のかなり奥で、さらにボットンだったからか
おしっこをさせられるのはトイレではなく家と道路の間に流れる幅1メートルくらいの川。
それに向かって股を出されるのが怖いし恥ずかしいしで嫌だった
とはいえあんまり気にしない性格のため素直におしっこを出した。
今考えると川でなくてもよかったのではないか…庭のその辺の草むらでも良かったはず。
なんで道路に向かってM開脚なんだよかぁちゃん
みんな何才だったかよく覚えてるね。
私は3才って書いたけど、よく考えたらおっぱい飲んでたのや布オムツをたったままつけてる所とか何才の記憶なんだろう?
幼稚園って一年保育じゃほんと足りないと思う。
いきなり知らない世界に放り込まれて、男子はちょっかい出してくるし、なんか周りに馴染めないうちに一年生。
母親が私に何も教えてなくて掃除の仕方がわからず「さぼってる」って言われた。
保育園の頃だからたぶん3〜4歳。
意地悪な年上の子(女)に部屋から締め出された。
掃除係があって友達と雑巾拭きで
追いかけっこしてたらぶつかって歯が抜けた。
手に何か刺さり先生に抜いてもらった。
その時々の先生の対応がマンドクセだったのをよく覚えている。
子供ながらに悪いなぁと思いつつ少しイラっとした。
保育園の頃。受け持ちの保母さんが好きだった。
その保育園では誕生日の日にお誕生日カードを作ってくれるんだけど、
それが保母さんの膝の上で写真を撮って、それをカードに挟んでコメント書いてもらうんヤツだったんだよな。
で、俺の誕生日の日、その大好きだった保母さんの膝の上にチョコンと座らせて貰ったまでは良かったが、
めっちゃ嬉しいやら恥ずかしいやらで照れまくってどうしたらいいのか分からなくなり遂にビエ〜ンと泣き出してしまった。
保母さんが俺に謝ってきたり色々なだめすかしてくれたりしたんだけど、それがまた子供ながらに申し訳なくて号泣w
子供が大泣きする時って何も嫌だから泣いてる訳じゃないんだなぁ。
ちなみにその写真には照れて俯いてる俺が写ってる。
かわいい(*´д`*)
私もうれし泣きは結構あったかも。
この頃ってうれしいことも悲しいこともダイレクトに心に響く気がする。
だからなんか泣いちゃうんだよね。
遅くなりましたがベビーゲートについてレスくれた皆さんありがとうございます。
やはり仕切られると寂しい気持ちになるんですね。
絶対に必要!ってほどじゃないので使わずにいきたいと思いました。
ありがとうございました。
>>420 書き込みできなくなってました。遅くなってごめんなさい。
双子の妹は、姉でも妹でもなく、遊び相手みたいな感じに思ってました。
ただ、片方は体が少し弱かったので、母親はどちらかというと、片方の世話をすることが多く、
抱っこされる時は私はいつも父親。かなり不満でした。
相手が誉められてる記憶があまりないのですが、自分が誉められた記憶もあまりないです。
保育園に入るまでは、自分が相手より優れているとか劣っているとか、
考えたことはありませんでした。
怒られている時は、最初はざまあみろ、と思っていても、だんだん自分のことのように悲しくなってきて、
最後は一緒になってわんわん泣いてました。
なんか、双子ならでは、という記憶があまりないですね。すみません…
あ、でもお揃いの服はすごくイヤでした。
>>456 ありがとう。
とても参考になった。
実は、混合育児なんだけど今次女だけ哺乳瓶拒否で、ついそっちばかり時間とられてしまって。
長女は父親に抱っこされることが多くてね。
反省しました。
ほんとありがとう。
また思い出したら話を聞かせて下さい。
うちは双子じゃないけど2つ下の妹はいつも母親で私は父親だったよ。
双子に限らすみんなそんなもんじゃない?
妹ばかりかまうから洗濯物わざて落としたりイタズラして困らせて気をひいてたの覚えてるから自分に二人目が生まれた時は出来るだけ上の子抱っこして下の子は泣かせっぱなしが多かったな。
もちろん下の子も十分かわいがってるので私がしてたようなイタズラはありません。
赤ちゃん返りの上の子供と、ほんとに赤ちゃんな二人じゃ違うと思うよ
双子で覚えてる方が居ましたら楽しみにしてます。
そんな私は四歳からの記憶しかないけど
母がヒステリックな人で、勝手に散々切れたあと
ごめんね、と100円くれた時、やるせなさを感じた。
オレはなんでか幼児期の記憶が沢山あって、
断片的な映像とかだけじゃなくて、なにげない日常のその日の一日のこととか、
自分の感情、考えてた事なんかもはっきり覚えているんです。
ただ日付や何歳の頃の事かはわからないものが多いのですが、
日付がわかるおそらく最も古い記憶は、はじめて保育園へ連れて行かれた日。1歳5ヶ月の記憶です。
オレは長い間泣いていましたが、どういう所へ連れてこられたかは理解していました。
個人差はあるかと思いますが、幼児は大人が思っている以上にいろいろ理解していますね。
今、自分にも1歳7ヶ月の男の子がいるのですが、自分の記憶のおかげか彼の考えている事がよくわかります。
妻がイライラしている時なんかは、息子と目を合わせてニヤリとしてから、二人で妻のご機嫌をとったりなんかします。
>>460 ニヤリ 想像して笑いましたw
一番鮮明に覚えているのは三歳の頃
母に殴られ吹っ飛んでテーブルの足に顔面強打して前歯をぶつけて
口のなかが血だらけになった事。口が達者だった私は「歯医者さんになんて言えばいい?」と子供心に本当の事を言うと
母がまずい事になりそう、と思い聞くと
「転んでぶつけた、って言いなさい!!自分が悪いんだからね!!」と 鬼のような形相の母。
今思い出しても泣いてしまいそうになるくらいトラウマになりましたw
でも同じくらい鮮明な記憶でたまに母が優しくて外で買い物する時に手をつないでくれて
キュッキュッキュッ
としてくれて、私もキュッキュッキュッと返すのが本当に嬉しくて嬉しくて寝る前も思い出して一人ニヤニヤしてました
小さい事だけど、スキンシップは大事だと思い自分の子供にはしつこいくらいスキンシップしていますw
私もある程度乳幼児期の記憶あるから「あるある〜」ネタ宝庫だよ、ここ。
「どうせ子供だからわかんないでしょpgr」な態度丸出しな親戚が心底大嫌いだった事思い出したりした。
大人が嫌だと思うことは子供でも嫌だよ。
大人の言い訳とかごまかしを子供は理解してるよ。
>>462 すごく共感できる。
嘘をつくなら、もっとうまくついてくれ、と思ってし、
変なごまかし方をされるよりも、
正直に「今は言えないんだ、ごめんね」とか
「あなたには言えないことなんだ」と言ってくれる方がよかった。
うちは親がある時点でそれに気付いて、
お菓子やオモチャや捏造話でごまかすのではなく、
できる限り言葉で説明してくれるようになったので
それまでのイライラが消えたのを覚えてる。
まだ今の実家に引っ越す前の賃貸マンションの頃なので、
3歳くらいだったかな。
だから、自分の子供たちにも赤ちゃん時代からできるだけ
きちんと説明するようにしてる。
決してガキでもチビでもなく、一人の人間だものね。
自分もそう扱われてホッとしたから、子供たちもそうしたい。
七五三の時の記憶。
私は3歳で綺麗な着物を着て、祖母が檀家総代を勤めるお寺で七五三をした。
最後に集合写真を撮る時に私は祖母の権力のおかげで
住職さんの隣に座らせてもらうことに。
そんな特等席に座りながら、私は必死で鼻くそをほじっていた。
カメラマンが「お嬢ちゃん、お鼻から指を抜こうね〜」って言うのも無視、
夢中で鼻の穴をほじほじ。
痺れを切らしたカメラマンが寄ってきて、無理に指を抜いたが
カメラマンが所定の位置に戻ると、また鼻をほじほじ…
ふと祖母と母を見ると、指を抜けというジェスチャーをしてるが、
それも無視して夢中でほじってた。
他のお母さん達に大笑いされたが、何で笑われてるかわからなかったな…
結局、最後まで鼻ほじほじを止めなかったから
七五三の集合写真は私だけ鼻をほじっている。
集合写真に写ってるのは全部で50人ほど。
鼻ほじり写真が50人にばらまかれてるのが恥ずかしいし、
厳かなムードをぶち壊してしまって申し訳ない気持ちでいっぱい…。
465 :
464:2009/11/06(金) 10:32:46 ID:/0zCtjbg
続きです。
私は子供の時からプライドが高く、
1歳の時に銀行のロビーでこけて頭を強打しても泣かなかった。
死ぬほど痛かったけど、人前で泣くのが恥ずかしかったから。
欲しいものがあっても、プライドが邪魔して
欲しいって言えない事もあったのに、
人前で鼻をほじるという行為は恥ずかしいと思わなかったんだよな…
私だけかもしれないけど、大人と子供は恥ずかしいって思うところが違うと思う。
七五三の後に母から、人前で鼻をほじるのは恥ずかしいことってしつこく言われたけど
結構大きくなるまで、何が恥ずかしいのかわからなかったわ。
それだ
大人のこれは絶対ダメ(恥ずかしい事や汚いの感覚)ってのと
乳児幼児の絶対ダメってのにズレあるよね
そういうの詳しく教えて欲しい
自分の記憶ではないけど、大人がやるかやらないかだと思ってた
コケて泣く→大人はほぼ絶対やらない
鼻ほじる→大人は家でやったりとかする(けど外でやる人は滅多にいないが、その違いがわからない)
みたいな
468 :
名無しの心子知らず:2009/11/07(土) 12:16:37 ID:+dj2C4cB
私は幼稚園から記憶があるんだけど、幼稚園に持って行く母の手作りのお弁当、弁当箱が大きすぎて7割目からが苦痛だった。
「残さず食べましょう」って皆が食べ終わっても居残りで食べさせられて吐きそうになりながら食べてた。
先生も親も気付いてくれなくて、でも間食に喜ぶ母親の顔見たら何も言えなかった。
間食したから適量ってのは間違い!
泣きそうになる歌といえば、
「ねんねんーころーりよー おこーろーりーよー」の子守唄。
ばぁちゃんがよくおんぶしてこの歌を歌ってくれてたんだけど、
これ聴くと悲しくてたまらなくなって、背中でバタバタ暴れて「歌うな」という
意思表示をしてたのを記憶してる。1〜2歳ごろのことだったのかなー。
自分に子ができて、旦那が寝かしつけにこの歌を歌ったときも「やめれーー」
とストップかけてしまったよ…
>>470 あれは、恨みがこもってる歌だからね。
口減らしのために奉公に出された子が、
背中の裕福な赤子を子守する時の。
あんな曲で寝れるわけがないw
>>468 その歌は数十年前の自分の卒園式の時も唄ったが、
いまでも卒園時に唄われていた。
いい曲だよね。初めての別れや旅立ちのセレモニーに
関連しているから切なくなるのかなあ。
母親が子供が何もわかってないと思って適当にあしらうのが嫌だった。
母親と祖母がよく叔母ちゃんの悪口を言ってて子供心に意地悪い顔で楽しそうに盛り上がる二人を凄い嫌な気分で見てた。
人の悪口を言ってる姿とかは子供がどんなに小さくても見せちゃいけない。
「なんで、叔母ちゃんは優しいのにお母さん達は嫌いなの?」
って聞いた事がある。
嫌いとか言わないで友達と仲良くすれって言われていたし。
「大人の話に口出すんじゃない、お婆ちゃんのストレス解消に付き合ってるだけで今のは良い悪口なの」
って言われた。
納得いかなかった。
うちはまだ赤子だけど子供に対して矛盾した事はしないようにしようと今思う。
多分2歳頃。
親がからかって、お前は橋の下から拾って来た子供だって繰り返し言われた。
親的には、事実じゃないからふざけて言ってたんだろうけど
言う度に涙目で焦る私が面白かったんだろう。
私は本気で、迷惑かけちゃいけないと思って家出を考えた。
親の言ってる事が嘘だったら、私が家出したら子供に嘘をついた事を後悔するだろうし
本当だとしたら尚更この家に居てはいけないって泣きながら考えてた。
夜が怖いから飼ってる犬を連れて行こうとか、実行に向けて着々とシミュレーションしてた。
結局チキンで何もできなかったけど。
顔だってそっくりだから本当の親子のはず!って自分に言い聞かせたけど
きっと長年一緒に暮らしてると顔も似てくるんだ、って結論になってしまった。
冗談でも子供をからかってはいけません。
大人は軽い気持ちでも、小さな胸ははち切れそうに悩んでしまいます!
475 :
名無しの心子知らず:2009/11/08(日) 04:20:58 ID:DQXOZROV
アパートの共同風呂を覚えてるってことは、2才ぐらいから
記憶あるんだなぁ
共同風呂だよ!垢の他人同士が風呂共同だなんて今じゃ考えられない
済むと呼びにきてくれて、バスタオル巻いて外出て、風呂場まで
行ってたなぁ
まだ昭和48年の話なんだけど、、、
うちは風呂なくて銭湯だったよw
壁に横長の水槽が埋め込んであって鯉が泳いでた。
その鯉を見て「生まれる前に気になってた赤いのは魚だったのか〜」
って、抱っこして湯舟につけられながら思ったのを覚えてる。
壁の赤いのが気になってた時の自分の記憶は、明るいけど視界が狭く
不明瞭で小さい窓から外を見ているようだった。
ある時、気が付いたら母親のお腹の中にいて、湯舟に入ると
いつもナデナデしてくれて嬉しいなぁと、足をバタバタした時の記憶もある。
真っ暗だけど何でか「お風呂に入ってる」のは分かっていた。
これを思い出したのが壁の水槽で泳ぐ鯉を見た時で、何ヶ月頃かは覚えてない。
胎児の時でも周りのことは結構わかっていた、というか雰囲気を察してたから
妊娠中は出来るだけ心を穏やかにするよう心掛けたし、イライラしてる時は
「ごめんね、あなたに怒ってるんじゃないからね」と一声かけるようにしてた。
生まれてから「胎児の記憶」を思い出した時の記憶なので、スレチだったらごめんなさい。
477 :
名無しの心子知らず:2009/11/08(日) 07:42:28 ID:iwmgHPv0
>>470 うちの弟は、「あの歌で子守唄歌って寝かし付けられるのが最高に気持ち良かったから、お姉ちゃんも赤ちゃんの寝かし付けにはあの歌でポンポンしてあげると良いよ」って言われた。
私の子、この歌うたうとすぐ目を瞑って気持ち良さそうにしてるよ。んで、すぐ寝る。
弟の記憶スゲーと思っちゃった。
小1の時「かあさんの歌」と「ドナドナ」を母に歌ってもらう度
あまりの寂しさに号泣する感受性の強い自分がいた。
今?反動でかなりの鈍感。
トイレトレをしてた頃の記憶だから2歳だと思う。
おむつをはずされてパンツだったけれど、おしっこを教えることができず必ず失敗していた。
「なんでトイレしたい時に教えないの!!」とひどく叱られて
「だっておしっこでるのがわかんないんだもん〜」とよく泣いていた。
本当におしっこが出たい感覚もなかったし、出るときにも分からなかった。
おしっこが出た後に足や床が汚れたから「出たのが分かる」という程度の認知。
(分からないものは分からないのに、どうやって教えればいいのか!?)
子供ながらに途方に暮れていた。
私の子供の頃は布おむつが主流だったし
1歳半くらいからトイレできる子がいたので母は早くはずしたかった&焦っていたらしい。
今もうちの子が2歳過ぎると「おむつはずれる時期では?」と言ってくる。
でも、膀胱のたまり具合や排尿感覚を自覚できるまでに個人差があるので
2歳あたりじゃいくらトレーニングしても、できないものはできないのだと思っている。
子供の時は深く考えてなかったが庭で砂遊びに使ったコップを食卓にカムバックは今考えるとやめてほしかった。
ともあれ、子供は幼い考えながら、今の自分と同様普通に真剣に悩んだりしてたよね。
大人の顔色伺って、ここまでわがまま言えば、親が絶対折れるってわかってた。
親がだらだらしつこく長く怒るので、なんとかいつものやさしい親に戻ってほしくて
なんでも肯定的に返事をすればいいと思った幼稚園時代。
「反省してるのか!」→「してます」
「もうしないといいなさい」→「もうしません」
といっているうちはよかったんだが当然イヤミや反語、強い促しなんて修辞的用法は知らないので
「ふざけてるのか!」→「はい、ふざけてます」
「ごめんなさいぐらい言えないのか!」→「はい、いえません」
などとうっかり返してさらなる怒りを呼んでもっと泣いた。
こないだこどもにねちねち怒って
「そんなに迷惑かけたいの?!」と怒ったら
「うん、かけたいです!だからごめんなさい」
と泣きながら懇願するように言われて思い出した。
>>481も
>>481子もかわいいw
赤ちゃんの時はどうだったか覚えてないけど、
少なくとも幼稚園辺りから色彩へのこだわりが強かった。
例えば、いろんな色がたくさんあるとうるさく感じたり
トーンの合わない色が入ってると苛立ったり。
あと自分では許せない、有り得ない組み合わせとかもあって
覚えてるのは黄色と紫の組み合わせは吐き気がしそうなほど嫌だった。
(NBAのレイカーズとか、古今東西にある組み合わせなのにね)
24色の色鉛筆を、使うのはもちろん並べ直すのがすっごく楽しかった。
子供(5ヵ月)のおもちゃを見ていて思い出したよ。
今は普通に、カラフルな赤ちゃん向けおもちゃに釘付けだけど
こだわりが出てきたら、子供はこの色!と決めつけず好きにさせたいな。
ちなみに、今の私には子供の頃のようなこだわりはないです。
色彩の理屈がわかったからかな?
483 :
名無しの心子知らず:2009/11/11(水) 16:53:52 ID:E20ps47P
いくつだか分からないけど嫌だったのは
母の寝起きの口臭と車の中での喫煙の臭さ
幼児期の記憶は、両親が不仲で何か質問すると両親の食い違った答えが返ってきてそこから口論になるのにうんざりしてる記憶
具合が悪くて幼稚園の行事に遅れて私服で行って
全く好みじゃない服だったのに先生に可愛いといわれて嬉しくて気分が晴れたこと
あと珍しく延長保育に預けられたとき、系列幼稚園に移動して知らない子供ばかりで物凄く嫌だだったこと
自分の嫌だったことは一応しないように心掛けてる
娘が気にしてるのか知らないが
はじめまして、私の最古の記憶は
赤ちゃんの頃多分生後3ヶ月位の記憶だと思います
父、母、母方の従兄弟で写真を撮る際の事です
私はお母さんに抱っこされてみんなのところに行き、家の玄関横で写真を撮るところでした
私はとってもお腹がすいてあの甘い飲み物が欲しくてたまりませんでした。 (後で聞いた話ですが、母乳の出が悪く3、4ヶ月の頃から私はミルクオンリーになったそうです)
しかし
母はそれに気付かず私の機嫌が悪いのかと思い、あやし続けます
さらに私は気付いて貰おうと母に叫びます
周りも私をあやしましたが、やはり違うので
やっとミルクだと気付いてミルクを母が飲ませてくれ
写真を撮影、ピカッと光って眩しかった
と言うのが私の記憶です
>>485 とりあえず読点を覚えて、無駄な改行はしないでほしい。読みづらい。
弟が生まれる前後の事はよく覚えてる。弟が生まれた時、私は3歳7ヶ月。
母のおなかが大きくなり、「ここに赤ちゃんががいるんだ〜。」とすごく嬉しかった。
ある日母が私の腕を引っ張って、「ほら、赤ちゃん動いてるよ。」と、
私の手を直に母の腹に触れさせた。
でも、中の人が動いているのはちっとも感じられない。
「え〜?わかんない。」と言うと、母はさらに無理矢理腕をひっぱり、
「ホラ、ホラ〜」と必死に腹に触れさせる。
母は立った状態で、私は無理矢理腕を上に引っ張られ、
腕がものすごく疲れていい加減イヤになり、
ホントは何も感触が無かったのに、「うん、わかったよ!」と嘘を言った。
すると、母は満足気に私の腕を開放してくれた。
嘘をついた事に罪悪感はあったけど、
それ以上に、腕が開放されて嬉しかった気持ちの方が大きかった。
弟の名付けに参加させてもらったのも嬉しかった。
本当は両親があらかじめ決めていたらしいんだけど、
親はうまく誘導して、「私が名前を決めた」という事になった。
おかげで、生まれたばかりの弟を見て、「これは私のもの!」と思ってしまったw
31年前の昨日の話。
あの頃は滅茶苦茶可愛かった。
今はただのおっさん。>弟
488 :
名無しの心子知らず:2009/11/13(金) 01:17:59 ID:vND5RlLc
> 今はただのおっさん。>弟
じゃああんたはただのおばさんなんじゃないかとかそういうつっこみをしてはいけないことになっているのでしないようにみなさん
役に立たない記憶ばっかり
いや役に立つのあったよ。
>473さんの大人同士の悪口というの。
うちもうっかりこれをやってしまう。
義理の姉がどうしようもなくだらしない人で、よく大人同士集まると
困ったねぇとその話題になってしまう。
でも子供ってちゃんと聞いてるんだよね。
子供の前でその姉の話になって私はいい話をしているんだけど、子供は
微妙な顔つきになってた。
でも大人同士は話すことで解決したり、発散することもあるし、
難しいな。
でもなるべく気をつけよう。
よく親がやりがちなこと(例:今泣いたカラスがもう笑ったと歌う)を
されてイヤだったとか、こんなことが嬉しかったなどは役立つよね。
単なる自分の記憶語りだと微妙にスレちがいな気がしてモニョ
493 :
名無しの心子知らず:2009/11/13(金) 09:16:48 ID:dNUmIViN
庭の物干し竿が見える所にいて、
たくさん干してある布オムツ
(白くて水色の動物の絵柄があるサラシみたいなやつ)を眺めていた。
母がそれを家に取り込むと、近くで見て、
なぜオムツが揺れていたのか気になった。
カーテンが風で揺れるのも不思議でよく見ていた。
母は家の中を動き回り泣いてもあまり抱っこしてくれないから、
あまり泣くのはやめた。
母が動いているのを見るのも何をしているか不思議で観察してた。
時々いなくなる兄(幼稚園に行っていた)が
いきなり来たかと思うと手を握ってくれたり、
草とか花を顔にのせてくるのが楽しみだった。
兄の顔が近付いてくると面白かった。
母の顔が近付いてきたらお化粧の匂いがきつかったけど、
母の匂いだと思ってけっこう好きだった。
兄がかっちゃんといつも呼ばれていたから、
私もかっちゃんと言いたくて声を出して練習していた(最初に言えた言葉はかっちゃん)
>>488 突っ込んでもいいよ。
だって、ただのおばさんだものw
>487での経験を元に、
自分の子供には、胎動を感じられるまで無理矢理腕を引っ張らない、とか、
下の子の名付けに参加させたりした。
名付けに参加させたら私と同様、下の子を滅茶苦茶可愛がる姉になったよ。
495 :
名無しの心子知らず:2009/11/13(金) 09:20:51 ID:dNUmIViN
私のこそ自分の記憶語りでしたね…
すみません。
>>495 赤ちゃんが泣き止む理由(カーテンのひらひらが面白い等)とか、
赤ちゃんがあ〜う〜言ってる理由(声を出して練習してた)がわかるのは、役に立つよ。
草や花を乗せてもらうのが楽しいというのも、役に立つ。
ただの記憶語りだとしても、
行間から育児に役立つことを十分に読み取ることができる。
だから、気にしなくていいと思うよ。
うんうん、少なくとも赤ちゃんや幼児が
大人が思っている以上にいろいろ理解して、考えて
そして人によってはその記憶が大人になるまで残る。
それがわかるだけで、赤ちゃんや子供への
接し方が変わってくるよ。
だから他愛のない記憶でも十分役に立つよー。
498 :
名無しの心子知らず:2009/11/13(金) 09:55:45 ID:DERXhjXJ
そうそう。同感。
ただ、記憶を書いてるだけでも、赤ちゃんっていろんなこと
考えてるんだなあって。参考になるし癒される。
その時の出来事についてどう感じていたか、考えていたかがわかるのは面白い。
無反応や気ままに見える赤ちゃんでも、実は大人と一緒で行動には裏付けがあるもんなんだね。
今の実家に越してきたのは2歳2ヶ月のとき。
でも、その前に住んでいたアパートの間取りを覚えてる。
アパートに住んでいたとき、恐らく生後2ヶ月くらいの妹の哺乳瓶を奪って
ミルクを飲んでいた記憶があるから、当時私は1歳10ヶ月かな?
うちのDQN母はまともに料理をしない人だったから、父のいない昼間は
蒸かし芋や茹でとうもろこし、それこそ妹と同じミルクだけだったことも
覚えてる。
母はネグレクト気味だったのか、一日中テレビがついていて、絵本も
読んで貰えず、公園にも行けず、私は一日中こたつで寝転がっていた。
当然一日中パジャマだ。
だっこをされたこともない。
自分が親になるまで、子供を公園に連れていかなければならないなんて
全く知らなかったよ。そんな私は親と不仲だ。
>>500 切なくなった。
当時の500の手をひいて公園連れて行きたいよ。
赤ちゃんや幼児は本当に大人が思う以上にずっと色々理解してるし、考えてるんだよね。
このスレ読んで、自分の子についイライラしたりカッとなりそうな時にも、それを思い出して、精一杯、誠意を持って優しく接しようと思う。
ホント、ここを見て、悪い意味での子供扱いはだめなんだなとわかった。
きちんと小さい大人みたいに敬意を持って扱いたい(親として躾とかはまた別の話だけど)。
1歳→どっかで見た牛が山のように巨大に見えてすごく怖かった
昼寝してた座布団の柄を覚えてる
熱で夜間救急に行ったら、病院でファンタグレープのキーホルダーを貰って
それがすごく嬉しかった
4歳→ずっと母と居たかったので幼稚園がただただ苦痛でしかなく
最初1年ほぼ毎日何か(折り紙が折れないとか、パンが食べられないとか)で泣いて脱走もしばしば
今写真見ると、お遊戯や遠足、お芋掘り等楽しそうだけど
自分の子は楽しく幼稚園に行ってくれると良いな〜
91:名無しさん@十周年 2009/11/14(土) 14:02:23 ID:EUTWiPsr0
大体 20周年の式典をつぶすために
祝日にするのを止め
オバマと日程がちあわせて 11,12、にして
皇室のお祝い報道なくそうと画策してたんだよ 民主は。
でもそれをオバマが知って
軍の乱射事件での追悼式ってことで日をずらせたんだよ。
民主党よりも皇室のことを考えてくれてるんだよ
362:名無しさん@十周年 2009/11/14(土) 14:38:06 ID:EQ07VsfX0
>>91 そうなんだ、知らなかったよ
鳩山の式典の態度を見てて違和感があったのだが…
オバマ氏来日と重ならなくて良かったと思ったんだが
アメリカの配慮だったとは…
947 名前: Trader@Live! Mail: sage 投稿日: 2009/11/14(土) 15:00:42 ID: 0tSrd4Ic
>>940 オバマの真意は知らないけれど、
乱射事件の追悼式は10日だったらしいね。
それを理由に何故か「12日には日本に行けない」と言ってきた。
2〜3歳の頃
指しゃぶり癖が散々注意されても治らず、指にタバスコ塗られた
辛いから舐めないだろうと思ったようだが、それ以前に皮膚に沁みてヒリヒリして痛かった
シーツになすりつけて拭いたら怒られて再度塗られた
痛いと訴えたが聞いてもらえなかったので仕方なく舐めてとったが、
シワの奥まで入っててヒリヒリがなかなかとれなかった
無茶しすぎだろ…と思ったよ
あとタバスコ味の指は普段より美味しかった
もうひとつ思い出した
3歳2ヶ月のときに母が出産のため入院して、2歳上の姉と父と3人で布団に入ったんだが
急に寂しくなって泣いてしまいそうになったとき
父に「お姉ちゃんもお前が生まれるときに寂しいの我慢したんだよ」と言われた
私より小さかったのに、お姉ちゃんもいなかったのに寂しいの我慢したんだ!姉すげええ!と感動した
あと、父が自分を上手く慰めたことに対して
「やればできるんじゃん。普段からやればいいのに」と思っていたw
なにその上から目線w
つうかここ読むと基本的に赤は上から目線なんだね
立場理解するのってどのくらいからなんだろう?
508 :
名無しの心子知らず:2009/11/17(火) 21:07:17 ID:nqhtnzyA
たぶんずーっと上から目線なんじゃ…
二歳の頃の記憶
歯ブラシを持たされたのはいいが、歯磨き粉が付いてなくて、イラっとした。
三歳の頃の記憶。
お姉ちゃんになるんだよ。と言われてその気になっていたのに、
病院の待合室で、「赤ちゃん、いなくなっちゃったよ」と父に言われ、悲しい気持ちに。
そして、お母さんに会ったら、なんてなぐさめようか悩んだ。
同じく三歳頃
おばさん達にいくつ?お名前は?などと聞かれて、私が答えると、
「まああー、おりこうさんねええー」と大げさに褒められるのが嫌いだった。
そのくらい言えるつーの!バカにしてんの?みたいな感じで嫌だった。
512 :
名無しの心子知らず:2009/11/17(火) 21:49:43 ID:nqhtnzyA
みんな成熟してたんだね。
私は褒められたら有頂天になってたし、自信満々だった。
母の事を盲目的に信じてたし、母の言いなりだった。
大人になって母親の悪い所をいっぱい知ったし、アホなガキだったな…と思う。
>>507 3歳の時は上から目線だったw
節分の日の記憶。
保育園で先生が「もうすぐ鬼が来るよ。豆を撒いて退治しよう」って
子ども達に豆を持たせた。
すると何人かの子が鬼が恐いと泣き出したんだけど、
それを見た私は「フッ、鬼なんて先生がお面つけてるだけに決まってるじゃん。
そんなこともわからないなんて、幼稚な子達だな」って思ってた。
でも実際に鬼が来ると、すごく恐くて半泣きになったけどw
この頃は自分は周りの子よりも大人なんだと思ってたな…
5歳の時の記憶。
学芸会でお姫様役だった私。
お姫様の衣装を着た私に、友達のお母さんが「すごく似合ってるね♪私ちゃんが一番可愛いよ」
って言ってくれた。
私は「滅相もない。あなたのお子さんの方がずっと可愛いです」って言いたかったけど
うまい言い方が思い付かなくて、下を向いてもじもじしてた。
5歳の時はそれなりに謙虚になってたし、自分が大人だと勘違いもしてなかったな
私は3歳の時の上から目線は5歳までには治ってたと思う。
年少の時の記憶。
幼稚園でお弁当の時間の前に手を洗うのに手洗い場にいたら、仲良しのSちゃんが
「バラ組(年長クラス)にカッコいい子がいるから一緒に見に行って!」
と言い出し、私は早くお弁当が食べたいから断ったがちょっとだけというので渋々ついていった。
その頃私はカッコいい子とかいう興味がなかったのでつまらなくてSちゃんの隣でグラウンドを眺めてた。
Sちゃんがいつまでも年長クラスを覗いて騒いでいるので、いい加減お弁当が食べたい私は「もう戻ろうよ」と何度も言うがSちゃんはキャーキャー言ってて無視。
そのうち先生に見つかり「みんな待たせて何してんの!そんなにここにいたいなら立ってなさい!」と怒られた。
二人で立たされてSちゃんは号泣、私は怒られたのが納得いかず黙ってイライラしてた。
そのうち先生がまた来て「みんな待ってたのに勝手な行動して悪い事をしたんだよ?」と諭し、Sちゃんは泣きながら謝ってたけど私はほらみろと思い謝らなかった。
立たされてたのから開放されてお弁当を食べて、Sちゃんが私に謝らなかった事が腹が立ってその時から別の子と遊ぶようになった。
自分は促していたのに怒られて悔しかったからか、この事だけ強烈に覚えてる。
それから女子めんどくせーと思うようになり、男の子と遊ぶようになってその男の子を好きな女の子たちからコソコソ何か言われたりした。
ほんと女子ってめんどくせー。
>>513で思い出した。
4歳のとき幼稚園のクリスマス会でサンタさんが来たんだけど、周囲の子たちと
「あのサンタさん偽物だ」「○○先生だよねぇ」「でも喜ばなきゃ…」とヒソヒソ話していた
本物のサンタさんはクリスマスの夜にしか来ないんだからすぐ偽物だってバレるのに
先生たちは浅はかだなあと思っていたよw
自分も母には絶大な信頼をおいてたなぁ。
ある年の末、母が「○○(歌手)も紅白出るみたいだよ」と言ったのを鵜呑みにし、幼稚園で話したら「嘘だ、○○は出ないよ!」と友達はおろか先生にまで嘘つき呼ばわりされてしまった。
「え!だってかーちゃんが言ってたのに…かーちゃんのアホー!」って、裏切られた感でいっぱいだった。
実際、○○は出場すると思われていたが選ばれなかったようだ。
自分の子供には、テキトーな事を言わんようにしようと思っている。
立っても視線が低く見上げてもテーブルの裏が見えた
2〜3歳ぐらいの記憶があります
母がかまってくれない人だったので1人遊びが好きでした
オモチャでなく食器棚の観音開き扉を開けたり閉めたり
繰り返して遊んでました
固定する所から扉が外れる感触や開いた時に摩擦で
扉がふんわりする感触が楽しかったのを今でも覚えてます
扉を開けるとどんぶりがあり
「これなら両手で持てば壊さない、壊れにくい」と
判断した上で取り出して扉を閉めてました
どんぶりを出すとなんとなく一つだけのどんぶりが
さびしそうなのとしまわないと母に怒鳴られぶたれるので
扉を開いてすぐにどんぶりをしまうのですが
どんぶりをしまうと自分が寂しくてまた扉を開いて……以下エンドレス
自分の体で物を動かせる感動と扉を動かすの感触が
なぜかものすごく心地良かったです
あと、観音開きになっている扉の構造を見ながら
「世の中の大人はこんな物を作る人がいるのかっ!」
「大人になったら物を作る人間になれるのか?」
「家具は無理だけどもっと小さいものなら作れるか?」
などと考えていました
今も物作りが大好きで自室は組みたて家具をベースに
自分が好きなようにカスタマイズしています
もしかしたらあの時の感動が根っこかも知れません
519 :
名無しの心子知らず:2009/11/19(木) 17:20:17 ID:xl72c3wl
このスレためになるし色々思い出すなあ…
私は1歳半がいちばん古い記憶。当時学生の叔母の彼氏がカフェバーで働いてて、
抱っこされたりうちでは禁止されてたコーラを飲ませてもらって
子供ながらにここは外とはちがう大人のアングラな世界とか思ったなあ。
観音開きのもの、私もすっごい魅力的だった!中になにか入ってるとすごく興奮したw
あと、朝のお母さんは全然きれいじゃないからハテ?と思ってたw
周りに可愛い可愛いと言われるもんだから、自分は特別に可愛いんだと完全に信じていた
素の可愛さ+妹という立場=無敵の可愛さを誇る自分!と勘違いしていた
自分>>>姉>>|超えられない壁|>>その他 だと思っていて
姉が可愛いと誉められていても「姉が妹に可愛さで勝てるわけないじゃん、お世辞乙!」と思っていた
あと、姉が「お姉ちゃんだから」といろいろ我慢させられるのを見て
妹うめぇwww姉は負け組wwwと思っていた
3才のときの海水浴の帰り道には、勝者の余裕と敗者への哀れみにより、
「お姉ちゃんが我慢してるから私も抱っこ我慢する!」と抱っこ我慢して歩いた覚えがある
最近になって、姉が小さい頃から
「両親独占したことない妹カワイソスww負け組ざまあwww姉サイコー!」
と感じていたと知り、なんだか悔しい
幼稚園児だったから、4〜5歳くらいのとき。
母はおつかいか何かで、まだ赤ちゃんの弟と留守番中の出来事。
弟は寝ていて、私は「風邪をひいちゃいけない」と思って
なぜかティッシュを電気ストーブで温めて、
弟にかけてあげようと思った。
と、ティッシュがふわっと動いて、ストーブにくっついて、火がついてしまった。
どきっとして、「いけない!危ない!」と、
とっさに水のあるところ=台所の流しにティッシュを投げ入れた。
幸い、流しが濡れていたみたいで、無事火は消えて、
母にばれたら怒られるとなぜか確信があったので、
ティッシュはゴミ箱の下の方に入れるか、トイレに流すかした気がする。
火遊びしたわけじゃないのに、結果的に火遊びになりそうになったorz
一歩間違ったら火事になってた、と子ども心にも怖かった記憶として
残ってます。
そのせいかはわからないけど、
なんとなく、ライターとかアルコールランプとかずっと苦手。
今年、自分が母親になり、ストーブの周りには
子どもの手が届かないようにしよう、と思う。
あ〜〜怖いね〜〜
もう幼稚園児だから大丈夫だなんて思っちゃだめだね。
親の留守中に子供が火事で亡くなっちゃうニュースあるけど、
これってけっこう身近にありうる事なんだね。
気をつけよう。
モノゴコロが完全についた4歳の頃。父が仕事中、運動会の練習中の幼稚園を
通り掛かり私を発見。列になり行進して入場する場面だったらしく、
私は張り切って腕を振って行進してたらしい。それを父が家でふざけて
オーバーに手を振りマネをし、しかも毎日のように朝寝室から登場する時や、
運動会の話しになった折にやるから、恥ずかしいやら腹が立つやらで、
本番では終始完全にやる気のない態度を貫いた。お遊戯も仏頂面で適当。
結局それは小学校に入っても変わらず、学芸会でも練習はハッスルするも
本番は真顔で適当。くだらなそうにする事で掴み所を無くし、マネされる事を
回避した。作戦は成功した。が、つまらなかった。
おちゃらけた性格で不器用な父が、仕事中にやたらと張り切る一人娘を発見し、
可愛さや嬉しさ余ってやった事だろうと、今なら解釈できる。だけど当時は、
単に何度も馬鹿にされ笑われたと感じて傷ついてた。
子供の心の中って、単純さと繊細さの塊のぶつかり合いだと思う。
そこに少々の人生経験で得た知識や感性を材料にして、散々考えたあげく
やっと見出だす自分なりの結論や決断は頑なで、大人が思うよりもずっと
深くて確固たる傷になるかもしれない。気をつけよう。
長くてごめん。
>>517、私も感動した。
>>520さんとこは姉も妹も「自分勝ち組www」と思えてたってすごいね。
ご両親のやり方がうまかったんだろうか。
下の子に物心がつくまでは上の子立てまくりで、それ以降は下の子ちゃんに
手がかかりつつも、上の子とたまに二人で買い物にいったりとか…?
>>523のは自分もそうだったなあ…と思いだした。
大人に真似されてからかわれるのってすごい傷つく。
525 :
520:2009/11/20(金) 09:19:07 ID:0NWwy4QE
>>524 母自身が妹で妹は得だと感じて育ったから、反動で姉にはすごく気を遣って
「お姉ちゃんはいいなあ、羨ましいなあ。写真もいっぱいだし、お母さん独り占めだし
なんでも妹より先に出来るようになるもんね。お母さんもお姉ちゃんになりたかったなあ!」と
こっそりおだてまくって育てたそうです。
その反動で姉は自分の子は下の子に気を遣ってつい贔屓してしまうんだとか
(私は上の子に気を遣ってちょっといいおもちゃとか買ってしまう)
なんか皆色々考えてるんだね。
自分は絵に描いたような子供でストレートな感情しかなかったな。
幼児、特に女の子特有のあの大人の考え全て読みきるような感覚がない。
スーパーのレジの後の袋詰めを親がしている時に、立つのに疲れてしゃがんで
「母さんの足見てるから置いていかれることはないもんね」とか思っていたら
そのまま寝てしまって結局迷子になってショックを受けるとかそんなんばっかだ。
強烈に覚えてるのは親戚の引越しについていったら迷子になったこと。
親戚の子と遊んでいた時に、路地が怖くてついていけなくてそのまま迷子。
今来た道を辿って戻れない超絶方向音痴だったので迷いに迷った。
幸いにも保護してくれた人がいて、その家の子と遊んでいたんだけど、
「私ここの家の子になるのかな・・・」と思っていた。
どういう経緯かしらないけど情報が伝わって親が迎えにきたのが見えた瞬間
親にダッシュで飛びついた。二度と会えないと思ってたから嬉しかった。
前者の時は見知った場所だったから気恥ずかしさのほうが強かったけど
後者の時のどうやっても家に帰れない絶望感は半端じゃなかった。
527 :
名無しの心子知らず:2009/11/20(金) 12:05:55 ID:TojQOCNo
>>520みたいなのはちっともかわいげがないな。
性格ってやっぱ生まれもっての要素が強いのか。
528 :
名無しの心子知らず:2009/11/20(金) 12:31:39 ID:lPfbqSo0
妹がベビーベッドに寝てる記憶があるから、私は多分二歳位。母親は別の部屋にいて、妹がふにゃふにゃ泣いていたので、私はどこか痛いのだと思い、
「お薬だよ!!いたいのとんでけー」といって目薬を妹の顔にぶっかけた。
すぐに母親が飛んできたが、妹はさらにデカい声で溺れながら泣いていた。
やっぱり子供から目は離せないなと思った。
>>521 無事でよかったね。
下手したらアナタ、今ここに書くことができないところに行っちゃった
かもしれないもんね。
>>525 へー。もし二人目を産むことがあれば
真似させてもらおう。
3歳くらいの記憶
正月におばあちゃんの家に叔母たち(20代後半4人姉妹)数人集まって喋ってる
で、玩具で遊ぶ私たち幼児を見ながら目の前で
「ほらーコレ与えておけばラクチンでいいよねえ」
「子供ってさー単純だからさ、ああいうのが好きだよね」
「ホント、子供ってああでこうで、あれだよねー」云々…
こっちとしては会話の意味は分かるし
気をつかって、一生懸命その玩具で遊ぶふりをした
その場にいた幼児もみんな分かってて、アイコンタクトしながら
会話にのぼる幼児像を再現しようと頑張った記憶があるなあ
大人の要求に応えようと頑張ってた気がする
って、こないだ甥っ子2歳を目の前に
「こいつ単純だなーw バカワイイw」とか言ってしまった時に
思い出しました…気を付けます
>>530 私も、そのレスと上のほうにあるレス参考にして、双方に「あなたは○○だからいいねぇ!」
「お姉ちゃんorお兄ちゃんは弟or妹が大好きって言ってたよ!」←逆バージョンも含む
をこっそり言うのを実践していこうかなw
やっぱり、自分が大切にされてる、満たされてるって自覚があれば兄弟上手くいくかなぁ。
二人目育児を語るだかのスレで、
姉には
「姉ちゃんが来ると、妹ちゃんがご機嫌になるね〜
妹ちゃんは、本当に姉ちゃんが大好きなんだね」と吹き込み、
妹には
「姉ちゃんは、妹ちゃんが生まれて大喜びだったんだよ。
姉ちゃんは妹ちゃんが好きでたまらないみたいね」と吹き込まれて
育った人が、ずっと仲良し姉妹だと話してたよ。
お互い、自分に好意を持ってる人を無下にできないと。
うちは兄妹で、本当に一人っ子が二人いる状態だったので
仲良し兄弟姉妹が羨ましい。同性だったら楽しかったろうな、と思ってたので
自分が弟だったらor兄が姉だったらという想像をいつもしていたよ。
4〜5歳くらいの記憶。夜寝室に行く前に必ず父親におやすみのチューをされられるのが嫌だった。「おやすみのチューは?」とか言われ、内心しょーがねーなと思ってしぶしぶやってた。更にはグンナイとか言わされててそれも内心では「なんじゃそら?バカじゃねーの?w」と思ってた。
思い出したのでもう一つ。
3歳頃トイレに1人で行くのが怖くて母親に付いてきてってお願いしたら「ダメ!もう1人で行けるでしょ!1人で行きなさい!」って怒られて悲しくてその場で漏らした。それからしばらくひねくれてわざと絨毯の上でお漏らしした記憶がある。
>>531 3歳だったら普通に会話できるもんな。
空気読む子はそのぐらいしちゃうし、へたすると「そういう言い方しないの!」と
逆に怒られたりするし、2歳以上は注意だw
こんなスレあったんですね。
>>420 一卵性の双子(私は姉)です。
相手の考えることは何でもお見通しだったから、会話するのに
主語いらなかった。
だから、自分たち以外の人と会話するようになったとき
話が飛ぶとか主語がなくて話がわかりづらいとか指摘されても
うまく直せませんでした。相当大きくなるまで意識しないと
うまく会話出来なかった。
あと、色違いの服はキライでした。片方がこっちがいい!
と言い出すと、もう片方もそれが欲しくなって喧嘩のもとになる。
そういうときに「あなたはお姉ちゃんなんだから」て我慢を
強いられたのが辛かった。たった30分早く生まれただけなのに
何て理不尽なんだと思った。
平等に扱ってほしいと思って生活してました。
>>538 参考になります。
うちの子たちは3分差でした。
お姉ちゃんだから我慢しなさい
とか言わないつもりだけど、周りはやっぱ比べたがるね。
気を付けなきゃな・・・
>>538 私も一卵性育ててます。男児ですが・・・。
色違いで喧嘩するのは、うちにも良くあることなので参考になります。
つい、「こっちが○○のでしょ」と決めていってしまう(名前を書いて常に青はこっち、黄色はこっちとしてしまったり)ことがあるので
今後は気をつけます。
541 :
名無しの心子知らず:2009/11/24(火) 07:40:20 ID:5tTMKRac
2、3才〜の記憶で冬にまつわるもの。
冬になると重ね着する機会が増える。子どもも長袖Tシャツの上にカーディガンやジャケット等着ると思う。
いつも母が着せてくれるのだが、母は適当に上着をバッと着せるので、下の長袖Tシャツの袖が中でクルクルとなって、非常に腕が気持ち悪かった。
だから上着を脱ごうとするんだが、「寒いんだから着てなさい。」と怒られ、辛かった。
初記憶は二年保育入園前に引っ越した部屋だ
からっぽさと、汚い板の廊下が気になった。
あと、はっきり記憶ではないんだけど、
若い頃から心身ともに疲れながら動いて、ぐったりうとうとすると
背中をマッサージ椅子みたいにボンボンされる感触があって、少し楽になる。
弱ってるから、オカルトか?でも楽になるしいいかと思ってたが、
子の寝かし付けや、泣いた時のポンポンにとっても似てると気付いた。
朦朧としながら再現してるんだろうか…
幼稚園の頃だから4〜5歳の頃、かかりつけの子供病院が嫌いだった。
先生が次の順番の子の名前を呼ぶのだがイントネーションが違って
変な風に呼ばれて嫌だなぁと思っていた。あと診察中子供が暴れないようになのか
股バサミみたいに両足でがっちり固定された。
大きくなって行く事も無かったが、高校の時風邪で高熱が出て
どこの病院も休み、仕方なくその子供病院へ行ったら
女子高生だったのにまた股バサミされた。
今でもその先生は苦手というか、もう行きたくない。
子供が病院行くのぐずるとか、帰ってきたら落ち込んでるとかあったら
その子特有の何か嫌なことがあるのかも。
1歳半の頃、兄の運動会に付いていった時の事。
歩けるようになっていたがベビーカーに乗せられて会場まで行った。
母親が写真を撮ってあげると言ったので、立った姿を撮ってもらいたかったのに、母親はベビーカーから降ろさずに写真を撮ろうとした。
必死に「座ってるのは赤ちゃんくさいの!立ってかっこいい所を撮って欲しいの!」と訴えるもそこまで意志を伝える事はできずに、結局ベビーカーに座ったまましかめっ面で写真を撮られた。
写真を撮られるという事をなんとなく理解していたのと、撮るなら格好よく写りたいという意識をすでに持っていた。
子どもは大人が考えている以上に自分は一人前だと思っている。
1歳半の頃かな。
朝起きたら家に誰もいなかった。
母は、幼稚園児だった兄を連れて、家の前の集合場所にいたみたい。
柱にしがみつき、離れた玄関を見て大泣きした。声に気付け!とも思って。
そしたら勢いでおしっこを漏らした。
自分の足元を見て、漏らしたことでさらにパニック!これでもかってくらいに泣いた。
そこからは記憶に無い。
みんなが外に行ったことはわかってても
自分で外に出られなかったので、どうする事も出来なかった。
家の中の状況(壁や床の色・布団・玄関・自分の足元・静かな家等)は今でもはっきり覚えてる。
そのときの、怖さと寂しさと驚きとの入り混じった感情は、今になっても忘れない。
なので今、自分の子供(1歳半)が目を覚ますとすぐに駆けつけてしまうw
私は1歳半のときに両親が離婚しました。
母方の姓になると、吉田よし子みたいな名前になるので改名されました。
その時は、離婚のことをなんとなく理解していて、父がいなくなることよりも自分名前が変わることがとても嫌でした。
祖母と母が「まだ物心つく前に改名しとけば、覚えてないし良いでしょ」と言いながら新しい私の名前を呼んでいて、とても悲しかったです。
今度結婚するのですが、母に改名した事を告白され、「覚えてるよw」と言ったら驚いていました。
547 :
名無しの心子知らず:2009/11/25(水) 16:33:41 ID:K9tmgJYR
>>545 すごい…
いきなり名前が変わって悲しかったんだね。かわいそう。
最近母親に私が覚えている一番古い記憶を話したら、二歳半の記憶だった。
会話が満足に出来なかったから言葉としてよりも、イメージみたいな記憶で残ってて母親は驚いてた。
ちょうど今、私も二歳を育ててるから気を付けないといかんと思った。
549 :
名無しの心子知らず:2009/11/25(水) 16:52:44 ID:KmE58DfI
>>546 それはショックだったろうね、546は何も悪くないのに迷惑な。
しかし思春期に吉田よし子だったら別の苦しみがあっただろうて
546気の毒に。
と言いつつ一瞬「旧姓+自分の子の名」を試して「うん、大丈夫」とか思ってしまった。
>>545私も同じ記憶がある。
普段おいてけぼりになんかしない母親が、あまりに私が熟睡しているものだから
兄と二人で買い物に行ってしまったらしい。
1歳前の記憶だ。夕方のことで、薄暗い家に一人ぼっち。
動けないのに読んでも誰も来ない恐怖でギャン泣きした。
551 :
名無しの心子知らず:2009/11/27(金) 21:39:13 ID:OKcQ9nfe
旧姓にしたら林梓(仮)みたいになっちゃうから微妙だな。
まぁ離婚しても旧姓に戻さないつもりだからいいけど…。
私は入園審査でIQテストのようなものを受けてる時の
記憶があるな。2歳後半のはず。
年少さん以降は先生の名前とかも殆ど覚えてるよ。
赤ちゃんも小さな子どもも色んなことを考えていて、また、それを覚えてるんだな
とここを読んでると思う
当方幼稚園教諭で年少を担任することが多いんだけど
その時は一生懸命関わって、お互いに楽しく過ごしても
大きくなったら忘れちゃうんだろうなってちと切なかった
でも大人になっても覚えてくれてる人もいて
こちらの頑張りも無駄じゃないんだって思えた
いいスレだ
長文&自分語りスマソ
幼稚園の先生のことも日常も覚えてますよ〜。特に一番初めの「先生」だから余計に。
555 :
名無しの心子知らず:2009/11/28(土) 10:22:28 ID:VB2sClou
幼児期の記憶なんて無いと思ったけど、読んでたら思い出した。
幼稚園の頃か?
いつも私だけ祖母と入浴してた。祖母のお風呂は熱くて、姉は嫌がっていたので、私も熱かったけど私まで嫌と言ったら可哀相と思って、頑張って入っていた。
母から「よく熱くないね」と言われて、本当は熱いと言ったら祖母が可哀相だから、「全然熱くないよ」と言っていた。
祖母がとても喜んでくれて、いつも私に「おまえが一番可愛い」と言ってくれるのが嬉しかった。実際に一番可愛がられたように思う。
でも思春期に祖母が疎ましく感じて、居間に祖母が来るとすぐ自分の部屋に行ったりして避けてた。
祖母が「おばあちゃんがあっちに行くから、おまえはここにいていいよ」と悲しそうに見てたのが、鮮明に思い出される。
おばあちゃんごめんね。私も本当は大好きだったよ。
結局スレチになってしまった。スマソ。
でも三世代同居は子供にプラスと思う。お嫁さんは大変だけど、子供のためになるから頑張って。
母が介護頑張ってたのもよく見てたから、母がそうなっても介護してあげていと思うし。
556 :
名無しの心子知らず:2009/11/28(土) 10:42:58 ID:AiEMt2rP
幼稚園に入る前だから2歳後半くらいのときだと思う。
ひとりで近所をフラフラしてて、帰ってきたら足の悪いおばあちゃんがめっちゃ心配してて、家の前で待ってた。
私の姿を見た途端、ヘナヘナと道路に座り込んで
「無事で良かった〜」と泣いた。
その姿を見て私も悲しくなって泣いた。絶対この人に心配かけちゃいけないと思った。
それからより一層おばあちゃんが好きになった。
2歳前後の記憶。
絵本を一緒に見ていたらかならず同じページで同じ言葉を言うので、
そこに書かれている模様が音を意味するのだということは理解したが、
曲線が複雑すぎて模様を判別できない。他に似た形がない「の」だけは
絶対これだとわかるので、新聞などで「の」の字ばかり探して指差していた。
558 :
名無しの心子知らず:2009/11/28(土) 22:02:12 ID:kFjiXoF7
ココ見てると、記憶力の差ってすごいなぁといつも思う。
私は幼稚園に入るまでの記憶は皆無だし、
それ以降でも友達や先生の名前なんてほとんど覚えてない。
覚えてるのは怒られた時の強烈な罪悪感だけ…。
>>558 私の周りだけかもしれないけど、男性より女性の方が小さい時の記憶がある人が多い気がする。
って558は女性かw
スマソ。
560 :
名無しの心子知らず:2009/11/28(土) 22:40:26 ID:oeaneJGz
>>545と似た感じ。
2歳前の記憶。
私が昼寝してたからか、私を置いて兄の保育園の迎えに行ってしまった母。
目を覚ますと部屋は真っ暗だったので怖くて泣きながら机に登り、電気をつけようとしたが届かない。
スイッチではなくてヒモを引っ張ってつけるタイプの電気。
豆椅子を机に乗せてそれに登りやっと届いたが少し斜めに引いたからか傘の埃が降ってきてくしゃみして転倒。
大泣きしているといつもはすぐに母が来てくれるのに、いないので来ない。
痛いことよりもそれがショックで泣き止めず。
やっと帰ってきた母が「あら!!起きてるわ!!」と焦って入ってきて抱き締めてくれたが豆椅子が机に乗せてあるのを見つかって怒られた。
まだ話せないので説明できず胸がチクチク痛んだ。
さらに泣いていると「いい加減泣き止みなさい」と怒られショボーン。
今、自分の子があの時の私くらいで、つい叱ってしまうとハッして抱き締めることが多い。
記憶はどんどん幼い時の記憶が子と重なって思いだしてる。
657 :名無しさん@十周年 [↓] :2009/11/26(木) 17:03:42 ID:h0IVyEbX0
前任の麻生機長は大変だった
外は100年に一度あるかという乱気流、機を保つのも精一杯だ
BAWもUSエアウェイも大きく高度を落とし、アイスランド航空は墜落した。
バルト航空も助からないだろう。
機長は旋回を続け、少しでもいい位置取りをしながら失速を防いだがそれでも高度を落としていく
一部の乗客が扇動する中、一人の男が私に機を任せるよう立ち上がった。乱気流のド真ん中だが。
麻生機長の操縦でやっと危険空域を脱しようとしたとき、その男が乗客の圧倒的な支持の元、操縦桿を無理やり奪い取った
「私に一度任せてみてほしい」
予想通り晴れる空
各国の航空機は今までの分を取り戻すように急上昇、バルト航空も生きていた。アイスランド航空は救助中
しかし一向に日本機だけは高度を落とし続ける。
右へ左へ舵を取り続けるがどんどん落ちる、乗客はなぜかと狼狽するばかり
飛行距離を稼ぐために貴重な燃料まで捨て始めた。驚く乗客、何を考えてるんだあの機長
しかしそれもそのはず、その男は機内アナウンスでこう言ったのだ
「飛行機というものがなんだかよく分からない」
2歳のときの記憶
病院のベッドの上で子供用のパズルのピースをいじりながら
隣のベッドのおばさんと母が笑いながら喋っているのをなんとなく聞いている。
父が「妹が生まれたんだぞ〜」といって、赤ちゃんの沢山いる部屋の前で
よく見えるようにと抱っこしてくれた。
でもどの赤ちゃんが妹なのかわからず、何度も父に「どの赤ちゃん?」と聞いたが
父には伝わってなかったようで、もどかしい思いをしたのを覚えてる。
この部分は強烈に覚えているけど、以後妹の乳児期は全く覚えてない。
多分あまり妹に触らせてもらえなかったんだろうなぁと思うw
563 :
名無しの心子知らず:2009/11/29(日) 00:40:03 ID:7l9Y5aEK
>>562 自分も2歳のとき弟が生まれたんだけど、
母が妊娠中一緒に検診に行って心音を聞いたんだけど
音が怖くて逃げた記憶があるw
そして
>>562と一緒で乳児期の記憶はない
564 :
名無しの心子知らず:2009/11/29(日) 00:43:29 ID:2CMaktwy
前世の記憶?
565 :
名無しの心子知らず:2009/11/29(日) 01:17:15 ID:Z5Tmh29h
7ヶ月。
蜂に刺されたのが怖かったケロ)^o^(
びっくり。2歳の記憶がある人ってすごいわー
自分は3歳以降で一部分とかそのくらいだもん
お腹にいたこと覚えてる子がいるってのも本当なのかも
でも前世の記憶はやだな・・・
「お母さん、空襲怖かったね」とか嫌w
567 :
名無しの心子知らず:2009/11/29(日) 01:42:44 ID:CbHPjcKm
3、4才のとき
朝幼稚園に行こうと家を出る時に
通園帽子のゴムが伸びてしまっていることを思い出し、「この帽子じゃいきなくない」と母に訴え大泣き
母には「もう時間がないんだから我慢しなさい!」と言われたが
一緒に住んでいた父方のおばあちゃんが「そんなの簡単に治せるんだから今治してあげなさい!」と言い出し
母とおばあちゃんは口論になった
それから何日かたって
母方の祖母の家に行ったとき
父や父方の祖母とうまく行っていないと
母が泣き出し
色々な不満を話はじめ、帽子の話も出た
母が泣いているのを初めてみたので
物凄く戸惑って
でも励ますのも恥ずかしいからニヤニヤしていたら
そしたら母方の祖母に「母親が泣いているのにお前はなにニヤニヤしてるんだ!だいたいお前のせいで泣いているんだから少しは反省しろ!」
と怒鳴られた
数日後
父と母は離婚した
祖母の言葉から小学校中学年くらいまでは
自分の帽子のせいで父はいなくなったのだと
夜中思い出しては泣いてたな〜
父に玄関で「パパがいなくても頑張るんだよ」
と言われたことも忘れられない
泣きたかったけど困らせたくなかったし目をあわせられなかった
自分、まだ歩きも出来ない時の記憶が一つだけある。
母が掃除機をかける時、座卓の上にぽんと置かれるのw
母に聞いたらベビー布団をどけて掃除機をかける時私をどこにやるか考えた結果、埃が舞っても大丈夫な床より高い場所→座卓!ピコーン(AA略
って事で毎回座卓の上に移動させてたらしい。
ねんねの頃だから1歳未満?
まぁこれしか覚えてないんだけどw
次の記憶からは妹が登場するから3歳以降だ。
3歳前かなぁ…前にもあったけど私も親が大袈裟に褒めてる事はわかってて
「ケッ。馬鹿にしてんのかよ。でも、付き合ってやるか〜」
って思ってた。
親ってしつこいんだよね同じ事何回もやらせようとしたり祖母とかの目の前でやらせようとしたり…気分じゃない時も付き合ってあげてた。
ある日
「ね〜、単純なのさぁ。子供なんて褒めれば良いから」
って感じの事を母が私の前で言ってて今も無神経な人なんだけど、一気に親に対して不信感。
私は嫌な時もやってあげたのに馬鹿にされてる?みたいに感じた瞬間。
それ以来イヤな時は絶対にやらなくなった。
無神経な言動って気づかずにやっちゃいがちだけど子供は結構傷つくんだよね。
案外わかってるもんだ。
0歳児の双子妹が毎日自分の手を不思議そうに見てて、たまに自分の手に向かって笑いかけてるんだけど何か考えてるのかも…ってこのスレ見て思った。
>>567 母親がおかしいね。
子供の前で泣くなんて。
しかも、祖母までが、おかしいね。
子供を守るのが母親なんだから、娘を叱り飛ばして婚家に蹴り返すくらいじゃなきゃ。
変な親子〜〜あなたは大丈夫?
571 :
名無しの心子知らず:2009/11/29(日) 02:41:58 ID:CbHPjcKm
>>570 母親も祖母も少しおかしいのは大人になってから気づいた
母親は育児放棄and虐待っ気があったし
今は二度目の刑務所に入ってるw(母親にあんま興味ない
祖母は変わってるけど仕事しながら一生懸命私を育ててくれたから感謝してるし尊敬してる
スレ違いになってしまったけど、そういう経験を反面教師にしていきて行こうと思ってるし
多分自分はまとも..
あくまで多分だけどw
3歳1ヶ月、入園式もだけど翌日の記憶がある
母と別れ教室に。でも急に不安になり出たら母がいない
泣きながら上履きのまま雨の運動場に飛び出したが友達に連れ戻され、待ってた先生になぐさめられた
喋りたいのに しゃっくりが邪魔して上手く喋れない
もうこのまま幼稚園の子になるんじゃないかとその日は悩み過ぎて遊べなかった、大好きなチョウチョの歌も隅っこで聞いてた
この記憶があるからうちの娘には一日のおおまかな流れを説明してから出掛けるようにしてる。理解してるかどうかはわからんが
長々とスマソ
574 :
名無しの心子知らず:2009/11/29(日) 09:09:49 ID:ImUWxpaR
私は、幼稚園は何か全く理解してなかったな。
小児喘息で年中さんから入園したから、周囲の子は幼稚園に馴染んで当たり前に生活してたけど、私はいつもどういう状況か理解できずにいた。
例えば自由遊びの時間とか、皆は自由に遊んでいたけど、私はそもそも自由時間だということが分からなかったから、何をすれば良いやら自分の席の辺りでぼーっと皆を眺めてたのを覚えてる。
ある日「そうだ、お家に居る時みたいにお絵描きしょう!」と思い立って、それからは毎日一人でお絵描きしてた。
さよならの挨拶してから、帰りの園バスまで自由時間だったけど、そもそもバスに乗って帰るとか何時がバスとかも知らなかったから、いつも乗り遅れて置いてきぼりだった。誰もいない教室で一人で楽しくオルガン弾いてて、見に来た先生がびっくりしてたのを覚えてる。
でも母が迎えに来て二人で帰るのは嬉しかった。
小学校も然りだったけど、みんな同じ新一年生で、先生がちゃんと事細かに指導して説明してくれたから、状況が理解できてからはちゃんと過ごせた。
お子さんが幼稚園とか小学校でぼーっとしてる様子だったら、何しに行く場所とか、一日の生活の流れとか、ちゃんとお話してあげたら良いと思う。たぶん自分のおかれた状況が理解できてないんだと思うから。
理解してなかった分だけ、幼稚園は無駄に過ごしていた気がして、勿体ない。
母親の涙って衝撃だよね。2歳の時に1回見たけどショックだった。
兄が病弱で病院通いしてたんだけど、病院帰りの雨の日に、兄をおぶったまま母が泣いてた。私はカッパと長靴を装備してご機嫌だったんだけど、一気に悲しくなって泣きたくなったけど我慢した。
次に母が泣いてるのを見たのは、私の結婚式だったなぁ。
大人になって母に、あの時の事を聞いたら、あの日は医者に兄は難しい病気かもしれない。と言われたらしい。
イロイロ大変だったんだろうけど、いつもニコニコしてた母は凄いなぁ。
親になって母の凄さが分かったよ。
>>574 私の幼稚園時代と一緒w
小学校に行く前に集団生活を経験させねば!と両親が幼稚園決めて入れられたけど周りは一年前から通う子ばかり。
暇で常に絵書いてたから全く集団生活に馴染んでない上、「どうせ小学校になったら会わない」って気付いてるから仲良くする気もなく…
一人遊びに没頭。
すごい無駄な一年だった。
577 :
名無しの心子知らず:2009/11/30(月) 07:24:13 ID:Vcj8OWV3
携帯からごめんなさい。
二歳か三歳くらいの時、裁縫が趣味の母におぶられて手芸屋さんに行った。
きれいなボタンがたくさんあって欲しくなってきて、おぶられたまま手を伸ばし黄色いピカピカしたボタンを握りしめて帰った。(万引き…)
家で小さな弟に半分あげようとしたところで現行犯逮捕された。
母は怒りはしなかったが、一緒に手芸屋さんにお金を払いに行った。
悪いことをしたと、この時はじめて反省した。小さいころからの善悪のしつけって大切だなって思う。
3歳の頃までお風呂のない文化住宅に住んでたから、近所のお風呂屋さんに通ってた
姉マリコ(仮)と私ユリコ(仮)の持ち物にはいつも「ま」「ゆ」の字が記入されていたため
お風呂屋さんの「ゆ」の暖簾をみていつもほのかな征服感を覚えていた
5月生まれなので5のつく数字のロッカーを使いたくていつもだだをこねた
体が弱くて幼稚園に在席してたものの月5日行けたらいいほうだった私。
幼稚園のシステムが理解できなかったから、行く意義もわからなかった。
あとお遊戯の練習とか、私は飛び飛びでやるから、物事には段階があって順序よくやるとステップアップできることに気付けなかった。
私だけいつもわからなくて情けなかった。そこらへん説明してほしかったかも。
私立幼稚園に通ってたんだけど、年少さんをみるたび
年中組から入った仲間内で、「ここに年少さんから通えるなんてお金持ちだよねぇ」などと話していた
多分どこかの親がお金について話したのが広まったんだろうけど、うかつなこと言えないね…
幼稚園に入園した日のことを覚えてる
私の家族は全員どちらかと言うと丸顔だったから
面長の顔はそれまであまり見たことがなかったので
面長のお友達の顔がなぜかアーモンドみたいに見えた
心の中で『ナッツちゃんが一人・・・』
『ここにもナッツちゃんが二人』などと思っていた
そのナッツちゃん二人とは仲良しになった
あ、あるw
私のは性格悪いけど
スクーリングみたいなので輪になって座った時、
ふくよかな子に目をひかれあろうことか
…太った女だな
と思った
やはり仲良くなり、小学校中頃までよく遊びました。
5歳の頃、幼稚園で帰りの会をやる直前に、お漏らしした。
わざとやった。
なぜかと言うと、お漏らしすると、幼稚園が新しいパンツをくれて、それを履かせてもらえるから。
やってみたかった。あと、ちょっと幼稚なことをやって小さい子扱いされてみたかった。
「せんせー・・・おしっこ漏らした・・・モジモジ」と。
私はお漏らしなんか絶対しない子だったので、先生は「どうして!?」とびっくり
焦っていたけど、私は内心「ふふ 演技は成功。」とほくそ笑んでた。
でも帰宅後、なんと先生から母に電話がかかってきた。
私は「先生がおしっこ漏らしたことをおかあさんに電話してる!」と悟り、焦った。
電話を切った母は、私に
「なんで漏らしたりしたの!?・・・・・・わざとだね。幼稚園のパンツを履いてみたかった
んでしょう」
とズパリ見抜かれ、もう、しどろもどろ、バツが悪いのなんのって。
翌日「先生も私に「わざとやったのね」って言うんだ・・・恥ずかしいよーー」
と思いながら登園したけど、先生は何も言わずに普通に接してくれた。
優しいなぁと感動したので、今でも鮮明に覚えてる。
3歳の時、何かの注射をする事になった。(何の予防接種かはシラネ。)
その日の昼食はお餅だった。
食べながら母が「お餅を食べると、注射しても痛くないんだよ〜。」と教えてくれた。
「そっか、お餅を食べたら痛くないのか!これはいい話を聞いた!」と喜んでお餅を食べた。
いざ注射の時、刺されたらやっぱり痛くて「痛くないんじゃなかったの?!」と思ったが、
「でも、お餅を食べたからいつもより痛くないんだ!」と思い直し、泣かずに済んだ。
というわけで、自分の子供にも、
「今日、しっかりお昼ご飯を食べたから、注射しても痛くないよ〜。」と吹き込んでから予防接種に行く。
私に似て単純なようで、効果アリアリw
3歳で初めて幼稚園に行ったとき、子供がいっぱいで小汚い…と思った
大量に作られて配膳された給食もグロテスクにしか思えず、
自分専用じゃない食器が生理的に嫌で仕方なかった
繊細っちゅうか、すごい上から目線でした
今は神経質どころか無頓着で大雑把。
多分2歳ぐらいの記憶。
父の知り合いの自動車整備の店に行って、父は私を事務所みたいな場所に1人残してどこかに行ってしまった。
1人はつまらなくて父の出て行った扉を開けたら父が遠くにいたので嬉しくなって走っていったら、気が付いたら目の前が真っ暗。
どうやら昔あった車を整備する穴にダッシュで飛び込み落ちたらしく、高いところから父が叫んでた。
わざとらしいぐらい丁寧に抱っこされてソファに寝かされて心配されたが、無傷だったし落ちた危険さもわからなかったので何をそんなに心配しているのか意味がわからなかったが父がかまってくれるようになったのでうれしかった。
落ちた時の記憶とか痛みとかは覚えてないけど、大人になってからゾッとした・・・整備口って深さ2mぐらいあるよな・・・
自分の子は絶対1人で放っておかないようにする。
7、8ヶ月頃、曾祖父におんぶされての散歩が一番の楽しみだった
風が気持ち良くてお腹が温くなって嬉しかった
じいちゃんが「帰るか」と言い、帰宅するのはわかってた
曾祖父が片手で戸を開けようとした時『もっと散歩したかったのに』
と、怒りくるい動きまくったらドテっと落ちた
母の凄い形相が斜めからスローで見えた
痛くないけど皆の心配そうな顔が怖くて泣いたw
次に泣いた時はなぜか真っ暗、怖い顔の皆は居ない…夜だったみたいです。
589 :
名無しの心子知らず:2009/12/04(金) 19:09:55 ID:Sfq0MPYl
590 :
名無しの心子知らず:2009/12/04(金) 19:58:20 ID:C5qAq0bG
ヨチヨチ歩きの頃だから一歳半とかそのくらい
じいちゃんが散歩行こう、というので気は乗らないが出かける。
途中オムツにウ○コしてしまうがじいちゃん気がつかずに上機嫌で鼻歌。
「じいちゃんにはオムツ替えてもらえないし、家までガマンするか・・・
しかし歩きにくいな・・・」
と思ってる記憶。そう考えながらラーメン屋の脇の歩道にめり込んだ電柱
を鮮明に思い出す。
591 :
名無しの心子知らず:2009/12/04(金) 20:01:26 ID:C5qAq0bG
>そう考えながらラーメン屋の脇の歩道にめり込んだ電柱を見ていた
のを鮮明に思い出す。
の間違いです、スマソ
一番古い記憶はおむつ替えられてた。たぶん0歳のねんね時期。
新しいおむつをあてがわれた瞬間、次の●をもよおしてプリリ…と。
あ〜気持ちいいと思ってたら、両親が大騒ぎ。
こんなに気持ちいいのに何か騒いでるなーどうしたんだろう、何だか愉快愉快と思ったのを覚えている。
実際はそんな正確に言葉で表現できる感じでなく、もっとふわーっとした感覚的な思いでした。
あと、もうすぐ1歳?ぐらい、父が私のほっぺを「はむはむ…」と食べるフリをするたび、
ほっぺたが無くなった!と思って号泣してた。でも鏡を見ると無事だったので、赤ちゃんのほっぺ再生するんだと安心。
しかしまた「はむはむ…」⇒号泣 の繰り返し。もし再生しなくなったらどうしてくれるんだ!と心底心配だった。
3歳からは普通に記憶があって、幼稚園に行く前には「この、何にも属さない生活ももう終わり…
これから学校に行って仕事をして、常に何かに所属する人生になるんだな…」と過ぎゆく幼児時代を惜しんでいた。
あと今でもすごいと思うのは、4歳ごろに弟やその友達(1歳)の喃語を訳して両親に解説していたこと。
大人はなんで分からないんだ?と不思議だった。でも、半年もすると、自分も赤ちゃんの言葉が分からなくなった。
人間には大人の言葉も赤ちゃんの言葉も両方分かる時期が、ほんの少しの間だけ訪れるんだと思う。
>>592 592を読んで思い出した。
私も4歳頃に弟の喃語を普通に理解していて、両親に訳してた。
でもそのうち、弟が誰にでも通じる言葉(カタコト)で話すようになった。
私は寝室の窓辺に立って、窓のレールというかサン?に唾を吐いている。イヤ〜な感じ。
断片でしか覚えてないけど、母に聞いたら記憶の場所で カメムシを半分食べてしまったらしい…1歳半…
急に ぎゃあぁぁ‼と泣いたから駆けつけて見たら足元にカメムシが半分落ちてて、
残り半分は口の中にあったらしい。
泣いた事とか、味とか、覚えてないけど
不快な感じは覚えてる。
よっぽど強烈だったんだろうな…
>>592、
>>593 私も思い出した。
言葉はわからなかったけど、赤ちゃんがギャン泣きしてる理由がわかってた。
お母さんのくせになんでちゃんと聞いてあげないのよ!
って母親に赤ちゃんの代弁して怒ってた。
今はしばしば赤の泣く理由がわからなくてオロオロしてしまう。
596 :
名無しの心子知らず:2009/12/04(金) 23:29:07 ID:PVAzX41P
おまいが電柱にめり込んだのは理解できた。
ぎゃー!
誤爆です。失礼しました。
599 :
名無しの心子知らず:2009/12/05(土) 00:00:05 ID:JkOm6FnX
かめむしコワス…
0歳の頃の記憶。
ふと目を覚ますと薄暗い部屋にひとり寝かされている。
窓の外からは豆腐屋さんのパープーパーというラッパの音とブロロロッというバイクの音。
首と手足しか動かせなかったから、まだ寝返りする前だったのかな。起き上がることも出来なかった。
でも大声で泣けば母親が来てくれることが分かっていて、力いっぱい泣いた。
足音が近づいてきて部屋が明るくなって母親が笑顔で覗き込んでくる。
オムツ(布)を替えられる。足を持ち上げられるのが楽しい。でも拭き方が不十分でちょっと気持ち悪い。もう少ししっかり絞ったタオルで拭いてくれ、と思う。
その後抱っこされて階段を降りるのだが、そのふわふわした感覚が最高。
母親が私を膝に寝かせておっぱいを飲ませながら食事。食器がカチャカチャ鳴る音、楽しそうな会話、じいちゃんが味噌汁らしきものをすする音、家族の存在をそういう風に体全体と心で感じてた。すごく幸せだった。
なぜか目から汁が…。
ウチの赤もそんな風に感じてくれてたらいいなぁ。
>>552 私こそ「先生はたくさんの子をみてるから私のことなんか忘れちゃうよな」って思ってたよ。
先生が産休に入るときも悲しくて悲しく号泣した。
先生は私達よりお腹の赤ちゃんが大事なんだなって寂しかったなぁ。
一生会えなくなると思ってた。
603 :
名無しの心子知らず:2009/12/05(土) 08:51:04 ID:rpsiHdL0
>>552私は幼稚園3年間の先生を名前までしっかり覚えてるよ。
年少の先生は、よく怒るし、怒ると凄く怖かった。倉庫にしばらく閉じ込められたりした。
でも、普段の先生は、面白いし、たくさん遊んでくれるし、大好きだった。
年少の終わりに引っ越しで転園したんだけど、最後の日は先生と離れたくなくて幼稚園バスの下に逃げた。
結局、説得されてバスの下から出たんだけど、先生にまた怒られると思ってビクビクしてたら、先生は抱きしめてくれた。
親が迎えに来るまで職員室で先生とたくさん話をした。先生が机から水ようかんを出して食べさせてくれた。
みか先生ありがとう!大好きだったよ!
幼稚園に入るまで、日中は1人遊びが主で、同年代の子と遊ぶことがあまりなかった。
幼稚園に入っても日中は1人ですごすものだと思っていて、部屋の隅で絵本ばかり読んでいた。
小学校に入って苦労したw
我が子には、同年代の子と自然に遊べるようにしてあげたい。
また「幼稚園の先生はたくさんの子どもをみてるし、私は先生と個人的に話すような仲ではないから、私のこと知らない(覚えてない)だろな。」
と思ってた。
だから、病気で入院したとき先生がお見舞いに来たときは「なんで私のことを知らない(覚えていない)はずなのにお見舞いにくるの?」と、驚いた。
卒園式のとき、その先生が涙ぐみながら手をしっかり握って何か言ってきたときは「なんで私のことを知らないのに〜」とまた思った。
基本的に人との距離感や付き合い方がまったく分かっていなかった。
605 :
名無しの心子知らず:2009/12/05(土) 09:38:18 ID:doniZYXS
>>602 母が元幼稚園教諭だが、60過ぎた今でも全員の顔と名前を覚えているぞ。顔も変わってるだろうに、そこらで偶然出会っても直ぐに気が付くから見ていて驚く。
体調崩して病院に行ったら、教え子が先生になってたと喜んでた。主治医になってくれて、手術してもらったよ。
先生も先生と呼び、母も先生と呼び、お互いに「先生だなんて〜」と照れていた。
母は下のクラスに弟がいたのも覚えていて、元気かと尋ねたら「小学校の頃に病気で亡くなり、それで僕は医者になった」と言われて、母は泣いてた。
スレチすまソ。
先生は生徒を忘れないと言いたかっただけ。
>>601 もし記憶がなくても愛情は必ず伝わるし、体や心が忘れないと思う。あなたのお子さんも幸せなはずだよ。
私はたまたま乳児からの記憶がほとんど残っていて、それは当たり前のことだと思ってた。
幸せだったけど、両親の些細な喧嘩まで鮮明に覚えているから、そういうのはちょっと辛いかな。
赤ちゃんは言葉が話せないだけでいろんなことを感じてるし、よく聞いてるし、よーく見てる。
私がこんなだから、子供たちにはすごく気を使うよ。良い意味で。
それにしてもこのスレって覗く度にいろんな感情の涙が出るよね。良いスレです。
3歳あたりの頃
そろそろママじゃなくお母さんと呼ぶ時期と思い
外遊びから帰ってきて、私を玄関先で出迎えた母に向かって
「お母さん!」と呼んでみた。
すると母は「お母さんじゃ若い感じがしないからママって呼んで!」と即答。
大人にも色々あるんだな…と初めて知った瞬間だった
608 :
名無しの心子知らず:2009/12/05(土) 11:57:38 ID:Y83uaFF+
小さい時、夜兄ちゃんとアンパンマンのビデオを見させられてた。
お母さんは仕事に行ってる様で、すごくお母さん大好きでべったりだった私は、お母さんが家にいない事に気付いてギャン泣きした。
で、隣の部屋で寝てるじいちゃんにうるさい!と怒られて一瞬泣き止むけど、また泣き出す。
「あ〜疲れた〜〜」と思いながらも、ずーっと泣いてた。
途中で「なんで泣いてるんだっけ‥」って思いながらも、お母さんがいないからって理由だけでとにかくずーっと泣いてた。
609 :
名無しの心子知らず:2009/12/06(日) 13:21:31 ID:zcqrmM5m
とにかく古い記憶
部屋は煙草くさくて父と知らないおっさんがいた
私は小さいドラムかんにのってあそんでいる
世界が反転したかとおもったら口の中が痛くなって泣いていた
小さいとき冬は寒いので母が私をよく抱いて寝ていたんだけど、正直それが嫌だった。
理由は母が口臭さんだったから。
母の息が自分の顔にかかるのが嫌でいつも深く布団にもぐりこんでた。
でも子供心に「息がかかるのが嫌、なんて言ってはいけない」と思っていたので言わなかったけど。
お子さんにキスやハグを嫌がられるお母さん、もしかしたら…
私はまだ乳幼児の頃の記憶が…
とにかく乳首を口に含みたくないのに無理矢理口に入れられて、「嫌だぁ〜!!」と思いながら多分そのまま寝たような??
本当にぼんやりと白っぽい映像で覚えている。
そして乳首は焦げ茶色だった
>>611 そして付け加えるならば、赤から見た乳首はとても大きくて恐かった。ような
今度母親に何歳まで授乳していたのか聞いてみよう
私が2歳のとき、姉が幼稚園に行きはじめた
それまで優しかった母が、怒鳴ったり厳しくなった
それで私はずっと母に「最初は優しいフリしてたから騙された」と思っていた
どうして騙されたと思っていたのかは今でも分からないけど
あと、なんでも「なんで?」と聞いてた多分2〜3歳のとき
世の中の何もかもが気になって仕方がなかった
母はいちいち付き合ってくれてたが、姉からはいつも
「あんたバカだね
〇〇は〇〇なのっ!
なんでとかないの!」
と言われていて、私はバカなのか…
しかも世の中には理由のないこともあるのか
と、すごく冷静に考えていた
614 :
名無しの心子知らず:2009/12/08(火) 23:59:38 ID:j+OYLc0s
私が一歳か二歳の頃。
お父さんが、親指を人差し指と中指の間から出して
私と兄に「ほらっ」と見せたのを覚えてる。
お母さんが「やめなさい」って怒ってた。
父親が似てる芸能人がテレビに出てると「パパが出てるよ〜」ってよくやられてた。
幼いながらに、全くにてないと思ってたし区別もついてたけど、
あんまり言うからパパはテレビに出ると少し顔が変わるんだ…と無理やり納得してた。
「あれだあれ?」に付き合いでパパって答えてうんざりしてた記憶がある。多分入園前。
結論としては子供はちゃんと親の顔区別出来てるわ。
芸能人の話で思い出した。
父親がアデランスのCMにでてたさだまさしに激似だった。
うちのお父さんテレビに出てる、スゲー!
と思い、幼稚園で自慢しまくったが、母親に
あれはお父さんじゃないよ。と言われ、皆に何て謝ろうかと悩んだ。
保育園に通っていた頃、トイレは男女ともに基本ドア開けっぱで用を足していた。
4歳頃のある日、外からバタンとドアを閉められ、自分より小さい子供のイタズラっぽい笑い声。
そんなに怒りは感じていなかったと思うけど、中から力いっぱいバン!と押したら
外にいた2歳くらいの男の子の顔にモロにあたり、うぎゃ〜〜〜と大泣きし出した。
自分は慌てて頭をいいこいいこして、ゴメンねゴメンねと謝ったが
その子はフルチンだったので真正面からおしっこをかけられ、
それでもとにかく泣き止ませようと必死だった。
あの頃から、男児を育てることが運命づけられていたのかなと思うw
育児にどう役立つのかわからんレスもあるけどw面白いスレだな〜
私の記憶…
多分2〜3歳の頃。
部屋がすごく寒くて、冷たい床に裸足で歩くのが嫌だった。
よちよち歩いていたら、ほわーんと温もりを感じて、そっちに向かった。
突然、そのあったかいものは倒れて、私の太ももに熱湯がかかった!
私のただならぬ絶叫を聞いて、母親が飛んできた。
抱きかかえられて風呂場へ。
熱湯がかかったところに、服の上から冷水をかけられた。
熱い、痛い、冷たい、寒いで私はもうパニック。(多分母親もパニック)
火傷の痕は残ってないけど、ほんとーに怖かった。
ポットは子供の手の届かないところに置くようにしてください!!
炊飯器もね〜。
高いとこに置いてあったがあの湯気がしゅー!ってのが気になって椅子によじ乗った。
穴をふさいだらどうなる?この箱のなかに湯気充満?そしたらさらに勢い良く穴から吹き出すんじゃね?
やってみよう!と思って自分の手で穴をふさいだ。その後の記憶はないが、二歳の時のことらしい。
私も2歳位の頃鍵の束をいじくってて、
コンセントの穴に入れたらどうなるかな・・・って
目の前がチカチカするようなテレビの砂嵐のような感じになったのだけ覚えてる
うちの兄が小学生低学年頃、ハサミでチラシと一緒に扇風機のコードを切っちゃって、
火花が飛び散ったのを目撃したことを思い出した。
昔ながらの黒いでっかいハサミなんだけど、コードを切ったところが丸く穴があいてたんだよな。
>>621 私もそれやった。私の場合は体がびりびりして「手を離さなきゃ!」て分かってるんだけど、体が言うことをきかなかった。
気付いたじいちゃんが離したけど、しばらくその感覚が忘れられなくて、またコンセントに何か刺してやろうと機会をうかがっていた。
けど母の監視が厳しくなりできなくて、そのうち諦めた。
子供の好奇心は恐ろしい…
寝かしつけ習慣が本だった人に質問
その後、大きくなってから本を読むとすぐ眠くなるとかありますか?
眠れない時には温かいミルクってのも
寝かしつけに母乳やミルク使ってた人にだけ効くのかなと
子育て中の今思ってるので
本の場合がどうなのか知りたいです
4歳の時。二段ベッドから紙を落とすとヒラヒラ落ちるのに
自分が飛び降りるとドスン。何故だムキーとなってた。
そして出した結論は「高さが足りない」。あろうことか当時知ってた
一番高い所=マンションの屋上から飛び降りようとした。
ヒラヒラ飛べなかった時のために親に遺書を残して屋上の柵を乗り越え、
手を離せばダイブって所まで行って、何となく後日でも良いか〜
と引き返して命拾い。柵を後ろ手に持って地面を見下ろしながら、
失敗したら最年少自殺って新聞に載るなとか思ったのを覚えてる。
帰って母親に話すと、恐ろしさで身悶えしてた。
ほどなく屋上行きの階段は通れないよう扉で閉ざされたが、自分が原因とは分かってなかった。
今は思い出すたび恐ろしい。
ホットミルクが入眠に良いのは科学的に理由があった気がする。
だから母乳で寝るとかは関係ないと思うけど…
おしゃぶりでも効くんだから、赤ちゃんが寝るときに乳やミルクを飲んで寝るのは単に口に
含んだ安心感じゃ?
同様に、本を読むと眠くなるのも脳を使うからとかの理由だったと思うし。
>>625 うちは兄妹3人とも寝かしつけは本だったけど様々
本大好き、本読むのマンドクセ(眠くなる)、そもそも話に興味ないけど本読んでも眠くならない
その子の資質だねー
629 :
名無しの心子知らず:2009/12/11(金) 22:19:08 ID:La4IsJDM
>>625 母によると、私は本で寝かしつけされていたらしいが、そもそもその記憶がない。よって、本を読んで条件反射で眠くなることは無い。
寝る前限定でしか本を読まないのと、日中も読むし寝る前も読むしってのとは、また違いと思う。
そもそも寝る前限定でしか本を読まない、って有り得ないと思うから、寝かしつけに本を読んだからといって、条件反射で本を読むと眠くなるってのは無いと思う。
630 :
名無しの心子知らず:2009/12/11(金) 23:10:19 ID:le7yBbZH
>>614うちの父親もそれやってたw
もう喋れたから3歳ぐらいの頃だと思う
よく「これな〜に?」と、その形にした指を見せてきた
子供心に何となく恥ずかしい物なんだろうなとは思っていたけど
「知らな〜い」「わかんな〜い」と、いつも答えていた
それが父には面白かったらしい。
有る時、何か言わなくちゃと思って
「指マーク!」と元気良く答えた
寝かしつけ、本や親が即興で作った物語だったけど、いつも寝るどころか興奮して目が冴えてた
そのうち親の方が呂律がまわらなくなってウトウト
何度も起こすけど、いかにも眠たげな親の声を聞いて、諦めて寝ちゃうことがほとんどだった
あれは寝たふりだったのかなあ?
>>632 下品な意味のハンドディスチャーですわ、奥様
>>632 中指立てたら男
親指を指の間から出したら女
何にも知らずにやって怒られたわ〜
でもコソっと教えてくれた母
でも自分の腕に吸いついて内出血させた(キスマーク)のを
怒られたのは成人するまで意味判らんかった
アルファベット手話のTがその所謂女握りに似ていて
子供が「てぃ」と言いながらするが、少し困る。
妹がいなかったからたぶん2、3才。
母が昼間にふとんをかぶって寝ていて、ニコニコ笑顔でおいでおいでしてくれた。
私は嬉しくて 走って母のふとんに潜りこんだ。…くさい…
母はふとんの中でオナラを溜めていた。
慌ててふとんから出たけど、母の大爆笑を聞きながら 騙されたショックと、母に腹がたったことを覚えてる。
子供産んで里帰りした時に、話したらまた大爆笑してた…
小さい子供にだってプライドあるんだって忘れないで子育てしよう…
ああ、なんかわかる。それやられたら全然吹けないよね。
私も悲しくて泣いてるときに「あらあらかわいーこんなことで泣いちゃって」と大爆笑されるのが
すごくいやだった@2歳児
こっちは一所懸命なのになんで笑うんだ、っていう。
良スレ!子どもへの接し方が変わったわ
私もひとつ
携帯からごめんなさい
3,4歳の頃の話
超お気に入りのハードカバーの人魚姫の絵本があって最後のページが、人魚姫の塗り絵になってた
人魚姫の下半身(うまい表現が見つからないが、いわゆる魚部分)
これを何色に塗るかすっごい悩んでた。
母にも「何色にするの?」と何度も聞かれて
「ピンクもいいし、赤も、水色も・・・」
てな具合で、多分1週間位悩んでた
そーだ!クレヨンの色を全部塗れば虹色になる!私、天才!
ピカーンとそう閃いて、塗った
まず白のクレヨンで魚部分を全部塗り、
次は、その上を隣の黄色のクレヨンで重ね塗り。
オレンジ、赤、紫と次々重ねて、
最後に塗ったクレヨンは、黒だった・・・
完成したのは、当然真っ黒な人魚姫。
見て驚いたのは母。
どうしてなのか、何度も聞かれたが、己の失敗をあきらかにしたくなくて、何も答えなかった。
塗り絵を真っ黒に塗るのは心に傷を抱えている子どもだけじゃなく、
ただアホな子もいますと言うことです。
かわゆす。
笑われるでひとつ思い出したよ
3歳か4歳の時。
ラーメン屋の中華丼を食べたら唇が腫れあがり、
痛痒くて困ってるのに
親に笑いながら医者へ連れて行かれた。
待合室のはだしのゲンを眺めて診察室に入ろうとすると、
看護婦まで笑いやがった…
たまに思い出しては納得いかないw
それは余程おもしろい顔になってたんだろうなwww
とはいえ、我が子なんだから心配してほしいよね!w
アレルギーだったんじゃないの??
中華つながりで。昔からとにかく唐揚げが大好きだった。
4歳ごろだったと思うけど、ある日中華料理店(大きな丸テーブルがある)に
連れていかれた。
から揚げに見たことがない黄色いクリームが添えてあるのを見て、
卵の黄身を練ったものだと思って(数日前に母がタルタルソースを作ってて
アレの白身を入れないやつだと思った)
指にたっぷりすくい取って舐めた
それが私のカラシ初体験
幼稚園の頃、祖母とテレビを見ていて。
番組の始まりか終わりか、出演者やスタッフの名前が出るのを見ながら読み上げた。
多分ひらがなは全部読めて、漢字も少し読めた(間違ってたかもしれないけど)。
どうしても分からない漢字は「ナントカ」として読んで読み終わると
祖母が「スゴいねー!『全部』読めたねー!」と驚嘆、喜んでた。
多分『全部』ってのは、分からないところは飛ばしても
全部の字を目で追って読み切ったってことなんだろうけど、その言葉を聞いた私は
「え!分からないからナントカって言っちゃったけど本当にナントカって字があったんだ」
と解釈した。
それからしばらく、多分小学校上がってからも
「ナントカってどの字だったかな…あの時読んだ字の中にあったはずなんだけど」と迷ってたw
褒めるにしてもちゃんと要点を褒めた方がいいかも…。
私の頭が固かっただけかもしれないけどw
>>640 年長時の頃に似たような思い出が…
私は新品のクレパスがあんまりきれいだったから大事に取っておきたくて
「そうだ、汚い色だけで塗ればきれいなクレパスが残せる!」と
チューリップを茶と黒で塗ったら
保母さんから「チューリップって本当にこんな色してるかな?」と指摘された。
先生の意図は理解できたからしぶしぶ赤や黄も使ったが、
ぴかぴかの角はなくなり、出し入れのときに隣のクレパスの色もついてしまって宝物が台無しに。
完成した絵を先生に見せたら「上手に書けたね」と言ってくれたが
それを聞いたらすごく悲しくなってきて泣き喚いた。
当時は何で褒められたのに悲しくなったのかわからなかったけど、
今になって思えば、大事なものを仕方なく捨てたことを褒められても嬉しいはずがない。
しかし当時の保母さんはさぞ驚いたことだろう。
646 :
641:2009/12/14(月) 10:08:33 ID:ZS8QllPN
今でも野菜食べると口痛くなったりするから、多分アレルギーだと思う。
時代的に
「オイ〜ッス!」
だったんだろな。うん。
誰か一人でいいから異変に青ざめてほしかったw
幼稚園の年中さんくらいかな?
運動会の練習のかけっこで最下位だった。
でも、それはいつもの事で別にショックでもなんでもなかった。
友達とふざけながら待機場所へ戻るときに、ちょっとした出来心で
滑り台の下をくぐったら、頭をぶつけて大泣きした。
そうしたら、先生に「最下位だからって泣かなくていいのよ」
と慰められたんだけど、
「いまさら最下位くらいで泣くわけないじゃん!頭ぶつけて痛いんだよ!」
と言いたかったのに、痛さのあまり言葉にならなくて
「先生は私のこと分かってない。私いつも最下位だけどいつもは泣かないでしょ」
と、なんとなく不信感を覚えたもんだ。
まぁ、怪我がなくてよかったけどさ。
幼稚園時代で一番よく覚えてる出来事だ。
このスレ見てたらいつも赤に向かって
「何でそんなかわいい顔してるんでちゅか〜?
あんましかわいいとおかーしゃんに食べられちゃうよ〜、ぱくっ」
とかやってる自分が恥ずかしすぎて死にたくなってくるorz
赤が覚えてたら嫌だなw忘れてくれよ>赤
>>648 …と書くことでいつまでも消えないログを残す648であった
>>648 それは愛されていた記憶として残るから別にいいんじゃない?
もしかしたらパクッの時が怖かった…ってなるかもだけどw
651 :
名無しの心子知らず:2009/12/15(火) 08:36:34 ID:jEzcBIaw
>>552 亀レスですが、あたしは幼稚園年少、年長だったら覚えてますぜ。
ねがサクライ先生、年長がカンヌキ先生。
サクライ先生、泣かしてごめんなさい。子供心にも、「新人」「若い」って分かっちゃったの。
カンヌキ先生、「栓抜き先生」とか言ってごめんなさい。今思うと厳しくて立派な先生だったなぁ…
乳児の保育園とかならともかく、幼稚園児なら先生の記憶ってしっかり
あるもんじゃない?私は大好きなようこ先生が、寿退職であさの先生に
なって悲しかった。
あさの先生にも、指が痛いと訴えて対処してもらったこと、お誕生会の
こと、いろんな事覚えてるよ。
653 :
名無しの心子知らず:2009/12/15(火) 16:31:09 ID:sjvnzX0S
三歳か四歳の保育園の時の事思い出した。
母かじいちゃんが朝バイクで保育園まで送ってくれてて(二人共仕事をしていたので)、保育園に着いて私が先生に預けられ、じいor母がばいば〜いと言ってバイクに乗るまで、「行かないで〜!」とずっと泣き叫んでいた。
でも姿が見えなくなると、「あー疲れた」と思ってすぐに泣き止んでいたw
私が泣いてても母はさっと去って行き、じいちゃんは「ごめんね(´・ω・`)」みたいな切ない顔で後ろ髪を引かれる様な感じで去って行ってたのをはっきりと覚えてる。
で、その保育園に意地悪な2人組がいた。
その時私は仲が良い子がいるわけでもなく、なぜかその意地悪2人組と一緒に遊ばされてた。
ままごとをすれば必ず私は犬の役、昼ご飯の時は母がちゃんと弁当を作ってくれなかったからパン二つとかだった。
そのわずかな昼食を、「それ頂戴」と意地悪2人にとられて昼ご飯抜き、なんてしょっちゅうあった。
泣きたいけど泣いたら叩かれたり意地悪されそうで泣けないし、先生も気付いてよ!!!って気持ちでいっぱいだった。
当時、母にもその事はなぜか言えなかった。
あぁ、今思い出しても泣けてくる…
娘がいる今、まだ赤ちゃんだけど保育園や幼稚園に通わせるのが心配。
私の様に意地悪されたらと思うと…;;
母があの時、「今日保育園どうだった?」とか「ご飯美味しかった?」←(ほぼ弁当じゃなかったけど)とか聞いてくれてたら、もしかしたら昼食とられてて自分は何も食べてない事とか言えたかもしれない。
もし娘を預ける様になったら、ちゃんと当たり前に弁当作ってあげて、帰ってきたらお話もいっぱいしようと思う。
あと先生達、ちゃんと子供達の事見ててあげて下さい…
>>653 わかるよ〜。
私も保育園時代、先生が全然見ていてくれなくて、
意地悪な子にいろいろやられても、誰も助けに来てくれなくて、やられっぱなしだった。
顔を引っかかれたり、手の甲をつねられたり。でも、誰も助けてくれない。
大人しい性格だから、こういう出来事を誰かに言う事もできなかった。
こんな幼児期だったから、「自分の子供には幼児教育なんて必要ない!」と思ってた。
まあ、実際には本当に何の集団にも入らないまま小学校入学…なんてわけにもいかず、
世間の荒波にもまれてこいと、千尋の谷に突き落とす気持ちで2年保育で幼稚園に入れたんだけどね。
そしたら、先生が子供をよく見ててくれるの!
危ない事をしたらすぐ注意、喧嘩は様子を見て割って入って話し合い、
筋の通らない話を子供がするなら、子供が納得するまで説得するなど、
ちゃんと見てくれる園はちゃんと見てくれるものなんだって、ようやくわかった。
653さんのお子さんも、いい保育園・幼稚園が見つかりますように。
>>653 分かるよ〜
私は幼稚園の年少の時、先生のところにコップ持ってお茶貰いに行って席に戻ったらお弁当を床にひっくりかえされてた。
犯人がだれだかはっきり覚えてないけど「俺じゃないよ!!」と言ってた奴は覚えてる
で、自分で後片付けさせられて床についたご飯粒拾いながら「お母さんが作ってくれたお弁当なのにっ!」って悔しかったの覚えてる。
その後先生に連れられ近所の商店に行き、ご飯買って貰った。
親にも話は伝わっていたらしい。お弁当の話は先生から聞いてたよって、私が大きくなってから聞いた。
因みにいじめられた理由は体格が良くて目立つが性格が大人しかったからw知るかwww
子供を保育園とかに入れるの心配になるよね。あんな悔しい思いはさせたくないなー
>>645 それ、黒の表面を釘や針金で線を書くと下からいろんな色が出てきて楽しいよー。
って今言っても間に合わないが。
おえかき繋がりで思い出した。
保育園年長の時に母の日の絵を書くことになった。
私はエプロン姿の母を一生懸命書いた。
絵の下にメッセージを書く欄があってみんな先生に伝えたいことを言って書いてもらってた。
私は忙しい母がたまに作ってくれるプリンが嬉しくて、それを書いてもらいたかったのに
私の番になったら先生が「私ちゃんはいつもお仕事頑張ってありがとうって書こうね」
ってささっと書いてしまった。私、爆泣き。
泣いても収まらない私は黒のクレヨンでぐちゃぐちゃに全部塗り潰してしまった。
母が忙しいのは理解してたし、だから毎日お迎えが1番最後でも我慢してた。
いつも行事に母が来れないのも我が儘言ったことはなかった。
なのにまだいい子にしなきゃいけないの?
仕事頑張ってなんて書いたらもっと母が遠くに行っちゃうと思って悲しかった。
そしてなにより悲しかったのは
泣きすぎて吐いたあげくに裏の畑に逃亡した顛末を聞いた母に
我が儘いって迷惑かけてなんでいい子に出来ないの!と叱られたことだった。
今になって思えば、たぶん母だって仕事が忙しく不在がちなことを気に病んでて
それを先生に相談してた。
メッセージはきっと先生のはからいだったんだろう。
でもめったに泣かない私があれほど泣くほど、色々限界だったんだ。
自分の子供には、いい子でいるときほど気にかけなきゃと思ってる。
いい子にしてくれることによりかかったらいかんよ、と自戒しとく。
>>648 私も似たようなことやってしまってるよ。
嫌な感覚として覚えられてたら恥ずかしいな…。
でも止められないよね、可愛すぎて。
役に立つか分からないけど…
ものごころつく前から両親が別居していて、
私も弟も母側で育てられた。
父親の姿がないことを幼いなりに「亡くなった」と解釈して、
父の日などの父親絡みのイベントでは
「天国から見守ってくれてるから大丈夫」とか
貝殻に耳をあて「お父さんの声が聞こえる」なんて言っていた。
四年ぶりに一緒に暮らすようになったとき
目の前のオジサンは小学校の教頭先生に似ていたから
「なんで先生がここに!?」と驚いた。父親だと聞かされて
「教頭先生はお父さんだったのか!」と
二重ビックリだったけど、まったく赤の他人だった。
夢見がちなバカな子で良かった。
ここ読んでると、育児ってほんと難しいな〜と思う。
クレヨンで黒に塗りつぶす理由も全然違うし、
しかもその理由をうまく説明できなかったり、説明したくなかったり。
とにかく子供の普段の様子をよく見ておかなきゃ、だな。
私も幼稚園で虐められてたわ。
可愛いんだけどキツイ狐顔の女の子が仕切ってて、その子の一声でみんなが動く。
私は3月末生まれな上に生まれつき足が悪くて
幼稚園ではまだまだみんなについていけなかった。性格も大人しかった。
先生は見てくれないし、連絡帳にはただ「今日も泣いていました」だけだし
親は忙しくて話し聞いてくれないしで、
「言っても無駄」と思うようになったのはこの頃からだわ。
で、今上の子が保育園に通う3歳児なんだが、
誰に似たのか保育園で仕切っているらしい。
旦那も3月生まれで、みんなと一緒に歌うのさえ恥ずかしくて口パクしてた
というくらい大人しい子だったのに・・・。
困っている子を助けたり、良い形で出ているとは言われるけど
何かいつも、「うちの子迷惑掛けてませんか?大丈夫ですか?」って感じで
凄く気を使うわ。
幼稚園が嫌いであんまりに行きたくない日は『耳がいたい』と言ってずる休みしてた。中耳炎持ちで耳鼻科通ってて、実際しょっちゅう痛かったんだけどね。
行きたくない理由は朝に起きたくないとかそんなものだった。団地だったから友達も居たし。
お母さんにずっとそばに居て欲しい時はよく耳がいたいって言ってた。年子の弟が居たからいつも寂しかった。
バレバレな仮病でも頭ごなしに怒らないで、抱き締めてヨシヨシして下さい…
私も幼稚園で虐められてた。
トイレに閉じ込められたり、いじめっ子の女の子複数と男の子が組んで
女の子が私を押さえつけて男の子にパンツの中みられたりとか。
幼稚園児でも陰湿な子っているよね。
親には虐められてると言ったことがあったけど
(でもパンツの話とかはショックが大きすぎて出来なかった)、
いじめっ子たちは大人たちの前では良い子のフリをするので
参観日にいじめっ子に会ったうちの親も騙されてしまい悔しかった。
ついでに私は先生にも嫌われてたのか、
プールの時間、顔が水につけられなかったからといって
「顔を水につけるまで戻ってくるな!」と言われて
屋上にあるプールにひとりだけ置いてきぼりにされたこともある。
あと食事ものろかったから他のみんなは帰宅の為にバスに乗ってるのに、
ひとりぼっちで教室に残された上に先生に「あんたのせいでみんなが帰れない!」と怒られたり・・・。
上記のようなことが度々あったせいか、その頃からおかしなまばたき(チック症状)や、
ちょっとしたどもり、爪噛みをするようになってしまった。
どもりと爪噛みはもう治ってるけど、
まばたきは三十路過ぎた今でもおかしいままだorz
自分は我が子のストレスにちゃんと気づいて対処できるようにしたいと思う。
あと自分の子が他の子を虐めたりしてないかという点にも注意を払えるように。
662 :
名無しの心子知らず:2009/12/16(水) 20:08:57 ID:3O1l67PQ
>>661パンツの中のくだりから泣けてきた。
酷すぎるね…
私があなたをよしよししたい位だよ;;
私が幼い頃、父がいなかったので母は一人で私と兄の面倒を見て、家事、夜中まで仕事ととにかく忙しく余裕がなかった。
だから保育園に通ってる時も会話は何もなく、家で母が料理をしたりしてて私が「それ混ぜさせて」とか、食器を洗ってる時は「私がやる」と横から言ったりしようもんなら、「うるさい!あんたには出来ないんだが」と、よく強く怒鳴られたりしていた。
何を言ったら怒られないのか分からないから、母にはあまり話し掛けられなかった。
で、ある日母が台所で食器を洗ってる時、保育園でその日あった事をどうしても話したくて、柱に隠れながら恐る恐る「あのね、今日ね…」←(話の内容は覚えてない)と話すと、珍しく「そうね〜良かったね^^」と笑顔で話を聞いてくれた。
その様子を隣で見てた兄も入って来て、「あのね、僕も今日ね!フンガフンガ」と目を見開き、興奮した様にこれでもかってぐらい嬉しそうに話してたのを覚えてる。
子供ながらに、兄も母と喋りたいけど我慢してたんだなぁと思った。
話を聞いてもらおうと、私と兄が二人で次から次に話し出すもんだから、母も笑いながらビックリしたような表情をしてたのもよく覚えてる。
今でも誰かと話すときに、「こう言ったら機嫌損ねるかも…」とか色々考えてしまって、結局何も言えずどもってしまったりするのはこの時があったからじゃないかと思う。
その事を最近母に話すと、「可哀相な事したねぇ」と泣きそうになりながら言ってた。
子供の話はきちんと聞いてあげよう、子供に気をつかわせない様にしようと心から思う。
663 :
名無しの心子知らず:2009/12/16(水) 20:37:22 ID:rQNvH0fN
親の喧嘩は4歳くらいから覚えてるなぁ…。
友達はいたけど、先生が私だけ名前呼ばなかったりお茶くれなくて幼稚園に行きたくなくて、泣いて自分の足噛んだりしてた。
自分は子供の前では絶対に喧嘩したくないな。
3,4歳のころ、千代の富士の全盛期だった。
愛子サマではないけど、私はなぜかもの凄く千代の富士のファンで、
本気で「このお相撲さんはすごくかっこいいし太ってないから大好き」と思っていた。
ある日、強くてカコイイ千代の富士が、格下の力士に負けてしまった。
じーちゃんばーちゃん、父、母全員が、その興味深い取り組みに大歓声を上げ、
手を叩いて喜んでいた。
それを目の当たりにした私は猛烈にショックを受け、突然
「なんでちよほのじ(千代の富士)が負けたのに笑うん!!!???なんで
なんで嬉しいん!!??なんでちよほ(ry 」
と晩御飯を食べてるテーブルにうつ伏して絶叫&号泣した。
全員ものすごくビックリしていた。
そしてあまりの泣きっぷりに「嬉しいんじゃないよ、弱い人が強い人をたおすのが
すごいって意味よ。だっておもしろいでしょ?」
と説明されたけど、3,4歳の私に大相撲の細かい面白さはまだ理解できず、
とにかくちよほのじが負けた衝撃、それを喜ぶ周囲に、谷底に突き落とされたぐらい
落胆したのを覚えてる。
今でもちよほのじが一番カッコイイお相撲さんだと思っています。
>>664 私も千代の富士派だったw
4、5歳の頃かな、同居祖父母と一緒に相撲を時々観てたけど
この人が一番強いお相撲さんなんだってずっと思ってた
だから貴花田に負けた時はショックだったな
>>661を読んで思い出したけど私も幼稚園の頃性的な虐めがあった
虐められ役はボスの女の子以外の誰かがランダムに選ばれて
パンツ脱がされたり、乳首つままれたり、パンツの中をボスに触られたり、
パンツにおもちゃの人形入れられて
「それずっと入れてて」とか言われたりしてた
何なのか分からないけど、とにかく嫌で嫌で幼稚園行くのが辛かった
自分の子供が同じめにあったら辛すぎる
親のケンカは記憶に残るよね。
私も3才の頃と思っていた記憶が、2才間もない頃だった。
敷き詰められた2組の布団に、白い編み目の洗濯カゴが置いてあって
玄関と思われる所と部屋に両親が対峙(どっちがどっちかは覚えてない)
怒鳴り合っているんだけど意味はまったくわからず、むしろ音が聞こえていないような
自分がココにいないようなとても居心地の悪い無力感を感じてた。
子どもは個性にもよるけど、大人の雰囲気にはとても敏感だよね。
そんな幼いうちから性的な虐めがあるのか…ショック。
皆、よく乗り越えてきたね。辛かったろう。
大人…特に親は子供にとって頼れる存在にならなきゃいかんね。
>>664 千代の富士 リバーフェニックスに似ててかっこよかったよね
パンツの中におもちゃとか、一定数こういう悪意ある遊び?はいつもあった気がする。
私は裏のお兄さんにパンツ下ろされて触られたりしたな…。
乗り越えるとかじゃなく、抵抗する術を知らないだけだと思うよ。
自分で環境を変えるって選択肢はないからさ。
でも人に言えない後ろ暗さはちゃんと理解できるんだよね。
だからこそ、本当に目が離せないと思うよ。
ただ幼稚園や学校に行くようになるとどうしても離れる時間は出来てくるから
何かあったら親に話してくれるように、助けが必要なら求められるように教えてる。
どうすればいいかなぁって悩むよね。
幼稚園の年少の頃かな。
寒がりの私は冬になると、
エンジンがかかった車の後ろに回りこんで、
マフラーから出る生暖かい廃ガスにあたりにいっていた。
今思うとめちゃ危ないし、健康に悪いんだけど、
当時は「ここにいるとあったかい!大発見!!」て気分だった。
車に死角があるとか、はねられるなんて当然だが考えもしなかった。
皆さん、車に乗るときは子供から絶対目を離したらダメですよ!
子供は考えられないことをするもんです。
>>670 そうそう
恥ずかしいこと、いけない悪いことだっていう認識だけは
強くあるから、自分は被害者でも親に言うとか考えられなかった
だから自分が体験していても、子供にどんな風に教えたらいいのか分からない
性的ないたずらは、小さくても理解してるよね。
そして強烈な記憶で残ってる。
時が過ぎて忘れるのかと思ったら、実際それが重くのしかかるのは
意味が分かってくる思春期頃。
今でも本当の意味では乗り越えられていないなぁ。
私は兄にいたずらされたから、
自分の子は女の子2人だけど、異性だったら相当気をつけると思う。
程度の差はあれ、異性の兄弟からって話は聞くので。
>>673 それは、兄が親の愛情の欠如があったんだよ。あなたのせいではない。
見張る見張らないじゃなく、兄に愛情の不足があった。
そして妹に愛情を求め、なにがなんだかわからない子供なので性的だったと。
今はどんな関係なの?
>>674 実は兄2人いて、上の兄は4歳前で下の兄は9歳の時にいたずらされたけど
私が大人になって消化してからは非常に良好です。
本人にも誰にも言っていないから、私次第ってところは大きいと思う。
でも今でも子作り以外のエチーは苦手だな。
思うに、2人とも11歳くらいの時なんだよね。
興味があってあってどうしたらいいのか分からなくて、変な方向へ行ったんだと思う。
11才頃ってクラスメイトの男子でもいたよ、そういうの。
興味が出る、そんな年頃なのだろうね…。
旦那はその頃になったら静かに、様子を伺いつつ見守らないとって言ってた。
タブーなことと興味のバランスが1番難しい頃だからと。
でも女子にもそういうタイプいたよね。
イジメで男子がひんむかれたのをwktkして見に行くみたいな。
子供って大人が思うより性的な興味が強いし、社会的な縛りの強さも違うから難しいね。
一線を越える越えないは資質と魔がさす環境というか偶然なのかも。
目を離さないことで抑制は出来るだろうけど、それだけで防止出来るか不安だよ。
うちは男児だから旦那に頼りがちになるだろうけど、大丈夫だろうか…。
677 :
名無しの心子知らず:2009/12/17(木) 21:53:29 ID:RAcJLLaM
そういえば私も11歳頃にクラスでエッチな遊びが流行ったな。
二組に別れた男子が戦いごっこみたいなのして、勝った負けたで女子を奪い合って、自分達が得た女子のスケートのぞいたり体触ったり好き勝ってしてた。
ある日その様子を隣の敷地で工事してた業者がすごい見てて、翌日の朝の会で「もうその遊びは禁止です」って先生に言われて、ようやく終焉した。
他にも、隣の席の男子から授業中に体を触られたりもしてたし…。
すごくそういう事に疎かったのか、嫌とか何とかも全く分かって無くて言われるままだったので、余計に狙われてたのかも。
本人が嫌な事と分からず被害に合うのも問題だから、体は他人に触らせないとか、そういうこと最低限の事も教えてあげたほうがいいのかも…。
私は生理の事すら教えて貰ってなかったから、学校で性教育を聞いた時に周囲が当たり前みたいに知ってたのは衝撃だった。何も知らない事も驚かれたけど。無知って怖い。
>>677 スカートめくり(のぞき)とか、服の上から体触るくらいだと
恐らくほとんどの人達が経験しているし、特別問題視することでもないと思うよ
私もそうだったけど、生理や性の事を全く親から教わらずに育つのは怖いよね。
学校で教わるより前に初潮があったんだけど、凄くテンパったし悪い事みたいな気がして親に言えなかったよ。
後からバレたけど、その時に「ごめんね〜あんた男みたいだから必要ないと思ってたw」と
ヘラヘラ笑いながら言われたのも軽くトラウマになってる。
>>678 えっ
うちはスカート覗きなんかしたら袋叩きの後すぐに学級会にかけられて
卒業まで「エロ」「変態」と呼ばれてハブられてたと思うw
女子強かったし男子は紳士だった
〉678
スカートめくりとか、当たり前じゃないだろ
体に触れるのだって鬼ごっこ見たいな遊びならともかく、明らかに体目的で
触れるのは普通じゃない。
そんな自分は、幼稚園でスカートめくりされたのがきっかけでスカートが嫌いになった口だ。
そして、いまだにスカート苦手です。でも、スカートめくりするバカはそいつだけだった
682 :
名無しの心子知らず:2009/12/18(金) 13:22:14 ID:ih1gNGJs
スカートめくりは年中までだったよ。
それ以降にそういうことしようものなら
>>680みたいに変態呼ばわり。
683 :
名無しの心子知らず:2009/12/18(金) 13:45:31 ID:qmL99H3g
5、6歳の頃、母と、どこかのおばさん家に訪ねて行った。
お昼時になったら、おばさんが冷やし素麺を出してくれた。
盛られたのが少量で、あっという間に食べ終わったのを見て、おばさんが
「おかわりしていいよ、沢山食べてね」
と言ったので嬉しくて、おかわりを頂いた。
帰り際、母が何か不機嫌。
そして「私ちゃん、どうしておかわりしたの?
あんな時は遠慮、しなきゃだめでしょ。お母さん恥ずかしかったわ」
と言った。
私は遠慮という言葉の意味も良く分からず、ただ母の悲しいを見て
すごく泣いたのを覚えている。
子供は言葉通り受け取るからねえ。「遠慮」は6歳前後には難しいだろな。
生れつき小食だった私。
母の料理がまずいので更に小食だったのだが、お婆ちゃん家に行ったら味噌汁がうちのと違って味があっておいしいから、人生初のおかわりした。
そしたら普段たくさん食べろとうるさい母が不機嫌。
なぜ母が不機嫌なのかわからず、おいしいからたくさん食べたのに食べるのは悪いことなのかとますます小食に。
大人の事情を子に押しつけるなと言いたい。
ここって本当ためになる
いつも大切に読ませていただいてます
5,6才くらいの時に親戚の結婚式があって、親族控室で振舞われたジュースを
母がすべて断っていた。他の親戚は全員飲んでいたのに
喉カラカラでもひたすら我慢させられたから
「他の親戚と比べて一体なにが悪くてこういう罰を受けているんだろう」
ってずっと考えていた。
トイレが近くなるからとか宴が始まったら沢山飲めるから、とかそんな理由
なのかもしれないけど当時は訳がわからなかった。最近親にその事を話したけど
やっぱりなにも覚えていなかった。
近所の生協で子連れ茶話会みたいなのがあったんだけど、大盛況
だったらしく、用意された子供用お菓子が、まさに私から品切れ。
一緒にいったお友達はもらえた。
私はすごく悲しかったけど、母は大丈夫よねと言うし、私もガマンした。
お友達も半分ことかしてくれるわけでもなく。
とってもがっかりした。トラウマではないけど、今も覚えてるんだから
がっかりしたんだろう。
>>687 なんか状況がわかる気がする。
そのくらいの歳の頃、食い意地とか所有欲とは別の感じで、
お菓子とかシールとか「みんな同じ(似たような)何かを貰える」って
とっても嬉しくてウキウキすることだった。
私も貰えなかったらショックだろうし、お友達の立場だったら多分あげない気がする。
いや、そう思えるってことはお友達と同じようなことしたのかも。
親に言われたりしたら、内心嫌々あげるだろうな…。
「私の分」っていうのが完成された素敵なものに見えるっていうか…。
ケチとかイジワルじゃなくてむしろ純粋な気持ちなんだよな。思い出した。
689 :
688:2009/12/18(金) 18:34:34 ID:6ej1/3aw
そのくらいの歳の頃…って勝手に幼稚園年中〜年長と読んでた。ごめん。
690 :
名無しの心子知らず:2009/12/18(金) 19:21:56 ID:iku8tNvf
>>677だけど、
>>678読んでかなりへこんだ。以降のレスを続けて読めたから救われたけど。
世の中にはセクハラが平気なタイプもいるから、678もそういうタイプなのかもしれないけど、このような返答を子供にするのは危険と思う。
女の子だったら、もしその後に行為が悪化して身体に悪戯されたり、痴漢やレイプの被害にあっても「また私の考え過ぎかも」「みんなされてるから我慢しなくちゃ」「どうせお母さんに言っても助けて貰えない」とかなってしまいそう…。
男の子だったら、「みんなしてるからOK」「こんなことくらいで騒ぐほうが悪い」とかなったり、服の上ならいいのかと痴漢しても困る。
大袈裟かもしれないけど、性被害は大袈裟なくらいに対応して丁度いいのかも。
>>670で>恥ずかしいこと、いけない悪いことだっていう認識だけは強くあった のに
>自分は被害者でも親に言うとか考えられなかった って言ってるから
>>670の親は言っても助けない親だったんじゃなかろうか
693 :
名無しの心子知らず:2009/12/18(金) 23:36:28 ID:P6Vv5CAe
年長さんの記憶なんだけど
うちは家業が美容室で、月曜が定休だからお遊戯会とか
一度も見に来てくれなかった。
お遊戯会では、大抵、親が出番前に子供のお着替えを手伝うんだけど
うちは親がきてないもんだから、自分の着替えと年子の妹の着替えを
しなくちゃいけなかった。
それを見ていたどっかのお母さんが「まあ、妹の着替えもしてあげて
えらいのね〜」って褒めたんだけど
その一言で我慢してたなにかがぷつっとはじけて
「えらくなんかないもん!うわああ!!」って号泣したのを覚えてる。
親が来てくれない、寂しさと惨めさでいっぱいいっぱいだったんだろうけど
言葉をかけてくれたどっかのお母さんは「ええ!?褒めたのに?」って
困惑しただろうなあ。
今は一児の母だけど、子供には絶対寂しい思いはさせたくない。
694 :
名無しの心子知らず:2009/12/19(土) 00:22:44 ID:8Mehez6f
生後半年くらいからの記憶がある。
母乳を飲んだあと吐いて服を濡らしてしまい、
「いま着替えさせたばかりなのに〜!また吐いたの〜?もう・・・これでいいや」
と母が横着して、えり首にガーゼを挟まれたんだけど、
濡れて首にひっついて気持悪かった。
まだ寝返りがうてなかったので嫌で嫌でたまらなかった。
あと、母乳を貰った時にパイが全然出てこなくて
お腹が空いてイライラして乳首を噛んだら
「あ!これは噛んではいけなかったんだ!叩かれる!」
と咄嗟に思ったこと。(それ以前にも乳首を噛んで、叩かれる事を学習済み)
でもその時は叩かれなくて、母が噛まれた乳首を鏡で確認してるのを横目で見てた。
そのあと、母乳じゃなくてミルクを貰った。まずかったw
まだまだあるけど、まだ今度。
生後半年っていうと言葉をもう理解してたのかな?
言葉がないと思考ってむずかしいだろうし
思考をしてたとしてもそれを記憶しておくのがむずかしい気がする
生後すぐの記憶が残ってる人って
他の赤ちゃんより早熟だったのかな
私もえりもとが汚れてまぁいっかなんていってガーゼですませてたことがあったので
娘が覚えてトラウマになってたりしたらやだな…
696 :
名無しの心子知らず:2009/12/19(土) 00:41:32 ID:PC+ie3DO
>>694 いや!赤ちゃんて可愛いし面白い
私は2歳になるかならないかで、砂場で泣かされて弟を妊娠中の母に抱っこされに行ったら、
当時妊婦さんだらけで別のおなかの大きなママに抱きついてしまい、ママ達にすごく笑われて、プライド?が傷ついていっそう大泣き
あわてて妊婦さんの中から母を探していた
うちの母親は弟が3歳ぐらい…私が6歳?になるまで弟が欲しがるからって市販のお菓子を与えず全て手作りだった。
美味しかったけど市販の菓子目当ての盆踊りの菓子まで没収は理不尽だった。
ジュースも100%を薄められ麺類のタレは何も聞かれずに水で薄められた。
体のためなのはわかるけど激マズ。
父方祖母の作る味の濃いおかずと買っておいてくれる市販の菓子が楽しみで週末楽しみだった。
母方祖母は料理ヘタすぎて週末にワクワクして車に乗り母方の祖母の道になったら凹んでた。
義理で会いたいフリしたけど米とふりかけしか食べたくなかった。
よく離乳食の本なんかに『赤ちゃんに味付けは必要ありません。自然な素材の甘味で充分。特にかぼちゃやさつまいもは甘くて赤ちゃん大好きです!』
とか断言してあるのを見るけど、本当にそうか?赤ちゃん本人に聞き取り調査したわけじゃないのに?
健康の為に薄味なのはわかるが、赤ちゃんなら薄味でも喜ぶってのは疑問。赤ちゃんだって味気ないのはホントは嫌なんじゃない?
…とか思ってたけど、ここ見るとやっぱり赤ちゃんでも薄味はマズーって感じてそうだ。
離乳食に限らず、まだ話せない赤ちゃんの気持ちを勝手に断言で代弁してる(つもり)の育児本はなんだか嫌だ。
自分自身はあまり乳幼児期の記憶ははっきりしてない方だが、上記のような妙な自信たっぷりの断言系は、何か違う!と思う。
>>698 ワカルー、食事なんか嗜好性が強いもの。
グレープフルーツとか、ニガーイ顔するしね。
700 :
名無しの心子知らず:2009/12/19(土) 07:56:24 ID:Ym9yWM1F
701 :
名無しの心子知らず:2009/12/19(土) 08:26:19 ID:Ym9yWM1F
三世代同居だったせいか、お弁当のおかずがいつも和で、茶色だった。
周囲のカラフルなお弁当は羨ましかったし、やっぱりおいしそうだった。
可愛いスティック刺すでもいいから、可愛いカラフルで見た目おいしそうな演出はしてあげてください。
すごく小食だった一因に、食欲を刺激されなかったこともある気がする。
702 :
名無しの心子知らず:2009/12/19(土) 08:27:11 ID:PC+ie3DO
>>696だけど、前にこの話を他板に投下したつもりがこのスレだった
お恥ずかしい
私が3歳か4歳くらいの時、スーパーで母に手を繋がれてて、甘えた気持ちになって
「ママ」って呼んだら
「気持ち悪いからママって呼ばないで!」と叱られて悲しかった。
母も27、8歳で若かったし、私はきかない子で2歳下に弟もいて、いらいらする事が多かったんだろうな。
>>700 性的いたずらの被害者は無意識のうちに「こんなこと大したことじゃない」って思おうとするんだよね
私は
>>701の逆?で幼稚園の頃おにぎりに海苔で顔とかくまさんにしてある
今で言うキャラ弁みたいのが可哀想で食べられなくて泣いていた。
およげ!たいやきくんを聴いてもあんこは重いわ海でふやけるわ
最後は食べられるわでせつなくて泣いていた位だから変子だったかもしらんw
>>672>>678です
誤解を招いたみたいなので訂正させてください
>>672の件については、親が何もしてくれなかったのではなく
私自身が親に(誰にも)言うことができなかっただけです
親に話せていたら、もちろん親が何らかの行動をしてくれたと思います
>>678については、その後のレスで他の方も言っていますが
スカートめくり等は、先生に言ったり反省会で言ったりとか
私の小学生時代も女子が強かったので、みんなで文句を言ったり
スカートめくられたら、みんなでエロ呼ばわりして無視したり
そんな感じだったので、親がそこまで神経質にならなくてもいいのではないかと思っていました
もちろん同級生同士であっても、一人対複数だったりイジメが絡んでいたり
大前提として子供が悩んでいる場合は親として力になるのは当然のことだと思っています
子供から相談を受けても「気にすることじゃない」
という態度を取るという意味ではありません
だけど、確かに小学校低学年までのクラス内で
ふざけてスカートめくりすることを性暴力と同一視してはいませんでした
皆さんのレスを見て自分自身がズレているんだと気付けて良かったです
勉強になりました
>>701 なんか分かるな〜。うちも 遠足の時のお弁当とか全く可愛気はなかった。
おかずの詰め方もスカスカで 子供だから飛んだり跳ねたりして お弁当食べる頃にはぐちゃぐちゃになってて 悲しかった。
ある時なんてゆで卵を半分に切って入れてくれたんだけど、ふたを開けたらご飯まで真っ黄色になってた。
まだ子は6ヶ月だけど、楽しいお昼時間になるようなお弁当を作るつもり。
テレビでキャラ弁とかやってると食い入るように見てしまう。
でも
>>706さんのようなタイプかもしれないけどね…
>>698 あるあるw
せっかく用意した離乳食、あんまり食べてくれなくて
ためしにちょっと味付けたら食べ始めた、なんて時にアレ?と思ったことがあるよ。
携帯からなので改行おかしかったらゴメン。
年中くらいの時に許可を取ってからなら、電話に出ていいと言われていた。
その時に名前を必ず言えって言われてたから、フルネームで名乗ってた。
(名前はフルネームで言えっていつも言われてたから。)
そしたらママ友の集まりで「電話は(私)ちゃん専用じゃないのよ〜」って何回も笑われて死ぬほど恥ずかしかった。
可愛くて笑ったと言われるけど、手伝いになると思って一生懸命電話に出たのにショックだった。
それから電話に出なくなったし、手伝いもしなくなった。
今でも電話はなんとなく嫌。
2歳頃。
保育園に入る前に、少しだけ託児所にいたらしい。
そこで自分よりちょっと上の男の子が先生に激しく怒られてギャン泣きしてた。
うわーと思いドン引きした私は頑張っておとなしくしてた。
その後すぐに保育園に入れて安心した記憶がある。
その託児所の園長は当時、
『私ちゃんはすごくおとなしくていい子』
と母を褒めていたらしい。
薄味=何も味付けをしないor水で薄めればいいっていうのは間違いなのか
料理って難しい
それだけではなんなので、
自分は2歳半ぐらいだ
母と弟(当時1歳前)が昼寝したので、1人だけで遊んでいてすごくさびしかった
母親を起こしたかったんだけど、お姉ちゃんだからわがまましたら怒られると思って我慢してた
お姉ちゃんって言われるのは嬉しかったけど、自分だけを可愛がって欲しいって気持ちもあったな
>>688 687です。これは一緒に行った子が一つ上で、2年制の幼稚園にはいる前
だから、私は3歳かなぁ。
ずっとがっかりした思い出だったんだけど、自分が親になってみて、あの時
母の対応にもがっかりした気がするけど、もし同じことがあったら、内心本当に
自分の子が可哀想でも、やっぱりああ対処するしかないだろうなって、母のあの
時の気持ちを思うようになった。
もしもらった子のほうの親だとして、半分あげたら?って言うかもしれないけど、
688さんの言うとおり、気持ちよくあげられるか?かえって泣いたり騒ぎになる?
なんて。あと、あれをじっと耐えた幼い自分GJとか、当時はただ悲しかったん
だけどねえ
じゃあ「ちょうどお菓子売り切れだあ、帰り道に買いにいこう。特別だよ。スーパー行くまで我慢出来るかい?」
とかすれば良いのかな?
ダンナがこう言うタイプで私はないならもうしょうがない、特別買うなんてワガママな子になるか怖い
ってスタンスなんだけど
ここ読む度に小さくても1人の人間でこんなに大人になってからも気持ちに影響することもあるのかと痛感する。
バランス良くが良いんだろうけど難しいね。
>>714 私なら確実にそうすると思った
ワガママになりそうな感じするのか、気をつけよう。
>>713 我慢してえらかったね。
悲しいよね。
ちょっと違うし小学生の時だけど、
お小遣いもらって学校の祭りか何かで焼きそば買ったのに
家の目前で落として広がっちゃったそばとか、
幼児の頃ソフトクリーム買ってもらったけど
暑いし食べるの遅いしぶきっちょだしでボトッと落ちちゃったアイスクリームとか
いろいろ思い出してちょっと涙でた。
どうして子供の頃の悲しさ切なさってこんなに痛いんだろうね
ああ、思い出した。
ちょっと汚い話。
小さい頃、ぼっとんトイレだった。
自分で用足せるくらいだから多分幼稚園くらいなんだけど
毎日1個ずつ、半分くらい食べた私専用wチェルシーをポケットから箱ごと落とした。
もんのすごいショックで泣いて喚いて取ってくれとお願いしたけど
当時何でもできると思ってた母でももちろんムリ。
母でもどうにもならないのもショックだし、うかつな自分にもショックだし
覗き込めばチェルシーが見えるから余計気分を切り替えられないしw
自分の子供には「予見」ってことを教えたいw
717 :
名無しの心子知らず:2009/12/19(土) 22:21:27 ID:Ym9yWM1F
>>701です。
そういえば子供の初節句に、お顔がおにぎりでできたお雛様ランチを作ってあげたら、大喜びしたのに決して食べようとしなかった。
試しに見てない時におにぎりの目鼻口の海苔をとって、ただの丸いおにぎりに戻して置いておいたら食べたwww
娘は
>>706さんタイプかも。親子でもいろいろ違うから難しい〜。
718 :
706:2009/12/20(日) 11:29:33 ID:DlmUfXE6
元はと言えば母の影響かもしれないです。
うちの母はぬいぐるみや人形の目を触ると「痛い痛いよ、可哀想」って言う人で
幼い私はそれを聞いて「可哀想なのか!」と目からウロコ。
それからぬいぐるみを叩いたり投げたりもなんとなく駄目で
動かないだけでこの人達にも気持ちがあると思っていたのね。
だからおにぎりって分かってても「噛んだらこの人も痛い痛い…」と思った。
食べられなくて泣いたのは「おにぎりさんが食べてって言ってるよ〜?」とか
友達に言われてもうどうしたらいいか分からなくなって泣いたwww
うさぎのぬいぐるみが最後に本物になるって絵本が家にあって余計に拍車をかけたかも
>>718 ビロードうさぎ?
教育テレビのおはなしのくにでやってて、自分の子がぬいぐるみ片手に難しい顔してたよw
私は「顔のあるものを粗末に扱うと怒って夜中に生首になって飛んでくる」と言われて
部屋に飾ってある人形が怖くて、でも粗末にも出来なくてひそかに悩んでた。
2才で自分の部屋にひとりで寝てたんだけど、
夜中に目が覚めちゃうと怖いんだ、これがw
今でもあまり人形の類が好きじゃない。
例えば「子供がコーヒー飲むと死ぬ」みたいに後で嘘じゃん!と分かるものなら
成長すれば笑い話になるけど
100%否定しきれない、怖い戒めみたいなのは躾に多用するのはどうかと思う。
でも旦那が好きなんだ、そういうの。むやみに怖がらせても可哀相だよ…。
赤ん坊の頃の記憶。後日親に記憶があっているか確認済み
・部屋に1人きりだったから泣いてみた。母親が来てくれたが、抱きもしないで
ニコニコ眺めている。抱っこして欲しくて泣いたら、ほっぺたをつついてニコニコ。
ニコニコ泣きまねもされて腹が立ったので、もっと泣いてみた。
祖母がやってきたので助かったと思ってもっと泣いてみたら、
祖母に言われて母がやっと私を抱いた@新生児
「泣く顔が可愛かったからみていたかったのに、姑さんがそんなに泣かせてないで
早く抱っこしろって。それよりあなた、そんな頃の記憶あるの?!」
・イトコたち@誕生日がみな近いので、1歳のお祝いをなぜか家でした(後年聞いた)
私は父のひざに抱かれて、あやされていた。でもそんなことより天井の蛍光灯が
気になってて、あの丸い白いものに触りたいな〜あなたたちもそう思わない?と
イトコに訴えてみたけど、二人には通じなかった。赤ん坊同士は大人同士のように
話が通じないんだとがっかりした。
・夜が不安で泣いた。あんまり泣いていたら、私を抱く母が怖くなっていって
もっと泣いた。最後にキレた母が私をふかふか綿布団にぼふっと落として、
父が怒鳴ってた。父に抱かれて安心した@新生児の頃だったらしい
「お母さん、お前を殺すんじゃないかと思った」@父
「だってあなた毎日0時から明け方まで寝ないんだもの。翌日仕事もあるし
早く寝かせたくてイライラしたし、おかしくもなるわよ」@母
その後4歳くらいまで夜が怖かった。眠ったらもう起きられないと思ってた。
だから眠りたくなかったんだけど、私の娘も寝ない子だった…
きょうだいは小さい頃の記憶がないので、私が特別だったらしい。
子供育ててると記憶が蘇ってくるわ。
幼稚園より前の記憶。
指しゃぶりを何故するのかといえば、しょっぱくて美味しかったから。
同じ理由で袖とかもしゃぶってた。塩分足りてなかったのかも。
もっと赤ちゃんの頃、目の前で拍手というか
「○○ちゃん!」という言葉に合わせてパチパチされるのが嫌だった。
音も五月蝿いし、手から風が顔にかかって気持ち悪かった。
姑世代の人が自分の子供の顔の前でパチパチやるのを見て
何かモヤモヤするなーと思っていて思い出した。
2歳の頃
父と母(号泣)が口論しながら私の腕を引っ張りあっている
この世の終わりのようにすごく悲しくて激しく泣いていたのを覚えてる
ほどなくしてふたりは離婚
のちに親に話したら、そんな小さい頃の記憶があるもんなのかと驚いていた
小さい頃は、笑われること、子供扱いされることがすごく嫌だった
あと、初対面なのに顔を近づけてくる馴れ馴れしいおじさんやおばさんが汚くて臭いからやだなあと思っていて、
我慢して受け答えしつつも、つばが飛んできやしないかいつも憂慮してた
逆に若くて可愛いお姉さんは大好きで、幼稚園の担任の若くてすごく綺麗な先生が大好きだった
子供ながらに、女性の容姿を細かくチェックしていて、「ポイントは髪、肌、目、足だな」とか思ってた
若干汚い話なので、嫌いな人はスルーしてくれ
>>721 私も!私も自分の手がしょっぱいから舐めてた!
あと、唇の皮がむけたヤツがおいしかった。
最古の記憶は
おっぱい飲みながらおかーさんの顔を見上げたら、はなくそをほじっていたw。という絵。
教訓:赤子といって「どーせ覚えてないだろう」とあなどらない事だ。
両親が共働きだったため、1歳から保育園に通っていた。
保育園の担任の先生に虐待されていて、大嫌いだった。
お遊戯会の練習の時、楽器の演奏を間違えると私だけ往復ビンタされたりして
「どうして私だけいつも怒られたり叩かれたりするんだろう…」
と保育園に行くのが苦痛で苦痛で仕方なかった。
ある日保育園で、大好きな先生の似顔絵を書くことになって
「担任の先生の似顔絵を描かなくちゃいけないんだろうけど
大嫌いだからどうしても描きたくない…」
「でも他の先生の顔を描いたら担任の先生は機嫌が悪くなって
また怒られるんだろうな…」
とか色々考えながら、結局どうしても大嫌いな先生の顔を描きたくなくて
他のクラスの優しい先生の似顔絵を描いておそるおそる提出した。
保育園でいつも仲良くしてた一つ上の男の子が
「いつも○○ちゃん(私)ばかり叩かれてかわいそう!」
と自分の親に言ってくれたみたいで
その子の親が園長先生にそのことを話してくれて
それから叩かれることはなくなった。
まだ私はあまりしゃべることができなくて私の母は何もわからなかったから
そのことを男の子の親から聞いたときに「ごめんね」と私に泣いて謝ってくれた。
このことがトラウマになってしまったのか
人の顔色や機嫌を物凄く気にする人間になってしまった。
今1歳の息子がいるけど、おしゃべりできるようになるまでは
働かないで自分でみていようと心に決めている。
共働きの父さん母さんチの子は寂しかったって意見が多いね。
私はものすごく働きたいんだけど辞めたクチで、日々それを後悔してる。
でもこのスレ見ると、子供が小さい頃に
母さんが一緒にいられるのはかけがえのない時間なんだと思えるわ。
>>725 私も実家が共働きだった。
小学校高学年になっても母が月に1,2回たかだが7時帰宅(残業のため)になるというのが
こどもごころに不安で仕方なかったよ。3人兄弟だったからなんとかわいわいやりすごしたけど
勉強なんて手につかないし怖い人が家に入ってきたらどうしようとかそんな想像ばかりしてたw
中学になると世界が広がるし慣れもあったかもしれないけど「残業?ふーんわかった」て感じだったけど
自分も、できる限り家にいてあげたいなあと思ったり。
ごめんアンカつけたのに肝心なこと書くの忘れた。
>>725 親の都合というやむを得ないことということのは子供ながらにわかって自分を納得させてはいるのだけれど、
725の家の事情が許すならそばにいてあげていいと思う。
自己犠牲がすぎてストレスためこむぐらいになったらまた外に出てもいいんじゃないだろか。
>>725 うちも共働きだったんだけど母は『子供達が帰ってくる頃には家にいてあげたい』と言い朝刊配達をしてた。
けど母が配達用バイクで出てくとバイクの音で目覚め裸足で泣きながら追っかけたよw
二度と帰って来ないんじゃないかって怖くて。
知らないおばちゃんが偶然私を見つけてくれ帰宅した記憶がある。
小学校1年生にもなってだよwハズカシ
このおかげで授業中眠くなりよく廊下に立たされたわw
母は知らないです話。
うちも両親共働きだった
けど祖母がいたんでそんなに寂しさはなかったな
何より、両親は休みの時はどこかしら連れてってくれたり
バドミントンとかボードゲームを一緒にしてくれたりと
しっかりと関わる時間を作ってくれていたから心が満足したんだろうなと思う
普段忙しい分、フォローをしっかりしてた親だった
でも一つ嫌だったことは参観とかの行事に遅れてきたこと
他のお母さんとかはちゃんと最初からいるのに何で私のお母さんはまだなんだ!
ってよく怒ってたw
母も忙しい合間を縫って来てくれてたと今なら分かるんだけどね
母が病気で入院して、父も周囲に頼る人がなく、
3歳前くらいからいろんなところに預けられていた。
児童養護施設、里親、母方祖父母の家、近所の人の家。
私はそれぞれについて凄く鮮明に記憶があるんだが(幸いなことにいい記憶が多いけど)、
年子の妹がこのへんのことを全く覚えてないのが不思議。
結局、5歳(妹4歳)の時に母が亡くなって父親と父方の祖母と同居するようになった。
妹は、その後の小学校入学前くらいからしか記憶ないと言ってた。
人によって記憶の開始点が全然違うよね。(あ、あんまり育児に関係ないか)
記憶って、その時だけじゃなくて、それをその後何度も思い返す反芻に
よって強く記憶されていくよね。
>730はそういった記憶を、その後も一人胸のうちで何度も思い返して
いたのではなかろうか。その辺は、記憶力もだけど、性格によるものも
大きい気がする。
>>730だけど、
>>731さんの言う通りかも。
私は神経質で内向的な性格で昔のことや自分のことをよく思い返すけど、
妹は社交的でおおらかな性格なのであんまり昔にこだわらないのかも。
今、第一子妊娠中だけど、
自分の子供にはおおらかな子供時代を過ごさせたい。
親不在の環境って、少なからずその後の人格形成に影響する気がする。
いろんなところに預けられてたから、大人の顔色を伺う子供だったなぁ。
「凄いね、○○できるんだぁ。あんたは運動音痴だもんね♪」
って母親がよく言ってた。
我が子自慢はよくないけど子供の前で子供を馬鹿にするのは本当やっちゃいけないと思うし謙遜のつもりだったんだろうけど、親子の信頼関係を壊すだけ。
小さいから何もわからないだろうって思わないで小さな時から人格を尊重してあげるべきだと思う。
そんな私も母になり、実母みたいな子育てしないように頑張るんだけど実母が今度はうちの娘達に無神経発言。
孫に嫌われる日も近そう
734 :
名無しの心子知らず:2009/12/22(火) 20:15:11 ID:sjvgPblm
あ、それあったなぁ。
あんたは運動オンチだからって言われまくって、そう思い込んでた。
運動部にも入っちゃいけない気がして入れなかった。
離婚して父親がない家庭で育ち、母親以外の身近な大人がいなかったせいか、
一種の洗脳状態だった…。
私には一歳半違いの姉がいる。
姉は近所でも評判になるほど可愛いかったが、私は丸々と太って、顔も普通。
母の趣味で姉の髪はお姫様カットに、私はマッシュルームカットにされていた。
服も、姉はピンク、私は黄色。
「似合うから」という理由に納得していたのでそれについては不満はなかった。
可愛いと姉が誉められているのを聞いて、「私のお姉ちゃんは可愛いの。すごい!」
と誇らしく思っていたくらいだから、別に卑屈にもならなかったし。
でも二歳のころ、北海道に家族旅行して、アイヌの衣装で写真を撮れる所に行ったとき
子供の衣装が赤、黒の一着ずつしかなくて、親は当然のように赤いのを姉に着させて
私に黒い方を着せようとした。
二歳でも女の子、黒はイヤだった。
でも、うまく言葉で伝えられなくて、泣いてイヤイヤとごねた。
親は「お店のおじさんのお髭が怖いんだね〜髭、見たことないもんね」
とか言ってわかってくれず、結局私は衣装を着ずに写真を撮った。
「髭のおじさんは怖くない!そんな風に思ったらおじさんに悪いだろ!」
「服の事といい、お前らの無神経さが悲しいんだ!」
そんな事を思っていた。
激可愛かった姉は、小学校入学ころには「普通」になっていた。
比べられて傷ついたりする年頃になる前に姉が普通になって良かったかも。
自分の子供は兄妹だからそういう難しさはないんだけど。
確か小学校低学年の頃。
私はぐーたらで休日はいつも昼近くまで寝てた。母に時たま注意されるも、だって眠いんだもんとスルーしてた(家族は普通に早起き)。
ある日曜日、たまたま早く起きて「なんか私今日はエライ!」と思って意気揚々と寝室から居間に行くと
父親に「なんだぁ〜こんなに早く起きて(ニヤニヤ 雪でも降るんじゃねぇのか(ニヤニヤ」みたいな事を言われたのを皮切りに家族全員に笑われた。
せっかく早く起きたのにからかわれてムカつくやら恥ずかしいやらで心底ブルーになった。小さいけど、家族が嫌いになり始めたきっかけになった出来事だと思う。
だから、自分の子供はどんなことがあっても笑ったりバカにしたりしないと決めてる。
大人は和ませようと思ってるのかも知らんが、子供には「笑われた=恥ずかしい」記憶しか残らない。
あ、幼児期までだったのね。すみません、スルーで
2歳半の頃。
ひまわりが咲いている庭でカメラ好きの父が写真を撮ってくれると言った。
私はお気に入りの帽子とワンピースを着ておめかし。そこで変なことを考えて
しまった。
「ベロを半分出したら下唇に見えないかな」と。
そのまま写ってしまったので、写真は半ベロ出してポーズを取っている。
その後幼稚園に入ったが、お遊戯が大嫌いだった。
その上、タモリがよく言うように子供の癖に子供が嫌いだったw
お遊戯をしている間、「よくこんなバカみたいなこと、みんな平気でやってるな」と
いつも呆れていた。
可愛げのない子供だったので、注射される時も無反応だった。
こんなことを書いたら何だけど、テレビでHな場面を見たりするといやらしい
気持ちになってずっとそればかり考えてた。
幼児の頃とはいっても、大人と大して変わりない思考があるんだと思う。ただ経験が
あまりにも少なく思いを伝える手段を知らないだけで。
>>730 私も小さい頃の記憶あんまりない。
転々とはしてないけど、なんというか残念な家庭環境で
自分で記憶に蓋をしてる感じ。
母の2番目の旦那がいなくなった小学3年から、いろんな記憶がスタートする。
年子とはいえ730さんより年ひとつ分幼い妹さんにとっては
辛い経験で、無意識に記憶から消しちゃってるのかもよ。
確か二歳くらい。
弟が産まれたばかりだったと思う。
私はそのとき完全に卒乳していたはずなのだけど母乳を飲ませろ飲ませろとゴネた。
しかし実際に母がおっぱいを私の前に出すとすごくびっくりした。
ダメって言われたかったんだなーと今になると思う。
弟が乳児だったので、自分は4歳になる前。
弟がうまそうに母の乳を飲んでいたので、これはおいしいのかな?いいなぁと思い、
母に「おっぱい、飲んでみたい。」とお願いした。
弟が飲み終わった後に、母に吸い付いて飲ませてもらった。
そしたら、味が薄いしヌルい。
おいしくないと言って、べーっと吐き出してしまった。
牛乳みたいな味・冷たさを想像してたから、それと違っててビックリした。
今から思えば、弟が散々吸った後のものを飲んだから、かなり薄かったのかも。
私が次女を出産した時、4歳になる前だった長女がやはり「おっぱい飲みたい。」と言った。
自分の経験を踏まえて、「牛乳みたいに冷たくないよ。ぬるいよ。」と忠告した上で、
次女に飲ませる前に乳を搾ってコップに少し入れて、長女に飲ませてみた。
甘くて美味しかったそうな。
(長女は現在8歳ですが、当時の記憶はあります。)
>>741 母乳は、後半になるほうが濃くなるんだよ。
あと、味は、お母さんの食べ物次第。
でも、まぁ、想像と違ったから、まずく感じたんだろうねぇ。
かわいいなw
4歳の時に父が死んだんだけど、周りがやたらかわいそがってくれて、図に乗りまくってた自分。
絵本が好きだったのもあって、もっともらしい作り話で大人の気を引くのが大好きだった。
自分の行き付けの床屋で家の中のことを聞かれたときも、そんなノリで嘘八百のかわいそうな話を披露した。
ごはん1日に一回だけとか、いつも家にひとりぼっちとか。
近所の人経由で、母がずーっと村八分になってたと知ったのは大人になってからのことだ。
小さな子を1人で他人に預ける際は、十分気をつけましょう。
>743
うわぁ…なんかいろんな意味でいたたまれないなぁ。
お母さんから当時の話は直接ききましたか??
落ち着いたら、虚言は治りましたか?
745 :
名無しの心子知らず:2009/12/25(金) 17:04:16 ID:jfCAMWbY
>>743 あぁ・・・。これ見て記憶の扉が開いた。
私も虚言癖のある子だったなあ。。。。
○○ちゃんちって貧乏臭いねってお母さんが言ってた!
とか
うちのお父さんはみんなのお父さんより偉いからみんな言うこと聞かなきゃダメなんだよ!
とか
おもにお友達の親に向かってうちの親のせいにしてあることないこと言いまくり。
両親はもちろん私にそんなことは言っていないし、
私も両親のいるところでは言わないから親は知らずに孤立していた・・・ような気がする。
子供のおしゃべりを真に受けるのはほどほどに。。。。ごめんねお母さん。
>>743の場合は可哀想がられたのがきっかけなんだろうけど
>>746は何かきっかけはなかったの?
砂場には昔魔法の国があって…とか夢のある?のや
○○が壊したんじゃなくってお化けが来て壊した(T_T)とか
嘘と分かる嘘をつく気持ちは何となく分かるけど微妙な嘘付くのは想像がつかない
自分の言葉で人が右往左往するのが嬉しいというのはあると思う
何をいえば反応が強いかを敏感に感じ取るんだろうね
>>747 コンプレックス・・・かな。
うちは裕福じゃなくて長女なのに親戚のお下がり着たり、
お人形の服もやぶれた靴下で自分で作ったりしてた貧乏臭い子だった。
それから体が小さくて運動苦手でおいてけぼりで泣くような子だったけど
口だけは人一倍達者だったんだよね。
だから
>>748の言うように言葉一つに人が右往左往することにはまったと思う。
自分の影響力すげえwwwwみたいな。
さらに親が言ってたってことにすればより強い言葉になると思ったんだよね。
自分がひとかどの人間だとおもってほしいんだよね。
私も、幼児期じゃないんだけど小学校中〜高学年の3年ぐらいそんな状態だった。
原因は親が私を疎んじていたと感じていたからだと思う。
兄ステレオタイプアスペで手がかかり、弟は小児アトピーで手がかかり。
私は衝動性が強くて一人で延々べらべらしゃべるところがあったのでいつも親にうるさいといわれていた。
思春期入りかけだったからなんでも大げさに話してみんながオオー!とどよめくとすごく
幸せを感じていた。
ある日担任の先生が、苦笑いしながら「おまえはなんでも経験してるなー」とさらっと言ってから
バレてる!と怖くなりおとなしくなったよ。
私も幼稚園の時から小学校低学年まで虚言癖あった。
妹が生まれて、家族全員妹にかかりきりだったのが寂しかったんだと思う。
実際は母の入浴中妹を見てるだけなのに、自分が妹の沐浴させてるとか言って偉い自分アピしたり
「妹が私の本を破ったけど、叱らなかった私偉い」ってアピるために自分で本を破いたり。
今思うと幼稚園児が新生児を沐浴させるとかありえないし、大人はハイハイワロスで対応してくれてたんだろうな…。
ちなみに虚言が直ったのは、話すたびに話が大げさになっていくことで
ある日級友に「○○って言ってなかった?」って指摘されて焦ったから。
>>744 母はあまりネガティブなことは言いたがらないたちなので、昔の話をすることはないです。
私から話そうとしたら凄く嫌がるので、恐らく全て知ってるんでしょう。
母のことは正直苦手なんですけど、そういう経緯があるので、今はなるべく優しく接しています。
虚言癖は、完全には治らず、たまにテレビなどの話題で取るに足りない嘘をついたりします。
どなたかおっしゃる通り、無力な自分が、嘘の力で大人を動かすのが快感だったんだろうなと思います。
753 :
747:2009/12/26(土) 01:51:46 ID:IA0U3rdE
>>749詳しく教えてくれてどうもありがとう。
虚言で母親を陥れて(言葉悪くてすまん)苦手意識まであるのか…
みんなさみしさがきっかけぽいけど
ひとりっこで専業ママだったら虚言癖は出ないかな、そんな単純じゃないか
話を聞いたら珍しい癖でも無さそうだし
自分の子に虚言癖が出たら上手く対処出来るか正直不安だわ
>>753 >>750だけど親にはその手の嘘をついたことなかったよ。
もっぱら授業中とか友達に対してだったな。
ひとりっこで専業とか関係ないよ。親の、子への接し方にこどもがどう感じるかだから。
うちは母親が「ぜったいこれ以外許せない」という規範を持った人間だったのでちょっと外れると
それこそダメ人間みたいに怒られてた。この年になってもたまに「自己評価低すぎ」とか言われることがある。
ちなみに私も実母がいまでも苦手だよ。
育ててくれたことには感謝してるのだけれどどうしてもくつろげない。
ごめんなさい、
>>752を書いたのは
>>743です。
あと、書き方が悪くて誤解を招きそうですが、決して母を陥れようと嘘をついたわけではありません。
当時はそんな悪い結果になるとは夢にも思わず、ただ目の前の床屋のおばさんがリアクションたっぷりに反応するのが楽しかっただけで…
ただ、嘘をつくのにそれほど抵抗がなかったのは、生まれついての気質かも。
同じ境遇だった姉には全くない傾向だったので。
他の方が、大人になって完治したのかも興味あります。
>>743さん
>>744だけど、レスありがとう。
子供には悪意はないよね。
子供なりのストレスの表現や、やかわいがってほしいってい訴えの表れなのかも。
私の場合は、母親が亡くなったあと父も仕事が忙しくて、
完全に治ってた夜尿症がぶりかえしたり、突然泣き出したり情緒不安定な時期があったなぁ。
(病院では小児の自律神経失調症という診断がでた)
子供は大人と違った形でストレスを表現してるよな気がする。
757 :
753:2009/12/26(土) 18:43:46 ID:Lgg2ls3v
詳しく教えてくれて助かります、ありがとう
何となく分かったような気がする
さみしさから注目されたい
=可愛がってもらいたいとか相手して欲しい んだな
>>754みたく外でしか虚言しなきゃ親は把握しにくいし
幸運にも恥かける場面にあたればいいけど本当難しいな
758 :
名無しの心子知らず:2009/12/27(日) 10:28:43 ID:KQgo0BCi
さみしいのはわかるが、あざといなー子供。。こえー。
幼稚園の頃、毎朝の着替えがストレスだったんだけど、
親がばんざいをさせて、腕も頭も一気にすぽんと脱がせるのがいやだった。
鼻がひっかかったり目がつり上がったりするのが気持ち悪くて。
娘はもっと小さいけど、腕か頭を先に抜いたりして脱がすようにしている。
>>759 私は逆に、バンザイで脱がされるのが楽しかったな。
人それぞれだね…。
2〜3才のころ、メルちゃんみたいな、おしっこをする人形を頂いた記憶がある。
たぶん、弟が産まれたので、私にお姉さん心を養わせたかったのだろう。
しかし、人形をもらったのは嬉しかったんだけど、
当時の私は「人形がおしっこする」のがすごく怖くて、思い切り泣いてしまった。
嬉しいけど、触れるのも怖いし、でもくれた人の事を思うと申し訳ないし…のループで、複雑な心境でした。
そんな記憶があるから、大人の勝手な思い入れはしないプレゼントを選ぶようにしている。
>>761 >大人の勝手な思い入れはしないプレゼントを選ぶようにしている。
その時点でそういう思い入れになってるわけでw
結局ツボはお子さんそれぞれなんで、様子見るしかないよ
>>761 小さい子供でも、大人が思ってる以上に、相手に申し訳ない感情ってあるよね。
>>761 よく考えれば確かに怖いわw
「おしっこみたいに水が出る」ってことをきちんと説明しないとダメだね
むやみに人形を生き物扱いしないでおこう…
765 :
名無しの心子知らず:2009/12/28(月) 12:19:39 ID:Mcio9FGa
まだ赤ちゃんの頃の記憶。
ずーっと静かで安心できる場所でぎゅーっと抱っこされていた(多分胎内記憶)のに寒くて眩しい所に寝かされている。
手足を動かすと今までとは違う感覚。
不安で泣いていると、聞き覚えのある声がして抱いてくれた。
その人からは静かな所にいた時に感じた温もりと匂いがして安心だった。
しばらくするとまたあのへんな感覚に不安になり泣く→安心する所へ。というのを繰り返していた。
たまに泣いているとゴツゴツした所や大きな声、臭い匂い、聞き慣れない言語(多分方言)を感じる事があり、とても怖かったのを覚えている。
上の子を産み実家に里帰りした時、母が孫を抱きながら
『あなたは新生児の頃から抱っこが大好きでね、抱いてさえいれば満足だったみたい。よく抱き癖云々って叱られたんだよ。私はそんなの気にせずに抱いてやっていたら落ち着いたよ。』
『新生児の頃から人見知りっぽくてね、私(母)と○姉さんとばあちゃんだと落ち着くけど他はダメ。男性はお父さんにしか抱かれなかったのよ。』と、聞きました。
現在4ヶ月の下の子が新生児期から抱っこちゃん。
自分の時の経験をいかしていっぱい抱っこしている。
上の子のフォローと家事は大変で、たまに気が狂いそうになるけれどこの子も不安なんだろーなと思うと今は子ども優先でいっかーと大らかな気持ちになります。
上の子も抱っこされている下の子を見て『ママの抱っこは魔法の抱っこだもんね。あとで○ちゃんも抱っこしてぇ』と言ってるので本当に気持ちいいんだなぁと思ったよ。
みんなも抱っこマンの赤ちゃんがいるとだと大変だけどいっぱい抱っこしてあげてね。
>>765 だっこしてないと泣く赤もちなので、なんだか泣けました。
書いてくれてありがとう。
自分の最初の記憶は、弟が生まれたときのこと。2歳10ヶ月ごろ。
夏で、半袖のトレーナーを着ていた自分が、
病院の新生児室の、ショーウインドウみたいなガラスに手をかけて
背伸びをしてのぞきこんで、弟はどこかなーって思っている。
子供のころの弟はちっちゃくて、かわいくて、ずーっと好きだった。
弟が生まれる前、母が「これからは弟と半分こするんだよ」って
「ふたりではんぶん」の絵本を読んで聞かせたと言っていた。
そのせいなのか?二人で何かを分けるのは当たり前だと思っていたし、
取り合いもしなかった。
保育園、多分年少くらいでお昼寝の時間
横になっても眠くならずそもそも何故昼寝が必要なのか悶々と考えていた
BGMのエリーゼの為にがやたらうるさかった
そして曲名はエリーゼの為にじゃなくてエリーゼの谷だと言い張っていた
同じ頃マドンナとマド女はどう違うのかとかも大人に必死に聞いていた
今考えると窓女ってなんなんだろう、ドリフとかのキャラかしら
>>761 その人形持ってた。私はおもしろくて人形に水をのませまくってた…。
人形で思い出した。
2歳の頃、
おばがキレイなフランス人形みたいな感じのお人形のをくれた。
その人形は、寝かせると目を閉じて起こすと目が開く仕組みだったのだが、
あまりの恐ろしさに、見た瞬間ギャン泣き。
とくできてる人形だけに本当に恐ろしかった。
お人形で思い出した。
3歳か4歳頃に叔父が結婚することになり、
綺麗なお姉さん(叔父の嫁になる人)がおばあちゃんの家に挨拶に来ていた
お姉さんは私に「もう要らなくなったからもらって」と私にお人形をくれた
おばあちゃんは、「このお姉さんがおばさんになるよ」と私に教えてくれた
「お姉さんがおばさんに? 一瞬で?」とか混乱したことを思い出した
後から確認したら1歳半のときのことだったんだが、病気でしばらく入院してた
ことがある。
美空ひばりといっしょの病気と聞いたことあるが具体的には知らないw
何度も油紙に薬を塗ったものを患部にはりつけ一日一回取り替えるんだが、皮膚が
くっついてて剥がれるもんだからめちゃくちゃ痛い。で、毎回辛かったが母が毎回
目に涙がたまってるのに口調だけ明るく「ほら大丈夫!すぐ終わるよ!強いねえ!」
と励ますし、父は毎回病室の外に飛び出ていて(見ていられなかったそうだ)終わる
と目を真っ赤に泣きはらして入ってくるのが可哀想で、いつも泣くの我慢しようと
してた。無理だったけど。
布団が患部に触らないようにトンネルみたいな骨組みの上から布団をかぶせていて、
あったかいテントみたいになってた。
親戚のおじさんやらおばさんやらがよくお見舞いにきてリカちゃん人形やぬいぐるみ
を置いていくので、その布団のテントの中がお人形のおうちだと思ってた。で、私が
見ていないうちに動き回ってると思ってた。
おむつ替えしたとき、病院の食事で出たとうもろこしがそのままウンチに出てたのを
目撃してしまった。
もうすぐ40の今でも、とうもろこしは苦手…
二歳なりたてくらいの頃。
保育園にいくようになったんだけど、ひとつ上のクラスの体格のでかい男の子がお漏らしした。それもウンチ。
普段はすごく元気で強い男の子がウンチをもらして泣いて、下半身裸にされてるのをが衝撃的だった。
あまりの衝撃に目を話せないでいると、「見ないの!」と怒られてすごいイヤな気分になった。
そのほかにも、ほぼ同士が無駄話をしてるとか、お迎えとかで保護者がいるときとそうじゃないときの態度の差とかが
子供ながらにすごくイヤで仕方なかった。
30年たった今でも、家から一番近いその園には子供を絶対に入れたくないと思っている。
ホシュ
二歳から見た「態度の差」とか「怒られて」とか、実は大人から見たらたいしたことないんだろうけど
いやな気持って残るもんだね。
一番古い記憶は一才間近か一才くらいだろうか、まだ乳母車に乗っていた時期だから
8才上の兄がいるのだけど、その兄に乳母車を押されるのが怖くて嫌だった
凄い早いんだよね…兄が押すと ガタガタ言うしぐんぐん押すから怖いの何の
母親が怒ってる声も聞こえるんだけど、どんどん進むから声も出せずに引きつってた
「もお〜!お兄ちゃんが押すと怖いんだもん、嫌!!」
って怒っていた記憶があるよ。
そんな事もあって息子が生まれた時は勤めてゆっくりと押す事を心がけた
母に話すとどうやら何度目かの兄暴走の時、私が乳母車の車輪に小指を挟んで怪我をしたらしい
が、その時の記憶は全くない
「あの時びっくりしてお兄ちゃんを大声で叱りつけちゃったんだよ、今考えたらあんなに
怒る事なかったのに可哀想な事をした。でも血が出てるわ爪は剥がれてるわで…」
と、母。
当の兄が覚えているかは不明。
私が通ってた当時、保育園に送迎バスがなくて、普通の路線バスで通ってた。保母がずっと同乗して。
厳しくていつも怒ってる年配の先生が同乗していた日、
私が降りるバス停に着く前に、ほかの子が降り口の前に立ってた。その子はその次のバス停で降りる子だったんだけど、
私はその子の後ろに立って待ってしまった。
すると怖い先生がすごい怒って、早く降りなさい!と叱られたので、あわてて降りた。
家に走って帰り(家はバス停のまん前なので誰も迎えに来ない。親は自宅隣で店やってて家には誰もいない)
家に入った瞬間、床に泣き伏してしまった。あんまり大声で泣いたので隣の店から母がびっくりしてやってきたw
どうしたの!?と聞かれたけど、説明できなくてずっと泣いてた。私は順番を守ってたのにって思いがあったから、すごいプライド傷ついた記憶が。
今思えば、路線バスにもたもたする園児と一緒にずっと乗ってる保母は、周囲の一般客に気遣いまくりだっただろうなあとかわかるんだけど。
でもあのときは、前に並んでる子は次のバス停だよ、あなたが先にここで降りなさいって、説明してくれたらよかったのにって
40過ぎた今でもたまに思い出す。
777 :
名無しの心子知らず:2010/01/13(水) 20:07:10 ID:FaNzqkuR
>>600 の話が好きだ。
何か読んでて幸せで、懐かしいような気持ち
ウチの子達もそう感じていてほしいな。
優しいお母さんでいよう。
2歳くらいかな、ヨチヨチ歩きを卒業したころの記憶。
ストローってすごーい!とストローの便利さに感動した。
今でも熱くない飲み物はコップよりストローで飲むのが好きです。
親にされて嫌だったことは、自分の子供にしないようにしている。
うちの親はまさに反面教師。
近所のオバチャンに
「○子ちゃん(私)何歳?」と聞かれ
「○子3歳!」と指で3を示し元気よく言った。
オバチャンは「えらいね〜」と誉めてくれた。
直後
「あんたまだ2歳やで。来月3歳」と母に言われ衝撃を受けた。
いつもいっしょに遊んでいる友達が3歳だったから
自分も3歳と思ったら、その子よりひとつ下だった。
今私の子は2歳7ヶ月だが、この子が2歳11ヶ月の時
「ぼく2歳」とか指立てて絶対に言ってないだろうなーと思う。
そんなこと言ってる姿が想像できない。
やっぱりうちの子は言葉が遅いんだなーと納得したよw
保育園で、お昼寝中にウンコ漏らした。
2歳、オムツもとれてたのに。
あ、うんこでちゃった
くらいの感情で、特に悪い事とかトイレ行かなきゃとか全く思わなかった。
そのあと怒られて「バケツに座ってなさい」と座らされるもウンコは出なかった。
母に聞いたら当時は超便秘だったそうな。
783 :
名無しの心子知らず:2010/01/21(木) 12:07:34 ID:hK2Jx4ar
保守
>>782 なんでトイレじゃなくてバケツに座らされたんだろう
おまるっぽいバケツのことだと思ってたけど違うかな
「のんたん おしっこしーしー」で
「うさぎさんが うさぎさんが おしっこしーしー バケツでしーしー」
ってページのバケツみたいなやつ
ホーローおまる
だとバケツ型だが本物のバケツなのかな
787 :
名無しの心子知らず:2010/01/23(土) 01:04:13 ID:qO6hh65H
名スレですね。
外国でハーフの幼児を育てています。
どなたか家庭が2ヶ国語以上だった方がいましたら、ぜひ小さい頃の記憶をお聞きしたいです!
うちの子の言葉が遅いのは、他国語言語のせいかもしれませんが、本人がどんな風に感じてるのか、知りたいと思っています。
お絵かきが好きだった幼稚園の頃
祖母の家で、うさぎさんが縄跳びをしている絵を描いた
その後祖母や母や叔母が私の描いた絵を見て会話し始めた
全体の内容は◯◯ちゃんは絵が上手だねというものだが
祖母が「こりゃ犬かい?」「こりゃなんだ、ウンコかい?」と
母に尋ねているのを聞いて、私の絵がわからないんだ!とショックだった
ウンコと言われたのは =3 ←これを縦にしたような、
ジャンプしてるようすを表す記号のつもりだったけど
ばあちゃんはわからなかった、私の絵が変で下手くそだからだ、と
恥ずかしく悲しくって詳しい説明はできなかった
絵に限らず、自分の行動や作品をこれは何?どうしてそうしたの?
などと大人に聞かれると、私はきっと変なことをしたんだ、下手だから伝わらないんだ…
と自信がなくなって黙る子だった
かといって、あのときどう接されたら
自分から積極的に説明できたかは今でもわからないわけだがw
初めて「おつかいありさん」の歌を歌ってもらった時、なんで今までこんな面白い歌を
教えてくれなかったんだろうと思った。
家の親は音痴だったので、いつもテープと音がずれていて気になった。
いざ自分で歌ってもなんかずれるし、歌って難しいなと思っていた。
あと、「あめふりくまのこ」で、〜〜魚がいるかと見てました、の部分
魚とイルカが水の中からくまのこを覗いてると思ってて、
なんで急に魚とイルカが?って不思議だった。
どんなに遅くとも3歳半までだと思います。
音の違いは多少早い時期、イルカは遅い時期でしょうか。
そうめんの盛り付けが多すぎて苦痛だった
夜泣きの記憶がある人、なぜ泣くのか教えてー
どうすれば泣きやみやすいのかも教えてー
1歳後半の頃、強そうな男の人見たり暗闇の中とか恐怖スイッチが入ると号泣
母にあやされると安心してまた号泣
「ママごめんなさい」と思いながらも感情の止め方がわからなかった
何か別の事で意識をそらされるとコロっと忘れたりしてた
夜泣きじゃないけど、昼寝していて目が覚めたら夕暮れ時だったので
暗くて寂しくて怖くて泣き続けたことは覚えてる。
抱っこでしか泣きやめなかった。母の抱っこ最強説。
今1歳半の娘が第二次後追い真っ盛りで、とんでもなく抱っこ星人でちょっとたいへんなのだが、ここ見て頑張ろうと思いました。
ありがとう。
夜泣きの話じゃないうえに幼児期の記憶じゃなくて恐縮なんだが…。
私は子供の頃から最近まで、夕方になると理由のない不安と恐怖が襲ってきてた。(皆そうなのかな。)
人がいたら少し和らぐけど、怖さは消えない感じ。
子供生んだらそれどころじゃないのか鈍くなったのか平気になった。
だから子供が黄昏泣きするのは少しわかる。夜泣きも訳もなく不安なんじゃないかなあ。
すごいわかる!
1歳前位の頃、夕方薄暗くなってから部屋の電気が点くまでがすごく嫌だった
電気の点いたキッチンにいる母の後ろ姿を
電気が点いてないダイニングの入口から、泣きながら見てる記憶がある
薄暗いダイニングに入って行くのが怖いというか、不安で
母が私に気付いて声をかけてくれるまで動けずにフリーズしてた
だから息子が生まれた今、夕方は早めに電気を点けるようにして
4歳くらいの頃だったかなあ。
うちは自営業で親が忙しかった。私は末っ子で、年の離れた兄姉たちがいて、私だけ赤ちゃん扱い。
ある日首を寝違えてw痛くて一日寝てた。たいしたことなくて、ひとりで寝てなさいって言われてたけど、
夕方になったら寂しくなって、お母さんお母さんと泣いて呼んだけど、忙しくて来てもらえなかった。
母が来てくれないのはわかってたし、兄姉たちが「ウルセーナ」って顔で無視してるのもわかってたけど、意地というか引っ込みがつかないというか
もう自分でもどう止めていいかわからなくなっちゃって、泣きわめき続けてた。
泣きわめきながら(叫ぶのもう疲れたなあ)とか変に冷静に考えたりしてたw
家の事情はわかってたし自分が悪いのもわかってるけど、ほんの1分でも抱っこしに来てくれたらよかったのになあと、今でもたまに思い出してしまう
それ以来あんまり親に甘えられなくなっちゃったし。親を恨んだりはしてないんだけどね。
6ヶ月くらいの頃の記憶だと思うけど、
父にチューされるのが嫌でしかたなかったなー。
801 :
名無しの心子知らず:2010/01/30(土) 09:06:01 ID:DI3ItmEl
今ちょうど7ヶ月のうちの子もパパのちゅー嫌がってる(笑)
なんでパパちゅはイヤなんだろう。不思議。
私も父のチューがちょっとイヤだった(父のことは大好きだったが)。
ヒゲのゾリゾリ感と、微かな加齢臭が気になった。
父は当時40近かった。
父の枕もオッサンの匂いが少ししてあまり好きじゃなかった。
母の枕は石鹸かシャンプーのいい匂い。
うちの娘1歳も夫のチューを避けてるw
夫もアラフォーなので加齢臭が原因かもしれん。
803 :
名無しの心子知らず:2010/02/01(月) 00:00:10 ID:6bDOgyyA
うちの旦那はアラサーなのに…(ノд<。)゜。
多分1〜3才の頃、定期的にママが居なくなったら、死んじゃったらどうしようと毎日泣いていた時期があった。
母親にはなぜ泣いてたのかは教えてない。今でも内緒w
死の概念だけはかなり早くから理解していた。
父は怒りっぽい人で乳児が泣いてもイライラだったらしい。(今は温厚です)
だからなのかな。昔の父は嫌いで母が大好きだった。
だからママにはヨシヨシとかイイコじゃなくて
いなくならないよ、毎日そばにいるよ、ずっといっしょだよ、大丈夫、みたいなことを言ってもらいたかった。
くっついていると不安が消えたからうざいくらいそばにひっついてたなぁ。
>>805 そう言うレスはすごく参考になります。有難いです。
娘が1歳なんだけど、最近たまにちょっと困るくらいにまとわりついてくることがあるんだ。
でも絶対にうっとおしがったりしないようにしよう、出来るだけ沢山本人が満足&安心するまでスキンシップしてあげよう、と思う。
そして言葉に出して、大丈夫だよ、ママはいつも側にいるよ、あなたを離さないよって何度も言うようにします。
母は仕事中心の人で、家事はもちろん育児も祖父母まかせ。
遠い存在の母。
それでも大好きで、大好きと思われたかった。
幼稚園で母の日のために作ってきた紙粘土製のペンダントトップ。
喜んでもらえると思ってウキウキと手渡したら
まじまじと見つめて「もうちょっといろんな色塗ってくれたら良かったのに」
みたいなこといわれてすごく悲しかった。
家で気を引きたくて自作の踊りwを踊っても、毛抜きで眉毛抜いたりしていて
いつも私のことを全然見てくれなかった。
大きくなって成績表を見て欲しくて、母の目のつくところに置いておいても
見てもらったことはなかった。
褒めてもらった記憶もひとつもないです。
今でも普通に交流ありますが、お母さんに会いたいな、みたいな愛情が全くないです。
私みたいな寂しい思いさせたくないなと思いながら今育児しています。
自分は2歳の時に弟が産まれて、自分の存在が家族から無かったかのように扱われる
経験をした。女の子は必要なかったんだな。本当に。
赤ちゃんだった弟を周囲がちやほやしてるのを横目で見ながらスコップで庭を一人で
掘っていた記憶がある。月例考えると2歳ジャストだと思うんだけど。
父がお馬さんしても、弟しか乗せてもらえなくて私だけ背中から落ちて泣いてた。
乗せてもらえなかった。
だから弟を壮絶にいじめた。でも「お姉ちゃんなんだから」で私ばかり怒られた。
今、本当に弟には悪い事をしたと思って、つみほろぼしに無理にでも優しくしてるけど
正直、実家は自分の家族という気がしない。
注目されたくて自作の踊り、やったなーw
自分は年少で入った幼稚園が嫌いだった
みんなでお遊戯とか退屈だしばかばかしーと思ってたw
泣けてしまう。
みんなみんな、これからでも幸せになってくれ。
自分30代で、子が2歳なんだけど、アンパンマンが大好きなんだよね。
アンパンマンがなぜこんなに幼児に大人気なのか、
若い人で、ホントに小さい頃から大好きな人理由を教えて。
顔を食べちゃったり、取り替えたりって、大きくなってから見ると、
ちょっと違和感あるから、理由が知りたい。
>>812 よくいわれることだけれど、単純な丸で構成されていて、かつ二頭身・三頭身ものには人間、本能的に好意をおぼえるものらしいよ。
(ドラえもんとかがここでよく例にあげられる)
一頭身のニコチャン大魔王は規格外みたいだけども。
よく見えない目で乳にたどり着くためのプログラムは一生物だったりしてw
家の子もしてたが、餡男の鼻しゃぶってる子わりと見かけるからなんとなく。
記憶じゃなくてゴメンだけど、
知り合いのアンパンマンに似た顔の人は
やたら子供好かれてるw
816 :
名無しの心子知らず:2010/02/04(木) 12:23:48 ID:CQGG5Gpd
アンパンマン顔w
塚地みたいな感じかな?
関根勉の娘とか?
大人目線での解釈はいろいろされてるけど、
確かに、乳幼児当人の記憶でアンパンマンを
どのように好ましく思っていたのか知りたいな
818 :
ニュースウォッチャー :2010/02/04(木) 12:36:17 ID:uMlm7qpy
母親がガキに昔の記憶を話すのは良いが
良い思いでの話しにとどめておいたほうが良いだろうな。
>>814 乳にたどり着くためのシステム=黒い円を認識、という自分が生きるための本能とは違って
小さくて丸いものを愛しく思う=赤ちゃんを愛する、という種を持続させるための本能らしいよ。
>>819 そうか
家の子ちっちゃい時餡男ボール見ると、目をかがやかせて
「おっぱい!」て言ってたからついw
アン
パン
マン
ってのが発声しやすいのもありそうじゃない?
「○○ちゃん、これなあに?」
「アンパン
途中で送信してもうた。ごめん。
「アンパン!」
「すごいすごい!上手に言えるね!」
って親子や祖父母との会話がよくある。
5歳のときの記憶。
幼稚園の庭が狭いので、運動会は近くの小学校のグラウンドを借りていた。
運動会開催前に皆で体操をするっていうので、朝に練習をさせられていた。
私は「なんでこんなことしないといけないの!?」って何故か腹立たしく思っていて、
動きに怒りをぶつけて勢いよく体操していたらある日先生に呼ばれた。
「怒ってるのバレちゃった?叱られる?」と思ってたら
「私ちゃんが一番元気に出来てるから、リーダーになってみんなの前で体操してね」と言われポカーン。
運動は出来ない方だったので、親も何故私が選ばれたのか不思議がってたし、
もちろん大人たちは私が元々体操をやる気まんまんだったのだと思ってた。
子供心に本当のことは言えないなあ、と思ってリーダーを務めた。
あと、卒園式で泣けて泣けて仕方なかったけど、泣いたら恥ずかしい!と思ってた。
何故涙が出てくるのか、わからなかった。
小学校に上がるのは嬉しかったし、卒園が寂しいとも考えてなかったのに、号泣してしまって不思議だった。
別れの悲しさの涙初体験でした。
また途中送信。なに私。本当にごめん。
で、餡男を見るたびに子供が「アンパン!」て言う。
大人は「○○ちゃんはアンパンマンが好きなのね」て言う。
家の中に餡男グッズが増殖していく。
>>823 思い出した〜幼稚園で「前にならえ」がダイキライだった。
なんで前の人に?と疑問だった。
「でも小学校に行ったらやらなくて済む」となんとなく納得してたが、小学校でも同じ。
いまだにあの軍隊風の行列がダイキライ。
餡男って?と思ってぐぐったらアンパンマンのことか
育児板にきたばかりなので知らなかった
餡男だと2文字で済むもんな
一時保育に入れるか仕事を辞めるか悩んでいます。ます。
保育園や他の預ける施設に預けられた時の心境を
覚えておられる方いらっしゃいませんか?
慣らしだと10分泣いて後はケロッ。
帰宅後べったり。
本当は嫌なのか、ちょっと寂しいけど保育園は保育園で楽しいのか、、
喋れるまで預けないほうが私には合ってるのかな。
私は保育園で毎朝号泣してた。
母が背中を向けて去って行ってしまう…!というのがなんだかすごく悲しかった。
いなくなったら「しゃーねーな」って感じで、それなりに過ごしてた。
もちろん迎えに来た母にべったり。
ちなみに私が預けられたのは4歳。
しゃべれるまで親元で過ごしてもこういうこともあるので、
あんまり子供に振り回されなくてもいいような気がする。
828さんと同じで
やっぱりお母さんと別れるときは一瞬寂しくなって泣いたりするけど
行ってしまったら「さて、と…」て感じだったな。
保育園はダルいけど楽しいこともあるし好きでも嫌いでもなかった。
朝はギャン泣きしたくせに、夕方になって「おかあさんといっしょ」とか
アニメの再放送を見られる時間になって
いいところで母が迎えに来ると「ああ…もうちょっと遅くていいのに」と思ったりw
一緒にいる時間が短くなっても、お母さんの接し方次第で愛情は伝わると思うよ。
0歳から保育園〜消防時代もカギっ子だったけど、かーちゃん大好きだった。
私もカギっ子で、家に帰ったらお母さんがいるっていうのが羨ましかったなあ。
当時の私の環境では共働きはどちらかといえば少数派(そこまで少なくはないだろうけど)
だったけど、今は共働きの家庭も多いし、また違うんだろうな。
保育園の頃は、幼稚園の存在なんて知らなかったし、そういうもの(毎日行くところ)だと
思ってた。むしろ預ける時期が早けりゃ早いほど、子どもの順応度も高いと思うな。
もちろんお子さんの性格にもよるけど。
でも、このスレで上の方にあったけど、親が家にいても目を覚ました時に手が離せないから来てくれなくて
トラウマ…とかなかったっけ?
家にいようがいまいが、そういう体験すると思うな。と言う訳で自分は働いてる。4歳になったらどうせ幼稚園だし。
まだ幼稚園にいく前、ちょっと体調が悪くて
洗濯物を室内で干してる母に甘えてみた。
そしたら忙しかったのか機嫌が悪かったのか、
「まとわりつかないでよ!」っていって突き飛ばされたw
まあその先には布団が積んであったのでけがとかはなかったんだけど
それがすごいショックだったなー。
大きくなってから母に話しても「ぜんぜん覚えてないw」だそうで。
まあそれで母が嫌いになったとかは全くないんだけど、
そのときの記憶はやたら鮮明に覚えてる。
幼稚園の頃、いろんな藤子アニメが放送されてて
ドラえもん、ハットリくん、パーマン、オバQをリアルタイムで見てた
ドラとハットリとオバQは「面白いなぁ」ぐらいの感想だったけれど
パーマンだけは「パーマンかっこいい!パーマンになりたい!」と
大好きな大好きな憧れの対象だった
よく同じ団地の子たちで集まって風呂敷首に巻いてパーマンごっこしてた
・悪者と戦う正義の味方かっこいい
・マントで空を飛べるところかっこいい
・パーマンのアイテム(ヘルメット、マント、バッジ)かっこいい
自分があこがれた理由はたぶんこの3点
「強くて空も飛べる正義の味方」←アンパンマンにも通じるかと思った
たぶん一歳ぐらい
部屋に母親と祖母が座っていて、自分はちょっと離れたところで座って何かしてる
で、「○○ちゃんこっちおいで〜」、「こっちがいいよね〜」と両方から呼ばれて、
ちょっと考えて(具体的に何を考えたかは覚えていない)、ハイハイでダッシュして
母親の方の膝に登ってさらに体に登ろうとしたことを覚えてる
幼少期に親からマンツーマンで何かを教わった記憶がまったくない
中学生のとき実家の店に定休日ができて(それまで盆正月以外休みなしだった)親と話す機会が増えたんだけど、親に甘えたり本音を話すことはもうできなくなってた
3人姉妹の末子で、私の世話は姉たちと祖母が片手間にしてたんだと思う
私はいろんなことを直接「こうするんだよ」と教わったんじゃなく、見よう見まねで自己流で覚えた感じで
間違って覚えてしまった常識や、ウヤムヤではっきりしないままなんとなくすませてきちゃったことがとても多い
女同士の厳しさで、何か失敗すると姉たちにプゲラされたので、失敗を隠したり言い訳するのはうまかった
今も「このやり方でいいのかな?」と不安に思ってすぐ決断できないことが多い
自分の子には質問されたら自分で教えたり一緒に考えたりしてあげたいし、
何か失敗して泣きついてきたら慰めて「次はこうしようね」とか言ってあげたい
3歳のころ。口が達者だったのかよく母と言い争い(?)になった。
でも私はすぐに忘れて「おかあさーん」と甘えに行くんだけど、母は癇癪を起しやすい人で
一度機嫌が悪くなると毎回、長時間無視され続けた。(実際は短時間かも?私には長くて辛かった…)
ある日、いつもどおり「おかあさーん」と言いかけて、こんな扱いを受けてるのに何故、
狂おしいほど母親が好きなんだ?後に付いて行きたくなるんだ?って、ママン大好きな気持ちがスっと冷めた。
それが後追いの終わりだったけど、自分が大人になっても家族との絆を感じられない根底はここにあると思う。
あと、母が子供相手に本気になってしまう幼さも情けなくて、深い侮蔑感として残った。
成人するまで母のアドバイスを真面目に聞いたことは無かったし、思春期の反抗も他人より激しかった。
自分も親になって強い母親になるのは難しいと感じるけど、子供は生意気なようでも
心から親を求めている事だけは忘れないようにしようと思っている。
子が今後追いが凄くて、一日中ベッタリとされる。
いたずらもよくするし、短気な私はすぐに本気で
子を怒ってしまうんだけど836さんのを読んで
はっとして涙がでたよ。
寂しかったでしょうね
かいてくれてありがとう。
なるべく子には本気で怒らない様
すぐにカッとならない様にするよ
子供を叱っていいのは、他人に迷惑をかける時と死の危険があるときだけ。
親に無視されるって本当に辛いよ
3才くらいの頃だと思うけど良く覚えている
ある日、お出かけだよ〜って声掛けられて綺麗な服を着せて貰った事があった
それはお出かけ様の服で、それを来て行く先は大概デパートだったので
デパート大好きな私は大喜び
ワクワクしながら着いて行くと、なんと行った先はデパート内にある歯医者…
当時歯磨き大嫌きだった私は(押さえつけられるのが嫌だった)虫歯だらけ
治療に連れていくも、診察台の上で大泣きの大暴れのため此処なら大丈夫と
母が考えたらしい
確かに院内は綺麗に整えられて一間病院には見えない造り
待合室に居る間だは歯医者だなんて夢にも思わずわくわくしてた
名前呼ばれて入っていったら…私の大嫌いなギラギラした器具達がお出迎え
ええ…泣きましたとも、怖くて怖くて…
押さえつけても何してもギャン泣きで抵抗する私に業を煮やした歯科医師が
とうとう匙を投げて診察終了
母は私を恥ずかしいやら腹立たしいやらと怒ってから家に帰るまで私を無視し続け
(電車に乗っていったんだが)下りる予定の駅も無言&凄い顔で乗り越し
何度声を掛けても無視、握った手も振り払われ…もう捨てられるんじゃないかと
辛くて悲しくて仕方なかった
自分の行いで怒らせたって解ってるだけにもうやるせなくてね…
歯医者が嫌いな理由は最初に行った歯医者でいきなり口に器具を突っ込まれたから
これが口内を抉って結構痛かったんだ
いきなり何の説明もなく連れて行かれて本当に怖かったんだよ
あの器具でまた痛い事されるんだと思って本当に怖かったんだ
それから楽しいお出かけの振りされたのも嫌だったんだよ
裏切られた気持ちになったから
せめて説明してほしかったなあ…
説明して結果変わったかな?
確かに説明不足なのも分かるけど
>>839の場合は迷惑かけて親を怒らせて悲しい思いをしたって
いい経験な気がするけど違うの?
うーん
子供目線での現象に対する感情を知りたいから
迷惑かけたとか大人の観点はこのスレではいいや…
事前説明を大事にしてきてよかった。
>>840 なんという見当違いなレス
半年ロムりやがれですよ
あなたみたいな人がいると、いい話が聞けなくなるので迷惑です
>>839は示唆に富む経験談。参考になります。
>>839がその後どうやって歯医者を克服したのかを聞いてもいいだろうか。
これだけじゃなんなので。
3歳前後のころ近所の美容院に連れて行かれた。
(いつもはお母さんがお風呂場でおかっぱにカットにしてくれてた)
が、美容院が怖くてすっごい泣いた。
あまりに泣くのでシャンプーは無しでカットだけしたような気がする。
ちなみにお母さんは「やれやれだぜ」って笑ってた気がする。今でも美容院は苦手。
髪いじられるのは大丈夫なんだけど、美容師とのトークとかが苦手なのでその時のことを引きずっているわけではなさそう。
ついでに。何歳かは分からないけどお母さんと一緒にお風呂に入っていて、
おっぱいのみたい!って言った。
甘くて美味しかった記憶があるからまた飲みたいなって思ってお願いした。
お母さんはOKしてくれたのでわくわくしながら吸い付いた。
パイは出なかった。ちょっとショックだった。
幼稚園のころ。ダイニングテーブルでボールペンで広告チラシにお絵書きして遊んでいた。
母は横で家計簿をつけたり忙しそうだった。
私は赤のボールペンで緑色の上に書くと黒く見えることを発見し、嬉しくて母に
「赤なのに黒い色だよ。不思議でしょー」と線を書いて見せた。
母は一瞬だけ顔を上げて、口を「わー」と言うように開け、驚いた表情を
作って、またすぐ家計簿に戻った。
私はそれで大満足し、「大人を感心させるのって簡単だな」とか
思wっていた。
娘はまだ2歳だけど、忙がしくても何か見せようとしてるときとか、
宇宙語で何やら自慢してる様子のときなど、一瞬でも顔を見て
「うわーすごいね!」とか、「上手ね!」とか言ってあげようと努力
してます。
>>844 すごくかわえええwww
よく、楽しそうに聞け、驚いて聞けというけどほんとなんだね。
なんかほのぼのするね
>>841 でも、結局は親としてどうすれば良いのか知りたいわけで・・・
タイトルだって「育児に役立て!」だし。
我慢の限界まで来ている子供の行動に対して
どうするのが正解なんだろうね?
嫌なことされた、という記憶だけしか残らないのかな。
いつかは分かってくれると信じて本人のためにやることは無駄なのかな。
>>844のお母さんみたいなママになりたいとオモタ
横からだけど
>>840=
>>847ですか?
だからさ、
>>839は、せめて説明してほしかったなと書いてるじゃない?
「何の説明もなく連れて行かれて本当に怖かった」と子供の素直な気持ちを端的に書いてくれてるじゃない?
こういう経験談(子供の気持ち)を読んで、親の立場である私たちは
子供をだまし討ちにするのはよくないな、とか
子供を無視するのは本当につらいみたいだからしてはいけないな、とか
なにが嫌なのか聞いてみたらいいかもしれない、とか
はたまた、こんな思いはさせたくないからどんなに嫌がっても歯磨きは絶対がんばろう、とか
各自色々読み取って「育児に役立て」ていくそういうスレなわけでょう
なのに、
>>840は
説明したらなにか変わったの?、とか
いい経験だったんじゃないの?、とか
そういうのは大人側の理屈であって、このスレにはそういうのは必要ないと
>>841は言ってるんじゃないの?
それに、へたすれば報告者をたたいてるようにも見えるよ
だから
>>842は怒ってるんだと思う
いつかは分かってくれると信じてやることは無駄じゃないと思うよ
でも、親としてやらなきゃいけない瞬間もいっぱいあるけど、
出来る限り子供の気持ちに寄り添ってあげたいから、
このスレを読んで参考にしてるよ
>>849さん
素晴らしい。
スレ住人が言いたい事すべて言ってくれた。
>>849 >>840=
>>847じゃないよ
スレ違いならスルーすべきなのに
>>849のような完全妄想入りな長文レスを
すればするだけ荒れる原因になると思うが?
このスレはためになるから以後気に入らないレスはスルーで頼むよ
あ。私が
>>840なんで分かるんです
大事な一言忘れてました
>>847は便乗しただけだと思いますよ
最古ではないけど育児に関係ありそうなところを。
5歳になる頃。母と3つ下の弟と公園に遊びに行った帰り道。
いきなり母が上から覆い被さり、私と弟を抱えるようにしてしゃがんだ。
突然の事に私は、何が起こったの?お母さんどうしたの?と思っていた。
しばらくその体勢でいた後、何事もなかったように母は歩き出した。
家に着くと外の水道で母はしゃがんだ時に擦りむいた膝を洗った。
傷を見て、お母さん痛そうだなぁ...と思った。
家の中に入ると居間は物が落ちてグチャグチャに散らかっていた。
後になって知ったのは、その時震度5の地震があったのだという事。
子供心に母は身を挺して私達を守ろうとしてくれたのがわかった。
もひとつ。これも5歳くらいだったと思う。
夕食の支度をしていた母が、ふと気づくと台所からいなくなっていた。
お母さんと呼んでも返事がない。家中探してもいない。
「大変だ、お母さんを探さなければ、誰か大人に知らせなければ」と思い
弟を連れて50mほど離れた近所の家へ歩いて行ったが留守。
他に頼れるあてもなく、暗くなり怖くなってきたので家へ戻ることにした。
「お母さん何処行ったんだろうねー」と言いながら弟と手をつないで歩いたのを覚えている。
それから間もなく母帰宅。黙って出かけるなんてひどいと思った。
大人になった今考えると、事故とか遭わなくてホント良かったなと思う。
>>849 子供だからといって何の説明も無しにどこかに連れて行かれたり
安易にぬかよろこびさせて騙しておいて
思い通りにならなかったら無視とか
ここまでのレスの中にもいくつかレスあったけど、
子供だからいいだろうみたいなのが本当嫌なもので
記憶に残るんだな。
手段を選ばずとにかく歯医者に到着さえすれば良いという
目先の事だけにとらわれちゃダメだな。
叔母の結婚式のときの記憶なので、私が2歳のときなのは間違いない。
両親が奮発してビロードのすてきなドレスを買ってくれて、頭にベビーピンクのリボンをつけてくれ
たのがとても嬉しかった。
でも、会う人会う人みんな手をのばして頭を触ってくるので、きれいに結ってくれたヘアスタイルが
崩れるのがいやで、みんな私を見て笑うのが恥ずかしくて逃げ回っていた。
あとから聞いたり写真をみたりしたところによれば、みんな私を可愛く思って撫でたり笑顔で声を
かけてくれただけだったんだが、顔もよくわからない大きな大人に囲まれて大きな手がのびてくる
感じが怖くてしょうがなかった。
結婚式場の駐車場や会場は薄暗かったし。
なので、今3歳の息子を親戚の集まりに連れていって可愛がられそうなときとかは、抱き上げて
大人と同じ目線で挨拶させたり、抱っこしなくても少し距離とって囲まれることがないようにして
いる。
お化粧の真似ごととか、大人っぽい言葉を使うとか、
自分がちょっとカッコいいなって思って背伸びしたことをすると
必ず両親に「なに大人ぶっちゃってw」と笑われた。
親にしてみれば「カワイイな」と思って言ったのかもしれないけど馬鹿にされたように感じて、
恥ずかしくてショックだった。
馬鹿にされるような気がして自分からは発言したり自分の考えを言わない癖がついてしまったよ。
もうすぐ子どもが生まれるけど、大人の真似をしていてもpgr しないようにする。
>>855 それ、犬のシツケで聞いたことがある。
頭なでられるのは犬にとって恐怖なんだって。
必ず目線まで、腰を落として話しかけるように、て。
>>853のお母さんの行動に感動。
そんな咄嗟に子供を守れる瞬発力が
私にあるだろうか。
そんなお母さんになりたい
>>856 ああーなんかわかる
年の離れた姉兄たちにからかわれながら育ったので家族の前では控えめにしてる癖がついた
結婚後も実家帰る時だけは別人のように地味な格好で、余計なこと言わない
家族は私に対して基本上から目線でスキあらば説教されるので、育児の愚痴も絶対言わないようにしてる
自分の子には説教じゃなくて、一緒にまじめに考えようってスタンスでいたい
絶対言いたくない言葉は「いっちょまえに」「色気づいちゃって」だ
うちも3歳4歳年上の姉たちが、何かと冷やかしたりするのですごくイヤだった記憶がある。
私は幼稚園くらいの頃、感受性が強くてテレビでかわいそうな場面や悲しい場面を見るとよく泣いてた。
でも泣くと「うわ〜○○が泣いてる」ってpgrされるので、わざわざ廊下に出て泣いてた。
それでも姉たちがやってきて冷やかされたりしたし、親も止めてくれなかった記憶があるので、
自分の子には、テレビや映画、目の前の何かを見て泣くことは恥ずかしいことじゃないと教えてる。
先日、マリと子犬の物語のDVDを見ながら盛大に泣いてた娘を見てちょっと嬉しかった。
862 :
名無しの心子知らず:2010/02/20(土) 00:00:02 ID:RmS1yu4p
娘さんかわえええ
小さい頃 叱られて
「ごめんなさい」と謝っても、「何でも謝ったら良いってもんじゃない」とか「謝れば良いと思って」とか言われたことがあった
それでどうすれば良いのかと泣いてると「泣いたら済むと思って」とか言われるわけで
謝っても「反省の色がない」って言われたり
そんなこと言われたって…って思うと泣けてくるし、もうどうすれば良いのやら状態
そうして叱られないように型にはまった人間に育つわけです
好奇心も冒険心も探求心もない、可もなく不可もなく地味に目立たず…
864 :
名無しの心子知らず:2010/02/20(土) 06:21:20 ID:7nr+5NSs
年中4歳の娘がすっごく大人ぶってる(?)んです。
家でも園でも舌を出したり、ヤレヤレ…のポーズをしたり、ため息付いたり。
プリキュアだって毎週見てるのに、園では「プリキュア嫌い」なんて言ってるようです。
あんまり友達もいないようなので、直してもらいたいのですが、
小さい頃に同じような態度を取ってらっしゃった方いませんか?
どういうつもりでやってるんでしょうか?
3歳くらいの時おじいちゃんちで
マドンナのビデオを見てる記憶が一番古い記憶
黒い衣装着て踊ってる女の人の風景が今でも思い出せる
3歳の時、家族でご飯を食べてたらケチャップのついたおかずを取りそこねて思いっきり落とした。
父はカッとなる性格な上に、当時激務でイライラしていた。
服とカーペットが汚れてびっくりして固まっていると、間髪入れず平手で殴られてギャン泣き。
母は「そこまでしなくても!」と止めてくれ、父はヤベ…みたいになりつつ絶対謝らない性格なので「うるさい!」と一喝。
怖いのは、その時ギャーギャー泣きながら、
「たたくほどじゃないのに。おしごとたいへんできげんわるいだけなくせに。」
「はじめてたたいたからママがしょっくうけてる。でもパパはもうたたかない。しまった!っておもってるから」
って自分が冷静に考えてたこと。
>>864 甘えたい気持ちの裏返し。
もしくはアスペ。
>>867 アスペって人見知りが激しくなった感じじゃないの?
>>864のは何かのキャラクター真似とかじゃないの?
甘えたいというか、私に構ってもらいたいという気持ちの表れで
オーバーなリアクションをとったり、キャラクターの真似をする子はいるよね。
古いたとえだけどクレヨンしんちゃんの真似とかさ。
>>869 構ってというのも甘えたい気持ちの一種だと思う。
で、もし構ってポーズだとしたら、「変に大人びたこという」→「大人がちょっともてあます」→「余計に疎外感」
という悪循環になってそうだよね。
>>868 アスペは自閉圏だけど、自閉=人見知りというわけではないよ。
>>864 たんに大人ぶりたいだけでは?
プリキュアも「アタシ大人だからあんなの見ない!(でも面白いのよね…)」
みたいな
このスレでも「周りの子子供っぽい!」って思ってた人がいたと思う
まあなんだ、結局本人にしか説明はつかないんだろうね。
でもそういう大人ぶりたい子は説明したがらないだろうし永遠に謎のままなのかな。
とりあえずあまり浮くようだと周りから抑え込みが入るから、空気を読んでそのうち
周りとあわせるようになるんじゃないのかなあ…と思ったりした。
私自身が
>>864ほどではないけれど大人ぶる子だった気がする
長女で春生まれだったので「しっかりしてるね」「○○できてすごいね」と
常に認められて褒められていたのが少々裏目に出たんだと思う
大人っぽくしっかりしてるほうが周りからすごいと思ってもらえる、
子供っぽかったら馬鹿にされたりいじめられちゃったり
周りの大人から低く評価されちゃうから弱みは見せないようにしよう、
って感じの考えだったかなぁ…
ヤレヤレのポーズとかプリキュア見ないって嘘とかは、
厨二病の子が「フッ…関係ないね」とか「J−POPなんて聞かないぜ」とか
やってるようなものだから生温かく見守ってもいいと思うけどな
友達が少ないのを本人も内心気にしているようだったら
「プリキュアのお話しないの?にこにこ優しい娘ちゃんならみんなと上手にお話できるのにね?」
とちょっと遠まわしに良い方向へ誘導してはどうだろう
プライド高いタイプだと思うから
もっと優しくしようね、より、貴方は優しい子だね、の方が効果ある気がする。ソースは私。
厨二病ならぬ幼二病?年中病?ならいずれ直るとは思うんだけどねw
ちなみに私は、素直で子供っぽい方が周りからの評価いいじゃん!
しっかりしてて落ち着いてる子より、天然無邪気の方がウケがいい!と
気づいたのは20代後半になってからだったよ
そうやって周りの目とか評価ばっかり気にしてる子にしたくないなー。
人間素直が一番だわ。
周りの目とか大人たちの評価を気にしてそのように立ち振る舞ってたなら
けなげである意味すごい素直なお子じゃないか。
>>874みたいに軽々しく人をけなす子にしたくないわー。
人間思いやりが一番だわ。
私は照れ屋で、近所の大人たちに挨拶するのが苦手だった。
両親にはいつも「ほら、こんにちはでしょ?」とか「挨拶しなさい」とか言われていましたが
やっぱり言われると余計に挨拶しずらくて嫌でした。
やっぱり我が息子も性格が似るもので、挨拶が苦手な様子。
でも親の姿を見て学んで欲しかったから、私はしっかり挨拶をして
挨拶できない息子には特に何も言っていませんでした。
でも、このまえ初めて小声で「おはようございます・・」と。
このやり方で間違ってなかったと思いました^^
880 :
名無しの心子知らず:2010/02/25(木) 22:51:08 ID:99DSWKV1
>>873 なんかあなたの話し方っていいね。
あなたと友達だったらすごく真剣に
相談にのってくれそう。
私は毒親スレ住人なんだけど、
うちの母親は、前に出てきた、騙して歯医者に連れていくような人。
説明したら、行く前から泣き叫ぶような気がしないでもないがw
でも、いつも騙されていたので、私は母親を信用しなくなり、
あと、すぐpgrしていたから、弱みを見せないようになった。
騙すのだと、例えば、「○○したら××してあげるよー」と、釣っておきながら、
子供が頑張ってそれをしても、してあげない、
もしくは子供も忘れちゃってるみたいだし、やらなくてもいいやー、
みたいなのをやってる友人がいるけど、
私は、親が騙す親だったから、
とりあえずどんなに小さい子でも、言った約束は守るようにしてる。
そういうのって、すごく傷になると思うし、人間不信の種になると思うから。
赤ちゃんの頃、病院に行くと(検診かな?)
裸にされて冷たいスケールの上に寝かされて、体重を測られるのが大嫌いだった。
服を脱がされると「またあれか」と思い、スケールを見ながら泣いてみた。
看護婦さんが「冷たいから嫌なのかしら」と言ったので、「そうですよ!」と思っていた。
寝ていたら、背中が汗でびっしょりになって、気持ちが悪くて泣いた。
多分まだ寝返りができない頃。暑いのになかなか気がついてもらえなかった。
哺乳瓶でミルクを飲んでいた時、ビュービュー出すぎて気持ちが悪くなって吐いた。
理由は忘れたけど泣いていたら、母が父に「ちょっと見てください」と言い、父がそばに来た。
父はイライラしながら、「はいはいはいはい」と言いながら私を抱っこして、
大きな手で背中を叩いてきた。母の小さな手で優しくトントンされるのと大違いで、
テンポは速め、そして手が大きかったからか痛く感じた。違うよーと思った。
そして父にイライラされるのが嫌で、ますます泣いた。
寝ていたら両親が寝顔の写真を撮りに来た。ヒソヒソ声で話しながらシャッターをきっていた。
「口開けてるわ」「くすくす」と笑われたのが恥ずかしかった。
その写真を今見ると、寝てる赤ちゃんにしか見えないけど、会話は全部聞こえていた。
名著「わたしは赤ちゃん」みたいだね。
882は面白いな。
母の笑顔が好きだった
遊んだりしてもらってなくても、母が笑顔を見せてくれればそれだけで嬉しくてテンションが上がった。
だから、親になった今は自分の子に笑顔を見せて笑顔で接するようにしている。
子もテンション上がって笑ってくれるのが相乗効果で嬉しい。
>>885 わかるー!親が笑うと嬉しいんだよね。
笑点みてて私が笑うと、内容を理解してないはずの息子も楽しそうに笑う。
「面白いねー」って。
だからなるべく怒ったあとの雰囲気が長引かないように気をつけてるよ。
>>883 「わたしは赤ちゃん」ぐぐってみたら
面白そうだね。さっそく買いにいってくる
>>888 非常に愉快なスレであった。
888には心から感謝を申し上げたい。
幼稚園の頃、特撮とアニメの違いについて親に語りたかったのだけど、
私「○○レンジャーは本物だけど、鬼太郎はウソのでしょ?」
母「え……鬼太郎もホンモノだよ?(にこにこ)」
ああ夢を守ろうとしてくれてるんだろうなぁ、でも違うんだよーと思って、
もやもやしたけど上手く言葉にできなくて、それ以上何も言えなかった。
今思うと”実写”という言葉を知っていれば上手に話せたのかもしれない。
子の話がわからないときは、語彙が少ないなりに伝えようとしているというのを念頭において
下手に途中で割り込まずにじっくり聴くことにしている。
時間がないときは難しいけど。
私は赤ちゃん懐かしい。
小学生の時読んだが、将来母親になった時の為に「足を腹に引き付けて泣く時はすぐ病院へ」とか暗記した記憶があるw
上のテレビの話で思い出した自分の記憶。
3〜4歳くらいの時、テレビに人が映ってるを見て、「この箱の中に小さい人間がいるのか?」と疑問に思った。
母に聞いたら「!?…ちがうよ!」と言われた。
私は、ではどうなっているのかと質問しようとしたが、母が「質問されたらどうしよう」という顔をしていたので、聞くのをやめた。
妹がそのくらいの時やっぱり「小さい人がテレビの中にいる」と思ってたらしいw
じゃじゃ丸やピッコロの着ぐるみを見て顔が引きつってたww
半泣きで「テレビみたいにちっちゃくない!」ってw
多分1歳くらいの記憶。
眠たいときに母が背中やお尻を「トン・トン」と優しく叩いてくれるのが大好きで、安心して眠りに落ちてた。
最近自分が出産し、母が手伝いに来てくれたのだが、むずがる娘を抱っこするときにあのトントンをしてくれているのを見て懐かしかった。
もう親に甘えることは出来ない年齢になったけど、ストレスなどで寝付けないときや疲れた時、私にもあのトントンをしてほしいと思う。
私は寝付きが悪くて、母に先に寝られてしまうことがあった。
たまにトントンをしてくれたが、母が寝たらトントン止まっちゃうよな…、
トントン止まっちゃう…止まっちゃう…ああ止まった、と
止まるまで気になって気になって、逆に眠れない時があった。
896 :
名無しの心子知らず:2010/03/05(金) 00:27:02 ID:yW5MSI7C
トントンって気持ちいいんだね。
寝かし付けの時、やってて疲れるけど、これから頑張れる気がした。
その他にもこのスレ読んでると、子どもにやさしくなれる。
書き込みしてくれる人に感謝します。
ちなみに私は幼い時の記憶ほとんどないの…。
私は皆さんとは逆で幼い時の記憶が一切ない
一番古い思い出せる記憶は小学校1年生
母から「保育園の頃は○○くんが好きだったのよ」
「あの頃住んでた所憶えてる?」とか聞いてもサッパリだった
多分4〜5歳時に親が離婚したから
そのあたりの記憶が全部飛んだんだと思うけれど
父親の顔も全然憶えていない
>>898 897に書いてある通りのことだと思うよ。
だから悲しいとか嬉しいとかそういうことじゃなくて、親の離婚ていうのはそのぐらい衝撃的なことなのだなと読んだ。
宮崎正弘の今朝配信されたばかりのメルマガで、子供手当てについて
厚生労働省に問い合わせた内容が公開されていたが、その酷さに絶句したわ。
一部転載しておく。全文はリンク先で見てくれ。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成22年(2010年)3月5日(金曜日)貳 通巻2898号
(読者の声2)より。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4783024/ 「2/24(水)、在日外国人に対する子供手当てについて厚生労働省に質問し、唖然とする回答を頂きました。以下に列記します。
1.在日外国人への子供手当ての支給は行われるのか?その際の基準はあるのか?
【回答】国内に住んで税金を納めていれば分け隔てなく支給されます。永住資格者だけではなく短期滞在者(一年でも)でも支給されます。特に審査要件はありません。
2.子供を母国に残している親にも支給されるのか?
【回答】申請すれば支給されます。
3.養子や婚外子でも支給されるのか?
【回答】支給されます。
4.本人の子供であることをどうやって判断するのか?
【回答】申請書類と子供と定期的にメール等のやり取りがあれば良い事になっています。
5.母国に子供や養子が何人いようと申請するだけで支給されるのか?
【回答】特に人数の制限はありません。
6.例えば一夫多妻制の国民で母国に何十人の子供がいると主張するだけでその人数分支給されるのか?
【回答】はい、支給されます。
7.ちなみに海外で滞在している日本人家族、子供を日本に残して海外に駐在している家族には支給されるのか?
【回答】親が日本に住んでいませんので支給されません。
8.海外駐在の日本人には支給されず在日外国人には大盤振る舞いにふるまっているがその論拠は?
【回答】鳩山総理の友愛精神です。また日本が難民条約を締結している観点からです。
9.難民条約と在日外国人に子供手当を支給することとどう関連があるのか? 在日中国人らは難民か?
【回答】平成22年度4月以降はとにかく支給を優先します。問題が多ければ平成23年度に支給条件の検討を行います。(まともに答えず)
10.国交が無く、国連からも制裁を受けている北朝鮮出身の国民でも同様に支給されるのか?
【回答】同様です。
11.在日外国人に対する支給についてなぜホームページや書面で事前に公表しないのか?私たちの税金の使途を事前に公表して論議するのはあたりまえではないのか?
【回答】まだ骨子の段階で正式に決まれば公表します。ご意見は賜りました。
民主党政権で日本が破産する事が決定しました・・・
>>899 いくらなんでも好意的に解釈しすぎだよ・・・
それがいいか悪いかにかかわらず、
このスレは毒親餅自慢が定期的に涌くから
そのへんはスルーで。
小学校から高校一年くらいまで体育館やホールなど「広くて且つ天井が高い屋内空間」に入る
と気分が悪くなった。
高所恐怖症もあったんだけど、全く同じ不安感、ここから逃げ出したい感が取れない。
特に体育の授業なんかで寝転んだ位置から見上げる感じで天井が目に入ると駄目だった。
屋外や屋内プール、アイスリンクでは出ない。
中学に上がる頃に急に思い出した。予防注射だ、多分BCGか何かの集団接種。
市の多目的ホールか小学校の講堂らしい「広い天井が高い」ホールで親に横抱っこされて長時間
高い天井見ながら待たされ、何だか周りから他の子の泣き声も聞こえて散々不安感煽った揚句、
注射されたのが残っちゃったんだ。
原因は判明しましたが、不安感は結局もう数年続きました。
今子供が予防接種ラッシュの時期なんですが、ほとんどかかりつけ医でしてもらっている。
「広くて高い天井恐怖症」は出そうにないが、何か別のもんが出るのかな?
規制で季節はずれになってしまったバレンタインの話。
幼稚園の年中さんだったころ母に
「バレンタインはどうするの?好きな子はいるの?」
と聞かれ、
『ママと私だけの秘密』
『絶対誰にも言わない』
との約束をしてから
「●君が好きだけど、恥ずかしいからあげない」
と話した。
数日後、母が園バスの停留所でママ友達と
「うちは●君だって〜
私は◎君の方が可愛いと思うんだけどな〜
子供の趣味って分かんないね(笑)」
と話していた。
裏切られた気持ちでいっぱいで、暫く母に秘密は打ち明けなかった。
父親やら友達のママに
「●君好きなんだってねー」
と言われる度に恥ずかしいやら、悔しいやらで何故か●君が嫌いになったw
親からしたらくだらない話でも、子供は真剣だったりするよね。
>>904 出るか出ないかは本人の資質次第だろうけど
(904さんの言う集団予防接種を受けた人全員に同じような恐怖症が残ったとは思えないし)
あるとしたら、病院のにおいとか白衣とか
注射時に押さえつけるだろうから、拘束が嫌だとか
>>905 同じような経験ある。
年少の時、母に「絶対秘密」って約束して好きな男の子を教えたのに、父に話してた。
父が酔った弾みでうっかり「そんなことしてると○○君に嫌われちゃうぞ〜ハハハ」って言った事で発覚したんだけど、
それ以来母を絶対信用しなくなった。
友達同士の悩みも相談したことないし、結婚が決まるまで恋人を会わせたこともない。
なんでそんな小さいことでwって今は思うけど、小さい頃は本気で裏切られたって思ったんだよ…。
何歳かは覚えていないけど、はいはいすらできない時期の記憶。
親がかけるクラシックレコードが苦痛でならなかった。何もできないから
タオルケットにもぐりこんで手で耳を塞いで、ただひたすらレコードが終
わるまで耐えていた。辛かった。
親に伝えることすらできなかった記憶があるのでまだしゃべれないくらい
小さい時だったのかも。
親が言うには、はいはいできるようになった時期にはステレオに突撃し
ボリュームを最小にするようになったので呆れたと言っていた。
レコード、てとこで年寄りとばれちゃうけど、まぁ言いたいことは親側
の押し付けはよくないと思う、てこと。
たぶん幼稚園に入る前ぐらいのこと
朝仕事に行く父にバイバイをしたかったのに
ぐっすり寝ていて起きたときには父はいなかった
なんで起こしてくれなかったのーーーうわあああああああああああああん!!!
と泣いた気がするけど、起こしてくれなかった母さんの馬鹿!というよりも
起きなかった自分の馬鹿!という後悔の気持ちが大きかった
あと毎週見ていたドラえもんをうたた寝してて見逃したときも
同じように泣いたけど、やっぱり自分の馬鹿!って後悔で泣いてた
が、中学生のとき母に好きな番組のビデオ予約を頼んだが忘れられ
抗議したら「そんなに見たかったなら自分でやりなさい」と叱られたときは
本気で母の馬鹿!!!と思ったw
>>908 へえ〜
胎教にモーツァルトがいいとか、赤ちゃんも泣き止むとかよく聞くけど…
親の好きなクラッシック曲、なんか重厚な不安感煽るような曲調だったの?
それとも、和やかな曲でもなんでも、嫌だったの?
>>910 和やかな曲だったと思うんだけど、聴いていると死ぬほど退屈に感じるのが
嫌だったよ。歌が入っていないとだめだったのかも。
横になっているしかなくて、ただ聴いているのがとにかく退屈に感じていや
だった。せいぜい40分くらいと思うんだけど、今では短い時間に感じても
当時は果てしなく長く感じてた。
母が子守唄代わりにレコードをかけて手を振りながら部屋を出て行く姿と
その後に、またかー、こういうの聴くと退屈だ、イヤだー、と思ってただ
ただ耐えてたのが強烈に残っているんだよね。
誰かに相手をしてもらっているときに流れているのは気にしなかったんじゃ
ないかな。横になっている時以外で、レコードでかかった曲が嫌だ!て記
憶はないから。相手がいればそっちに夢中になって、気に入らない音なんて
耳に入っていなかったのかもしれないね。
赤ちゃんにクラシックが悪いなんて言う気はまったくないんだけど、赤ちゃん
の反応は観察してあげてね。
ちなみにステレオのボリュームを最小にする時に最大にしちゃったけど、
戻せなくて泣いていた、というのを母が言っていたのも思い出しちゃったよ。
>>911 なるほど、寝かしつけのための音楽だと、気づいちゃっていたんだね
赤ちゃんってスゴイなぁ。
そういえばうちの子も、最初のうちにこにこ聴いて寝てくれた「ゆりかごの歌」だったのが、ある時から急に
歌い始めで劇怒りするようになった。
なんでなんでと思ってまさかと「寝たくないから?」と聞いたらタリメーヨという晴れやかな顔で「うん」といわれた。
今2歳だけど今でもゆりかごの歌を歌うと「まだ寝ないから!」と怒られるよw
914 :
sage:2010/03/12(金) 22:58:41 ID:EWtsve7g
幼少時、体が弱かったのでしょっちゅう病院のお世話になっていた。
多分5歳くらいの時に胃炎かなにかで母方祖父母の家に1週間ほど預けられた。
両親は共働きで夕食が9時とかザラだったから預けたと思うんだけど、
そのとき私は両親に「日曜日には会いに来てね」と言い、必ず来ると両親も約束してくれた。
で、日曜。朝からウキウキして待ってても親は来ない。そのまま夜になっても来ない。
悲しくて悲しくて、手がつけられないほど泣いた(多分数時間は泣いたw)
結局祖父母が連絡して、両親が迎えに来て、まだ完治してないけど強引に家に帰ったよ。
「お父さんもお母さんも帰りが遅いよ?お兄ちゃんお姉ちゃんも学校だよ?」とか言われたが、断固として譲らなかった。
これが自分の根底に残ってるので、自分の子にはどんな小さな約束でも守ることにしている。
ぐあああああsageの場所まちがえたあああああ
ごめんなさい。
幼稚園ぐらいの頃、動物園に行った後に歯医者に行った記憶がある。
歯医者さんに「何の動物を見た?」と聞かれて「しろくま」と答えた。
その日は駐車場に白い花がいっぱい咲いてた。
動物園も歯医者も駐車場に花もたいして珍しい思い出ではないんだけど、
たぶんそれが同じ日に起こったということや
怖いはずの歯医者さんと白熊の話をしたということで、
セットで覚えてるんじゃないかと思う。
なので、なんとなくだが、「覚えててほしい」と思うお出かけの前後には
イレギュラーな用事を入れるようにしてる。
4歳の時、母に「赤ちゃんはどうしたら生まれるの?」という親を最も
困らせる質問をした。
母は「男の人と女の人が好き好き同士になって、仲良くしたら生まれるよ。
お父さんとお母さんが仲良しだからあなたが生まれたんだよ」という
模範的回答をしてくれた。
私は当時、保育園で同じクラスだったA君に初恋中。
A君とはすごく仲良かったんだけど、「仲良くしたら子供が生まれる」と
聞き、A君の子供を身ごもらないか心配でたまらなくなった。
とは言うもののやっぱりA君が好きだったので、それからもA君とは
仲良く遊ぶことに。
でも便秘などでお腹が少し痛くなると、「ついに妊娠?」と不安になり
そのうちやたら腹部に違和感を感じるようになってきた。
今考えると、4歳にして想像妊娠wって笑えるけど、当時は本当に心配
でたまらなかった。
その後も私の不安と想像は広がり、4歳の自分が母親として赤ちゃんを
育てられるか、A君は保育園児なのにお父さんのように仕事ができるかとか
ありとあらゆる心配をした。
A君への恋心が冷めてからも、何人かの男の子に恋をしたけど、
ちゃんと性教育を受けるまでは、その都度、妊娠の心配をしてた気がする。
私の娘は現在9ヶ月。
まだまだ赤ちゃんだけど、いつか「赤ちゃんはどうやって・・」と
質問されたら何て答えようか迷う。
やっぱり「男女が仲良くしたら生まれる」ってのはダメだよね。
私と同じ取り越し苦労をさせるのは可哀想だし。
>>917 「男女が仲良くしてて、『赤ちゃんが欲しいなぁ』と思ったら生まれる。」
で、いいんじゃない?
普通に「結婚したら赤ちゃんができるのよ」でイイジャマイカ。
結婚は16歳過ぎたらね〜って。
小学生くらいでその質問をしたら
「大人になって好き好き同士で結婚して赤ちゃんが欲しいと思ったら神様がくれる」
と言われた、今思えばかなりの模範解答だ
が、当時既にシングルマザーや仲の悪い夫婦が世の中にいるのを知っていたし
神様がそんなにはっきりした形で現実世界に影響を与えるというのは
なんか変だな…と思いつつとりあえず納得した
2歳から記憶がある。
母は3歳くらいまでは 赤ちゃんは母親のお腹がぱっくり割れて出てくると説明。
その時は もも太郎みたいなもんかとそれで納得。
入学も近い5歳近くなるとそれはさすがに変だなと思うようになったが
なんだか 聞いてはいけないことな気がして
何も聞かなかった。
で 小2位で どうやら「生理っぽいもの」があるらしく
それはどうも 赤ちゃんに関係してるらしいと
テレビCMなどから勘づいて
もう一度母親に聞いてみた
母は 当然幼児のころに説明したことなんて忘れて
ちょっとだけ具体的に(またから産まれるとかをオブラートに包んで)説明してくれた。
私は 幼児のころ嘘をつかれた、と思ったけど
言わなかった。
他にも 小さい頃(性にまつわることだけじゃなくて)適当に答えたのが
あとから 嘘だったとわかることがたくさんあって
小学生時代は 母に対する信頼度がかなり下がってた。
あと 母が近所のママ友などと話してる内容はかなり覚えていて
その時ダイレクトに意味がわからなくても
数年後 「そうか!あの人浮気してたんだ」とか ピンと気付くこともあった。
中学くらいになって 母が適当に答えたわけがだんだんわかってきたけど
自分の子は1歳だけど 嘘や適当なことは言わないようにしてる。
(が 夫は また子供向けの嘘を結構言ってる)
親が離婚していて母は夜の勤めに出ていた為、幼稚園〜小3位まで
夜は一人で留守番していた。
寂しくてたまらない時には、たんすから母の服を出してきて
(手触りの良いスパッツがお気に入りだった)枕元に置いてなでなですると、
気持ちが安らいだのを覚えている。
もうじき2人目の出産で入院するので、私も上の娘のために何か
「母の匂いのする服」を用意しておこうと思った。
>>922 ちょっとスレチかもだけど。
私も夜一人で留守番してた。小1から私が家を出るときまで。
おなかを空かせることだけはないようにと夕食の支度はいつもきちんとしてあって、
菓子パンとかも大目に常備されてた。
結果、嘔吐過食症に。母には隠していたつもりだけど、
今思えば絶対におかしいと気づいていたはず。でも特に対処はなく。
他にもいろいろとあり、今は母と会っていません。
小さいときに、たとえ少しの時間でも言葉や態度で愛情を注いでくれていたら
こうはならなかったかもと思う。
お母さんは産後3ヶ月から働き出して、私は婆さん(母から見て姑)に預けられていた。
それから1歳になる頃に保育園に預けられたので、多分3ヶ月〜1歳になる前の記憶。
お母さんがいれば母乳もらえるけど、婆さんしかいないから粉ミルクだな。
母乳の方がおいしいけど、まぁ粉ミルクでもいいからお腹空いたしクレ!・・・と泣いた。
婆さんは泣いてる私に気が付いたので粉ミルクもらえると思ったら、おっぱい出して「吸え、吸え」いう。
お母さんのと違って何か垂れてるし気持ち悪いから嫌だと思った。
これはアリか?いやナシだろう。でも婆さんが間違ったことするのかな?でもやっぱり嫌だな。
と思っている内に無理矢理口に祖母の乳首をねじ込まれた。
試しに吸ってみたけどやっぱりお母さんのと違うし、気持ち悪いからギャー!!と泣いて拒否した。
婆さんは「やっぱり出ないから泣くんだねーw」と笑っていってたけど、むかついた。
他のスレかどこかで、婆さんに赤ちゃんを預けたら自分の乳吸わせててキモイと思ったというレスを
見たことがあるけど、母親だけでなく赤ちゃんもキモイと思ってます。
>>924 うわー、それはきもい。しかも実母じゃなく姑。
ほっぺにチュウだけでもやめてくれと思うのに、パイ吸わせるなんて。
しかしアカチャンって賢いな。
自分の最古の記憶は2歳で保育園の頃。
母は専業主婦だったが、私が人見知りがひどいのを心配して保育園にいれた。
「保育園は別に行かなくてもいいのに、行かされている」とわかっていて、毎朝毎朝行きたくないと泣いた。
ニコニコと外面だけ取り繕った先生のことは、絶対なついてやるもんかと思っていた。
とにかく両親と兄以外はみんな敵と思ってたなー。あとお昼寝の時間が自分だけ眠れず、
寂しくなって泣いたり、そのときだけは横で寝てる子にちょっかい出したりしていた。
保育園は結局半年でやめて、その後5歳になる前に転居したらしい。
転居先で幼稚園に通うことになり、事前に幼稚園に親と挨拶にいったのを覚えてる。
幼稚園は通わなければいけないところと認識していて、
挨拶をしながら「このまま(人見知り)じゃまずいな。幼稚園入ったら変わろう」と思った。
実際に幼稚園では、かなり明るくふるまって、自分から積極的に声を掛け、友達も出来た。
当時はすごーく嫌だったが、結果的には保育園に通わされてよかった。
あの半年がなかったら、このままじゃまずいと思うきっかけがなかったから、
幼稚園以降でも人見知りで友達いなかったかもしれない。。
私の記憶は、幼稚園に行きだした4歳以降がほとんど。
今、自分の娘がその年齢になったから、
娘の言動に引っ張られて、自分の事を思い出すことが多くなったな。
幼稚園に入園して、数日後。
初めて親から離れて、一人でバス通園する日、
親が説明しなかったのか、私が忘れてたのかわからないけど、
「お母さんも一緒にバスに乗るんだ」と思いこんでいて、
バスに乗る時バイバーイとやられて、ショックで大泣きした。
その日、ずっと幼稚園でぐずってしまい、
最後は教室の外にひとりで出されてしまった。ますます泣いた。
担任の先生も、今思うと、テキパキタイプな人だったので、
いつまでもべそべそしてる私に、ショック療法みたいにやったんだろう。
でも私はそれですっかり幼稚園がイヤになり、しばらく登園拒否した。
こんな経験があるもので、
幼児でも、きちんと事前に説明してあげる事は必要だなーと思う。
子供は忘れっぽいから、できれば直前に。
娘にはこれを心がけてます。
>>925 保育園部分が私と似てる。その後、幼稚園に通ったのも同じ。
しかし私は成長せず人見知りのままw
そんな私に先生はあまり構ってくれず、友達も上手く作れず。
私も結果的には保育園に通わされてよかったと思う。
人生どうにもならんことがあると学んだw
幼稚園の記憶。
おゆうぎ会で妖精の役になったのに、次の日に何かの都合か、先生にキツネの役(四人くらいでやる役で妖精より地味w)に変えられた。
抗議したかったが言えなかった。大人って勝手だなとはっきり思った最初の記憶。
今でいう延長保育で夕方お迎えの時間に母親がなかなか迎えに来なくて、
とうとう最後の一人になった時の言いようのない寂しさと空の暗さを覚えている。
走ってくる母を見つけて嬉しくて嬉しくてホッとしたのと同時に
最後の一人にされて何だかプライド?が傷ついて拗ねた気持ちでいた記憶がある。
甘えたい時に親に甘えると、からかうように「まあ、この子ったら甘えちゃって〜w」と言われるのがすごく嫌だった。
それを言われるのが嫌で素直に甘えられなくなった。だから自分の子供には気をつけようと思う。
長文スマソ
おゆうぎの話で自分も思いだした。
幼稚園で「おしゃべりなたまごやき」のおゆうぎをしたんだけど、配役をほとんど
先生が決めちゃったようで、気がついたら自分はおんどりの役をやることに
なっていた。
自分は引っ込み思案だったのでさすがにお姫様の役がやれるとは思わなかったが
子供心に「女の子はめんどりだろ!」とショックを受けた。(めんどりの役もあった)
一応ちゃんと台詞や動きは覚えたし当日もこなしたけど、めんどりではなくおんどりを
やらされたという何だかもやもやする気分をあとあとまで引きずったなあ。
今なら性別と違う役をすることもあるってわかるんだけど、当時は自分が女の子だった
のを否定されたような気がしてさ…。
みんな大人だなー。
自分もたまたま病気で幼稚園休んでるときに勝手に配役決められてた。
ピーマン(正義)とバイキンマン(悪者3人)が戦うお遊戯だったんだけど、
ピーマンが良かったのに、バイキンマンの役にされてた。
勝手に配役決められたことがむかついた。
拗ねて当日の劇は超なげやりw
ステージの真ん中で棒持って虚ろな目で突っ立ってる写真が残ってるw
他のバイキンマン2人が棒をからめたりしてきてるけど、完全無視w
「子供だからそのうち忘れるでしょ」って先生思ってるんだろうなって思うと、
余計むかついて、絶対まじめにやってやるもんかと思ってた。
私の保育園(幼稚園がわり)では 先生が配役を勝手に決めたんだけど
自分は聞き耳頭巾の「鳥」(その他大勢役)だった。
目立ってる女の子は「藤娘」
藤の造花をくるくる回して踊るのがうらやましかったと同時に
はじめて自分のポジションを理解してしまった。
そういうのの積み重ねで空気が読めるようになったり
自分のキャラがわかってきたと思うので
私にとっては 先生が勝手に決める配役も良かったなと思う。
お遊戯会で思い出した。
年中さんの時、お遊戯会を見に来た人が犬を連れてきてて、
動物が大好きだった私は、その犬の頭をなでた。
そしたら、指を咬まれて犬なんか大っ嫌いと思ったんだった。
幸い傷は大したことなかったけれど、
子供心に、初めて動物に拒絶されたと思い哀しくなった。
それがあったからか、うちでは犬は絶対に飼ってくれなかった。
人に危害を与えた時に困るからっていう理由で。
犬か猫を飼おうという話が今家族の中で出ているけれど
犬を飼うのには、やはりちょっと抵抗がある。
お遊戯会は最初のハードルだよねw
私は女の子3人で日舞だった。
けっこう、ハキハキしたガタイのいい子揃い。
私ってこういう位置なんだなって、他の二人を見て思った。
客観的に見られていいよね、アレ。
自分の場合、舞台に出してすらもらえず、舞台袖で先生に襟首掴まれてたなw
今思えば発達障害みたいなものだったのか、役割を演じるとか皆で踊るとかできなくて
頑張っても出来なくて、パニックでさめざめと泣いてばかりだったし>練習
しかし当時は、「横から見るのって面白い」「せんせいといっしょ」と、ぼけーとしていただけ。
「舞台袖に隔離されていた」と思い至ったのは、自分が親になってからだったorz
で、舞台の中心でライトを浴びていた子たちは、その後も結局ライトの中心人生なのよね・・・
>>934 >で、舞台の中心でライトを浴びていた子たちは、その後も結局ライトの中心人生なのよね・・・
そんなことないから安心してw
この流れで思い出した
自分は6月生まれだったってのもあるが、
年少のお遊戯会でダンスのセンターに配置される子だったし
かけっこも当時は速かった
・・・で、小学校3年くらいまで自分は運動神経が良いと思ってました
実は自分はたいしたことないんだ、と気付いた時の衝撃は・・・orz
自過剰にならないように教え込むのは難しいとは思うけど
どこかで誰かに私を戒めてほしかったなぁ
>>935 いや周りが言ったところで実体験しなくちゃ小さくまとまってしまうだけだと思う。
実体験で「大人たちが言ってくれればよかったのに!」と思うか「うわあ恥ずかしい…(と落ち込むがしばらくして)
もっと速くなりたい!そうでなければ他のことで1番になりたい」と思うかはその子の資質だと思うよ。
>>935 あなたは私ですか?ってくらい境遇が似ているw
私もお遊戯会ではセンター&姫役を任されるほどだったけど、
今や平平凡凡以下の生活を送っているよ。
年中組ぐらいのお遊戯会では、どんな役をもらえるか、より、
どうやったらお気に入りの男の子とペアのダンスができるか、に心を砕いていた。
>>936 その後の方向性、なんてそんな先の話を言いたいわけじゃないんだが。
なんか資質が悪くてわるうございました、と言いたくなるレスだなw
ってホントに悪いほうへ行った例がこんな感じですよ、ということかw
940 :
名無しの心子知らず:2010/03/17(水) 18:13:58 ID:iEUY0mg4
自分は保育園のときかけっこが遅くていじめられてたなぁ。
(なんでかかけっこの早い順に強さが決まってた。)
小学校にあがって大会出るくらい短距離が速くなったんだけど、「あのころって馬鹿みたいだったよなあ」ってしみじみ思った小2のときでした。
幼稚園(6歳)のとき。
私をいじめていた番長的なコワイ男の子が、お泊り保育の夜、
夏祭り終了→保護者は帰宅、それを見送る
のときに、「おかあさぁぁぁぁぁぁん!!!!」と号泣するのを見て
「う ウソでしょwwねぇwwちょっとww」と心の中で盛大にpgrした。
その子は1年生に上がっても同じクラスだった。
あるとき、男子トイレではなく女子トイレで、号泣しながら●を漏らすその子を
目撃してさらに衝撃が走った。
「この人・・・pgr やっぱり実は私の方が強いんだわ。」
と完全に立場は逆転した(心の中だけで)。
番長といっても所詮は幼稚園児wwww
(心の中だけで)ってところがヘタレ正直で好きだー
私も幼少時は活発な子だったので、保育園の発表会ではいつも主役を
もらってた。で、それが当たり前だと思っていた。
自分の容姿がわりと駄目な方だと気づいたのは小学校高学年だった。
勉強もできて成績も良かったし(今思えば暗記が得意だっただけ)、容姿の悪さに
気付いた時は、ショックでたまらなかったなあ。え?私そうなの?って。
どうしても女子=容姿が一番大事 と思ってしまって。
それとは別の問題なのかもしれないけど、保育園の時にアリのお面を皆で作っていて
ストローの触覚を表に貼ると、セロハンテープが見えちゃうねえ…困ったねえと
先生たちが言っていて、「裏に貼ればいいじゃん」と言ったら、天才児扱いされた。
「え?こんなことわからないの?バカ?」と思ったけど、もちろん先生たちは
そんなことわかってたんだろう。
なんつうか褒めて伸ばすにも、子どもの性格を見極めないとな、と。
でも、今でも覚えてるんだから、当時の私は鼻高々だったんだろうな。
でも、またその鼻高々なところが大人はかわいいんだろうな、と思うよ。
私その逆の経験ある。
3-4歳くらいの時、父親が長期出張で(1年とか)
飲食店を営む母の実家で 母と弟と生活してた。
私は 絵を書くのが好きで
初孫だった私はジジババや母の弟(叔父) 従業員から褒められまくって得意になってた。
ある日 そのことは自分ではあんまり記憶にないんだが
褒めてもらおうと思って お店のお客さんに自分の絵を見せたらしい。
それを 祖父か祖母のどっちかが見ていて
恥ずかしいからやめさせるようにと母に忠告し
私は母から注意された。
それで いくら大人にほめられても
所詮 「子供だから」褒められてるだけで自分は大したことない
って その後ずっとコンプレックスに。
大人になって 自分の能力全般は平均よりは上って客観的に思ったけど
子供のころの ダメダメ感がぬぐえない。
まあ 母はメンツを気にする人で
小さいころから他人に対して私を謙遜する
(そのくせ 言外に高度なことを要求する)人だったんで
その一個だけの経験で こういう劣等感を抱くようになったわけじゃないかもだけど
一番強烈な記憶です。
とはいえ
>>944みたいなケースもあるだろうから
子育てって難しいな。
>>944 うん。
>>945に同意。未就学児の「私ってすごい!」な全能感いっぱいのこどもはかわいいよ。
さじ加減が難しいね。
あ、父に聞かせたくて縦笛を吹いたら
「褒められたくてやってんのよw」と母に鼻で笑われた
はっきり何か思ったわけじゃないけど
思い出すだけで砂食べるようなざらついた不快感がある
弟の面倒をみていたら、「点数稼ぎだろ」と父に言われたよ私。
勉強も運動もデキた私は、父からみれば生意気で人間性に問題のある子供で
どちらもそこそこだった妹は、「その分優しい、素晴らしい子供」だったようだ。
ただ、私の場合「デキた」のは能力低いわりに頑張った賜物で
その結果を「ドリルでクラスで一番になった」と父に言ったら
「人間の価値はそういうもので決まるものではない」と一言。
周りに、伸び悩み中だった妹も、そのほかの誰も居ないところでのやりとり。
私が多少浮かれても、誰かを傷つける状況でもなかったと思うんだが。
これだけでは「育児に役立つ」ではないので、自分が親になって一応心がけたことなど。
・注意したいことがあれば、その場でその事柄についてだけ言う。
良い点に対して「でもこれこれ(注意したい点)で減点」という言い方をしないこと。
・子供に対して「この子は○○で」と思い込みを持たない。
・・・といいながら、毎日「食べさせる」「安全確保する」という
イキモノの親としての最低限をクリアするのに精一杯の日々だわorz
いろいろ、子供によくないこともしているのだろう。未熟な親で済まない、子供よ。
幼稚園か小学校低学年の記憶
その日の夕食は酢豚で、私は酢豚のパイナップルが大好きだった
大事に食べようと思っていてもどうしてもどうしてもどうしても我慢できなくて
一個、また一個、って食べちゃって
自分の皿からパイナップルがなくなって内心がっかりしていたら
お母さんが自分の皿からパイナップルを分けてくれた
ものすごくものすごく嬉しくて、こんなに美味しい物なのに
自分で食べずに私にくれるなんてお母さんはなんて優しいんだろう!
って、30過ぎた今でも覚えてるくらいに感動したw
今は食べ物全般にそれほど執着のない性格になったが
あのときの酢豚のパイナップルの魅力というか魔力は思い出せる
大人の感覚でそれくらい我慢できるでしょ、ってことでも
子供にとっては強大な欲望との戦いだったりするよな、と思う
私は父に溺愛されて育った。
それこそ、美人だ!天才だ!アスリートだ!という具合に
褒めまくられた幼少時代。
学芸会の主役も、クラスリレーの選手も、一学期の学級委員も、
水泳記録会のリレーの選手も、全部こなし
高校もクラスでは私一人だけ進学校に進んだ。
褒められるから、自分はすごいんだ!と思って大きくなった。
もっと褒められたくて自分なりに頑張ってもきた。
大人になり現実が見えてきて、自分の格が分かっても
父に愛されて育ったことをすごく良かったと思っています。
それが分かってるのに
自分の娘や息子には、あまり上手に褒めたり愛したりしてあげられていない。
子育てって本当に難しい。
ちなみに私の父はおじいちゃんという立場になって
孫達を思いっきり愛せるので、自分の気持ち全開で孫に接してくれます。
>>951 酢豚のパイナップルなんぼでもあげるよ!むしろ貰ってくれ!!w
お母さんも実は酢豚のパイナップル嫌いだったというオチだったら面白い。ごめん。
親って不思議だよね。子どもが好きなら、欲しそうにしてたら
自分は食べなくてもいいんだ。たとえ自分の好きな物でも。
子に食べさせてあげたいんだよな〜。それを嬉しそうに頬張ってるの見たら
すごく幸せな気分になる。
私は小学1年くらいの時すごく小さくて軽かったから
お医者とか連れて行くとき、そんな歳でも母がおんぶ紐でおんぶしてくれた。
そのまま買い物とかいくもんだから、赤ちゃんかと思いきや背中からべらべらと
母にしゃべりかけてるのを見た周りの人が、えっ!てよく驚いてたらしい。
でもあの背中のぬくもりは未だに忘れられないな。すっごくあったかかった。
だからか今でも母が大好きだ。
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, ´ ......... . . , ~  ̄" ー _ ブッブー
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, ´ : ::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::::: : ,ヘ ::::::::::::::::::::::: : ヽ キキー
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と,-‐ ´ ̄: ::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::r(:::::::::`'::::::::::::::::::::::く
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 ̄ ̄`ヾ_::::::::::::::::::::::し ::::::::::::::::::::::: :●::::::::::::::::::::::: : : :_>
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(__  ̄~" | | )) ̄ 「和やかに楽しいひとときを過ごされた」
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>>952 やっぱりこういうの聞くと、褒めて育てる方がいいよね。
私は両親に、小さい頃から「特技がない子、ダメな子」って言われ続けてた。
確かに取り立てて褒められるような秀でたものはなかったけど、本当にちょっとした事も一度も褒められた事がなかった。
ちなみに成績は平均ど真ん中、運動はちょいできるくらいのレベルだったんだけど
親からしたらそんなんじゃ全然ダメダメだったんだと思う。
でも歳をとるにしたがって、ちょっとした事で他人に褒められるって事を体験して
褒められるってこんなに嬉しい事なんだ!って初めて知ったよ。
それから努力とかが出来るようになった。
それまでは、本当に自分は何をやってもダメだしって無気力な子だったし
逆に人を褒めるとかそういう目で見る事もできなかったから、本当に性格も悪かったよ。
だからこんな私を褒めてくれて、そのきっかけに気付けた人に本当に感謝してるし
子供にはちょっとした事でも褒めてあげたいと思ってる。
褒める=認められてる=愛されているっていう風に思えるよね。
今私は両親に感謝してないわけではないけど、社会人になって家を出てからは
必要な事がなければ連絡も取らない関係になっちゃってるよ。
>>950を見て思った
>「でもこれこれ(注意したい点)で減点」という言い方をしないこと
褒めることも大事。
もちろんしかることも大事。
そして その二つをごっちゃにするのはイクナイ。
あと 自分が親からされて嫌だと思ったことを反面教師に気をつけようと思うことは
・自分の子供を誇りに思うことは大事
・でも子育て(躾や学習)を自分の虚栄心を満たすために使わない
私も 子供の安全と健康を守るのに精いっぱいだけど
頑張って育てるぞ。
ここ読んでて思い出した。
4〜5歳のころ、保育園で「からすのパン屋さん」の絵を描いた。
自分なりにとても満足したものが描けて嬉しくて、先生に見せに行った。
先生もとても褒めてくれて、教室の壁に貼ってくれることに。
で、他の園児たちがそれを見て、なぜか「みんなでカラスのパン屋さんの絵を描く大会」が始まり
全員がお絵かきしだした。
その中で、友達の女の子が描いた絵が超絶上手くて、
さっきまでちょっと自慢だった自分の絵が恥ずかしくてたまらなくなり、
先生に壁から外してとお願いしたんだけどダメって言われて、しかも園児の手の届かない高さに貼りなおされたw
もうどんな罰ゲームだよと思うくらい恥ずかしかったんだけど、
先生なりに褒めてくれた手段の一つだったんだろうな。
(その子の真似してもう一度書き直して、これと交換してって言ったけどそれも却下されたw)
子供なりに、小さいことだけどそれに対する羞恥心って大人が考えてるより大きいんだよね。
>>951を見て思い出した。
私は姉、弟の4歳差のある2人兄弟で
お姉ちゃんなんだから我慢しなさいと言われて育ったんだけど
お姉ちゃんが我慢するんだから親が我慢するのは当たり前だと思っていたよ。
ケーキやフルーツを美味しい美味しいって言って食べてたら
親がもっと食べていいよって言ってくれて口では「えー…でもパパとママの分は?」
って言っておきながら譲ってくれるんだろうと心の中では期待してた。
逆に弟から欲しいと言われたら「ちっ」と思いながらも
年上は年下に譲るって概念があるから譲っていた。
なんと言うか弱肉強食の逆?に行動しないと駄目なんだと思い込んでいたよ。
>>951読んだら自分の幼少時期はわがままでずうずうしいと思ったw
私も
>>952同様、超褒められて育ったんだけど
「(こんなに可愛い私が)なんで発表会で主役じゃないの?」とか幼稚園の先生に訴えたり
「私って天才!」という自信からお友達に上から目線でアドバイスwしたりして
本当に傲慢で嫌な子どもだった。
食べ物も、美味しいところは全部私にくれるのを当然って思って感謝の心がなかったし。
もっと甘やかしすぎず、身の程をわかるように教えてくれても良かったんじゃないか…って思ってたけど
自分の子(1歳)に対しても、目いっぱい褒めすぎにならないかいつもびくびくしてしまう。
同じように褒められても
>>952みたいに素直に受け取れるいい子もいるんだから、私の性格が悪かっただけなんだろうな。
961 :
960:2010/03/22(月) 00:58:39 ID:dzFV+dak
すみません、下から3行目「思ってたけど」→「思ってたから」
私も褒められて育ったな
かといって「私は偉いのよ!できるのよエッヘン」とはならなくて
褒められるのがデフォすぎて逆に
「私は周りよりできなきゃいけない、できないとかっこ悪い」って意識が生まれた
平均点50点のテストで53点しかとれないと落ち込んだし
70点取れて安心、90点でやっとニコっとする感じ
だから失敗したことや苦手なことを親に話せなかったし
親以外の友達との間でもわからないから教えてーとか出来ないから助けてーと
SOSを出せない子だった
なんでも上手でしっかり者な私、のイメージを崩したくなかったんだよね
結局中学で人間関係でつまずいてしまって優等生コースから完全転落したけれど
今もだいたい性格は変わってなくて、甘えたり助け求めるのが苦手だし
仕事なんかも同期より少しでも何かが劣ってたらすごくプレッシャーを感じる
963 :
962:2010/03/22(月) 01:28:37 ID:A6ZoVymd
こう書くとなんだか失敗を許さない教育ママとかのゆがんだ家庭育ちみたいだけれど
うちは両親ともごく普通の優しくて穏やかな人だったし
それこそ「勉強しなさい!」とか叱られた記憶はない
(弟は私より奔放でマイペースだったためかよく叱られてた)
私が勝手にプレッシャー感じて勝手に壁を作ったんだと思う
だから本人の資質ってあるんだと思うよ
前にナントカで、
「人生の半分を自信喪失で悩むので、親が自信をつけさせること」
って言ってたよ。
自信を持つまで、時間かかるので、親が暗示というか
スリ込んでやると楽ですよって。
それにはホメることがいいって。
わかりにくいかな。
「人生のほとんどの失敗は自信が無くてできなかったこと」
なんだって。
確かに、ホメて育てると
「イイコの私はそんなことしないの」というブレーキを無意識にかけるみたい。
私も褒められて育ったなあ
ありのままの自分でいいんだと思い込んで努力しない子になってしもた
大人になって家を出てからやっと自分の実力に気づいて、自分はほんとはダメな人間だったんだとショックを受けて心底反省したけど、
自己嫌悪や絶望で自殺したりグレたりしないですんだ、
心の底の基本的な部分では「でもありのままの自分もそう悪くない」と楽天的でいられたのは、
やっぱり褒めて大事に育ててもらったおかげだと思う
いまだに人からお世辞を言われるとつい真に受けてしまう悪い癖は残っているが
967 :
952:2010/03/24(水) 08:23:45 ID:IscKtf9v
父が溺愛してくれた分、母は厳しかった。
父にしか甘えられない子供時代だったけど
他人に甘えても良いんだよ、と教えてくれたのは
高校1年から24歳まで8年間お付き合いした彼だった。
縁なく別れてしまったけれど
今の私の性格の半分はその彼の影響があるかなと思うと
別れた今でも感謝する人です。
幼稚園年中のこと
体がでかかったから運動会の入場行進で先頭になることになった。
練習があって腕振って足上げてって期待されてるのがわかったけど
はりきっちゃってと思われるのが恥ずかしくて普通に歩いた。
オバサン先生がそんなだらだら歩きで恥ずかしい!って怒った。
わざと背中曲げてくにゃくにゃ歩く真似して見せてみんな笑った。
そういう反応だろうとおもってたから傷つきもしなかった。
やり直しではシャキシャキ歩いてやればできると誉められた。
個人差はあるだろうけど、照れてできないとか素直になれないときは
駄目出ししてくれたほうが「怒られたからしかたない」って切っ掛けができるから
いいこともあるなあとおもった。
むしろ優しく後ろにまわされたらショックだっただろうな。
4歳ぐらいの頃に「妹か弟欲しい?」と親に聞かれた。
4歳なのになぜかどうやったら子供ができるのかなんとなく察していたから
いつもは喧嘩ばかりの両親がそんなことするなんてなんだか不潔に思えて
「いやー」と言った。
両親は子供だから分かっていないと思って聞いていそうだったが
子供って意外と大人なことも分かっているから要注意
>>969 4歳でなんとなくわかってるってすごい!
私は小学校高学年になって、生理の事とか学校の性教育で初めて知って
衝撃を受けたよ
ショックを受けて帰って、両親の顔もまともに見れなかったw
余談だけど、それから生理が始まっても母親から生理についての話をされた事がなくて
自分から言い出すのも恥ずかしいし
胸が膨らんできてもブラを付けたいって言えなくて、親も何も言わないし結局高校入学するまでしてなかったな
私は思春期にちゃんと話せる親になりたい
スレ違いだけど、私も生理のこととか性教育があるまで全然知らなかった。
ということは、母が生理の時は父にお風呂に入れてもらっていたんだろうな・・・と
今は、夫の帰りが遅いので、生理の時でも私が子供を風呂に入れている
「ママ血が出てる」「いたしょう」とか言われる度に、「大丈夫」って答えるけど
こんな小さい頃から血を流す母を見せていいのかと不安になる
>>971 タンポン使わないの?
うちは血が出てるの見せたくないから
生理中に子供とお風呂入るときはいつもタンポン装着だよ
生理痛も軽くなる気がするしオヌヌメ
性教育で思い出した。
小さい時から本が大好きで毎週何冊も図書館で借りてたんだけど、
幼稚園年少の時、ふと自然科学系の本に興味が出てきて
子ども用の宇宙の仕組みとか植物図鑑とかのコーナーから何冊か借りてみた。
その中に、同じ学習絵本コーナーに置かれた性教育の絵本が何冊かあって
「○○は女の子だからしょちょうがくるのー?」と夕食中に突然母に聞いてすごくびっくりされた。
(当時、振り仮名がある本は自分で全部読んでいた)
それ以来「借りるのはお話(物語)の本にしようね」って言われてそうしてたけど、
なぜなのかわからず、科学系の本まで読んじゃいけないと思い込んでたなあ。
私は生理に気がついたのは5歳くらいだな。
はっきりとってわけじゃないけど
トイレにナプキン入れあったのと
たまに母親が生理痛で寝込んでたのでわかった。
性的なことは小学生に入ってから。
図書室の陳列棚じゃなくて 先生の部屋に ちょい詳しい性教育の本があった。
多分 買ってはみたけど小学生には過激すぎで隠してたやつ。
あと 母親が洋服ダンスに 体位の本を隠してあるのを発見して
熟読してしまった。
子供って隠したるもの見つける天才だから
かぎ付き金庫にでも入れておかなかったら 見つかってるって思ったほうがいいと思う。
ただし そいういもの発見しても ショックとか親が気持ち悪いとかはなく
性に対する知識が身に付いたんで
良かったのかもしれない。
うちは昔ボットン便所で、下に落ちたモノが見えていた。
たまにどう見ても血が落ちているのに気がついて、
母親に「トイレに血が落ちてる」と伝えると、「あれはお母さんよ」と苦笑しながら言われた。
痛くないの?とかいろいろ聞いたが、それ以上何も考えなかったボンヤリした子供だったなw
それが生理と分かったのはだいぶ後だった。
自分5、6歳、妹2、3歳。
あるとき妹が、ストーブでふとしたことからお尻にちょっとだけやけどをした。
当然妹大泣き、両親大慌て、かわいそがられ薬塗られ構われる。
その光景を見てうらやむ自分。
ある夜、自分だけ先にお風呂から上がったときに、今には誰もいなかったので
かなり思い切ってストーブにお知りをちょこっとだけ押し当てて、自ら
やけどを負ってみた!
想像できなかった、ジュワッとしたヂリヂリっとした痛みにかなり後悔したが、
これで私もみんなに騒いでもらえるとwktkしながら母の元へ。
「おかぁさぁん おしりやけどしたぁ」
と披露したけど、
「・・・わざとやったね」
となぜかバレ、気まずいというかバツが悪いというか恥ずかしいというか、
そういう思いをしただけで、ペンッとオロナインを塗られて終了した。
ただ痛い思いをしただけだった。
アホな私。
977 :
976:2010/03/25(木) 22:47:03 ID:0pKaRifG
スマソ
×今には
○居間には
978 :
976:2010/03/25(木) 22:48:30 ID:0pKaRifG
さらに
×お知り
○お尻
やっぱりアホな私。
ほんとすいません。
当時の
>>976の元に飛んでいってヨシヨシしてあげたい。