【発達障害】 診断の弊害   【グレー】

このエントリーをはてなブックマークに追加
889名無しの心子知らず
発達障害だが、やりすごして旧帝→院→企業の研究所という人生を送って
いるものから一言。

小学校時代は、特に低学年では授業についていけなかった。というのは、
小学校の授業は「作業中心」なので、作業指示についていけないと、なにも
分からない。変なところで笑いの沸点が低いせいで、人をバカにしているとかで
問題児扱い。

中学になると、「理屈中心」になるので、自分の頭で考えればなんとかなるし
自分で参考書を読めばなんとかなる。また、授業も「理屈の解説」になるので
ある程度理解できるようになる。結果成績は大きく上がり、学年で10番内(上位10%以内)
には入るようになった。

高校は公立のトップ校だったため、成績はそこそこであった。よくて上位25%
ふつうは40〜50%ぐらいであった。しかし、旧帝の一つに入った。

旧帝に入った後は、成績は優半分で、良や可もあったし、もちろん不可もあった。
まぁそこそこの成績とみていいのではなかろうか。工学部だったので、普通に
大学院にも入れた。ここまでは順風満帆のようにみえたが、この時には
すでに不幸の影が見えていた。