「コドモのコドモ」は小学校5年生の妊娠、出産という中学性の何倍もショッキングな重いテーマを扱いながら小学生の出産を軽々しく扱っていること
が「14才の母」以上にドラマ的な価値観は漫画を読めばまったく無いことがわかる。またさらにこの映画が深刻なのは今の教育現場では禁止されて家
庭科の教科書からも消えたジェンダーフリーという用語がつかわれフリーセックスの進めである人形を使った過激な性教育やフリーセックスの進めであ
る「触れ合いの性」が称賛されている点である。人形を使ってセックスの仕方を教えて「セックスは生殖だけではなくて人間は コミニケーションを取
る最高の手立て」というフリーセックスのすすめの過激な性教育のシーンがもろに出てくること、さらには17歳の未成年の少女が保護者との相談もな
く、あっさりと中絶の道を選び、女性は妊娠すれば中絶も出産も自由なんだというフェミニストやジェンダーフリーの映画の映画に漫画道理ならなって
しまう。 「命の大切さ」を伝えるどころか逆に「子供の命を軽く扱ってしまうひどい映画」であり原作漫画の通りなら、ひどい非難が出てしまう。朋
子のような 未成年者の中絶は保護者の同意と相手の父となる男性の同意書もいるのだ。しかし「コドモのコドモ」では、保護者や相手の男性やその保
護者について は全く「14才の母」のようには触れていないのだ。朋子は秋美から多くの大金を人口妊娠中絶のために貸して金が返ってくるシーンも
ない。朋子は中 絶以降は姿を消し消滅している。呆れて物が言えない。中絶後の朋子へのフォローもほとんどない。「14才の母」とは似ても似つか
ぬドラマ作りにな ってしまっている。フリーセックス推奨、妊娠すれば未成年でも自己責任で女性は中絶も出産の道も選べる「コドモのコドモ」は教
育現場からもひどい非難の声が出ている。「コドモのコドモ」は原作の本を読んでも性教育の基本精液の様子から全くなっていない。違う春菜は翌日ヒ
ロユキに「おしっこが白くどろどろして気持ちが悪いの」と言っているが膣口に挿入されたペニスからから精液は子宮に向かって射精されペニス(おち
んちん)は女子の尿道にはインサート