心の豊かな教育と学力重視教育は両立しないのか?

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16名無しの心子知らず:04/11/29 19:13:16 ID:bKGCu2Ci
>>10
前スレの>>1の文面を、本当に読んだのか?
17名無しの心子知らず:04/12/03 17:48:23 ID:Ac6ufyAe
>>15
>ハグだのキスだのは単なる文化の違い。
>それをやらなきゃ人間性がおかしくなるというようなもんではない。

日常的に愛情表現が必要。
親がきちんと愛情表現をしないと自己肯定感が乏しくなる。
子供に愛情表現ができないのなら放任してまったくかかわらないほうがマシ。


>全東大生の何パーセントいるのかねえ。

>>東大入学者の75%は30年以上にわたって富裕な階層の出身者で占められているのだ。」
18名無しの心子知らず:04/12/03 17:48:46 ID:Ac6ufyAe
 
19名無しの心子知らず:04/12/25 03:00:08 ID:6PT241cD
「勉強はきびしく、人間関係はやさしく」↓
http://www.edu-kana.com/center/newspaper/0307/y704.htm
この意見はいい。
20名無しの心子知らず:04/12/26 05:43:44 ID:R1ELwnar
>>19
 この人が書いた本『いじめの社会理論』(柏書房)より。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760120882/qid%3D1102250677/250-3458515-3764249
「 現行の学校制度では、「なかよくする」ことと「まなぶ」ことが強制的に抱き合わせにされている。
本書で問題にしてきた残酷な心理-社会現象の蔓延は、第三章で詳しく論じたように、
「まなび」の「共同態」というしかたで若い人たちを一日中強制的に「べたべた」させる学校共同体主義によるものである。
 また現行制度のもとでは、学校で集団生活をすることが「勉強」することであるといった現実感覚が蔓延する。
多くの生徒たちは、終日ぼんやりと教室に座っているだけで国語や英語や数学をろくに修得していなくても、「学校で授業を受ける」という集団行動(集団学習)をすることでもって、自分が「勉強した」と思っている。
一日中学校で「授業」を受け、さらに塾に通い、それでも(その結果!)勉強ができないといったありさまは、★生徒にされた人たち★のあいだでは普通のことである。
彼らは、第三章で論じたような強制的な集団生活のなかで無限定的な人格支配を受けるだけでなく、さらに、その集団学習(「まなび」の「共同態」)の反復によって無能の習慣を植えつけられる。
しかし、一日中「授業」を受けて何も学習しない修正を身につけてしまった彼らも、自動車教習所ではきわめて有能に技能を習得する。
現行の学校制度を廃止して、街に林立する教習所型の学習サポート団体をチケットを使って自由に選択するしくみにすることによって、彼らは強いられた無能と奴隷状態から解放される。
 さらに学校では、努力して数学や国語や英語で優秀な能力を身につけたとしても、「態度が悪い」「協調性に欠ける」とみなされると、ひどい成績をつけられる。
高校へは勉強して行くのではなく、「先生やみんなとなかよくして、人からよくおもわれて、生かせてもらう」といった感覚すら蔓延する。
内申書や推薦や情意評価といった制度は、卑屈な精神を滋養し、精神的売春を促進し、さらに課題遂行という点では人間を無能にする(これは短期的政策の部類にはいるが、内申や推薦や情意評価といった制度は即座に廃止すべきである)。」
21名無しの心子知らず:04/12/26 05:44:16 ID:R1ELwnar
↑同じ著者による論考「『友だち』の地獄」『世界』12月号http://www.iwanami.co.jp/sekai/→バックナンバー→12月号
「 学校では、(中略)赤の他人たちを朝から夕方まで強制収用して生徒にする。場合によっては、脱退の自由が制限された部活動を無理強いし、強制収用が夜遅くまで続くこともある。
全員に同じ服を着ることを強制することが多い。40人を箱のように区切られた一室に軟禁状態におき、彼らが終日顔をつき合わせているようにする(クラスあるいは学級制度)
 その箱のなかでは、個人差を無視した全員一致のペースで、算数などの勉強を集団で行う習慣をたたきこむ。
多くの人は、一定時間の静止姿勢に耐えながら集団で壇上の人物の発生を右の耳から左の耳に通して紙に写すといった、「生徒を行ずる」ことを勉強することだと誤認するようになる。
そのおかげで、「まじめに勉強」しようとすればするほど勉強をする代わりに「生徒を行」じてしまい、結果的には勉強ができないという無能の習慣を植えつけられてしまう。
またベルがならないと唾液がでない犬のように、群体化しないと学習意欲が生じないという習性が身につく。」
22名無しの心子知らず:04/12/26 08:18:27 ID:F2PXIyZl
>>1
昔は受験勉強のストレスで親をバットで殴り殺したり、
赤の他人に通り魔したりって事件があったんで、
詰め込み教育のせいにいたんでこんなんなっちゃった。
23名無しの心子知らず:04/12/26 09:33:04 ID:Fszo8Mt4
小人閑居して何とやらで、怠けさせるとろくな事にならない。まず忙しくさせて
おくこと、昔の子供は随分忙しかったんだよ。
24名無しの心子知らず:04/12/26 14:10:32 ID:ohMubD1q
昭和の年代は遊ぶところの少なかった地方の子供のほうが
やることないから勉強して旧帝大系の大学にわんさか入ってるのに、
いまは官僚の陰謀で、金のある家庭の子供しか十分な教育を
受けられないようになってしまった。
それでも先日の国際テストで平均下げた子達のほとんどが私立校の
子達のはずなんだよね。
どういうこと?
25名無しの心子知らず:04/12/26 14:37:58 ID:zaf47I9U
>遊ぶところの少なかった地方の子供のほうがやることないから勉強して
旧帝大系の大学にわんさか入ってるのに

都会の人の考え方なのかなぁ。山や田んぼがあったら、子供なんてほっといたら
一日中遊んでいてお腹が空くまで帰ってきませんよ。ゲームの方が楽だっていう
ひどい怠け者でもなければ。今の子は大体そうだけど。
26名無しの心子知らず:04/12/26 16:19:39 ID:syeGdpNR
小学生は遊びまくっていてもいいよ。
都会は中高生への遊びの誘惑がありまくりだから。
271:05/01/06 21:00:48 ID:009qwj28
>>4さん 他のみなさん
お久しぶりです。自分に冷却時間を持ちました。
私が腑に落ちなかった理由というのは、
私は「教育」というのは、学校で行われる公的なものと考えていて、
家庭でしているのは「躾け」であり「家庭での愛情」だと考えていました。
それで「心の豊かな教育」と「学力重視の教育」の向上を多くの児童が通う、
公立学校にもとめるのは、現状としては無理なのかを知りたいのです。

多分両立が無理だったからこそ、
文科省の授業時間数の増加検討案が出たと感じます。
でも「ゆとりの教育」と言われてきたのが、急に転換された感じがして、
教育の現場にいる当事者の子どもたちは、とまどいを感じると思います。
それが親としてたいそう不安を覚えるのです。
個人的には、研究が好きな学者肌のお子さんも、
臨床の医師や看護や介護に携わるのに興味があるお子さんも、
同じ教室にいても、それぞれが尊重される教室であってほしいなと
思うのですが、教室とは学力を争う場という傾向が高いのでしょうか?

28名無しの心子知らず:05/01/06 21:18:11 ID:bJnaNykr
「心の豊かな教育」=「家庭での愛情」とは違うの?
それとも学問(というのも大げさだけど)でいう「趣味・教養」を指している?
その定義によって違ってくるのでは、という気がします。
29名無しの心子知らず:05/01/06 21:20:48 ID:kWnuuhZC
>>27
1さんの疑問、自分も常々感じていた。
心の豊かさと学力を両立した公立小学校って、
陰山先生が最初に赴任していた兵庫県の山口小学校かな
と思う。山間の学校だから、塾もなく、学校でしか学力
を上げることが出来なかったから、先生も生徒も頑張って
勉強も遊びも豊かに伸び伸びした学校生活を送っていた模様。

首都圏の公立小学校では、そういう要求は無理。学年が上がる
に従って、進学塾に通っている子とそうでない子との学力差
が大きく、先生達が教えることを諦めてしまっている。心の
豊かさも、これだけ雑多な子供達が集まってしまうと、もう、
指導しようがないのでは。

1さんのお子さんは何年生なのでしょうか?
うちは6年だけど、低学年の頃は家庭で心の教育に重点を
置いていたけれど、はたと気づくと学力が酷いことになって
いた。気づかなければ、取り返しがつかないことになって
いたと思う。やはり、両方に力を入れるべきだし、それは、
学校任せではダメで、1にも2にも家庭の躾けではないかと
思う。学校は、集団生活をさせる場でしかないと割り切っているよ。
30名無しの心子知らず:05/01/07 10:58:02 ID:Ru3oew3U
>27
「学者肌のお子さんや臨床職に興味があるお子さん」どっちも同じカテゴリーですよ。
すなわち自分の将来に夢を持っている、あるいは夢を持てる環境にある。
教室には、そんなものに一切関心はないし、そもそも関心を持つような情報・環境を持ってない家庭の子もいるのです。
高学年になればブランド服に携帯持って渋谷に出て遊び始める女子もいます。
そしてそして、今の学校で尊重されているのは圧倒的に後者のお子さん。
学者肌のお子さんが尊重されるなんてことはありえない。
そこが私立脱出組を生む土壌になってるのです。

31名無しの心子知らず:05/01/16 17:03:19 ID:FAPsiyMs
いのちの教科書 学校と家庭で育てたい生きる基礎力 / 金森俊朗/著
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31204796

これぞ「心の豊かな教育」
32名無しの心子知らず:05/01/16 19:22:53 ID:FBvqoTkT
ゆとり教育にも関わってくることなんですが、本来ゆとりと言われる時間に家庭で子どもに愛情をそそぎ、しつけをして、
33名無しの心子知らず:05/01/16 19:24:53 ID:FBvqoTkT
学校にいる時間は一生懸命勉強するのがゆとり教育本来の姿だったと思う。
34名無しの心子知らず:05/01/16 19:26:38 ID:FBvqoTkT
それが1さんの言うような心の豊かな教育と学力との両立だと思いました。
35名無しの心子知らず:05/01/16 19:30:15 ID:naK5c+le
ジニ君元気かな。
36名無しの心子知らず:05/01/17 18:00:47 ID:rLzATpE6
東大、自然科学と工学で世界7位…英タイムズ紙

 英タイムズ紙が選定する世界の大学ランキングで、東京大学が自然科学と工学分野でベストテン入りした。

 同紙は〈1〉医学を除く自然科学分野と、〈2)工学・情報分野で世界のトップ100大学を選定。
 東大は両分野とも7位だった。

 日本の大学ではこのほか、自然科学分野で京大(15位)、大阪大(43位)、東京工業大(55位)、東北大(57位)、名古屋大(69位)が、
 
 工学・情報分野で東京工業大(11位)、京大(23位)、大阪大(43位)、東北大(79位)がトップ100位に入った。
 
 (読売新聞) - 1月14日23時58分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050114-00000516-yom-soci
37名無しの心子知らず:05/01/20 01:19:42 ID:J+8G63XC
、『諸君!』(文芸春秋)10月号に、八木秀次「日本の教育を牛耳る寺脇研の正体」という記事が載っている。
 ここでは、寺脇という人がかつて広島県の教育長に天下って「改革」を推進し、その結果広島県の公立高校からの東大京大進学者が激減し全国最低レベルに落ち込んだ、という事実が指摘されている。

 要するに広島県で惨憺たる失敗をしているのに、本人には失敗の自覚がなく、全国規模で同じことをやろうとしているのだ。あきれ
38名無しの心子知らず:05/01/20 05:05:26 ID:mBd6wxt+
参考に…               
  ■法学部最新偏差値■

 70.0 慶應 早稲田
 67.5 上智 中央
 65.0 立命館 法政
 62.5 立教 同志社 学習院 
 60.0 青学 明治 関大
 57.5 関学 

〜サンデー毎日新春特大号から〜
39名無しの心子知らず:05/01/20 06:21:31 ID:JGi+v6vg
35 名前:名無しの心子知らず :05/01/16 19:30:15 ID:naK5c+le
ジニ君元気かな。


ジニ君って誰。
とりあえず気になったのでage
40名無しの心子知らず:05/01/20 18:37:08 ID:D3RIjmsq
ジニ君は前スレでジニ係数を披露した男性。
見事な論理で各お母様方の羨望と反感を買っていた。
論客?
頭はよさげだったが、人を見下す書き込みは心豊か?かと疑問の声も。
41名無しの心子知らず:05/01/22 03:34:08 ID:51g0mI8L
929 :名無しさん@5周年:05/01/22 03:27:51 ID:Ut/7HSVn
ホントにゆとり教育だったら、官僚のガキどもを塾通わせたり、英語覚えさせたり英才教育もやめろ。
でも自分の子どもは俺だけは偉い人にしようって魂胆丸見え。
42名無しの心子知らず:05/01/26 14:41:38 ID:9L+NFXeG
>>19-21
http://www.edu-kana.com/center/newspaper/0307/y704.htm
読売新聞(2003.7.4)論点より
風通しいい♀w校目指せ
内藤朝雄(ないとう あさお)明治大学専任講師
 子どもの学力低下が取りざたされている。しかしこの問題が浮上するまでは、子どもたちは「ゆとり」を奪われて押し潰されている、という世論が優勢だった。「ゆとりが必要」という考えは間違っていなかった。では、なぜこうなったのか。
 「ゆとり」派の知識人や政策グループは、そのエネルギーを見当はずれな的に暴発させたのである。彼らが敵視したのは「偏差値」や「つめこみ」教育あるいは勉強の労苦だった。しかし、学校の息苦しさの最たるものは勉強のきっさではない。
 日本では、学校は生徒を市民社会の論理から遮断して独特の閉鎖空間に囲い込み、「みんな仲良く」生きることを強いる場となっている。何より「協調性」が重視され、不満も怒りも押し殺して順応することが求められる。
こうした閉鎖空間は江戸時代の大奥のように、「人間関係をしくじると運命がどうころぶかわからない」場所になる。先輩後輩や強者と弱者の関係は時として恐るべきものとなる。いじめも蔓延するだろう。
 加えて、人の心の「よい・わるい」を評価する内申という制度が、教員に生徒の生殺与奪の権を与え、生徒をしばしば卑屈にする。生徒たちは、いつ足をすくわれるかわからない人間関係に神経をすり減らし、しばしば感情状態を場のムードに売り渡して生き延びる。
 学校で剥奪される「ゆとり」とは、まず人間関係の「ゆとり」なのである。しかし、文部省(現文科省)は「ゆとり」の意味をはきちがえ、勉強が要する労苦を敵視して学習内容を削り、学力低下問題を引き起こした。
これに対して、一部の人々が厳しい批判を展開した。しかしこの批判派は、「なんでも厳しく」しょうとする傾向が強く、勉強の厳しさと、集団で自分を殺して生きる厳しさを「抱き合わせのセット」にして主張しがちだ。
 一方「ゆとり」派は一見、保守的批判派の「何でも厳しく」に反発して、「勉強も人間関係も緩く」と主張しているように見える。
しかし班活動などで集団主義を推進してきたのは、進歩的「ゆとり」派のはずの日教組だった。かつての大会記録には、同調しない生徒に対する「仲間はずし実践」が奨励された例さえある。
43名無しの心子知らず:05/01/26 14:42:47 ID:9L+NFXeG
 私は、いずれの「論点抱き合わせセット」も、問題を解決しないと考える。学校は、全生活を囲い込む施設ではなく、何より勉強をする場として位置付け直すべきである。
生徒には高い水準の学習成果を求め、水準に達しなければ単位を認定しないようにする。そのためには、一科目でも落とせば全科目がやりなおしになる学年制をやめ、学校制度を年齢にかかわらない単位制で組み直す必要も出てくる。
 一方、人格支配や身分的上下関係、内申や細かい校則、集団主義を進める学級制度などを見直し、学校を風通しのいい、「人間として」生きやすい場にする。教員も些末な生徒指導にとられるエネルギーを授業準備など本来の教育に集中できる。
 ある知人がオーストリアで、ピアスをした厚化粧の女子生徒が、教員から「この学業成果では単位はない」と言われて泣いている情景を見たという。独仏などでは、教員は生徒の私生活にほとんど介入しないが、学業専門家としては「厳しい」。
ピアスや茶髪を犯罪であるかのように「摘発」する教員が、分数もできない中学生を卒業させてしまうような、日本のでたらめな「甘さ」とは好対照である。
 最近は、学力低下の弊害を突く「ゆとり」批判派が優勢だが、「勉強を厳しく」に引きずられて、「人間関係を厳しく」も優勢になれば、息苦しさが加速しかねない。
「ゆとり」論争が、「勉強は厳しく、人間関係は緩く」という第三の視点を含め、より広い選択肢をふまえたものになることを期待したい。
44名無しの心子知らず:05/01/26 14:45:14 ID:9L+NFXeG
『いじめの社会理論』(柏書房)より
http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4760120882/
http://www.e-shinamono.com/aws/asin/books-jp/4760120882/
「大人たちは『子ども』のいじめを懸命に語ることで、実は自分たちのみじめさを語っているのかもしれない。私たちの社会では(国家権力ではなく)中間集団が非常にきつい。そこでは『人間関係をしくじると運命がどうころぶかわからない』のである。
この社会の少なくとも半面は、普遍的なルールが通用しない有力者の『縁』や『みんなのムード』を頼らなければ生活の基盤が成り立たないようにできている。会社や学校では、精神的な売春とでもいうべき『なかよしごっこ』が身分関係と織り合わされて強いられる。
そしてこの生きていくための『屈従業務』が、人々の市民的自由と人格権を奪っている。大人たちは、このような『世間』で卑屈にならざるを得ない屈辱を、圧倒的な集団力にさらされている『子ども』に投影し、安全な距離から『不当な仕打ち』に怒っている。
『子ども』のいじめは、自分の姿を映し出すために倍率を高くした鏡として、大人にとって意味がある。わたしたちはその投影をもう一度自分たちの側に引き受け、美しく生きるためには闘わなければならないことを覚悟すべきである。
 問題はわたしたち自身だ。」
45名無しの心子知らず:05/01/26 14:46:08 ID:9L+NFXeG
「(学校の)制度・政策的ディテールは、生徒を全人的に囲い込み、『かかわりあい』を無理強いするように考え抜かれている。
つまり学校は共同体であるとして、生徒が全人的に交わらないでは済まされぬよう、
互いのありとあらゆる気分やふるまいが互いの立場や命運に大きく響いてくるよう、
制度的・政策的に設計されている。
 学校では、これまで何の縁もなかった同年齢の人々を朝から夕方までひとつのクラスに囲い込み、さまざまな「かかわりあい」を強制する。
たとえば、集団学習、集団摂食、掃除などの不払い労働、雑用割当、学校行事、部活動、各種連帯責任などの強制を通じて、
ありとあらゆる生活活動が小集団自治訓練となるように、しむけられる。(中略)
 このようにありとあらゆる生活活動を囲い込んで集団化する事細かな設計は、ありとあらゆることで「友だち」とかかわりあわずにいられず、
自分の運命がいつも「友だち」の気分や政治的思惑によって左右される状態をもたらす。
そしてあらゆる些末な生活の局面が、他者の感情を細かく気にしなければならない不安な集団生活訓練となる。
生存や立場が賭けられた利害の関連性は非常に密になり、生活空間はいじめのための因縁づけ・囲い込みの資源に満ちる。
こういう環境では迫害に対して身を守るのが困難になり、そのためのニーズが大きくなる。
つまり共同体主義の学校は、身の安全をめぐる利害関係を構造的に過密化する。
「生き馬の目を抜く」ように、いつなんどき「友だち」に足をすくわれるかわからない過酷な環境ではじめて、
「みの安全」「大きな顔をしていられる身分」といった希少価値をめぐる、人間関係の政治が過度に意味をもつようになる。
学校が全人的な「共同体の学び」となるよう意図された制度・政策的空間設計が、集団心理-利害闘争の過酷な政治空間を生み出す。
 以下では典型的な事例をもとに、赤の他人と一日中べたべた共同生活することを強いる学校制度のもとで蔓延しがちな、
集団心理-利害闘争の政治空間を分析しよう。」
46名無しの心子知らず:05/01/26 14:47:01 ID:9L+NFXeG
「学校に集められた若い人たちは、少なくともそれだけでは赤の他人であるにもかかわらず、深いきずなで結ばれているかのようなふりをしなければならない。
学校では「みんな」と「なかよく」し、その「学校のみんな」のきずなをアイデンティティとして生きることが無理強いされる。
すなわち学校では、だれが大切な他者でだれが赤の他人なのかを、親密さを感じる自分の「こころ」で決めることが許されない。
逆に親密さを感じる「こころ」が学校によって強制される。(中略)
 学校の「友だち」や「先生」に親密さを感じない「こころ」の自由はない。
生徒は学校に強制収用され、グループ活動に強制動員され、いじめや生活指導で脅されながら、
「親密なこころ」をこじり出して群れに明けわたす「こころ」の労働を強制される。(中略)
生徒は(スチュワーデスのように感情労働職を選択して対価として賃金を得ているわけではなく)、義務教育によって学校に強制収容され、
いじめや生活指導で脅されながら「親密なこころ」をこじり出して群れにあけわたす精神的な売春とでもいうべき労働を無理強いされる。
したがって生徒は、感情労働者ではなく感情奴隷であるといえる。
生徒の境遇は、感情労働者であるスチュワーデスよりも性奴隷としての従軍慰安婦に近いといえるかもしれない。
学校に強制収容されて、たまたま同じクラスに配属されただけの者と「親密な友だちとして共同生活」をさせられる強制労働は、
拉致され従軍慰安婦にされて皇軍兵士と「愛しあわされる」強制労働と同形である。
従軍慰安婦にされた女性に兵士と「なかよく」しない自由がないように、生徒にされた若い人にも、
「友だち」や「先生」に親密さを感じない「こころ」の自由はない。」
47名無しの心子知らず:05/01/26 14:47:53 ID:9L+NFXeG
「学校の集団生活では人間関係が生活の焦点となり、生徒たちはたがいの「こころ」を気にしながら群れて生きる。
学校共同体にいきわたる秩序は、その場の雰囲気を超えた普遍的なルールや正義による秩序ではなく、
「まじわり」「つながり」あう各人の「こころ」や「きもち」が動きあうこと(を問題にすること)がそのまま秩序化の装置となるようなタイプの秩序である。(中略)
「こころ」や「きもち」が普遍的な正義の機能的等価物となり、秩序化の原理として流用されるということは、「こころ」が政治的な道具となることを意味する。
過酷な集団心理-利害闘争を生き延びるためには、自己の利益にかなった仕方で真に迫った雰囲気を醸成し上手に他人を巻き込んだり、迫力で相手を圧倒したりすることが強いられる。
「こころ」は保身や生存のための集団心理-利害闘争の器官としてすり切れるまで活用される。(中略)
学校では、選択の余地のない特定の「なかま」集団の共生が善い生であると前もって決められており、それがどんなに醜悪に感じられても、与えられた「みんな」の共生のスタイルを生きなければならない。(中略)
「こころ」の秩序空間においては、他人に咎をつきつけたり、いいわけをしたりする政治闘争は、行為が法や正義にかなっているかどうかではなく、もっぱら「こころ」を問題にすることによってなされる。
たとえば「あいつはムカツク」とか「ジコチュウ」といった告発は、行為ではなく「こころ」を主題とした告発である。
「こころ」を秩序化の原理とした生活空間では、いつも他人から「こころ」をあげつらわれ、互いの「こころ」を過度に気にし、不安な気分で同調しなければならない。
「こころ」や「きもち」に準拠してクレイムをつける場合、攻撃する側は、気にくわない者に対して攻撃点をどこにでも見出すことができる。
攻撃される側は、あらゆる方向から「こころ」を見られ、自分の「こころ」に反応する他人がどういう悪意をもつかわからず、それにより自分の運命がどう転ぶかわからない不安を全方位的に生きる。
そして弱者は「友だち」に対してひたすらビクビクと「反省」の身振りをするのだが、それが強者にはめっぽう面白いのである。」
48名無しの心子知らず:05/01/26 14:48:52 ID:9L+NFXeG
「さらに自分で友を選択して親しみが湧いてくる以前に、強制的にベタベタさせられて政治的に「なかよくする」生活環境は、個として親密性を築く能力を破壊する。
そしてしばしば、自分は本当は誰が好きで、誰がなぜ憎いのかがわからなくなり、その情動判断を場の雰囲気に代替させるようになる。
数分前になかよくしていた「ともだち」が「みんな」からうとまれはじめると、半分は保身から、半分は本当に「なぜかいじわるな気持ち」になり、「みんな」といっしょに蹴っていた、といったケースは枚挙にいとまがない。
 自分がいじめグループの標的となるやいなや、今まで仲のよかった「友だち」が見てみぬふりをしたとか、手のひらを返したようになったとか、攻撃の先方に転じたといったことは、よくあることだ。(中略)
 こういう場合、いじめ被害者はよく「なかよくできなくてごめんなさい」と泣く。そして、裏切り迫害する「友だち」に「なかよくしてもらおう」と必死になる。
学校の弱者は「みんなとうまくやっていけるように自分の性格を変えなければ」と思う。」
49名無しの心子知らず:05/01/28 13:53:42 ID:Hj+9LGhc
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

今夜 1:20〜 テレ朝の 【朝まで生テレビ!】
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/video/Curr/program.html

『激論!こんな教育が日本を滅ぼす?!』

 「ゆとり教育」という言葉をキャッチフレーズに、大幅な学習指導要領の改訂が
行われたのは、今から3年程前の2002年のことでした。「ゆとり教育」の“弊害”
を憂える人々からは、「2002年問題」などと揶揄された改革ですが、その影響が
ジワジワと現れつつあります。
 教育は即時にその結果が出るものではなく、長い時間をかけて世の中に変化を
起こしてゆくものでしょうが、すでに最近の調査では、学力の低下のみならず、
学習意欲の低下、学校外での勉強時間の低迷などなど、一見「ゆとり教育」の弊害
とも取れる調査結果が報告されています。

司会: 田原 総一朗
進行: 長野智子、渡辺宜嗣
パネリスト:
長田 百合子 (NPO「不登校・ひきこもり・非行で悩む親の意識改革を助ける会」理事長)
喜入 克    (都立高校教員,「プロ教師の会」)
小林 よしのり (漫画家)
高篠 栄子   (学びの場.com編集長)
中井 浩一   (国語専門塾「鶏鳴学園」代表)
福島 みずほ (社民党党首・参議院議員)
藤井 誠二   (ルポライター)
水谷 修    (作家,教育評論家)
宮崎 哲弥   (評論家)
森越 康雄   (日教組委員長)
吉田 博彦   (教育支援協会代表理事)
和田 秀樹    (精神科医)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
50名無しの心子知らず:05/01/30 14:19:52 ID:TmzY+9Rb
すぐに、nhk教育見ろ!「いのちの教科書」http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31204796 の著者
金森俊朗先生の対談をやってるぞ!
51名無しの心子知らず:05/01/30 15:24:03 ID:jBSD/bbt
ごめん、見なかった。3行くらいに要約して教えて。
52名無しの心子知らず:05/02/26 17:36:51 ID:8grkZWdM
【祝】文部科学省が学歴主義・学歴別身分制度に方針転換 【学歴貴族こそ支配者である】
http://www.tbs.co.jp/ac/bt/index.htm

日本国においては、学歴によって人間を「ランク付け」する方が都合がよいし、
社会や経済がスムーズに動くのです。

例えば、なぜ今、ニートやフリーターが増加しているのかと言えば、学歴も無い人間が
「やりたくない仕事に就きたくない。」
「もっと自分には可能性があるから夢を追い続けたい。」
などと、根拠の無い「おごり」の気持ちを持つようになっているからである。
このような気持ちが生まれる理由は、学校において「競争」がないからである。学校で
競争が盛んになれば、「勝ち組」(高学歴)、「負け組」(低学歴)が出来る。
「負け組」(低学歴)としての自覚をきちんと出来る若者は、「やりたくない仕事に
就きたくない。」だの、「夢を追い続けたい。」などといった甘えは無くなり、
いやな仕事でもするようになるのである。
したがって、社会を円滑に動かすためには、学力主義=学歴主義によって、学歴に
基づいた「勝ち組」、「負け組」の「身分」を作ることが絶対的に必要になるのです。

日本の高度経済成長は、大卒の指導の下で、「金の卵」と呼ばれた低学歴の人々
(学歴社会の負け組)が、休日も返上で馬車馬のように働いて支えていたことを
よく思い出すべきなのです。
53名無しの心子知らず:05/02/27 17:47:03 ID:URF0HAlG
>>52は極論だけど、自由競争は賛成。
何で競争しても良いし、自分の道が見つからない内はとりあえず偏差値で競争しておくのも良い。
勝ち負けは考えなくて良いから、客観的に全体に置ける自分の位置を知っておくのが大事かと。
あと、信念でやりたいことやっても、迷惑にならない内はいいけど、同時に自分の市場評価も把握した方がいいかも。
54名無しの心子知らず:2005/03/29(火) 16:11:19 ID:BAbBo6z9
保守
55名無しの心子知らず:2005/05/26(木) 22:27:10 ID:RQ/m9GDM
 
これ参考に♪
=学歴社会的・総合評価=ブランド力・実績・人脈・話題性=   

           ■■■難関私立大学 最新格付け 2006■■■


1位 : 慶応大・・・私学最古の歴史と伝統を誇るが、学生の気質は、案外ぱっとしない人が多い。
2位 : 早稲田・・・「私学の雄」を謳う「六大学」の中核的存在。しかし下品ネタの宝庫ゆえ蔑称「スーフリ大学」。
3位 : 上智大・・・受験界では「早慶上智」と言われるが、男子受験生には不人気の国際派大学。
4位 : 明治大・・・早稲田と法政を「永遠のライバル」視する、各スポーツ種目の強豪校。御茶ノ水を聖地とする。

5位 : 同志社・・・関西私大の雄を自認するが、最近では「振り向けばリッツ」の焦りあり。「西の立教」。
6位 : ICU  ・・・クリスチャン念願の末に創立された、三鷹にある外国スタイルの大学。過大評価されやすい。
7位 : 立教大・・・天下の「東京六大学ブランド」ホルダーで、米国聖公会宣教師の私塾が起源。 新座校舎は不人気。
8位 : 法政大・・・日本最古の法律学校が前身で、政財界に多数の人材を輩出。元バンカラ系・人種の坩堝的な大学。

9位 : 理科大・・・創立125年を誇る理系私大の雄。歴史はあるが、存在感が薄い。理系学生限定に高評価。
10位 : 立命館・・・「偏差値操作」で悪評高くも、受験生は急増。関西私大トップを目指す。通称「西の法政」。
11位 : 中央大・・・「伝統の法学部」は上智に並ぶが、他学部は不調。「資格実績の高さ」を売る、多摩の森大学。
12位 : 青学大・・・女子受験生(限定)に絶大な「ブランド」を誇るが、実績に難あり。明治学院の姉御的存在。

13位 : 学習院・・・「皇室御用達」のみが看板の、小規模な学校。「武蔵」「成蹊」「成城」とつるむ。
14位 : 関学大・・・最近凋落著しく、首都圏では「西の関東学院」とも…。 今も昔も人気は関西限定。
15位 : 関西大・・・「法科の関大」でそれなりに評価が高く、大阪私大の雄。「難関私大最後の牙城」。
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その他


56名無しの心子知らず:2005/08/02(火) 13:48:51 ID:g1/u/uvA
わがまま=個性の尊重

だと思ってる糞保護者
57名無しの心子知らず:2005/10/14(金) 14:47:12 ID:qj4lOOyM
心もやさしく、勉強も出来て、スポーツも万能な子になって欲しいと
子供に完璧を求めたら子供の心はつぶれちゃうよ。
そういう育てられ方をして
引きこもりになってる子たくさんいるじゃん。
58名無しの心子知らず:2005/10/14(金) 15:05:08 ID:nf3DvqJJ
だからその、つぶれた子とつぶれなかった子の違い
(元の性質やら、育て方やら)を知りたいってことなんじゃ?
59名無しの心子知らず:2005/10/14(金) 16:03:27 ID:TZPN+Gtp
>>58
親の理想と子供の理想は一致しないってある時期が来たら認めればよいのでは?
60名無しの心子知らず:2005/10/17(月) 08:17:46 ID:7WgDTAIb
欲張りだな
61名無しの心子知らず:2005/10/17(月) 08:59:30 ID:RXiTQlkS
ホント欲が出て来るよね。
健康であればイイ!
そう思っていたのに、子が成長する度、あれもこれもって。
初心に帰ろ〜。
っと、反省。
62名無しの心子知らず:2005/10/17(月) 11:26:35 ID:F/i2LUGn
成績なんかは特にキリがない
中程度と言う1つの目標を達成したら次は中の上へ行けと言い、
中の上へ言ったら次は上位へ行けと言い…
いつになったらゴールへたどり着けるのか
ゴールの見えないマラソン程つらいものはない
63名無しの心子知らず:2005/10/17(月) 11:47:43 ID:9/wKx7lf
利巧な子に育てるか、賢い子に育てるかの違い。
育児法次第。
http://big-hug.at.webry.info/200510/article_4.html
64名無しの心子知らず:2005/10/19(水) 22:13:42 ID:loUOhLc5
【社会】「勉強しろと注意され…」 12歳少年、母親を殴り殺す?…大阪
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1129693200/

成績優秀な子に勉強しろと言う親
もうアホかと
65名無しの心子知らず