923 :
名無しの心子知らず:
お腹に茶碗をぶつけられました。
8ヶ月に入ってすぐの頃です。
食卓に上がっていた全員分の茶碗、4個です。
食事中のことでしたので、もちろん中には炊き立てのご飯が入っていました。
理由は些細な事で、ご飯が柔い、という事でした。
その数日前から義母は入れ歯が合わず、
普通に炊いたご飯をきちんと噛んで飲み込むのがツライと言っていた為、
いつもよりも少しだけ柔らかめに炊いたのです。
そうしたら
「私にこんなご飯を食えって言うのか。年より扱いするのか」と。
その時のショックで、お腹の子は流産してしまいました。
8ヶ月でしたので、もう人工的に陣痛を起こさせて産むしかありませんでした。
あと2ヶ月もしたら、幸せな気持ちでこの子を産んであげられていたのに。
どうしてこんな思いをして産んだ子供の心臓が動いていないんだろう。
本当なら笑顔で手渡されるはずの出産証明書。
どうして重苦しい顔で、死産証明書を渡されなければいけないんだろう。
くやしくって、悲しくって、こんな仕打ちをした義母が憎くて、
今日が何日かわからないほど泣きました。
養生の為に入院していた1週間。
聞こえてくる生まれたての赤ちゃんの泣き声を、
布団を被り、枕に顔を埋めて泣きながら聞いていました。
もう、自分が泣いているのか泣いていないのかさえもわからない。
続きます。
924 :
923:02/09/03 21:17 ID:oG4Soxel
そんな私を心配して、入院中はずっと実母がそばに付き添っていてくれました。
そんな入院生活中、一度だけ表れた義母の、信じられない一言。
「あれくらいで死ぬなんて、そんな弱いヤヤコは生まれてたってどうせカタワだ。
生まれてこなかったほうが幸せだったんだ。
あんたはそんなカタワを育てなくて済んだんだから私に感謝しなきゃだめだ。」
その言葉を聞いて私は意識が遠くなっていたので、その後の事はよく覚えていません。
しかし、
・実母が狂った様に泣き叫び、その声で看護婦さんが数人駆け付けた事。
・興奮状態の実母・義母は別々に別室に連れて行かれた事。
・同室だった他の入院患者さんに詳しい話を聞き、看護婦さん達までがもらい泣きしてくれた事。
・そして義両親は病院に立ち入り禁止になった事
などを同室の入院患者さんにお聞きしました。
もちろん退院時には、実母にその足で実家に連れていかれました。
夫と両親が何度も話し合った末、そのまま別居となりました。
それっきり会っていないので、義両親が今どうしているかはわかりません。
しかし、あれからもう十数年。
欲しくて欲しくてたまらなかった私と夫の子供は
私達の所には2度と来てくれないままです。