『突然変異』をきっかけに商業媒体に登場したのは青山だけではない
(青山の変名・西井幼名は除外)。『突然変異』3、4号に名前が登場する
谷地淳平もその一人で、突然変異チームとして一緒に『Hey!Buddy』に
引き抜かれており、ライターとして一時期活動している。例えば『BRUTUS』
1982年4月15日号のSEX特集号には、青山が「アメリカのポルノ男優名勝負」
「父よ、あなたも乳が出る!」というコラムを担当しているが、谷地も「医学書の
愛読者が医学関係者ではない、という不思議」を執筆しており、さらに
「ロリコンを知らずして80年代の性は語れない」という見開きページは
全面的に『突然変異』が協力。欄外には「いまやメジャーなミニコミ『突然変異』
編集スタッフ(車田正一、谷地淳平、青山正明、佐々木正代)の企画制作によって
編集しました」と説明がある。
そして『PLAYBOY日本版』1982年10月号には「清少納言の大予言」(文・谷地/
イラストレーション・及川正通)と題した7ページに及ぶ論文が掲載。ノストラダムスが
大予言のタネ本に使ったのは『枕草子』だった!という珍説もとい大スクープで、
判明している中ではこれが一番メジャーな舞台での仕事である。その後の活動は
あまりはっきりしていないが、1983年6月頃の自販機本『コレクター』16号で「
夜のお菓子(3)“幽体離脱派痴漢宣言!”」と題した記事を担当しているので、
1983年もまだエロ本界隈には関わっていたようだ。
『突然変異』出身と言っていいのか不明だが、2、3号の表紙イラストを担当した
霜田恵美子は、昭和30年代を思わせるレトロなタッチが、当時のヘタウマ・ブームと
リンクし、『ウィークエンド・スーパー』『ビックリハウス』『宝島』をはじめ、80年代前半の
様々なサブカルチャー媒体で活躍した。80年代末に海外へ渡り(1992年に『ライブ!
ニューヨークから』というNYルポ本を出している)、それ以降はたまにしか名前を目に
しなくなったが、80年代に活躍したイラストレーターとしては上位に名前がくるだろう。
他にも『突然変異』の佐々木正代の名前が映画『陽炎座』の出演者クレジットに
あったり、亡くなってしまったがデザイナー丸山浩伸はその後も様々な媒体で
活躍していたりするものの、関わっていたスタッフの名前をウェブで検索して
引っかかったものが本人かどうかはあやふやで不明確だ。「あの変態ミニコミに
関わっていたのは私です」と名乗り出てくれる勇気のある方々がいればいいのだが、
ひとまず『突然変異』は青山正明だけのミニコミではないという断りを入れておきたい。
青山正明が『Hey!Buddy』休刊後に勤めていた出版社は「大正屋」といい、
そこで 『カリスマ』『阿修羅』というホラーコミック誌を編集していた話は
以前にも書いた。で は一体そこはどんな出版社だったのだろうか。
実は国会図書館には一冊も所蔵がなく、出 版物自体を探すのも一苦労で(
たまにブックオフの105円コーナーに並んでいる)、単行 本の奥付、
オークション、古書店の目録などで一つずつ探していくしかない。
正式名称は「大正屋」出版株式会社。何冊か見つかった出版物はいずれも
1986年?19 87年に発行されていた。発行人の欄にはいずれも86年9月まで
前中行司(『SMキング』に 同名人物がいるが、本人かは不明)、10月以降は
武井貴司という名前が記されており、こ の2人が社主であるようだ。また9月
までは住所は東京都港区六本木の市兵衛ビル3階にあ るが、10月以降は
東京都渋谷区広尾の中井ビル4階に移っている。おそらくこの時期に何 か
会社内部であったのだと推測できる。さらに発行は「大正屋」だけども、
発売元は神保 町にある文苑堂東京店となっていて、流通をまだ余所に
頼るくらいの、80年代後半にわず かに活動していた小さな出版社だったのだろう。
手元にあるものはすべてマンガ単行本(ムック)だ。しかも同人誌やエロマンガ誌で
活動していたマンガ家がほとんどである。これは弱小ゆえに人気作家を獲得する
ことがほ とんど無理なぶん、新しい作家を積極的に発掘していかなくてはいけない
事情があったと 見えるが、その発掘作業に青山がどれだけ関わっていたのかは
判らない。ただ、青山が作 者と一緒に撮った写真が載った単行本も存在するので、
別段マンガ編集を嫌がっていたわ けでもなさそうである。ここで「大正屋」の出版物
の一部を簡単に紹介しておこう。青山 が関わっていないものも多いだが、どんな
作家がこの出版社にいたのかを知るだけでも意 義はあるはずだ。