9月号では裏ビデオ・レビュー「13才と16才 日本人ロリータ本番ビデオ
「処女の泉」「ザ・ガール」」を担当しているが、それによれば新宿の
裏ビデオ屋で扱っていたものを編集長が入手してきたものだったようだ。
前出のコラムによればムックや写真集など紙モノはおさえていたようだが
、ビデオの、とくに非合法な側は、まだこの時期は手を伸ばしていなかった
ということかもしれない。
1983年末、青山はロリコン関係でもう一本ビデオに出演している。といって
も男優ではなく司会進行役だが、『テレ美少女コレクション』(カラー30分、
9800円、いちご通信社)という、テレビの少女シーンだけを集めて編集した
著作権無視の作品で、11月号に販売のお知らせが、12月号にレビューが
掲載されている。いわく「当ヘイ!バディ誌上で(のみ)有名な、青山正明氏と
股見けい子女史がお作りになったビデオだそうです。お二人の司会が、
頭痛いけど面白い。人間て、一度恥を忘れさえすれば何でもできるんですね」
だそうで、ぜひ中を確認したい内容である。
1984年のロリコン・トピックといえば、前年夏の『処女の泉』に引き続き、
『チェリー・キラー』『ロリータ・雅代』『(しのぶ・中学三年生)』と日本製の
ロリータ裏ビデオが立て続けにリリースされたことや、全米で上映禁止と
なった13才少女の本番映画『ザ・ロリータ 痛姦』の日本版ビデオ発売と
無修正裏版流通、『くりいむレモン』シリーズをはじめとするロリータ・ポルノ・
アニメの台頭など、映像方面での話題が多い。雑誌も相変わらず刊行されては
いるが、動く少女のインパクトには敵わないということだろうか。そうは言っても
所詮メディア上の話ではあるが、と書きたいところだが、『Hey!Buddy』誌では
海外での少女売春のレポート記事が写真付で頻繁に掲載されており、既に
実践への道も着実に築かれつつあった。
同誌での青山正明は国内外の裏ビデオのレビューを頻繁に行なっており、
1月号掲載のレポート記事「少女のオシッコ、いーかげん大研究!!」や「テレ
ビ美少女コレクション」解説を除けば、2月号「海外ロリータポルノビデオ紹介」
を皮切りに毎号紹介記事を担当している。前年までの同誌ではロリータ裏本紹介が
多かったのを考えれば、裏モノ業界での静止画から動画へという流れは83年から
84年にかけてといえそうだ。
『Hey!Buddy』誌以外の媒体での活動は次回以降に譲るとして、これらの
紹介記事からいくつか重要そうな文章を抜き出してみたい。原稿用紙11枚
分の文字数を埋めるために、ビデオそのものとはほとんど関係ない思いつき
だけのテキトウな文章がよく混ざっているのだが、それが下らなすぎて、
実はここにこそ青山の本質があるのではないかと思うからだ。他にも素で
書いていると思われる露悪的な文章が冴え渡っている。
唐突ですが、私、最近やっとビデオを購入しました。ソニーのHF77です。
でもって、グロ?イソフトを集めております。ホラー、ポルノ、医学物等々、
素晴らしいソフトを持ってる読者諸兄! 私の手持ちのソフトと交換(ダビングOK)
しましょう。じゃ?ね。ヘイ!バディー、「読者と筆者の親睦コーナー」でした。(1984年3月号)
洋服着た少女のグラビアで百?二百回はオナニー出来たんですから、本番ファック・
ビデオなんつったら、あなた、チンポがいくつあっても足りません。腰の回りや腹にも
チンポがくっ付いていて、全部で50本のチンポが生えてたとしたら、1本30分オナニー
したとしても、50本全部しごき終わるのに25時間かかる勘定になる。という事は、
最後の一本をしごく頃には、最初の一本目はもう回復している筈。ああっ!チンポが50本欲しい!金玉が100個欲しい!(1984年5月号)
僕なんかオナニー出来る五体満足な体に自分を生んでくれた両親に感謝の
情がジワ?と湧き出て来たりして実に感動的なオナニー体験だった(私青山、
原稿書きをサボらなければ今年の夏頃、オナニーの単行本を出版する予定です。
面白いから出たら買ってネ)。(1984年6月号)
こんにちわ。一ヶ月の御無沙汰、青山正明、ブルー・マウンテン・ライト・ブライトです
(下らんなあ)。(1984年7月号)
一本目は「ラスティ・ロリータ」と題し、10歳くらいの少年と少女がソファー上で
チンポとマンコをいじくり合います。この少年が非常にアホ面で、神智学的に
見ても、ようやく畜生から人間に転生したといった霊性の低さを感じさせます。
(1984年8月号)
「ロッキーのテーマ」をBGMにトランクス一枚で汗びっしょりになって、生卵飲んで、
片手腕立て伏せしながらカク!「スカボロ・フェアー」をBGMに男二人並んでほの
ぼのとカク!「ニューヨーク・ニューヨーク」をBGMに歌って踊りながらカク!「ロミオと
ジュリエット愛のテーマ」をBGMにベランダの下でカク!「トゥモロー」をBGMに明日の
分迄カク!さあ、もう書く方も読む方も辛くなってきたぞぉ。(1984年10月号)
河水に釣糸を垂らしている一人の男。その男の後方から、いま一人の男が釣竿を手にして近付き、
「釣れますかい?」と声を掛ける。そうして、二人並んで釣糸を垂れる。
このようにして、数十人が次々と「釣れますかい?」と声を掛け河縁に並んで行く。
さあ、人数も揃った所で、「連れマス会」の始まりだ。数十人の男が一斉に陰茎をしごき、
河中に精液をぶちまける。そういやあ、超能力者数千人が生中継の歌謡番組見ながら、
一斉にブラウン管から念を送って、歌謡中の河合奈保子を失禁させるなんて事も
言ってたなあ。(1984年11月号)
蜜柑見ながら千摺りばかり掻いていると、蜜柑を見ただけで勃起し、射精してしまう。
これを、女性に届かぬ、むなしい射精……未刊の射精と言う(詳しくはFP見てね)。
また、杏を見つつ千摺りばかり掻いていると、条件反射が形成され、杏を見ただけで、
考えることもなく射精してしまうようになる。これを\x87\x80案ずの射精\x87≠ニ言う。
はたまた、ラーメンばかり見ながら千摺り掻いてると……条件反射で、ラーメン見ると
すぐ勃起する……と思うでしょう? まだまだ読みが浅いねえ。ラーメンをネタに千摺り
ばかり掻いてると、美女を見ないと千摺りが掻けなくなっちゃうんですよ、実は。80面食いの
射精≠ネんちゃってね。(1984年12月号)
いかがだろう、『危ない1号』しか知らない読者にとっても違和感のない、
青山らしさを感じさせるテキストではないだろうか。つまり既にスタイルが
完成しているということだ。なお青山がビデオデッキを買ったのが1984年
初頭であること、オナニーに関する書籍の予定があったこと(実現しなかったが)などは、
連載「Flesh Paper」でも特に触れられてはおらず、「FP」は重要なライフワーク的連載で
あることに変わりはないが、それだけではこぼれ落ちてしまうものもある。
1985年はロリコン・ブーム第一期の最期の年である。細かい話は後に
回して、まず『Hey!Buddy』の青山の記事といえば、ビデオ情報記事と
連載「Flesh Paper」が変わらず継続され、結局終刊まで同じペースだった。
青山は自虐的に「FPなんて、俺と高桑さんしか読んでないんじゃない?
エーン、一生懸命書いてるのにー」(1月号)とまで書いているが、この年から
『Hey!Buddy』以外の雑誌の編集や、幻の著書『HORROR FILMS』の
準備などに手を出し始めるので、ホームグラウンドではそれほど目立った
ことはやらなくなったようだ。
この辺で青山が関わっていた『Hey!Buddy』以外のロリコン誌を見てみよう。
1983年に出たランド出版の『ぺぴ』は、ほとんどヌードがない当時としては
健全(?)な誌面で、十数年後に興隆するチャイドル・ブームを先取りしたような
「少女アイドル雑誌」を目指していた雑誌だ(ヌードがないことでマニアには
不評だったそう)。創刊号では穴埋めコラムでドラッグネタを半ページ書いて
いるのみだが、2号では「スポーツ禁止論序説/スポーツ 心身を蝕む健康の敵!!」
という、スポーツがいかに人間をダメにするかという4ページの論文や、
「サブカルチャー情報」と題して音楽やドラッグネタを寄稿している。
1985年創刊の『VIDEOロリータ』は、地上・地下・アニメの中から厳選して
作品を紹介するタイトル通りの雑誌で、これは原稿は無記名だが編集
クレジットに「RICKY yasutake, HAPPY aoyama」とあり、全面的に関わって
いるようだ(同時に出た2号は未見)。『ロリータ・スナイパー』は『Hey!Buddy』誌に
送られてきた写真を再構成したムックで、やはりライターとして参加し編集後記を
書いている。英知出版の『ロリータ・スクランブル』(『Beppin』4月号増刊)は
『Hey!Buddy』誌が全面協力しており、青山正明&リッキー靖武コンビの
記事「千摺中毒必至のロリータ地下ビデオベスト14」を掲載。他にも
『CANDY』6号(JOY企画/1984年9月)や『なおこちゃん』(ホープ出版
/1985年6月)、『にんふらばあ』4号などにも寄稿しているという情報があるが、
確認できていない。
その他、この時期に出ていたロリータ雑誌の名前だけでも触れておこう。
1982年頃から通販やアダルト専門店で1500?2000円前後で売られた
雑誌には、『少女トピア』(草艶書林/1982年4月)、アリスクラブとは
関係ない少女愛専門誌『ありす』(群雄社/1982年11月)、ロリータ
LOVE専門誌『みるく』(花神社/1983年3月) 、ほぼ無修正のロリコン・
マガジン『CANDY』(JOY企画/1983年11月) 、少女愛好専門誌『リトル・
クローバー』(若葉出版/1984年6月) 、『SMマニア』増刊でのちに
『ロリくらぶ』となる『ロリコン・ハウス』(三和出版/1984年6月) 、
『さくらんぼ』(桜桃書房/創刊1985年1月) 、『女子中学生解剖図鑑』
(桜桃書房/全5冊)、『CANDY POT』(さーくる社)などなど。
これらはまだ当時の出版物の本当に一部であり、どこに青山が
関わっているかは完全な情報は判っていない。
『Hey!Buddy』誌を含め、これらの雑誌はどれも投稿写真コーナーが盛り上がっていた。
公園で遊んでいる少女にパンツを脱いで貰ったり、池で遊んでいる少女を盗撮したり、
他にも海にプールに運動会と、様々な舞台で少女は(ほとんど勝手に)撮影された。
しかし盛り上がりすぎたアダルト産業は規制されるのが世の常である。契機となったのは
おそらく『少女写真・観』(ミリオン出版/1985年4月)にまつわる事件である。かいつまんで
説明すると、このムックは当初『さっちゃん』という名前で出る予定だったのだが、サイパン島での
撮影中に現地の警察に連行され、そのまま罰金と退国命令が出てしまう。その経緯を朝日新聞が
「少女ポルノ写真撮影 邦人四人を追放 サイパンで判決」(1985年1月26日朝刊23面)と
扇情的に取り上げたのである。
『少女写真・観』についた「未完成写真集『さっちゃん』とサイパン島撮影<追放>問題について」という副題は
そういうことで、この事件によって世間的に
「割れ目も性器である」という認識のされ方がなされたのか、それとも「割れ目は性器」と皆が
思っていたから「少女ポルノ」と書かれたのかは判らないが、これが後から始まる本格的な規制の
布石となっていることは想像に難くない。カメラマンが『リトル・プリテンダー』の山本隆夫だというのも
運命的である。ミリオン出版はこれを最後にロリータ・ムックから手を引いた。
白夜書房もロリコンから一旦手を引く。『Hey! Buddy』増刊として出た、
1985年9月15日発行の『ロリコンランドVIII』が発禁となった。つまり
「割れ目は猥褻」という当局のお墨付きが出たという意味である。
これを受けてロリコン文化の中心となっていた『Hey! Buddy』は同年11月号
で廃刊した(のちに末期の号を再編集した『少女白書』というムックが出たが、
内容は同じでほとんどサギである)。高桑編集長の編集後記を引用しよう。
三年ほどで、得た結論は、ロリコン=ワレメでした。どんな情報も企画も
一本のワレメには勝てません。読者のほとんどが性器が見たくてしかたのない、
単なるスケベでした。しかし、その大多数の読者のおかげで、マイナーでイコジな
読物の頁がささえられてきました。ところが本誌増刊「ロリコンランド」の発禁で
時代が変わりました。ワレメはワイセツであるとの当局の結論が下されたようです。
ワレメが見えないロリコン雑誌はもはやロリコン雑誌とは呼べません。
僕自身ロリコンを扱う事にアキアキしていた時期でもあり、以後ロリコン誌とは
呼べなくなるHBを終刊する事にしました。/読者のみなさま、そして関係者のみなさま、
ありがとうございました。(高桑)
ロリコンという絶対的なコンテンツがあったからこそ、他の記事ページが
どんなに勝手なことをしても許されたのだという、エロ本編集にかける
思いが伝わってくるようだ。そのコンテンツが弱体化するなら、いっそ
終刊だという判断は、一時代を築いた雑誌のけじめだったのだろう。
この後に出た少女写真集・ムックのほとんどは修正が入り、以前に出ていたものも
版を変え修正されていった。そして1987年、“少女=芸術”の最後の牙城で
あった『プチトマト』の摘発がなされ、80年代のロリコン・ブームは終焉を告げた。
さて青山正明の最初の公での活動であるミニコミ『突然変異』について
改めて見ておきたい。発行された1号から4号までの内容、および『突然変異』の
ロリコン記事をきっかけに『Hey!Buddy』誌から声がかかり商業ライターデビュー
したという経緯は、本連載3?5回を参照して頂きたい。そこでは触れなかった
細かい補足をしておく。