■ 関西・廣島・埼玉など素人物を語ろう99 ■

このエントリーをはてなブックマークに追加
504名無しさん@ピンキー
1980年に創刊(7月号)した『Hey!Buddy』は、当初は外国人モデルのヌード
グラビアや、ソープランド入門、街ネタ、釣り情報、競馬情報などを詰め込ん
だ、男性向け総合情報誌だった。そこに『突然変異』のロリコンネタに興味を
持った編集部が青山正明らにコンタクトをとり、1981年12月号で初めて起用。
青山は「HOW TO LOLITA」と題したロリータ/少女入門ネタを担当した。ただ
即座にロリコン誌になったわけではなく、女子高生、ソープ、ピンサロ、海外
……などエロのジャンルの中から今回はロリコンを選んだ、というわけで、ロ
リコンを標榜するのは少し先の1982年6月号からである。この雑誌の方向転
換に、青山らの記事の反響が少しは影響したのかもしれない。実写に限らず
マンガやアニメの話題も多く、82年からは完全にロリータ総合情報誌として生
まれ変わった(編集部の好みのプロレスネタは読者に不評だったが最後まで
続いた)。最盛期は8万部。
505名無しさん@ピンキー:2012/07/24(火) 20:55:57.37 ID:yTowd5ne0
実は『Hey!Buddy』に先がけて、同じ白夜書房の『写真時代』でも1982年から
荒木“アラーキー”経惟の「少女フレンド」という少女をモデルにした写真連載
が行われている。この連載はあとで『少女世界』(1984年5月)と『少女物語』
(1988年/改訂版・太田出版から1990年10月)の二冊の写真集にまとめられた。
モデルに人気少女モデルが登場することも少なくなく、1982年3月号では元祖
ロリータビデオ『あゆみ11歳・小さな誘惑』のモデル・あゆみがモデルに。また
同年7月号に登場したピコ(武見あゆみ/当時小学生低学年)の人気は凄まじく、
82年を代表するロリータモデルであり、彼女がモデルのムック『アデュー』
『妖精少女』(共に竜書房)もヒットした。『Hey!Buddy』1982年11月号ではピコの
緊縛写真が掲載されている。想像できるだろうか、小学生低学年の少女が縛られた
写真が載った雑誌が、普通に書店で売られていたのだ。
506名無しさん@ピンキー:2012/07/24(火) 20:57:21.72 ID:yTowd5ne0
さてロリコン史においては後追いである『Hey!Buddy』は何が特徴だったのか。
それは、これまでのカメラマンの撮り下ろし作品から、読者投稿作品への形式
の移行を促したことにある。読者が投稿してきた少女達の写真、映像のキャプ
チャ画面、犯罪の匂いすら漂う隠し撮りなどを、そのまま掲載してしまう姿勢が
大反響だったようで、毎号掲載される人気コンテンツとなる。3年間で集まった
写真は7万2千枚。
507名無しさん@ピンキー:2012/07/24(火) 21:00:38.32 ID:yTowd5ne0
1981年4月に創刊したミニコミ『突然変異』では、同時期に起きたロリコン
ブームで一緒くたに扱われるのを嫌がって、3号でロリコンを扱うのはやめてしまうが、
この70年代末から80年代前半にかけてのロリコンは、単に「陰毛がないヌードが
見られる」という需要に答えたコンテンツであるだけでなく、サブカルチャーの
最新流行の一つであった。その流行の先陣を切ったコミックマーケットの同人誌に
ついておさらいしておこう。1978年12月「コミケット10」にて、日本で一番最初の
ロリコン同人誌といわれる、蛭児神健による『愛栗鼠』 (アリスマニア集団・
キャロルハウス出版部/創刊号のみ) がひそやかに出版された。
翌79年の4月にその増刊として『ロリータ』(7月に2号) が出ているが、
内容が全て小説であったため大きな話題にはならなかった。
むしろ翌1979年4月の「コミケット11」で登場したロリコン漫画同人誌『シベール』
(シベール出版部)で描かれた少女の裸身のインパクトこそが、
ロリコンブームの全ての始まりだと見るのが妥当だろう。