T S 抜 き 全 般 Part16

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20日奈森亜夢
一応は人に慣れるくらいまでにはなる、というのは、ある意味コミュニケーションが取れていて
信頼感が成立しているという事である。
それを我々は、最悪の形で報いる訳だ。
そんな事をして地獄に堕ちない訳がない。
勿論、生産者だけが悪いのではない。
求める消費者も殆ど同罪である。
金だけ払って都合の悪い部分には徹頭徹尾目を瞑る。
子供が「パパー、戦争はしてはいけなくて命を奪ったらいけないとかいうのに動物は殺しても良いのー?」
と、至極真っ当な子供の質問に対しては、答えられずに「私達が生きていく為には仕方が無いんだよ」とか
「だから残さないで感謝して食べるようにするんだよ」とか、一見綺麗な言葉には聞こえるが、
結局、絶対に殺して食わなければ自分達が死ぬっていうような逼迫した事態という訳でもないのに、
ただ美味しいからとかというだけの理由で動物の血肉を貪り食ってる事実に対しては決して免罪符にはなってない訳で、
これは完全に矛盾を孕んでいるし、妥協一辺倒で論理が破綻している。

勿論、もう食べられないなら残しなさいとか平気で言うようなウンコ低脳の親は論外だが、
妥協の答えしか導き出せないのにエラソーニ教育する親も、実は大したタマでもないのである。
つまり私はどういう事を言いたいのかと言うと、常に、食に対しては恐れ敬えという事。
自らの命の火を灯すべく他の命を奪うというのが食の基本であるのに、食欲を満たす為に
美味しさを追求とか、寝ぼけるなという話である。