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122名無しさん┃】【┃Dolby
★★釈量子の守護霊霊言 カット版(書籍から抜粋)★★

大川沙也加:幸福実現党の目指す、信仰心をもとにした国づくりをなすために努力していくべきことがあったら教えてください。

釈守護霊:幸福実現党や幸福の科学の女性の信仰心というのはいかにして大川総裁が自分にぞっこんになるか、惹きつけるかって
     ことだ。それが信仰心だな。(大川に)ああいい女だなと思わせたら、信仰心は満点だ。ほかには何もない。

釈守護霊:わしを党首にしたいっていう以上、(大川が)惚れこんだにちがいないわ。
     もう、いくらでもスキャンダルを流してくれ。もう噂を流してくれないと評判にならんわ。

酒井太守:まあ、そうですね。ただこれは本になりますからね。

釈守護霊:ああいいよ、何の問題もない。

酒井太守:本になっても大丈夫ですか?

釈守護霊:目からウロコをとってやる!おまえらの目にはみんなウロコがかかっとるんだ!

酒井太守:もういま目が点になりつつあります。
123名無しさん┃】【┃Dolby:2013/09/28(土) 19:59:16.51 ID:TAS3gci8O
死後は地獄に落ちて反省しなければならないアンチの方々のただ一つの救いは、HSを叩くためとはいえ、HSの書籍を何冊も読んでいることです。
地獄に落ちて自らの過ちに後悔するわけですが、その時に真理の知識が、他の地獄霊よりも反省が進むのに役立つはずです。
そして、来世は今世のカルマの刈り取りのために地の果てまでもHSの教えを伝えて下さい。
124名無しさん┃】【┃Dolby:2013/09/28(土) 20:07:35.23 ID:TAS3gci8O
四祖道信大師 (しそ・どうしん。五八〇〜六五一) 「景徳伝灯録巻三、第三十一祖道信大師」
 湖北省広済県の生まれで、俗姓は司馬氏、生まれながらに人に優れていた。
十三歳にして三祖僧さん(さんそ・そうさん)禅師に師事し、その法を嗣ぎ四祖となる。
常に禅定を修して横にならず、脇(わき)、席に至らざること六十年といわれる。

 隋の時代、吉州(きっしゅう。江西省中部)に住していた時、盗賊の群れに町が包囲され、七十日たっても囲みが解けなかった。
人々が恐れおののくのを見て四祖は哀れに思い、摩訶般若を念ずることを教えた。
 するとそれ以後、盗賊たちが町の城壁を見上げると、町を守っている神兵の姿が見えた。
「これは城内に異人がいるに違いない。攻めるのは危険だ」 そう言って盗賊たちは引き上げていった。

 四祖大師は唐の時代の西暦六二四年から双峰山(そうほうざん)に住し、この山には五百人の修行者が集まった。
中国で多数の修行者が一人の師の元に集まるのは四祖に始まるという。

 四祖が黄梅(おうばい)県へ行った時、道で骨相が秀でており並みではない一人の子供に出会った。
四祖問う。「汝は何という姓かな」
答える。「性はすなわち有るも、これ常の性にあらず」
問う。「これ何の姓ぞ」
答える。「これ仏性なり」
問う。「汝に姓はないのか」
答える。 「姓は空なるが故に」

 四祖はその子供に弘忍(ぐにん)の名を授け、後に達磨大師から伝わった衣法(えほう)を伝授した。五祖弘忍大師である。

 六四三年、唐の太宗(たいそう)皇帝が四祖の道風を聞き、ぜひとも逢いたいと都の寺に招いたが、四祖は病気を理由に三度固辞した。
皇帝は四度目の使いに命じて言った。 「今度断ったら首を取ってこい」
勅使が双峰山で皇帝の旨を伝えると、四祖は顔色ひとつ変えず悠然と首をつき出した。
驚いた勅使は書状で報告し皇帝は更に敬慕し、贈り物をした。

 西暦六五一年九月四日、四祖はにわかに門人を集めて言った。 「一切の諸法ことごとく解脱す。汝ら各自に護念して未来を感化せよ」
言いおわると安坐したまま逝去した。 寿は七十二、代宗帝により大医(だいい)禅師、慈雲之塔と諡(おくりな)された。