なぜSED、有機EL、プラズマは液晶に負けたのか?

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457名無しさん┃】【┃Dolby
有機ELは、2000年頃に、今は亡き三洋電機ががんばってた頃から、早10年。
NECはサムに工場をうっぱらい、
ソニーは、クリエから載せ始めた。
最初は液晶側が戦々恐々。
有機ELが、「バックライトがないぶん薄型だ」と主張すると、
直ぐさま、ガラスをエッチングして薄型を出す。
そんな感じだった。
そうこうしているうちに、景気の低迷で脱落者が出始める。
液晶は、昔の電卓戦争のときのカシオ・シャープのように、気づいたら周りがいなくなりはじめていた。

ところが、今度はサムが海の向こうでNECから受け継いだ技術を大切に暖めていた。

表面的に見ると、次のような感じだ。
電卓の頃、昭和の時代は、ライバルは国内だけだった。
液晶の頃、平成への展開期は、韓国はマネするだけの力を付け始めていた。
そして有機ELの場合。韓国にとって、日本はマネをする相手ではなくなった。
実際には、日本の材料メーカーも、売り先を求めて、最初から海外に乗り込んでいっている。
買ってくれるなら、日本のメーカーである必要なんか無い。
韓国のサムが、得意様って会社も多いだろう。
韓国からすると、日本の電機メーカーのやっていることは、結局は材料メーカーの技術をうまく活かしてものを作ることだってことに、液晶の頃に気づいている。
有機ELでは、日本の先例が乏しいだけで、結局日本の材料メーカーに頼らざるを得ない。

有機ELでは、当面は日本の材料メーカーの技術が生きるだろう。
でも、韓国も、着々と化学工業の自力を蓄えつつある。
その典型が、リチウムイオンバッテリーだ。
そのうち、韓国の化学メーカーから基幹の材料を仕入れることもあるかも知れない。