他力というと、阿弥陀仏の本願のはからいとだけ理解する人がいますが、大乗仏教全体では他力を仏のはたらき、言葉を変えると大自然の働きと理解したほうが間違いが無いでしょう。
例えば、北国では冬が過ぎれば日の光が少しずつ強まるとともに春の温かい南の風が吹き雪を溶かします。
それと呼応するかのように木々も芽吹き花が咲き生き物たちも活発に活動し始めます。
これは自分でこうしよう、ああしようと考えて変わっているのではなく、環境の変化気候の変化に応じて自然に自然に自分を変化させ生かさせその環境にうまく適応させている不思議な働きがあるとも考えられます。
それを人によっては仏の働きといい、他力といい、自然法爾といい、仏性の現われといい、他多くの言葉で表されます。
このときの自己のはからいが無いことを無心というのでしょう。
俺は他力など必要ない自分の力で何でも解決できるのだと思うのは自由ですがそれですべてうまくいくとはいえません。
たしかに知識を使えばなんでも解決できそうですが案外一時的だったり自己中心的なものだったりして多くの人に迷惑を掛けたりするものです。
私たちが今生きている生かされているのは大自然や環境、他の人やものとの微妙な関係の中でうまく成り立っているということを知ることが大切です。