【Honda】New Civic TypeR Lap5【FD2】

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175名無しさん@そうだドライブへ行こう
何か誤解があるようだが、おばさんカーというのは決して悪口で言っているのではない。
特売を目当てにスーパーへ毎日おばさんが乗り回す車。それがおばさんカーだ。
車にこだわりなんて無い。ただ移動できればいい。余計なものもいらない。
10円20円節約するために毎日特売を目指しているに車が豪華で割高では意味が無い。
そんなおばさんの為の安物のドンガラ車、それが昔のホンダシビックだった。
しかし、逆に言えば余計なものがないということはそれだけ軽量ということだった。
そうした軽量な車体にスポーティーなエンジンを載せれば、自然と安く速い車が作れる。
手抜きのための粗悪なFFという方式も、軽量という面ではアドバンテージがある。
FRは高価で複雑で重い。走りは良いが安さ命のおばさんカーには無用の構造だ。
なにしろ、おばさんは走りなんて気にしない。
安く速い車が欲しい人も、走りの良さまでは要求しない。その金が無かったのだ。

しかし時代は変わった。おばさんもそこまで安さを求めなくなった。
逆にスーパーの買い物袋の置きやすさ、ポケットの数、乗り降りしやすさ、
見晴らしのよさ、頭の上の空間の広さ、といった快適性を求め始めた。
おばさんカーであることが、簡素な軽さを意味せず、逆に無駄なもので重くなっていることを意味するようになってしまった。
そして、衝突安全性能や快適な走りのしっかり感の為に車はどんどん重くなっていった。
いまや軽自動車までワゴンタイプが普通になり、シビックもミニバン並みの居住空間の広さと収容力を求められるようになった。

こうして今やおばさんカーは軽さではなく、無駄なものがてんこ盛りで無駄なスペース、荷物置き場が
たっぷりあることを意味するようになった。
その結果が今回のシビックだろう。1270kgとかつての軽量さは見る影も無い。豪華で快適で重いベースとなった。
ここに至って、今はシビックをベースにする理由は何も無くなっている。
しかし頭の切り替えのできない単細胞なホンダファンは、なおもシビックをベースとした車を軽いと信じ、シビックRの存続を要求する。
軽いのはお前の頭だ、と言ってやりたい気分である。