http://www.sinsyakai.or.jp/nsptop1/dokugendokugo.html#060314 2006年2月28日 週刊新社会より
『週刊金曜日』で連載している「トヨタの正体」の資料として、何年ぶりかで青木慧著『福沢幸雄
事件』(汐文社)を読んだ。1969(昭和44)年2月12日、レーサーの福沢幸雄がトヨタのテストコー
スを走っていて事故死した事件を追ったこの本は、事故から10年後の1979年に出され、絶版とな
っている。
25歳で亡くなった幸雄の父、福沢進太郎は福沢諭吉の孫で、偶然にも、私の大学時代の担任
だった。幸雄の母はギリシア人のオペラ歌手だが、10年後にも怒りは消えず、著者の青木にこう
言ったという。幸雄さん死にました。トヨタ、事故のクルマ隠しました。なぜ証拠を隠したのですか。
日本は法律もない野蛮な国ですかっ。そして、また裁判がああでもないこうでもない。もう10年か
かりました。この裁判でトヨタつかまりますか。トヨタは牢屋へ入れられますか。なにっ、はいらない?
冗談じゃない。幸雄さん死にました。トヨタどんどん大きな会社になります。なぜです。私たちお金
なんか一つもいらないっ。トヨタ、必ずつかまえてやります。必ず」
それから30年近い月日が流れ、トヨタはつかまるどころか、ますます大きくなり、日本一の会社
となった。会長の奥田碩は”財界総理”といわれる日本経団連の会長である。
「札束と真実との交換」をあくまでも拒絶した進太郎は、当時、こう憤激している。
「幸雄は、死ぬ前に2000GTで危ない目にあったことも私たちにさえ隠していた。トヨタの”企業秘
密”は親にも話さなかった。(中略)トヨタも、そんな幸雄を一番高く買っていた。ところが亡くなった
とたんに、彼が不品行だったとか態度が悪かったなどとでたらめをいって、なんとか幸雄のミスのせ
いにしようとする。彼らが利益になるから幸雄を大事にし最大限に利用してきたのに、死んだとたん
に手の平をかえして死者に鞭打つようなうそまでつく。自分の責任を全部、幸雄になすりつけちゃう」