IDに車メを出したら神デナイノ!!復活その5

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256スペルマン病院の由来
昭和27年頃、カトリック北仙台教会の主任司祭であったピエール・ビソネット神父は、
結核に悩む貧しい人たちのために無料で治療する病院を建てようと、
当時仙台に駐留していた米軍およびその家族から寄附を集め、
また来日中のスペルマン枢機卿(ローマ教皇の選挙、補佐にあずかる職)の援助を得て資金を作り、
昭和30年当院が開設されました。
「光ケ丘」とは、聖書の中の「闇の中を歩む民は大いなる光を見る」 という由来によるもので、
苦しみを通して喜びを見い出すの意味がこめられています。