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名無しさん@そうだドライブへ行こう:
「水島の朝鮮部落」
それは倉敷駅と水島コンビナートの中ほどに位置している。
緑町・春日町の一帯に住む200世帯前後の部落をさす。
日本の敗戦もおしせまった1944年、三菱重工水島航空機製作所のあった倉敷市水島には、2000人にのぼる朝鮮人が連行されて、地下工場を造るために防空壕作りを強制されていた。
今は朝鮮部落になっている緑町・春日町には、同時に、工場労働者のための社宅が建設されていた。敗戦とともに地下工場建設も中断され、出来上がっていた社宅は行き場のない朝鮮人が占領する。
やがてただちに帰国することを取りやめた人たちが、舞鶴や下関から空いた"住宅"があるのを知って、親戚、知人を頼って集まってきたのだ。
最盛期には2500人以上の朝鮮人が共同の生活の場を作った。共同の密造酒工場があり、自留地というべき菜園を市から獲得した。
さらに、全ての朝鮮人を生活保護世帯として認定させ、一括してお金、物品を市から受けて、朝鮮人は更に自主的に再配分した。