【新型】  HONDA LEGEND Part8 【汁フィ?】

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798名無しさん@そうだドライブへ行こう
>>10 に書いてあるし、レジェンド本を見れば芝端康二という
名前をみつけることが出来るだろう。
SH−AWD開発の主要エンジニアである芝端康二氏は1986年まで
日産のエンジニアだった人。
日産時代にはFRリアサスでセミトレ、初期型マルチリンクサスを作った人。
HICASも芝端氏が桜井真一郎氏の下、開発したといわれている。
芝端氏がホンダに‘移籍’したのは1986年。
日産が1987年にMID4-Uが参考出品された前の年。
つまり、日産がポルシェ959(1983年発表)の解析を完了。
2年後のスカイラインGT-R発売前、市販レベルに落とし込んだあたりで
ホンダに移ったと思われる。
ホンダに移ってからは当時FRがなかったホンダで4WDを研究。
この時点で駆動力左右配分を製作。
SH4(スーパーハンドリング4、芝端4か?)と呼ばれたシステムである。
当時、ジャーナリストに公開されたときはインテグラにリショルムコンプレッサーを
搭載したモデルで、インテグラのスペシャルモデルで市販されるのではないか
と噂されたこともあった。
799名無しさん@そうだドライブへ行こう:04/11/08 10:08:54 ID:UjN818qD
一般的には91年の東京モーターショーで「ホンダ・ダイレクトヨーモーメント
コントロール4WD」として技術発表されている。
が当時不振のホンダのお家の事情でお蔵入りとなる。
芝端氏はその後、ホンダでサスペンションの開発(ダブルジョイント式Wウィッシュボーンサス)
を開発しながら、FFでの左右駆動力配分の開発を進め、
1997年発売、5代目プレリュードにATTSとして日の目を見ることになった。
ところがモデル自体の不人気でこの技術も早々に消えることに。
 参照文献*別冊モーターファン199弾!新型プレリュードのすべて
800名無しさん@そうだドライブへ行こう:04/11/08 10:10:05 ID:UjN818qD
この後はレジェンド本をみれば判る通り。
技術研究所で一人でAWDを研究し続けた芝端氏の理論が、V8FRを
断念したレジェンドに採用が決まる。

技術的なルーツをたどれば、80年代半ばから続いた研究が一人の技術者の
メーカーの移籍によって、アテーサET-S PROとSH-AWDに枝分かれして
現れた、と言っても過言ではあるまい。
ただ、技術的特許や他社での技術研究を持ち出すという倫理的な問題もあり
考え方は似ていても、機構、技術的にはアテーサE-TS PROとSH-AWDは
まったく違うものである。