(
>>739の続き)
さて、物理学では自然現象を説明する際に、その現象において重要な寄与をしない量は
省き、重要な量だけを残して、それらの量の間に成り立つ数量的関係(=理論的モデル)を探索する。
観測事実の特徴をよく表すモデルが見つかり、それが少ない個数の前提条件から構築できる時、
その観測事実は「解明された」と言われ、そのモデルは「法則」と呼ばれ、その前提条件は「原理」と呼ばれる。
たとえば、月の運動を説明する場合、月の形が真球からどれだけ歪んでいるかはほとんど影響が無く、
月と地球をそれぞれ相応の質量を持った質点と見做して十分である。(←モデル)
観測される軌道を説明する数量的関係は、相対距離の二乗に反比例する引力であり、
これが万有引力の法則である。(万有引力の法則は、一般相対論からニュートン近似
(物体の速度が光速に比べて十分遅いという近似)で導かれるので、基礎原理は
「一般相対性原理」と「等価原理」である。)
>>748のような価値観に従うと、知能というものは、何らかのインプットを与えた時に
何らかの規則にしたがってアウトプットを行なう、という作用が本質的なので、
まさに関数 y=f(x) でモデル化することができる。
(現実の知能は f(x)の中身が解析関数で書けるケースはまず無いので、
物理的モデルを実現するには、ニューラルネットワークやパーセプトロンのような形で
構成するのが現実的である。)
実際問題、「知能」の最大の特色(というかほとんど定義)は、「対象から情報を得ること」
すなわち「観測すること」であり、その「観測」という行為は、現代物理学では「相互作用演算子」
として表現される。(式で書けば A|ψ>=a|ψ> で、Aが観測行為、|ψ>が観測対象の
状態を表す関数、aが観測値。Aは|ψ>に作用し、aという結果を得ることによって対象の情報を取得する。)
ただし今ここで言いたいことは、もっと大雑把な話なので、行列演算子Aを使わなくても単なる関数 f で
十分である。
関数 y=f(x) を観測行為すなわち知能のモデルとして見た場合、入力である x が
外部からの入力であるならば、特に不思議なことは起こらない。
たとえば
>>739で登場した y=f(x) = 1/(1+x) という関数の場合、xにどんな整数
(x=−1は除く。)を代入しても、出力である y は有理数である。
しかし、入力として自分(つまり f )自身の出力結果をインプットさせると、
y=f(y) の形の方程式となり、
>>737で述べたとおり、予想外の結果が現れる。
これはまさに、自分の出力を自分に入力させる、という、「自己参照」または
「自己言及」を行なったために発生した事態である。
一度でいいから、RON氏の講義を聴きに行きたいとは思っていたけれど、
実際に、湯川記念講演会とかそのような場所で、こういう講義を聴いたら、私、多分寝てまうな。
「自己参照」あるいは「自己言及」は、このように逐次演算とはまったく異なる結果が出る場合が
あるので、通常の計算プログラムでは取り扱えない。(マイクロソフト・エクセルなどでも故意に
自己参照をやろうとするとエラーが出る。)
「自己参照」が可能なアルゴリズムも開発されつつあるが、人間の知能は生来「自己参照」が
可能なアルゴリズムを備えている。その証拠に、たとえば関数 f(x)を「 "x"とは何か?」を考える
という関数であるとすると、自己参照型の方程式 x=f(x) は「“自分”とは何か?」を考える、という
意味を持っており、x は「自意識」あるいは「自我」に対応する。
この方程式には以下のような特徴があり、それぞれ下記のような意味に対応する。
x=f(x) は 「自分とは何か?」と考えている自分
x=f(f(x)) は 「「自分とは何か?」と考えている自分とは何か?」と考えている自分
x=f(f(f(x))) は 「「「自分とは何か?」と考えている自分とは何か?」と考えている自分とは何か?」と考えている自分
x=f(f(f(・・・f(x)・・・))) は (以下同様)
これが「自我」の本質である。
・・・というわけで、長くなりましたが、
結論: 「『自我』とは、自己参照可能な観測者のことである」
>>754から言えること:
(1) 人間の「意識」あるいは「心」と、ノイマン型コンピュータとの決定的な違いは
自己参照が可能であるかどうかの違い。
(2) 人間以外の地球上の生物も、おそらく自我に目覚めていない。
(3) 自分に疑問を持つことは恐ろしいことでもなんでもなく、むしろ
自分に疑問を持てることこそが、「自我」を持っていることの証である。
(4) そして、自分の価値や存在意義は、結局 方程式 x=f(x) の解であって、
他人が決めることではない。
もちろん、
>>754の結論は、とっくの昔にデカルトがもっと素朴な形で指摘しています。