1958年、西ドイツの脳学者ルドルフ・ソレイリーは7件の「間接的殺人」の罪で逮捕された。
ソレイリーは音楽が人間の脳や心理に与える影響を長年研究し、その集大成として、聴いた人間が
「『自分が最もやってはいけないと考えること』をやらずにはいられなくなる」音楽を作曲し、
4人の友人に聴かせたのだ。その結果、一人は妻子を撃ち殺し、一人は妹を強姦した上殺害、
そして全員が自殺してしまったという。当時ノーベル賞に最も近い人物とされ、温厚で聡明な
学者であったというソレイリーが何故そんなことをしたのかと疑問の声は数多く上がったが、
彼自身もその曲を聴いていたのだから仕方ないことだろう。
信じようと、信じまいと─
1922年、メキシコの石器時代の遺跡から銃弾と銃殺された石器人の骨が出土した。
翌年、発見者のカーナボン氏は趣味のボウガンの暴発で死亡。
矢のあたった場所は発見した骨と同じこめかみであった。
現在、石器人の死因は鈍器によるものであるとされている。
信じようと、信じまいと─
アメリカ、ノースカロライナ地方で1960年とある女性が、
自分は宇宙人にさらわれたと言った。
別に体に異常はなかったのだが、不思議な事にその女性がその後妊娠すると、
破水はしたのだが結局何も生まれてこなかったという。
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
東京都渋谷区、井の頭通り付近に決して開かないマンホールがある。
その厳重さはマンホールの内部に鉛を注入してある程である。
そして、そのマンホールの内側から何か物音を聞いた者もいるそうだ。
その地下には、下水もガス管も地下鉄も存在していない。一体何に蓋をしているのだろうか?
信じようと、信じまいと―
戦後まもなくの話だ。中国、燕赫村の森林地帯で未確認生物の足跡が発見された。
中国政府の調査隊が調査を行ったが、厳重な監視にもかかわらず、足跡は増えるばかりであった。
1960年代に入って再び本格的に、今回は監視カメラを用いての調査が行われた。
録画テープには驚くべきものが映されていた。上に何もない地面に、ただ足跡だけが歩いていたのだ。
信じようと、信じまいと―
ベルギーの北部に「神隠しの森」と呼ばれている場所がある。そこへ行くと必ず誰かが消てしまうと、
現地の人は怖がって近づこうとしない。日本人の大学生グループが遊びでそこに寄った時の事だ。
森に入り、出てくるとその5人は一応お互いに確認し、誰も消えていないと安心していたが、
帰国の際、宿で荷物をまとめると見知らぬ日本製のバッグが残ってしまった。一体誰の物だったのか?
信じようと、信じまいと―
フランスの南、カンブレの村にはきれいな水の出る井戸があった。
水量も豊富で、村の人間はそれを長年大変重宝にしていたのだが、
1862年、その水が急に出なくなったので、村人が井戸の底へと下って行くと、
水脈はおろか水脈があった形跡すらなく、ただ石の床があるのみ。彼らは何を汲んでいたのだろうか?
信じようと、信じまいと―
考古学者のプロレは1958年インドで廃墟となった遺跡の発掘中に直径約一メートルの石球を発見した。
しかし、彼が仲間を呼ぶために目を離した隙に消失。地面には複雑な模様が残されていた。
三日後に同じくインド、ニザマバードの広場に同様の物と思われる球体が早朝に突如出現。
市がトラックで輸送を計画したが、今度はトラックごと消失。同じく模様が道路に残された。
信じようと、信じまいと―
ソ連の宇宙船、ソユーズ1号は打ち上げには成功したが、着陸に失敗。
乗員であるウラジミール・コマロフ大佐は帰らぬ人となった。
不思議なのはそれからである。ソ連政府は、宇宙船の回収班のメンバーに何故か生物学者を加えた。
さらに、墜落した森林地帯でそれ以降3ヶ月間に渡り赤い怪光が何度も目撃されたという。
信じようと、信じまいと―
6月のある日イギリスの議員バリー・チャーチの懐中時計が、8時20分で急に止まってしまった。
時間がわからなくなったため、彼はとにかく急いで議会へと向かった。議会へと到着した彼が、
議会の時計に目をやると、ちょうど針は8時20分を指していた。そして、その瞬間に彼の懐中時計が
また再び動き出したという。「急ぎ過ぎたチャーチ」、以来これが彼のあだ名となった。
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
エレベータから出てきた五年前の男の話には、こんな続きがある。その話を聞いた別の男が、
友人と共にそのビルへ行った。ビルが、再び建て増しすると聞いたからだ。そして、
4階のボタンを発見。男と友人はそれを押してみた。しかし、彼らはドアが閉まる前に恐ろしい事を
聞く。建て増し計画が無くなったというのだ。友人は慌てて降りたが、男は二度と戻ってこなかった。
信じようと、信じまいと―
トルコの名家、ヨルゲン家で1854年に起きた事件。
当時のクリミア戦争の戦火を逃れるため、ヨルゲン一家は中央ヨーロッパへの移住を計画。
逃亡のための荷物をまとめているさなか、当時6歳だった嫡男のロイが倉庫にあった箱の中から、
一枚の肖像画を発見。そこにはロイによく似た男児が描かれており、その題名は「1854年」であった。
信じようと、信じまいと―
エリコというイタリアの数学者が、0と1が等しいという証明をしたという。
彼は、友人の前で紙にさらさらと証明を書いて、それ自慢げに説明をした。
説明が終わり、友人がさっぱりわからず紙から目をあげると、エリコの姿は消えていた。
再び紙に目をおろすと、今しがた書いた式も消えていた。
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
スペインの漁師町で1970年頃、真っ赤なレインコートを着込んだ女が嵐の日に決まって現れたと言う。
その行動の突飛さから、町では彼女のことを知らない者は居なかったのだが、
その顔を見た者は誰一人として居なかった。ある嵐の日、漁師の一人がその女を見つけ、
危ないのでと注意しようと引き止めると、なんと中に体は無く、コートだけが地面に崩れたという。
信じようと、信じまいと―
日本人カメラマンが、ロシアのノヴォクズネツクにあるホテルに泊まったときの話だ。
彼は、窓から見える美しい湖を撮影するため、そこに泊まっていたのだが、
なんと2月だとというのに、湖で泳ぐ青年をレンズ越しに発見。良い被写体と思い、
彼はホテルから出てそこへ向かったのだが、そこに人の気配は無く、湖には分厚い氷が張っていた。
信じようと、信じまいと―
ギリシアの西部に住民から底なし池と呼ばれている池があった。国の調査員が国土の把握のため、
ボートからワイヤーを垂らして計測したのだが、100m垂らしても、一向に底に着かない。
その時ワイヤーが強い力で下に引っ張られ、ボートが破損。国は危険と判断し、池の埋め立てを決定。
トラックで土を流し込んだのだが、何故かすぐに埋まり、今地面を掘っても土があるばかりだという。
信じようと、信じまいと―
スコットランドの生物学者の学説。動物の細胞には遺伝子が存在する。それが細胞分裂する際に、
その両端のテロメアという部分が短くなり、やがてなくなると分裂は止まる。これが、老いである。
しかし、リング状の遺伝子であればそれが短くなる事は無く、生殖は出来ないが理論上不死である。
彼によれば、確率からそんな人間が今までに5人は生まれているという。彼らは、今どこに居るのか?
信じようと、信じまいと―
ついでに770ゲット。
信じようと、信じまいと―
6月のある日イギリスの議員バリー・チャーチの懐中時計が、8時20分で急に止まってしまった。
時間がわからなくなったため、彼はとにかく急いで議会へと向かった。議会へと到着した彼が、
議会の時計に目をやると、ちょうど針は8時20分を指していた。そして、その瞬間に彼の懐中時計が
また再び動き出したという。「急ぎ過ぎたチャーチ」、以来これが彼のあだ名となった。
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
フランスの貴族、オリオルのもとに9通のバースデーカードが送られた。
しかし、そのうち5通は配送中の事故により紛失。3通は宛先の間違いによって届かず、
最後の一通は、出したはずであるのにいつのまにか戻ってきていたという。
オリオルは誕生日の前日に死亡。その日を迎える事は無かった。
信じようと、信じまいと―
フランスのリオン郊外の公園には、1908年頃まで不思議な形をしたオブジェがあった。
いつ、誰が作ったのか、付近の住民は一人も知らなかったが、彼らにはとても親しまれていた。
それを見た旅行中のイギリス人物理学者が、不可解に思いそのオブジェの力学計算を行ったところ、
それが立っているのは物理学上ありえないと言う結論に至った。奇しくもその日、像は倒れた。
信じようと、信じまいと―
アメリカ、シカゴの病院に変死した男性が運び込まれ、解剖を行う事になった。
しかし、解剖中に停電、手術室は暗闇に包まれた。そして、予備電源が作動し照明が戻ると、
男の遺体は忽然と姿を消していたと言う。次の日、男の遺体は焼却場で発見された。
変死の原因は、室内での凍死であった。
信じようと、信じまいと―
ロサンゼルスである男が、露店で「不思議なCD」と言うものを売っていたので、それを買ったという。
しかし、家に帰ってプレイヤーにそれを入れたところ、雑音ばかり流れ、一向に何も起こらない。
騙されたと思い、男はCDを取り出そうとしたが、その時不思議な事が起きた。
なんと、プレイヤーから出て来たトレイの上に、あるはずのCDが無かったのだ。
信じようと、信じまいと―
スイス、ローザンヌに近いとある村には、閉鎖されたトンネルがある。
そのトンネルには、以前、鉄道が通っていたのだが、列車全体が入ってから出て来るのに、
10分以上かかったという。あるとき、安全点検のために国が調査を行ったところ、トンネルの長さは、
明らかに列車の長さより短かった。10分間、列車はどこを走っていたのか?
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
1999年の全国食肉調査会の調べによると、輸入した全食肉と国内で生産した食肉の合計が、
実際に国内で販売された食肉の量よりずっと少なかったという。また、全国的な保健調査の結果、
食後の体重の増加が、食べた食品の重量より少なかった例が、暫し報告された。
我々は、一体何を食べているのだろうか。
信じようと、信じまいと―
チリに死者を生き返らせる事が出来る男が居たという。
彼の術により生き返った人間は数知れずといわれ、その土地では神の使いとして崇められていた。
アメリカのレポーターが取材に来たところ、彼は死んだ亀などを生き返らせ、彼らを驚かせた。
しかし、さらに驚くべき事が判明した。政府の公式記録によると、彼は1年前に死んでいたのだ。
信じようと、信じまいと―
1983年8月頃、カナダのグレートベア湖に、南から見慣れぬ渡り鳥が渡って来た。
付近に住む野鳥学者は、研究のため一に部の鳥たちの足にプレートをつけて、また湖に還した。
鳥たちは冬になると南のほうへと姿を消し、翌年も戻ってくる事は無かった。だがその5年後に、
そこからその鳥によく似た化石が発見されると、その足には何かをくくりつけた跡があったという。
信じようと、信じまいと―
イタリアに住む神父、アルマーニは日々聖書を書き写す事を日課にしていた。
ある時、彼の知人の男が彼のノートを見ると、彼のノートに写された文の一部にはありもしない文章が
書かれていた。男が神父にその事を告げると、彼はそんなものは書いた覚えが無いと言う。
しかし、その後聖書原典の修復作業が進むと、そこには神父の書いた箇所とほぼ同様の文があった。
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
ドイツのアイゼナハ地方に生きている館があったという。
入るたびに部屋の位置や廊下の形が変わるのだそうだ。
1972年、大学の調査隊が訪れた際、学生の一人が誤って壁を傷つけてしまった。
すると、大きなさけび声に似た音が館に響き、それ以降不思議な現象はおきなくなったという。
信じようと、信じまいと―
ヨハネ・パウロ一世。フリーメイソンと癒着し、腐敗したバチカンを改革するべく法王となったが、在位わずか33日間で死去。
朝ベットで横になったまま死んでいるのを発見されることになった。
以前の健康状態に全く問題はなく、前日も健康そのものの状態。
しかしバチカンはなぜか解剖を行わず、血液を一滴でもとることを許さなかった。
そして、なぜかその死が発覚する30分前に葬儀屋が呼ばれていたという。
信じようと信じまいとー
信じようと、信じまいと―
戦後まもなくの話。中国、燕赫村の森林地帯で未確認生物の足跡が発見された。
中国政府の調査隊が調査を行ったが、厳重な監視にもかかわらず、足跡は増えるばかりであった。
1960年代に入って再び本格的に、今回は監視カメラを用いての調査が行われた。
録画テープには驚くべきものが映されていた。上に何もない地面に、ただ足跡だけが歩いていたのだ。
信じようと、信じまいと―
都内某所の女子高に閉ざされた螺旋階段がある。
窓のひとつもないそこを降りていくと、やはり窓のひとつもない小部屋がひとつ。
その床の真ん中に、なぜか電話が置かれている。
電話線はもちろん通じていないが、時々閉鎖された扉の前を通るとコール音が聞こえるという。
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
17世紀、欧州でヨハネス・アラルダスという男がユダヤ人の恋人とともに処刑された。
罪状は獣姦。当時、獣姦は死罪になるほどの罪だった。
獣姦なんかしていないというヨハネスに裁判官は言った。
「なぜなら、ユダヤ人との性交は人間が犬と交わるのと全く同じだからである」
信じようと、信じまいと―
信じようと、信じまいと―
北海道1966年2月4日、千歳空港に向けて乗用車で走行中の家族があった。その日の不思議な出来事。
空港まではほぼ一本道であるはずなのに、ずっと進むといつのまにか逆方向を走っているのだ。
何度向きを変えても、元の場所へと戻されてしまい、結局予約した飛行機を乗り逃してしまった。
しかし乗り損なったそれは、その日に東京湾へ墜落した羽田沖全日空遭難事故の機体であったという。
信じようと、信じまいと―
ソ連の宇宙船、ソユーズ1号は打ち上げには成功したが、着陸に失敗。
乗員であるウラジミール・コマロフ大佐は帰らぬ人となった。
不思議なのはそれからである。ソ連政府は、宇宙船の回収班のメンバーに何故か生物学者を加えた。
さらに、墜落した森林地帯でそれ以降3ヶ月間に渡り赤い怪光が何度も目撃されたという。
信じようと、信じまいと―
1995年に韓国通信技術研究所の調査は、驚くべき結果を示した。
全世界において、総アクセス数がPCユーザーの総数の約120倍になる時間が存在したと言うのだ。
当時のPCのスペックからすると、一台でそんな多くのサイトにアクセスできるはずも無いという。
一体、誰が紛れ込んだのだろうか?
信じようと、信じまいと―
トルコの名家、ヨルゲン家で1854年に起きた事件。
当時のクリミア戦争の戦火を逃れるため、ヨルゲン一家は中央ヨーロッパへの移住を計画。
逃亡のための荷物をまとめているさなか、当時6歳だった嫡男のロイが倉庫にあった箱の中から、
一枚の肖像画を発見。そこにはロイによく似た男児が描かれており、その題名は「1854年」であった。
信じようと、信じまいと―
18世紀、現在のオーストリアにあたる地方でカミーユという女が子供を孕んだが、相手の男が失踪。
女は男が戻るまでけして産まないと決心したという。その後の数十年、男が戻ることはなく、
また彼女は何も産むことなく腹は際限なく膨らんでいった。結局、男は現れず、
そのままカミーユは死んでしまった。そして、彼女の腹からは老人の死体が出てきたという。
信じようと信じまいとー
世界でもっとも歴史的に信憑性の高い亡霊の話がある。
第一次世界大戦中、イギリス歩兵団対ドイツ騎馬軍のアモンの戦いで起こった。
敗走する英軍と追撃する独軍の間に突如、白く輝く騎馬軍が現れた。独軍の馬までもが取り乱した。
その白い騎馬団は英軍を安全地まで護送したあと、ふっと消えた。
それは独軍の戦詳記録簿にも残されており、
英国では当時大センセーショナルを巻き起こした。
その白い騎馬軍は英軍の記録に、「天使の援軍」と称されて書き記されている。
信じようと、信じまいと―
1812年、イタリアのアロルドという男が自費出版で100冊ほど本を作った。
彼は、近くの書店に50冊ほど置いてもらい、残りは自分で保管していた。しかし、出版一週間後に、
彼の家が火事で焼け、本は焼失し、彼も死亡。さらに、書店にあった本には全て虫喰いが発生。
現在、完本は一冊も存在していない。その題名は、「奇跡の起し方」であった。
信じようと、信じまいと―
マルセイユのとある教会には、「悪魔を閉じ込めた箱」があったという。
箱を振ると確かに、カタカタと木の玉のようなものが中に入っているのがわかる。
1988年、アメリカのTV局のレポーターの女がそこに訪れ、牧師に無断で蓋を開けてしまった。
しかし、箱の中には何も見つからなかったという。
信じようと、信じまいと―
1994年、ルーマニアでオズロという男が右目に角膜移植をした。
翌年、彼は失踪。彼の家の鏡、ガラス、その他あらゆる反射物は割られ、粉々になっていたという。
彼の机から、日記が発見された。日記には移植の日を境に、ある言葉が大量に書かれていた。
「右目が俺を睨んでいる」