こうゆう時‥‥

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5805SM ◆FBCQ/jwzCk
> 物理で光の研究とかしてる人って限界こないのかな?
> だってさ、目で結果を認識するでしょ?
> でも、見えるってのは光の結果なんだから・・・・イマイチくまくいえない。
>
> 光を構成してるモノを観察しようと思っても、見るというその行為は
> 光がもたらす・・・・・(言葉の限界)

冷静に考えればわかることであるが、物理学(ということは結局 自然科学)における
「認識」とは、すべて「性質の列挙」によって行われる。

「性質の列挙」とは、これこれこういう条件を与えた時に、その対象がどうふるまったかを
書き並べると言うことである。たとえば、あるXという対象について、

A1ならばB1
A2ならばB2
A3ならばB3

という性質が判明し、この条件文の行数が、Xを他の存在と区別するのに十分な
数を越えた時、Xは他のものと区別可能であり、認識可能となる。
また、「Xとは何か?」と言う問いに対して、自然科学は上記の必要な数の
条件文を列挙することによって答える。

従って、自然科学において、ある対象を認識する際に必要なのは、必要な数だけの
条件を設定することであって、Xそのものを認識することではない。