万博拡大案に感謝感激末広まきこ

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14万博破綻への道程
万博の予定地周辺は、元愛知県知事(故人)とその眷族が土地を持っている。
故人の存命中から「○○○博」とかいう構想が浮かんでは消えしていた。
要は、イベントをでっち上げてインフラを整備し、自分たちの土地の価値を
税金で底上げしようという魂胆であった。
このことは、歴代愛知県知事にとって暗黙の引き継ぎ事項となっていた。
あの1988年オリンピック誘致合戦も、競技会場を長久手周辺に作ることが
計画され、オリンピックを隠れ蓑に我田引水を謀っていた。
しかし、札びらの切り方がシブチンだったためか、ソウルに負けてしまい、
オリンピック誘致を言い出した当時の知事は退任後自殺してしまった。
(この自殺にはいろいろなうわさが流れた。)

さて、バブル絶頂の頃、各地方自治体では市制100年記念地方博開催が
流行し、名古屋でも「デザイン博」が開催された。
一見、盛況のように見えたが、実情は入場者数を稼ぐために小中学校生徒を
社会見学として動員したり、地元企業などへの入場券割当押付け販売による
水増しであった。(金券ショップでは入場券引き取りは拒否された。)
しかし、デザイン博の決算は赤字であり、関連企業から博覧会協会へ「寄付」
された備品を名古屋市が買い取る形で赤字補填を行った。
この赤字補填については、オンブズマンによって行政訴訟が起こされ、一審で
当時の市長が敗訴し、現在2審で争われている。

このデザイン博の終了間際に前愛知県知事周辺から出てきたのが、
今回の愛知万博構想である。
デザイン博の見かけの盛況ぶりに2匹目のドジョウを狙ったのであろう。
お定まりの官製・企業ぐるみ市民運動も動員されて誘致活動が行われた。
オリンピック誘致の失敗に懲りて、今度はBIE加盟国を利権誘導(自動
車工場進出・天然ガスプラント建設とガスの買い付け等々)で一本釣りし、
見事に本命のカナダ・カルガリーを蹴落とした。