・・・・・。ザマミロ 水不足。

このエントリーをはてなブックマークに追加
361名無しさん@そうだ選挙に行こう

砂漠化というのは、単に、「今すぐ砂だけになる」事のみを指しているのではない。

例えば、除草剤を撒けば、その土地は「雨が降っても、草一本生えない毒性の土」になる為に、
「砂漠化した」と言える。

一見、狭い範囲であっても、毒はきわめて長期間にわたって残存し、その間、田畑として耕作することは不可能になる。
また海に流れ出し、生体濃縮を経て、人間の体に苦痛・病気としてはね返ってくる。
「面積」ならず「体積」に及ぶ「砂漠化」。
つまり、より、たちが悪いのである。
「砂漠化」が「毒」によって、相乗効果・加速度効果を増幅した「汚染地化」現象である。

世界でもっとも雨に恵まれた日本が「砂に埋もれる」とは考えにくいようだが、
「雨が多い」効果は、長い歴史によって培われてきた日本の土壌をあっさりと海に流してしまい、「海洋汚染」に曝してしまう。

さらに「起状豊かな地形がなくなる」ということは、「日本が平面化していく」訳であるから、
当然、日本国土の総面積は小さくなる。
例えば、東京から大阪まで見えるように為る訳である。

もしそうなれば、日本の「国力」が一瞬にして「ゼロ=0」に消費され易くなり、容易に戦争が発生するのである。
「(地形も含む)自然」ある故に、「日本」が世界に「一個の国」として認めてもらっているだけであって、
それが無くなれば、誰もそこを「日本」と認めない。「国」として存続できない。

「戦争」または、それに近い「温暖化」「気候変動」「地震」等の影響があれば、
単純に、平易に、日本は「地図上の形」を替える。

それを誘発しているのが、ゼネコン・農薬などである、といえるのだ。

大臣の自殺程度で封じられるのは、「談合問題」程度、つまり「金銭問題」であって、
「国土」に関する問題は、「今、提起された」状態である。
362名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:45:33

「山頂部」の価値は、「水資源」を保持するもの、である。

「銀行」の価値は、「金銭感覚」を保持するもの、である。

つまり、生命としては「山頂部」「水源」が「銀行」よりもより本質的に価値が高いものであると知る。

「山の管理」は「信用金庫」よりも「信用」を必要とするのである。
「山一個」は結局「銀行一個」よりも価値があるのだ。

故に、「個人」「経済人」の管理でなく「トラスト」運動等によるもの、つまり「信用」による共同管理を必要とする。

また現在は「企業の森」が増えているが、これらは徐々に
「ボランティア団体と国と自治体と地域住民と企業の森」に名前を替える。

現実。金で女は買えないように、「水資源」も金では買えない。
これが資本主義の限界である。
「国土」に資本主義は通用しないのだ。

「山頂部であっても、土地の所有者だからどうにでもなる」という意識は、
すでに「世界のどこか」にその土地の所有者・そういった思想の持ち主を殺そうとか、潰そうとか企んでいる者が居ることを意味する。
その意識は、戦争主義だからであり、すでに「加害者」だからである。

そうやって「不潔な発想」「下部構造」「低レベルな価値観」によって、ものを見ようとする為に、
いざ「国土を守る」という必要性に直面した時に、軍事主義つまり私刑に近づいてゆくのである。