>>588 戦前のこの頃の南極海捕鯨において日本船の場合、
肉(赤身)は殆ど全て海に捨てていた。
日本政府が日本国内の捕鯨業者を守るために
鯨肉の内地持ち帰りを厳しく制限していたからだ。
鯨油生産に有効な部位の優先順位は「皮脂>骨>>>肉」である。
つまり肉からでも鯨油は採れるが皮脂や骨に較べて
品質といった面で著しく劣るため(血が滲む)
海に捨てていたというわけだ。
1936/37期までは殆ど全て海に捨てていて
37/38期において少量の鯨肉内地持ち帰り認められ
39/40期からは鯨肉内地持ち帰りが解禁され
40/41期には軍隊への大量供給というのがあった、
とまあそういった歴史をたどるというわけだ。
戦前日本の南氷洋捕鯨生産量(単位t)
年次 ナガス油 マッコウ油 食料 その他 備考
1934〜35 2,006 27.0 0.7 試験操業
1935〜36 7,358 206.0 24.8
1936〜37 26,089 293.3 26.7 2船団
1937〜38 64,768 12 1,211.9 211.8 4船団
第二日新丸加工設備故障
1938〜39 74,649 5,980 2,830.8 1,681.9 6船団
1939〜40 83,940 6,227 8,381.9 2,608.9
1940〜41 97,690 6,448 13,536.0 2,450.7
参考文献:『捕鯨の歴史と資料』、多藤省徳
『捕鯨』、前田敬治郎・寺岡義郎