マラソン史上もっとも強いランナー【マラソン通史】

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1瀬古竹通兄弟
前スレに引き続きよろしくお願いします  
【前スレ】 http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/sports/1075254672/150
2ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/25 19:59
2
3ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/25 20:43
83年の東京国際の瀬古、87年の福岡国際の中山はインパクトがあった 
4ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/25 21:56
アベベ、ショーター 
5ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/25 23:39
福岡国際マラソン
東京国際マラソン
びわ湖毎日マラソン
別府大分毎日マラソン
長野マラソン
北海道マラソン
ボストンマラソン
ロンドンマラソン
ロッテルダムマラソン
パリマラソン
ベルリンマラソン
シカゴマラソン
ニューヨークシティマラソン
北京国際マラソン  
6ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/26 10:25
今後のレス予定
1,日本歴代十傑の変遷
2,日本最高の変遷
3,五輪代表の変遷
4,世界歴代十傑の変遷
5,世界最高の変遷
6,五輪、世界陸上などの変遷
7,国内、海外、全国、ローカル大会の歴代優勝者の変遷
8,TV中継や大会運営などについての変遷    
  
7ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/26 12:22
今後結論を出すべきテーマ
@日本史上最高のランナーは?
@世界史上最高のランナーは?
@日本の五輪代表で最も弱いランナーは?
@史上最高のレースは?
8マラソンスレ住人の掟:04/04/26 12:36
@瀬古い、喜多ない、などの言葉を使わない
@糞スレをショータースレと呼ばない
@見ざる、言わざる、聞かざる、サラザールなどと言って喜ばない
@イタズラ電話がかかってきても「絶対出んシモ」などとつぶやかない
@行きたくない誘いを受けても「絶対行かんガー」などとつぶやかない
@ポルトガルの首都をリスモンと言わない
@アベベなつみ、アベラ麻美などと言って喜ばない
@ロヂャースをロジャースと書かない
@ローマの街を裸足で歩いて喜ばない
@ボストンマラソンに参加して、「優勝経験者より上位だった」と自慢しない
@自殺するときは親の料理に感謝する
@カステラをキャステラと呼ばない
@「国際マラソン」の上に「うん」を付けない
@後半バテるアスリートを「早田」「渡辺」と呼ばない
@雨の日にはドレイトン、雪の日にはイボンジュ、暑い日はボルディン・谷口を思い出して奮闘する
@競争相手が自分より高学歴の時は、中山になったつもりで奮闘する
@歩きながらものを飲むときは転倒に気をつける。
@自分の前を黒人が歩いていても、後ろをピッタリマークしない
@エチオピア・ケニア・タンザニアの首都を覚える
@キプロノ、キプソス、キプロフ、キプコエチの区別をつける
@笑点の楽太郎は瀬古だと主張しない
@ファン・ヤンチョは丸山茂樹だと主張しない
@清水康次は城みちるだと主張しない
@壁紙をワイナイナにしない
9ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/26 22:16
山田敬蔵
10ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/26 22:46
金栗四三
でも戦前の日本歴代十傑とか世界歴代十傑とかどうなっているのか?  
11ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 00:36
第1回 (1966年)国際マラソン(現 福岡国際)成績

1、ライアン(ニュージーランド) 2.14.04.6
2、広島日出国(旭化成) 2.14.05.2
3、岡部宏和(西鉄)2.15.09.2
4、蓬原正嗣(旭化成)2.15.36.2
5、寺沢徹(クラレ) 2.15.36.2
6、トート(ハンガリー)2.16.36.2
7、杉原勇(リッカー)2.16.53
8、青木豊(協和発酵)2.17.06
9、上岡忠明(東洋工業)2.17.13
10、宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.17.16



2回(1967年) 国際マラソン(現 福岡国際)成績

1、クレイトン(オーストラリア)2.09.36.4(世界最高)
2、佐々木精一郎(九州電工)2.11.17.0(世界最高、日本最高)
3、マッケンジー(ニュージーランド)2.12.25.8
4、蓬原正嗣(旭化成) 2.14.40.0
5、アルダー(イギリス)2.14.44.8
6、采谷義秋(竹原高教員)2.14.49.6
7、広島日出国(旭化成)2.15.16.0
8、井藤一夫(旭化成)2.15.19.0
9、ライアン(ニュージーランド)2.15.41.0
10、松原一夫(カネボウ)2.15.42.0
12ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 00:46
3回 1968年 国際マラソン 成績

1、アドコックス(イギリス)2.10.47.8
2、采谷義秋(竹原高教員)2.12.40.6
3、上岡忠明(東洋工業)2.13.37.6
4、アケイ(トルコ)2.13.43.6
5、宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.13.51.8
6、バーフート(アメリカ)2.14.28.8
7、山下和夫(カネボウ)2.14.44
8、蓬原正嗣(旭化成)2.16.23
9、谷村隼美(クラレ)2.16.42
10、寺沢徹(クラレ)2.17.23


4回(1969年) 国際マラソン 成績

1、ドレイトン(カナダ)2.11.12.8
2、ヒル(イギリス)2.11.54.4
3、谷村隼美(クラレ)2.12.03.2
4、ガリド(メキシコ)2.12.52.8
5、佐々木敏晴(電電中国)2.13.06.4
6、吉田昭雄(黒崎窯業)2.13.21.0
7、山下和夫(カネボウ)2.14.44.0
13ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 00:54
5回 (1970年)国際マラソン 成績

1、宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.10.37.8 (日本最高)
2、ムーア(アメリカ)2.11.35.8
3、采谷義秋(竹原高教員)2.12.12.0
4、フォスター(ニュージーランド)2.12.17.8
5、ファーリントン(オーストラリア)2.12.58.4
6、アドコックス(イギリス)2.13.32.0
7、上岡忠明(東洋工業)2.13.46.0

6回 (1971年) 国際マラソン 成績

1、ショーター(アメリカ) 2.12.50.4
2、宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.13.22.8
3、フォスター(ニュージーランド)2.13.42.8
4、ニッカリ(フィンランド)2.16.21.4
5、マナーズ(ニュージーランド)2.16.23.4
6、ファーリントン(オーストラリア)2.17.41.0
7、マムコ(フィンランド)
14ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 01:02
7回 (1972年)福岡国際マラソン 成績

1、ショーター(アメリカ)2.10.30.0
2、ファーリントン(オーストラリア)2.12.00.4
3、大槻憲一(東洋工業)2.14.00.6
4、ニッカリ(フィンランド)2.14.02.8
5、君原健二(新日鉄八幡)2.15.52.2
6、マクレガー(イギリス)2.16.42.4

8回 (1973年) 福岡国際マラソン成績

1、ショーター(アメリカ)2.11.45.0
2、アームストロング(カナダ)2.13.43.4
3、レッセ(東ドイツ)2.13.53.8
4、アンダーソン(アメリカ)2.15.52.8
5、大槻憲一(東洋工業)2.16.17.8
6、酒見勝喜(カネボウ)2.18.16.0
7、宗猛(旭化成) 2.19.08
8、上岡忠明(神戸製鋼)2.19.14
9、高田信義(旭化成)2.19.27
10、世利重樹(九州電工)2.19.36
15ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 01:12
9回 (1974年)福岡国際マラソン 成績

1、ショーター(アメリカ)2.11.31.2
2、レッセ(東ドイツ)2.12.02.4
3、ペイペリンダ(フィンランド)2.13.09.0
4、マナーズ(ニュージーランド)2.13.11.2
5、スチュアート(イギリス)2.13.11.8
6、宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.14.10.6
7、上岡忠明(神戸製鋼)2.15.20
8、世利重樹(九州電工)2.16.00
9、トロッペル(東ドイツ)2.16.09
10、北上吉信(旭化成)2.16.23

10回 (1975年) 福岡国際マラソン 成績

1、ドレイトン(カナダ)2.10.08.4
2、チェトル(オーストラリア)2.10.20.0
3、ロジャース(アメリカ)2.11.26.4
4、チンドロ(イタリア)2.11.45.0
5、レッセ(東ドイツ)2.12.42.0
6、宗猛(旭化成)2.12.52.6
7、グロス(ポーランド)2.13.05
8、服部誠(東農大教員)2.13.13
9、トロッペル(東ドイツ)2.13.17
10、浜田安則(鹿児島中央高教員)2.13.47
16ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 07:11
11回(1976年) 福岡国際マラソン 成績

1、ドレイトン(カナダ)2.12.35.0
2、トンプソン(イギリス)2.12.54.2
3、チェルピンスキー(東ドイツ)2.14.56.0
4、宗茂(旭化成)2.14.59.0
5、世利重樹(九州電工)2.17.24.2
6、大塚発未男(東急)2.17.43.0
7、水上則安(新日鉄)2.18.05
8、阪本峰照(日立造船)2.18.50
9、染谷十三夫(入間市役所)2.19.42
10、バウムバッハ(東ドイツ)2.20.45

12回(1978年) 福岡国際マラソン 成績

1、ロジャース(アメリカ)2.10.55.3
2、モイセーエフ(ソビエト)2.11.57.0
3、マグナニ(イタリア)2.13.04.0
4、フレミング(アメリカ)2.14.26.2
5、瀬古利彦(早稲田大)2.15.00.1
6、阪本峰照(日立造船)2.15.37.3
7、キャノン(イギリス)2.16.20
8、世利重樹(九州電工)2.17.11
9、宗猛(旭化成)2.17.35
10、ベントソン(スウェーデン)2.17.43
17ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 07:19
13回(1978年)福岡国際マラソン 成績

1、瀬古利彦(早稲田大)2.10.21.0
2、喜多秀喜(神戸製鋼)2.11.05.0
3、宗茂(旭化成)2.11.41.2
4、ライト(イギリス)2.12.31.7
5、モイセーエフ(ソビエト)2.12.44.0
6、ロジャース(アメリカ)2.12.51.3
7、ワードロー(オーストラリア)2.13.02
8、トーマス(アメリカ)2.13.11
9、ビヨクルンド(アメリカ)2.13.15
10、ヒューソン(カナダ)2.13.21

14回 (1979年) 福岡国際マラソン 成績

1、瀬古利彦(早稲田大)2.10.35
2、宗茂(旭化成)2.10.37
3、宗猛(旭化成)2.10.40
4、フォード(イギリス)2.10.51
5、チェ・チェンソブ(北朝鮮)2.11.40
6、スコット(オーストラリア)2.11.55
7、ワードロー(オーストラリア)2.11.55
8、伊藤国光(カネボウ)2.12.08
9、ライアン(ニュージーランド)2.12.33
10、武富豊(神戸製鋼)2.12.47
18ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 15:55
79年の福岡はぼんやり記憶がある。この大会はモスクワ五輪を賭けた大会で
マラソン日本一決定戦といっていい大会で瀬古と宗兄弟と他のランナーとの格付けが  
ハッキリと決まったポイントのマラソンだろう。
瀬古>>>宗茂>宗猛>>>伊藤>>>喜多、武富>その他 といった感じか。        
19ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 16:25
国際マラソンは世界選手権的な大会だったと聞いているが
意外と日本人が上位に多いね。
日本/外国の出場選手の割合はどれくらいだったの?
20ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/27 21:29
びわ湖だけは国際を名乗らず毎日を貫いているな 
21ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 02:19
15回 (1980年) 福岡国際マラソン 成績

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.09.45
2、宗猛(旭化成)2.09.49
3、伊藤国光(カネボウ)2.10.05
4、ヘンリー(オーストラリア)2.10.09
5、宗茂(旭化成)2.10.23
6、チェルピンスキー(東ドイツ)2.10.24
7、ペファー(アメリカ)2.10.29
8、キャステラ(オーストラリア)2.10.44
9、武富豊(神戸製鋼)2.11.27
10、キャノン(イギリス)2.11.35

16回(1981年) 福岡国際マラソン 成績

1、キャステラ(オーストラリア)2.08.18(世界最高)
2、伊藤国光(カネボウ)2.09.37
3、宗茂(旭化成)2.10.19
4、ポリ(イタリア)2.11.19
5、宗猛(旭化成)2.11.29
6、ビヨクルンド(アメリカ)2.11.35
7、パーソン(スウェーデン)2.12.19
8、コトフ(ソビエト)2.12.25
9、チバドイザ(コロンビア)2.13.04
10、ボイリュー(カナダ)2.13.31
22ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 02:27
17回 (1982年) 福岡国際マラソン 成績

1、バリンジャー(ニュージーランド)2.10.15
2、喜多秀喜(神戸製鋼)2.11.09
3、ラフランキ(スイス)2.11.12
4、伊藤国光(カネボウ)2.11.45
5、ホッジ(カナダ)2.11.52
6、ソロベイ(ソビエト)2.12.09
7、エッジ(カナダ)2.12.40
8、レイマン(アメリカ)2.13.03
9、川口孝志郎 (中京高教員)2.13.40
10、ボイリュー(カナダ)2.14.00

18回 (1983年) 福岡国際マラソン 成績

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.08.52
2、イカンガー(タンザニア)2.08.55
3、宗茂(旭化成)2.09.11
4、宗猛(旭化成)2.09.17
5、サラザール(アメリカ)2.09.21
6、伊藤国光(カネボウ)2.09.35
7、喜多秀喜(神戸製鋼)2.10.30
8、エッジ(カナダ)2.11.48
9、ハイルマン(東ドイツ)2.11.49
10、児玉泰介(旭化成)2.12.51
23ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 03:32
19回 (1984年) 福岡国際マラソン 成績

1、中山竹通(ダイエー)2.10.00
2、児玉泰介(旭化成)2.10.36
3、ハイルマン(東ドイツ)2.10.59
4、リー・ジョン・ヒョン(北朝鮮)2・11・34
5、伊藤国光(カネボウ)2.12.04
6、引間金夫(新日鉄八幡)2.12.08
7、仙内勇(ダイエー)2.12.20
8、阿部文明(日本電気HE)2.12.41
9、林清司(ダイエー)2.12.47
10、岩瀬哲治(日産自動車)2.13.07

20回 (1985年) 福岡国際マラソン

1、新宅雅也(エスビー食品)2.09.51
2、谷口浩美(旭化成)2.10.00
3、伊藤国光(カネボウ)2.11.19
4、ペーター(東ドイツ)2.12.16
5、須永宏(日本電気HE)2.12.19
6、スラー(タンザニア)2.12.23
7、メコネン(エチオピア)2.13.23
8、クス(ポーランド)2.13.28
9、ラフランキ(スイス)2.13.40
10、バリンジャー(ニュージーランド)2.13.47
なんかこのスレ一人で頑張ってるだけじゃないのか?
25ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 08:57
80年大会はモスクワ五輪直後の大会で瀬古が優勝して力を国民の前に見せつけた。
翌年4月のボストンマラソンにも優勝してマラソン実力世界一の扱いの評価を
世界から受けることとなる。    
26ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 09:07
>>24 まあそう言うなよ。別の一人として話題を提供。

前スレでも話題になっていたがロッテルダムマラソンのテクニカルディレクター
はゲブラシラシエのマネージャーでもあり、かつてのハーフマラソンの世界記録
保持者でもあった名ランナーのヘルメンスである。モントリオールオリンピック
のマラソンの大穴に挙げられたこともあり10000でもメダル候補だった。一方、
ロンドンマラソンのディレクターはミュンヘンオリンピックの10000で優勝候補
筆頭ながら失速し、その翌年に4年間破られなかった世界記録(27:30:8)を出した
デービッド・ベッドフォード。こうした満たされない名ランナーが記録の出る
マラソンはどうあるかを追求して今日の都市マラソンの隆盛がある。

日本だったら瀬古あたりが東京マラソンのディレクターをやってもいいと思うが
そんな才覚はなさそう。この違いは何なのだろうね。

>>25 81年はサラザールが幻の世界記録を出して、キャステラも福岡で快走する
から、そういう評価もせいぜい4月から10月までの短期間。


27ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 11:10
>>26 キャステラは自分はキャステラでなく‘ド・キャステラ‘だといっていたような・・

あと日本にはマラソンディレクターがいるのかな?
日本のマラソン界は今、振り返るとその辺で遅れをとっていたかな?
あとは選手の努力に頼るだけで。         
28ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 12:24
もちろん、Robert de Castellaなのでド・キャステラの方が正しいです。
29ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 14:33
ドキャステラの事はみなキャステラと言うのに、
ダコスタをコスタと言う人はいないから不思議。

30ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 14:42
ダビッド・ベッカムにことをベッカム。
マイケル・オーウェンのことをオーウェンというのに、
ロベルト・カルロスのことをカルロス、
ルイ・コスタのことをコスタ
と呼ぶ人が少ないから不思議。
31ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 14:56
>>25>>26
瀬古が世界一の称号を得たのは実は87年のボストンマラソンです。
この年のボストンは瀬古のほかにド・キャステラ、ジョーンズ、イカンガー、
トレーシーなど豪華メンバーが集結し、同じ年に行われた世界選手権より
価値のある大会と言われたその大会で、
瀬古は平凡なタイムながら2位に1分近い差をつけて圧勝。
前年のシカゴではアーメドにも勝っており、ロペスはすでに引退していたので
この時点で瀬古は世界の強豪をほぼ総なめにしたことになります。
32ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 16:34
>>25>>26>>31 瀬古はロス五輪までは負けることなんて想像がつかなかったな。
ロス五輪後に中山が台頭。東京国際での激走、珍走でTV視聴者に強い印象を
与えた。ロス五輪後、瀬古は>31のボストンのほか、ロンドン、シカゴで
優勝したがそのころの印象では中山>>>瀬古というように感じていたな。
中山はそのころ2時間8分台を連発していたからな。        
33ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 18:54
>>32 ロス五輪が瀬古神話の終焉かな。
中山はボストンで棄権して、東京での世界陸上での途中棄権。
その世界陸上で谷口が金メダル。
エースの座は中山から谷口へと完全に移行した。 
34ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/28 23:04
>>27-29 うちのじいさん、キャステラのことをずっと、カステラ、といっていた。
イカンガーのことを、イカンナー、とか、間違えたまま、直らなかった。    
35ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 00:34
>>21 81年大会の伊藤国光の健闘が印象に残るな。
あれが伊藤のベストレースかな。
36ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 07:28
>>35 そうだろう。前年の大会では転倒したものの瀬古とそう差のない3位。
トラックではDNガランで瀬古に続き日本記録を上回り3位(歴代2位)。ビスレット
ゲームでは瀬古に勝ったし、81年の大会は優勝候補として臨み、期待を裏切らな
い2位。その後、飛躍すると思われたが、翌年のシチズン・ワールドクラス(アテネ)
マラソンで途中で失速し、まさかの9位。それまでは2強のもう一人で優勝したゴメス
と競っていたが、丘を登りきったあたりで急に首のふりが激しくなりみるみる失速。
それ以降のマラソン人生は(83福岡で自己ベストを更新したり、北京の謎の記録は
あったものの)暗転した。
37ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 07:53
21回 (1986年) 福岡国際マラソン 成績

1、イカンガー(タンザニア)2.10.06
2、大須田祐一郎(日本電気)2.11・19
3、ラフランキ(スイス)2.11.25
4、工藤一良(日産自動車)2.11.58
5、仙内勇(ダイエー)2.11.59
6、春松千秋(池田製菓)2.12.02
7、浦川哲夫(九州電工)2.12.14
8、エッジ(カナダ)2.12.26
9、近藤孝志(ヤクルト)2.13.00
10、ピマッツォーニ(イタリア)2.13.10

22回(1987年) 福岡国際マラソン 成績

1、中山竹通(ダイエー)2.08.18
2、新宅雅也(エスビー食品)2.10.34
3、ペーター(東ドイツ)2.11.22
4、工藤一良(日産自動車)2.11.36
5、デンシモ(エチオピア)2.11.59
6、谷口浩美(旭化成)2.12.14
7、坂口泰(エスビー食品)2.12.25
8、トルスチコフ(ソビエト)2.12.31
9、カシャポフ(ソビエト)2.13.12
10、谷口伴之(エスビー食品)2.13.34

38ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 08:01
23回 (1988年) 福岡国際マラソン 成績

1、渋谷俊浩(雪印)2.11.04
2、デンシモ(エチオピア)2.11.09
3、カシャポフ(ソビエト)2.11.19
4、児玉泰介(旭化成)2.11.38
5、喜多秀喜(神戸製鋼)2.11.51
6、阿部文明(日本電気HE)2.11.57
7、ハイルマン(東ドイツ)2.11.59
8、フライガング(東ドイツ)2.12.28
9、金井豊(エスビー食品)2.12.51
10、バルチャ(エチオピア)2.12.55

24回 (1989年) 福岡国際マラソン 成績

1、マティアス(ポルトガル)2.12.54
2、カシャポフ(ソビエト)2.12.54
3、小指徹(ダイエー)2.13.12
4、谷口伴之(エスビー食品)2.13.42
5、泉宣広(ダイエー)2.13.55
6、ドブラー(西ドイツ)2.14.07
7、メコネン(エチオピア)2.14.29
8、バッヘンブルナー(東ドイツ)2.14.30
9、金井豊(エスビー食品)2.14.52
10、篠原良房(新日鉄八幡)2.15.04
39ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 08:07
25回 (1990年) 福岡国際マラソン 成績

1、デンシモ(エチオピア)2.11.35
2、弘山勉(資生堂)2.11.37
3、オレイリー(アイルランド)2.14.01
4、カシャポフ(ソビエト)2.14.27
5、シャギーエフ(ソビエト)2.14.29
6、マティアス(ポルトガル)2.14.55
7、フライガング(ドイツ)2.15.16
8、喜多秀喜(神戸製鋼)2.15.36
9、エリクソン(スウェーデン)2.15.43
10、金子尚志(日本電気HE)2.16.19
40ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 08:28
26回 (1991年) 福岡国際マラソン 成績

1、森田修一(日産自動車)2.10.58
2、本田竹春(日本電気HE)2.11.35
3、早乙女等(日本電気)2.11.35
4、メコネン(エチオピア)2.11.39
5、高橋浩一(旭化成)2.11.47
6、金在龍(韓国)2.11.51
7、末吉富夫(カネボウ)2.11.55
8、フルク(ポーランド)2.12.06
9、トルスチコフ(ソビエト)2.12.07
10、徳永大輔(カネボウ)2.12.13

46回 (1992年)(朝日国際から大会回数の合算になる)福岡国際マラソン 成績

1、ネゲレ(エチオピア)2.09.04
2、ポー(南アフリカ)2.10.29
3、ガルシア(スペイン)2.10.30
4、セロン(メキシコ)2.10.42
5、フルク(ポーランド)2.11.25
6、トルスチコフ(ロシア)2.12.06
7、早乙女等(NEC)2.12.09
8、ペルスケ(ポーランド)2.12.23
9、北島克巳(京セラ)2.12.23
10、オレイリー(アイルランド)2.12.28
41ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 08:38
こうやって見ると、福岡国際は1988年くらいを境に、大会のレベルが
落ちてきてるな。
渋谷や森田ってどんな選手だったんですか。
42ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 10:09
>>41
箱根駅伝上がり
43ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 10:22
>>41
>福岡国際は1988年くらいを境に、大会のレベルが落ちてきてるな。

禿同。
でも、東京で何度も優勝している世界的名ランナーの谷口やメコネンが
1度も福岡で勝てなかったのは未だに謎だ。
44ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 11:02
昨日テレビ「トリビア」にショーター出てタネ。
わざわざ日本にまで来てくれて、え〜人だ。
45ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 11:28
>>43 相性があるのかな・・
46ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 12:45
>>45
練習過程で春先に強い、夏に走れる、または秋口が調子が良いとかあるかもしれ
ないですね。
谷口、メコネンは秋ー冬シーズン(10月ー12月)レースで好走した記憶がほとんどないので。
47ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 12:49
>>43
福岡って84年の19回大会を最後に、海の中道ー雁の巣折り返すコース
を変更してしまった。何かこのコース変更から福岡のイメージが変わった
感じがするなぁ。

あとレースには関係ないが、NHKから民放の変わってから大会の
重みがなくなったような。できたらまたNHKに放送をもどして欲しい。
48ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 12:51
月別では誰が何月に一番強いのか?1月〜12月までの最高記録とか
調べてみても面白そうですね。 
49ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 12:52
まぁ まず日本のマラソンの歴史を語るには、福岡からって感じはするわな。
50ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 13:00
>>47 福岡はコース変更してから強さと威厳が消えたな。
それに民放の中継は宣伝ばっかりでレースに集中できないな。
CMをやるならかつてのダイエーのCMのように半分がCMで半分が
中山の映像という様な画面にしてほしいな。   
51ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 13:05
47回 (1993年) 福岡国際マラソン 成績

1、セロン(メキシコ)2.08.51
2、タイス(南アフリカ)2.09.31
3、V.サントス(ブラジル)2.10.20
4、オレイリー(イギリス)2.10.39
5、川嶋伸次(旭化成)2.10.41
6、ジェロンキン(ロシア)2.10.44
7、リコ(メキシコ)2.10.45
8、早田俊幸(カネボウ)2.11.04
9、中島伸(NEC)2.11.53
10、エルブイク(ベルギー)2.12.27

48回 (1994年) 福岡国際マラソン 成績

1、アコナイ(タンザニア)2.09.45
2、マティアス(ポルトガル)2.09.50
3、V.サントス(ブラジル)2.10.15
4、エスピノサ(メキシコ)2.11.20
5、倉林俊彰(YKK)2.11.28
6、阿久津浩三(福島病院)2.11.31
7、中村新吾(三和銀行)2.12.15
8、竹内謙一郎(富士通)2.12.33
9、大家正喜(佐川急便)2.13.34
10、イカンガー(タンザニア)2.13.57
52ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 13:15
49回 (1995年) 福岡国際マラソン 成績

1、L.ドスサントス(ブラジル)2.09.30
2、セラーノ(スペイン)2.09.32
3、大家正喜(佐川急便)2.09.33
4、ガルシア(スペイン)2.09.51
5、座安晃(旭化成)2.10.17
6、花田勝彦(エスビー食品)2.10.39
7、谷口浩美(旭化成)2.10.42
8、平塚潤(エスビー食品)2.10.51
9、大崎栄(旭化成)2.11.32
10、砂田貴裕(積水化学)2.12.01

50回 (1996年) 福岡国際マラソン 成績

1、李鳳柱(韓国)2.10.48
2、フスタド(スペイン)2.10.50
3、L.ドスサントス(ブラジル)2.11.24
4、ガルシア(スペイン)2.11.31
5、カストロ(ポルトガル)2.11.57
6、真内明(旭化成)2.12.03
7、依田雅文(安川電機)2.12.10
8、徳永大輔(カネボウ)2.12.57
9、砂田貴裕(積水化学)2.13.01
10、マティアス(ポルトガル)2.13.19
53ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 13:35
51回 (1997年) 福岡国際マラソン 成績

1、チュグワネ(南アフリカ)2.07.28
2、早田俊幸(カネボウ)2.08.07
3、佐保希(旭化成)2.08.47
4、アントン(スペイン)2.10.27
5、ウィルソン(オーストラリア)2.11.06
6、デティ(ケニア)2.11.47
7、小島宗幸(旭化成)2.12.35
8、大川久之(山陽特殊製鋼)2.12.40
9、ケンボイ(ケニア)2.14.08
10、森川貴生(NKK)2.14.21

52回 (1998年) 福岡国際マラソン 成績

1、カビガ(ケニア)2.08.42
2、佐藤信之(旭化成)2.08.48
3、小島忠幸(旭化成)2.09.10
4、五十嵐範暁(中国電力)2.09.38
5、小島宗幸(旭化成)2.09.50
6、トロッサ(テクモ)2.10.27
7、タイエ(エチオピア)2.11.12
8、森川貴生(NKK)2.11.21
9、ベブロ(ポーランド)2.11.23
10、山本泰明(営団地下鉄)2.11.24
54ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 13:38
福岡も90年代は日本勢がまったく優勝できてないんだな。
51回大会の早田の走りが久々に見た好タイムだった記憶があるなぁ。
55ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 15:29
>>http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1082945524/
【日本】マラソンコースぶらり旅【世界】
まーたりとやっています。こちらへもおこしやす。   
56ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 15:59
日本が低迷してからだいぶ経つけど、
李鳳柱が全盛期の時は世界と互角に戦えたわけだから
ケニアが出てきても、対処する方法はあると思うんだが。。
李だってトラックでたいした記録を持っていないでしょ。
ということは日本勢には粘りというか、ハングリー精神が
足りない気がするが。
スピードランナー育てるより、中山のようなハングリー精神
のあるランナーを見つける方が難しいかー。
57ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 17:20
>>56
駅伝を廃止することだね。
駅伝さえそれなりに走っていれば安定した収入が保証される今のシステムでは
そりゃハングリー精神のあるランナーなんて育たない。
58ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 17:43
>>56 実業団ではチーム練習が多く、メニューもそれほど個人差がない。
シドニー前の旭化成や今の中国電力みたいにライバル意識が育ち、選手の
競い合いがうまく機能する場合もないとは言わないけど、それでも監督の
指導が分散し、選手はどんぐりの背比べにならざるを得ない印象がある。
もっとエリート選手を別格扱いしないと駄目だろう。選手も自覚が足りない
ので、駅伝で注目されれば、と気持ちが逃げている。

それとレベルが上がって、日本選手にはしんどい。無理をすれば故障をする。
故障をしないように量をこなす練習法を開発しないと苦しい。トラックでの
走力の差も限界まで広がっている。10000で1分以上の差があるので4倍すれば
4分の差がある。それを詰めるのは容易ではない。逆に言えばテルガトが日本人
並に練習をすれば2分台で走ってもおかしくない。
59ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 18:29
もう日本人にはハードな練習をこなすだけの身体を持ったのがいないような気がする。
以前の選手は今ほど故障者はいなかったと思うけどな。
食べ物とか生活環境とかの変化が大きいのかな。
最近、高校生の部活の生徒なんかでもコンビニの弁当で昼食をとっているくらいだからな。
円谷の遺書にでてきた食べ物とか、いまの選手たちは小さい頃から食べてきたのかな?  
  
 
60ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 19:20
>>59 自分は干し柿をいつもかじっていたな。
それに学校の行き帰りの2キロの道、柿を途中でもぎながら通った。
くるみとか桑の実とかいただきながら。畑の土手とか田んぼのあぜ道とか
通りながらね。環境はクロカンそのものだった。
      
61ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 20:50
>>60 中山なんか、そんな環境から出てきたんだろう?
でも、現在の社会だと難しいな・・・ 
62ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/29 21:31
まぁ大体が今くらいのレベルだろ戦後ずっと
瀬古中山宇佐美の3人だけ五輪で優勝候補だったのは
君原かワイナイナに聞きに行けば五輪の秘策があるんじゃなかろか
63ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/30 07:12
宗兄弟は、ついに一回も福岡で勝てなかったな。同時期に瀬古がいたこともあるけど。 
64ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/30 07:45
>>56 李鳳柱の記録は歴代42位。類稀な精神力で大レースでは結果を出してきたが、
スピードレースでは太刀打ちできていない。夏期限定でオリンピックや世界選手権
限定で結果を出そうとするのは不可能ではないし、その成果が女子や90年代前半の
男子で上がっていたと思うが、長い目で見るとその方向での強化に特化するのは
よくない。だから李に関しては執念以外はあまりお手本にしない方がいいような気
がする。
65ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/30 09:21
記録と勝負の双方で結果を残すのは難しいな。
それから考えるとアベベはすごいランナーだったな。
アベベというと五輪のレースばっかりクローズアップされているが
五輪以外ではどの様な結果を残しているのですか? 
66ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/30 13:49
>>64
>>夏期限定でオリンピックや世界選手権限定で結果を出そうとするのは不可能ではないし、

60年代から80年代の日本マラソン界は、この大試合(五輪)に勝てなかったのに
問題があったと思うんだが、、あのころの日本勢の記録は毎年、上位ランク。
しかし五輪は優勝候補でも本番に勝てなかった。メダルも逃したりした。
記録と勝負、両方で世界と戦えないのであれば、日本が五輪崇拝傾向がある以上、
「大レースで調整でき、夏マラソンに強い粘れるランナー」を育てるのが大切だと
思うが。。

70年代からマラソン観ていて、最強ランナーは瀬古の右に出るものはいないと
思うのだけど、強くて勝てて、記録が良くても、大試合(五輪)で結果がでないと
「最強ランナー」に?がついてしまうわけだ。
その大試合に調整できた君原が評価されることを思うとなお更だと思う。

極端だが、ケニアでいうと、テルカドを目指すよりも、ワイナイナのような
選手を作る感じか。
トラックの延長で育てていくなら、もう瀬古の時代ではないと思うので、
やはり27分15秒くらいの記録を作らないと今後、冬マラソンで世界と戦うのは
難しい。
67ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/30 13:58
>>63
昔の福岡国際は、無名の外人招待がいきなりポーンと好記録を出して上位に
入ってるのも特徴だね。やはり潜在能力の高い選手が招待されてたんだろう。
瀬古の全盛期も一緒と、宗や伊藤、喜多あたりは不運といえば不運。
68ゼッケン774さん@ラストコール:04/04/30 14:06
>>66 そういう考えでなまじうまくいってしまったことが現在の低迷を招いて
いる気もする。李の記録が42位(正月現在)といっても記録を出した時点で
はもっと上位だった。君原は記録を出していなかったという印象があるかもし
れないけど、67年の別府で勝ったときは世界歴代3位の記録を出している。
いろいろなレース展開に対応できるようになるにはある程度スピードの基礎が
いる。逆に言えば70年代中盤の低迷は今と同じようにトラックが不振で10000
で世界記録から1分おいていかれた時代である。(瀬古、宗兄弟、中山等の)
トラックの記録が伸びて、黄金時代を迎えて暑さ対策もして谷口の世界選手権
制覇と森下の銀があると思う。オリンピックで結果が出なかったとしても瀬古が
歴史上傑出した選手であったというのは疑う余地はないのでは。まぐれや調整が
うまくいってメダルを取っても他で活躍できないと、そんなに評価されないのも
事実。(森下と瀬古の知名度の差は歴然としている)。

オリンピックで惨敗したのはヘルシンキ、ローマとモントリオールだが、何れも
(2つは世界新、モントリオールは歴代4位タイという)早いレース展開につい
ていけなかったスピード不足が原因。君原だってトラックのトップ選手だった。
(オリンピックでは結果の出なかった)宇佐美は日本記録に1秒4と迫った。
円谷は10000で入賞をして日本記録を作ったし、森下もアジア大会のチャンピオン。
本当にスピードのない選手は谷口くらいしか思い当たらない。夏マラソンでも
27分30秒は必要だということだろう。

だから困難であってもスピードがあって暑さに強い選手を作らないと将来はない。
女子ではシドニーのときの高橋はそうだった。逆に言えば李は今度はダメだと思う
し、韓国はこれから苦しいと思う。成功体験というのは抜本的な改革を遅らすから。
(テルガトはトラックで結果を出しているのでケニアの英雄だよ)。
69ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 00:25
30km以降の展開に強さを発揮できないランナーはダメでは?
そういう意味でのトラックのスピードが大切ですよね。
福岡優勝時の藤田の走り、
シカゴで日本最高記録をだした高岡の走り
が理想か?

昔でいえば、瀬古のラストのキレ、91年世陸での谷口のスパート。
中山の走りはいまのケニア勢に通用するのか?
それはそれで見てみたかった。
70ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 04:59
第1回(1981年) 東京国際マラソン 成績

1、喜多秀喜(神戸製鋼)2.12.04
2、ボッチ(イタリア)2.12.11
3、ネディ(エチオピア)2.12.14
4、スクーフス(ベルギー)2.12.17
5、ジュマナザロフ(ソビエト)2.12.31
6、ケニヨン(イギリス)2.12.34
7、マルチャック(ポーランド)2.13.39
8、フリント(オランダ)2.14.04
9、クネッオペルス(オランダ)2.14.14
10、トイボラ(フィンランド)2.14.27

1回 (1981年)東京国際マラソン 成績

1、ゴメス(メキシコ)2.11.00
2、パーソン(スウェーデン)2.12.07
3、トーマス(アメリカ)2.12.31
4、ダーデン(アメリカ)2.13.07
5、阪本峰照(日本鋼管)2.13.22
6、菊地武彦(リッカー)2.14.24
7、トンプソン(イギリス)2.14.39
8、アトキンス(アメリカ)2.15.13
9、森田義三(安川電機)2.15.23
10、村越忍(福岡大)2.15.35
71ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:07
2回 (1982年) 東京国際マラソン 成績

1、シドロフ(ソビエト)2.10.33
2、H.ジョーンズ(イギリス)2.10.41
3、ブルネッティ(イタリア)2.11.22
4、中村孝生(エスビー食品)2.12.11
5、コルテライネン(フィンランド)2.12.15
6、クリステンセン(デンマーク)2.12.33
7、セーケレシュ(ハンガリー)2.12.36
8、喜多秀喜(神戸製鋼)2.13.24
9、ネディ(エチオピア)2.13.25
10、ダール(ノルウェー)2.14.00

3回 (1983年) 東京国際マラソン 成績

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.08.38(日本最高)
2、宗猛(旭化成)2.08.55(日本最高)
3、ゴメス(メキシコ)2.09.12
4、ネディ(エチオピア)2.10.39
5、イカンガー(タンザニア)2.10.54
6、バルチャ(エチオピア)2.12.07
7、チェルピンスキー(東ドイツ)2.12.40
8、トルッペル(東ドイツ)2.12.41
9、ザルツマン(西ドイツ)2.12.57
10、宗茂(旭化成)2.13・18
72ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:15
4回 (1984年) 東京国際マラソン 成績

1、イカンガー(タンザニア)2.10.49
2、ペーター(東ドイツ)2.10.57
3、パルテ(スペイン)2.11.10
4、ザルツマン(西ドイツ)2.11.21
5、ヨルゲンセン(デンマーク)2.11.31
6、ハイルマン(東ドイツ)2.11.32
7、ラザール(フランス)2.11.59
8、チェルピンスキー(東ドイツ)2.12.00
9、川口孝志郎(中京高教員)2.12.04
10、バンデルベネット(ベルギー)2.12.09

5回 (1985年) 東京国際マラソン 成績

1、宗茂(旭化成)2.10.32
2、バルチャ(エチオピア)2.12.01
3、新宅雅也(エスビー食品)2.12.23(初マラソン日本最高)
4、メコネン(エチオピア)2.12.39
5、ネディ(エチオピア)2.12.48
6、V.スタリコフ(ソビエト)2.13.29
7、ウッド(オースラリア)2.13.40
8、サルチコフ(ソビエト)2.13.51
9、引間金夫(新日鉄八幡)2.13.59
10、Y.スタリコフ(ソビエト)2.16.52
73ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:23
6回 (1986年) 東京国際マラソン 成績

1、イカンガー(タンザニア)2.08.10
2、デンシモ(エチオピア)2.08.29
3、メコネン(エチオピア)2.08.39
4、中山竹通(ダイエー)2.08.43
5、ハイルマン(東ドイツ)2.10.27
6、ブラ(タンザニア)2.11.27
7、谷口浩美(旭化成)2.11.42
8、林清司(ダイエー)2.12.48
9、宗像寛(新日鉄八幡)2.13.32
10、パルテ(スペイン)2.13.38

7回 (1987年) 東京国際マラソン 成績

1、谷口浩美(旭化成)2.10.06
2、中山竹通(ダイエー)2.10.33
3、メコネン(エチオピア)2.11.54
4、須永宏(日本電気HE)2.13.44
5、仙内勇(ダイエー)2.14.28
6、ルビッキ(ポーランド)2.15.48
7、池田重政(ヤクルト)2.16.18
8、ミシビッチ(ポーランド)2.18.51
9、ブラ(タンザニア)2.19.54
10、高村英男(本田技研)2.20.09
74ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:30
8回 (1988年) 東京国際マラソン 成績

1、メコネン(エチオピア)2.08.33
2、イカンガー(タンザニア)2.08.42
3、ペーター(東ドイツ)2.08.47
4、キャステラ(オーストラリア)2.08.49
5、ザルツマン(西ドイツ)2.10.10
6、仙内勇(ダイエー)2.10.59
7、ワキウリ(エスビー食品)2.11.57
8、三村徹(カネボウ)2.12.14
9、谷口浩美(旭化成)2.13.16
10、浦田春生(本田技研)2.14.53

9回 (1989年) 東京国際マラソン 成績

1、谷口浩美(旭化成)2.09.34
2、エルビック(ベルギー)2.12.16
3、金哲彦(リクルート)2.16.55
4、サビッキー(ポーランド)2.16.58
5、ニジョカ(ケニア)2.18.04
6、プラチェック(フランス)2.18.28
7、マイシバ(ケニア)2.18.37
8、西政幸(旭化成)2.18.43
9、ウォラシェ(エチオピア)2.18.52
10、サエルマン(ベルギー)2.18.55
前スレから興味深い話ばかりで勉強になるけど
「マラソン通史」となると、アベベ以外いないんだろうなぁ。

昔、NHKかなんかで世界の一流マラソンランナーに名ランナーを
10人選んでもらう企画があった気がするのだけど、その中の一人が
1位にアベベ・ビキラを挙げ、他は選ばなかった。
「彼だけは特別なんだ。それ以外は選びようがないよ」と言っていた。

その中でも自分を1位に挙げてたのがド・キャステラだったw
76ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:35
10回 (1990年) 東京国際マラソン成績

1、中山竹通(ダイエー)2.10.57
2、トレーシー(アイルランド)2.11.23
3、デンシモ(エチオピア)2.11.32
4、小指徹(ダイエー)2.12.16
5、カレル(チェコスロバキア)2.12.24
6、清水悟(カネボウ)2.12.49
7、デュベ(エチオピア)2.15.25
8、末吉富夫(カネボウ)2.15.48
9、武田裕明(NTT東京)2.15.50
10、ボルガ(ハンガリー)2.16.11
77ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:44
11回 (1991年) 東京国際マラソン 成績

1、メコネン(エチオピア)2.10.26
2、小指徹(ダイエー)2.10.26
3、カスティーヨ(メキシコ)2.10.47
4、デュベ(エチオピア)2.11.00
5、末吉富夫(カネボウ)2.11.02
6、カレル(チェコスロバキア)2.11.12
7、西政幸(旭化成)2.11.27
8、ショーブリエ(フランス)2.11.40
9、谷口浩美(旭化成)2.11.55
10、フォスター(イギリス)2.11.59

12回 (1992年) 東京国際マラソン 成績

1、森下広一(旭化成)2.10.19
2、中山竹通(ダイエー)2.10.25
3、早田俊幸(カネボウ)2.10.37
4、カスティーヨ(メキシコ)2.11.03
5、末吉富夫(カネボウ)2.11.17
6、篠原太(神戸製鋼)2.11.34
7、西政幸(旭化成)2.13.25
8、仙内勇(ダイエー)2.13.37
9、H.ジョーンズ(イギリス)2.13.57
10、高橋浩一(旭化成)2.14.39
78ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 05:57
瀬古は別大毎日マラソン、中山はびわ湖毎日マラソンを未経験。
瀬古、中山は大会規模からしてわかる気がするが、
伊藤国光が東京国際マラソンを経験しなかったのは、春先の大会に
調整しにくかったなか、単に相性がわるいのか。
若い頃は毎日や別大の春レースを走っていたが。。
79ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 06:05
81年 東京国際マラソン 優勝 喜多秀喜のラップタイム

5km 16.21
10km 31.22(15.01)
15km 46.47(15.25)
20km 1.02.27(15.40)
25km 1.18.15(15.48)
30km 1.33.48(15.33)
35km 1.49.26(15.38)
40km 2.05.28(16.02)
2.195km(6.36) 2時間12分04秒

85年 東京国際マラソン 優勝 宗茂のラップタイム

5km 14.56
10km 29.54(14.58)
15km 44.49(14.55)
20km 59.57(15.08)
25km 1.15.21(15.24)
30km 1.30.59(15.38)
35km 1.46.58(15.59)
40km 2.03.19(16.21)
2.195km(7.13) 2時間10分32秒
80ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 06:10
92年 東京国際マラソン 優勝 森下広一のラップタイム

5km 15.23
10km 30.32(15.09)
15km 46.02(15.30)
20km 1.01.31(15.29)
25km 1.16.44(15.13)
30km 1.32.05(15.21)
35km 1.47.49(15.44)
40km 2.03.30(15.41)
2.195km (6.49) 2時間10分19秒
81ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 06:16
>>70
この第1回大会の結果をみると、1位から6位までほとんどトラック勝負に
なっていたのかな?30秒以内に6人も入っているレース展開なんてあまり
聞いたことがないな。そういえば、前スレでモスクワのプレ五輪が接戦だったように記憶しているんですが。
82ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 09:33
>>79
ヤッパリ最初の5kmの入りが16分かかっていたか。
83年の瀬古の時が15分58秒だから、1回から3回大会まではこの5km区間が
200m長かったってことかな。
83ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 10:20
>>70 第1回大会の主催が読売と産経に分かれて別大会を開いていたが、
どうして、そのような事態になってしまったのですか?   
84ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 12:24
昔から東京国際マラソンは他の主要大会(福岡、別大、びわ湖)に比べて
若手や中堅ランナーが自己ベストを出しにくい大会に感じる。
後半の坂が問題なんだろうが、コース変更は今後あるのだろうか。
85ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 12:38
13回 (1993年) 東京国際マラソン 成績

1、メコネン(エチオピア)2.12.00
2、モネゲッティ(オーストラリア)2.12.36
3、シェリフ(マツダ)2.12.55
4、本田竹春(日本電気HE)2.13.04
5、ニムチャック(ポーランド)2.13.31
6、打越忠夫(雪印)2.13.45
7、ショーブリエ(フランス)2.13.57
8、徳永大輔(カネボウ)2.13.59
9、ヘルブイク(ベルギー)2.14.10
10、実井謙二郎(MDI)2.14.14

14回 (1994年) 東京国際マラソン 成績

1、モネゲッティ(オーストラリア)2.08.55
2、ルソー(ベルギー)2.09.08
3、早田俊幸(カネボウ)2.10.19
4、実井謙二郎(MDI)2.11.10
5、メコネン(エチオピア)2.12.13
6、白承道(韓国)2.12.54
7、ドブラー(ドイツ)2.12.57
8、鈴木尚人(本田技研)2.13.27
9、徳永大輔(カネボウ)2.15.16
10、グルニー(ポーランド)2.15.20
86ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 12:45
15回 (1995年) 東京国際マラソン 成績

1、ワイナイナ(コニカ)2.10.31
2、ニムチャック(ポーランド)2.10.44
3、キマイヨ(ケニア)2.10.47
4、フルク(ポーランド)2.11.25
5、バルザキ(イタリア)2.11.29
6、トルスチコフ(ロシア)2.11.34
7、徳永大輔(カネボウ)2.11.38
8、伊東広幸(本田技研)2.11.51
9、川嶋伸次(旭化成)2.12.17
10、コトフ(ベラルーシ)2.12.55

16回 (1996年)東京国際マラソン成績

1、リマ(ブラジル)2.08.38
2、ピント(ポルトガル)2.08.38
3、フスタド(スペイン)2.08.46
4、実井謙二郎(日清食品)2.08.50
5、大崎栄(旭化成)2.10.10
6、川嶋伸次(旭化成)2.10.41
7、シェリフ(マツダ)2.12.35
8、服部孝弘(カネボウ)2.12.41
9、フルク(ポーランド)2.13.09
10、ストリジアコフ(ロシア)2.13.15
87ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 12:52
17回 (1997年) 東京国際マラソン成績

1、清水康次(NTT中国)2.10.09
2、服部孝宏(カネボウ)2.10.21
3、川嶋伸次(旭化成)2.11.13
4、谷口浩美(旭化成)2.11.26
5、シルバ(ブラジル)2.11.58
6、V.ドスサントス(ブラジル)2.12.48
7、ヤワ(南アフリカ)2.13.38
8、コトフ(ベラルーシ)2.13.41
9、大崎栄(旭化成)2.13.47
10、ベラ(エクアドル)2.14.02

18回 (1998年) 東京国際マラソン 成績

1、フスタド(スペイン)2.08.01
2、リマ(ブラジル)2.08.31
3、ガルシア(スペイン)2.08.40
4、レオーネ(イタリア)2.09.46
5、モレノ(ブラジル)2.10.14
6、国近友昭(NTT中国)2.11.28
7、真内明(旭化成)2.11.46
8、山本泰明(営団地下鉄)2.12.51
9、ベラ(エクアドル)2.13.09
10、川嶋伸次(旭化成)2.15.13
88ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 13:02
19回 (1999年) 東京国際マラソン 成績

1、タイス(南アフリカ)2.06.33
2、三木弘(旭化成)2.08.05
3、清水康次(NTT中国)2.09.00
4、ドスサントス(ブラジル)2.11.13
5、奥谷亘(積水化学)2.11.24
6、横山景(雪印)2.11.57
7、犬伏孝行(大塚製薬)2.12.20
8、堀尾典臣(積水化学)2.12.37
9、シュベリノォフ(ロシア)2.15.20
10、オツオリ(トヨタ自動車)2.16.57

20回 (2000年) 東京国際マラソン 成績

1、コスゲイ(ケニア)2.07.15
2、李鳳柱(韓国)2.07.20
3、フスタド(スペイン)2.08.08
4、犬伏孝行(大塚製薬)2.08.16
5、白承道(韓国)2.08.49
6、三木弘(旭化成)2.09.30
7、モネゲッティ(オーストラリア)2.10.00
8、清水康次(NTT中国)2.10.41
9、大沢陽祐(本田技研)2.13.21
10、桑本聡(積水化学)2.15.12
89ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 13:04
>>81 79年のスパルタキアードは1位から4位まで1秒差。1位と5位が6秒差、6位は
だいぶ遅れたがそれでも29秒差。

>>82 83年東京のときにホームグラウンドとして神宮周回コースを常に走っていた
SB勢は既に5kmのチェックポイントが114mずれていると指摘していた。因みに83年
の東京は右膝の故障で走れなかった瀬古の復帰レース。優勝候補のゴメスにちゃん
とついていけるか、まともに走れるかという不安と期待の交錯した中での快走だった。
関心も高くスタート時15%程だった視聴率がゴール時には51,3%(関東)、
平均で37.5%という驚くべき数字をたたき出していた。

もっとも負けた後のコメントではゴメスも、(一週間後に青梅マラソンのために
来日した)マイヤーも「サラザールが一番」とコメントしていた。サラザールが
4月にロッテルダムでド・キャステラやロペスに負けるというのは瀬古がロスで
失速する位の大事件であったことを窺い知ることができる。

>>83 70年代後半から瀬古、宗兄弟が台頭し、マラソン人気が沸騰したため、何も
考えないマスコミが同時にマラソン開設を申請したため。そのため福岡の権威が
落ち、日本のマラソンは駄目になったとも言える。フジ・サンケイの第1回マラソン
のディレクターは東京オリンピック聖火最終ランナーの坂井義則氏。翌年からあまり
にも無考えなテレビ局を陸連と(交通整理が大変な)警察が戒め、各テレビ局の隔年
開催にした。例えば83年はフジ・サンケイの主催。最近は読売がずっとやって
いるような気がするので人気がなくなった頃合いにフジ・サンケイはスポンサーを
降りたのかな。(まったく引っかき回すだけ引っかき回して)。
90ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 13:05
>>88
タイスの2時間6分33秒って今でも国内最高記録でなかったか?
東京の坂があってだした記録だからベルリン、ロッテルダムなどの高速レース
より価値があるな。
91ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 14:01
黄色
92ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 14:08
>>89
そういえばグレッグ・マイアー(アメリカ)いたな。懐かしい。
70年代から80年代初頭はアメリカがマラソン王国だった。
ショーターのあと、ムーア、バチェラー、カードング、ロジャース、
サラザールが台頭する前後にもフレミング、トーマス、ベアーズレー
ペファー、ビヨクルンド、ダーデン、バージンなんかもいて2時間9−11分
前後の選手は世界でいちばん多く輩出していた。日本以上にアメリカの
マラソンの地盤沈下は激しかった。

そういえば青梅マラソンの大会記録は81年に瀬古がマークした
1時間29分32秒なのだが、優勝者に名前がない。たしかこの
あとの4月のボストンマラソンを睨んで、坂の多い青梅で仮想ボストン
として参加した。
だから直前でもキャンセルできるようオープン参加扱いだったと思う。
この81年大会はこの時点で、瀬古よりマラソンタイムの好かった(2.9.01)
ゲラルド・ネイブール(オランダ)も参加。ネイブールはモスクワ五輪の
銀メダリスト。このネイブールに3分差をつけた。(ネイブールは優勝扱いで
1.32.34)
前年の暮れの福岡でモスクワ五輪金メダリストのチェルピンスキーに快勝。
そして翌年2月は30キロとはいえ、銀メダリストのネイブールに圧勝。
4月のボストンはモスクワではもう一人の優勝候補、ロジャース(アメリカ)
に1分の差をつけて大会新記録で優勝と、80−81年が瀬古の最盛期の
ように思えた。
93ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 15:11
<<41
森田修一(専修大ー日産自動車)
91年の福岡国際までのマラソン戦歴は以下の通り

1、(4位)2時間16分25秒 44回(89年)びわ湖毎日
2、(5位)2時間15分32秒 45回(90年)びわ湖毎日
3、(14位)2時間18分32秒 25回(90年)福岡国際
4、(7位)2時間14分56秒 46回(91年)びわ湖毎日
5、?2時間34分? (91年)ゴールドコースト
6、(優勝)2時間10分58秒 26回(91年)福岡国際
94ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 15:17
前スレで「年度別世界10傑」80年代版が記載されてましたが、
日本10傑もご存知の方、お願い致します。
95ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 20:35
>>94 80年代終盤から90年代半ばまで、児玉、谷口、伊藤、中山、瀬古 という
上位5傑は全く動かなかったと思うけど、それ以前の日本歴代十傑はどうなのかな?
誰か教えてください。   
96ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 21:56
>>94
区切って掲載していきます。

1980年度 日本10傑

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.09.45
2、宗猛(旭化成)2.09.49
3、伊藤国光(カネボウ)2.10.05
4、宗茂(旭化成)2.10.23
5、武富豊(神戸製鋼)2.11.27
6、弓削裕(旭化成)2.13.56
7、喜多秀喜(神戸製鋼)2.14.37
8、川口孝志郎(中京高教員)2.15.15
9、引間金夫(新日鉄八幡)2.15.19
10、高取一男(東洋工業)2.15.23

1981年 日本10傑

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.09.26
2、伊藤国光(カネボウ)2.09.37
3、宗茂(旭化成)2.10.19
4、宗猛(旭化成)2.11.29
5、喜多秀喜(神戸製鋼)2.12.04
6、阪本峰照(日立造船)2.13.22
7、菊池武彦(リッカー)2.13.22
8、松尾正雄(九州電工)2.14.38
9、引間金夫(新日鉄八幡)2.14.55
10、渡辺康徳(九州電工)2.15.00
97ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 22:08
1982年 日本10傑

1、喜多秀喜(神戸製鋼)2.11.09
2、伊藤国光(カネボウ)2.11.45
3、中村孝生(エスビー食品)2.12.11
4、川口孝志郎(中京高教員)2.13.40
5、菅谷久二(電電東京)2.14.29
6、引間金夫(新日鉄八幡)2.14.46
7、水久保美智雄(新日鉄八幡)2.15.23
8、田尻辰之(自衛隊体育学校)2.15.41
9、阪本峰照(日立造船)2.15.49
10、西村義弘(新日鉄大分)2.15.50

1983年 日本10傑

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.08.38
2、宗猛(旭化成)2.08.55
3、宗茂(旭化成)2.09.11
4、伊藤国光(カネボウ)2.09.35
5、喜多秀喜(神戸製鋼)2.10.30
6、児玉泰介(旭化成)2.12.51
7、川口孝志郎(中京高教員)2.13.22
8、須永宏(日本電気HE)2.13.31
9、阿部文明(日本電気HE)2.13.41
10、西村義弘(新日鉄大分)2.13.55
98ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 22:15
1984年 日本10傑

1、中山竹通(ダイエー)2.10.00
2、児玉泰介(旭化成)2.10.36
3、宗猛(旭化成)2.10.55
4、伊藤国光(カネボウ)2.12.04
5、川口孝志郎(中京高教員)2.12.04
6、引間金夫(新日鉄八幡)2.12.08
7、喜多秀喜(神戸製鋼)2.12.16
8、西村義弘(新日鉄大分)2.12.26
9、千葉照夫(東北日本電気)2.12.33
10、林清司(ダイエー)2.12.47

1985年 日本10傑

1、中山竹通(ダイエー)2.08.15
2、新宅雅也(エスビー食品)2.09.51
3、谷口浩美(旭化成)2.10.01
4、宗茂(旭化成)2.10.23
4、宗猛(旭化成)2.10.23
6、阿部文明(日本電気HE)2.11.04
7、須永宏(日本電気HE)2.11.09
8、伊藤国光(カネボウ)2.11.19
9、野田浩(旭化成)2.11.23
10、千葉照夫(東北日本電気)2.11.56
99ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 22:31
>>68
君原がトラックで一流だったのは東京五輪前後まで。
64年は円谷と走って29分01秒の日本歴代2位を記録。
また円谷にやぶられるまで2万mでも日本記録を保持していた。東京五輪代表
の渡辺(九州電工)や船井(東急)とも互角のトラックレースを展開していた。

しかし君原はどちらかというとスロースターター。3回の五輪とも序盤、先頭集団で
走ったことがない。やはり積極的に前にでてレースしてたのは東京五輪前後の
君原自身の全盛期の頃が多かった。
その為、トラックのスピードランナーというよりもどのようなコンディションに
でも対応できるオールラウンドランナーのような評価だった。
ミュンヘン前の評価は「後続集団から徐々に前半ハイペースで飛ばした選手を
抜いていけば下位入賞も可能」とでていたのを覚えている。
君原はどちらかというと谷口浩美タイプかもしれない。
100ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 22:32
>>96>>97>>98  伊藤国光の安定感が目を引くな。  
101ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 23:02
でも伊藤国光は暴走したり勝負勘というものは全くなかったような気がします。
102ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/01 23:51
伊藤国光は個々のマラソンもそうだがマラソン人生でも何回となくチャンスを逃がして
いるような気がする。彼がメジャーになる最大のチャンスは81年の福岡だったかもしれ
ない。結果としては彼のベストレースだったのだが、瀬古も宗兄弟も出ていないレース
で前年3位の彼が前年8位のド・キャステラに負けたのは力の差というにはあまりにも口
惜しい結果だったのではなかろうか。ついで82年のシチズン・ワールドクラス(アテネ)
でもゴメスとの一騎打ちという下馬評で9位と惨敗して世界デビューのチャンスを逸して
いる。82年の福岡もたいした選手が出ていないのに4位に終わったりして、全くいらいら
させられることが多かった。
俺も詳しくはないですが、1980年代のマラソンを見て来て
伊藤国光選手は、GTには出るけども絶対勝てないGU馬という
感じがしました。

ローゼンカバリー国光
104ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 06:22
1986年 日本10傑

1、児玉泰介(旭化成)2.07.35
2、伊藤国光(カネボウ)2.07.57
3、中山竹通(ダイエー)2.08.21
4、瀬古利彦(エスビー食品)2.08.27
5、谷口浩美(旭化成)2.10.08
6、西政幸(旭化成)2.11.10
7、大須田祐一郎(日本電気)2.11.19
8、工藤一良(日産自動車)2.11.58
9、仙内勇(ダイエー)2.11.59
10、春松千秋(池田製菓)2.12.02

1987年 日本10傑

1、中山竹通(ダイエー)2.08.18
2、谷口浩美(旭化成)2.09.50
3、新宅雅也(エスビー食品)2.10.34
4、阿部文明(日本電気HE)2.11.08
5、坂口泰(エスビー食品)2.11.21
6、児玉泰介(旭化成)2.11.23
7、工藤一良(日産自動車)2.11.36
8、瀬古利彦(エスビー食品)2.11.50
9、池田重政(ヤクルト)2.11.57
10、西村義弘(新日鉄大分)2.12.03
105ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 06:30
1988年 日本10傑

1、谷口浩美(旭化成)2.07.40
2、宗猛(旭化成)2.10.40
3、仙内勇(ダイエー)2.10.59
3、工藤一良(日産自動車)2.10.59
5、渋谷俊浩(雪印)2.11.04
6、中山竹通(ダイエー)2.11.05
7、児玉泰介(旭化成)2.11.38
8、喜多秀喜(神戸製鋼)2.11.51
9、阿部文明(日本電気HE)2.11.57
10、篠原太(神戸製鋼)2.12.00

1989年 日本10傑

1、谷口浩美(旭化成)2.09.34
2、須永宏(日本電気HE)2.10.40
3、中村孝生(エスビー食品)2.11.51
4、清水悟(カネボウ)2.12.26
5、篠原太(神戸製鋼)2.12.41
6、宗茂(旭化成)2.12.49
7、宗猛(旭化成)2.12.53
8、末吉富夫(カネボウ)2.12.57
9、小指徹(ダイエー)2.13.12
10、谷口伴之(エスビー食品)2.13.42
106ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 06:39
1990年 日本10傑

1、谷口浩美(旭化成)2.10.56
2、中山竹通(ダイエー)2.10.57
3、弘山勉(資生堂)2.11.37
4、米重修一(旭化成)2.12.00
5、小指徹(ダイエー)2.12.16
6、谷口伴之(エスビー食品)2.12.22
7、西本一也(九州産交)2.12.41
8、清水悟(カネボウ)2.12.49
8、新宅永灯至(エスビー食品)2.12.49
10、藤野圭太(九州電工)2.12.55

1991年 日本10傑

1、森下広一(旭化成)2.08.53
2、中山竹通(ダイエー)2.09.12
3、三村徹(カネボウ)2.09.23
4、小指徹(ダイエー)2.10.26
5、森田修一(日産自動車)2.10.58
6、末吉富夫(カネボウ)2.11.02
7、江内谷良一(旭化成ベンベルグ)2.11.27
7.西政幸(旭化成)2.11.27
9、本田竹春(日本電気HE)2.11.35
9、早乙女等(日本電気)2.11.35
107ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 06:53
日本選手の全盛期をまとめてみると、

1960−63 寺沢徹
1963−64 君原健二
1965 重松森雄
1966−1967 佐々木精一郎
1969−1972 宇佐美彰朗

1978−1983 瀬古利彦
1985−1987 中山竹通
1988−1991 谷口浩美
1991−1992 森下広一

78年から85年前後を宗兄弟、伊藤、喜多あたり飛車、角の位置づけ。

60年代から90年初頭まで日本には世界で競えるエースがいた。
その中でモントリオール五輪前後の73年から77年までが低迷。
92年以降バルセロナ五輪後が低迷という流れのような気がする。
108ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 08:32
>>100
>>101
>>102
>>103

1981年 福岡国際 ラップ表

(キャステラ)
5km 15.31
10km 30.31(15.00)
15km 45.29(14.58)
20km 1.00.31(15.02)
25km 1.15.53(15.22)
30km 1.31.09(15.16)
35km 1.46.08(14.59)
40km 2.01.31(15.24)
2.195km (6.46)
優勝 2時間08分18秒(世界最高記録)

(伊藤国光)
5km 15.34
10km 30.31(14.57)
15km 45.29(14.58)
20km 1.00.31(15.02)
25km 1.15.53(15.22)
30km 1.31.09(15.16)
35km 1.46.23(15.14)
40km 2.02.22(15.59)
2.195km (7.15)
2位 2時間09分37秒 (日本歴代3位)

109ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 08:36
>>92
あとアメリカの強豪として70年代にサンドバルがいた。
ニューヨークでロジャースと競っていた印象がある。
110ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 08:50
>>105宗兄弟は73年の初マラソンで1.2フィニッシュした時のタイムが、
(茂 2時間17分28秒6、猛 2時間17分46秒6)がその年の日本10傑の
下位の方で入ってると思うから、89年までランキングされているようだね。
これは16年間ものあいだ、マラソンの日本ランキング10に入っている
ランナーはそうはいないんじゃないか?
これはこれで宗兄弟の功績は大きいと思う。
111ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 09:25
マラソン歴20年の私です。
私は中山竹通選手だと思いますが。あのテレビ画面から伝わってくる威圧感は
すごかった。でも同時もいる。伊藤(国光)さんかな。優勝経験はないけど
安定感はあった。それだけでもすごい。
112ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 12:15
>>99
そうですか。君原は五輪で前半待機型だったんですね。
前半自嘲して2位まで上がってこれたメキシコ五輪って、そうとう過酷な条件
だったんですかね。

>>111
私も中山、強かったと思います。
そんな中で、90年の東京国際ですかね、後半バテバテになって、頭から水を
浴びたグショグショの髪の毛とげっそりした顔をみて
「中山も力が落ちたな」って思ったものです。
その後の別大、東京国際、バルセロナと昔のイメージはなかったですね。
113ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 23:04
別府大分毎日マラソンの各大会の上位10選手とか分かる方いたら教えてください。
昔はどんなレースだったのですか?
別大は宗茂の日本最高とか森下広一の初マラソン日本最高とかぐらいしか、
知らないので、昔の記録とか教えてください。  
114ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/02 23:43
別大の過去の優勝者とタイムは
ttp://www.sanspo.com/morespo/ekiden/04race/040201mara_beppu.html
にある。ざっと見ても第12回のタイムがそれまでと格段によくなっているが、言わず
としれた寺沢が世界最高を出したレース。実はその年のランキング10位までをこの別府
のレースで独占している(筈である)。65年の記録も日本最高で、ともかく寺沢は別府
男の異名をほしいままにした。66,67,68年も大会新が連続して出る。特に注目すべきは
67年の16回大会で、君原の2時間13分33秒4は世界歴代3位、2位に入った佐々木精一郎
の記録(2時間13分38秒6は歴代4位。実にこの時点で歴代5位までのうちを4人を日本選手
がしめたことになる。このレースは残り1キロで佐々木がスポンジに手を伸ばした一瞬の
隙をついての君原の勝利だった。その後、上岡、君原の活躍などもあるが、福岡との
インターバルが短いせいかあまり一流選手が出ない印象があった。(君原は福岡を回避
していた)。74年の浜田の大会新は後半に14分台のスプリットを刻む見事なもので不振
の70年代中葉では傑出した記録。翌年の小沢はトラックの選手で初マラソンで優勝。
76年から別府大分毎日マラソンと名称が変わる。何と言っても78年のレースが目をひく。
ずっと14分台のスプリットを刻み、40キロでも大きく世界最高をリード。最後の2.195
キロに7分50秒6もかかって大魚を逸したが、世界歴代2位の大記録であった。翌年から
テレビ放送が始まる。別大男西村の地味な活躍などを経て、91年の森下の大会新に
つながる。これは森下の初レースで、中山を下しての堂々の優勝。3位の三村も9分台の
好記録だった。翌年のセロンと黄のせりあいも見事で両者大会新。一躍二人ともバルセロナ
の優勝候補に名を連ね、黄はそのまま本番でも森下を下して優勝。その後はタイスの
大会新や新人清水の快走などはあっても地味な大会になりさがってしまった。
115ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 01:00
>>76
アイルランドのトレーシーって日本で走ってたんだ!
>>103
ソレだ!
116ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 01:45
東京以後ではやはり佐々木精一郎の凄味が印象に残る
クレイトンが10分切った福岡では先行するクレイトンに30キロ過ぎに追いついて
勝負あった走りも明らかに佐々木が上とアナも興奮したが突然の腹痛で後退
大魚を逸したが、翌年の別大では食い下がる君原をあっさり突き放しして楽勝
際立った強さをみせつけた。翌日の朝日のスポーツ面も佐々木時代の到来と書いた
年齢もまだ22、3才で君原はおろか宇佐美よりも若くその風貌もあいまって底知れない
強さを感じさせた
もちろん、いの一番でメキシコ代表を決め、福岡の走りは腹痛さえ起きなければクレイトンより
明らかに強く安定性もあり金メダル候補になったが夏頃から佐々木変調が囁かれだした
大会後、夏合宿に取材した虫明亜呂無は練習後一緒に入った風呂で
無言で背中を丸めて石鹸をタオルにこすりつけている佐々木に
眼をそむけたくなる不吉なものを感じたと書いている。
その後結局復活する事はなかったけれど、どちらかといえば泥臭い根性、努力が似合う
君原、宇佐美に比べて天才的な輝きを放った選手だった

117ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 02:33
>>113
80年以降の上位6までなら記載できます。

29回(1980年) 別大毎日マラソン 成績

1、武富豊(神戸製鋼)2.13.29
2、佐藤進(旭化成)2.17.00
3、河崎輝美(BSタイヤ)2.17.06
4、井上文男(安川電機)2.17.20
5、引間金夫(新日鉄八幡)2.17.22
6、土山泰三(菊川町役場)2.17.29

30回(1981年) 別大毎日マラソン 成績

1、宗茂(旭化成)2.11.30
2、宗猛(旭化成)2.11.32
3、ベアーズレー(アメリカ)2.12.41
4、武富豊(神戸製鋼)2.16.16
5、前田篤秀(鈴木自動車)2.16.28
6、マッカリー(アメリカ)2.17.47

31回(1982年) 別大毎日マラソン 成績

1、ホッジ(アメリカ)2.15.43
2、西村義弘(新日鉄大分)2.15.50
3、ウッド(オーストラリア)2.16.45
4、スタール(スウェーデン)2.17.16
5、山岡秀樹(神戸製鋼)2.18.33
6、井上明男(矢板中央OB)2.18.38
118ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 02:40
32回(1983年) 別大毎日マラソン 成績

1、西村義弘(新日鉄大分)2.13.55
2、浦川哲夫(九州電工)2.16.26
3、宗像寛(新日鉄八幡)2.16.52
4、浜田安則(京セラ)2.16.59
5、千葉照夫(東北日本電気)2.17.01
6、立川勝浩(旭化成)2.17.02

33回(1984年) 別大毎日マラソン 成績

1、フリント(オランダ)2.12.05
2、西村義弘(新日鉄大分)2.12.26
3、千葉照夫(東北日本電気)2.12.33
4、仙内勇(ダイエー)2.13.07
5、アンダーソン(アメリカ)2.13.22
6、山岡秀樹(神戸製鋼)2.13.28

34回(1985年) 別大毎日マラソン 成績

1、谷口浩美(旭化成)2.13.16
2、ベルゲ(ノルウェー)2.15.50
3、森口達也(神戸製鋼)2.16.16
4、末吉富夫(カネボウ)2.16.19
5、西村義弘(新日鉄大分)2.16.25
6、小野明(吉川工業)2.16.52
119ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 02:48
35回(1986年) 別大毎日マラソン 成績

1、児玉泰介(旭化成)2.10.34
2、ビルチェフスキ(ポーランド)2.11.34
3、小野明(吉川工業)2.13.00
4、大須田祐一郎(日本電気)2.13.13
5、末吉富夫(カネボウ)2.13.18
6、ミジビッチ(ポーランド)2.14.18

36回(1987年) 別大毎日マラソン 成績

1、西村義弘(新日鉄大分)2.12.03
2、西政幸(旭化成)2.12.27
3、金哲彦(リクルート)2.12.35
4、江内谷良一(旭化成)2.12.40
5、長島浩(ダイエー)2.12.46
6、ワキウリ(エスビー食品)2.13.34

37回(1988年) 別大毎日マラソン 成績

1、ラフランキ(スイス)2.11.58
2、篠原太(神戸製鋼)2.12.00
3、高橋浩一(旭化成)2.12.14
4、稲原敏弘(ダイエー)2.12.22
5、小指徹(ダイエー)2.12.42
6、タバク(ソビエト)2.14.11
120ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 02:56
38回(1989年) 別大毎日マラソン 成績

1、清水悟(カネボウ)2.12.26
2、トルスチコフ(ソビエト)2.12.35
3、篠原太(神戸製鋼)2.12.41
4、タバク(ソビエト)2.12.49
5、宗茂(旭化成)2.12.49
6、末吉富夫(カネボウ)2.12.57

39回(1990年) 別大毎日マラソン 成績

1、プシェック(ポーランド)2.11.56
2、米重修一(旭化成)2.12.00(初マラソン日本最高)
3、弘山勉(資生堂)2.12.48
4、藤野圭太(九州電工)2.12.55
5、西政幸(旭化成)2.13.17
6、バイヤー(ハンガリー)2.13.22

40回(1991年) 別大毎日マラソン 成績

1、森下広一(旭化成)2.08.53
2、中山竹通(ダイエー)2.09.12
3、三村徹(カネボウ)2.09.23
4、江内谷良一(旭化成)2.11.27
5、児玉泰介(旭化成)2.12.09
6、早乙女等(日本電気)2.13.07
121ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 03:04
41回(1992年) 別大毎日マラソン 成績

1、セロン(メキシコ)2.08.36
2、ファン・ヨン・チョ(韓国)2.08.47
3、ニムチャック(ポーランド)2.11.16
4、シルバ(ブラジル)2.11.28
5、泉宣広(ダイエー)2.12.55
6、若林寿(NTT東京)2.13.24

42回(1993年) 別大毎日マラソン 成績

1、カスティーヨ(メキシコ)2.13.04
2、ベブロ(ポーランド)2.13.42
3、三村徹(カネボウ)2.14.02
4、中島伸(NEC)2.14.26
5、進藤吉紀(エスビー食品)2.14.57
6、大家正喜(佐川急便)2.15.08

43回(1994年) 別大毎日マラソン 成績

1、中富肇(NEC)2.11.28
2、竹内謙二郎(富士通)2.11.39
3、ウルゲ(テクモ)2.11.41
4、キャロル(オーストラリア)2.11.51
5、松本和男(新日鉄化学)2.13.50
6、坂本勝(NEC九州)2.14.44
122ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 03:13
44回(1995年) 別大毎日マラソン 成績

1、キャロル(オーストラリア)2.09.39
2、フライガング(ドイツ)2.10.12
3、サントス(ブラジル)2.11.14
4、石本孝幸(旭化成)2.11.44
5、福田正志(ヤクルト)2.12.32
6、許績勝(佐川急便)2.14.35

45回(1996年) 別大毎日マラソン 成績

1、タイス(南アフリカ)2.08.30
2、ドスサントス(ブラジル)2.10.27
3、クイルティー(オーストラリア)2.13.20
4、ド・ハイデン(オーストラリア)2.14.26
5、ボイド(オーストラリア)2.15.05
6、小倉幸康(カネボウ)2.16.00

46回(1997年) 別大毎日マラソン 成績

1、ベラ(エクアドル)2.12.00
2、タイス(南アフリカ)2.13.14
3、勝部和博(ホシザキ電機)2.13.31
4、松本和男(新日鉄化学)2.14.52
5、宗竹隆司(中国電力)2.15.42
6、小倉幸康(カネボウ)2.15.55
123ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 03:27
47回(1998年) 別大毎日マラソン 成績

1、清水昭(杵筑東芝)2.09.11
2、本田竹春(ヤクルト)2.12.13
3、島崎貴之(ヤクルト)2.12.46
4、田尻裕一(クロサキ)2.13.04
5、和田洋一(カネボウ)2.14.36
6、ビアルク(ポーランド)2.15.17

48回(1999年) 別大毎日マラソン 成績

1、モレノ(ブラジル)2.09.54
2、森下由輝(旭化成)2.10.13
3、武井隆次(エスビー食品)2.10.24
4、宗竹隆司(中国電力)2.11.06
5、カンディエ(ケニア)2.11.26
6、高尾憲司(旭化成)2.11.31

49回(2000年) 別大毎日マラソン 成績

1、榎木和貴(旭化成)2.10.44
2、カンディエ(ケニア)2.11.28
3、渋谷明憲(カネボウ)2.13.51
4、里内正幸(積水化学)2.13.56
5、柳橋友治(西鉄)2.14.10
6、網崎真二(九電工)2.14.25
124ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 03:50
>>120 39回大会で優勝したプシェックは優勝した半年後に、転落死をとげています。

33回大会のコール・フリントによる大逆転も記憶に残っている。
この頃は西村義弘が地元の期待を一身に浴びて、成長著しい頃。
完全に西村が逃げ切ったかに思えたが、ひたひたとフリントが追いかけてきていた。
40キロすぎについにフリントが西村をかわす。
もう西村についていく力が残っていなかった。
この時のタイム、2時間12分26秒は評価された。まだまだ12分台で走る
ランナーは少ない時代だったから、将来を期待されたんだが、。
結局、西村は36回大会で優勝した2時間12分03秒が最高タイムで終ったしまった。
83年の第1回へルシンキ世界選手権マラソン日本代表でもあった。
125ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 07:43
>>113

1978年 別府大分毎日マラソン 優勝 宗茂のラップタイム

5km 14.51
10km 29.47(14.56)
15km 44.36(14.49)
20km 59.29(14.53)
25km 1.14.19(14.50)
30km 1.29.30(15.11)
35km 1.45.11(15.41)
40km 2.01.15(16.04)
2.195km (7.50.6)

2時間09分05秒6 (日本最高、世界歴代2位)
126ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 07:47
1981年 別府大分毎日マラソン 優勝 宗茂のラップタイム

5km 15.07
10km 30.04(14.57)
15km 44.56(14.52)
20km 59.57(15.01)
25km 1.15.23(15.26)
30km 1.31.28(16.05)
35km 1.48.20(16.52)
40km 2.04.44(16.24)
2.195km (6.46)

2時間11分30秒 (別大2度目の優勝)
127ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 08:07
>>124
私は86年別大、児玉の快走を覚えています。
前年、W杯で52位と大惨敗し、順調に成長していただけに児玉自身、
ショックだったはず。その後の別大で期するものがあったようだ。
児玉を中心のレースが展開していたが、30キロ過ぎに児玉がペース
アップ。35キロ、40キロと15分の前半にラップを上げる。
しかし40キロの通過時点で自己ベストと26秒差。
自己ベストは難しいと思われたが、大分県営陸上競技場に入ってから
トラックレースのようにペースを上げる。
ゴール時のタイムは自己ベスト(2時間10分36秒 84年福岡国際)を
2秒最新するものだった。
その後、10月の北京で2時間07分35秒の怪記録樹立へつなげていく。
86年は児玉のベストシーズンといえる。
128ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 11:57
>>126
30kmからのペースダウンは別府湾からの強烈な向かい風の影響でしたよね。
宗弟とアメリカの選手がジグザグ走行をしてたの覚えてるなぁ。
この頃は別府国際観光湾ゴールでしたよね。
競技場以外での発着は懐かしい感じがします。
129ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 12:02
>>124 西村の他に旭化成の西政幸も期待されてたな。結局、結果残せないで終って
しまった。潜在能力は2時間8−9分で走れるとか云わせてたけどな。
130ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/03 22:48
>>1131989年の別大毎日の宗茂の走り。
もうこの頃は監督業に専念していて、一般参加で別大を走ったと思う。
入りの5kmが遅くて、大集団になっていたが
CM明けの画像でいきなり宗茂が集団を引っ張っていた。
30kmを過ぎてからは相当苦しそうだったが、一時「優勝するのでは」と
思うほどの走りだった。
清水のスパート時まで健闘。最後はタバクに抜かれて5位だったが、
主要大会で見せた宗茂の最後のパファーマンスだった。
>>130
96年の別大での宗猛(当時43歳)の走り(2時間16分台)も凄いと思った。
132 ◆Lp8DRikujo :04/05/04 02:02
>>131
そうなるとエスピノサはやっぱしスゲェよ。
133ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/04 05:58
80年代の別大だと85年の谷口の優勝かな。
日体大でてから初マラソンだったけど、招待選手の中ではあまり期待されてなかった。
この時は、西村(新日鉄大分)や森口(神戸製鋼)あたりの方が期待があった。
前半、84年の東京国際で10位に入ったバンデルベネット(ベルギー)が抜け出し
たが、集団は追わなかった。30キロ手前までバンデルベネットがリードした
と思う。その後、谷口と西村が追いかけた。谷口は箱根の山下りの時に見せた小気味いい
ピッチ走法で西村と併走して30キロから35キロがたしか15分前半に上げてきた
と思う。もう西村は谷口についていけなくてあっさり後退。
終盤は小沢欽一(神戸製鋼)の持っている初マラソン日本最高(2.13.10)を
破れるか石井アナが紹介していた。ラストでペースダウンして結局、6秒及ばなかった
が、初マラソン初優勝だった。
134ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/04 09:38
新人の登竜門といわれた別大ですが五輪選考会になった事はありますか?    
135ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/04 10:32
>>129
西政幸(旭化成) マラソン成績 (1992年まで)

1、(4位)2時間14分31秒 85年12月 防府読売
2、(7位)2時間16分59秒 86年3月 びわ湖毎日
3、(6位)2時間11分10秒 86年10月 北京国際
4、(2位)2時間12分27秒 87年2月 別大毎日
5、(22位)2時間20分51秒 87年9月 ローマ世界陸上
6、(22位)2時間15分33秒 87年12月 福岡国際
7、(2位)2時間15分32秒 88年3月 びわ湖毎日
8、(優勝)2時間17分11秒 88年9月 北海道
9、(11位)2時間13分21秒 88年12月 福岡国際
10、(8位)2時間18分43秒 89年3月 東京国際
11、(25位)2時間22分13秒 89年12月 福岡国際
12、(5位)2時間13分17秒 90年2月 別大毎日
13、(?位)90年 北海道
14、(7位)2時間11分27秒 91年2月 東京国際
15、(7位)2時間13分25秒 92年2月 東京国際
136125:04/05/04 14:13
>>127
1986年 別府大分毎日マラソン 優勝 児玉泰介のラップタイム

5km 15.35
10km 31.10(15.35)
15km 46.44(15.34)
20km 1.02.17(15.33)
25km 1.17.57(15.40)
30km 1.33.27(15.30)
35km 1.48.38(15.11)
40km 2.04.01(15.23)
2.195km(6.33) 2時間10分34秒

>>130
1989年 別府大分毎日マラソン 5位 宗茂のラップタイム

5km 15.48
10km 31.44(15.56)
15km 47.08(15.24)
20km 1.02.28(15.20)
25km 1.18.09(15.41)
30km 1.33.50(15.41)
35km 1.49.50(16.00)
2.195km (6.58) 2時間12分49秒

>>133
1985年 別府大分毎日マラソン 優勝 谷口浩美のラップタイム

5km 15.47
10km 31.47(16.00)
15km 48.08(16.21)
20km 1.04.09(16.01)
25km 1.19.46(15.37)
30km 1.35.11(15.25)
35km 1.50.21(15.10)
40km 2.06.15(15.54)
2.195km (7.01) 2時間13分16秒

皆さん詳しいですね。私はラップタイムだけの記載ですいません。
137ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/04 15:46
小沢欽一は10000の日本記録が28'35"2だった頃に28'38"程度で走っていたトラック
のトップランナー。75年の別府では服部誠のもっていた初マラソン日本最高2時間13分
40秒を30秒弱更新して大いに期待されたが、その後さっぱりだった。モントリオール
直前のニュージーランド合宿にも参加していたと思うが、話題に上らない走りだった。
その後、台頭してきた森口達也が(76-77年くらいの10000のレースで)小沢に競い勝つ
ことがあった。森口はそれが小沢にとっても森口自身にとってもターニングポイントに
なったと語っていた。つまりその信じられない敗戦を境に小沢は全く振るわなくなり、
一方森口は自信をつけてトラックのトップランナーへと成長していった(81年に5000
で日本歴代2位を出す)。
138ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/04 21:24
福岡、東京、別大と話題になってますが、びわ湖毎日マラソンもお願いします。
日本ではいちばん伝統のある大会ですよね。昔から五輪選考会になっていたようですし、
どんな名勝負があったのでしょうか?
139ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/04 23:21
毎日マラソンもサンスポに歴代優勝者のページがある。昔はもっと暑い時期にやって
いたりしたようです。例えば1961年(15回)は浜寺公園ー岸和田の折り返しのコース
で6月25日にやり、暑さと排気ガスで大変だったとのこと。アベベが2位に10分差をつ
けたのですが2時間29分27秒もかかって悪戦苦闘したという記録が残っています。

昔はオリンピック最終選考会のレースだったので4年に一度ドラマがありました。
特に印象に残っているのは72年の選考会(前スレで既出)。また翌年のショーター
の事件は有名ですね。78年は別大のすぐ後で宗兄弟や伊藤も走っています。また
79年の毎日も一線級が沢山走った最後?の大会で宗茂の実力が安定してきたことを
物語っていました。80年代からしばらくは大会自体が低迷しましたが、近年フィス
等外国人選手が記録の出るコースであることを示して、また力のある選手が走るよう
になり現在に至っています。
140ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 12:04
>>139 サンスポのHPにいってみたが、どこをあたっていけばでてきますか?
世界と日本の歴代十傑はあったが、どのようにだすのですか?>114のサイトは
自分のパソコンでは表示されなかった。どうしたらいいのか教えてください。

びわ湖は以前は日本の主要マラソンの中では一番渋い面々が出場したが、
最近では日本の有力選手を一番多く集めている。それと引き換えに
春の海外レースに日本選手が参加しなくなったな。
       
141ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 13:37
別大とかびわ湖の歴代優勝者出てきました。ありがとサンクス。
142ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 14:18
>>138
別大と同じ条件のものを区切って記載します。

35回(1980年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、弓削裕(旭化成)2.14.33
2、阪本峰照(日本鋼管)2.15.24
3、土山泰三(菊川町役場)2.15.50
4、秋枝実男(東洋ベアリング)2.16.03
5、引間金夫(新日鉄八幡)2.16.51
6、立川勝浩(旭化成)2.17.11

36回(1981年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、松尾正雄(九州電工)2.14.38
2、渡辺康徳(九州電工)2.15.00
3、水久保美智千雄(新日鉄八幡)2.16.49
4、河崎輝美(BSタイヤ)2.17.01
5、山田潔(東洋ベアリング)2.17.05
6、田尻辰之(自衛隊体育学校)2.17.09

37回(1982年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、水久保美千雄(新日鉄八幡)2.15.23
2、工藤一良(リッカー)2.17.12
3、弓削裕(旭化成)2.17.50
4、引間金夫(新日鉄八幡)2.18.04
5、菅谷久二(電電東京)2.18.30
6、後藤徳雄(旭化成)2.18.36
143ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 14:25
38回(1983年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、川口孝志郎(中京高教員)2.13.22
2、阿部文明(日本電気HE)2.13.41
3、引間金夫(新日鉄八幡)2.14.15
4、秋枝実男(東洋ベアリング)2.14.25
5、片角健一(日本鋼管)2.14.28
6、弓削裕(旭化成)2.14.31

39回(1984年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、岩瀬哲治(リッカー)2.14.24
2、池田重政(ヤクルト)2.14.36
3、須永宏(日本電気HE)2.14.48
4、阿部文明(日本電気HE)2.15.03
5、近藤孝志(ヤクルト)2.15.05
6、松本正(日本電気HE)2.15.25

40回(1985年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、阿部文明(日本電気HE)2.11.04
2、須永宏(日本電気HE)2.11.09
3、野田浩(旭化成)2.11.23
4、千葉照夫(東北日本電気)2.11.56
5、浦川哲夫(九州電工)2.12.14
6、井手健二(九州電工)2.12.32
144ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 14:34
41回(1986年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、渋谷俊浩(雪印)2.14.55
2、リー・ジョン・ヒョン(北朝鮮)2.15.39
3、松本正(日本電気HE)2.15.49
4、平岡康生(日新製鋼呉)2.16.06
5、ワキウリ(エスビー食品)2.16.26
6、西本一也(九州産交)2.16.47

42回(1987年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、阿部文明(日本電気HE)2.11.08
2、坂口泰(エスビー食品)2.11.21
3、池田重政(ヤクルト)2.11.57
4、松本正(日本電気HE)2.12.42
5、坪正之(日本電気)2.12.48
6、近藤孝志(ヤクルト)2.12.57

43回(1988年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、瀬古利彦(エスビー食品)2.12.41
2、西政幸(旭化成)2.15.32
3、近藤龍二(旭化成)2.16.15
4、西村義弘(新日鉄大分)2.16.21
5、岩永義次(自衛隊体育学校)2.16.32
6、千葉照夫(東北日本電気)2.16.38
145ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 14:37
いぶし銀の味がしますな。
その中で一人異彩を放っているのが瀬古の存在だ。
これは、もう、皆さんご存知の、あのレース。 
146ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 14:41
44回(1989年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、小指徹(ダイエー)2.14.31
2、泉宣広(ダイエー)2.15.24
3、牧野典彰(旭化成)2.16.14
4、森田修一(日産自動車)2.16.25
5、西本一也(九州産交)2.17.01
6、瀬上雄然(鈴木自動車)2.17.35

45回(1990年) びわ湖毎日マラソン

1、エルブイク(ベルギー)2.13.03
2、宗猛(旭化成)2.13.58
3、金子尚志(日本電気HE)2.14.02
4、ニャンブイ(タンザニア)2.14.44
5、森田修一(日産自動車)2.15.32
6、上田謙吾(東方金属)2.17.02
147ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 15:02
なんかびわ湖の上位入賞者がいちばん「時代を感じる」選手が多い。渋すぎる。

地味だけど86年の渋谷が優勝したレース覚えてるなぁ。
この頃、アジア勢のみの招待で招待選手が2時間20分台なんてのもあった。
そんな中、北朝鮮のリーが優勝候補だった。
84年の福岡国際4位。そして自己ベストが2時間09分26秒と唯一の
サブテンランナー。たしか日本勢以外ではアジア勢初のサブテンだったと
記憶している。
リーはスピードはなく、粘り型。李鳳柱よりもっと小柄で寸胴だった。
終盤までスローペースで一気に渋谷がスピードを上げた。
西本やワキウリ(この時、初マラソン)のようなスピードランナーも
いたが明らかにスタミナ不足。
渋谷は88年の福岡のラストもそうだが、余力を残している時のスピードのキレは
見るものがあった。
148ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 17:42
びわ湖に強かったのが85年、87年と優勝した阿部文明だな。
85年にはショーターの大会記録、宇佐美の日本人大会記録を塗り替える大活躍。
88年の瀬古は楽に大会記録を大幅に更新してソウル五輪代表を射止める事を
期待されたが優勝はしたが、記録は期待はずれに終わり、陸連のゴリ押しぶりを
世間に際だせることとなった。    
149ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/05 18:04
びわ湖のショーターの73年樹立の大会記録が85年に阿部に破られるまで12年。   
別大の宗茂の78年樹立の大会記録が91年に森下広一に破られるまで13年。
長かったな。  
150ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 00:36
>>148
85年のびわ湖覚えてる。
中盤まで15分30秒から16分の間で推移していて、折り返してから阿部と川口が
みるみるペースをあげた。15分10秒から20秒前後になったと思う。
その後、終盤をリードしたのが野田浩。ここで九州電工の浦川、井手が集団から離れ、
阿部、須永、野田の優勝争いになった。
阿部が40キロ過ぎてスパート。野田、須永を振り切った。皇子山陸上競技場の手前で
一時、須永が追い上げたが、なんとか阿部が振り切りびわ湖初優勝。4位の千葉までが
73年に作ったショーターの大会記録を最新した。
151ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 01:41
別大やびわ湖の成績を拝見すると、

引間金夫(新日鉄大分)
千葉照夫(東北日本電気)
末吉富夫(カネボウ)
弓削裕(旭化成)
あたりがかなり渋い活躍をしていますね。
たしか共通項は皆、小柄で粘り型だったような気がします。
152ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 07:37
46回(1991年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、ムラシャニ(タンザニア)2.11.34
2、ニャンブイ(タンザニア)2.12.09
3、米重修一(旭化成)2.12.57
4、実井謙二郎(大東大)2.13.27
5、千葉祐一(日体大)2.13.54
6、ボイリュー(カナダ)2.14.25

47回(1992年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、オレイリー(アイルランド)2.13.15
2、近藤孝志(ヤクルト)2.13.21
3、川嶋伸次(旭化成)2.14.22
4、西本一也(九州産交)2.14.59
5、チェ・ヒョン・チョル(北朝鮮)2.15.03
6、松原肇(MDI)2.15.14

48回(1993年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、オレイリー(イギリス)2.11.01
2、ペルスケ(ポーランド)2.11.15
3、タイス(南アフリカ)2.11.40
4、オケムア(ケニア)2.11.47
5、フルク(ポーランド)2.11.57
6、クリサント(メキシコ)2.13.48
153ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 07:47
49回(1994年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、鈴木賢一(富士通)2.11.05
2、田幸寛史(エスビー食品)2.11.35
3、ペルスケ(ポーランド)2.11.52
4、川嶋伸次(旭化成)2.11.53
5、マレマネ(南アフリカ)2.12.10
6、倉林俊彰(YKK)2.12.33

50回(1995年)びわ湖毎日マラソン成績

1、中村祐二(山梨学院大)2.10.49
2、実井謙二郎(日清食品)2.11.27
3、真内明(旭化成)2.11.48
4、谷口浩美(旭化成)2.11.51
5、森川貴生(NKK)2.11.54
6、佐保希(旭化成)2.12.14

51回(1996年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、ピネイロ(ポルトガル)2.09.32
2、ワイナイナ(コニカ)2.10.37
3、メコネン(エチオピア)2.11.55
4、キャロル(オーストラリア)2.12.00
5、ネゲレ(エチオピア)2.12.11
6、田幸寛史(エスビー食品)2.12.24
154ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 07:54
52回(1997年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、フィス(スペイン)2.08.05
2、ツモ(エチオピア)2.09.00
3、ピネイロ(ポルトガル)2.09.11
4、真内明(旭化成)2.09.23
5、花田勝彦(エスビー食品)2.10.02
6、シュベツォフ(ロシア)2.10.58

53回(1998年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、小島宗幸(旭化成)2.08.43
2、フィス(スペイン)2.09.33
3、清水康次(NTT中国)2.09.57
4、三木弘(旭化成)2.10.01
5、小島忠幸(旭化成)2.12.43
6、池田克美(NEC)2.14.23

54回(1999年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、フィス(スペイン)2.08.50
2、藤田敦史(駒澤大)2.10.07
3、ガイドス(ポーランド)2.11.37
4、松田和宏(佐川急便)2.12.25
5、田尻裕一(クロサキ)2.13.03
6、千葉信彦(雪印)2.14.09
155ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 08:16
55回(2000年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、フィス(スペイン)2.08.14
2、川嶋伸次(旭化成)2.09.04
3、武井隆次(エスビー食品)2.09.23
4、佐藤敦之(早稲田大)2.09.50
5、松田和宏(佐川急便)2.10.24
6、山本泰明(営団地下鉄)2.10.44

56回(2001年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、ペーニャ(スペイン)2.07.34
2、レオーネ(イタリア)2.07.52
3、油谷繁(中国電力)2.07.52
4、森下由輝(旭化成)2.07.59
5、帯刀秀幸(富士通)2.08.52
6、ボル(ケニア)2.09.27

57回(2002年) びわ湖毎日マラソン 成績

1、武井隆次(エスビー食品)2.08.35
2、ウァーディ(フランス)2.09.00
3、キプロプ(ケニア)2.09.08
4、諏訪利成(日清食品)2.09.10
5、浜野健(トヨタ自動車)2.09.18
6、岩佐敏弘(大塚製薬)2.10.17
156ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 08:36
アルツーロ・バリオス(メキシコ)
ワダジョ・ブルチ(エチオピア)
サルバトーレ・アンティボ(イタリア)

1万のランナー。皆、27分20秒台だったと思う。
157ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 08:38
びわ湖はショーターの頃は皇子山から瀬田の唐橋を経て浜街道に入り、草津
折り返しだった。(その前にはびわ湖大橋を渡ったこともあるという話を聞
いたこともあるが)80年前後に近江大橋ができたときは近江大橋を渡って
いたが、勾配もあるし強風にあおられて選手がしんどそうだったのですぐに
やめた。小柄な弓削が風でよれていたのが印象的。瀬田の唐橋に戻った時期
もあったような気もするが南郷の洗堰に向かうコースに変更して記録がでる
ようになった。しかし何と言ってもドラマがあったのは瀬田の唐橋を使って
いた頃のような気がする。起伏のないコースで記録を出しても評価につなが
らない。
158ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 08:39
>>156

おー懐かしい。
バリオスとブルチはマラソン走ったな。
アンティボはマラソン出場したのかな?
159ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 08:46
>>15247回大会(びわ湖毎日)のオレイリーの捲くりも印象的。
どしゃ降りのなか、近藤が逃げをうって、後続と差が開いた。
優勝間違いないと思われたが、後続からハイピッチでオレイリーが追い込んできた。

このような、昔ながらのレース展開を見てたのもびわ湖の醍醐味だった。
もう昨今のペースメーカーのレースではなさそうだ。淋しい気もするが。
160ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 08:59
>>152>>159 92年の47回大会が自分も印象的。
最後の最後で皇子山競技場で近藤がオレイリーにつかまっちゃったな。
何かあの時はタメ息というか、人生の悲哀というか、サラリーマンの悲哀というものを
感じたな。
近藤孝志というキャラがいかにも名も無き日本サラリーマンというものを
表現していたな。       
161ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 09:11
男子マラソン世界歴代30傑(1991年2月まで)

1、2.06.50 デンシモ(エチオピア) 88ロッテルダム
2、2.07.07 サラ(ジブチ) 88ロッテルダム
3、2.07.12 ロペス(ポルトガル) 85ロッテルダム
4、2.07.13 Sジョーンズ(イギリス) 85シカゴ
5、2.07.35 児玉泰介(日本) 86北京
5、2.07.35 メコネン(エチオピア) 88北京
7、2.07.40 谷口浩美(日本) 88北京
8、2.07.51 ド・キャステラ(オーストラリア) 86ボストン
9、2.07.57 伊藤国光(日本) 86北京
10、2.08.01 イカンガー(タンザニア) 89ニューヨーク
11、2.08.04 シンク(南アフリカ)86ポートエリザベス
12、2.08.08 ジャマ(ジブチ) 85シカゴ
13、2.08.15 中山竹通(日本) 85W杯広島
13、2.08.15 ムトロ(南アフリカ) 86ポートエリザベス
15、2.08.16 モネゲッティ(オーストラリア) 90ベルリン
16、2.08.19 ボルディン(イタリア) 90ボストン
17、2.08.27 瀬古利彦(日本) 86シカゴ
18、2.08.32 シャハンガ(タンザニア) 90ベルリン
19、2.08.33 スペディング(イギリス) 85ロンドン
20、2.08.33.6 クレイトン(オースストラリア) 69アントワープ
21、2.08.43 フセイン(ケニア) 88ボストン
22、2.08.44 ブルチ(エチオピア) 88ロッテルダム
23、2.08.47 ペーター(ドイツ) 88東京
24、2.08.51 サラザール(アメリカ) 82ボストン
25、2.08.53 ベアーズレー(アメリカ) 82ボストン
25、2.08.53 森下広一(日本) 91別府大分
27、2.08.55 宗猛(日本) 83東京
28、2.08.57 クルス(メキシコ) 88シカゴ
29、2.08.58 プラーティエス(南アフリカ) 85ポートエリザベス
30、2.08.59 ディクソン(ニュージーランド) 83ニューヨーク
162161です:04/05/06 09:16
この1991年2月までが世界で30人「2時間9分切り」をしている。
世界で超一流の証が9分以内であった時代の世界歴代30傑。
この頃は日本勢が7人ランキングイン。
世界でいちばん多くランキングしている国であった。

世界的に90年代初頭は記録停滞の頃。なかなか世界歴代10傑の
変動が少なかった時期です。
163ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 09:47
>>161
>>162
1988年 ロッテルダムマラソン デンシモ(エチオピア)のラップタイム

5km 15.05
10km 30.05(15.00)
15km 45.06(15.01)
20km 1.00.12(15.06)
25km 1.15.12(15.00)
30km 1.30.13(15.01)
35km 1.45.22(15.09)
40km 2.00.20(14.58)
2.195km (6.30)
2時間06分50秒

1985年 ロッテルダムマラソン ロペス(ポルトガル)のラップタイム

5km 14.58
10km 30.04(15.06)
15km 45.29(15.25)
20km 1.00.10(14.41)
25km 1.14.57(14.41)
30km 1.30.01(15.04)
35km 1.45.14(15.10)
40km 2.00.34(15.20)
2.195km (6.38)
2時間07分12秒
164ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 13:32
>>143
84年のびわ湖の岩瀬(リッカー)のスパート。
5人くらいの集団でポーンと出たんだよな。

池田重政もびわ湖ではがんばってた印象。
165ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 13:37
>>161この顔ぶれはほとんど日本でマラソン走ったことがある面子だね。
南アフリカの選手以外は来日しているのじゃないか?
昔は一流選手が日本で瀬古などの日本勢に挑戦をしに来てた。
166ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 13:58
>>161 異色なのはちょうど最後に出てくるロッド・ディクソン。ミュンヘン
オリンピックの1500mの銅メダリストで74年の英連邦で3位になったときの
記録は世界記録に僅かに及ばない当時歴代4位の記録だった(といっても上
に2人いて、おまけに2人が世界記録を上回ったので失望は大きかったかも
しれない)。自国に1マイルで初めて3分50秒を切ったウォーカーがいた
こともあってモントリオールでは1500を捨てて5000にかけるもビレン、
クァックスに及ばず、下半身は3番目にゴールを駆け抜けたが、最後に転倒
したヒルデンブランドがトルソの部分のゴール順で及ばず4位。その後に
マラソンまで距離を伸ばし、ロスのダークホースと思ったが不発だった。
167ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 19:12
日本だけでなくて海外に目を向けて見ますと伝統のボストンマラソンがありますが
歴代優勝者とかわかりますか?日本勢のボストン挑戦の歴史とか教えてください。    
168ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 19:52
169ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 19:55
ttp://www.townonline.com/marathon/history/
の方が読み物としても記録性の面でも優れている。
170ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 22:45
ボストンは80年代の半ばに本当の市民マラソンになる危機があった。
伝統とプライドで賞金レースを拒んでいたからだ。
優勝記録が2時間14分くらいにまで下落し、
(その頃、イギリスのジェフ・スミスが活躍)
(85年大会は2位が2時間19分にもなっていた。)
あわてた大会関係者が翌年から賞金レースを設定。表立った初代のレースが
86年のキャステラの優勝の時だったと思う。この時、10位に入った
伊藤国光がいくらか賞金を獲得したのも話題になっていた。

ボストンはあの「心臓破りの坂」があるから魅力のコースなんでしょうね。
平坦コースは記録がでても記憶に残らないコースが多いです。
171ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 22:54
>>170
86年の大会はテレ東で中継があって、キャステラの久しぶりの快走を
見る事ができた。
しかしそれよりも4位に入ったビル・ロジャースが印象的。
この頃は30台後半に差し掛かっていて上位入賞するとは思いもしなかった。
「ボストンの申し子」ロジャースに物凄い声援が上がっていたのを思い出した。
たしか解説の宇佐美がしきりにロジャースの健闘を称えていた。
172ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/06 23:33
ボストンマラソンといえば山田敬蔵さんの存在を忘れてはならないよ。
当時の方が、現代より日本選手がボストンで活躍していた。      
173ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 04:37
ボストンマラソン
60年代ー日本勢が上位を独占した年もある通り、日本勢の活躍が目を引いたが、
この頃は福岡国際マラソンの方が格上の大会。海外の強豪は「目標、福岡」で日本の
レース参加を第一としていた。(ボストンと福岡の時期は違うのだが)
60年代の日本勢の層の厚さを考えれば、外国勢の参加メンバーを考えてもこのような
成績は当然のように思われた。

70年代ー日本勢の不振もありボストンではほとんど勝利できなかった。
ロジャース他、アメリカ勢の活躍によりボストンの地位が回復した感じがした。

80年代ー層の厚いアメリカ勢の中で、瀬古の活躍は(79,81,87年)
日本人歴代優勝者の中でもいちばんに評価できるものであった。
中山は無念の途中リタイア(89年)

90年代以降ー谷口が優勝を狙って走ったが念願達成できず。その後ふたたび
日本勢の不振が長期化。今はなかなか上位に入賞することができないでいる。
174ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 06:45
天才、中尾隆行を語れなければマラソン通とは言えますまい。
175ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 12:07
中尾隆行は日本人で初めて2時間20分をきったランナーだよな。  
176ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 16:50
>>172
>>174
>>175
山田敬蔵、中尾隆行、または田中茂樹、広島庫夫、浜村秀雄、貞永信義など
1950年代に活躍したランナーはここではほとんどリアルタイムで語る事は
できないようです。
なんとか記憶を溯って寺沢、君原くらいは語る事はできると思いますが。
特にここで話されてる方達は、ご自分の体験で語られてる方が多いようですから。

書物を読んでの推測ですが、50年代までのボストンマラソンは世界的にも
大変大きな大会だったように思います。しかし海外レースをするにも移動が
大変な時代ですから、世界の強豪が一堂に集結するのは難しかったと思います。
田中、山田を語る上でボストンマラソン優勝がほとんどなので、それだけ価値の
ある優勝だったと思います。少なくとも60年代のボストンよりは質が高かった
と思われます。

中尾隆行が日本人初の2時間20分突破ということは、ちょうどこの50年代
の日本マラソンのレベルは今の日本女子マラソン界と同じくらいの水準だったの
かも知れませんね。
177ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 17:17
久しぶりに拝見。
ボストンマラソンは88年が面白かった。
フセイン、イカンガー、トレーシー、それとボルディン、ポリのイタリア勢が
集団を形成してたが、フセインとイカンガーが抜け出した。
最後のボストン図書館前までの直線でイカンガーとフセインの競り合いは
見物だった。
結局、フセインがイカンガーを振り切った。フセインはその前に
ホノルルマラソンに優勝していて力があるといわれていた。しかしケニアが主要
マラソンで優勝するのにはビックリした。この頃はエチオピアはマラソン王国
だったのに対して、ケニアはマラソンは、全然走れていなかった。トラックから
マラソンに転向する選手も少なかっただけに、ケニアの選手が最後までスタミナ
切れしなかったのに驚いた。
それが今となってみたら。。。ケニア一色になってしまったが。(賞金の影響が
大きいのだけれど)

トレーシーもロス五輪後、なかなか自己記録を最新できなくて、五輪はフロックと
思われていた矢先だけに、なんとか存在感は残した。
このレース、Sジョーンズが惨敗。初めてSジョーンズがマラソンで惨敗する
のを見た気がした。
178ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 20:53
ボストンでは52年に朝鮮戦争中のはずなのに韓国人が優勝している
179ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 21:18
>>168-169 168と169は英語ですか?誰か日本語で内容をおしえて。
当時は船で海外に行った時代だから、すごい長旅ですね。
海外で優勝、しかもアメリカのボストンで優勝というのは、当時の時代背景とかも
含めて、すごいニュースだと思います。
180ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 23:21
ボストンの成績を見ると、80年代後半から90年代前半にかけて
イカンガーの活躍は凄いな。その合間に日本でも走ってるわけだしな。
長きに渡って第一線で走って、なおかつ1年に数本のレース参加。
イカンガーも世界では歴代名ランナーの一人に挙がる選手だ。
181ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/07 23:25
>>178
ダグラス・ワキウリとイブラヒム・フセインの活躍がケニアマラソンの
始まりではないか。それとヌザウの存在も忘れてはいけない。
ロス五輪7位。ケニア初のサブテンランナー。
>>180
イカンガーは2時間8分台を6回出してるんだっけ。
あと、黒人選手初のサブテンランナーだっけ。
俺の周りでマラソン観ない奴等も、外人選手でイカンガーだけは知ってるから、
イカンガーは記録に残る、かつ記憶に残る偉大な選手だな。
183ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 10:19
イカンガーは最初は瀬古の仇役、引き立て役だったが、
何度も来日している間に、人気ランナーになり、
日本のファンの間にも、イカンガーには勝たせてやりたいという機運が高まり
東京、福岡で優勝した。    
184ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 12:35
>>183
イカンガーはあの難コース、ニューヨークで2時間8分01秒を記録。
ということは潜在能力としては2時間7分台は出せる力は十分あった。

>>167
1990年のボルディンの独走は驚いた。
ボルディンて夏は強いが冬マラソンでタイムだせるランナーに思えなかったから。
好調イカンガーを途中で振り切って後半は独走だった。
2時間8分19秒は今でいうと、比べるのは難しいけどマイナス2分くらい
(2時間6分19秒)の価値があるのではないか。

考えてみればオリンピックになるとケニアなどのアフリカ勢よりも
スペイン、イタリアあたりの南ヨーロッパの選手がきっちり走ったりしている。
185ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 13:00
今、海外マラソンというと
ボストン
ロンドン
ロッテルダム
シカゴ
ベルリン
アムステルダムなどがありますが、80年代くらいまではボストンや
ニューヨークの他にどのような大会が権威のある大会だったのでしょうか。
186ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 13:55
イカンガーのボストン3年連続2位というのも笑える
187ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 14:44
>>185 TVでは北京をTBS、テレ朝ではパリを生中継していたな。
特に北京は「記録製造コース」の異名?をとっていた。   
188ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 14:54
>>185
ウィンザーとかコチシュとかはもう80年代にはなかったし
ベルリンは最初マイナーだった。
そうなるとやはり日米のマラソンがメジャーだったという事になるが・・・
189ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 15:17
>>184 ロッテルダムは1983年に当時2強と言われたサラザール、キャステラ
の他、ロペス等の超豪華メンバーを集めて世間をあっと言わし、85年と88年に
はロペスとデンシモが世界最高を出すなど80年代の世界をリードした。

シカゴは1984年にスティーブ・ジョーンズが世界最高で走り、その翌年には
女子3強の歴史に残るレースと男子でもジョーンズがロペスの記録に後1秒
と迫る大記録を出し高速レースの評価が定まった。しかし瀬古優勝の翌年に
は中止になるなど財政状況が安定せず運営的には近年まで苦しい状態が続いた。

ロンドンは81年からだからウィンザーを廃止するのと抱き合わせで開催になった
可能性が強い。2回目には早くもヒュー・ジョーンズが2時間9分24秒で走り
5回目には世界記録を前年秋にだしたスティーブ・ジョーンズが2時間8分16秒
で走っている。また85年の女子では14年に渡って世界記録に君臨する
クリスチャンセンの記録もでて評価は定まったと思われる。
190ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 15:31
コシチェマラソンはどんなレースが行われていたのですか?
スロバキアという、どちらかというと地味な国での大会ですが、
ボストン、ウィンザーと並ぶ、世界3大マラソンの評価があったというのは
なぜ?ですか?    
191ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 19:47
>>190 もちろん日本のマラソンの方が格が高い。不振を極めた77年にも宗猛
が優勝できるほどレベルは高くなかった。70年代前半迄は単にマラソンは人気
がなかったので日本以外のマラソンは全くと言っていいほど不振だった。殆ど
動きがないスポーツで2時間以上かかるのでテレビ向きでないと考えられて
いた。(今も欧米では陸上の10000は時間がかかりすぎるのでどんどんレースが
減っている)。英連邦諸国では強い選手も出てそこそこ人気があったと思うが、日本
とは人気の面で比較にならなかったと思う。だからこそ福岡を世界選手権かわりに
位置づけたのではないだろうか。

消費大国アメリカのショーターが世界一になり、70年代半ばにジョギングブームが
世界的に流行し、ロジャース、サラザールが活躍したことが今日の隆盛につながった
と思う。ヨーロッパのメジャーマラソンは殆どが80年代に開かれアメリカの
流行を追随している。
192ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 23:07
>>189

1984年 シカゴマラソン Sジョーンズ ラップタイム

5km 15.18
10km 30.17(14.59)
15km 45.18(15.01)
20km 1.01.01(15.43)
25km 1.16.29(15.28)
30km 1.31.49(15.20)
35km 1.46.40(14.51)
40km 2.01.26(14.46)
2.195km (6.39)
2時間08分05秒 (当時 世界最高記録)
193ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 23:47
イカンガーとかメコネンとかバルチャとか
昔はへんな名前の外人が多かったな。
194ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/08 23:49
>>191
そう考えると日本の大会(特に福岡国際)は本当に価値のある大会だったんですね。

前に宗兄弟が語っていた中で、初マラソンで好成績を残して、意気揚々に
福岡国際に乗り込んだが、あまりのハイペースで後半スタミナ切れ。
40キロを通過した後に、競技場からショーターが優勝ゴールする
ポーン、ポーンと上がる花火を見て「福岡はぜんぜんレベルが違うな」と思った
そうです。
195ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 00:00
>>194
特にショーターは前半型で、あの当時でも5kmのラップ、14分台から
入るレース展開を実施していた。
196ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 08:00
>>169
1983年のボストンマラソンは男女とも10位までアメリカが独占だ。
この83年くらいまでがアメリカにおけるマラソン王国の頂点の時期みたいだな。
197ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 08:39
>>133
初マラソン 日本歴代10傑

1 藤原 正和 中央大学 2時間08分12秒 03年びわ湖
2 森下 広一 旭化成 2時間08分53秒 91年別府大分
3 五十嵐範暁 中国電力 2時間09分38秒 98年福岡
4 高岡 寿成 カネボウ 2時間09分41秒 01年福岡
5 佐藤 敦之 早稲田大学 2時間09分50秒 00年びわ湖
6 三木  弘 旭化成 2時間10分01秒 98年びわ湖
7 藤田 敦史 駒澤大学 2時間10分07秒 99年びわ湖
8 早田 俊幸 鐘紡 2時間10分37秒 92年東京
9 佐藤 洋平 カネボウ 2時間10分43秒 03年別府大分
10 油谷  繁 中国電力 2時間10分48秒 00年びわ湖
198ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 09:09
>>193
今もケニアはすごいぞ
ツル、ロバ、クマ
199ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 09:32
>>198 エチオピアでは?

>>197 ほとんどが故障で苦しんでいるな。   
>>197
8位と9位の間に細川道隆 大塚製薬 2時間10分38秒 04年東京
201ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 13:15
>>194
宗兄弟の主な福岡国際、ラップタイム

宗茂 78年福岡 3位
5km 15.19
10km 30.26(15.07)
15km 45.36(15.10)
20km 1.00.50(15.14)
25km 1.16.15(15.25)
30km 1.31.48(15.33)
35km 1.47.30(15.42)
40km 2.04.04(16.34)
2.195km(7.37)2時間11分41秒

宗茂 83年 福岡国際 3位
5km 15.18
10km 30.37(15.19)
15km 45.53(15.16)
20km 1.01.30(15.37)
25km 1.16.40(15.10)
30km 1.31.54(15.14)
35km 1.47.12(15.18)
40km 2.02.35(15.23)
2.195km(6.36) 2時間09分11秒
202ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 13:24
宗猛 79年福岡国際 3位
5km 15.25
10km 30.58(15.33)
15km 46.19(15.21)
20km 1.01.45(15.26)
25km 1.17.17(15.32)
30km 1.33.09(15.52)
35km 1.48.32(15.23)
40km 2.03.55(15.23)
2.195km(6.45) 2時間10分40秒

宗猛 81年 福岡国際 5位
5km 15.31
10km 30.31(15.00)
15km 45.29(14.58)
20km 1.00.31(15.02)
25km 1.15.53(15.22)
30km 1.31.16(15.23)
35km 1.47.06(15.50)
40km 2.04.03(16.57)
2.195km(7.26) 2時間11分29秒

宗猛 83年 福岡国際 4位
5km 15.18
10km 30.37(15.19)
15km 45.55(15.18)
20km 1.01.30(15.35)
25km 1.16.40(15.10)
30km 1.31.55(15.15)
35km 1.47.12(15.17)
40km 2.02.32(15.19)
2.195km (6.45) 2時間09分17秒
203ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 17:41
昔ダンカンが自分の息子にイカンガーって名前を付けようとしたことがある。
204ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 19:22
>>201-202 83年の福岡国際は宗茂が終盤に遅れて、五輪代表落ちかと思われたが
いつのまにか3位でゴールしたのには驚いた。 
205ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/09 19:26
当時のマラソンは、瀬古、宗兄弟、イカンガーの4人が、いつも一緒にでていた記憶がある。 
イカンガー、常に先頭集団の一番前を走っていたな。
その頃は「ラビット」という言葉は一般的に通用しなかった時代だったな。
古き良き時代だった。
207ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 09:11
宗兄弟 福岡国際 対戦成績

73年 8回 福岡国際 (茂)18位 (猛)7位
74年 9回 福岡国際 (茂)16位 (猛)11位
75年 10回 福岡国際 (茂)16位 (猛)6位
76年 11回 福岡国際 (茂)4位 (猛)19位
77年 12回 福岡国際 (茂)52位 (猛)9位
78年 13回 福岡国際 (茂)3位 (猛)15位
79年 14回 福岡国際 (茂)2位 (猛)3位
80年 15回 福岡国際 (茂)5位 (猛)2位
81年 16回 福岡国際 (茂)3位 (猛)5位
83年 18回 福岡国際 (茂)3位 (猛)4位

( 5勝5敗 )

73年のデビューから77年まで宗猛>宗茂
78年から83年宗茂>宗猛
84年から87年(宗茂引退)まで宗猛>宗茂
デビュー当時は兄弟でも練習グループが別だったらしく、宗猛の方がガンガン練習を
していた模様。
78年の別大の怪記録からロスまでは兄・茂の貫禄勝ち
ロス以降はロスで実績を作った猛と力が落ちてきた茂の力関係が逆転。
こんな流れではなかったかな。
208ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 10:08
>>207 宗茂は思いっきりの良さからくる勝負勘があった。宗猛は緻密に練習
計画を練り上げてきて脚を作ってくる感じだった。茂は猛の練習計画を見て
即座に「これとこれを一緒にやるわ」と判断して後は適当にやっていたらしい。

モントリオールのときは2人とも調整の失敗があった。猛は年末の福岡で好走
し、ニュージーランドの合宿でも調子が良かったが、そこから調子が急降下して
最終選考会のびわ湖ではスタートラインに立つことすらできなかった。茂も本番
では寒くて体が動かず勝負にならなかった。

しかしやはり不思議なのは77年の福岡でブービーを取って僅か2ヶ月後に
驚異の快走をした茂。それまでのベストは76年の福岡でようやく15分を切った
程度だったのが、その後は大体まとめてうまく走っていたし、ここという時は
ロス五輪以外では結果を出してきた。広島のワールドカップはあかんかった
かもしれないが。何がそこまで茂を変身させたのか。
209ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 11:40
そういえば、ラビットっていつごろ生まれたんだろう?
210ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 12:48
>>209
正式なラビットが認められたのは90年代からだと思うけど、
85年ロッテルダムでのロペスの世界最高はベルギーのルソーや
ベーゲマンあたりがラビットをしていた。
しかしその前年のシカゴのSジョーンズの世界最高はケニアの
カマウが引っ張ったがペースメーカーではなかった。(4位2.10.05)
この84−85年前後、ロッテルダムやロンドンあたりが出てきた頃
からではないかなぁ。
88年のデンシモの時は既出でラップタイムがでていたが、15分での
平均ペースになっている。
何か補足できる方お願いします。
211ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 13:07
宗兄弟VS瀬古 対戦成績

77年 12回福岡国際 (茂)52位 (猛)9位 (瀬古)5位
78年 13回福岡国際 (茂)3位 (猛)15位 (瀬古)優勝
79年 14回福岡国際 (茂)2位 (猛)3位 (瀬古)優勝
80年 15回福岡国際 (茂)5位 (猛)2位 (瀬古)優勝
83年 03回東京国際 (茂)10位 (猛)2位 (瀬古)優勝
83年 18回福岡国際 (茂)3位 (猛)4位 (瀬古)優勝
84年 23回ロス五輪 (茂)17位 (猛)4位 (瀬古)14位

茂 0勝7敗
猛 1勝6敗
宗兄弟が瀬古に勝てそうだったのが79年の福岡国際。宗猛が仕掛けて
瀬古が離れる最初で最後のレース展開。宗兄弟と瀬古との差が開いたんだが。。

唯一の勝利がロス五輪。これが最後の対決でもあった。その後、中山が台頭。
瀬古との比較は中山に移っていった。
212ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 13:20
瀬古VS中山

83年 18回 福岡国際 (瀬古)優勝 (中山)14位
88年 24回ソウル五輪 (瀬古)9位 (中山)4位

1勝1敗
瀬古と中山は全盛期にズレがある。瀬古は78年から83年くらい
中山は84年から87年あたりか。
その為、前レースは瀬古の力が上。後レースは中山の力が上。
87年の福岡国際での直接対決を見てみたかったが、中山の全盛期だけに
やはり瀬古不利だったのではないかと思う。ただレース展開に変化があったかも
しれない。(中山があそこまで前半飛ばせたかどうか。)
213ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 13:47
宗兄弟VS伊藤国光

76年 31回大津毎日 (茂)== (猛)38位 (伊藤)46位
76年 11回福岡国際 (茂)14位 (猛)19位 (伊藤)12位
78年 27回別府大分 (茂)優勝 (猛)2位 (伊藤)3位
78年ミルトンケーネス (茂)4位 (猛)優勝 (伊藤)3位
78年 13回福岡国際 (茂)3位 (猛)15位 (伊藤)11位
79年 34回大津毎日 (茂)優勝 (猛)4位 (伊藤)5位
79年 モスクワプレ五輪 (茂)2位 (猛)10位 (伊藤)8位
79年 14回福岡国際 (茂)2位 (猛)3位 (伊藤)8位
80年 15回福岡国際 (茂)5位 (猛)2位 (伊藤)3位
81年 16回福岡国際 (茂)3位 (猛)5位 (伊藤)2位
83年 18回福岡国際 (茂)3位 (猛)4位 (伊藤)6位
85年 01回W杯広島 (茂)17位 (猛)8位 (伊藤)77位
87年 17回福岡国際 (茂)== (猛)棄権 (伊藤)17位

茂VS伊藤 7勝4敗
猛VS伊藤 8勝5敗
この3人のハイライトは>>204さんがご指摘の83年福岡国際。
ロス五輪代表選考会でイカンガースパートの後、第二集団で伊藤、宗猛、サラザール
の3人に。宗茂は脱落。この段階で宗茂の五輪代表は潰えたと思われた。
その後、茂の脅威の追い込みで伊藤が脱落。この頃の選考会は福岡1本化で代表争いの醍醐味を
見る事ができた。
4年後、87年の福岡では茂引退、猛途中棄権、伊藤惨敗と3人の時代が終焉を迎えた
感じを受けた大会でもあった。
214ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 13:59
>>212
瀬古と中山の直接対決が少ないのはロス五輪以降、瀬古は海外の賞金レースばかり出て
国内のレースにほとんど出なくなったため。
実際には瀬古はこの頃すでに中山にはどうやっても勝てないと悟っていたため
あえて直接対決を避けたのではないかと思われる。
215ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 14:10
>>214 そのころは日本のエースが中山で、瀬古は大御所的な扱いか?
巨人の投手にあてはめると 中山=上原 瀬古=桑田 という感じか?
216ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 14:25
もしこの時代に2ちゃんがあったら瀬古ヲタと中山ヲタとの凄まじいバトルが見られたであろう
217ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/10 14:39
>>213 表がずれているか写し間違っているよ。例えば76年の大津毎日は
猛が走らず、茂が3位。同年の福岡も茂が4位。77年がないのも?。
218213:04/05/10 15:49
<<217
私の持っている資料が間違っているのかもしれませんが、

76年 4月18日 31回大津毎日マラソン
3位 宗茂 2時間18分05秒(モントリオール五輪代表権獲得)
38位 宗猛 2時間29分32秒
46位伊藤国光2時間31分05秒(初マラソン)

たしか私の記憶ではモントリオールの最終選考会は宗猛も走った記憶があるのですが。。

76年の福岡国際は14位ではなく4位の間違いでした。
77年の福岡国際は伊藤国光が欠場。
219213:04/05/10 16:12
伊藤国光VS喜多秀喜

78年 27回別府大分 (伊藤)3位 (喜多)5位
78年ミルトンケーネス(伊藤)3位 (喜多)優勝(宗猛と同着扱い)
78年 13回福岡国際 (伊藤)11位 (喜多)2位
79年モスクワプレ五輪 (伊藤)8位 (喜多)48位
79年 14回福岡国際 (伊藤)8位 (喜多)41位
80年 15回福岡国際 (伊藤)3位 (喜多)15位
81年 16回福岡国際 (伊藤)2位 (喜多)14位
82年 17回福岡国際 (伊藤)4位 (喜多)2位
83年 18回福岡国際 (伊藤)6位 (喜多)7位
84年 04回北京国際 (伊藤)2位 (喜多)優勝
84年 19回福岡国際 (伊藤)5位 (喜多)55位
85年 20回福岡国際 (伊藤)3位 (喜多)棄権
88年 23回福岡国際 (伊藤)20位 (喜多)5位

伊藤VS喜多 8勝5敗
伊藤と喜多は同世代にマラソンを走ったいるが、思ったよりも終盤競った事がない。
安定感のある伊藤に比べて、スピードランナーにありがちな諸刃の剣を
持っていた喜多はスタミナ切れを起こすと大惨敗をしていた為。
そんな中で84年の北京国際が唯一の2人での優勝争い。この時はラストの切れで
一枚上手な喜多が伊藤を振り切って優勝。
伊藤が優勝経験がないのに対し、喜多はラスト勝負で4勝している。
220213:04/05/10 16:22
中山竹通VS谷口浩美

86年 06回東京国際 (中山)4位 (谷口)7位
86年 10回アジア大会 (中山)優勝 (谷口)2位
87年 07回東京国際 (中山)2位 (谷口)優勝
87年 22回福岡国際 (中山)優勝 (谷口)6位
91年 03回東京世陸 (中山)棄権 (谷口)優勝
92年 25回バルセロナ五輪 (中山)4位 (谷口)8位

中山VS谷口 4勝2敗

マラソンの走力的には中山の方が上回っていた感が否めないが、
中山に勝った谷口の2勝はとても印象に残るものとなった。
88年以降は中山の力の下降と谷口の安定感に磨きがかかり
谷口>中山の評価が一般的ではなかったか。
マラソン勝利数では中山4勝、谷口7勝になっている。
221213:04/05/10 16:31
訂正しておきます。

宗兄弟VS伊藤国光

76年 31回大津毎日 (茂)3位 (猛)38位 (伊藤)46位
76年 11回福岡国際 (茂)4位 (猛)19位 (伊藤)12位
78年 27回別府大分 (茂)優勝 (猛)2位 (伊藤)3位
78年ミルトンケーネス (茂)4位 (猛)優勝 (伊藤)3位
78年 13回福岡国際 (茂)3位 (猛)15位 (伊藤)11位
79年 34回大津毎日 (茂)優勝 (猛)4位 (伊藤)5位
79年 モスクワプレ五輪 (茂)2位 (猛)10位 (伊藤)8位
79年 14回福岡国際 (茂)2位 (猛)3位 (伊藤)8位
80年 15回福岡国際 (茂)5位 (猛)2位 (伊藤)3位
81年 16回福岡国際 (茂)3位 (猛)5位 (伊藤)2位
83年 18回福岡国際 (茂)3位 (猛)4位 (伊藤)6位
85年 01回W杯広島 (茂)17位 (猛)8位 (伊藤)77位
87年 17回福岡国際 (茂)== (猛)棄権 (伊藤)17位

茂VS伊藤 8勝4敗
猛VS伊藤 8勝5敗

やはり31回 大津毎日には宗猛は出場していますね。
前年、30回(1975年)大津毎日は宗猛のみ出場。2時間23分38秒 20位
という成績が残ってます。
222213:04/05/10 16:57
宗茂VS宗猛

73年 08回延岡西日本 (茂)優勝 (猛)2位
73年 08回福岡国際 (茂)18位 (猛)7位
74年 09回福岡国際 (茂)16位 (猛)11位
75年 10回福岡国際 (茂)16位 (猛)6位
76年 31回大津毎日 (茂)3位 (猛)38位
76年 11回福岡国際 (茂)4位 (猛)19位
77年 12回福岡国際 (茂)52位 (猛)9位
78年 27回別府大分 (茂)優勝 (猛)2位
78年 33回大津毎日 (茂)3位 (猛)優勝
78年ミルトンケーネス(茂)4位 (猛)優勝(喜多と同着扱い)
78年 13回福岡国際 (茂)3位 (猛)15位
79年 34回大津毎日 (茂)優勝 (猛)4位
79年モスクワプレ五輪 (茂)2位 (猛)10位
79年 14回福岡国際 (茂)2位 (猛)3位
80年 15回福岡国際 (茂)5位 (猛)2位
81年 30回別府大分 (茂)優勝 (猛)2位
81年 16回福岡国際 (茂)3位 (猛)5位
83年 03回東京国際 (茂)10位 (猛)2位
83年 18回福岡国際 (茂)3位 (猛)4位
84年 23回ロス五輪 (茂)17位 (猛)4位
85年 01回W杯広島 (茂)17位 (猛)8位
85年 05回北京国際 (茂)優勝 (猛)2位

通算対戦
宗茂VS宗猛 12勝10敗

87年までに宗茂は76年モントリオール五輪、85年東京国際、87年ロンドンが
猛と走らず単独出場。

同、宗猛は75年大津毎日、75年モントリオールプレ五輪、76年コシチェが単独出場。
223ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 02:08
瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多は福岡に毎年のように出場してますね。

福岡を調べてみると78年から83年までの間は、上位でこの5人に割って入った他の
日本人選手がいないようです。
いかにこの5人が突出しているのがわかります。
224ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 05:26
>>209
83年の福岡の頃、宗兄弟が83年東京国際のようなハイペースを想定して
入りの5kmから14分45秒くらいに対応できる練習してたといってた。
イカンガーが参戦するのを見越してだと思うけど。
結局、15分15秒前後の推移で少しリズムが崩れたと後日、語った。

今のマラソンはラビット導入で15分ー15分05秒の推移だから、
練習も15分ペースでの設定なんだろう。
見ていて一人旅は決して面白いとは思えないが、14分40くらいの入りで
飛ばすような力のある日本人マラソン選手をまた見たいな。
225ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:23
去年松宮が30qロード世界新を18年ぶり作りましたが、それまでの記録はなんと
85シカゴマラソンのS・ジョーンズの30q途中ラップですね。このときのジョーンズ
は87福岡の中山より早いタイムで前半から飛ばしたそうですが記録の詳細分かる方
いますか?

226ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:30
225>ジョーンズの前半ハーフよりも98ベルリンのダコスタの後半ハーフの方が
早いぞ。20q以後のダコスタのタイムは全て14:30前後で推移してますね。
これは疑惑の記録ではないですか。その後の彼のレースを見ると改めて
あの記録は何だったのかと思います。
227ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:35
225の言われるレースは2:07:13で世界記録に1秒及ばなかった時ですね。
私の記憶では20qを58:20。30qを1:28:40だったと記憶してます。
これは今も抜かれないマラソン途中ラップのはずです。
228ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:37
ていうか・・・スティーブ・ジョーンズの途中計時はラビットの付く今の
大会では更新不可能なのでは・・・
229ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:45
前スレで86北京マラソンの児玉の日本記録と全国高校駅伝5区の区間記録
の真偽は日本陸連の中ではタブーとされているとありましたが、何故ですか?
確かに北京は40q地点がずれている気はしましたし、全体的に距離がおかし
かったですね。しかしなぜ全国高校駅伝5区の記録が疑惑なのでしょうか?
高校駅伝は距離は正確に計測されてるはずです。分かる方いますか?
230ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:50
ロナルド・ダ・コスタ か 懐かしいね。私の25年の観戦歴の中で一番の
衝撃は無名走者が10年ぶりにデンシモの記録を45秒更新したニュースを聞
いたときかな。2番目の衝撃はその翌日のダコスタの経過ラップを新聞で
見た時だな。
231ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 12:57
松宮の名前見て思い出したが、30q前日本記録保持者の西本一也?は期待
してたんだよ。85熊日ロードで1:28:46出した時は若いしこれからの日本
をしょっていくランナーだと応援してたのだが。西本と渡辺康かな俺的
に期待を裏切ったランナーは。
232ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 13:02
言われるように、北京マラソンは明らかな距離不足。40キロ地点だけでなく25キロ地点も
怪しいよ。
高校駅伝5区に関してはソースが無いのでよく分からないです(何故疑惑なのか
質問の意味も分かりませんが)
233ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 13:15
私の見た中では前半ハーフを1時間1分台で走ったのは3人(優勝者)だけですね。
85シカゴのジョーンズ。86北京の児玉(疑問計時だが)。87福岡の中山。
後半ハーフを1時間1分台で走ったのはダコスタただ一人。
ジョーンズの前半とダコスタの後半あわせれば2時間3分前後の記録になるけど


234ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 13:21
アベラが勝つ度に「せこい勝ち方するなよ」と憤慨してましたが、最近何故か
アベラと瀬古がだぶって見えます。当時の世界メディアも瀬古の勝ち方見て
文字通り「瀬古い勝ち方しやがって!」と思ってたんだろうね。
235ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 13:23
山田君234に座布団一枚あげてやれよ。
冗談はさておきアベラと瀬古が戦ったらどんな展開になるかな。
僕的には瀬古の方がスプリントで上回ってるように感じるのだが。
236ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 13:26
瀬古アベラか、記録的にはつまらんレースになりそうやな。
中山やイカンガーのほうが好きやな。おれはな。
237ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 14:22
>>234
昔からマラソンを観戦の方だとお分かりだと思いますが、
エチオピア勢は国民性かほとんどグループで走るか、待機型の選手ばかりでした。
ざっと名を挙げるだけでもアベベ、マモ、バルチャ、ネディ、メコネン、ネゲレ、
デンシモ、デュベ、そしてアベラなど。先行逃げ切りのレースをほとんどしない
タイプばかりでした。ジブチのサラやジャマも後方待機型。
その変わりイカンガー、シャハンガ、ブラ、サイモンなどのタンザニア勢や今、強いケニアは
前半からどんどん逃げるタイプが多いようです。(中には日本育ちのワキウリや
ワイナイナ、ジェンガなどは集団待機型ですが。)
日本も昔から中山、宗茂以外は集団待機型が多いようです。
(もちろん全員は当てはまらないでしょうが。。)
もしかしたら高岡もタイプ的には先導型かもしれませんね。
238ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 14:29
>>237
そうだなぁ。そういえばネディ、バルチャ、メコネンが縦一列で走って、
ドリンクの回し飲みをしてた印象があるな。
239ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 14:41
俺が見た中で、瀬古って80年と83年の福岡国際くらいだろ、コバンザメ走法で勝ってるのは。
よく考えたら前半から飛び出す事はなかったけど、40キロ前にスパートしたものがほとんどではないか。
79年の福岡はやっとこトラックまでついていけた感じだった。
やっぱ83年の福岡の印象が強いようだ。
240ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 14:41
ドリンクといえば、醤油の瓶を、スペシャルドリンクのボトルに使用したというのを
聞いたことがあるのですが、誰でしたっけ? 
ヤマシンに勝てる漢はいない。
242ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 16:01
>>229
さっきまで88北京のVTR観てたんで40q前後チェックしたけど
39.7 2:00:13
39.8 2:00:32
39.9 2:00:51
40.0 2:01:22
40.1 2:01:41
40.2 2:01:59
40.88 2:03:59 41q地点
ゴール 2:07:35
40q地点、後にずれてるようですね。距離も?
トラックに入ってからメコネン戻してましたね。
メコネンは、よく嘔吐してる所みたけど内臓に問題あったのかな

88、89はメコネン強かったですね。ソウル五輪に出てたらと思うと、
まあ、暑さには弱そうですけど、この時期はワキウリも強かったんで
この2人の対決は観たかった。
ソウルのレース展開だと谷口が出てたらと思うと、、、
243ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 17:58
メコネンは87東京で谷口、中山に次いで3位になった時も他人のドリンクを間違って
のんでレース中吐いてましたね。以外とデリケートな人ですね。
わたしもソウルは新宅ではなく谷口に出て欲しかったな。
瀬古は選ばれたのは順当だと思うよ、ロンドン、シカゴ、ボストンと3連覇したのだから。
知名度ある瀬古にマークを向けさせて影の実力者の中山がその間隙をぬってゴール
する・・・というのが陸連の考えだったのでは。
244ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 18:05
瀬古は実力からいって記録を狙って言ってたら7分台、6分はまちがいなく出してたろう。
しかし勝率はさがったのはまちがいない。瀬古は記録にこだわらずに勝負に
徹していったからこそ伝説の存在になりえたのだ。今思えば83東京が
正規の距離だったら間違いなく世界記録だったのに。

245ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 18:09
83東京は距離がおかしかったのは当時TV中継から感じてました。
最初の5キロが16分近くかかったのに5〜30キロは全て14分台
しかもそんなにペースが速くなったとは感じませんでしたからね。
何bずれていたのだろう。
246ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 18:13
そういえば1983年の東京マラソンは瀬古の約2年ぶりの復活マラソンだったな。
戦前予想では1位ゴメス、2位イカンガー、3位瀬古でした。
ゴメスの大股スライド走法は迫力あったな・・・1982年は4戦3勝で残りの
1敗もサラザールに僅差の2位でしたからこの予想も仕方ないと思いますね。
247ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 22:42
瀬古は負けることが許されないランナーだったな。
248ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/11 23:40
>>247
そこまで思い上がってはいないだろ
スポーツやって負ける事が許されないなんて
真面目な顔して言うのはメジャー2軍の巨人関係者だけ
249ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 00:20
ロス五輪で瀬古が惨敗した時の衝撃はマラソン界にとどまらなかった。
日本中が、何か見てはいけないものを見てしまったかのような雰囲気になった。
ロス五輪の時は、柔道の山下とともに瀬古は日本中の悲壮感を背負っていた。 
250ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 01:12
>>249
79年の福岡で瀬古、宗兄弟のワン・ツー・スリーでモスクワ代表権獲って、
「新星に期待」の雰囲気があり、83年の福岡の時は、日本中で瀬古への
期待が頂点に達した感じがした。

もうこんな期待をかけたマラソンランナーは出てこないのかもしれないな。
20年前の時代背景もあるだろうしね。

251ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 01:16
しかしあれだけ最強を誇ってたアメリカがここまでマラソン弱くなるとは
思わなかった。
70年代、80年代前半のマラソンに詳しい方ならわかってもらえるかな。
252ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 01:44
>>251
よく解るけど、弱くなったのはアメリカだけではないと思う。
イギリス、ジプチ、ドイツなどもトップランナーが絶滅した感がある。
オーストラリア、韓国、ポルトガルも後継者輩出に苦しみ、
メキシコ、イタリアは一時の勢いは見られなくなった。
逆にケニア、モロッコ、フランスは最近強くなったな。
こうして国別で見ると、時代によって強い勢力が入れ替わり立ち代わりで
栄華必衰の感がある。
日本はエチオピアやタンザニアと同タイプで、一時のスランプから持ち直したか。
確かに日本勢は90年代半ばは目も当てられないほど悲惨な状況だったが、
最近はペースメーカーのお膳立てが有ればそこそこの記録を出せるようになってきた。
70年代、80年代前半のマラソンを見ていた方々には
最近の日本勢の弱さにはまだまだ物足りなさを感じるかもしれんが、
最近のアメリカやイギリスやジプチやドイツの現状を見ると
まだ日本の現状は恵まれているかもしれない。
253ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 04:57
>>243
メコネンは91年東京世界陸上で棄権する直前も吐いてたな。
メコネンの軽い腹痛なら数え切れない程記憶がある。
体質なんだろうけど、その割にメコネンよく頑張ってたな。
あと印象深いのは、ハイルマンの足痙攣。
>>223
それでも5強とかは言われずに
瀬古vs宗兄弟
って紹介されてた印象あるんだが…。

俺はガキだったんで記憶曖昧だが。
上にあったが、ローゼンカバリー国光ってのはしっくりくるなw
瀬古はテイエムオペラオー?
255ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 05:30
当時メインは瀬古、宗兄弟だった。伊藤、喜多は脇役だったね。
ビジュアルも大きくものをいったのではないかな。瀬古宗兄弟はインパクトあったからな。
256ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 05:33
ハイルマンはドイツのハンサム走者だったかな?記憶に間違いなければ
84福岡で中山に足痙攣で敗れたランナーでしたね。
257ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 05:38
>252 スペインだけは安定して名ランナーを排出してますね。
フィス、アントン、ペーニャ、今年の琵琶湖優勝者(名前ど忘れ)もそうでした。
スペインは30過ぎてから強くなっているのが特徴です。
258ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 09:31
ロス五輪以降、南欧諸国の選手の台頭が目立ってきた。 
259ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 22:47
>>258 スピードはそれ程とは思わなかったが、粘りを感じた。 
260ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/12 23:37
アベベ・メコネンは日本によく来ていたな。
谷口のライバルって紹介されたりしてたな。
メコネンはソウルの年がまさにピークだったと思う。デンシモも。
だからソウルをエチオピアがボイコットしたときは残念だった。
月陸なんかで読んだけど、メコネンは今エチオピア陸上界の重鎮らしいね。
261ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 05:37
メコネンはデンシモと違ってラストが強かったね。
88東京、88北京と谷口を競技場前で連破した時のスプリントは
素晴らしかった。
262ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 05:45
このスレみて伊藤国光が安定した好成績を出していた事に驚きです。
私の印象では終盤、首が左右に振れだして落ちていくイメージしかなかったので。
特に81と82の福岡で同じような展開で35キロ前後、陸橋の上で引き離されていく
様子が印象深かったので。
メコネンは昨年の長野マラソンに出場していた。
人づてに聞いた話によると、長野で13分台を出すために連日30km走りこんできたそうだった。
しかしお腹は脂肪がタップリついていた。
おまけにレース前はアップを全然しなかった。
時間がくるまで控えテントで毛布にくるまって寝ていた。
結果は2時間26分51秒で20位だった。
メコネンは91年の東京で、レース終盤スパートを掛ける前に並走していた小指徹(ダイエー)のお尻を撫ぜた。
そしてそのまま優勝のテープを切った。
テレビ観戦していた漏れは「ヤシはモ〜ホ〜だ!」と思った。
265ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 10:18
メコネンの優勝インタビューは印象深いな。
何せメコネンは全く自国語以外喋れず、コーチも自国語と英語しか判らないので
メコネンとインタビュアーの間に通訳とコーチを挟んで会話してたから、
観てて結構イライラした。もっと使える通訳使えよ・・・と当時思った。
メコネンがモ〜ホ〜のイメージは無いな。97年福岡に優勝したチュグワネも
ペースメーカーがお役御免時に尻叩いて感謝の意を表してたから、
あれはアフリカ人の伝統的な挨拶方法かもしれないな。
やっぱりメコネンのイメージとしては「アフロ」の髪型に尽きる。
街中でアフロを見ると、中山とかパパイヤ鈴木じゃなく、何故かメコネンを思い出す。
266ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 10:36
メコネンは日本人には親しみやすいw 顔立ちでした。
彼は今のエチオピアの長距離隆盛の基礎を築いたひとでしたね。
(俺はアフロを見るとメコネンでなくクリスタルキングを思い出すが・・・)
267ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 11:02
>>265 アナウンサー→日本語と英語の通訳→英語とアフリカ語の通訳→メコネン→
   →アフリカ語と英語の通訳→英語と日本語の通訳→アナウンサー→・・・
と、いったような感じだったかな?
東京国際マラソンか、どっかで飛び出したアフリカ選手をさして、
解説の宇佐美さん?だったかな?「この選手は、これからマラソンの真の怖さを
知るでしょう」とかいったが、あれよ あれよというまにゴールまで快走したな。
当時は未知なる強豪とか、予想外の展開とか、現在のつくられたレースと違い、
天然の面白さがまだあった時代だったな。                
268ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 11:45
86東京マラソンです。飛び出した選手は当時無名のデンシモでした。
結局優勝したイカンガーについで2位なり、3位メコネン、4位中山に勝ちました。
解説者面目丸つぶれで試合後落ち込んでましたね。
269ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 12:49
そうそうデンシモだった。
>>268
レース終盤、アナウンサーが
「現在の2位は・・・・・

この人ですよ!この人!」
と言って驚いていたな。

後の88年にロッテルダムで出した2:06:50は10年間破られなかった。

271ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 19:54
86年の東京国際の5キロごとのラップはどんな感じでしたか?
この時は上位陣が軒並み2時間8分台だったような気がしたが・・
   
   
272ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/13 20:56
>>233
後半ハーフ1時間1分台は去年ベルリンで世界最高を出したP・テルガトが
1時間1分51秒で走っている。同様に1秒差で2位だったS・コリルも1分台で
走っているよ。
273ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 20:42
86年の東京国際は上位4選手が2時間8分台という高レベル。
そのあと5位で入ってきたのが東ドイツのハイルマン。
ハイルマンはそのころ頻繁に来日してたような。
地味ながら、貴重な、わき役外国人選手といった感じだった。   
274ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:25
上の方で、散々述べられてるけど、
アベベ・メコネンは本当に勝負強かったなあ。
アベベ・ビキラの遠い遠い親戚らしいが、
マラソンの血を引いていたんだろうか。

ソウル五輪に出ていたら、あのレース展開なら
間違いなく勝てただろうな。
もしソウル五輪で中山が躊躇せずに飛び出したとしても、
メコネンなら楽々と付けただろう。
当然ながら、ボルディン、サラー、ワキウリごときでは、
中山のスピードには太刀打ちできず。
275ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:39
遺伝子的にスポーツ全般、そしてマラソンも黒人には絶対勝てないな。
高校駅伝の留学生とかみてもいくら努力しても超えられない持って生まれた
DNAの差を感じるよ。
かつて日本人がマラソンで世界に通用したのはアフリカ勢が本格的に参入していな
かったからだ。
努力ではどうしようもない素質の壁・・・悲しい。まー日本人には日本人の良さもあるのだけどね。

276ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:43
そういや高橋尚子に勝ったアレムと金メダリストのアベラは結婚したらしい
ね。二人の子供はとんでもない遺伝子を持ったランナーに成長していくだろ
う。ブルブル
277ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:47
>>276
へぇーーーすごいなーーー!!!でも、子供一人だけだと陸上やりたくないとか
言い出しかねないし、たくさん産んどいたほうがこれからの陸上界のためにもいいかも
278ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:49
9歳年の差があるが、高橋尚子と佐藤清治を結婚させて子供を英才教育
させれば、日本にも将来望みがあるかも。二人とも近年希に見る素材の
持ち主だろう。
279ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:52
>>278
高橋尚子を満足させるチンポコをもっているのは
漏れ以外に日本に3人位しかいない
280ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 22:54
佐久長聖から順天堂にいった佐藤清治は今なにしてんだ?消えたな。
281ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 23:00
高橋がケニヤの有望ランナーと国際結婚すればその子は日本人として
凄い記録作りそうやな。ハーフのほうが肉体的に優勢遺伝するらしいし。
例えば室伏広治は日本人とルーマニア人のハーフだしな。
282ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 23:03
マラソン板、室伏広治か。
283ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 23:05
佐藤清治は陸上を止めて今は地元長野で役場勤務らしいです。
284ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 23:09
佐藤は良い環境下にあれば1万26分台、5千12分台は間違いなく
だすランナーに成長しただろう。惜しい。
285ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 23:34
ケニア、タンザニアといった国々はマラソン選手輩出に環境自体が適している。
そこに現代の理論や科学が加味されている。
でも、現代日本がマラソン選手を輩出する環境にあるのかというのも疑問だ。
確かに体格はよくなったように見えるが、身体の質は低下していると思う。
昔のランナーで貞永の記録をみたが、1年間の間に5,6回、フルマラソンを
こなしている。タイムの違いこそあれ体力は昔の選手の方が上回っていたと思う。       
286ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/14 23:36
>>285 エチオピアもだ。
287ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 00:17
丈夫なランナーでは君原もそうだな。伊藤国光も優勝こそ無いが、数多くの
マラソンをこなしている。
最近の選手は故障が多すぎる。森下広一以降その傾向が一気にでてきた感じだ。  
288ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 00:37
>>285>>287
故障が多いのも確かだが、それよりも問題はちょっと故障しただけですぐ
フェードアウトしてしまう選手が多すぎることかな。

瀬古も故障は多かったがその都度きっちり復活してきたし、
中山なんかレースの4日前に脚をねん挫しながら2時間8分台で走ったりしていた。
体力以上にメンタル面で昔の選手と比べてひ弱になってきている気がする。
その意味では俺は佐藤敦之には大いに期待しているのだが。
289ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 09:28
>>284
君は歴史を知らんな
佐藤とか渡辺のような日本記録に迫る超高校級は何年かに
一人は出てるんだよ
だが東京五輪後、世界の超一流に駆け上がったのは瀬古利彦ただ一人
佐藤のようなのはありふれた例なんだ
惜しいってより
ああまたかってやつだ
290ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 09:56
「地力」というのがかつての名ランナーにはあった。
そこが一番の差だと思う。 
291ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 11:37
地力というイメージならロバート・ド・キャステラだな
底力というものを感じたよ 
292ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 12:58
>>289

君は歴史を知らんな。新制になってからは年期のいる中長距離は高校生と
トップ層の差が大きく日本記録に肉薄した日本人高校生など佐藤の他いない。
渡辺のどこが日本記録に肉薄した?5000は14分も切れなかったし、10000の
高校記録だって日本記録から50秒以上差があった。因みに瀬古は1500で高校
記録を作ったが10"3の差があった。5000に至っては歴代4位どまり。

強いて挙げれば長良高校の渡辺国昭が高校時代に1'53"6に走ったことが特筆
されるくらい。彼は大学2年で1'50"9の日本記録を作っている。
293ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 13:01
キャステラは長身でごつかったから走ってても存在感あったね。
髭が似合ってて絵になるランナーだった。オリンピックも4度出てたし。
294ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 13:10
佐藤に匹敵する素材をあえてあげるなら中学時代の和田仁志か。
800も1500も実に21年間破られていないどころか脅かす者すらいない。
中学で「怪物君」と言われたが、高校で入賞レベルのランナーになり、大学で
普通のランナーになり、そしてフェードアウトしていった。
単に早熟だったのか。
295ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 13:13
長野県の人は他県より成長がはやいのでは。そのかわり衰えるのも早いけど。
和田や佐藤、その他、佐久長聖の選手を見てたらそうおもうな。
塚田直也とかもそうだな
297ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 14:07
長野県は中山竹通、伊藤国光といった名ランナーを生んでいる。
長野県人の特徴はスポーツを純粋なアマとして、スポーツで稼ごうという精神を軽蔑する。
それだけに、中山の存在は長野県においては、極めて特異なものであった。      
270番台のレスに突っ込み入れておくと、
エチオピア人は純粋な黒人ではありませんので。
ケニアやタンザニアの人と比べると、かなり顔立ちが違ってますよ。
299ノートルダムマラソン:04/05/15 14:57
ちょっと、余興にマラソンクイズ。
私は資料を見ながら出題してますが、
何も見ずに半分以上正解した人はマラソンの鬼と呼ぶにふさわしい。
(問題文は全て「男子マラソン」にのみ言及しています)
【1】 マラソン競技のルーツとなったマラトンの戦いは何世紀の出来事?
【2】 五輪の男子マラソンで、同国の1・2・3独占は過去何回?
【3】 箱根駅伝出身で、五輪マラソンでメダルを獲得したのは過去何人?
【4】 アジア大会で2連覇した2人のランナーは?
【5】 コチシェで優勝した事がある唯一の日本人は?
【6】 ショーターが×××をしながら作った琵琶湖の大会記録を更新した選手は?
【7】 ボストン、ウィンザー、コチシェ、この中でアベベ・ビキラが優勝した事があるのは?
【8】 村上龍の小説「ニューヨークシティ・マラソン」の中でトップを走っているランナーは?
【9】 ロッテルダム、ハンブルク、ローマ、パリ、この中で開催国の選手の優勝が無いのは?
【10】 日本人が最後に世界ランク一位になったのは何年?
300ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 15:56
何も見ないで(勘違いがなければ)1,3,4,5,6,7,8,10は分かる。3,7はあやしい
かもしれない。2,9は調べないと分からない。

因みに8は1976年の大会で、どうせ***がトップで来ると思ったら△だったので
驚いたという文脈だったと記憶する。
301ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 17:07
>>299 【2】は0回かな? 【9】はロッテルダムかな? オランダにマラソンの
 強豪はいたかな? 【3】は円谷、君原、森下、ワキウリ、ワイナイナは
大学出じゃないと思うけど・・。 戦前の孫基禎が明大出身だが、そのときは
もう走っていないと思うし・・。 難しいな。              
302ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 19:49
>>299
【4】は君原とあと一人は誰だろう
【5】は君原か宇佐美か采谷
【6】は阿部か須永
303ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 20:16
>>299 >>143-150 【6】は阿部文明
【5】は宗猛? 
304ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/15 22:12
300だが2連覇したのはイ・ボンジュ。5は宗猛(1977),6は阿部文明(1985).後
調べていない段階で1は紀元前5世紀(-480年あたり。アケメネス朝のダリウス
大帝が攻めてきたとき)、3はゼロ、10は森下だろう(1991)。7は怪しくてウィンザー
のような気がする。6は300でほのめかした通り。2は分からない。9は四択なら
ロッテルダムを選びたい。
305ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:08
中山竹通が長野出身だと聞いて「エッ」とおもいましたね。
イメージが違いますからね。
306ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:10
詳しくは知らないが、中山は高校卒業して苦労したらしいね。
その時の辛い経験が反骨心のつよい中山の性格を形作ったのでは。
307ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:14
そうそう。その当時エリート瀬古VS叩き上げ中山、だったな。
でも多くの人は中山に共感して他と思うよ。
丁度同時期にエリート藤波辰巳VS維新長州力とダブって見えてましたね。
ほとんどの人が長州応援してたな。
308ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:16
中山やイカンガーのようにリスクを恐れずに先頭を突っ走るランナー
は俺は好きだな。かっこよかったよ。
瀬古やアベラのような安全運転は嫌いだな。
309ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:20
同じことが宗兄弟にもいえますよね。
茂が中山タイプ。猛が瀬古タイプでしたね。
茂が2:09:05で別大制した時は驚いた。当時としては驚異的
ハイペースでしたから・・・。TVはニュースでしか見れませんでしたが。
茂もすきだな。
310ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:21
兄弟だけど性格違うよね。茂は剛気で猛は穏やかだな。
レースにもあらわれてるよ。

311ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:22
懐かしいな。
312ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 06:24
青春だったよな70〜80年代は。ウルウル・・・・・
313ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:44
中山は苦労人ってきいたのですが、詳しくおしえてくらはい。
314ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:48
確か高校時代は5000b15:40の平凡なランナー。勿論実業団の誘いは無し。
しかし夢を諦めきらない中山はアルバイトしながら一人でトレーニングし
ある大会で30キロを1:31台で走り注目されダイエーに誘われ花開く。
だったかな?訂正あればお願いします。
315ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:49
凄い奴だ、こんな根性ある奴は今はいないな。
316ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:50
アルバイトというのは確か国鉄だったはず。
317ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:52
そう国鉄です。駅のトイレ掃除をしてる時に高校の同級生とかと会って辛い
思いをしたそうです。掃除の時も正体ばれないために帽子を目深にかぶって
してたそうです。しかし180の長身ですから直ぐ分かります、良く耐えたと
おもいますね。
318ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:56
中山は長身で足が長くてスライド走法のイメージあるけど
宗兄弟も178pだからあまり身長は変わらなかったんだね。
しかし宗兄弟は純日本人体型だったから長身のイメージなかったな。
319ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:57
w 瀬古はもっと日本人体型だったですね。
320ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 08:59
中山VS瀬古はよく話題になるけど、お互いが全盛期に対決したら
どっちが強かっただろうね。
321ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:01
ウーン 全盛期をいつと考えるかだな。
中山は86〜87
瀬古は79〜80とみれば、タイマンなら瀬古が勝つだろうな。
322ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:03
俺も同意。中山が飛ばしても背後にピタリと付いて風よけにし40キロ
すぎにスパート。遅くともラスト100の勝負に持ち込めば瀬古が勝だろう。

323ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:07
瀬古はトラックの成績見ても潜在能力はもっとある見るべきだろう。
80年頃もマラソンでタイム狙いで行けばかなりのタイムだせたはずです。
81ボストン以降は故障で明らかに実力落ちていました。それでも
あれだけの走り出来たのだから凄いです。
324ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:08
中山の擁護派はいないのか?  
325ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:09
残念だが中山は好きだけど、瀬古は物がちがったな。悔しいけど・・・
326ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:10
禿同             
327ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:11
求道者みたいなランナーだったな瀬古は。全盛期は神がかっていたよ。
328ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:14
中山は長野県北安曇郡池田町出身。
帯刀ひでゆきも同じ池田町で中学は中山の後輩。
ちなみに乙葉は2人の後輩。
学校は高校までずっと地元の公立。     
329ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 09:34
87年頃は世論も瀬古派と中山派に分かれてヒートアップした。
週刊誌でも連日2人の事を掲載。
当時の男子マラソンの注目度は現在では考えられないほどの注目度。    
330ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:07
87年ころは本当に凄い過熱ぶりだったね。中山は1万日本新作ってたし
瀬古は海外マラソン3連勝中だったしね。
331ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:09
87福岡前
中山「瀬古よ這ってでも出てこい」
その後も
陸連が中山に「中山には人間教育が必要」
いろいろありましたな。
332ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:12
1987福岡国際マラソン五輪一発選考会にもかかわらず、瀬古がこしょうし
ましたな。
駅伝で襷を渡す時に痛めた映像が残っててよかったですね。
でなければあらぬ疑いかけられましたよ。
333ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:14
87年と言えば中山は27歳の全盛期。瀬古は31歳で晩年。
公平には比べられないよ。
334ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:16
そういや瀬古と中村監督はホモ疑惑が海外マスコミからかけられていましたね。
一心同体でしたからね。
335ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:18
瀬古は中学時代野球部だったらしい。
高校入学後陸上はじめていきなりIH優勝。天才だよ。
336ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:20
例えるなら
瀬古=天才肌=長嶋茂雄
中山=努力家=王貞治
といったとこですか。異論ありますか?
337ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:21
TVの視聴率も87福岡国際が41、0% 88びわ湖毎日が34、9% 
注目度は視聴率にもあらわれている。  
338ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:22
そうだね。中山は自分自身の潜在能力を限界まで出し切ったって感じがしますが
瀬古は本来の能力の60%位しか出してないきがしますね。故障も多かったし。
339ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:24
88琵琶湖みたとき瀬古は終わったなとおもったね。
340ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:26
瀬古は勝負にこだわりすぎたな。全盛期79〜81にペースメーカが
いてたら凄い記録だしてたと思うよ。
341ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:27
マラソンにおける素質では瀬古と高橋尚子は別格だな。
342ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:32
たしかに別格とは思うけど、良き師に恵まれたともいえるんじゃないかな。
その人にしか適合しない指導者っているじゃない。それがその二人にはいた
ということだよ。
たとえば王貞治と荒川博がそうだよね、一本足打法は他の誰もマスターできなかったもんな。
343ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:34
話は変わるが、女子マラソンの野口(グローバリー)の藤田監督は怖いな。
893かと思ったよ。
344ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:35
www俺も思った。
345ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:37
 
346ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:51
中山が出場したマラソンのテレビ視聴率

88、10、2 ソウル五輪 43,1%
87、12、6 福岡国際  41,0%
86、2、9  東京国際  31,1%
87、2、8  東京国際  29,2%
90、2、12 東京国際  29,1%      
347ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 12:59
瀬古が出場したマラソンのテレビ視聴率

84、8,13 ロス五輪   48,8%
88,10,2 ソウル五輪  43,4%  43,1%=× 43,4%=○
83、2,13 東京国際   37,5%
83、12、4 福岡国際   36,5% 
88、3、13 びわ湖毎日  34,9%    
348ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 13:08
最近の男子マラソン視聴率 

2003、12、4 福岡国際  13、8%
2004、2、8  東京国際  16、4%
2004、3,7  びわ湖毎日 16,1%     
349ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 13:27
>>346 87東京国際の視聴率は29,5%だった。
この時、中山はコースを間違え、優勝した谷口がインタビューで奥さんの名前を
叫んだ。  
350ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 15:31
>>346-349 視聴率が今と全然違うな。
351ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 16:43
瀬古のマラソン史の中で唯一ともいえる汚点がロス五輪の惨敗。
敗因についてはいろいろ言われているが、
一番は本番1週間前の大事な時期に中村監督と離れ離れになってしまった事だろう。
大学時代から常に2人3脚で、悪く言えば中村がいなければ何もできない瀬古。
中村のいない7日間の間に決定的な調整ミスを犯し、
やがてオーバーワークから下痢と不眠症に陥り、
まともに走れる状態ではなくなってしまう。
瀬古の敗北は当時大ニュースとして取り上げられたが、
後になって考えるとまさに敗れるべくして敗れたと言える。

指導者としての瀬古の無能ぶりはこの頃すでに垣間見えていたのかも。。。
352ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 16:47
瀬古の方が勝負強かったのは認めるが、79-81年に勝負を捨ててタイム狙いでいったら
もっとタイムが出たとか中山の方が目一杯だったなんていう意見を見ると本当にリアル
タイムで見ていたのか、と言いたくなる。例えば79年の瀬古の2レースはあっぷあっぷ
でボストンは45秒もトップから置いて行かれるし、福岡も30メートル位離されて勝負
あったという感じだった。タイム狙いだったら宗茂の方が上と思わせる程で実際ベスト
の差は大きかった。80年の福岡は安心して見ていられたが、だからといって中盤から
スパートする力はなかった。瀬古は高校時代からトップを走っていたので普通に考える
と伸びしろがないと判断されるような状態だった。それでも順調に伸びたのは驚異的
だったが、潜在能力を開発し尽くした感じは誰もが持っていた。だから瀬古は努力家で
王貞治のようだった。

逆に中山は単に高校時代に練習をしていなかった上に、レースが見るからに下手で、
また勝つときは圧勝して相手を完璧に叩きのめすのでまだまだ未完のランナーと思われ
ていた。だから技術的な改善があればどんなに強いランナーになるのであろうという
期待があった。だから皆、中山を天才肌で長島みたいと思っていた。結局ラストの
スピードのなさが致命的だったし、レースの下手さと無駄な動きが本番に出てソウルで
4位に終わったのが残念だった。
353ノートルダムマラソン:04/05/16 16:53
一日でこんなにレスが伸びるとは予想していなかったので
亀レスになりましたが、>>299
のクイズの回答です。
【1】紀元前5世紀  (前490年の第2次ペルシア戦争です) 
     304さん正解です
【2】1回(1904年セントルイス五輪の米国1回きりです)
   このときは1位でゴールして失格になったのも米国選手、初期の五輪は個人団体枠で
   だったので同国から何人も出ていました。こうして考えると、金銀銅独占を期待していた
   80年代の日本はずいぶん高い目標を期待していた気がしますね。
【3】一人 (ベルリン五輪銅の南昇竜=日大)     
   孫は明大に入学したのは五輪後、しかも諸般の事情で大学で陸上活動はしていません
   ちなみに10000では村社(中大)の4位が最高です。
【4】君原とイ・ボンジュです
【5】宗猛(1976年)  
【6】阿倍文明          5と6は303さん、正解です、お見事
【7】コチシェ(61年)
【8】ビル・ロジャース  300さんの記憶のとおりです
【9】ロッテルダム    パリ、ローマは地元選手勝ちまくり。ハンブルクはペーターが2勝です
【10】誰もこの問題には興味無いのか・・・保留  
354ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 17:17
中山は良き指導者に恵まれなかったってことか。
355ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 17:57
中山は85・4にサラにラスト500bで敗れ、86.2は36キロ以降ズルズル
落ち4位、87.2は迷走のすえ2位、全盛期と言われた85〜87年ですら
この程度の成績・・・皆中山を過大評価しすぎじゃないかな。
356ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:11
79.12福岡。
80.12福岡。
81.4 ボストン
83.2 東京
83.12福岡
84.8 ロス(惨敗)
86.4 ロンドン
86.10シカゴ
87.4 ボストン
この間、9戦8勝 瀬古は素晴らしい。記録を作る事より勝ち続ける事の方が
難しい事を考えるとこの戦歴は特質に値します。
357ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:17
もし中山が五輪でメダル奪取を成し遂げていたら評価するにあたいしますが
、最終的に取る事ができないでいますね。
独走と言っても所詮2:08台の成績である事を考慮すると瀬古と対等に
考慮する事自体不自然と考えた方が賢明なのではないでしょうか。
358ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:18
瀬古=巨人軍 中山=稲尾、金田、村山、江夏、星野・・といった感じ。 
359ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:29
356の成績表を見てもこれほどの長期間にわたりこの戦歴及び勝率を維持でき
た事は驚嘆に値します。世界的に見ても近代マラソン確立後においては男子は
おろか女子においても対等の選手を見いだす事に困難を感じることはきんじえません。
しかもこの間瀬古が参加したマラソンが全て世界的に一流と評価される大会であり、
今より遥かに大会数も少ない時代であること、さらに直接対戦した選手の質の
高さを考慮すると、まさに驚異的な成績であると評価できるのではないでしょうか。

360ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:31
ここでも瀬古派と中山派で意見の対立を見せているのだから、
87年当時の論争も凄まじかっただろう。
残念ながら現在のマラソン界においてこのような論争は見られなくて寂しい。      
361ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:36
中山の場合ソウルマラソンといったマイナーな大会も多く含まれており、
高い評価は与えられません。
ライバル不在のレースは勝ちはほぼ確定しているため、記録狙いで大胆な
レースを組み立てる事が可能なためたとえそのような大会で良い記録
を作ったとしても、割り引いて評価せざるを得ません。
その点瀬古は常に注目され多くの強豪と競り合ってのこの勝率ですから、
高い評価を与えたい。
362ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:36
>>359 その事は中山自身が非常に高く評価している。
それだけに福岡で瀬古と直接対決できないことを残念がっていたし、
悔しがっていた。 
363ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:39
瀬古が巨人なのは納得だな!陸連の過剰な保護(早大出多い)を受けてるとこも
な。
364ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:42
瀬古と中山は福岡で対決してるよ83.12だけど、瀬古が2:08:52で
優勝。中山は2:14分台で下位でした。瀬古の圧勝。
365ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:45
あほか。その大会は中山の初マラソンだろう。
ソウル五輪での直接対決は中山が勝っているので1勝1敗ですな。
まーその時は瀬古は衰えてたけど。
366ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:55
スピード:   中山>瀬古
勝負強さ:   瀬古>中山
レースの面白さ:中山>瀬古
ラスト     瀬古>中山
ビジュアル   瀬古=中山
  よって互角
367ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 18:59
女子マラソンはどうなんだ。少しは話題にしろよ。
368ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:04
過去とはレベル違いすぎて話題にする気にもならん。
浅井えり子VS野口みずき
増田明美 VS高橋尚子
荒木久美 VS坂口
  勝負にならんな。実力もルックスも
369ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:16
女子マラソン は昔はルックス酷かったな。
87に松野明美が出た時「女子長距離界のゴクミ」と言われたほどでしたから。
その後 谷川真理、真木泉、有森裕子あたりから上昇してきましたな。
370ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:23
当時は女子は、ベノイト、リサマーチン、キャリーメイ、と実力もルックス
も兼ね備えた選手が多かったからよけい日本女子の●●●ルックスがめだっ
たね。寺越さおりなどは綺麗だったけど実力が伴わなかった。
371ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:25
メイはアイルランドだったかな?懐かしいね、今どうしてるのかな。
ホッペタが赤くて可愛かったね。
372ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:27
メイは日本の大会で初めて20分台で走りましたね。当時としては驚異的
でした。大阪国際女子マラソンでしたね。解説者は「マラソン界の薬師丸」
といってました。
373ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:29
当時の日本エースが増田明美でしたからな。
ウーン
374ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:31
女子マラソンとなればやはり顔がでてきますね。しかたないか。
375ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:39
みんな佐々木七恵を忘れていますね。
女性なのにSBの中村監督の門をたたいたのには驚いた。
376ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:41
でも、女子マラソンが始まった当初は理論も確立されておらず、手探りの状態だったのかな? 
377ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:42
佐々木七恵は日本のエースでしたね。ロス五輪ご結婚しましたね。
378ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:44
当時日本女子マラソンは5キロ18分台が普通で17分台がでると凄い
というイメージありました。だからキャリー・メイが大阪で全て17分台
で走った時はおどろきました。
379ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:48
しかし今思うと増田明美は話す才能がありましたし、松野明美はお笑い
の才能が隠されていましたね。しかしその当時私は松野のファンだったんだ
、だから今の松野明美は見たくなかったね青春が崩れていくきがするよ。
380ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:51
87年私はリサマーチンのハイレグ見る為わざわざ大阪の長居陸上競技場
にいきました。あの頃からアルフィーが大会主題歌歌っていました。 
381ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:52
宮原美佐子が走ってる時、横で宗茂監督が伴走してましたね。感動した。
382ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 19:55
女子マラソンランキング
1.高橋尚子
2.有森裕子
3.野口みずき
異論はないな
383ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:00
記録や国際大会での実績だけみれば現代のランナーの方が上回るが
パイオニア達の存在があってこそだと思う
384ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:16
増田明美だろう世間を女子マラソンに向けた功労者は。
「女瀬古」といわれてましたから。
385ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:19
佐々木七恵もパイオニアだろう。83.11東京で強豪ルイスを破り
優勝しましたよね。日本人でもやれば出来るんだということをしめしてくれました。
386ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:21
男性のファンを増やしたと言う意味では松野明美が開拓者だろう。
しかも実力も伴っていました。可愛くて、小さくて、早かった。
387ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:23
今日のスレの延びは異常だな、やはり雨でみんな家にいたんだな。
388ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:24
299でクイズしてた人がいましたが、答えはどうなったのですか?
はるか過去の事に思える(というか誰も興味無かった)
389ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:26
>>388
>>353にでています
390ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:35
>>299>>353>>388 漏れは6問正解した
391ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:37
6問正解とは凄いな。俺はまだまだだな。
392ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 20:52
この一連のスレを見てからマラソンの知識が豊富になった。 
393ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 21:00
このスレはハイレベルだな。勉強になるよ。
394ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 21:04
>>387
それだけ今のマラソンが('A`)ツマンネってことだよ
395ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/16 21:15
瀬古や中山がエースでその脇を宗兄弟や伊藤国光らが固めるというのはわかるが、
君原とか円谷とか宇佐美の時代はそれぞれの選手の位置づけとかは
どうだったの? 誰がエースの扱いで誰が脇役の扱いだったの?
必ずしもエースが勝つとは限らないのがマラソンの面白さだけど。

  
396ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 00:08
君原、つぶやら、宇佐見の時代は俺はわからんな。
昭和50以降ならわかるけどな。
397ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 08:18
>>353 10は91年じゃなかったのですか?南昇竜がメダルを取っているのは
もちろん知っていたが箱根を走っているとは思わなかった。まだまだ修行
が足りない。
398オールドファン:04/05/17 12:26
1961−1964年
寺沢徹(クラレ)が国内で強さを発揮。
その後、62年の朝日国際でデビューした君原健二(八幡製鉄)が寺沢に代わって日本のエースと
して東京五輪を迎える。
脇役は長田正幸(八幡製鉄)、渡辺和己(九州電工)、広島日出国(旭化成)
岡部宏和(西鉄)。
重松森雄(九州電工ー福岡大)は君原と同等の潜在能力があるといわれて期待されていた。
円谷幸吉(自衛隊体育学校)はマラソンではダークホースな存在。トラックでは第1人者
の評価(5千、1万で日本記録保持、2万、1時間走はニュージーランドのベイリーに
負けたが世界記録樹立)64年の中日マラソン5位が初マラソンー最終選考会の4月、毎日
で2位ー五輪銅メダルという流れ。

1965年ー1968年
重松、佐々木精一郎(九州電工)の躍進。
重松は65年のみだがボストン優勝、ウインザー世界最高記録樹立。
その後は佐々木が力を発揮。日本のエース的な活躍を遂げる。
脇としてベテラン寺沢、蓬原正嗣(旭化成)、御船芳朗(リッカー)広島日など。
君原は一時ブランクがあったが存在感を維持。
宇佐美彰朗(桜門陸友会)、采谷義秋(竹原高校教員)の若手が台頭。

1969−1972年
宇佐美が日本のエースとして活躍。宇佐美に勝てる国内選手がほとんど
いなかった。宇佐美の力が突出していた。
ベテラン君原、采谷、谷村隼美(クラレ)上岡忠明(東洋工業ー神戸製鋼)
などが飛車、角の存在か。

1973−1977年
宇佐美の衰えが見え始めたが代わるエースが出てこない為、不振の時期。
浜田安則(鹿児島中央高校教員)、大槻憲一(東洋工業)、北山吉信(旭化成)
、または服部誠(東農大ー東農大教員)、重竹幸夫(九州電工)あたりが続く。
宗兄弟は双子のランナーとして注目を集めたが、まだまだ力不足な感じを受けた。
399ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 12:48
(1983年 12月31日まで)
男子マラソン世界歴代10傑

1、ロバート・ド・キャステラ(オーストラリア) 2時間8分18秒 81年福岡国際
2、デレク・クレイトン(オーストラリア)2時間8分33秒6 69年アントワープ
3、瀬古利彦(日本) 2時間8分38秒 83年東京国際
4、カルロス・ロペス(ポルトガル) 2時間8分39秒 83年ロッテルダム
5、アルベルト・サラザール(アメリカ) 2時間8分51秒 82年ボストン
6、デック・ベアーズレー(アメリカ) 2時間8分53秒 82年ボストン
7、宗猛(日本) 2時間8分55秒 83年東京国際
7、ジュマ・イカンガー(タンザニア) 2時間8分55秒 83年福岡国際
9、ロドニー・ディクソン(ニュージーランド) 2時間8分59秒 83年ニューヨーク
10、グレッグ・マイアー(アメリカ) 2時間9分00秒 83年ボストン
400ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 12:53
<<399
1983年あたりからマラソン中継を録画しているが、(いいレースだけ
保存している)83年東京国際、福岡国際、85年W杯広島、87年福岡国際
は永久保存版にしてますよ。
401ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 13:04
昔のレースをそのままTVで再放送してくれないかな?
誰かビデオのある人、うpしてくれないかな?    
402ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 13:21
1987年 福岡国際マラソン 優勝 中山竹通(ダイエー) ラップタイム

5km 14.35
10km 29.05(14.30)
15km 43.40(14.35)
20km 58.37(14.57)
25km 1.13.48(15.11)
30km 1.29.02(15.14)
35km 1.44.25(15.23)
40km 2.00.45(16.20)
2.195km (7.34) 2時間08分18秒(当時、大会タイ記録 ソウル五輪代表権獲得)

2位 新宅雅也(エスビー食品) ラップタイム

5km 14.36
10km 29.09(14.33)
15km 44.03(14.54)
20km 59.31(15.28)
25km 1.15.17(15.46)
30km 1.30.45(15.28)
35km 1.46.31(15.51)
40km 2.03.13(16.37)
2.195km (7.21) 2時間10分34秒 (ソウル五輪代表権獲得)
403ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 13:27
瀬古や宗兄弟の現役の頃はまだ中学生だったが
父親に「今日のマラソン誰でるの?」といつも尋ねてた俺は
答えが「今日は瀬古と宗がでるぞ」と言われると必ず観ていた記憶がある。
80年代前半の福岡などは日本中が注目したマラソンレースだった。


404ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 13:31
「マラソン史上もっとも強いランナーは」の
前スレを見そこなってしまったが、誰か見れる状態でうpしてくれませんか。
宜しくお願いします。
405ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:28
83.12/31現在のランキングが出てますが。当時の認識では1位は
サラザール(米)の2:08:13でしたね。
406ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:32
399のベストテンみると、1969のクレイトンの記録がいかに桁外れの大記録
かわかりますね。当時としては今のラドクリフ並の記録だったのだろうね。
407ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:37
アリソン・ロー、グレテ・ワイツ、ベノイト、クリスチャンセン、ロザ・モタ
あたりが83当時の女子の第一人者でしたね。当時はサラザールにしろ
ベノイトにしろアメリカが強かったよ。今の凋落を一体誰が予想し得ただろうか。
408ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:44
83年最も大きなマラソン界の衝撃は瀬古でもキャステラでもロペスでもなく
間違いなく83.4ボストンでのベノイトの快走でした。従来の記録を約3分
破っただけでなく、コースが尋常でなくタフと言われるボストンでマークした
からです。難コースで樹立したこの記録はプラスαを与えるべきであり、
後のラドクリフの大記録に匹敵する驚異のタイムといえるであろう。
409ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:49
ベノイトは翌年のロス五輪でもあの灼熱地獄の中、序盤から飛び出し独走で
2位グラフに1分以上の大差を付けて金メダルを取りました。本当に強い
と感じました。特に瀬古が完敗し増田明美がリタイアしているだけに彼女の
底力は際立ちました。
410ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:52
確かベノイトは翌年のシカゴでも世界記録保持者クリスチャンセン、さらに
3強の一人ともくされていたロザ・モタを打ち破っており、女子マラソン
ランキングでもNo.1と評価されるに値する選手です。
411ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:55
1.ベノイト
2.ラドクリフ
3.クリスチャンセン
4.高橋尚子
5.ヌデレバ
この評価が現時点では妥当ではないでしょうか。もしラドクリフが今年の
五輪で金メダルとれば当然1位に評価はかわります。
412ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 14:58
現段階のマラソン界を見たら男子は黒人に席巻されていますが、
女子マラソンは白人、黄色人が強いですね。とくにアングロサクソンが
あそこまでやるとは・・・
413ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 15:03
女子マラソンは最初は男子のなかにまじっての飛び入り参加だったの?
いつごろから女子がマラソンを走るようになったの?  
414ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 15:09
当初は男女混合レースでした。
女子単独レースは日本が東京国際で始めたのではないでしょうか。
415ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 15:11
旧ソ連の女子選手だったと思いますが足の痙攣を安全ピンを太股に突き刺して
刺激し完走したのはおどろきました。とうじ日本は歯が立ちませんでした。
416ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 15:16
当時は東ドイツの美人ランナーのワインホルトがレース中に生理になり白いパンツを
真っ赤に染めながらも確か2位でゴールしたこともありました。日本女子選手
が同様のケースに陥ったのであれば
恥辱の余り間違いなく棄権していたであろう事を考えると、彼女の走りはある意味
感動をあたえましたね。解説者も「このレースの真の勝者はワインホルト」
と述べていた事からも分かります。
417ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 15:56
女子マラソンといえば、ロス五輪のアンデルセン選手が忘れられないな。
マラソンを見ていて涙したのはあれ以来ないな。
だから、その後、日本のどこの大会か知らないけど、見世物的に
アンデルセン選手を呼んだのには、何か知らないが怒りを覚えた。       
>416
藤村信子が同様のケースで完走したことがあったのでは?
419ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 16:33
藤村の場合は余り騒がれなかったな、なぜだ!
420ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 16:37
スイスのアンデルセンは脱水症状でふらつきながらもゴールしました。
それだけに余計に途中棄権した増田の不甲斐なさが際立つ結果となりました。
彼女はパッシングに耐えられず川鉄千葉を退社し海外に逃げましたね。
421ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 16:47
「老雄というにはあまりに元気な37歳カルロス・ロペス、今ゴール」
ロス五輪金メダリスト・ロペスのゴール地点での実況ほうそうです。
ロペスは同年1万自己ベスト27:17をマークし、翌年38歳にして2:07:12の
世界新を樹立。過去の常識を覆した驚異の選手でした。
422ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 16:50
ロペスといえば金に目のくらんだ嫌な奴と言うイメージしかないな。
86.2東京に多額の出場料を貰って参加しながらすぐにリタイア。
体見てもほとんど練習してませんでしたね。金の亡者だよ。
423ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 16:56
同様のケースが同じポルトガルのロザ・モタにもありました。大阪女子マラソンで
招待選手として、大会注目選手として参加(当然多額の金銭が動いた)したがら
途中棄権しました。彼女の腹は出ており練習不足なのは誰の目にも明らかでした。
つまり金目当ての出場だったのです。モタの出場交渉にあたった大会関係者が
ショックのあまりたしか自殺未遂を起こしたのではなかったでしょうか。
424ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 16:59
モタは脇毛があったのでちょっとな・・・剃れよと言いたかった。
土佐礼子も監督から手を掲げられた時、嫌がってましたね。
つまり剃ってなかったということですよ。土佐よ身だしなみぐらいは
きっちりしろ。
425ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 17:08
中山はレース中に髪型が乱れないようにパーマをかけていたとか聞いたことがある。

マラソンがビジネスとして成立しだしたのもロス五輪前後からこっちかな?
東京国際がダイエーカップといっていたりしていたな。    
426ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 18:39
>>412
女子はマラソンの歴史自体が浅いだけだよ。
五輪の正式種目になったのだてロスからだから。
また、アフリカではまだ女性の地位が低く、スポーツをできる女性はほんの一握り。
男子とは競技人口で雲泥の差があります。
同じ民族で男だけが優れているとか女だけが優れているなどありえません。
アフリカの女性がもっと多くスポーツ界に進出してきたら、勢力図はあっという間にかわるでしょう。
427ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 18:49
中山のパーマヘアは似合ってたね。東京はスポンサーがダイエーなので中山は出ざるを
えなかった。ご存じの通り東京マラソンのコースは35キロ以降上り坂が続くため
記録の出にくいコースです、中山も本心では記録の出やすいコースで走りたかった
はずですが会社との関係でどうしようも無かったそうです。
428ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 18:51
同様の事がソウルマラソンにも言えます。中山はソウルなんか走りたくなかった
のに会社の関係上りざるを得なかった。北京を走ってたら凄い記録でただろうな。
429ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 18:56
もしアフリカの女性が本格的にマラソンに取り組んだら、黒人女性に
マラソン界は席巻されるのは間違いないだろう。2:12分台まで行くか
もしれません。
しかしなぜ黒人は身体能力がずば抜けて優れてるのだろうか?
我々黄色人種は何一つ太刀打ちできません。
農耕民族と狩猟民族の違いか・・・
430ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 18:57
悔しいが反論できない
431ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 19:22
429の言う事はタブーとされている事なのではないですか。
差別にもなりますし。みんな心に思っていても言えない事はあるんです。
432ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 22:07
今でこそマラソンで黒人選手が活躍していますが、アベベ以前には黒人選手は
マラソンではどんなランナーがいましたか?
アベベはローマ五輪前はどんなレースをしていたのですか?   
433ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 23:38
>>432 そんなに詳しくないのだが、例えばローマで銀(世界新)を取ったラジは
モロッコ。その前のメルボルンで金を取ったミムンは所属はフランスだが当時の
仏領アルジェリアの選手だった。そこそこ能力を発揮していたと思われるが、
エチオピアやケニアの本格的参入はまだだった。

才能に民族的差異があることはタブーでも何でもないだろう。例えばケニアの
世界クラスのランナーの3/4はカレンジン族の出身で、更にその中のナンディ
地区(ケニアの人口の1.8%)からカレンジン族出身の優秀ランナーの過半数が
出ている。明らかに民族的局在がある。短距離の黒人は皆西アフリカ系。
(もっともタブーが全くない訳ではなく1マイルで4分を最初に切ったバニスター
卿がある学会でその手の話をほのめかしたらものすごいバッシングを受けたとか)。
434ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/17 23:53
民族的差異もあるけど、生活環境も大きいのでは?
昔、日本では和式便所のおかげで、日本人の足腰のバネが鍛えられ、
そのおかげで、戦前では三段跳びが日本の『お家芸』だったと
いう話も聞いた事あるし。
435ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 06:21
「心臓破りの丘」って映画あるらしいね
宇野重吉、滝沢修なんて名優ぞろぞろの山田敬蔵氏モデルの映画

瀬古もロスで勝ってれば映画の1本もできたかもしれない
436ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 07:01
シカゴマラソン 歴代優勝者
1回(1977)クローター(アメリカ)2.17.52
2回(1978)スタンフォース(アメリカ)2.19.20
3回(1979)クローター(アメリカ)2.23.20
4回(1980)リチャードソン(アメリカ)2.14.04
5回(1981)コッペス(アメリカ)2.16.13
6回(1982)マイヤー(アメリカ)2.10.59
7回(1983)ヌザウ(ケニア)2.09.44
8回(1984)Sジョーンズ(イギリス)2.08.05(世界最高)
9回(1985)Sジョーンズ(イギリス)2.07.13
10回(1986)瀬古利彦(日本)2.08.27
11回(1987)中止
12回(1988)クルス(メキシコ)2.08.57
13回(1989)ポールデービス(イギリス)2.11.25
14回(1990)ピタヨ(メキシコ)2.09.41
15回(1991)ロチャ(ブラジル)2.14.33
16回(1992)デソウサ(ブラジル)2.16.14
17回(1993)ドスサントス(ブラジル)2.13.14
18回(1994)ドスサントス(ブラジル)2.11.16
19回(1995)マーチン(イギリス)2.11.18
20回(1996)エバンス(イギリス)2.08.52
21回(1997)ハヌーシ(モロッコ)2.07.10
22回(1998)オソロ(ケニア)2.06.54
23回(1999)ハヌーシ(モロッコ)2.05.42(世界最高)
24回(2000)ハヌーシ(アメリカ)2.07.01
25回(2001)キモンジュ(ケニア)2.08.52
26回(2002)ハヌーシ(アメリカ)2.05.56
27回(2003)ルト(ケニア)2.05.50
437マラソン観戦歴35年:04/05/18 08:05
前の方で78−80年頃に瀬古が記録狙いにいったら凄い記録を作ったと出てましたが、
私の意見も<<352さんに同意で難しかったと思います。
78年福岡、79年ボストン、福岡はリアルタイムで観ていた方なら感じていたと
思いますが、瀬古自身いっぱいいっぱいの状態だったと思います。
早大時代の瀬古は2時間9分30から2時間10分30秒までのタイムが妥当な気が
しました。78年のマラソン初優勝の時は記録を狙えるほど余裕もなかったですし、
79年の福岡は体調自身良くなかったようで、ゴール後、足に痙攣を起こしてました。
しいて挙げるなら80−81年のエスビー食品1年目ではないでしょうか。
80年福岡はもう少し記録短縮できそうな感じでした。しかし81年ボストンは
心臓破りの坂の影響と瀬古としては早めのスパートの影響で40キロ過ぎは
だいぶへばってました。
それを考えると80,83年福岡国際以外は瀬古のタイムは妥当な気がしました。

中山はレース展開、集団での位置取り、大会の選択の改善があれば潜在能力と
して2時間6分ー7分台の力はあったと思います。
もし瀬古と中山の全盛期対決が実現したらレース展開(前半飛ばしすぎ)、位置取りの
改善がなければ瀬古が勝ったのではないかと想像。(まぁ夢の対決ですね)
438ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 08:05
これを読めば、少しはアフリカの強さがわかるのでは?
ttp://news.kyodo.co.jp/kikaku/kazoku/kazoku-20.html
439ノートルダムマラソン:04/05/18 10:32
>>397
さんの言うとおり、91年別大で森下の2:08:53が
日本人の最後の世界ランク一位ですね。
440ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 13:08
<<437
80年の福岡国際は
前半、スローで入って30キロ過ぎに伊藤国光を中心にペースが上がった
レースですよね。懐かしいですね。
441ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 21:19
>>439
90年前半の世界的記録停滞は何だったのだろう?
2時間8分53秒で世界ランク1位はタイム的にかなり落ち込んでいるね。
ケニア勢の荒波が来る前の最後の静けさという感じかな。
442ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 23:05
>>441  そういうことだろう。

明らかに欧米の選手の力が落ちてきたのが90年代前半だった。それまでは
ボルディンがソウルを勝ったのをはじめ、欧州選手権の優勝者はオリンピックで
力を発揮したし、英連邦の選手はタイム的にも優れていた。90年代前半はイタリア、
スペイン等はまあまあだったが、英、米は壊滅し、他国も低調だったと記憶する。
長距離レースの人気がなくなり欧州では10000のレースが減り始めた頃だった。一方
でケニアの本格参入は88年のワキウリの銀とボストンでのフセインの快走が契機なの
でまだ始まったばかりで選手の数も少なく失敗も多かった。まだケニア、エチオピア
の選手はトラック志向が強かったように思う。ゲブラシラシエのような化け物が出て
こない限り、(レース数をこなせる)トラックで勝負した方が割がいいだろうという
ことは想像がつく。
443ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/18 23:24
もう一つはオリンピックなどの世界大会と都市型マラソンの両立をまだ選手は
目指していた。ソウルはともかくバルセロナ、アトランタとオリンピックでは
酷暑の難コースが待ち受けているので、その対策の意味でも高速レースばかり
に安穏として専念できなかったのだと思う。
>>441
80年代の名ランナー達がピークをすぎて、世代交代の時期だったのでは
445ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 08:55
シカゴマラソンでの歴代優勝者のタイムを見ても
80年代から90年代中盤の間の時期が停滞してるのがわかるね。
446ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 09:36
>>92
青梅マラソン(30km)歴代優勝者

1 1967 若松 軍蔵 東急 1時間36分14秒
2 1968 宇井 光男 中大 1時間31分33秒
3 1969 田中 隆之 日電三田 1時間34分37秒
4 1970 宇佐美 彰朗 桜門陸友会 1時間32分50秒
5 1971 米重 操 リッカー 1時間33分33秒
6 1972 原 嘉則 小西六 1時間35分45秒
7 1973 高見 健二 小西六 1時間35分54秒
8 1974 原 嘉則 小西六 1時間32分25秒
9 1975 沖田 文勝 リッカー 1時間34分36秒
10 1976 ビル・ロジャース 米国 1時間33分07秒
11 71977 味沢 善朗 小西六 1時間34分36秒
12 1978 鈴木 三男 日電府中 1時間33分41秒
13 1979 高尾 信昭 鐘紡 1時間33分57秒
14 1980 ランディ・トーマス 米国 1時間30分44秒
15 1981 ヘラルド・ネイブール オランダ 1時間32分34秒(瀬古利彦1時間29分32秒)
16 1982 カーク・ペファー 米国 1時間31分20秒
17 1983 グレッグ・マイヤー 米国 1時間31分05秒
18 1984 村越 忍 福岡大 1時間33分00秒
447ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 09:44
19回(1985年) 青梅マラソン成績

1、伊藤国光(カネボウ)1.30.58
2、木下哲彦(早大)1.33.39
3、池田重政(ヤクルト)1.33.53
4、三村徹(カネボウ)1.34.58
5、バネッセ(アメリカ)1.35.58
6、今釘長敏(小西六)1.35.58

20回(1986年)青梅マラソン成績

1、伊藤国光(カネボウ)1.31.41
2、三村徹(カネボウ)1.33.41
3、関進(カネボウ)1.33.57
4、大八木弘明(駒大)1.33.58
5、ラトクリフ(アメリカ)1.34.07
6、長島浩(ダイエー)1.34.14

21回(1987年)青梅マラソン成績

1、喜多秀喜(神戸製鋼)1.31.14
2、清水悟(カネボウ)1.31.56
3、谷口伴之(エスビー食品)1.32.41
4、大塚正美(神栖一中教)1.33.21
5、末吉富夫(カネボウ)1.34.22
6、大須田祐一郎(日本電気)1.34.33
448ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:09
22回(1988年)青梅マラソン成績

1、中村孝生(エスビー食品)1.30.52
2、遠藤司(エスビー食品)1.31.14
3、渋谷俊浩(雪印)1.31.18
4、ゴードン(アメリカ)1.31.26
5、金哲彦(リクルート)1.31.48
6、森口達也(神戸製鋼)1.32.03

23回(1989年)青梅マラソン成績

1、池田克美(早大)1.33.04
2、早乙女等(日本電気)1.33.13
3、泉宣広(ダイエー)1.33.25
4、伊藤国光(カネボウ)1.33.39
5、中島修三(本田技研)1.34.45
6、酒井勝充(コニカ)1.35.42

24回(1990年)青梅マラソン成績

1、矢野功(NTT中国)1.33.02
2、長田千治(雪印)1.33.03
3、川越学(資生堂)1.33.24
4、中井良晴(NTT中国)1.33.37
5、伊藤国光(カネボウ)1.34.11
6、物江収(ヤクルト)1.34.21
449ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:17
25回(1991年)青梅マラソン成績

1、大胡満慎(筑波大)1.32.04
2、矢野哲(NTT中国)1.32.18
3、早田俊幸(カネボウ)1.32.40
4、イセナ(山梨学院大)1.32.42
5、豊岡知博(カネボウ)1.32.53
6、大八木弘明(ヤクルト)1.32.56

26回(1992年)青梅マラソン成績

1、熊谷勝仁(ダイエー)1.31.54
2、ワキウリ(ケニア)1.33.00
3、大須田祐一郎(日本電気)1.33.58
4、森田義三(安川電機)1.34.00
5、妹尾幸(NTT東京)1.34.23
6、本田靖彦(コニカ)1.34.29

27回(1993年)青梅マラソン成績

1、平塚潤(エスビー食品)1.30.57
2、清水康次(NTT中国)1.31.23
3、鈴木賢一(富士通)1.31.26
4、渋谷俊浩(雪印)1.31.49
5、橋本泰(神戸製鋼)1.31.51
6、平田浩二(コニカ)1.31.52
450ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:22
28回(1994年)青梅マラソン成績

1、渡辺康幸(早大)1.31.22

29回(1995年)青梅マラソン成績

1、大川久之(山陽特殊製鋼)1.30.49
2、砂田貴裕(シーエス建設)1.32.12
3、松田和宏(中大)1.32.20

30回(1996年)青梅マラソン (中止)

31回(1997年)青梅マラソン成績

1、早田俊幸(カネボウ)1.30.57
2、大家正喜(佐川急便)1.31.31
3、国近友昭(NTT中国)1.31.42
451ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:33
32回(1998年)青梅マラソン成績

1、ヘスト(オランダ)1.32.22
2、梅木蔵雄(早大)1.33.35
3、犬伏孝行(大塚製薬)1.33.41
4、中野剛(佐川急便)1.33.57
5、松本政大(NTT中国)1.34.07
6、武井康真(エスビー食品)1.34.30

33回(1999年)青梅マラソン成績

1、倉林俊彰(YKK)1.31.54
2、岡田茂(NEC)1.32.05
3、巽浩二(日大)1.32.06
4、渋谷明憲(カネボウ)1.32.43
5、福永勝彦(小森コーポレーション)1.33.38
6、川久保謙一(中国電力)1.33.44

34回(2000年)青梅マラソン成績

1、松宮隆行(コニカ)1.31.18
2、酒井俊幸(コニカ)1.31.41
3、松宮祐行(コニカ)1.31.49
4、小椋誠(NTT西日本)1.31.53
5、磯松大輔(コニカ)1.32.09
6、船木吉如(本田技研)1.32.19
452ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:38
>>446
青梅マラソンは当時、「東京五輪銅メダリスト、円谷幸吉と走ろう」をスローガン
にできた市民マラソン。
当然、円谷が優勝候補筆頭だった。途中まで先頭を走っていたが、この頃すでに
椎間板ヘルニアが悪化していて後半失速。
無名の若松軍蔵(東急)に抜かれて2位という成績を残している。
453ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:42
青梅は30キロだけに当時、有力どころが走っている。

青梅は宗兄弟は走ってるのか?
瀬古は走ったし、たしか中山はブレークする前の84年に、青梅に参加をしたが
体調不良で棄権しているはず。
454ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 10:52
青梅では昔、フルマラソンが全国マラソンとしてやっていて、
全国マラソンが勝田へ移転して、その後釜として30キロロードの
青梅マラソンができたとも聞いたことがあるのですが・・
青梅も勝田も主催が共に読売だし、何か関係があるのですか?   
455452:04/05/19 12:59
>>454
円谷が青梅で惜敗した後、生涯最後のマラソンが水戸読売マラソン。
この時はマラソンを走れる状態ではなく、3流選手相手に9位、2時間23分台の
タイムでゴールしている。
詳しい事はわかりませんが、勝田の前身が水戸読売マラソンの名称だったのでは
ないでしょうか。
456ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 13:06
青梅は87年だったかな?テレ東で中継になりましたね。
この頃から箱根駅伝も完全中継になって、いろいろなマラソン、駅伝が
観れるようになった時期だったと思います。
457ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 13:19
結局、青梅で1時間30分切ってるのは瀬古だけか。
458ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 14:03
勝田全国マラソンは1953年(S・28年)に読売全国マラソンとして始まっています。
コースは東京です。
第3回〜第8回まで青梅で開催されています。その後、宇都宮をへて水戸での開催となっています。
第20回から勝田全国マラソンになったようですね。  
459ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/19 22:56
>>455 円谷最後のレースは水戸でしたか。
そう思うと勝田マラソンにも歴史があるんだなと思いました。 
460ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/20 00:06
円谷は東京五輪の後、北海道のタイムスマラソンで棄権している。
日射病にかかったらしく、コーチの畠野が止めに入った。
この後、椎間板ヘルニアが悪化してまともに走れなくなるようだ。
461ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/20 02:36
>>435
ttp://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23909/

見てみたいものだなあ。DVDになんてなるわけ
ないだろうなあ。
462ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/20 05:41
マラソンのピーク(全盛期)は何歳が妥当なんだろう?
60年代は20代前半で全盛期を迎え、30代だと大ベテラン扱いだったみたい。
また80年代は27から32くらいまでがピークの選手が多く、
ロペスが出てきてから30代後半での選手にファーカスがあたった感じがした。

昔は川嶋が30代半ばでサブテンや高岡のようなケースは信じられなかったが、
今は若い方がいいのか、経験積んでからの方がいいのか、どちらなのだろう。
(もちろん選手個々によって違うのは承知なのだが)
463ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/20 10:24
土佐と千葉は辞退しろ、高橋に譲れ。
油谷と諏訪は辞退しろ、高岡と佐藤敦に譲れ。
76年度生まれは全員4ね
464ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/20 12:42
五輪の出場ができなかったランナーでは最近すぎるけど早田がいるな
今にして思えばバルセロナ選考会の92年の東京が最初にして最後で最大のチャンスだった。
谷口の代表が前年の91東京世界陸上の金メダルで決まり、のこり2枠を争うという構図。
92東京国際には次期エースと目されていた森下、世界陸上代表の篠原、
ボストン、世界陸上で途中棄権するなどして限界説が流れた中山が出場。
そこに早田が出場。
森下、中山とデットヒートの中で森下が抜け出し、最後は中山と競ったが、
負けてしまった。あれが早田が一番五輪にせまったレースだった。       
465ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/20 19:32
油谷と諏訪は辞退しろ!高岡と佐藤敦に代表を譲れ!土佐と千葉は辞退しろ!高橋に譲れ!76年度生まれは全員4ね!
466ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/21 22:33
ヨーロッパでは初夏〜夏にかけて、ウィーン、ストックホルム、ヘルシンキ、
レイクキャビックといった大会がありますが、何かエピソードとかありますか?
日本ではあまり知られていない大会ですが、日本からトップランナーが
参加したことはありますか? 
467ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/22 10:18
レイキャビックが正しいですね レイクだとかすみがうらのスポンサーみたいだ
 
ストックホルムは五輪関係で金栗四三が54年8ヵ月6日5時間32分20秒3で
ゴールした  
468ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/22 11:39
ゴールしてないよ
リタイア地点からせめて走らないとね
469ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/22 23:20
1963 エデレン(米)2.14.28. 
   キルビー(英)2.14.43   
寺沢徹(クラレ)2.15.15.8 別府毎日
1964 B. アベベ(ETH)2.12.11.2 東京
B. ヒートレー(英)2.13.55. ウィンザー
R. ヒル(英)2.14.12.
寺沢徹(クラレ)2.14.48.2 朝日国際
1965 重松森雄(福岡大)2.12.00. ウィンザー
   寺沢徹(クラレ)2.13.41. ウィンザー
エデレン(英)2.14.34.
1966 A.ウッド(豪)2.13.45. Inverness-Forres
M.ライアン(NZ)2.14.04.6 福岡
   広島日出国(旭化成)2.14.05.2 福岡
1967 D.クレイトン(豪)2.09.36.4 福岡
   佐々木精一郎(九州電工)2.11.17. 福岡
D. マッケンジー(NZ) 2.12.25.8 福岡
   君原健二(八幡製鉄)2.13.33.4 別府       
   佐々木(精)2.13.38.6 別府
1968 B.アドコックス(英)2.10.47.8 福岡
   アドコックス 2.12.16.8 カール・マルクス・シュタット
   采谷義秋(竹原高教)2.12.40.6 福岡
佐々木精一郎(九州電工)2.13.23.8 別府
1969 D. クレイトン(豪)2.08.33.6 アントワープ
  B. アドコックス(英)2.11.07.2 アテネ
   J. ドレイトン(加)2.11.12.8 福岡
  宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.11.27.8 アントワープ
   R. ヒル(英)2. 11.54.4 福岡
   ドレイトン 2.12.00. デトロイト
   谷村隼美(クラレ)2.12.03.4 福岡
1970 R. ヒル(英)2.09.28. 英連邦
   ヒル 2.10.30. ボストン
   宇佐美彰朗(桜門陸友会)2.10.37.8 福岡
   E. オレイリー(米)2.11.12. ボストン
  K. ムーア(米)2.11.35.8 福岡
J. アルダー(英)2.12.04. 英連邦
   采谷義秋(竹原高教)2.12.12. 福岡
470ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/24 19:18
>>469 福岡や別府がその年の上位を占めていますね。
その中に英連邦大会がありますがどのような大会なのですか?
現在も存続しているのですか?
471ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/24 23:13
>>470 英連邦というのは旧大英帝国に属して未だに英国に愛着を持ったり、
豪やNZのように元首を英国女王としている国々の集まりのこと。The British
Commonwealthの訳。英連邦大会は英連邦に属している国々のミニオリンピック
で4年に一回オリンピックの中間年に開かれる。特に世界大会がオリンピック以外
になかった80年代前半までは権威の高い大会だったし、その後も一定のステータス
を保っている大会。勿論今もあります。

マラソンに関して言えば70年のヒルの歴代2位(当時)、74年
のトンプソンの歴代2位等が英連邦大会で出されて注目度は高かった。イカンガーの
世界デビューも82年の英連邦大会で、当時としては好記録の2時間9分30秒で
キャステラについで2位になっている。
472ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/24 23:27
あの偉大なR�クラークは英連邦大会でも一度も勝てなかった
473ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/24 23:44
R. クラークはキックがないから世界大会では大抵勝てない。歴代2位を5000で10秒、10000
で30秒以上離す記録を出していた全盛期の66年のKingstonの大会でもキックのなさ
で3 miles,6milesとも2位だね。1位はそれぞれキップ・ケイノ(メキシコ1500優勝)、
テム(同10000金). 因みに既出だと思うがクラークはメルボルンオリンピックの
最終聖火ランナー。
474ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/25 15:12
2002年の英連邦大会でワイナイナが4位になっている。 
475ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/27 19:16
ロン・クラークは健康に影響が無ければドラックを使用しても構わないといって
物議をかもした? 
476ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/28 13:32
考えてみれば、「引退レース」を華々しく実施した選手は瀬古くらいのものでは
ないかな。(女子では佐々木七恵の例はあるが)

88年の千葉国際駅伝。日本チームのアンカーに抜擢された瀬古は
たしかケニアのメランデ、オーストラリアのキャンプと併走し、残り2kmで
スパートをした。(二段スパートだったと記憶しているが。)
メランデ振りきり、キャンプも引き離したが、競技場手前でキャンプに抜き返された。

結局3位でゴールだったが、優勝したエチオピアのメコネンのより区間タイムは
よかったと思う。もちろん体調万全で全盛期であればキャンプに抜き返されること
などなかったと思うが。。

引退セレモニーで中山が花束を贈呈したのが印象的。中山は満面の笑みだった。
ソウル五輪のゴール後、2人で話していたのも印象的だったが、犬猿の仲と噂されていた
が、今思うと、中山が瀬古を相当意識していたんだなあと思う。
477ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/28 15:25
各ランナーの第一線での現役最後のレースはどうなんだ?  
478ノートルダム・マラソン:04/05/29 14:35
ちょっと話しは外れますが、
2歳年上の加藤陽一に異常なライバル心(を超えた敵対心)を燃やす男子バレー山本隆弘は、
なんだか、中山→瀬古の関係を連想させますね・・・

まあ、瀬古に自分の足だけで立ち向かった中山と、
セッター宇佐美を懐柔して加藤にトスが上がらないようにした山本では
ずいぶんタイプが違いますが。
479ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/29 20:29
480ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/29 20:32
2月に東京国際男子マラソンをなくして大阪国際男子マラソンを作って欲しいね。
平坦なコースで好記録続出だとおもうのですが。
481ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/29 20:41
>>480
大阪、1月末に女子と同時開催でもいいかも。
東京は11月中旬開催に1本化して
男子、女子、市民マラソン同時開催がいいな。
482ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/29 20:54
大阪女子で好記録続出してることを考えると。大阪男子があれば2時間5分台
も夢ではないかも。東京はコース変更した方が良いのでは、現行では良い記録は
望めないでしょう。
483ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/29 22:31
ボストンの心臓破りの丘があるように、全部のマラソンを平坦コースに
するのはいかがなものか?(記録製造コースほど観ていてつまらない)
東京国際は昔から後半の坂で名勝負を生んでるんだし、これはこれで
残して欲しいコースではある。
大阪国際を作るんだったら、東京国際を昔の東京五輪コースで開催して欲しい。
(高速道路の関係もあって難しいんでしょうが)
484ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/30 00:02
昔は毎日マラソンが大阪で行われていたが、交通渋滞がひどいので、びわ湖へ
引っ越したので、大阪男子をやるとすれば、毎日の主催かな?  
485ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/30 02:02

瀬古

486ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/30 02:35
国内最高は東京で出てるんだから(2:06:33)
やはり記録を生むのは選手の力でしょう。
487ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/30 09:13
別大=若手が記録をつくる
びわ湖=暑さへの耐久力をつくる
福岡=世界との勝負強さをつくる

東京=カネをつくる      
488ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/30 12:13
>>477
当時のマラソン選手は今以上にアマチュアイズムの中で競技を続けていたので、
「引退レース」というより「第一線から退く」ニュアンスが強かった。

既出だが円谷は42年の水戸読売マラソンがラストラン。
君原は69年のアテネ平和マラソンで2位が一つの区切りにしているようだ。
宇佐美は77年の京都マラソン。瀬古のデビューレースでもあるのでご存知の
方も多いと思われる。

宗茂は87年のロンドンマラソンで17位になった後、暮れのソウル五輪代表
選考会(福岡国際)の出場を取り消し、事実上の一線からの引退と新聞でも賑わした。

中山はやはりバルセロナ五輪(4位)になるだろう。
伊藤国光は89年のボストンが引退レース(8位)。その1年後に篠山ABC
でマラソンを走っているのでやはり「第一線からの引退」という位置づけ。
児玉泰介は一応、90年8月のモスクワ国際マラソン(7位)を現役引退と
考え、新聞でも発表。その後は「コーチ兼任」の肩書きでマラソンを走った。
しかしその後のマラソンの方が安定した順位を収めている。

その点、宗猛、喜多は新聞等で引退という区切りをつけずに走り続けたランナー
の代表格。
やはりマラソンではない種目で引退レースを行ったのは瀬古のみであろう。
489ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/30 14:09
>>488 君原はもちろん73年ね。その後もコーチ兼任として走り続けて78年の福岡では
鎌田よりも上位に入っている。国内のラストランを宣言した別府では優勝して新聞では
大きく取り上げた。宇佐美の場合はこの間のテレビでの再放送もあった通り本人は
ラストランという意識はなかった(3位)と思うがその後走らなかった。
490名無しさん@お腹いっぱい:04/05/31 12:19
>>487
びわこは今や高速コースになっていると思われ
最近2流選手でも8分台を出している
491ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 12:39
びわ湖は3月の第1週に開催するようになったり、現在のコースにしてから
急激に記録が向上した。
4月に開催していたころが懐かしい。 
びわ湖は距離が疑問。
選手達が平気で中央線を越えてインコースを走っている。
あれじゃあ好記録が出るはず。
493ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 14:31
昔、大津毎日マラソンの名称だった頃、4月開催だった気がするが、
いつから「びわ湖毎日マラソン」に名称変更になったのかな?
494ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 14:35

「毎日マラソンといえば宇佐美」って時代があったな。
出れば優勝してた気がする。毎日マラソンが最終選考会だった頃(64年ー76年)
3回も最終選考会でトップで五輪代表決めたのは宇佐美だけだもんなぁ。
495ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 14:38
>>494
昔は最終選考会が4月の毎日だったわけだから、当然その後、代表メンバーが
決まっている。という事は今よりも本番までの調整期間が短かったわけだ。
今の選手じゃ無理そうだな。
496オールドファン:04/05/31 14:45
>>494
宇佐美彰朗(桜門陸友会)毎日マラソンにおける五輪最終選考会での成績

23回(1968年)メキシコ五輪最終選考会 (優勝)2.13.49
27回(1972年)ミュンヘン五輪最終選考会(優勝)2.20.24
31回(1976年)モントリオール五輪最終選考会(優勝)2.15.22
497ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 14:48
モントリオールの後、モスクワ、ロスが福岡国際が最終選考会ですよね。
ソウルも瀬古の事がなければ、当然福岡が最終選考会のはずですね。
498名無しさん@お腹いっぱい:04/05/31 18:48
>>495
今でもロンドンやボストンが終わった後に代表決定してる国があるから、
ムリではないのでは?
499ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 19:51
以前は名古屋国際女子が3月の第1週でびわ湖毎日が3月の第2週だったのが、
気がついたら入れ替わっていた。  
500ゼッケン774さん@ラストコール:04/05/31 19:55
500GET!折り返し地点! 
501ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/01 01:46
>>494
ロス五輪の時、真っ先に地元のテレビ局が瀬古を映したのを覚えているが、
ミュンヘンの時は、宇佐美を最初に映して(隣にいた采谷も)
羽佐間アナの「真っ先に宇佐美の姿を映しました。ドイツの放送局も
宇佐美に注目しているようです」という実況が印象的だったな。
502ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/01 05:25
びわ湖のレベルが上がったのは4年連続で走ったフィスによるところも大きいと思う。
97年のレースで大会新となる2.08.05を出し当時の世界トップの走りを見せ、
4人が10分を切り真内が2.09.23。次の年は小島宗幸が2.08.43で勝ち、清水も10分を切った。
その後も藤田の学生記録やシドニーを狙う川島の執念の走りを演出したりと
日本マラソンへの貢献度はかなり高かったと思う。
1 2.08.05−2 2.09.33−1 2.08.43−1 2.08.50としっかり仕事をして帰ったのもすばらしい。
503ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/01 07:26
願わくはフィスのような日本人選手が出てきて欲しいものだ。
504名無しさん@お腹いっぱい:04/06/01 13:11
最近びわこでは、スペイン勢がフィス(97,99,00)、ペナ(01)、
リオス(04)と5回優勝している。
96年にはポルトガルのピネイロがこのコース初のサブテンで勝っている。
さらに98年はフィス、01年はレオーネ、02年はウアーディ、03年はペナが2位で、
こうして見ると、9年連続で欧州勢が2位以内に入っていることになる。

この人体幹が凄いね。上半身が全くぶれない。
アフリカ系とはまた違った凄さを感じさせる選手だよ。
506ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/01 15:37
>>498
外国勢は平気だろ。問題は年1回くらいしか走らなくなった日本勢は
難しいんじゃないか。
507名無しさん@お腹いっぱい:04/06/01 17:30
スペインはカタルーニャとかカスティリヤとかバレンシアとか地方毎に気質や
やってるスポーツが違う。
フィスはバスク人だと聞いた事があるが、マラソンランナーはバスクが多いんだろうか?
スペインに詳しい人は名前だけで、どの地方のスペイン人かわかるらしいが。
508ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/01 18:55
フィスは1週間に200キロぐらいしか走らないらしい。
日本人のインタビュアーに
「それでは日本では女子より練習量少ないですよ」と突っ込まれたら
驚いた顔をして、
「日本人は走りこみすぎだ。もっと短い距離から鍛えたほうがいい」
と語ったそうだ。
日本ではとにかく長い距離を走り込めばそれで良いという考えが
選手にも指導者にも蔓延している。
一週間で200`って一月で900`弱?
全然少なくないと思うけど
510ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/01 21:00
やっぱアノ人だろう。

メロス。
511日東専駒 ◆kUbFF5a3ew :04/06/01 23:41
>>509
少なくないと思う。
あなたそんなにいうなら自分で走ってごらん
1日30km近く走らなきゃならないんだよ。
512ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/02 00:46
>>509>>511

日本のマラソンランナーなら1000キロ以上は当たり前、
今時箱根を走る学生でも月900キロ以上走る選手はざらにいるよ。
藤田、藤原ら若手選手にこれだけ故障が多いのも基礎体力が十分でないうちに
長い距離を踏みすぎてるからじゃないかと考えている。
やはり若いうちはもっとトラックで鍛えるべきだ。

当たり前なのか?
1000キロ以上走るのは藤田、藤原クラスで
しかも継続して何ヶ月もやるとぶっ壊れちゃうと読んだことあるけど
高岡なんかは走法の問題もあり、藤田クラスの練習を出来ないとも
514ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/02 05:55


瀬古



515ノートルダム・マラソン:04/06/02 17:39
高校で世界史選択しなかった人は退屈かもしれませんが、
日本男子マラソン史をローマ帝国風に語ります。
【建国】
伝説の王・金栗四三により、建国。7代目の王が退位し、共和制に移行
【平民・貴族の階級闘争】
貴族(六大学)と平民との階級闘争の時代。
孫基禎・南昇竜法の成立により、平民出身者でも日本代表になれるようになった

<ポエニ戦争により一時混乱>

【戦後の発展期】
広島庫夫(大広島)の活躍
民衆、「マラソンと見世物」を要求、各地でマラソンイベント始まる
平民派の貞永と閥族派の中尾の権力闘争、一時中尾の独裁状態
剣奴・寺沢徹の反乱
【三頭政治】
君原・円谷・重松による第一回三頭政治。
円谷戦死後、二人が対立。君原、ルビコン川を渡り、重松を滅ぼす
君原『メキシコ戦記』を著す

宇佐美、佐々木、采谷による第2回三頭政治。
生き残った宇佐美が初代皇帝となり、長く支配する。

ショーター火山の大噴火
宗帝。 影武者がいたらしい
暴君喜多帝。東京国際が一年に2度行われるなど混乱。
516ノートルダム・マラソン:04/06/02 17:41
【五賢帝時代】
伊藤帝、瀬古帝、児玉帝、中山帝、谷口帝の5賢帝による全盛期。
瀬古帝時代、ボストンやシカゴ、ロッテルダムにも遠征し、帝国領土が最大となる。
児玉帝時代の86北京の戦いを以降、領土拡張が終わる。
五賢帝最後の谷口帝が森下を後継者に指名したことにより、衰退が始まる。

【衰退期】
軍人皇帝時代。
篠原、早乙女、本田、打越、徳永、中富、ら短命の皇帝が続く。
実井帝、アトランタの戦いで捕虜になる

早田帝、首都を福岡から大津に遷都、帝国の東方化進む。ペースメーカー教公認
背教者渡辺帝
ケニア民族の大移動により帝国混乱
517ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/02 18:31
>>515-516 カノッサの屈辱
518ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/02 23:18
>>515
孫基禎(ソン・ギジョン−1936年ベルリン五輪マラソン金メダリストー2002年死去享年90)、
南昇龍(ナム・スンリヨンー1936年ベルリン五輪マラソン銅メダリストー2001年死去享年88)

両氏ともソウルにあった体育の名門校、養正校出身。
養正校は屈指の陸上強豪校で、何度か日本中等学校陸上競技対抗選手権に優勝、
大阪ー神戸間駅伝競走で3連覇を達成している。
部員には孫と南が在籍。先輩に32年ロス五輪6位、金恩培がいてのちに孫の師匠となる。

孫の実績は8回のフルマラソン出場。
1931年京永(京城ー永登浦)マラソン2位でマラソンデビュー。
翌年の同大会でマラソン初優勝。同年、朝鮮神宮マラソン優勝。
32年同マラソン連覇、33年3連覇。
1935年神宮球場ー川崎・六郷橋を往復する日本選手権(兼ベルリン五輪選抜予選会)
で2時間26分42秒の世界最高記録で優勝。
この年(1935年)世界10傑のうち、トップが孫で以下8位までが日本(籍)勢が占める。
この頃(1930年代)は第1期日本マラソン黄金期であった。
まだまだマラソンに力を注いでいる国は少なく、強豪国は日本、アメリカ、イギリス、
フィンランドあたりだった模様。
その孫も8回目にあたるベルリン五輪マラソン優勝(2時間29分19秒)が最後のマラソン
レースとなってしまった。
519ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/02 23:38
1936年8月9日 ベルリン五輪マラソンスタート
コースは競技場を出て南下、森を抜け、湖畔のくねくね道をたどり、その後真っ直ぐ
に延びる自動車専用路を走って折り返す。
林道ありアスファルトあり石畳あり、かつかなりのアップダウンがあった。
参加国は27ヶ国、56人。
記録の実績からすれば優勝候補は孫が一番手であったが、下馬評は前回のロス五輪優勝者
アルゼンチンのジュアン・ザバラ。彼は前年からベルリン入りしていた。

前半、そのザバラがリード。ザバラのハイペースに惑わされたのか、先頭グループにいた選手は
次々に脱落。後続で10キロ過ぎに孫と併走していたイギリスのアーネスト・ハーパーが上位に
上がってきた。
ザバラが先頭で折り返しを通過。2番手が孫とハーパー。距離がだいぶ詰まってきた。
折り返してからザバラは疲労困ぱいし、目はうつろだった。
30キロ過ぎ、ビスマルク峠付近。ザバラがもんどり打って路上に倒れた。ペース配分を誤った結果
であった。孫が先頭に立つ。ハーパーも遅れ始める。
下り坂から市街地に入り、10万人収容のスタジアムへ。2時間29分19秒の
オリンピックレコード。2位はハーパー。3位には前半待機しつつ後半に一気に追い込みを見せた
南が続く。もう一人の日本代表、塩飽玉男(しあくたまお)は途中棄権。
520ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/03 00:57
客観的にみると、カルロス・ロペスですね
521ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/03 12:32
孫は長野県の生まれと聞いた事があるけど・・・
522ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/03 14:54
>>521
書物によると、
孫基禎は現在の北朝鮮・平安北道の新義州出身。
四人兄弟の末っ子。
とても貧しい家庭に育つが、当時このあたりの地域(半島寒冷地)一体は
このような生活様式が多かったようだ。
小学校を卒業後、統治国日本の長野県に呉服屋で店員募集を聞きつけ、友人と
2人で日本に長旅の末、上京。(16歳)
上諏訪にある呉服屋で店員になるも夢とはほど遠い徒弟生活で半年後に帰郷している。

ベルリン五輪後、在籍していた養正校を卒業。東京師範体育科への入学を希望するが、
入試ではねられる。明治大への入学は許可させたが、再び陸上競技をせず、また人の
集るところへ顔を出さないというのが入学の条件だった。
明大陸上部の級友から、箱根駅伝で1区間だけ走ってほしいと依頼されたこともあるが
かなわぬことだった。この時代は日韓の難しい問題を抱えた時期で、孫はどこにいくにも
特高の刑事が付き添い、人とあったら報告の義務があり、監視の目が付きまとったそうだ。

これは当時、陸上競技だけの問題とは違うのでスレ違いだけど、日本マラソンの歴史もいろいろの
経緯を経て現在があるのに気がつかされる。
523マラソン観戦歴35年:04/06/03 14:59
孫はソウル五輪の聖火ランナーとして競技場に入ってきたのを覚えているなぁ。

まあ、でもマラソンの歴史も知らない事があって勉強になるな。
524ノートルダム・マラソン:04/06/03 18:52
日本と韓国の因縁と並んで、マラソン界で面白いのが、エチオピアとイタリアの因縁。
エチオピアは、リベリアと並んで植民地支配の経験が無いアフリカの国として知られるが、
そのエチオピア支配に最も執着したのがイタリアだった。

エチオピアと国境を接するエリトリアとソマリアを支配したイタリアは、
エチオピアへ侵攻するも、1896年、アドワの戦いで壊滅。
よく日露戦争が欧米列強に対してそれ以外の勢力が勝利した最初の例と言われるが、こっちの方が古い。

一度はあきらめたイタリアだが、約40年後、ムッソリーニの時代に再度、エチオピアへ侵攻。
今度は占領してしまう。
しかし、世界大戦が始まると、英軍の支援を受けたエチオピアはアディスアベバの
イタリア軍を降伏させ、皇帝が復位した。

1960年、ローマで裸足のアベベが優勝したときは、エチオピア人は仇敵の地での勝利に歓喜した。
しかし、地理的な遠さから恨みが長続きしなかったのか、
現在はイタリアでのマラソンによくエチオピア選手が出ている。
イタリアで行われたレースでの最高記録はアレマエフ・シメレツが
2001年トリノで出した2:07:44である。
また、日本の実業団に来て、北海道を走っていたタデッセ・ゲブレがローママラソン勝者である事はあまり知られていない。
525ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/04 02:31
>>178
>>ボストンでは52年に朝鮮戦争中のはずなのに韓国人が優勝している

第二次大戦終戦後、孫は祖国に帰国し、ソウルで新たに設立、あるいは復旧させた
朝鮮体育会、朝鮮陸上競技連盟、マラソン普及会などの中心メンバーになり、選手の
育成と普及に打ち込む。
このような活動が認められ、1947年、ボストンマラソンの大会組織委員会から
招待が舞い込んだ。
ベルリン出場の南と若い徐潤福を選手として送り込み、孫がチームの監督についた。
この時、除が優勝。また50年のボストンでは1,2,3位を韓国選手が独占。
この後、朝鮮は内戦になったが、50年代まで孫基禎他の功績もあり、韓国マラソン界は
世界的に活躍をしたが、内戦後から衰退していった模様。
526ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/04 03:35


瀬古




527ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/04 05:57
>>514
>>520
>>526
せめてコメント載せて下さいよ。80年代をリアルタイムで観てないオレもいるんで。
528ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/04 06:11
>>519
ベルリン五輪マラソンの映像は、レニー・リーフェンシュタールによる映画「民族の祭典」
「美の祭典」で確認することができますね。
529ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/04 09:52
孫と例は違うが、GHQ(連合国総司令部)の占領下の中、ボストンマラソンで
日本人初優勝をした田中茂樹も価値ある勝利だったようだ。
530ノートルダム・マラソン:04/06/04 10:46
前スレでは瀬古が日本史上最高のランナーとして結論付けられたようだが、
あえて私は孫基禎を推したい。
日本は五輪で5人がメダルを獲得しているが、
この中で、日本最高記録を出した経験があるのは孫だけ。
>>518
さんが書いておられるとおり、ほとんど負けた経験が無い。

もう一つ注目したいのが、この時期の日本の異常なまでのレベルの高さである。
当時は42,195以外の距離で行われるレースがまだ多く、単純比較できないかもしれないが、
この1930年代はボストンやウィンザーなど海外のマラソンより、
日本のレースの方が明らかにタイムがいい。36年ベルリンの金銅はよく知られているが、
その前の32年ロス五輪でも日本は5・6・7位を獲得している。

日本のマラソン黄金期は三回あるが、その競技力は
30年代>60年代>80年代
ではないかと思う。

531522:04/06/04 11:26
話の続きに
ベルリン五輪のマラソン代表は実のところ孫基禎、南昇龍、塩飽玉男と鈴木房重の4人。
昔も1ヶ国3人までのエントリーのところ、直前まで4人の代表を現地入りさせていた。
もちろんレースに参加できるのは3人である。
開会式が迫り、本番のレースまで数えて18日前になんと出場選手を決める為に
30キロのトライアルを代表選手に実施させた。
この四人のなかで塩飽は30歳になって峠を過ぎており、孫の次に南が実力があるのは
はっきりしていた。日本陸連は日本人選手を代表にしたいのがミエミエであった。
しかし当時、日本人選手を選びたいという見方は外れたものではなかった。
前回のロス五輪(1932年)で津田晴一郎(5位)、とともに日本代表になった
金恩培(6位)、権泰夏(9位)の朝鮮人2人だったがチームワークの乱れがメダルを
逸したと世間で云われていたからだ。ベルリンでは日本人を2人を、という考えは安易に
想像できた。これはコーチの判断というよりもっと上層部での考えだったようだ。

この30キロ、孫は流したものだったが1位。2位南、3位塩飽、体調を崩した鈴木は
4位だった。
これも時代背景によるものだろう。今では考えられない選考方法で選ばれた3選手に
同情してしまう。そんな中で1,3位にはいった2選手は本当に力があったと思われる。
532ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/05 08:33
>>531 何か今回の男子の選考と似ているような・・
533ノートルダム・マラソン:04/06/05 19:48
土佐礼子は批判されたのに、諏訪が東海大閥の力で滑りこんだのは
誰も批判されなかったんだよなあ。
東海大は体育界では異常なまでの力を持ってる。
どう考えても小島の方が上なのに。
534ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/05 20:17
瀬古
535ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/05 20:27
>>530
あえて私は孫基禎を推したい

推したいったって当人が日本人じゃないっていってんだから
ベルリンスタジアムの優勝者プレートのJPNを自分でノミ持って行って削ったんだろ
536ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/05 20:39
南昇龍さんは知的な風貌だね
民族主義者丸出しであちこちで話題を提供した孫氏にくらべ
ほとんど表に出てこなかった

ソウル五輪の時それこそ50年ぶりにマスコミの前に姿現わしたが
ほんとにスマートな紳士で悪く言えばとりとめない孫氏とは好対象だった
537ノートルダム・マラソン:04/06/05 21:18
>>533
いろいろ、議論はあるだろうし、何より、「孫が日本史上最高のランナーだ」
などと誉めて一番怒るのは韓国の人たちなのだろうけど。
それでも、私はお役所的な考えで、五輪を取り仕切るIOCが
公式記録を日本のままにしている限り、孫は日本代表だと思うよ。
538522:04/06/06 00:43
>>535
>>推したいったって当人が日本人じゃないっていってんだから
ベルリンスタジアムの優勝者プレートのJPNを自分でノミ持って行って削ったんだろ

この事件の正しい詳細は、ベルリンのオリンピックスタジアムにある五輪優勝者の
ネームプレートは「孫基禎 JAPAN」である。
1970年、ベルリン訪問中の韓国の国会議員が用意したノミですばやく、JAPAN
の文字を削り、KOREAに彫り直した。
国会議員にはベルリン当局から公共物破損の容疑で逮捕状がだされた。刻印はJAPAN
に戻され、今もそのままになっている。
この事件はIOC(国際オリンピック委員会)、IAAF(国際陸上競技連盟)などで
も議論を呼んだが、結局1936年のベルリン五輪に「韓国」がオリンピックに出場した事実は
ないということで韓国側の主張は退けられた。

1998年の長野冬季五輪終了時点で「これまでのオリンピックに派遣した日本選手団の獲得した
金メダルは101個。日本人としては100個」という言い方で問題を表現している。
539ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 01:17
当然、孫のことはわからないけど、これだけの逸話や話題を知るだけでも
日本や韓国のみならず、アジアを代表するマラソンランナーだった一人と言えるね。
540ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 01:47
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            |  ゝノ             
           __|_______|_   ■■■■■■■■
           |iiiiiiiiiiiiiiiii|  ■■■■■■■■■  ナニヤッテンダヨ!バカモノガァ!
           |iiiiiiiiiiiiiiiii| ■■■■√ === │
           |iiiiiiiiiiiiiiiii|■■■■√  ̄ ミ ノノノ 彡 |
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■√   ∀    ∀ \
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■  ∵   (●  ●) ∴│  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■    丿■■■(  │< だから瀬古だって
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■     ■ д ■   |   |  言ったじゃないかぁ!
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■■   ■■ ■■ ■  \_________
           |iiiiiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■__
           \iiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■iiヽ
             \iiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■iiiiiii|
              |iiiiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■iiiiiiiii|
541ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 04:42
>>529
田中茂樹のボストンマラソン優勝は、当時ボクシングで世界チャンピオンになった
白井義男、水泳で世界記録を連発していた古橋広之進と共に「快挙」と報じられている。

田中はボストン優勝後、ニューヨークに立ち寄り、ヤンキースタジアムでジョー・ディマジオと
並んで観衆から拍手をもらい、この2年前に京大教授の湯川秀樹が日本人として初のノーベル物理学賞
を受けたが、湯川はコロンビア大教授も兼任しており、その研究所に立ち寄ったり、
ロスのハリウッドではターザン役のジョニー・ワイズミューラーが撮影所を案内してくれたりと
当時の「ボストン優勝」は文字通りアメリカ挙げてのヒーローだったようだ。
542ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 07:27
田中茂樹といえば日本選手団が「金栗足袋」で挑んだ最後の大会と聞いたことがある。
543542の補足:04/06/06 07:28

もちろん1951年のボストンマラソンでの事です。
544ノートルダム・マラソン:04/06/06 16:54
田中茂樹と言えば「アトム・ボーイ」という異名だったね。
昔、日本サッカー協会の親玉だった長沼さんは、投下15分前に原爆ドームの
前を自転車で通ったらしいし、若干放射能を浴びていても一流のスポーツマンになれるんだねー。
テレビでベルリンオリンピックのマラソンを見たが、
「ニッポンの孫」「ニッポンの金」というところの「ニッポンの」が消されていてワロタ
閑散としたコースで、これじゃ近道してもばれないんじゃないかと思った。
546ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 18:34
金->南
スマソ
547ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 21:58
このスレでダレも新宅の偉大さを語るものはいない
トラックですばらしい実績があるが故にマラソン進出
が遅れマラソンランナーとしては結果が無いが
記録は出したが、高岡に通ずる物がある
548ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 22:50
>>547
新宅は前スレで幾人かが語ってますよ。よかったらご参考に。
新宅さんって何で名前変えたの?
550ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/06 23:06
>>544
田中茂樹は1931年(昭和6年)広島県庄原市出身。
原爆の中心地よりかなり離れていて、
原爆当日は青年学校の校庭で朝礼をしていた時に、稲妻のような音を聞いたと
語っている。雨は降らなかったようだ。

資料によると、高校2年から3年にかけて第3回金栗賞朝日マラソン高校の部(20キロ)
、佐賀で開かれた短縮マラソン(20キロ)、名古屋国体一般の部(20キロ)で優勝。
注目選手となる。そして山口ー小郡間で開催した「ボストン大会兼代1回アジア大会
(ニューデリー)派遣壮行マラソン大会」で2時間28分16秒の戦後最高記録で優勝。
19歳でボストン派遣が決定した早熟なランナーだった。
551ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 00:40
高橋Q
552ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 01:59
自分、そ〜んなに陸上詳しいってほどじゃないんだけど、フィスはいいランナーだと
思う。ぶれなくて、それでいて力が入ってない走りも好きだ。フィスがあまり目だった
ように思えないのは単純にマスコミの問題?。それとも実績?。「でっかい」大会で
勝ってないから?
553ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 05:59
マラソン世界最高記録の遍歴

2時間55分18秒4 J.ヘイズ(アメリカ) 1908
2時間52分46秒0 フォウラー(アメリカ) 1909
2時間46分53秒0 クラーク(アメリカ) 1909
2時間46分05秒0 レインズ(アメリカ) 1909
2時間42分31秒0 バーレット(イギリス)1909
2時間38分17秒0 H.グリーン(イギリス)1913
2時間36分07秒0 アールグレン(スウェーデン)1913
2時間32分35秒8 コーレマイネン(フィンランド)1920
2時間31分31秒0 矢萩丹治(日本) 1932
2時間31分10秒0 楠好蔵(日本) 1933
2時間27分49秒0 鈴木房重(日本) 1935
2時間26分44秒0 池中康雄(日本) 1935
2時間26分42秒0 孫基禎(日本) 1935
2時間20分42秒2 ピータース(イギリス) 1952
2時間18分40秒2 ピータース(イギリス) 1953
2時間18分34秒8 ピータース(イギリス) 1953
2時間17分39秒4 ピータース(イギリス) 1954
2時間15分17秒0 S.ポポフ(ソビエト) 1958
2時間15分16秒2 アベベ(エチオピア) 1960
2時間15分15秒8 寺沢徹(日本) 1963
2時間14分28秒0 エデレン(アメリカ) 1963
2時間13分55秒0 ヒートレー(イギリス) 1964
2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア) 1964
2時間12分00秒0 重松森雄(日本) 1965
2時間09分36秒4 クレイトン(オーストラリア)1967
2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969
(2時間08分13秒 サラザール(アメリカ) 1981)
2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 1981
2時間08分05秒 S.ジョーンズ(イギリス) 1984
2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル) 1985
2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア) 1988
2時間06分05秒 ダコスタ(ブラジル) 1998
2時間05分42秒 ハヌーシ(モロッコ) 1999
2時間05分38秒 ハヌーシ(アメリカ) 2002
2時間04分55秒 テルガト(ケニア) 2003

(カッコ)は後日距離不足のため抹消
554ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 06:08
世界最高記録保持期間ベスト5

1位孫基禎(日本)1935−1952(約17年間)
2位クレイトン(オ−ストラリア) 1969−1981(約12年間)
2位コーレマネン(フィンランド) 1920−1932(約12年間)
4位デンシモ(エチオピア) 1988−1998(約10年間)
5位アールグレン(スウェーデン) 1913−1920(約7年間)
555ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 07:26
マラソン大国でありながら優勝者を出していないのは
日本とイギリス
ピータースも悲願達成を期待されたトンプソンもこけた
日本も何人か優勝候補送り出したがダメダメ
男子ですが
556ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 09:28
>>553
距離不足で記録を抹消されたサラザールは既出であるが、
デビューの80年10月から82年までの3年間は無類の強さを発揮。
デビューからロス五輪までのマラソン戦歴は

1.80年10月 ニューヨーク(優勝)2.9.41
2.81年10月 ニューヨーク(優勝)2.8.13
3.82年04月 ボストン(優勝)2.8.51
4.82年10月 ニューヨーク(優勝)2.9.29
5.83年04月 ロッテルダム(5位)2.10.08
6.83年12月 福岡国際 (5位)2.9.21

その後、全米予選の後、ロス五輪(15位)の大惨敗となる。

アルベルト・サラザールは1958年8月7日生まれ。181cm 64kg。
キューバ移民。
5000m13.11.93
10000m27.25.61
と当時、マラソンとトラックでも世界的なタイムを保持していた。
(ラストのスピードはあまりなく、平均ペースで走るランナーだった)

557ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 09:39
>1位孫基禎(日本)1935−1952(約17年間)

この孫の記録保持期間17年は第二次世界大戦を挟んでいるとはいえ、凄い保持期間
である。
記録本では、1946年8月にヨーロッパ選手権(オスロ)でミッコ・ピエタネン(フィンランド)
が2.24.55で優勝。記録を最新したかに見えたが距離が40.2kmだった。

孫のタイムは「持久力主体マラソン時代」の最高のものだったようだ。
まぁ実際に42.195kmでの開催が少ない時代だったこともあるだろうとも云われている。
558ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 09:46
>>557
孫の偉大さに隠れるだろうが、前記録保持者の池中康雄も2秒差だから、
17年間世界歴代2位だったんだろうな。
559ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 09:53
>>553この表をみると、
孫の記録をピータースが「6分最新」したのも凄い快挙だっただろう。
560ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 11:09
たしかコーレマイネン(フィンランド)の記録は42.750kmでのタイムだった
ように記録しているが。。。

その内容で12年間保持も価値あるものだと思う。
561ノートルダム・マラソン:04/06/07 13:11
古い時代の記録は色々な資料によって世界記録変遷が違うんですよね。
>>553さん
のデ−タは42.195以外のレースも入れている資料ですね。
コーレマイネンの勝ったアントワープ五輪は42,195ではないです。
資料によっては、
69年のクレイトン(アントワープ)や63年の寺沢(別大)を認めていないものや、
51年に韓国選手が釜山で出した記録がピータースの前に入っているものもあります。
矢萩、楠という選手は初めて知りました。
>>531
その選考レースで、韓国人は塩飽と鈴木が不正を使用ししたため、
南昇龍が咎めたと言っているが、事実は逆。

鈴木が何で「体調不良」にされたのかで、真実は見えてくる。
563ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 14:14
距離の話で有名なのが、1950年代頃のボストンマラソン。

ボストンは1897年からずっと24.5マイル(39.429km)だった。
1927年に正規の距離(42.195km)にしたことになっているが、何回か再計測をする中、
1956年にアンチ・ビスカリ(フィンランド)とジョニー・ケリー(アメリカ)
が2時間14分台の脅威的な世界最高記録を出した事から、距離の再計測が行われた。
結果は正しい距離より1086m短い41.109kmしかなかった。
このため、1953年に山田敬蔵が2時間18分51秒、55年の浜村秀雄の2時間18分22秒
がともに、日本記録から抹消されることになった。

コーレマイネンの記録は正規の42.195kmより長い距離なので公認扱いに
なっているみたいですね。
564ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 14:28
>>556
1981年10月 ニューヨークシティマラソン 優勝 サラザールのラップタイム

5km 15.14
10km 30.12(14.48)
15km 45.39(15.39)
20km 1.00.17(14.38)
25km 1.15.57(15.40)
30km 1.30.46(14.49)
35km 1.46.01(15.15)
40km 2.01.31(15.30)
2.195km(6.42)
2時間08分13秒 (当時世界最高記録扱い)

ここにサラザールのラップタイムがありますが、この5キロ毎のばらつきは信じられない
ものがある。マイルをキロ表示に置きかえたものだから多少はしょうがないでしょうが、
当時ニョーヨークはどこの区間が短かったのでしょうかね。
(15−20キロ区間が怪しいですね)
565ノートルダム・マラソン:04/06/07 18:00
80年代でさえ、北京が短いとか東京が長いとか問題が起きているのに
古い時代はなおさら距離が不正確だっただろう。
私は42,195をどうやって測定するか知らないが、
最後の5ってのは、たった5メートルなわけだし、
ちょっと地盤の隆起や陥没が起きれば次の年には距離が変わってしまうような??
566ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 18:45
>>565
縁石から3メートル
567ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 19:41


瀬古




568ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 19:47
誤差は0.1パーセントまでだっけ?
569ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/07 22:11
昔は鋼尺みたいなの使ってたが
今のチャリ計測はなんか怪しいな
570ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 02:56
ご存知の通り、マラソンの距離は1908年のロンドン五輪で採用された距離
(ウインザー城からロンドンのホワイト・シティ競技場まで)の42.195km
が1924年のパリ五輪から正式採用された。

それまでの五輪での距離は
1回(1896年)アテネ 40.000km
2回(1900年)パリ 40.260km
3回(1904年)セントルイス 40.000km
4回(1908年)ロンドン 42.195km
5回(1912年)ストックホルム 40.200km
7回(1920年)アントワープ 42.750km
8回(1924年)パリ 42,195km

最短で40km、最長で42.750kmになっている。そのアントワープで
マークしたコーレマイネン(フィンランド)の優勝記録(2時間32分35秒8)は
概出だけれどその後、12年間破られない大記録となった。
571ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 03:22
話は少し逸れるが、日本で最初の「マラソン大会」は1911年(明治44)11月19日、
「ストックホルム五輪マラソン代表選考会」として羽田のグラウンドから川崎に
向い、東神奈川を折り返すコースで開催された。正規のマラソンレースということで陸軍の
測量地図を使って計測されているが、実測は25マイル(約40キロ)であったといわれている。

参加選手は19名。金栗四三が2時間32分45秒のタイムで優勝。
正式に42.195キロに決まってない時代のマラソンだけに、距離に比較もせず
「世界記録」を出したという号外がでたらしい。
572ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 08:19
>>570
第1回アテネ五輪優勝者は地元ギリシャのスピリドン・ルイスだが、世間一般では
ルイスの職業は「羊飼い」ということになっているが、実際はアテネ郊外の村から
ロバを引いて町に水を売りにきていた水売りだったとか。
「羊飼いの青年」は近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵候の回想録に
「昔の羊飼いの服を着た若者が・・」と言う記述から伝わったらしい。
573ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 08:24
金栗四三は中止となった6回ベルリン五輪もマラソン代表だったので、ストックホルム、ベルリン、アントワープ、パリと日本マラソン史上、
五輪最多の代表権を獲得している。
574ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 10:18


瀬古




575ノートルダム・マラソン:04/06/08 19:23
今、古い時代の日本選手の話題になっているので、
ここで都道府県別ランナー輩出実績を比較してみようと思う。
相撲や野球などはこういうデータは揃っているがマラソンは殆どないので。
小生が未熟者ゆえに古い時代の選手の出身地はあまり、分からなかった。
【福島】円谷 藤田           【群馬】諏訪    
【埼玉】川嶋              【東京】武井
【新潟】宇佐美             【長野】中山 伊藤
【岐阜】早田              【愛知】佐藤(信之) 実井 
【三重】瀬古              【京都】高岡
【鳥取】森下(広一)          【広島】田中(茂樹) 清水 
【岡山】坂本峰照            【山口】国近 油谷
【徳島】犬伏 大家           【福岡】君原 重松 三木
【佐賀】喜多              【大分】宗’s 佐保
【熊本】金栗 森下(由輝)       【宮崎】谷口 広島’s
【鹿児島】児玉      
こうして見ると、やはり九州を始めとした西日本が強い。
野球やサッカーと違い、全国高校選手権で好成績を残した県が名選手を生むとは限らない。
特に兵庫県があまりいい選手を生んでいないのは意外だ。
576ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 21:38
前に田中茂樹の時代(1950年前後)のボストンまでの渡航費は
1人、70万円(現在の3千万円)かかり、相当なカンパによる遠征だったと聞いた事がある。
参加した日本選手達がレース前に「この中で誰かが勝たないと、日本には帰れないぞ。」と
真剣にミーティングしたそうだ。
【岡山】坂本峰照って誰?
>>577
日立造船だったっけ。
福岡でもいつも30km過ぎまでは果敢に走って
先頭集団にいたような記憶がある。
579ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 22:17
日本人初の五輪マラソン入賞者・山田兼松の名前が
出ていないね。(アムステルダム4位入賞)
40キロまではトップだったが、慣れない舗装道路に
足を痛めて後退した……ってのがいかにも当時の日本
らしい。

出身県の話が出ていたけど、山田は香川県出身。
当時の香川は塩田で働く(広いところを一日中走り回る)
男たちの間からマラソン熱が高まって、全国でも有数の
マラソンランナー輩出県だった。
ベルリン代表の塩飽玉男もそう。
580ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 22:20
九州ってマラソンが盛んだけど何か理由があるのかな?
個人的には長野がマラソン選手を育てる環境に向いていると思うけど。
だけど、長野県の人間ってプロのスポーツ選手になりたがらない性格をしている。 
581ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 22:43
九州もだが四国も意外と盛んだね。
アトランタ以降だけでも五輪マラソンに5人出ている
582ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 23:18
>>577 字が間違っている。1978年のアジア大会チャンピオン。
583ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/08 23:49
>>575
おいおい、実井は岐阜じゃなかったのか?
>>575
大分は清水昭、真内明、佐藤智之もいるぞ!
>>野田 浩も入れてね!
>>585
それはどなたで、いつごろの選手ですか?
587ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 01:17
>>586
野田浩(のだひろし) 80年代の旭化成で活躍した中堅ランナー。
大分桜ケ丘高校卒。
代表的なマラソンは85年のびわ湖毎日マラソン。終盤、阿部、須永の日電HE
コンビと競り合い、3位入賞。2時間11分23秒。
他に87年北京国際4位(2.12.53)などがある。
588ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 01:48
28年アムステルダム五輪6位、32年ロス五輪5位で日本人初の五輪連続入賞を
したのが津田晴一郎。選手時代の成績の他にも、田中茂樹がボストン初優勝したとき
の日本選手団コーチ、また円谷がトラックからマラソンに転向する際、世論の非難が
多いなか、織田幹雄と共に、「これからはトラック走者しか世界のマラソンに太刀打ち
できなくなる。円谷にマラソンを走らせるのがいいでしょう。」と当時、円谷コーチの
畠野に助言した一人である。
589ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 02:00
>>579
当時の実業団選手といえば四国香川の「坂出青年」がメインだったようです。
塩は、砂浜に撒布した海水を天日で乾かし農縮させることによってつくられる
そうだが、水分の蒸発を助長させるため、砂の面に溝をつくらなければいけない
よう。広大な塩田を駆け回ってその作業を担う働き手を浜人と呼んだ。
その人々で結成されたランナーの名称が「坂出青年」らしい。
山田兼松は少年期から浜人として働いていた。

またアムステルダム五輪の終盤、「山田優勝」と各国の新聞記者がざわめきたち
記事の最終調整まで入っていた。それくらい山田の優勝が間違いないと思われるくらい
のセーフティリードがあったよう。最後のトラブルは非常に残念だ。
590ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 03:01
金栗四三のマラソン功績の後、28年のアムステルダム五輪から36年のベルリン五輪
までの間が「第1期日本マラソン黄金期」になりそうですね。
591ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 03:02
第2期は64年東京五輪から72年ミュンヘン五輪までか?
592ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 07:05
オリンピック男子マラソン歴代優勝者

1 1896(アテネ) ルイス (ギリシャ) 2:58:50 ※40`
2 1900(パリ)ティアトー (フランス) 2:59:45 ※40.26`
3 1904(セントルイス) ヒックス (イギリス) 3:28:53 ※40`
4 1908(ロンドン) ヘイズ (アメリカ) 2:55:18:4 
5 1912(ストックホルム) マッカーサー (南アフリカ) 2:36:54:8 ※40.2`
6 1916(ベルリン)中止
7 1920(アントワープ) コーレマイネン (フィンランド) 2:32:35:8 ※42.75`
8 1924(パリ) ステンロース (フィンランド) 2:41:22:6  
9 1928(アムステルダム) エルアフィ (フランス) 2:32:57:0
10 1932(ロサンゼルス) ザバラ (アルゼンチン) 2:31:36:0
11 1936(ベルリン)孫 基禎 (日 本) 2:29:19:2
12 1940(東京) 中止
13 1944(ロンドン)中止
14 1948(ロンドン) キャブレラ (アルゼンチン) 2:34:51:6
15 1952(ヘルシンキ)ザトペック (チェコスロバキア) 2:23:03:2
16 1956(メルボルン)ミムン (フランス) 2:25:00:0
17 1960(ローマ)アベベ (エチオピア) 2:15:16:2
18 1964(東京)アベベ (エチオピア) 2:12:11:2
19 1968(メキシコ)マモ・ウォルデ (エチオピア) 2:20:26:4
20 1972(ミュンヘン)ショーター (アメリカ) 2:12:19:8
21 1976(モントリオール)チェルピンスキー (東ドイツ) 2:09:55
22 1980(モスクワ) チェルピンスキー (東ドイツ) 2:11:03
23 1984(ロサンゼルス)ロペス (ポルトガル) 2:09:21(五輪最高記録)
24 1988(ソウル)ボルディン (イタリア) 2:10:32
25 1992(バルセロナ)黄 永祚 (韓 国 )2:13:23
26 1996(アトランタ)チュグワネ (南アフリカ) 2:12:36
27 2000(シドニー) アベラ (エチオピア) 2:10:11


593ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 07:25
オリンピック男子マラソン歴代10傑

1、ロペス(ポルトガル)2時間9分21秒 84年ロス五輪(優勝)
2、チェルピンスキー(東ドイツ)2時間9分55秒 76年モントリオール五輪(優勝)
3、トレーシー(アイルランド)2時間9分56秒 84年ロス五輪(2位)
4、スペディング(イギリス)2時間9分58秒 84年ロス五輪(3位)
5、アベラ(エチオピア)2時間10分11秒 00年シドニー五輪(優勝)
6、ワイナイナ(ケニア)2時間10分31秒 00年シドニー五輪(2位)
7、ボルディン(イタリア)2時間10分32秒 88年ソウル五輪(優勝)
8、ショーター(アメリカ)2時間10分45秒 76年モントリオール五輪(2位)
9、ワキウリ(ケニア)2時間10分47秒 88年ソウル五輪(2位)
10、宗猛(日本)2時間10分55秒 84年ロス五輪(4位)
594ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 07:34
世界陸上競技選手権 男子マラソン歴代優勝者

1 1983(ヘルシンキ) ド・キャステラ オーストラリア 2:10:03
2 1987(ローマ)ワキウリ ケニア 2:11:48
3 1991(東京) 谷口浩美 日 本 2:14:57
4 1993(シュッツトガルト)プラーティエス アメリカ 2:13:57
5 1995(イエテボリ) フィス スペイン 2:11:41
6 1997(アテネ)アントン スペイン 2:13:16
7 1999(セルビア)アントン スペイン 2:13:36
8 2001(エドモントン)アベラ エチオピア 2:12:42
9 2003(パリ)ガリブ モロッコ 2:08:31
595ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 08:00
世陸では昨年のパリが初めてのサブテン突破だったんだな。こうやって表でみると
気がつくことがありますね。
世陸の歴代記録の表がないけど、昨年の大会で複数サブテンがでてるから
ほとんどパリでの記録になる予感。
596ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 08:03
>>593
宗猛の10位っていうのは渋い。五輪日本人最高タイムかぁ。
597ノートルダム・マラソン:04/06/10 15:20
高校駅伝歴代優勝校

第1回(1950年) 世 羅 広 島 1時間46分57秒
第2回(1951年) 世 羅 広 島 1時間44分31秒
第3回(1952年) 玉 名 熊 本 2時間18分42秒
第4回(1953年) 筑紫野 福 岡 2時間15分37秒
第5回(1954年) 筑紫野 福 岡 2時間18分40秒
第6回(1955年) 飾磨工 兵 庫 2時間17分52秒
第7回(1956年) 常 磐 福 岡 2時間16分57秒
第8回(1957年) 小 林 宮 崎 2時間14分10秒
第9回(1958年) 常 磐 福 岡 2時間14分07秒
第10回(1959年) 西条農 広 島 2時間14分27秒
第11回(1960年) 小 林 宮 崎 2時間13分17秒
第12回(1961年) 小 林 宮 崎 2時間13分40秒
第13回(1962年) 福岡大大濠 福 岡 2時間13分58秒
第14回(1963年) 中京商 愛 知 2時間12分47秒
第15回(1964年) 盈 進 広 島 2時間10分10秒
第16回(1965年) 福岡大大濠 福 岡 2時間10分46秒
第17回(1966年) 中京商 愛 知 2時間09分28秒
第18回(1967年) 中 京 愛 知 2時間11分09秒
第19回(1968年) 小 林 宮 崎 2時間11分00秒
第20回(1969年) 福岡大大濠 福 岡 2時間10分08秒
第21回(1970年) 相 原 神奈川 2時間11分36秒
第22回(1971年) 中津商 大 分 2時間11分47秒
第23回(1972年) 世 羅 広 島 2時間12分59秒
第24回(1973年) 小 林 宮 崎 2時間11分56秒
第25回(1974年) 世 羅 広 島 2時間08分40秒
第26回(1975年) 大牟田 福 岡 2時間09分11秒
第27回(1976年) 大牟田 福 岡 2時間09分57秒
第28回(1977年) 小 林 宮 崎 2時間10分43秒
第29回(1978年) 小 林 宮 崎 2時間10分57秒
第30回(1979年) 中京商 岐 阜 2時間10分55秒
第31回(1980年) 中京商 岐 阜 2時間10分07秒
598ノートルダム・マラソン:04/06/10 15:21
第32回(1981年) 報徳学園 兵 庫 2時間10分23秒
第33回(1982年) 西脇工 兵 庫 2時間08分46秒
第34回(1983年) 報徳学園 兵 庫 2時間07分04秒
第35回(1984年) 報徳学園 兵 庫 2時間08分05秒
第36回(1985年) 報徳学園 兵 庫 2時間06分43秒
第37回(1986年) 市船橋 千 葉 2時間06分30秒
第38回(1987年) 埼玉栄 埼 玉 2時間05分57秒
第39回(1988年) 大牟田 福 岡 2時間05分53秒
第40回(1989年) 報徳学園 兵 庫 2時間04分49秒
第41回(1990年) 西脇工 兵 庫 2時間05分44秒
第42回(1991年) 大牟田 福 岡 2時間06分47秒
第43回(1992年) 西脇工 兵 庫 2時間05分12秒
第44回(1993年) 仙台育英 宮 城 2時間05分25秒
第45回(1994年) 西脇工 兵 庫 2時間03分21秒
第46回(1995年) 西脇工 兵 庫 2時間05分20秒
第47回(1996年) 報徳学園 兵 庫 2時間05分08秒
第48回(1997年) 西脇工 兵 庫 2時間03分18秒
第49回(1998年) 西脇工 兵 庫 2時間03分32秒
第50回(1999年) 仙台育英 宮 城 2時間05分04秒
第51回(2000年) 大牟田 福 岡 2時間04分48秒
第52回(2001年) 仙台育英 宮 城 2時間03分46秒
599ノートルダム・マラソン:04/06/10 15:32
第53回 2002年西脇工(兵庫)2:04.03
第54回 2003年仙台育英(宮城) 2:02.07

こうして見ると、54回の歴史の中に、東日本は12回しか勝っていない。
しかも、そのうち4度は、ケニア勢を擁した仙台育英である。
これほど、西に偏っているスポーツもないだろう。
それを考えれば、むしろマラソンに距離が伸びると、東の出身者が頑張っている感がある。
600ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 16:25
雪があると走れないからな?
でも、新潟の宇佐美、福島の円谷、長野の中山・・
雪のありそうなとこだ。
昔は青東駅伝でも青森が一番強かったけど・・
東京などの都市部はマラソンの練習をするコース自体が無いか・・     
601ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 16:44
<<600
新潟(巻高校卒)の宇佐美と言っても、
宇佐美は高校までテニスをやっていて大学(日大)から陸上を始めた。
極端なほど遅い競技キャリアで日本最高記録樹立、世界歴代3位、3度の五輪出場は凄い。
602ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 16:51
>>592
世界記録の推移と五輪優勝者の優勝タイムを比べてみると、高地のメキシコシティ
を除けば、84年のロス五輪前後まで(正確に見るとモントリオールまでかな)
は優勝タイムが良いのがわかる。
88年のソウル五輪以降が真夏開催の煽りをうけて、タイムが伸びていないなあ。
603ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 17:01
今、ケニアがこれだけ強くても世界大会優勝はワキウリだけか。ワキウリは日本育ちだし、連続メダルのワイナイナも同じ。

五輪マラソンは未だ金メダルがないんだね。
どうもケニアは夏マラソンに強い印象がないんだな。エチオピアの
マラソン勢のほうが格が上の印象がある。
でもエチオピアのメコネンは夏マラソンはさっぱりだった。
604ノートルダム・マラソン:04/06/10 21:08
夕刊に載っていたけど、
韓国が、IOCホームページに孫基禎氏関連の訂正を要請した模様。
日本語読みで「ソン・キテイ」と表示されている上、
出身国が北朝鮮になっているらしい。
日本ならまだ分かるけど、北はやばいだろ・・・・・・・
欧米系のホムペってアジアに関する変な記述が多いけどね。
どこかで、「ケミハラ・ケンジ」が歴代優勝者リストに載っていたような?
http://www.olympic.org/uk/athletes/heroes/bio_uk.asp?PAR_I_ID=88103
というわけでIOCホムペの孫が載っている部分。
見たところ、国籍は韓国になっているようだが??
それにしても貴重な写真の数々・・・・
606ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/10 21:50
>>605
このホームページ左下の写真(孫と併走してる選手が)アーネスト・ハーパー(イギリス)
でしょうね。
右下の表彰台(南、孫、ハーパー)の写真は頭に月桂冠を載せ、メインポールに
日章旗が揚がり、君が代に聞き入ってる写真だが、この時日本人記者は頬をつたう涙を
感激にむせぶ涙であると伝えている。
実際はいままでの祖国の苦しみを考え、せきあげる悲しみと激情にジッと頭を垂れ
涙をかみ締めていたと、後日の自伝で語っている。
メキシコ五輪の200mでもスミスとカーロスが抗議のこぶしを掲げたが、
紆余曲折の末、今の華やかな五輪大会があることを感じますね。
607ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/11 22:36
男子マラソン世界歴代30傑(2004.6月現在)

1、 2:04:54 P・テルガト (ケニヤ) 1 ベルリン 2003.9.28
2、 2:04:56 S・コリル (ケニヤ) 2 ベルリン 2003.9.28
3、 2:05:38 K・ハヌーシ (アメリカ) 1 ロンドン 2002.4.14
4、 2:05:50 E・ルト (ケニヤ) 1 シカゴ 2003.10.12
5、 2:06:05 R・ダコスタ (ブラジル) 1 ベルリン 1998.9.20
6、 2:06:14 F.リモ ケニア (パリ) 2004.4.4
7、 2:06:15 T・ムインジ (ケニヤ) 3 ベルリン 2003.9.28
8、 2:06:16 D・ジェンガ (ケニヤ) 2 シカゴ 2002.10.13
8、 2:06:16 高岡 寿成 (日 本) 3 シカゴ 2002.10.13
8、 2:06:16 M・タヌイ (ケニヤ) 2 シカゴ 1999.10.24
11、 2:06:33 M・ロティチ (ケニヤ) 1 パ リ 2003.4.6
11、 2:06:33 G・タイス (南アフリカ) 1 東京国際 1999.2.14
13、 2:06:35 H・ゲブルセラシエ (エチオピア) 3 ロンドン 2002.4.14
14、 2:06:36 B・ツウェルチェフスキ (フランス) 2 パ リ 2003.4.6
14、 2:06:36 A・ピント (ポルトガル) 1 ロンドン 2000.4.16
16、 2:06:39 W・キプサング (ケニヤ) 1 アムステルダム 2003.10.19
17、 2:06:44 J・キプロノ (ケニヤ) 1 ベルリン 1999.9.26
18、 2:06:46 A・エルムアジーズ (モロッコ) 5 シカゴ 2002.10.13
19、 2:06:47 W・オンサール (ケニア) 3 パ リ 2003.4.6
19、 2:06:47 R・キプロエッチ (ケニア) 1 ベルリン 2002.9.29
19、 2:06:47 F・キプロプ (ケニヤ) 1 アムステルダム 1999.10.17
22、 2:06:48 D・エルヒメール (フランス) 4 パ リ 2003.4.6
23、 2:06:49 S・ビオット (ケニヤ)2 ベルリン 2002.9.29
23、 2:06:49 T・ジファール (エチオピア) 2 アムステルダム 1999.10.17
25、 2:06:50 B・デンシモ (エチオピア) 1 ロッテルダム 1988.4.17
25、 2:06:50 W・キプラガト (ケニヤ) 3 アムステルダム 1999.10.17
27、 2:06:51 藤田 敦史 (日 本) 1 福岡国際 2000.12.3
28、 2:06:53 V・キプソス (ケニヤ) 3 ベルリン 2002.9.29
29、 2:06:54 O・オソロ (ケニヤ) 1 シカゴ 1998.10.11
30、 2:06:57 犬伏 孝行 (日 本) 2 ベルリン 1999.9.26
30、 2:06:57 T・トーラ (エチオピア) 4 アムステルダム 1999.10.17

608訂正版:04/06/11 22:45
男子マラソン世界歴代30傑(2004.6月現在)

1、 2:04:55 P・テルガト (ケニヤ) 1 ベルリン 2003.9.28
2、 2:04:56 S・コリル (ケニヤ) 2 ベルリン 2003.9.28
3、 2:05:38 K・ハヌーシ (アメリカ) 1 ロンドン 2002.4.14
4、 2:05:50 E・ルト (ケニヤ) 1 シカゴ 2003.10.12
5、 2:06:05 R・ダコスタ (ブラジル) 1 ベルリン 1998.9.20
6、 2:06:14 F.リモ (ケニア) パリ 1 2004.4.4
7、 2:06:15 T・ムインジ (ケニヤ) 3 ベルリン 2003.9.28
8、 2:06:16 D・ジェンガ (ケニヤ) 2 シカゴ 2002.10.13
8、 2:06:16 高岡 寿成 (日 本) 3 シカゴ 2002.10.13
8、 2:06:16 M・タヌイ (ケニヤ) 2 シカゴ 1999.10.24
11、 2:06:33 M・ロティチ (ケニヤ) 1 パ リ 2003.4.6
11、 2:06:33 G・タイス (南アフリカ) 1 東京国際 1999.2.14
13、 2:06:35 H・ゲブルセラシエ (エチオピア) 3 ロンドン 2002.4.14
14、 2:06:36 B・ツウェルチェフスキ (フランス) 2 パ リ 2003.4.6
14、 2:06:36 A・ピント (ポルトガル) 1 ロンドン 2000.4.16
16、 2:06:39 W・キプサング (ケニヤ) 1 アムステルダム 2003.10.19
17、 2:06:44 J・キプロノ (ケニヤ) 1 ベルリン 1999.9.26
18、 2:06:46 A・エルムアジーズ (モロッコ) 5 シカゴ 2002.10.13
19、 2:06:47 W・オンサール (ケニア) 3 パ リ 2003.4.6
19、 2:06:47 R・キプロエッチ (ケニア) 1 ベルリン 2002.9.29
19、 2:06:47 F・キプロプ (ケニヤ) 1 アムステルダム 1999.10.17
22、 2:06:48 D・エルヒメール (フランス) 4 パ リ 2003.4.6
23、 2:06:49 S・ビオット (ケニヤ)2 ベルリン 2002.9.29
23、 2:06:49 T・ジファール (エチオピア) 2 アムステルダム 1999.10.17
25、 2:06:50 B・デンシモ (エチオピア) 1 ロッテルダム 1988.4.17
25、 2:06:50 W・キプラガト (ケニヤ) 3 アムステルダム 1999.10.17
27、 2:06:51 藤田 敦史 (日 本) 1 福岡国際 2000.12.3
28、 2:06:53 V・キプソス (ケニヤ) 3 ベルリン 2002.9.29
29、 2:06:54 O・オソロ (ケニヤ) 1 シカゴ 1998.10.11
30、 2:06:57 犬伏 孝行 (日 本) 2 ベルリン 1999.9.26
30、 2:06:57 T・トーラ (エチオピア) 4 アムステルダム 1999.10.17

テルガトの記録を訂正しました。
609ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/11 22:48
>>608
高岡寿成はアフリカ系選手を除く民族としてはいちばん良いタイムになってるね。
>>609
やっているのが、アフリカ系と日本だけだからね。
611ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/11 23:01
>>161さんが添付してくれた表と今の記録を見比べると、ざっと15年間で2分の
記録の差がでてますね。
しかし歴代30傑内で当時、ケニアが1人だったのに対し、今は半分以上の17人、
アフリカ系以外が6人しか入っていない。

>609
ダコスタは?
613ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/11 23:26
イギリス、オーストラリアが消えている
>>612
ダコスタはアフリカ系ブラジル人
ペレと同じだな
615608:04/06/12 11:44
男子マラソン国別最高記録(2.9.00以内)

(ケニヤ、アメリカ、ブラジル、日本、南アフリカ、エチオピア、フランス、ポルトガル
モロッコ、は世界歴代30傑のにて表示)

(ジブチ)2:07:07 A・サラ (ロッテルダム 1988.4.17)
(イギリス)2:07:13 S・ジョーンズ(シカゴ 1985.10.20)
(メキシコ)2:07:19 AP・エスピノサ(ボストン 1994.4.18)
(韓国)2:07:20 イ・ボン・ジュ(東京 2000.2.13)
(ベルギー)2:07:20 V・ルソー(ベルリン 1995.9.24)
(スペイン)2:07:23 F・ロンセロ(ロッテルダム 1999.4.18)
(イタリア)2:07:29 S・バルティニ(ロンドン 2002.4.14)
(オーストラリア)2:07:51 R・d・キャステラ(ボストン 1986.4.21)
(タンザニア)2:08:01 S・ラマダーニ(ロンドン 2003.4.13)、J・イカンガー(NY 1989.11.05)
(オランダ)2:08:31 K・マーセ(アムステルダム 2003.10.19)
(コンゴ)2:08:40 W・カロンボ(パリ 1999.4.4)
(ドイツ)2:08:47 J・ペーター(東京 1988.2.14)
(エストニア)2:08:53 P・ロスクトフ(パリ 2002.4.7)
(ニュージーランド)2:08:59 R・ディクソン(NY 1983.10.23)
616ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/12 12:10
このランキング見ると高岡出さないのは犯罪的だな
世界選手権でズルズル遅れた暑苦しい顔の男に辞退させろ
617ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/12 12:15
>>616

箱根あがりのほうに辞退させるべき
618ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/12 17:13
日本男子マラソン五輪入賞者(1912年ストックホルム大会から2000年シドニー大会まで)

(金)孫基禎(1936年 ベルリン大会)
(銀)君原健二(1968年 メキシコ・シティー大会)
(銀)森下広一(1992年 バルセロナ大会)
(銅)南昇龍(1936年 ベルリン大会)
(銅)円谷幸吉(1964年 東京大会)
(4)山田兼松(1928年 アムステルダム大会)
(4)宗猛(1984年 ロサンゼルス大会)
(4)中山竹通(1988年 ソウル大会)
(4)中山竹通(1992年 バルセロナ大会)
(5)津田晴一郎(1932年 ロサンゼルス大会)
(5)川島義明(1956年 メルボルン大会)
(5)君原健二(1972年 ミュンヘン大会)
(6)津田晴一郎(1928年 アムステルダム大会)
(6)金恩培(1932年 ロサンゼルス大会)
(8)谷口浩美(1992年 バルセロナ大会)

金1、銀2、銅2、4位4、5位、6位2、8位1

(入賞は1984年ロサンゼルス大会より6位から8位入賞に変更)
619ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/12 17:19
日本マラソン全盛期は30年代、60年代、80年代から90年代前半といえると
思うが、そんな中で全盛期の合間での入賞は、56年(メルボルン)に川島が5位入賞したのが唯一のもの。
620ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/12 19:09
ここんとこ2回の惨敗はひどすぎる
こんどの代表も世界選手権で勝負どころでズルズルおくれ
まったく楽しみのない選手を
えこひいきで時の世界記録保持者を追い詰めたエースを外してまで選んでしまった
621オールドファン:04/06/12 23:55
>>616
>>617
>>620

長年マラソンを観てきたが、今回の五輪選考会(男子)で思った事は、今まで「大本命」、「日本のエース」
とどの五輪前でも前評判の高い選手がいたが、東京五輪以降、選考会は必ず勝ってきていた。

東京は毎日マラソンで君原、メキシコは本命、佐々木は欠場したが前の別大で優勝、
ミュンヘン、モントリオールは毎日で宇佐美、モスクワ、ロスは福岡で瀬古、ソウルは
福岡で中山、問題となった瀬古問題でも、曲がりなりに瀬古はびわ湖で勝っている。

今回の本命は高岡だったと思う。優勝経験が少なく(マラソンの回数が少ないが)
本命が選考会で勝てなかったのは、私が見る中では、初めてだった。
(ここ2大会(アトランタ、シドニー)では優勝ではなく日本人最上位での五輪代表獲得だが。)
やはり「選考会」で取りこぼしをしたのは残念でならない。過去のエースランナーのその時どきの
突出した力と選考会における集中力をあらためて感じる事ができた。
622オールドファン:04/06/13 00:00
>>621 訂正
ー優勝経験が少なく(マラソンの回数が少ないが)ー

高岡はマラソンでまだ優勝してなかった でしたね。
623ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 00:14
>>621
「マラソン史上もっとも強いランナーは」を選出するとしたら、トラックでの
実績は瀬古と匹敵する力を高岡は持っているし、凋落著しい現代の日本マラソン
界で記録面で引っ張ってるのは評価に値する。しかし今回の落選は痛いなぁ。
(まだ走る可能性はあるが、、)


まぁ ここは選考を語るスレではないからこのへんで止めるが。

624ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 00:37
瀬古→中山→谷口とエースの地位の継承は順調にきたが谷口→森下という流れが
森下の故障でダメになってしまった。それ以来、日本マラソン界からエースが消えた。
でも、宇佐美の後も宗兄弟、瀬古というランナーがトップにのぼりつめるまで
若干の空白期があったと思ったが、これほど長期間に渡りエースが不在というのも
初めてではないか?    
625ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 03:17
>>624
瀬古 中山と谷口を同列に並べるのはやめてくれ
626ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 03:59
瀬古の人気は大変なものだった
一時期はプロアマを通じて最高の人気者だつた
いつだったかナイターの5000mで勝った後観客席からさし下ろされた
数百人の手を拍いてウイニングランした事があった

あんなパフォーマンスは空前でしかも自然発生的だった
まさにスーパースターの磁力とでもいいたくなる光景だった
今あんな熱狂は起こりようがない

観客一人一人が駆け寄って手を差し出すというこの奇蹟

627ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 04:15
<<625
谷口の評価は。。

1)夏マラソン(または高温レース)で結果がだせなかった瀬古、中山に比べて、谷口は結果を残す。

2)国際レベルでのマラソン優勝回数7回は瀬古に続く回数。(1980年以降)

3)世界大会で金メダルを獲得(東京世陸の頃はまだ4年に一度だから
今の世陸より断然価値があった)

4)(五輪、世陸)両大会での入賞は谷口のみ。

5)89、90年とマラソン日本ランキング1位

6)北京国際での記録とはいえ、自己記録は瀬古、中山より上回っている。

しかし圧倒的に瀬古、中山に叶わなかったにはトラックでの成績、そしてマラソン界での
エースとしての雰囲気とカリスマ性。
628ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 04:22
>>626
当時、国立競技場で「瀬古が試合に出る」ってことになると観客の入りが違った
もんな。瀬古の全盛期を知らない方はなかなか実感してもらえないかもしれないが。
629ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 04:33
>>628
86年のスポニチ陸上だったかな?85年の三ヶ国陸上だったか忘れたが、
観客席に瀬古をはじめエスビー勢が見に来ていて、また場内アナが「今,瀬古選手が
見に来ています」のようなアナウンスをしたら何百人の人が、一目見る為に一斉に
移動したのにビックリしたよ。
631ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 12:01
人気、関心度という点では今の松井、イチローより上だな
632ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 12:03
↑ 瀬古
633ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 12:16
>>627
88年までは谷口は期待値からいっても新宅より下
隙間で浮かびあがっただけ
634ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 14:26
91年の東京世界陸上での日本テレビの番組欄には
  「エース中山か 暑さの谷口か」 とでていたから
谷口のエースとしての扱いは東京世界陸上後からバルセロナ五輪までの短期ということか。
一応バルセロナ五輪のときは谷口は日本のエースの扱いだった。            
635ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 15:11
>>633 それはない。新宅こそたまたま87年の福岡で2位になって過大評価された
だけ。85年の福岡で新宅が谷口に勝った以外はさっぱりだったし、一方谷口は
ロンドンや東京で優勝するなど勝負強さは定評があった。不思議と記録がいつも
10分前後で安定していたのと86年のアジア大会で中山にちぎられて子供扱いされ
たので中山との差は明白だったが。(それでも東京では勝ったことがあった)。

谷口の評価が安定してきたのは88年の北京や89年の東京で優勝してからだろう。
91年の東京でマスコミが中山を評価していたのはいつもの通り無知だったのと
別大で森下に破れたとはいえ好記録を出したので強い中山が復活したのではと
いう期待があったからだろう。真のエースになったのは>>634の言う通り世陸金
のあと。
636ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 17:50
>>631

TVのマラソン放送の視聴率
>>346-350
瀬古や中山は知名度抜群、人気抜群、認知度抜群 
637ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/13 23:29
(記録+勝負)×印象=マラソン 
638ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/14 10:48
>>620

箱根ぼけかましてる諏訪に期待しているやつは、乙女塾ヲタ
639ノートルダム・マラソン:04/06/15 17:04
今、気づいたけど、>>540
のAAって、このスレ(前スレも含む)で初めてのAAではないか?
2CHのスレッドでこれほどAAや巨大コピペが少ないものは、はじめて見たよ。
バスジャック事件で有名になって大衆化する前の2CHは、こういう知的なマニアの
溜まり場だったらしいけどね。

それにしても、マラソン関係のAAって未だに見たことが無いな。
瀬古や中山のAAはどこかにないものか?
もっとマラソン人気が高い頃にネットがあったら、沢山作られていただろうに。
>>639
ヘンなところに気がつくね、オタク。
641ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/16 16:00
このスレを見ればマラソンの薀蓄王になれそうだ。 
642ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/16 19:03
>>641
もうすでに、くり〜むしちゅ〜の上田を越えてるね
643ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/17 06:22
瀬古は自身のベストレースとして「83年 東京国際マラソン」を挙げている。

自身の復活レースとなったレースだが、前年に野外走でつまずき、左足首を捻挫
したのが長い故障の始まり。足首をかばっているうちにふくらはぎがおかしくなる。
やがて痛みは右足ふくらはぎに移り、さらにランナーにとって致命的な膝の腱鞘炎
を引き起こす。
あらゆる治療を施すも完治しない。最後、群馬前橋にある盲学校の教諭で盲人の
治療師・小林尚寿の鍼でようやく回復と向かった。
81年、4月のボストン優勝以来、1年10ヶ月ぶりのマラソンになった。
レース展開は前スレで既出なので省略。
このレースは、瀬古が言うに、体調、故障の程度、気温、湿度、舞台、走るメンバー、
レース展開など、ランナーにとってすべてに好条件が揃うのは「10回走って1回あるか
どうか」だそう。瀬古にとってこの年の東京国際はその「1度」が到来したレースだった。

この時、瀬古復活を観る為に沿道は過去最高、40万7千人。
やはりこのレース、先ほど、当時のテレビ中継の録画を見直したが、結果がでた
過去のレースなのに再び興奮してしまう。今はなかなかこのようなレースがないなぁ。
644ノートルダム・マラソン:04/06/17 08:03
距離が正確だったら7分台だったかな?
83東京は?
645ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/17 09:36
>>643
昔、瀬古の特集番組で鍼灸師・小林尚寿は瀬古の走る足音をテープに録音。
走る音だけで故障個所がわかるといっていたのには驚いた。

カルロス・ロペスも日本の鍼灸を取り入れ、カムバックし五輪金メダルを
獲得したのも有名な話。
646ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/17 13:46
マラソンランナーも故障してそのまま消えていくタイプと
故障しても、そこから復活するタイプに分けられる。
前者が森下で後者が瀬古といった感じかな?   
647ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/17 22:53
>>646
森下はバルセロナ五輪後、左足かかとと右股関節に慢性的な疾患を抱えていて、
ついに完治できず、マラソン走れなかった。

648ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/17 22:58
君原、宇佐美、または伊藤、喜多、宗兄弟、谷口は長期の怪我に苦しんだことがなかった。
昔の選手は怪我に強かった。当時の選手で瀬古の怪我の多さは特殊なくらい。
その瀬古も何回となく復活しているが。

円谷、瀬古、森下が「怪我」といえば代表になるかな。
649ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/18 02:08
>>648
怪我に強いってのはつまり丈夫で怪我がないってことになるのかな
怪我してしまったら強いも弱いもないもんな
しかし怪我しない選手を怪我に強いとは言わないしどうもよくわからない
言葉だな
競輪で20回落車して一度も骨折しない選手もいれば
15回鎖骨折る選手もいるが前者を怪我に強いとは言わないし
怪我に強いってのは変な言葉だ
昔、巨人の森が怪我に強いと言われたが
つまりたいした事ないのを大袈裟に言い触らしてなおかつ休まないのを
怪我に強いと言うんだろうか

650マラソン観戦歴35年:04/06/18 08:01
>>649
スポーツの世界では怪我は付き物なわけだから、どんな選手でも怪我はして
いる。そんな中で、選手生命に関わりそうな大怪我をいかに回避できたかが
怪我に強いとも言えるのではないか。
円谷、森下の怪我は致命的だった。近年でもご存知、渡辺、そして現役でも
藤田が苦しんでいる。
その点、瀬古は当時、瀬古の父親から「くれぐれも円谷選手のようなことは
するなよ」と冗談のような本気なアドバイスがあったくらいだから、深刻な
状態だったようだ。その復活が既出の東京国際マラソンだった。
651ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/18 08:23
谷口浩美はバルセロナ五輪でコケたことが、大きく取り上げられるが、
大会3ヶ月前に右足甲を疲労骨折したよね。
整形外科に入院し、集中リハビリでなんとか治して、練習を再開。

体調万全でないうえ、コケてなおかつ入賞はこの当時、やはり自力が
あった谷口の全盛期だったように思います。
652ノートルダム・マラソン:04/06/18 18:11
マラソンは足を酷使するから故障は付き物ですが、
最近はますます故障に弱い選手が増えたような?
日本の将来を担うはずだった、藤田・藤原がアテネ選考会のスタートラインに立つ事さえ
出来なかったのはかなり深刻な問題だと思います。

驚くべき事に、バルセロナ五輪以降で主要大会を2回以上制覇したのは
藤田(2000年福岡、2002年東亜)と、
鈴木(93アムステルダム、94毎日国際、99北京)のみ。
それ以外は、全て、一回きりの優勝で終わる選手か、
油谷、五十嵐、清水などの息が長く故障も少ない代わりに、なかなか勝てない選手の
どちらかになる。
653ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/18 19:48
最近は中学や高校の運動部の選手の昼飯がコンビニの弁当だったりする。
おやつにスナック菓子、夜食にカップ麺なんて食生活をしていれば間違いなく
体は弱体化する。 故障が多いのは少年期の食生活に問題があるのでは?
練習で酷使できるだけの体の持ち主が少なくなったのでは?         
654ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 00:29
アベベ・ビキラはメキシコ五輪前、練習中に転倒したのをきっかけに
足を痛めた。本番の五輪は16キロ過ぎに集団からはみ出し、
道端を歩いていたのは印象的だった。(途中棄権)

デレク・クレイトンも練習量の多さがたたり、故障がちだった。
脅威の世界最高記録は樹立できたが、五輪前は怪我の影響も
あり満足な走りができなかった。(メキシコ7位、ミュンヘン13位)。
655ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 10:48
>>652 >>653
単に練習量が多すぎるというファクターが大きい。既に宇佐美は瀬古の
練習メニューを見て、彼自身の現役時代と比べて走りすぎと評していた。つま
り瀬古の時代と君原、宇佐美の時代には大きなギャップがある訳でレースへの
出場回数も含めて昔は参考にならない。現在のようにトラックのスピードが
ない(才能のない)選手が必死に世界に互していこうとするとどうしても無理
がある。(アトランタで実井が練習量の少なさをアピールしていたが本番が
あれでは説得力がない。その後のトレンドにはならなかった。しかし確かに
実井の選手生命は長いような気がする)。

故障を本格的に避けようと思うのであれば、ロードでの練習を絶対避けるとか
(若い世代に過重なロード練習を強いる)箱根駅伝の廃止とかが必要だが、
走るコースがないので、絶対無理だろう。本当は練習ではゴルフコースでも
走っていた方がいいんだけどね。
656ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 11:11
2000年3月までの 男子マラソン世界歴代20傑

1 2:05:42 ハリド・カヌーシ (モロッコ) 99/10
2 2:06:05 ロナウド・ダコスタ (ブラジル) 98/09
3 2:06:16 モーゼス・タヌイ (ケニア) 99/10
4 2:06:33 ゲルト・タイス (南アフリカ) 99/02
5 2:06:44 ジョセファト・キプロノ (ケニア) 99/09
6 2:06:47 フレッド・キプロプ (ケニア) 99/10
7 2:06:49 テスファエ・ジファル (エチオピア) 99/10
8 2:06:50 ベライン・デンシモ (エチオピア) 88/04
9 2:06:53 ウィリアム・キプラガト (ケニア) 99/10
10 2:06:54 オンドロ・オソロ (ケニア) 98/10
11 2:06:57 犬伏 孝行 (日本) 99/09
11 2:06:57 テスファエ・トーラ (エチオピア) 99/10
13 2:07:02 サミー・レレイ (ケニア) 95/09
14 2:07:07 アーメード・サラー (ジプチ) 88/04
15 2:07:09 ジャフェット・コスゲイ (ケニア) 99/04
16 2:07:12 カルロス・ロペス (ポルトガル) 85/04
17 2:07:13 スティーブ・ジョーンズ (イギリス) 85/10
18 2:07:15 コスマス・ンデティ (ケニア) 94/04
19 2:07:19 アンドレス・エスピノサ (メキシコ) 94/04
20 2:07:20 バンサン・ルソー (ベルギー) 95/09
20 2:07:20 李 鳳柱 (韓国) 00/02
657ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 11:24
 2002年4月まで 男子マラソン世界歴代上位記録

順 記録 名前 国 順位 大会 年月日
1 2:05:38 ハリド・ハヌーシ アメリカ 1 ロンドン 2002/04/14
2 2:05:48 ポール・テルガト ケニア 2 ロンドン 2002/04/14
3 2:06:05 ロナルド・ダコスタ ブラジル 1 ベルリン 1998/09/20
4 2:06:16 モーゼス・タヌイ ケニア 2 シカゴ 1999/10/24
5 2:06:33 ゲルト・タイス 南アフリカ 1 東京国際 1999/02/14
6 2:06:35 ハイレ・ゲブレシラシエ エチオピア 3 ロンドン 2002/04/14
7 2:06:36 アントニオ・ピント ポルトガル 1 ロンドン 2000/04/16
8 2:06:44 ジョセファト・キプロノ ケニア 1 ベルリン 1999/09/26
9 2:06:47 フレッド・キプロプ ケニア 1 アムステルダム 1999/10/17
10 2:06:49 テスファイエ・ジファール エチオピア 2 アムステルダム 1999/10/17
11 2:06:50 ウィリアム・キプラガト ケニア 3 アムステルダム 1999/10/17
11 2:06:50 ベライン・デンシモ エチオピア 1 ロッテルダム 1988/04/17
13 2:06:51 藤田 敦史 日本 1 福岡国際 2000/12/03
14 2:06:52 アブデルカデル・エルムーアジズ モロッコ 4 ロンドン 2002/04/14
15 2:06:54 オンドロ・オソロ ケニア 1 シカゴ 1998/10/11
16 2:06:57 テスファイェ・トーラ エチオピア 4 アムステルダム 1999/10/17
16 2:06:57 犬伏 孝行 日本 2 ベルリン 1999/09/26
658ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 11:25
試合が練習だというランナーはいないのかな?  
659ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 11:38
選手生命を考えると、武井隆次は希有なランナーの一人だろう。
全中3000mで4位。高校で日本人初の13分ランナーとなり早熟な活躍。
箱根の活躍、ユニバ10000で銀メダルの後、低迷もあったが、
早熟ランナーが大抵選手生命が短い中、現在、32歳にして五輪選考会で代表を
争うレベルをキープしている。昔の活躍からしたらもっと世界的に活躍
を期待したのだが、これはこれで大したものではないかと、この頃思う。
660ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 12:59
野球の投手でも本格派から技巧派に転向して長くトップに君臨する選手がいますが
マラソンランナーで若いときとベテラン期でレーススタイルを転向させて成功した
ランナーはいますか?
自分としては中山がバルセロナ五輪関連レースでスタイルを転向させて成功した?と
思いますが。     
661ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 13:17
>>660
書物と前スレで読んだのだが、君原健二はデビューから東京五輪までは
積極的に前にでてレースを作るランナーだったよう。
それが、東京五輪後の退部騒動で、ブランクのあった後、カムバックしてから
は典型的な後方待機型。ほとんどの大会で序盤、先頭集団に入らなかったのでは
ないかと推測。
リアルタイムで見ていた方で補足があればお願いしたします。
662ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 13:23
>>659
川嶋伸次は遅咲きだったね。
何気に高岡は武井の一つ年上だから、高岡のトップとしての競技年数も素晴らしい。

今後は、浜田安則、宗猛のように40歳前後でも日本の主要大会で
10位入賞できるランナーをまた見てみたい。
663ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 13:28
>>660
瀬古はロス五輪惨敗後、中村監督の死去とも重なるのだが、
マラソンで前にでてレースを組み立てようと意識していた感じがあった。

案の定、ロンドン、中盤からのシカゴ、はそれまでに瀬古には無いレース展開
になった。(まあ競り合う相手が弱かったのもあるが。)
664ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 13:56
>>663
あのときのシカゴは世界一決定戦といわれたよ。
665ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/19 17:24
>>658 浅井えり子のコーチでガンで亡くなった佐々木功氏がそういう主義
だったね。毎週のように試合に出ていた。だけど2時間20分くらいの
記録だったからできたので、10分を切るような記録だったらそれなりに
体にダメージが残るために試合は練習にはならない。
666ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 00:19
>>664
87年のボストンマラソンのことではないかな。
86年のシカゴはアーメド・サラ、ジョン・ブラくらいしか瀬古と競り合える
相手はいなかった。
87年のボストンは今考えると、豪華なメンバーが集った。
牽制しないで走って欲しかったのと、それとテレビ中継のトラブルは見ているものとして
辛かった思い出がある。
667ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 01:21
>>658 海外組で思い出すのは、
80年代、スウェーデン選手でパーソンとスタール。年間4−6回マラソンを
走っていた。大体2時間12−14分くらいの選手だったが、パーソンは
日本にもよく来日して走っていた長身選手。(日本では、81東京国際2位が最高成績
スタールは第1回へルシンキ世界選手権で4位に入賞。(2時間10分38秒)
668ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 01:22
ボストンの中継にはいつも放送事故が無いかトラウマのようにハラハラさせられた。
日本だったら左遷か?
海外ではマラソン中継とか、どんな感じでやっているのですか?
事情に詳しい方、教えてください。 
669ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 01:27
>>658 マラソンをみればそこには必ずイカンガーがいた
670ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 01:38
イカンガーは82年の英連邦2位で国際的デビューを飾り、
92年のバルセロナ五輪前後まで一線で活躍。約10年、年間2−4回はマラソン
を走っていた印象。特に、86年から89年くらいまではほとんどのレースが
2時間8−10分以内のタイムだった。
今のケニアの有力選手でもこれだけ安定感のある走り(成績)があげられるかどうか、、?
671ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 01:46
イカンガーはタンザニアの軍人で、マラソンで活躍するたびに階級が上がっていったような。
672ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 03:54
http://www.africafe.jp/ikang1.htm

イカンガーのインタビューを記載します。
一番印象に残ってるレースが「83福岡国際マラソン」イカンガーとしても
瀬古の敗れたのはいちばん悔しかったようだ。
673ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 04:26


瀬古


674ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 23:04
ヌルミがマラソンを走っていれば。
675ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/20 23:05
イカンガーは鶴光のオールナイトニッポンでネタにされていたような気が
676ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 12:16
このスレに妹ができたようだ。 
女子マラソン史上もっとも強いランナー【女子通史】
>>http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/athletcs/1087783359/150
677ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 12:21
678ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 12:26
>>676-677 再度の訂正。 間違いて 恥ずかしい・・
>>http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1087783359/150
679ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 13:33
>>627
谷口浩美の経歴は
小林高校ー日本体育大ー旭化成と駅伝・マラソン選手としてはエリート。

谷口自身、日体大を卒業後、旭化成に入社を希望していたわけではなく、
母校、小林高校の教員になり、陸上部監督の恩師、外山の跡継ぎをしたいと思っていたようだ。
しかし教員試験に不合格。外山が同じ宮崎にある旭化成に渡りをつけてくれた。
「山下りの谷口」とは云われていたが、旭化成としては他に勧誘していた日体大の
選手がいたらしく、そのため谷口は「追加エントリー」での旭化成入社だった。

そういえば森下広一も八頭高校を卒業後、3000障害で全国的に活躍していたとはいえ、
森下自身は地元の町役場に就職希望をしていた。しかし卒業年に採用がなく、高校陸上部
監督の漆原が旭化成と細いルートをもっていたのを手がかりに入社が実現。
たまたま旭化成陸上部に入部を予定していた高校生が予定を変更し、枠が空いたこと
から入社が実現した「追加エントリー」。

君原も八幡製鉄に「追加エントリー」入社と聞くから、五輪、世陸メダリストが
辛うじて入社にこぎつけているのには興味が湧く。
680ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 13:39
新宅雅也、中村孝生の日体大の両エースが、卒業後、中村清早大監督(エスビー食品監督)
の門を叩いたのも、当時の閉鎖的な大学派閥がある中、衝撃的だった。
681オールドファン:04/06/21 14:08
>>679
君原健二は高校時代、1500でインターハイ出場。国体5000出場。
別大マラソン高校の部(10マイル)3位が主な成績。
卒業時、陸上部のある企業に入社試験を受けるが、ことごとく失敗。
八幡製鉄陸上部監督の高橋進がメモ帳に別大10マイルに結果を記入していたのと、
この年(1959年)皇太子(現・天皇陛下)ご成婚を記念して、急遽、
東京ー大阪間駅伝大会が開催されることが決定。この超長距離駅伝参加の為、
当時全国屈指の陸上部であった八幡製鉄でも部員が足りず、追加採用が決定。
そこで君原は入社にこぎつけた。
682オールドファン:04/06/21 14:12
新日鉄八幡(元 八幡製鉄)陸上部が現在、同好会程度の部になってしまったのは
淋しい限りですな。
683ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 14:32
中山の経緯は既出だけど、紆余曲折な入社内容だし、前スレから読むと
宇佐美は企業選手ではなさそう。
あと采谷も高校教員で一人で練習してたらしい。
思ったより五輪ランナーは順調な経歴で強くなったとは言えないようですね。
円谷は自衛隊体育学校には言ってから強くなったのですか?
685ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 16:54
>>679 旭化成が欲しがったのは岡俊博(字は間違っているかも)だったんだよね。
岡は山登りの5区で空前絶後と言われた大東文化の大久保初男の記録を更新した。
岡は結局教員になった筈。谷口は大塚、岡に次いでチーム内でナンバー3だった。

>>680 中村、新宅が抜けた後、日体大はごたごたで大変だった。岡野監督と選手
の間に問題があって、大塚、岡、谷口がいたときは既に岡野監督はボイコットされ
て、集団指導体制だった。岡野監督時代に入学した選手が抜けると一挙にチームは
弱体化して常勝軍団の面影はなくなった。

>>683宇佐美は既出の通り、テニス同好会出身。日大三島校舎でちょっと足が速い
ので箱根メンバーとして勧誘された。卒業後も企業には入らず東海大の教員になる
までは桜門陸友会所属になっていた。
686ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/21 20:57
新聞とかのマラソンの記事で日本歴代十傑で桜門陸友会というのを見た。
でも宇佐美はなんで日大に残らず東海大にいったのかな?    
687ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 00:39
>>684
円谷も君原同様(2人は同い年)、福島・須賀川高3年時に下関インターハイに出場。
君原が1500で出場に対して円谷は5000mで出場。しかし共に予選で敗退。
688ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 09:05
>>687
福島県立須賀川高校陸上部に在籍していた円谷は特に成績を残す訳でもない平凡なランナーだった。
県の10マイルロードレースに出場した時も結果はビリから何番目という散々な結果を残す。
レース終了後、須賀川高校陸上部の監督は県陸連の委員から円谷について次のような言葉を聞いた。
「おまえのところには面白い選手がいるじゃないか。あれだけ走ってひとつも汗をかいてない。不思議な奴だ。」
円谷は高校を卒業後、自衛隊に進む。配属は地元、須賀川駐屯地。
走ることが大好きな円谷は陸上部のない須賀川駐屯地に、先輩の斉藤三曹と共に陸上部を設立し、毎日20キロ以上走りこむ。
ためしに近所で開催されたロードレースに出ると円谷は一位、斉藤は二位に入賞。
自衛隊の上層部はレースに出る度に入賞する二人に注目した。折りも東京オリンピックが近づいていた。
昭和37年(1962年)4月、陸海空自衛隊共通の特殊学校として自衛隊体育学校が設立される。
表向きは自衛隊の体育教官養成が目的の学校だった。しかし東京オリンピックを控え、内実はメダル候補生養成機関だった。
円谷は入校を志願する。円谷は自衛隊体育学校の一期生。
689ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 09:21
自衛隊体育学校入隊後、その年(昭和37年)の7月、アジア大会予選の5000mに出場。
ラスト・スパートで船井照夫に抜かれはしたものの、14分23秒6の好記録で
2位に喰い込む。10月、強敵が外国遠征に出かけていたためとはいえ、
日本選手権に5000m、10000mの両種目で優勝。
翌38年には、長距離のオリンピック強化選手に指名。
36年までに日本10傑にすら入っていなかったランナーである。
夏、他の強化選手と共にニュージーランドヘ遠征。
この遠征で、円谷は誰もが想像しなかった大記録を打ちたてる。
オークランドのラブロック競技場で、8月24日に開かれた20000m
の世界記録挑戦会で、地元ニュージーランドのビル・ペイリーに次いで
2位だったものの、君原以下を抑え、しかもザトペックの持つ世界
記録59分51秒8を4秒最新の世界記録樹立。
日本陸上界にとっては、31年に三段跳びの小掛が16m48の世界新を出して
以来、実に7年ぶりの世界記録更新だった。
秋の国体で五千メートルに日本新。 
円谷は次第に有力な五千、一万メートルのオリンピック候補になっていく。
その後は既出通り、マラソンの代表も射止め、東京五輪は10000mとマラソンで
日本代表。10000m6位入賞。マラソン銅メダルの活躍。
690ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 09:40
>>689
あと39年に、札幌遠征の1万mで1位円谷28分52秒、2位君原29分01秒の日本記録を
樹立しているはず。
円谷は五輪前年の東京プレ五輪(東京国際スポーツ大会)で5千、1万で決勝に
残って健闘をしている。
福岡国際マラソン参加資格2時間50分に
http://www.asahi.com/sports/update/0621/143.html
692ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 13:36
>>689 5000m日本記録の推移
18:57:00 東幸之吉 北海道青年 1911.11.19
16:54:00 井手伊吉 慶応大 1913.11.02
16:38:00 伊達洋造 広 島 1919.11.08
16:31:80 大浦留市 東京高師 1920.04.25
16:11:00 縄田尚門 早稲田大 1923.05.25
16:10:60 田代菊之助 中央大 1925.04.12
16:00:40 永谷寿一 明治大 1925.10.17
15:40:60 永谷寿一 満 鉄 1926.11.03
15:30:80 北本正路 慶応大 1929.10.05
15:27:60 北本正路 慶応大 1930.05.27
15:20:40 北本正路 慶応大 1931.10.04
15:08:00 北本正路 慶応大 1932.04.30
15:00:00 村杜講平 中央大 1935.08.02
14:58:00 村杜講平 中央大 1935.11.02
14:46:20 村杜講平 中央大 1936.04.12
14:41:40 村杜講平 中央大 1936.05.23
14:30:00 村杜講平 中央大 1936.08.07
14:29:80 藤井忠彦 早稲田大 1957.06.05
14:27:60 山内二郎 八幡製鉄 1957.10.20
14:27:60 横溝三郎 中央大 1959.06.07
14:14:80 横溝三郎 中央大 1959.09.06
14:14:00 円谷幸吉 郡山自衛隊 1963.10.13
14:13:80 円谷幸吉 郡山自衛隊 1963.10.19
14:08:80 円谷幸吉 郡山自衛隊 1963.10.28
14:08:60 円谷幸吉 郡山自衛隊 1963.10.29
14:02:20 円谷幸吉 郡山自衛隊 1964.06.07
13:55:00 岩下察男 旭化成 1964.08.29
13:45:20 沢木啓祐 順天堂大 1965.08.27
13:36:20 沢木啓祐 順大教 1966.06.22
13:33:00 沢木啓祐 順大教 1968.07.03
13:25:40 鎌田俊明 鐘 紡 1977.07.05
13:24:69 新宅雅也 エスビー食品 1982.09.24
13:24:29 瀬古利彦 エスビー食品 1986.07.11
13:22:97 米重修一 旭化成 1988.07.08
13:20:43 高岡寿成 龍谷大 1992.07.02
13:13:40 高岡寿成 鐘 紡 1998.08.01

(63年から64年にかけての円谷の記録の最新が活発。)
693ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 13:43
10000m日本記録の推移
49:07:10 霜田守三 青山師範 1911.11.19
35:55:00 仲田末吉 豊島師 1913.11.02
33:58:00 佐野孝之助 松江青年 1920.04.25
32:54:60 田代菊之助 中央大 1923.11.11
32:48:60 田代菊之助 中央大 1924.04.12
32:38:60 永谷寿一 明治大 1925.04.11
32:11:80 永谷寿一 明治大 1925.04.19
32:00:40 津田晴一郎 常盤生命 1931.11.02
31:33:60 北本正路 慶応大 1932.05.28
31:20:20 柳 長春 朝鮮総督府 1934.04.14
31:07:80 村杜講平 中央大 1935.11.03
31:41:60 村杜講平 中央大 1936.05.24
30:25:00 村杜講平 中央大 1936.08.02
30:22:00 布上正之 リッカー 1957.04.27
29:57:80 馬場 孝 日本大 1958.05.03
29:27:60 中尾隆行 東 急 1962.10.06
29:25:20 円谷幸吉 郡山自衛隊 1963.08.28
29:06:60 船井照夫 東 急 1963.11.10
28:52:60 円谷幸吉 郡山自衛隊 1964.08.27
28:35:20 沢木啓祐 順大教 1968.06.27
28:10:60 高尾信昭 鐘 紡 1975.06.30
27:48:60 鎌田俊明 鐘 紡 1977.06.30
27:43:50 瀬古利彦 エスビー食品 1980.07.07
27:42:17 瀬古利彦 エスビー食品 1985.07.02
27:35:33 中山竹通 ダイエー 1987.07.02
27:35:09 高岡寿成 鐘 紡 2001.05.05

(円谷の日本記録最新回数は2回。日本人初の29分突破の功績が光る。
10000mは5000mに比べて一つの記録の保持期間が長いのが特徴。
村社と中山の日本記録の保持期間が長期に及んでるのがわかる。)
694ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 18:03
>>692-693
村社の長期に及ぶ記録の保持は戦争という陸上外の出来事があったから仕方が無い。
しかし、中山の長期の記録の保持は・・
それに中山は練習の一環としてのレースだったはず。 
>>691
福岡を市民マラソン化するのがいいことなのか…
696ふぁん:04/06/22 21:33
日体大のごたごたの中、それでも成績を残したのは凄い。今程箱根ハコネ言っていない時代だろうがやはり日体大か。
そんな中、大後(現神大監督)マネージャーの働きは特に光る。
今の箱根駅伝常連校指導者のうち、選手実績が無いに等しいのは彼だけ。ある意味、英雄かも。
スレ違いですみません。
697ふぁん:04/06/22 21:37
福岡はソウル前の中山の「怪」走、シドニー後の藤田の意地の日本記録がインパクトあって、やはり崇高な大会であってほしいが。
しかし陸上の底辺部を広げるのも大切かとも考えられるし。
698ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 21:41
>>692>>693
沢木が一番凄い気がするが…
699ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 22:46


瀬古


700ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/22 22:56
沢木の66年の記録はインパクトがあったらしい。何しろ世界記録保持者のクラーク、
オリンピックメダリストのガムーディ(モロッコ)等をラストスパートで抜いた横綱
レースだった。66年のTrack and Fields Newsの実力ランキングで6位になっている。
(68年は8位)。5000mでランキングインしたのは沢木のみ。
今の学生で澤木に勝てる香具師が何人いることやら…
702ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 00:10
5000m 世界記録の推移

14:36:60 コーレマイネン フィンランド 12.07.10
14:35:40 ヌルミ フィンランド 22.09.22
14:28:20 ヌルミ フィンランド 24.06.19
14:17:00 レーチネン フィンランド 32.06.19
14:08:80 メキ フィンランド 39.06.16
13:58:20 ヘッグ スウェーデン 42.09.20
13:57:20 ザトペック チェコスロバキア 54.05.30
13:56:60 クーツ ソ 連 54.08.29
13:51:60 チャタウエー イギリス 54.10.13
13:51:20 クーツ ソ 連 54.10.23
13:50:80 イハロッシュ ハンガリー 55.09.10
13:46:80 クーツ ソ 連 55.09.18
13:40:60 イハロッシュ ハンガリー 55.10.23
13:36:80 ピリー イギリス 56.06.19
13:35:00 クーツ ソ 連 57.10.13
13:34:80 クラーク オーストラリア 65.01.16
13:33:60 クラーク オーストラリア 65.02.01
13:25:80 クラーク オーストラリア 65.06.04
13:24:20 ケイノ ケニア 65.11.30
13:16:60 クラーク オーストラリア 66.07.05
13:16:40 ビレン フィンランド 72.09.14
13:13:00 ブッテマン ベルギー 72.09.20
13:12:90 クアックス ニュージーランド 77.07.05
13:08:40 ロノ ケニア 78.04.08
13:06:20 ロノ ケニア 81.09.13
13:00:41 ムーアクロフト イギリス 82.07.07
13:00:40 アウィータ モロッコ 85.07.27
12:58:39 アウィータ モロッコ 87.07.22
12:57:23 ビギラ エチオピア 95.06.08
12:44:39 ゲブルセラシエ エチオピア 95.08.16
12:41:86 ゲブルセラシエ エチオピア 97.08.13
12:39:71 コーメン ケニア 97.08.22
12:39:36 ゲブルセラシエ エチオピア 98.06.13
12:37:35 ベケレ エチオピア 04.05.31

世界記録の方も添付しておきます。日本記録と比べてみると、
30年代、村社が世界記録に嫉く13秒差。
80年代前半は世界記録と日本記録の差が20秒前後と健闘している。

5000mの世界記録保持者はほとんどマラソンまで移行しなかったランナーが多い。
そんな中、初期のコーレマイネンがマラソン五輪優勝&世界記録最新している。
703ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 00:17
31:02:40 シュラップ イギリス 04.11.05
30:58:80 ブアン フランス 11.11.16
30:40:20 ヌルミ フィンランド 21.06.22
30:35:40 リトラ フィンランド 24.05.25
30:23:20 リトラ フィンランド 24.07.06
30:06:20 ヌルミ フィンランド 24.08.21
30:05:60 サルミネン フィンランド 37.07.18
30:02:00 メキ フィンランド 38.09.29
29:52:60 メキ フィンランド 39.09.17
29:35:40 ヘイノ フィンランド 44.08.25
29:28:20 ザトペック チェコスロバキア 49.06.11
29:27:20 ヘイノ フィンランド 49.09.01
29:21:20 ザトペック チェコスロバキア 49.10.22
29:02:60 ザトペック チェコスロバキア 50.08.04
29:01:60 ザトペック チェコスロバキア 53.11.01
28:54:20 ザトペック チェコスロバキア 54.06.01
28:42:80 イハロシュ ハンガリー 56.07.15
28:30:40 クーツ ソ 連 56.09.11
28:18:80 ポロトニコフ ソ 連 60.10.15
28:18:20 ポロトニコフ ソ 連 52.08.11
28:15:60 クラーク オーストラリア 63.12.18
27:39:40 クラーク オーストラリア 65.07.14
27:38:35 ビレン フィンランド 72.09.03
27:30:80 ベドフォード イギリス 73.07.13
27:30:50 キモンバ ケニア 77.06.30
27:22:50 ロノ ケニア 78.06.11
27:13:80 マメーデ ポルトガル 84.07.02
27:08:23 バリオス メキシコ 89.08.18
26:58:38 オンディエキ ケニア 93.07.10
26:52:23 シゲイ ケニア 94.07.22
26:43:53 ゲブルセラシエ エチオピア 95.06.05
26:38:08 ヒソウ モロッコ 96.08.23
26:31:32 ゲブルセラシエ エチオピア 97.07.04
26:22:75 ゲブルセラシエ エチオピア 98.06.01
26:20:31 ベケレ エチオピア 04.06.08

ヌルミの保持期間とその記録に村社の肉薄した記録が光る。
当時、瀬古は世界記録と30秒差。今と比べられないが、27分前半から26分台の
価値があるかもしれない。
704ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 06:40
日本国内男子マラソン歴代10傑(2004.6月現在)

1、2時間6分33秒 タイス(南アフリカ)99年東京国際 1位
2、2時間6分51秒 藤田敦史(富士通)00年福岡国際 1位
3、2時間7分15秒 コスゲイ(ケニヤ)00年東京国際 1位
4、2時間7分20秒 李鳳柱(韓国)00年東京国際 2位
5、2時間7分28秒 チュグワネ(南アフリカ)97年福岡国際 1位
6、2時間7分34秒 ペーニャ(スペイン)01年びわ湖毎日 1位
7、2時間7分39秒 コスゲイ(ケニヤ) 03年びわ湖毎日 1位
8、2時間7分42秒 リオス(スペイン) 04年びわ湖毎日 1位
9、2時間7分52秒 レオーネ(イタリア)01年びわ湖毎日 2位
9、2時間7分52秒 油谷繁(中国電力) 01年びわ湖毎日 3位
9、2時間7分52秒 国近友昭(エスビー食品)03年福岡国際 1位
705ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 10:37
>>704 その中に別大がないのがさみしい・・
706マラソン観戦歴35年:04/06/23 10:57
>>698
>>701
沢木啓祐は大阪・春日丘高校時代の1960年、1500m(4.03.0)と5000m(15.12.6)
でインターハイ2種目制覇。「陸上界のプリンス」と云われていた。
当時、無名の順天堂大学に進学。大学時代の1965年ユニバーシアード・ブタペスト
(ハンガリー)大会でドイツのフィリップをラスト100mで振り切り優勝。
タイムが13.45.2の日本新記録だった。また1967年、東京ユニバーシアード10000m
では前半遅れていたが、8000mで集団に追いつき、ラストのキレで優勝。
卒業後はヨーロッパ遠征で世界と互角の戦いをする。>>700さんの言う通り68年は
世界的な評価をもらう。華のあるランナーであった。
メキシコ、ミュンヘン両五輪代表。しかし本来の力を出しきれなかった。
またマラソンも挑戦したが、ベストが2時間16分台で終っている。
707ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 11:26
>>706
沢木在学中に順大が箱根駅伝初優勝。
沢木は1年生から順天堂のエース。
1963年から1966年まで、箱根には4回連続で出場、いずれもエース区間の第2区
をまかされる。5000Mでは日本記録保持者だったが、箱根で区間賞をとったのは
最後の4年生のときだけ。だがそれがすごかった。2位でタスキを受けた沢木は
重松森雄(福岡大)のつくった区間記録を1分50秒も上回る快走。たちまちトップを
奪ってしまう。区間2位の宇佐美彰朗(日大)には実に3分あまりの大差がつけた。
沢木の爆走ではずみのついた順天堂は、以降いちども首位をゆずることなく
初優勝のテープをきった。

沢木も瀬古同様、箱根駅伝を「調整」の一環として走っていたのではないか。
708ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 15:15
家に父親が見に行ったユニバーシアード東京大会のパンフレットがあります。
これを見ると沢木は5000で前回大会に続いて2連覇。10000も勝って2種目制覇
だったようですね。
それもラストのキレが抜群と後日の新聞記事に書いてました。
100の飯島と長距離の沢木がこの頃のユニバの主役だったようです。
709ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 15:42
福岡国際マラソン歴代10傑 (57回大会終了まで)

1 2:06.51 藤田 敦史 (富士通)第54回 2000年 1位
2 2:07.28 チェグワネ (南アフリカ) 第51回 1997年 1位
3 2:07:52 国近友昭 (エスビー食品) 第57回 2003年 1位
4 2:07.54 アベラ (エチオピア) 第53回 1999年 1位
5 2:07.55 ウアーディ(フランス) 第53回 1999年 2位
5 2:07:55 諏訪利成 (日清食品) 第57回 2003年 2位
7 2:07:59 高岡寿成 (カネボウ) 第57回 2003年 3位
8 2:08.07 早田 俊幸 (アラコ) 第51回 1997年 2位
9 2:08:10 ペーニャ (スペイン) 第57回 2003年 4位
10 2:08:18 ド・キャステラ (オーストラリア) 第35回 1981年 1位
10 2:08:18 中山竹通 (ダイエー) 第41回 1987年 1位
710ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 16:06
東京国際マラソン歴代10傑 (24回大会終了まで)

1、2:06:33 タイス(南アフリカ) 第19回 1999年 1位
2、2:07:15 コスゲイ(ケニヤ) 第20回 2000年 1位
3、2:07:20 李鳳柱(韓国) 第20回 2000年 2位
4、2:08:01 フスタド(スペイン) 第18回 1998年 1位
5、2:08:05 三木弘(旭化成) 第19回 1999年 2位
6、2:08:08 フスタド(スペイン) 第20回 2000年 3位
7、2:08:10 イカンガー(タンザニア) 第6回 1986年 1位
8、2:08:16 犬伏孝行(大塚製薬) 第20回 2000年 4位
9、2:08:29 デンシモ(エチオピア) 第6回 1986年 2位
10、2:08:31 リマ(ブラジル) 第18回 1998年 2位
711ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 16:27
びわ湖毎日マラソン歴代10傑(59回終了まで)

1、2:07:34 ペーニャ(スペイン) 第56回 2001年 1位
2、2:07:39 コスゲイ(ケニヤ) 第58回 2003年 1位
3、2:07:42 リオス(スペイン) 第59回 2004年 1位
4、2:07:52 レオーネ(イタリア) 第56回 2001年 2位
4、2:07:52 油谷繁(中国電力) 第56回 2001年 3位
6、2:07:59 森下由輝(旭化成) 第56回 2001年 4位
6、2:07:59 ペーニャ(スペイン) 第58回 2003年 2位
8、2:08:05 フィス(スペイン) 第52回 1997年 1位
9、2:08:12 藤原正和(中央大学) 第58回 2003年 3位
10、2:08:14 フィス(スペイン) 第55回 2000年 1位
712ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 16:46
別府大分毎日マラソン歴代10傑(53回大会終了まで)

1、2:08:30 タイス(南アフリカ) 第45回 1996年 1位
2、2:08:36 セロン(メキシコ) 第41回 1992年 1位
3、2:08:45 西田隆維(エスビー食品) 第50回 2001年 1位
4、2:08:47 ファン・ヨン・チョ(韓国) 第41回 1992年 2位
5、2:08:52 森下広一(旭化成) 第40回 1991年 1位
6、2:09:05:6 宗茂(旭化成) 第27回 1978年 1位
7、2:09:11 清水昭(杵筑東芝) 第47回 1998年 1位
8、2:09:12 中山竹通(ダイエー) 第40回 1991年 2位
9、2:09:23 三村徹(カネボウ) 第40回 1991年 3位
10、2:09:24 ラマダーニ(タンザニア) 第52回 2003年 1位
713ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 16:50
>>712
まだまだ別大のサブテンは貴重ということか。

しかし難コース、東京国際の上位3が日本国内ランキングの
1、3、4位に入るのは驚きですね。
714ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 21:51
>>708
女子走り高跳び優勝の美人ジャンパー竹田真美が主役です
715ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 22:31
>>713 東京のコースで有利点をあげると気候でしょう。
冬の東京は乾燥した晴天が多く、気候が安定しています。
北風もビルが壁となって影響が小さいのでは?
地形でみれば東京コースは不利だと思いますが、気候という点でみれば
東京コースが有利だと思います。   
716ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 23:18
>>714 確かに竹田は優勝したけど記憶に残っていない。やっぱり沢木だろう、主役
は。飯島は欠場した(その前のブダペストでは優勝)。沢木の走りは幼稚園児だった
私にも強烈な印象を残した。途中遅れそうになりながら追いついての繰り返しだった
ような気がする。
717ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/23 23:36
走り込み不十分の頃に
2時間8分台の大崎は
リーマンの鑑
718ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/24 07:04
男子マラソン日本歴代30傑(2004.6月現在)

1、2時間6分16秒 高岡寿成(カネボウ)02年 シカゴ
2、2時間6分51秒 藤田敦史(富士通) 00年 福岡国際
3、2時間6分57秒 犬伏孝行(大塚製薬) 99年 ベルリン
4、2時間7分35秒 児玉泰介(旭化成) 86年 北京国際
5、2時間7分40秒 谷口浩美(旭化成) 88年 北京国際
6、2時間7分52秒 油谷繁(中国電力) 01年 びわ湖毎日
6、2時間7分52秒 国近友昭(エスビー食品) 03年 福岡国際
8、2時間7分55秒 諏訪利成(日清食品) 03年 福岡国際
9、2時間7分57秒 伊藤国光(カネボウ) 86年 北京国際
10、2時間7分59秒 森下由輝(旭化成) 01年 びわ湖毎日
11、2時間8分05秒 三木弘(旭化成) 99年 東京国際
12、2時間8分07秒 早田俊幸(アラコ) 97年 福岡国際
13、2時間8分12秒 藤原正和(中央大学) 03年 びわ湖毎日
14、2時間8分15秒 中山竹通(ダイエー) 85年W杯広島
15、2時間8分18秒 小島忠幸(旭化成) 04年 びわ湖毎日
16、2時間8分27秒 瀬古利彦(エスビー食品) 86年 シカゴ
17、2時間8分28秒 清水康次(NTT中国) 03年 びわ湖毎日
18、2時間8分35秒 武井隆次(エスビー食品) 02年 びわ湖毎日
19、2時間8分36秒 佐藤敦之(中国電力) 04年 びわ湖毎日
20、2時間8分37秒 尾方剛(中国電力) 03年 福岡国際
21、2時間8分43秒 小島宗幸(旭化成) 98年 びわ湖毎日
22、2時間8分45秒 西田隆維(エスビー食品) 01年 別府大分毎日
23、2時間8分46秒 大崎悟史(NTT西日本大阪) 04年 東京国際
24、2時間8分47秒 佐保希(旭化成) 97年 福岡国際
25、2時間8分48秒 佐藤信之(旭化成) 98年 福岡国際
26、2時間8分50秒 実井謙二郎(日清食品) 96年 東京国際
27、2時間8分52秒 帯刀秀幸(富士通) 01年 びわ湖毎日
28、2時間8分53秒 森下広一(旭化成) 91年 別府大分毎日
29、2時間8分55秒 宗猛(旭化成) 83年 東京国際
30、2時間8分56秒 高塚和利(小森コーポレーション) 04年 びわ湖毎日

719ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/24 07:12
日本歴代30傑の主な内訳

(大会別)
びわ湖毎日 10
福岡国際 7
東京国際 4
別府大分毎日 2
その他の国内 1
海外 6

(所属別)
旭化成 10
エスビー食品 3
中国電力 3
富士通 2
日清食品 2
カネボウ 2
あっくつこうぞう
福島病院
722ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/25 06:13
藤田には期待していた。一発屋で終ったのが残念。
最近はどうしているんだろう。
723ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/25 09:43
>>720
>>721
阿久津浩三で思い出すのは、86年の日本選手権10000m決勝。
このレース展開ってたしか前スレで概出済みだと思うけど、
ソウル・アジア大会の最終選考会で、代表枠2を争うので注目された。
それと久々に瀬古と中山の対決という事で前評判が高かった。
直接、国立に見にいったけど、瀬古が終始主導権を握っていて、たしか
7000m過ぎにはロングスパートをしたと思う。新宅と2人で後続を離して
ワンツー狙いだった。(この2人で代表権を獲得する狙い)
最後は新宅が前にでて、瀬古自身、勝負は新宅に譲る形で2位確保の走りだったが、
ラスト1周で突如、阿久津がスパートをして瀬古の差を詰めた。瀬古は米重、
中山を意識してた感じだから阿久津の存在はあまり気にしてなかったように
感じた。スルスル差が詰まり、一瞬、危ない距離まで迫ったが、なんとか瀬古が
逃げ切って2位を確保した。この頃、阿久津がトラック選手としてぽちぽち上位
に名を轟かせてきた時期。その後、海外遠征で27分40秒台樹立、ソウル五輪
10000で決勝に残る選手になるとは思いもしなかった。福島病院という所属の
特殊性と風貌があまり強さを感じなかったのも原因としてあったのだが。。。
しかし一時期、ヨーロッパ遠征で外国勢と10000でいい勝負をしていたのを記憶している。
724ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/25 12:40
男子1万m日本歴代10傑(2004.6月現在)

1、 27.35.09  高岡 寿成  カネボウ    01. 5.4   バロアルト
2、 27.35.33  中山 竹通  ダイエー    87. 7.2   ヘルシンキ
3、 27.42.12  瀬古 利彦  エスビー食品  85. 7.2   ストックホルム
4、 27.43.04  米重 修一  旭化成     88. 5.13  国立
5、 27.43.94  大森 輝和  くろしお通信  04. 5.22  新潟
6、 27.44.5   新宅 雅也  エスビー食品  83.11.29  国立
7、 27.45.13  花田 勝彦  エスビー食品  00. 9.22  シドニー
8、 27.46.16  阿久津 浩三 福島病院    88. 5.13  国立
9、 27.46.39  渡辺 康幸  エスビー食品  98. 4.26  神戸
10、 27.47.35  伊藤 国光  カネボウ    80. 7.7   ストックホルム
725ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/25 12:50
>>724
1万mは、80年代の記録が6つもはいってますね。
中山はマラソンが歴代14位、瀬古は16位。しかし1万は今だに2,3位にランクイン。
マラソンよりこちらの記録の最新が遅れていて、ここの方が問題が多きそうな気がする。
>>723
阿久津選手は今でも都道府県対抗マスターズ駅伝に出場している。
漏れの知り合いが阿久津選手と同じ宿舎だったことがあり、その時の様子を聞いたことがあるのだが、とにかくレース当日の朝から飯を「あなた本当にこれから走るの?」って疑いたくなるほど食べていたそうだ。
>>726
補足:沢山食べていた
医者、ではないよね
729ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 01:11
男子1万m 27分台パフォーマンス達成回数(3回以上)

高岡寿成 9回
瀬古利彦 6回
渡辺康幸 6回
花田勝彦 5回
新宅雅也 3回
阿久津浩三 3回
730ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 10:12
>>724
新宅の記録はたしか国立で独走の中、生まれた記録だったと記憶しているが。。
今のような、外国勢にレースを作ってもらってのタイムではないだけに、
潜在的な価値があるタイムだろう。
731ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 13:13
男子5000m日本歴代10傑

1、13.13.40 高岡寿成(カネボウ) 1998.8.1
2、 13.22.12 入船敏(京セラ) 2001.7.14
3、13.22.97 米重修一(旭化成) 1988.7.8
4、13.23.49 花田勝彦(エスビー食品) 1999.7.3
5、13.24.29 瀬古利彦(エスビー食品) 1986.7.11
6、13.24.69 新宅雅也(エスビー食品) 1982.9.24
7、13.25.41 鎌田俊明(カネボウ) 1977.7.5
8、13.25.72 池谷寛之(本田技研) 2000.8.5
9、13.26.19 徳本一善(日清食品) 2003.5.10
10、13.26.53 渡辺康幸(早稲田大) 1994.7.15
732ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 13:32
15,000m  43.38.2 瀬古 利彦 ヱスビー食品 83/09/24 全日本実業団 草薙
20,000m 57.48.7 瀬古 利彦 ヱスビー食品 85/05/11 東日本実業団 小田原
25,000m 1.13.55.8 瀬古 利彦 ヱスビー食品 81/03/22 30000m記録会 クライストチャーチ
30,000m 1.29.18.8 瀬古 利彦 ヱスビー食品 81/03/22 30000m記録会 クライストチャーチ

この瀬古の記録も長い事、日本記録&世界記録(25000,30000)として君臨。
20000mあたりは、昔は頻繁に競技があったような記憶があったが、今はあまり聞かない。

1500の石井、2000の重成あたり(共に77年)に続く最古の日本記録に数えられる。
733ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 13:58
五輪の種目に30kロードがあったら早田あたりの人生も違うものになっていたかもしれない 
734ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 14:04
>>733
早田もそうだが、中山が真剣に30kmレースを走ったらどのくらいの
タイムがでただろうか?中山の方が得意そう。
>>732
瀬古だからトラックの30kmで1時間30分を切れた気がする。普通のマラソン
ランナーでは難しいのでは。。
735ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/26 14:34
男子ハーフマラソン 日本歴代10傑

1、 1.00.30 高橋健一(富士通) 2000.1.10
2、 1.00.42 早田俊幸(鐘紡) 1996.1.21
2、 1.00.42 大崎栄(旭化成) 1996.1.21
4、 1.00.49 浦田春生(本田技研) 1995.1.22
5、 1.00.55 井幡政等(山梨学院大学) 1995.1.22
6、 1.01.04 小林雅幸(三井住友海上) 2000.11.23
7、 1・01.07 高岡寿成(カネボウ) 2003.3.9
8、 1.01.09 永田宏一郎(鹿屋体育大学) 2001.3.11
9、 1.01.12 実井謙二郎(日清食品) 1997.1.19
10、 1.01.16 坪田智夫(コニカ) 2002.3.10

736ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/27 01:57
>>735
ハーフマラソンの日本歴代10傑の選手は
マラソンで前半型の選手が多いね
737ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/27 13:00
男子30Km 日本歴代10傑

1、 1時間28分36秒 松宮隆行(コニカ) 熊日30Kmロードレース 2003年2月16日
2、 1時間28分46秒 西本一也(九州産交) 熊日30Kmロードレース 1985年2月24日
3、 1時間28分52秒 瀬古利彦(ヱスビー食品) 名古屋ロードレース 1987年3月1日
4、 1時間29分12秒 伊藤国光(鐘紡) 熊日30Kmロードレース 1980年2月24日
5、 1時間29分23秒 高岡寿成(カネボウ) 熊日30Kmロードレース 2001年2月18日
6、 1時間29分28秒 早田俊幸(鐘紡) 祐徳30Kmロードレース 1993年2月28日
7、 1時間29分34秒 坪田智夫(コニカ) 熊日30Kmロードレース 2001年2月18日
8、 1時間29分46秒 工藤一良(リッカー) 熊日30Kmロードレース 1989年2月19日
8、 1時間29分46秒 高橋健一(富士通) 熊日30Kmロードレース 1996年2月25日
8 、1時間29分46秒 野口憲司(四国電力) 熊日30Kmロードレース 1999年2月21日

30kmといえば、西本一也の大記録を思い出す。
瀬古、宗兄弟、伊藤などの名ランナーができなかった「初の28分台」を達成し
その後の競技生活に多いに期待したのだが。。。
しかし道路30kmも10000m同様、記録の最新が大きく遅れているのがわかる。
738ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/27 14:19
>>737
中山は30kmでの好記録はないようだが、概出の87年福岡国際マラソンでの
30kmの途中掲示1時間29分02秒がある。
これは上表の日本歴代4位相当のタイムになるね。

この後、12kmを走りきり、みぞれ交じりの悪天候の中を完走するわけだ。
739ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/27 14:39
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            |  ゝノ
           __|_______|_   ■■■■■■■■
           |iiiiiiiiiiiiiiiii|  ■■■■■■■■■ナニヤッテンダヨ!バカモノガァ!
           |iiiiiiiiiiiiiiiii| ■■■■√ === │
           |iiiiiiiiiiiiiiiii|■■■■√ ~ ミ ノノノ 彡 |
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■√   ∀    ∀ \
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■  ∵   (●  ●) ∴│  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■    丿■■■(  │< これからは
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■     ■ д ■  |   |  ヴァジラヤーナでいくぞ
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■■   ■■ ■■ ■  \_________
           |iiiiiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■__
           \iiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■iiヽ
             \iiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■iiiiiii|
              |iiiiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■iiiiiiiii|
740ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/27 14:55
西本一也(九州産交) ベストタイム
5000m 13.39.47
10000m 28.09.4
マラソン 2時間12分41秒
741ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/28 01:30
西本一也は長野マラソンの前身の信毎マラソンの大会記録保持者。
ローカルな話題でスマン。 
なぜ河野( ̄(●●) ̄)v
http://sports8.2ch.net/test/read.cgi/base/1054652342/
なぜ河野( ̄(●●) ̄)v 〜逆レイプ2回目〜
http://sports8.2ch.net/test/read.cgi/base/1067068517/
743ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/29 12:26
>>737 ランナーの所属の企業を見ると・・
栄枯盛衰、リッカー、九州産交、そしてカネボウ・・ 
744ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/29 12:45
>>737
89年時はリッカーは倒産していて、陸上部部員の大半は日産自動車に移行いた後。

89年の工藤は88年暮れの福岡の後、ソウル五輪代表選考で候補選手となり、
瀬古と代表の座を争った時期。工藤自身、選手生命でいちばん充実していた
時期にだした記録である。
745ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/29 12:51
>>744
88年ではなく87年福岡ね。
この88年に、ロンドンで工藤は2時間10分59秒の生涯記録を樹立したんだよな。
746ゼッケン774さん@ラストコール:04/06/30 20:02
工藤も瀬古と比べられてかわいそうなランナーだった。
でも、競技生活の中では一番マスコミに登場したときだった。
747ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/03 09:29
でもソウル五輪代表から瀬古をはずしたら、それはそれで世間は大騒ぎになっていただろう。    
瀬古は一応びわ湖毎日マラソンで優勝してるからな
オリンピックみたいなタイムより順位を争う大会には
記録より優勝の方が選考会議で推しやすいからな
瀬古も工藤もレース内容はイマイチだったけど
749ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/03 13:20
選考会はまず優勝ですね。前スレであったけど
高岡は実績が良くても、日本人に選考会で負けたら代表は難しい。
瀬古は当時、2流選考レースでも「優勝」したから代表になったわけだからなぁ。
60−80年代はほとんど一発選考にちかかったけど、今のように複数選考なら
なお更の気がする。
今回の選考会でいかに「優勝」が大切か関係者はわかったのではないかな。
750ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/03 13:21
2ちゃんねる版「ものしり一夜づけ」
751ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/04 23:28
マラソンには「カモにする」「カモにされる」といったランナー同士の
得意、苦手とかありますか?
このランナーには全戦全勝だが、違う相手には全く勝てないというように。
無論、実力が違うランナーの対戦なら、そういう事もありますが、実力が
拮抗しているランナー同士ではどうですか? 
752ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/05 06:05
>>751
五輪での君原は宇佐美に負けなかったが、こと毎日マラソンでの宇佐美には
君原は一回も勝っていないのでは。。

晩年とは言え、中山は森下に3戦全敗。中山としては日本選手に1度も勝て
なかったのは森下だけだろう。
宗兄弟って、瀬古にほとんど勝っていないんでは?
瀬古の晩年とあのロス五輪以外。

まあ瀬古が強すぎたんだけど。
754ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/05 16:49
1万における、村社、円谷ー沢木ー鎌田ー瀬古の日本記録のレベルは世界記録と
比べてみてもレベルが高いのがわかりました。

755ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/05 16:50
このスレの別名:「ものしり一夜づけ」マラソン編
756ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/05 17:20
60年代、70年代における10000m世界記録のラップタイム

13分45秒0−13分54秒4(27分39秒4)1965年クラーク(オーストラリア)
13分44秒0−13分54秒4(27分38秒4)1972年ビレン(フィンランド)
13分39秒4−13分51秒4(27分30秒8)1973年ベドフォード(イギリス)
13分48秒7−13分41秒8 (27分30秒5)1977年キモムブァ(ケニヤ)
13分49秒0−13分33秒4(27分22秒4)1978年ロノ(ケニヤ)
757オールドファン:04/07/05 17:34
>>756
そういえばロノは70年代後半に一世を風靡したなぁ。
3000で(7.32.1)それと3000障害で(8.05.4)の世界記録を
樹立して、前出の記録5000(13.06.20)と10000(27.22.40)
をだして83年頃まで長距離4つの世界記録保持者だった。
昔のテムやケイノ、ビオットなどの時代から、その後、ロノがケニア長距離界を引き継いでいった。

ロノがマラソン走ったかは記憶にないのだが、今、ロノが全盛期であったらやはりマラソン
まで移行したのではないかと思う。

758756:04/07/05 17:40
>>757
82年にムーアクロフト(イギリス)が5000で13分00秒42をだしてます。

アウイタ(モロッコ)も今の時代だったらマラソンまで転向してますかね?
759ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/05 23:51
1984 ロサンゼルス五輪 5000m決勝

1 アウイタ   モロッコ  13分05秒59
2 リュ−フェル スイス     13分07秒54
3 レイタオ    ポルトガル 13分09秒20
4 ハッチンス イギリス    13分11秒50
5 キプコ−チ ケニア     13分14秒40
6 チェルイヨット ケニア     13分18秒41
7 パディラ    アメリカ    13分23秒56
8 ウォ−カ− ニュ−ジ−ランド 13分24秒46

この時のアウイタの優勝タイムは同五輪マラソンのロペスとともに
20年間、五輪記録として残っている。
760ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/05 23:54
1996 アトランタ五輪 10000m決勝

1ゲブレシラシエエチオピア27分07秒34
2テルガド   ケニア    27分08秒17
3ヒソウ    モロッコ   27分28秒59
4ニジガマ   ブルンジ   27分33秒79
5マチュカ   ケニア    27分35秒08
6コエチ    ケニア    27分35秒19
7スカ−    モロッコ   27分46秒98
8ヌタウリクラルワンダ   27分50秒73

ちなみに男子10000mの五輪記録はアトランタでのゲブレシラシエ。
>>753
茂は一度も瀬古に勝っていない。
猛もロス五輪で一度勝っただけ。
762ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/06 00:40
宗兄弟はなぜ瀬古に勝てなかった?そんなに力に差があったとは思えないのだが・・
瀬古のような走りをするタイプが苦手だったのかな? 
763ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/06 02:39
単に中距離でも一流だった瀬古にはスピードで太刀打ちできなかったのでは?
764 ◆42.195kmAM :04/07/06 05:01
テスト
>>761
宗兄弟は1978年(昭和53年)のミルトンケーネス・マラソン(英国)で瀬古に勝っている。
@宗   猛 2:20:10
@喜多 秀喜
B伊藤 国光
C宗   茂 2:22:27

 瀬古    2時間50分台
766ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/06 09:48
宗兄弟は2人で連携して瀬古を倒そうとしなかったのかな?
茂が序盤から飛ばして大逃げをかまして猛が後方待機といったように。
瀬古のペースを乱すなんてこと考えなかったのかな?   
767ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/06 13:17
>>765
81年の青梅マラソンに近い感覚のエントリーではなかったっけ。
瀬古は練習として完走しただけらしいよ。
>>767
千葉真子のシドニーマラソン
769ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/06 16:44
>>765
そのレースは階段があったりして悲惨だったらしい

>>766
78年の福岡は茂が大逃げうったが、途中で捕まったんじゃなかったかん?
770ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/07 08:31
>>766
宗兄弟も互いにライバル関係だったらしく、協力は難しかったのでは?
監督になったあとのインタビューで、
茂は、「大きな大会では必ず弟に先着しているから、自分の勝ち」
猛は、「通算の対戦成績では、自分の勝ち」
と、主張しているのを見た。
瀬古に勝っても、最も身近なライバルを勝たせては意味ないのでは?
>>770
そのインタビューの発言、微笑ましいな。

宗兄弟にとっては、瀬古もライバルの一人ではあったろうが
一番身近に最大のライバルがいたってことなのだろう。
ある意味、幸福な関係だよ。
772ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/07 21:34
>>769

78年のレースでは茂がスタートしてすぐ飛び出し、
一時瀬古らに1分近い差をつけたが30キロを過ぎて失速し、
35キロ過ぎにつかまり、敗れた。
翌年は40キロを過ぎて兄弟同時にスパートをかけ、
一時20bほど引き離したが結局離しきれずトラック勝負に持ち込まれ、
敗れた。

多分この時点で瀬古にはどうやっても勝てないって悟ったんじゃないかな?
773ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/07 22:15
ではどうしていれば瀬古に勝てたかな?
もちろん双方とも万全の状態でレースに望んだとして。
宗兄弟もあの手この手を考えてレースを展開したようだが。
宗兄弟としても体調万全の瀬古には勝ちたかっただろう。      
>>773
瀬古の実力が宗兄弟より上だったと言う事ですな
775ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/08 12:24
瀬古といえば、84年の全日本実業団駅伝、SB勢の強さは半端ではなかった。
まだ伊勢路での開催(まだ各チームの伴走車が許されてた時代だったなぁ。)で、
中村、ワキウリ、新宅、坂口、谷口伴、瀬古、金井の最強メンバーで
宗兄弟、佐藤市雄率いる旭化成勢がまったく相手にならなかった。
これだけのメンバーでチームを組んで圧勝したのはその先にもなかったような気がする。
776ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/08 22:13
>>775
現代の実業団チームが束になってかかっても全く歯が立ちそうにないね。
777ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/10 05:51
>>775
野球でいうならば巨人やヤンキースのオーダーと匹敵するようなものだったからな。
それもこれ以外の補欠がいない状態で走った。
中堅チームならエース区間の走れるかもしれない坂口、谷口がほんとつなぎ役で
走ってた。ワキウリもブレーク前でやはりつなぎ役。
この頃の金井はロス五輪入賞後で、伸び盛り。新宅は秋の日本選手権で27分台で
優勝したばかり。そしてロスで失敗したが、きっちり調整した瀬古には誰も
ついていけない。走る前から「エスビー優勝」誰もが考えていた希有な大会だった。
SBは少数精鋭主義だった感じ。
故障者がでると大会出場が危なくなるくらい選手が少なかった感じ。  
779ノートルダムマラソン:04/07/15 21:35
みなさん、衛星放送でやっていた瀬古のドキュメントは見ましたか?
780ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/16 10:08
BS我が家では見れないです。どんな内容だったの?
総合でもやってほしいです。 
781ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/16 11:08
>>780
それは1984年7月にNHKで放送されたドキュメンタリー。
ちょうどロス五輪を目前に控えた瀬古を扱ったもの。
83年冬の福岡国際や、84年春のSB食品ニュージーランド合宿や、同年の東日本実業団20,000b。
瀬古の為だけに開催された国立競技場での20,000b記録会などの超懐かしい映像を見ることが出来た。
しかしニュージーランドじゃあ1日50kmx28日間=1,400km走り込んだんだって!
また、20,000m記録会の時は朝練で10km、記録会で20,000m、さらに記録会が終わった30分後から外苑で30km走だって。
凄すぎ!
それから中村監督も凄すぎ。
「大東亜戦争で日本は負けていないんだよ」って真顔でインタビューに答えていた。
完璧に逝きまくっていた!
782ノートルダムマラソン:04/07/16 11:11
『不屈のランナー瀬古俊彦』というタイトルで
84年7月(ロス五輪直前)に放映された番組。

瀬古と中村監督のインタビュー中心で、中村学校のニュージーランド合宿なんかも
収録されていた。
今の日本のランナーは海外で練習するけど、
瀬古は一般人が沢山いる東京を延々と走り、ヱスビー社員が交通整理、
夜は社員の車が瀬古の足元をライトで照らしたりしていた。

海外ランナー紹介もあって、ドキャステラ、イカンガー、サラサール、ロペスが登場した。
783ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/16 11:15
>>781
監督ワラタよな。
「日本は戦争に負けてない!」

「撮るなって言っておろうがぁバカモノガァ!」

「俺は戦争で何人も殺しとんだ!」

「これは国を挙げての戦争だ」

戦争が好きなんだなw
784ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/16 11:19
『不屈のランナー瀬古俊彦』を見ると瀬古がなぜ
ロス五輪で失速したか、よーく理解できるね。

練習し過ぎだな。
肉ばかり食い過ぎだな。
785ノートルダムマラソン:04/07/16 12:55
私の身内(故人)も満州にいたんだが
ソ連が参戦してからは、軍属も民間人もとにかく我先に逃げる地獄絵図だったらしい。
あんな惨めな敗北の地にいて、よく「日本は負けてない」なんて言えたな。

しかし、ベルリン五輪に参加したという事は、1936年の時点では軍人ではなく
アスリートだったわけで、その後に満州に行ったとすれば、もう満州は安定期になっている。
それ移行45年のソ連参戦まで戦闘はほとんど無かった。
「戦争で何人も殺している」の真偽は怪しい。

「第2の敗戦」は90年代の経済不況かと思ったが、その前に中村瀬古コンビが負けていたか。
786ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/16 13:08
>>785 ノモンハンは1939年。関東軍は壊滅的な敗北を喫している。中村が軍人
としてその戦闘に参加したのかもしれない。
787ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/16 19:03
うちは爺さんが昭和初期軍人だった。当時の写真が何枚もあるが、人間の斬首された
写真が何枚もある。頭が落とされ足元に転がって目をひんむいてこっちを見ているように
見える。朝鮮人か中国人の斬首の写真だそうだ。孫基禎が反日的思想を持つのも
わかるような気もする。中村監督は本当に何人も殺し抜いてきたのだろう。    
>>784
自己管理も出来なかった瀬古が監督をやるんだから
笑えるな
>>772
指導者としても一時期宗兄弟の方が上だと評されていたけど、現在は逆転
してしまった。

指導者としても勝てないことを悟るのは、そう遠くない未来かも。
残酷な話だ。
悪い言い方をすれば、中村監督は満州で民間人を見捨てて逃げてきた軍人の一人だからね。
理由は分かりませんが、満州にいた民間人(日本人居留民)は長野県の出身者が多かったらしい。

まさか、長野県出身のあの人が、瀬古に異常なまでの敵意を燃やしたのは
それが原因だったりして。
791ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/18 05:19
孫基禎、晩年のインタビュー

「円谷は本当にあんな事になってしまって可哀相だった。あんなことになるとはなぁ。。
ロサンゼルスでは瀬古は一番手の走り手だったんだ。実力があっても大舞台の勝負に
弱い、ツキのない選手はおるもんだ・・
近頃、日本のマラソンは元気がない。元気があるのはオナゴばかりじゃないか。
有森裕子だったか・・あの子はいい子じゃな。男は豊かになって気力が萎えたという
わけか。これじゃいかんよ。」
792ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/18 09:09
>>789
指導者としては坂口のほうが上
>>786
中村が陸軍中野学校に入校したのが1939年だから
ノモンハン事件には関わっていない筈。
だから何人も人を殺した云々はおそらく中村独特の法螺だろう。
実際彼は、腹をすかした子供に食糧を分け与えるなど
現地住民には結構慕われていたらしい。
>>793
>中村が陸軍中野学校に入校したのが1939年だから
>ノモンハン事件には関わっていない筈。
これは正しい。

だがよく知られている通り、戦時中中村清は憲兵をやっていて、匪賊の討伐も時折やってたらしい。
だから鉄砲で何人かは撃ち殺した経験があると考えた方が自然。
中村は終戦時には南京にいたが、爆撃機に乗って間一髪で日本に逃げ戻った。
もうしばらく大陸にいれば戦犯容疑で処刑されていたかもしれない。
中村清の生涯については、木村幸治『マラソンは芸術です−瀬古利彦を育てた男の真実』(新潮社)に詳しい。
795マラソン素人:04/07/19 06:29
せっかくこのスレはマラソンに詳しい方が
いろいろ教えていただける良スレだったのに、
戦争で人殺したとか関係ない方向にいってしまったのは
ちょっと残念。
796ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/19 09:42
だが昔の日本マラソンを語る上で
中村清の存在は避けて通れない。
797ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 00:02
マラソン史を語るのには戦争のことも知らないといけない。
韓国のマラソンとかも戦争というか日本の植民地支配抜きには考えられない。
エチオピアとかもいろんな歴史と関係があるし、南アフリカのアパルトヘイト政策とかも。
マラソンという競技自体の起源がマラトンの戦いという戦争からきている。
つまりマラソンとうものは記録とか順位とか単純に争うというものとは
ちょっと違う国家の威信とか民族の誇りとか個人の哲学とかぶつかり合うものだと思う。   
798ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 08:18
中山竹通談ー質問「どのような選手を育てたいですか」

「育てるなんてことはできないわけですよ。走るのは本人なんだから。人を変えることは
できないわけですよ。だいたい教えられて強くなった奴なんていない。自分でやるしかない。
だから毎日、時計計ってるだけなんだけどね。。。走る事自体が意義あることとは
思わない。強くなったところで、即いい事があるわけではない。ただ、何かにつながるかも
しれない。人生、もう一本違う道もあるかもしれないよ、と。。。矛盾しているようだけど
、もし選手を育てたいということなら、ぎらぎらしている奴ね。野望をもって人を
蹴落としてでもかきわけていく奴ね。そんなランナーですかね。」

瀬古利彦談
「世間で評価されている素質と、マラソンランナーとして大成する実際の素質は
違うものです。これまで、部員の中で監督が練習をストップをかけてからも
なお走り続けるような選手はいなかった。マラソンは練習量がストレートに現れる。
そういう意味でも、今まで好きで走り続けられる素質を持った選手はいなかった。」
799ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 08:28
>>798
中山は中山というコメントだな。
小出も素質ある奴を見抜くのに長けてると思うし、その後の選手のフォロー
の仕方は中山とは正反対だろうけど。。
実際、瀬古が言ってる通り、今の男子マラソンで高橋尚子のように走るのが好きでたまらないランナーは
少ない気がする。藤田のような周りがみえないまでストイックな形で怪我するか
両極端だ。

そろそろ男子マラソンを小出が指導するのを見てみたい。
80年半ばの市船優勝の実績もあることだし。難しいかな。
800ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 13:06
800GET!
戦争のことが出てきたので知りたいのですが、戦争には多くの人達が出兵して
いって多くの人達が戦死したのですが、その中にマラソン関係者にはどんな人達が
いるのですか?野球関係者の戦死者のことは知られているのですがマラソン選手は
どうなんですか?  
801ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 13:35
>>800
そういえば、名選手や名コーチで戦死したという話をあまり聞いた事がないですね。
>>800
マラソンではないが、戦前、昭和11年ベルリン五輪短距離代表の谷口睦生(関西大学)は第二次大戦で戦死したんじゃなかったかな?
803ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 14:25
>>802 メダリストでは棒高跳びの大江季雄が戦死。マラソン、長距離は知らない。
804ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/20 19:08
>>800 箱根駅伝経験者には相当数の出征兵士がいたはず。
805ノートルダムマラソン:04/07/22 11:00
今日の19時から、「マラソン100年史」のような番組をやるらしい。
NHK衛星第一です。
その中村監督が、
「瀬古がいくら強いと言っても、オリンピックで、
金メダルを取る確率は、自分の頭に人工衛星が落ち
てくるようなものだ」と語ったことがある。これは
おそらく瀬古に対する過剰なまでの金メダルへの期
待から瀬古を守るために発した言葉であると思う。
確かに当時の瀬古選手に対する日本中の期待は、常
軌を逸するほど加熱気味であった。

そんな中で、瀬古は、ケガをしながらもマラソンレ
ースにでれば、優勝という形が続いた。とにかく瀬
古は強いんだ。そんな神話が余計に瀬古を苦しめ続け
たことは確かだ。
ベルリンオリンピックで1500メートルに出場、日本新記録を樹立。
陸軍憲兵隊長だった戦時中は、生死紙一重の中で、「もし生きて
帰れたら、本物の戦争にも動じないほどの選手を育ててやる」と
誓います。
中村の筋金入りのスパルタ指導で有名になった、早稲田大学の駅伝。
選手がへばると、伴走車の上に仁王立ちになり、「都の西北」を大
声で歌って励ます。また、伴走車を選手の足にあたるほど大接近さ
せ、「殺せ、こいつを。さあ、ひき殺せ」と絶叫する。
圧倒的なカリスマ的支持を得る一方で、時代錯誤とも非難され、10
年のブランク、忍従の歳月を送ります。
 「他人を怒ることが多かった。自宅に取材に来た新聞記者やカメラマン
に向かって、『何だきさまらは』と怒鳴ってライフル銃をつきつけたこと
もありました。選手と一心同体の監督が混乱すれば、選手も影響を受けま
すよ」。瀬古は当時をこう振り返る。
中村清先生との出遇いは強烈だった。
フジテレビで「三時のあなた」の司会を担当していた時、
早大三年生の瀬古利彦選手が福岡国際マラソンで見事優勝。
「中村監督にインタビューをしてこい」と言うPDの命令
で、夜、千駄ヶ谷の自宅を訪れた。先生は大のテレビ嫌い。
取材は難航した。「取材拒否だ。帰れ!」しかし、すごす
ご帰るわけには行かない。玄関先で何度となく押し問答。
突然、先生は大声を出された。「貴様そこを動くな!」奥
の部屋から一丁のライフル銃を持ってこられた。「この中
村は、中国大陸で憲兵隊長だったのだ。貴様の一人や二人
殺すのはわけない!」人間、銃を突きつけられると本能的
に両手が上に上がってしまうものだ。顔からは血の気が引
いていた。とその時、駆けつけた道子夫人が素早く割って
入ってくださった。銃口をそらして「あなたおやめなさい
!」しばらく沈黙があった後、先生が静かに口を開かれた。
「中へ入りなさい。」先生自ら台所に立ち、子供の顔ほど
もあるぶ厚いステーキを焼いてくださった。それから二時
間余り「正法眼蔵」と「旧約聖書」を開いての、先生の講
話が始まった。「即ち、其の倒るときには、一人の人、其
の友を助け起こすべし。されど、一人にしては憐れなるか
な。これを助け起こす者なきなり・・・」

中村監督は猟銃の輸入もてがけていました。
811ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/24 00:10
激怒して、地面を踏みつけ足を骨折したらしい。
お前たちを強くする為なら、砂だって食える、とムシャムシャ食べたらしい。
心臓がいつ止まるかわからないので、ニトログリセリンを常備していたらしい。
812ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/24 00:18
二度目の早稲田の監督に就任した際、年間の報酬が3万円だったという。
さすが早稲田。
その砂を食うパフォーマンスは瀬古も監督になってからやった事がある。
渡辺や花田はそんな中で潰れていった・・・・・・
814ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/24 21:31
当時どん底だった早稲田の競走部監督に就任した中村
「誰が競走部をここまでおとしめたのか?君たちのせいではない。
 先輩たちが悪いんだ。わしが先輩たちを代表して君たちに謝る。許してくれ」
と言いつつ合宿所の壁に自らの頭を数発打ちつけた。
815ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/26 03:19
瀬古も真似して砂を食べたがしっぱいだが失敗たったらしい
816ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/28 22:28
五輪直前なのに男子マラソンの事をスポーツニュースでもほとんどやらないな。
瀬古全盛のときは瀬古とキャステラのレースのシュミレショーンをやってたり
してたのに。そういった番組にもものすごくワクワクした。 
817ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/28 23:21
テレビ局も20位前後をうろうろしている男子マラソンは期待していないのだろう。
個人的にもシドニー前はまだ世界陸上銅の実績があった佐藤に快走をもう一度の
期待があったのだが、今回は期待感は限りなくゼロに近い。10位より下だと思う
とどうでもよくなる。が、やっぱり20位くらいなんだろうね。
818 ◆run.GbsICE :04/07/29 00:16
アトランタ、シドニーの時と違って今回の男子は入賞レベルなら期待していいんじゃないかな
私は国近に期待してるんだけど、瀬古の失敗を繰り返すのか生かすのかってのもあり
あの福岡の勝者であるし、上を目指したくて移籍したってのも上昇志向でいい。
相当難しいが、なんとしてもメダル取って今までの努力が報われればと思う。
819ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/29 08:59
日本の男子の五輪マラソン史上の最高の大金星は円谷?
最初の予想を裏切った(良い方に)歴史はどうなの?  
820ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/29 11:12
>>816
週刊誌がこぞって瀬古やイカンガーの特集(中には某女性アイドルと瀬古を無理矢理比較させたのもあった)やってたな。
>>816
俺も当時の「シミュレーション記事」みたいな奴で、
サラザールと瀬古とドキャステラとイカンガーが競技場まで
バトルを続けるってのを読んで期待しまくりだったんだが。

上の選手はメダルにかすりもしなかったなw
>>819
戦前は知らんが、戦後に限れば、
金星度:東京円谷>バルセロナ森下>メキシコ君原>メルボルン川島>ロス宗猛>バルセロナ中山
惨敗度:ロス瀬古>ミュンヘン宇佐美>ソウル中山>メキシコ佐々木
のような感じになるんではなかろうか。

ただし、事前に話題にもならず、実際活躍もしなかったアトランタ・シドニーの出場選手は除く。
823ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/30 23:55
>>822 しかしマスゴミは事実を知らないから笑えるぞ。例えばアトランタの時、
まだ男子は入賞は確実、メダルもという噴飯物の予想をする人は多かった。
テレビ中継のゲストに堺屋太一が呼ばれ「三本の矢」とか訳の分からない喩え
で選手に期待していたのに遅れ出すと沈黙してしまったのには笑えた。
824ゼッケン774さん@ラストコール:04/07/31 05:19
ロス五輪(84年)の頃、中学生だった私は、テレビで20年前の東京五輪(64年)
のマラソンの映像や特集とみることが多かった。20年という年月の長さに東京五輪での
アベベや円谷の出来事にピンとこないで見ていたものだが、
考えてみたら、瀬古がロス五輪で大惨敗してから今年、20年が経ってしまった訳だ。
>>822
森下を「金星」というのはどうかな?
あの時点では「予想外の敗退」だったと思うが。
当人もそう思っているはず。
826オールドファン:04/07/31 13:08
>>822
実際、金星と言えるのは
東京の円谷、メルボルンの川島、メキシコの君原、ミュンヘンの君原の順で計4回、3人ではないかな。

今でもちゃんと覚えてるが、ミュンヘン五輪時、君原が5位で競技場に入ってきた時、
実況の羽佐間アナの
「底知れぬ力、体内における脅威の精神力、不思議な力であります。それがピークを
越えたと言われながら第5位で帰ってきました・・・」というフレームがミュンヘン当時の
君原の対する驚きと賛美だったように思う。

>>823
一度遅れだすと、
「日本の○○は、先頭から○分○秒遅れです」
というアナウンスしかないんだから、コメントのしようがない罠。
とりあえず金星No.1は東京の円谷、
惨敗No.1はロスの瀬古というのが衆目の一致するところだろうな。
君原は東京に限っていえば軽い「惨敗」だったのかな。
当時は8位といっても入賞外だし、レース前予想では
日本勢は彼が最有力だった。
830マラソン観戦歴35年:04/08/01 01:16
>>829
東京の君原以上に惨敗したのがミュンヘンの宇佐美。
瀬古が東の横綱なら西の正横綱だろう。

この時宇佐美はメダル確実と太鼓判を押されていた。
831ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/01 10:50
高校総体やっているけど高校時代にトップの選手は順調に伸びるのかな?
かつてのランナー達はどうだったのだろうか?   
832ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/01 11:06
>>831
かつてのエスビー勢(瀬古、新宅、金井、中村、)は社会人でも活躍できたなぁ。
今の選手は少ないね。
犬伏選手はシドニーでは持ちタイム2位

ハリド・ハヌーシ
モーゼス・タヌイ
ゲルト・タイス
ジョセファト・キプロノ
テスファイエ・ジファー
みんなシカゴだった
834ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/02 08:53
>>818 シドニーの方が期待できた。犬は持ちタイム2位だったし、当該年に
も8分台で走っていた。佐藤は世界陸上メダリスト。
835ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/02 11:47
そのわりには犬伏も佐藤も期待されず「あ〜あ〜、やっぱりな」という感想だった。
昔は日本の看板競技だったのに。 
今のマラソンは
・スピード重視、記録重視
と、
・勝負重視
の二つのカテゴリに分けることが出来ると思う。
いまや、この二つはまるっきり別の競技とさえ言える。

そんなこんなで、ラドクリフはアテネで勝てないほうにFAしたが、
果たしてどうか。
837ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/02 13:21
>>835 もちろん、そんなに期待していなかったし、結果はやっぱりという
ものだったが、今回より期待があったというだけのこと。今回の期待度は
限りなく低い。
838ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/02 18:51
>>836 何が記録じゃ

どんなに好記録でもそのレースで勝つか○○人トップにならなきゃ記録保持者にゃ〜ならない

まずレースに勝つこと。ガチンコで勝負すること。
839ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/02 18:52
谷口浩美さん・中山竹通さん
840ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/02 20:19
>>838 宇佐美さんがそんな事をいっていた。まず勝負だと。
841 ◆run.GbsICE :04/08/03 00:13
>>834
自分は夏マラソンでは2〜3分の持ちタイムの差は重要だと思ってない。
持ちタイムより、暑さに強いとか勝負強さの方が重要だと思ってましたから
東京で4位だった犬伏には期待してなかった。
佐藤にはちょっとは期待していたが、強さは感じられなかったからダメだろうとは思った。

今回の方が期待出来るのは、油谷が安定して上位入ってること。
国近は福岡であれだけの出場メンバー(国近より格上やタイムが良い)の中
で優勝してること。勝負強いといえる。

まあ、素人の個人的な見解なんでそんなに気にしないで下さい。
842ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/07 15:06
女子のスレにリクエストがきています。誰か教えてやってください。
843ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/07 21:16
>>842 女子マラソン史上もっとも強いランナー【女子通史】
>>http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1087783359/78
1896年アテネ以来、24回の五輪男子マラソンを、
F-1のポイントシステム(1位=12点、2位=8点、3位=6点、4位=5、5位=4、6位=3、7位=2、8位=1)で、国別にポイント集計した結果。
@ 米国 123点
A 日本 80点
B 英国 77点
C エチオピア 67点
D フィンランド 65点
E 南ア 52点
F フランス 39
アルゼンチン 39
Hギリシャ 37
Iイタリア 36
J韓国 30
Kソ連 28
Lベルギー 27
M東ドイツ 24
 ケニア 24
Oスウェーデン 23
Pカナダ 16
 チェコスロバキア 16
Rモロッコ 14
Sニュージーランド 13
 豪州 13
22ハンガリー、ルクセンブルク、ポルトガル 12
25チリ 11
26スペイン、ユーゴスラビア、アイルランド、、オランダ、エストニア 8
31デンマーク、メキシコ、ジブチ 7
34ドイツ 6
35タンザニア、キューバ、トルコ 5
38ポーランド 2
39ノルウェー 1
もう少し新しいデータがほしいな
せめて1960年以降とか
アテネが近づいたのでやってきたよ。
しかし男子マラソン界は寂しくなっちゃったねえ。
エースが弱ってきても次のオリンピックに間に合うようなタイミングで
すぐ次の天才ランナーが出現していた時代が懐かしい・・・
今回の三人のうち、誰か一人は入賞すると思うけど
そこから上に行ける気がしないんだよなぁ。
848ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/11 13:45
ワイナイナに期待したいね。
前にはワキウリがいた。ワキウリは中村門下だったが、ケニアにも中村の名が
知られていたのかと思うと驚き。
ワキウリ以前にはケニアとかアフリカのランナーは日本のチームに所属したこと
あるのかな?      
849ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/11 13:59
このスレで懐かしい選手名を見ているうちに
デンシモが白い手袋をくるくる回す場面を思い出して目が回ってきました。
クーラーつけよっと・・・
>>848
きちんと日本のチームに所属したアフリカランナーはワキウリが初めてだろうな。
あと、箱根駅伝で活躍した山梨学院大学のオツオリの活躍とかで
今のアフリカランナーの日本留学ブームが来た感じだと思う。
851ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/13 08:42
ワキウリもワイナイナもケニアでは珍しく?スピードの無いランナーの印象。  
852ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/13 08:49
>>844 上位3カ国は今回は期待できないな。 
>>851
ワキウリは現役当時はケニアではイブラハム・フセインに次ぐ自己ベストを持ってたから
そんなに遅いランナーではないけど。でも当時のケニアはそんなにレベル高くなかったからな。
ワイナイナは現在のケニアでは本当にスピード無い方なので、五輪のメダルが無きゃ世界的に知られていなかっただろうな。
でも東京や北海道などの環境厳しいマラソンを制覇してるから本当に強いランナーだと思う。
854ノートルダムマラソン:04/08/17 14:44
IAAF公式ページより、瀬古と国近の記事が載ってます。
http://www.iaaf.org/OLY04/news/Kind=2/newsId=26736.html
シドニー勝者のアベラは故障により欠場、補欠のトロッサが繰り上がった模様。

それにしても、アテネ五輪サイトはいつになったらマラソンのエントリーリストを
公開するのでしょうか???
855ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/20 00:08
アテネ五輪日本選手団の主将の井上康生が敗れたが
谷口もアトランタ五輪日本選手団の主将だった 
856ノートルダムマラソン:04/08/21 16:09
そうだったんだ・・・・
マラソンランナーで旗手は、おそらく彼一人ですね。

それにしても五輪中だと言うのにこの盛り下がり方は一体・・・・?
857ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/21 19:14
まぁ陸上みたいなマイナーなスポーツやめろ。
そして野球やれてか野球選手が陸上やったらヤバイだろうなw
>>856 他のスポーツがいそがしすぎて体がいくつあっても足りない
流れはロス五輪と一緒だ 
>>856 谷口はアトランタ五輪日本選手団主将。旗手は田村亮子。
閉会式では途中帰国の田村に代わり有森が旗手代行を務めた。
  
860ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/24 23:57
アベベ・ビキラって、高地民族の特徴を生かして、
入りを高速で走って、後続を引き離して巡航、だったような記憶があるのですが…。
上の方で、後方待機型と評されてますね。メコネンのことなんでしょうか?
>>836 :ゼッケン774さん@ラストコール :04/08/02 12:46
>今のマラソンは
>・スピード重視、記録重視
>と、
>・勝負重視
>の二つのカテゴリに分けることが出来ると思う。
>いまや、この二つはまるっきり別の競技とさえ言える。
>そんなこんなで、ラドクリフはアテネで勝てないほうにFAしたが、
>果たしてどうか。

おまえは、えらい。
お前の予想は大当たり。
褒めてつかわそう。
862ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/25 06:07
>>860
アベベ・ビキラはローマ、東京の両五輪の他、毎日や韓国国際でも中盤から
独走態勢を築く走りをしていた。
その後の、マモ・ウォルデあたりから集団待機型の選手が増えている。ということは
アベベがエチオピア選手として珍しいタイプ、力が抜きんでていたとも言えるだろう。

80年代前半は明らかにエチオピア勢の力が弱く、チームワークを駆使して走っていた
印象がある。その後、メコネンが台頭してきたがメコネンは集団待機型の典型的な選手
だった。
863ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/25 06:10
さてさてアテネ五輪男子マラソン陣は円谷のような値千金の走りができるか!
それによっては、このようなスレで、今後語られるようになるだろう。
864ノートルダムマラソン:04/08/25 16:08
野球が負けて夫婦金メダルが無くなってしまった。
確か夫婦が同じ五輪で金メダルを取ったのはザトペック夫妻だけだと
聞いた覚えがある。

これでもう金メダルが取れそうな競技はほとんど残っていない。
ラストの男子マラソンに東京五輪の金メダル数に並ぶかがかかってきそうだ。
865ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/26 02:35
君原のように、1人くらい前半セーブして後半上げてくる走りをみせても
いいとは思うが、(今回のアメリカ、カスターのようなレースかな)
ここ2大会、力が無く前半から集団にいて脱落、大惨敗を繰り返してるので。
男子マラソンで1番期待してたのは谷口
867ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/26 15:15
もし今回、ワイナイナがまたメダルを獲るようなことがあると
3大会連続のメダル獲得。アベベ、ショーター、リスモン、チャルピンスキーら
を凌ぐ快挙になるな。
早くはないが、夏場の過酷なレースに強いランナーになるな。
868ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/26 21:25
>>865
君原はべつにセーブしてるわけじゃなくて
15分30秒で刻んでいくことだけ考えていたわけで 本人談


869ノートルダムマラソン:04/08/27 08:42
日本の男子マラソンは28年アムステルダム五輪以来、
3大会に一回は必ず5位以内に入っている。
こんな競技は他にあるまい。
870ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/27 11:13
>>869
それでは今回、入賞できないと歴史的汚点になってしまうということかな?
871ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/27 17:46
今となっては、距離不足で幻の世界記録になってるけど、
当時は、CG使って、サラザールのフォームを分析して、
「超合理的なフォームが速さの秘密!」なんて、真剣にやってたんだよ。
872ノートルダムマラソン:04/08/28 10:30
>>870
実はその通りw

なんだか、日本はここ1週間で急に涼しくなってきた。
アテネもそうだとしたら、女子の時よりは日本に不利だな。
873ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/28 13:35
>>869 そもそもそんなことを書いているけど2回続けて入賞を逃したのがアムステルダム
以降ではシドニーが初めてだろう。
874ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/28 14:51
>>870
だから5位ねらいのスペシャリストを代表に選んだんだ。
875ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 02:49
日本勢は及第点といったとこか?
しかし、五輪マラソン史に残るハプニングだった。
日本でも中山が観衆にドツカレたことがあった。
そのときは暴漢はすぐに逮捕された。 
リマ
877ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 08:25
2004年 アテネ五輪男子マラソン成績


優勝 ステファノ・バルディーニ(イタリア)2:10:55
2位 メブラトム・ケフレツィギ(アメリカ)2:11:29
3位 ヴァンダレイ・リマ(ブラジル)2:12:11

4位 ジョン・ブラウン(イギリス)2:12:26
5位 油谷 繁(中国電力)2:13:11
6位 諏訪利成(日清食品)2:13:24
7位 エリック・ワイナイナ(ケニア)2:13:30
8位 アルベルト・チャイカ(ポルトガル)2:14:17
9位 アルべリコ・ディセッコ(イタリア)2:14:34
10位 ポール・テルガト(ケニア)2:14:45
42位 国近友昭(エスビー食品)2:21:13

バルディーニは88年ソウル五輪、ボルディン以来イタリアに2個目の金メダル
獲得。
ケフェレツィギは76年モントリオール五輪、ショーター以来のアメリカ勢
メダル獲得。

ワイナイナは、君原、リスモン以来3人目の3大会連続ヒト桁順位。
史上初の3大会入賞(2位、3位、7位)

878ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 08:36
オリンピック歴代10傑

1、2:09:21 カルロス・ロペス(ポルトガル)84年ロサンゼルス1位
2、2:09:55 ワルデマル・チェルピンスキー(東ドイツ)76年モントリオール1位
3、2:09:56 ジョン・トレーシー(アイルランド)84年ロサンゼルス2位
4、2:09:58 チャーリー・スペディング(イギリス)84年ロサンゼルス3位
5、2:10:11 ゲセハン・アベラ(エチオピア)00年シドニー1位
6、2:10:31 エリック・ワイナイナ(ケニア)00年シドニー2位
7、2:10:32 ジェリンド・ボルディン(イタリア)88年ソウル1位
8、2:10:46 フランク・ショーター(アメリカ)76年モントリオール2位
9、2:10:47 ダグラス・ワキウリ(ケニア)88年ソウル2位
10、2:10:55 宗猛(日本)84年ロサンゼルス4位
10、2:10:55ステェファノ・バルディーニ(イタリア)04年アテネ1位
879ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 08:49
04年アテネ五輪出場者10傑の結果

1、2:04:55テルカド(ケニア)−10位2:14:45
2、2:06:33タイス(南アフリカ)−16位2:16:08
3、2:06:48トリス(フランス)−68位2:29:07
4、2:07:02ガリブ(モロッコ)−11位2:15:12
5、2:07:06シスター(南アフリカ)−途中棄権
6、2:07:19エスピノサ(メキシコ)−69位2:29:43
7、2:07:20李鳳柱(韓国)−14位2:15:33
8、2:07:29バルディーニ(イタリア)ー1位2:10:55
9、2:07:27レイ(スペイン)−58位2:24:54
10、2:07:34ペーニャ(スペイン)ー18位2:16:38
880ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 09:04
なんだかんだで5年後のベケレが一番強い。
881ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 09:05
日本男子マラソン 五輪10傑

1、2:10:55 宗猛(旭化成)84年ロサンゼルス4位
2、2:11:05 中山竹通(ダイエー) 88年ソウル4位
3、2:13:11 油谷繁(中国電力) 04年アテネ5位
4、2:13:24 諏訪利成(日清食品)04年アテネ6位
5、2:13:41 瀬古利彦(エスビー食品)88年ソウル9位
6、2:13:45 森下広一(旭化成)92年バルセロナ2位
7、2:14:02 中山竹通(ダイエー)92年バルセロナ4位
8、2;14;13 瀬古利彦(エスビー食品)84年ロサンゼルス14位
9、2:14:38 宗茂(旭化成)84年ロサンゼルス17位
10、2:14:42 谷口浩美(旭化成)92年バルセロナ8位
882ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 09:09
今回の五輪はアメリカ、イギリス、日本、イタリアのマラソン伝統国が久しぶりに
入賞に揃って顔を揃えた。
前評判の高かったスペイン勢が大惨敗したのも目を引くな。
883ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 10:45
バルセロナ銀の森下って外国選手みたいな扱いじゃないか。今でも有名なのは
瀬古、宗、中山。
884ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 11:00
森下は「エース」「第一人者」としてマラソンレースを走っていない。
常に日本選手の2番手ぐらいの位置づけでレースに臨んだ。
「さあ、これから森下時代!」というところでの故障だった。   
885ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 11:36
日本男子マラソン 五輪歴代入賞者(日本国籍含む)

1928年アムステルダム
4位 山田兼松2.35.29
6位 津田晴一郎2.36.20

1932年ロサンゼルス
5位 津田晴一郎2.35.42
6位 金恩培2.37.28

1936年ベルリン
1位 孫基禎2.29.19.2
3位 南昇龍2.31.42.0

1956年メルボルン
5位 川島義明2.29.19

1964年東京
3位 円谷幸吉2.16.22.8

1968年メキシコ
2位 君原健二2.23.31.0

1972年ミュンヘン
5位 君原健二2.16.27.0

1984年ロサンゼルス
4位 宗猛2.10.55

1988年ソウル
4位 中山竹通2.11.05

1992年バルセロナ
2位 森下広一2.13.45
4位 中山竹通2.14.02
8位 谷口浩美2.14.42

2004年アテネ
5位 油谷繁2.13.11
6位 諏訪利成2.13.24
886ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 11:41
延べ入賞回数(アムステルダムーアテネ)

1位=1回
2位=2回
3位=2回
4位=4回
5位=4回
6位=3回
7位=0回
8位=1回

合計17回(14人)
なかなかいいレースでしたので、自分なりに感想を書いてみたいと思います。
@バルディーニ⇒
他の有力者が全て潰れたので、順当勝ちと言えるだろう。歴代の男子マラソンメダリスト
は貧しい環境の出身者が多いが、珍しく富裕層出身の金メダリストになった。
Aケフレジギ⇒
国内選考会は2位だったが、モントリオール以降、一人も8位以内に入っていなかった米国
勢が久々に復活した。米国は12分代の選手一人しか派遣できなかったシドニーを底に徐々
に復活しつつある。注目すべきは、彼が米国長距離では珍しい非白人のランナーだという
事。彼らがマラソンに進出してくれば、米国が復活するかもしれない。
Bデリマ⇒
昨年の福岡に出たときには「とっくに峠を超えているのに何故今更?」と思ったがとんだ
失礼。南米勢のメダルは52年ヘルシンキ銀のゴルノ以来。
Cブラウン⇒
4位だったシドニー以来、まともな成績を残していなかったのでこれは意外な結果。ちな
みに、ケフレジギとブラウンはそれぞれ、米英の1万Mの記録保持者でもある。
D油谷⇒
見事な結果だが、3度の5位は「急なペースアップで置いていかれ、粘りで徐々に追いかけ
るがメダルには届かず」という展開が続いているのも確か。スピードに劣るランナーの限
界を示した。とはいえ、すぐ壊れる日本人ランナーが多い中、異彩を放っている。
E諏訪⇒
現時点の力で6位は最高に近いリザルト。でも、ゴール後にあんなに元気じゃあかんやろ・・・
まあ、いい人なんだろうね。
Fワイナイナ⇒
峠を過ぎた感があるが、ケニアが彼を選んだのは正解。一度世陸で金を狙ってほしい。
Iテルガト⇒
全般に消極的だった。力が落ちないうちに、日本でも見たいランナーだが・・・
スペイン勢⇒
今回は全般的にスペインのランナーは肉が落ちすぎているように感じた。調整失敗か?
変な客⇒
どうせやるなら、ラドクリフあたりに抱き付けばいいのに馬鹿な奴だ。とはいえ、この
アクシデントが無くともバルディーニの金は変わらなかったと思われる。今大会、客の
行為がメダルを左右したのは飛び込みに次いで2度目。
888ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 12:55
大会当時に世界最高記録を持って五輪を制覇したのは
1936年ベルリン五輪、孫基禎まで溯らなければいけない。
近年ヒートリー、クレイトン、サラザール(後日抹消)などが
金メダルに届かず。そして今回、テルガドも入賞すらできなかった。
女子でも84年ロス五輪、ベノイト以来いない。

889ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/30 18:24
世界最高記録
>>878
こうしてみると五輪のサブテンっていまだに4人しかいないってのは
凄いな。そのうち3人がロスだし。
今後昔の東京みたいに秋に開催するとか、モスクワみたいな冷涼な
場所でやらない限り、「記録的には期待できないサバイバルレース」
という傾向が続くんだろうなぁ。

してみると戦後唯一、オリンピックで世界最高(それも連続)を
作ったアベベは今更ながら偉大なランナーだと思わずにはいられない。

戦後の「レース前世界最高ホルダー」の中では、ヒートリーが最高の
成績ということか。
>890
ロスは酷暑ではあったが起伏のあるコースじゃなかったから
タイムに関する限り的はあpダウン>暑さ って事になる?
892ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 02:06
日本男子マラソン 五輪成績(入賞以外ー日本国籍含む)

1912年ストックホルム
(金栗四三ー途中棄権)

1920年アントワープ
(金栗四三ー(16位)2時間48分45秒4 )
(茂木善作ー(20位)2時間51分09秒4 )
(八島健三ー(21位)2時間57分20秒0 )
(三浦弥平ー(24位)2時間59分37秒0 )

1924年パリ
(金栗四三ー途中棄権)
(田代菊之助ー途中棄権)
(三浦弥平ー途中棄権)

1928年アムステルダム(山田4位、津田6位)
(永谷寿一ー(48位)3時間03分34秒)

1932年ロサンゼルス(津田5位、金6位)
(権泰夏ー(7位)2時間42分52秒 )

1936年ベルリン(孫1位、南3位)
(塩飽玉男ー途中棄権)

1952年ヘルシンキ
(西田勝男ー(25位)2時間36分19秒0 )
(山田敬蔵ー(26位)2時間38分11秒2 )
(内川義高ー途中棄権)

1956年メルボルン(川島5位)
(浜村秀雄ー(16位)2時間40分53秒 )
(広島庫夫ー(33位)3時間04分18秒 )

1960年ローマ
(広島庫夫ー(31位)2時間29分40秒0 )
(渡辺和己ー(32位)2時間29分45秒0 )
(貞永信義ー(46位)2時間35分11秒2 )

1964年東京(円谷3位)
(君原健二ー(8位)2時間19分49秒0 )
(寺沢徹ー(15位)2時間23分09秒0 )
ロス五輪ってあの暑い中やって
4位でも2時間10分台だったのか
894ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 02:23
1968年メキシコシティー(君原2位)
(宇佐美彰朗ー(9位)2時間28分06秒2 )
(佐々木精一郎ー途中棄権)

1972年ミュンヘン(君原5位)
(宇佐美彰朗ー(12位)2時間18分58秒0 )
(采谷義秋ー(36位)2時間25分37秒4 )

1976年モントリオール
(宗茂ー(20位)2時間18分26秒0 )
(水上則安ー(21位)2時間18分44秒2 )
(宇佐美彰朗ー(32位)2時間22分29秒2 )

1984年ロサンゼルス(宗猛4位)
(瀬古利彦ー(14位)2時間14分13秒 )
(宗茂ー(17位)2時間14分38秒 )

1988年ソウル(中山4位)
(瀬古利彦ー(9位)2時間13分41秒 )
(新宅永灯至ー(17位)2時間15分42秒 )

1992年バルセロナ(森下2位、中山4位、谷口8位)

1996年アトランタ
(谷口浩美ー(19位)2時間17分26秒 )
(大家正喜ー(54位)2時間22分13秒 )
(実井謙二郎ー(93位)2時間33分27秒)

2000年シドニー
(川嶋伸次ー(21位)2時間17分21秒 )
(佐藤信之ー(41位)2時間20分52秒 )
(犬伏孝行ー途中棄権)

2004年アテネ(油谷5位、諏訪6位)
(国近友昭ー(42位)2時間21分13秒 )

895ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 11:12
国近なんて死ねよ
中山竹通最強!
897ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 11:31
>>892
初期の頃は案外、途中棄権が多いんですね。
舗装、靴の問題と、海外での気候等の情報もなかったんでしょう。
898ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 12:04
初期の頃は今回のデリマのような事件が続発していただろうね。
国近の顔ってよく見ると瀬古に似てますね
900ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 14:01
はじめて書き込むが、ここはすごいね。

主に頑張っているのは、年期の入ったじいさん達かな。
インターネットマラソン養老院に紛れ込んだかのようだ。

ヌルミとかニッカネンとかにマジで直にあった人なんかいるんじゃないのか?

頑張ってください。あなた方の記憶力、記録が頼りです。

まじ、他のサイトなんか目じゃないね!
901ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 14:14
>>900 ニッカネンてジャンプのチャンピオンで殺人で捕まった人でしょう?
私の知り合いはコーレマイネン。ベルリンの時のサルミネン、アスコラ、
イソホロと村社のデッドヒートは昨日のことのように思い出される。
902ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 14:17
誰か、この問題解る人いませんか?
夏休みの数学の課題なんですが、さっぱり解りません。


以下の式は正しいか誤っているか?
誤っているなら反例を挙げ、正しいなら証明をせよ。
¬(¬a(n)∈2Z∨a(n+1)=a(n)/2)∧(¬a(n)∈2Z+1∨a(n+1)=3a(n)+1)∨(∀x(¬x∈N∨(∃m(m∈N∧(¬a(1)=x∨a(m)=1)))))
903ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 15:19
>>901

 900ですが、素晴らしい!68年も前のことが昨日のようにですか。
 現場にいらしたんですね。今おいくつでしょう?孫さんは最近
 なくなりましたが、ご存じですか?

 民族の祭典はご覧になりましたか?ひょっとしてレニともお知り合い?
 オーエスンスとヒトラーの戦いも間近にご覧になったんでしょうね?

 すごいな〜あ。 
904ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 15:37
>>902 ギャグに決まっておろう。レニは最近死んでしまって悲しい。自己
顕示欲の強い変な女だった。結局死ぬまで自己正当化を続けた。民族の祭典
は勿論見たし、当時の新聞記事でどのように撮影したかもよく読んだ。地面
に穴を掘ったりしてなかなか大変だった。ヒトラーがレニを寵愛していたの
ははっきりわかったな。

当時の新聞はまだ残っている(マジ)が、日本人での一番人気は村社。二番
人気は水泳陣(葉室あたり)か、棒高跳びの西田、大江あたりかな。孫や前畑は
どちらかといえば地味な扱いだった。

スレ違いだな。

しかしイギリスのマラソンの呪いは今回も払拭できなかった。ラドの惨状は
マジでピータースと二重写しになった。ピータースの後も銀をとったヒートレー
や銅のスペンディングはともかく、史上2人目、3人目のサブテンであったヒル
やトンプソン、ロス五輪の直後に世界新を出したスティーブ・ジョーンズは
いずれも結果を出していない。というより最後の2人は参加もできなかったが。
905ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 17:31
906ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 17:50
>>904

900=903ですが、もう少し遊んで欲しかったなあ。ちょっと興ざめた。
なんでヌルミとニッカネンが並列なんだ?
ニッカネンなら直に競技見たヤツたくさんいるし、直に会ったつかサイン貰ったヤシだって
けっこうな数になるべさ。
908ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 18:04
>>906 遊んで欲しかったら、もうちょっと勉強することと、小馬鹿にした
態度をみせないこと。
909ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 20:09
北欧フィンランドで思ったが
ヘルシンキとかスウェーデンのストックホルムとか夏の時期にやるマラソンには
日本のランナーはあまり参加しないな。
五輪とかない年には参加してほしい。   
910ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 20:13
最近は春の海外マラソンの生中継もほとんどやらなくなったし、寂しい。
1990年ごろのTVが懐かしいよ。
911ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 20:16
昔のマラソンランナーのローテーション
福岡→ボストン→五輪が一般的か? 
912ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 21:18
東京で谷口が走った世界陸上の日は
まさに今日の東京みたいに台風一過じゃなかたかなぁ?
カナリ蒸し暑かった記憶がある。
913ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 21:23
世界陸上東京大会は早朝のレースだった。
日本のエースの座が中山から谷口へと移動したレースだった。
914ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 22:40
トラックで結果(世界大会のメダル)を残して、マラソンでも結果を残したランナーと
いうと、トラックで'76モントリオール銀で'84ロスのマラソンで金のロペスぐらいしか
思い浮かばないど素人なんですが、他にそのような例はありますかね。
古い時代は別にして(世界陸上が始まったのが'83でしたっけ)。

教えて君でスマン<(_ _)>ですが、私は1万とマラソンはトラックの100mと400m
に匹敵するような距離適正がかなりの割合であるのではと考えるものです。
特にペースメーカーがつかない五輪の夏のマラソンにおいては。

                    r―-、、
          ,r''^tヽ      〉、::::::::ヽ
          t'L`、f)     ム`''^)ヾj'′
          ヽlヲノー、-、  ,.゙'r'''ニヽ、,
          r'^ヽt,..,j:::゙i ヽ f,..つ'''ヽ、ヽ!
          ゙i、 ヾ._゙)_;::-:'"r-ミ= __):l.l
        =テ`'i,,゙>、 '"_,,.ィ"`′ ノ´!;;;;;;l !
        '"'^´l  ゙i`1234、_ィ'"´:::::l;;;;;;l l
          l7ヽ.!__,,,::-r'V":::::::::l;;;;;;;l l
          lト-r―-一7〜-='''^'''''"ト、
          /oノ;;;;、;;r;;;;l ,:ィニノ//〃7ヽ)
          7"'ヽ、-、;;;人'"/ フrテ/ /r'.,j
         /,:': ,:/   ヽ.`゙''ーr-::、/7l _)
         l.: :/    `ヾ. l:  l`7''"l
         /.:'7′      ヽj.  L〔  ヽ
         /';:f         ヽ、,r'^ヾ、/ヽ.
        i :ノ            ゙tユ、::゙i,ヾ、:::ヽ、
       ,l :/           ゝ=j、::゙l., ヽ::::ヽ
       ,ヒコ            ヽ__jヽ::ゝ、 )-'ヽ
      ノ=fj               /`^/f,,==''゙
     ヽ='              rニノ
916ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 23:00
>>914 世界大会のメダルを取ってマラソンの世界大会で成功した例は最近なさそうですね。
最近のトラックのスピードの向上は目覚ましく、ロード転向には大きな危険を伴う。まして
夏のタフなコースではなかなか結果を出せない。

ザトペック:言うまでもない伝説の長距離王。ロンドンで金1、銀1。ヘルシンキで2冠で臨んだ
 初マラソンで公認世界最高記録を上回る記録で金。
ショーター:ミュンヘン五輪では10000で27'51"4で5位、75年には27'45"9でランキング2位の
 トップランナー。マラソンではミュンヘン金、モントリオール銀。その間不敗。
ビレン:ミュンヘン、モントリオールの5000,10000を全て制覇。モントリオールの
 マラソン5位。
トレーシー(アイルランド): ロペス程実績はなかったが年間ランキングでは常に
 上位にランクされるトップトラックランナー。殆ど経験のないロス五輪マラソン銀。
アントン(スペイン):世界選手権マラソン連覇(97,99).彼は10000のスペイン記録
  保持者でトラックでコンスタントな結果を出していた。フィスも同様。
ケフレツィグ(米):アテネ銀。10000では全米記録(27'13"9)を持つ。アフリカ勢が
  強いためにトップランナーとは言い難い面もあるが、エルトリア出身の彼として
  はマラソンにより適性を見いだしたのであろう。因みに金のバルディーニも
  イタリア記録保持者(27'43"9).

結果から言えば、ある程度の走力は必要条件。今回でも油谷が後半取り残されたのは
スピード不足のため。100と400よりは相関が強い。  
917ゼッケン774さん@ラストコール:04/08/31 23:14
>>916 どうもです
>結果から言えば、ある程度の走力は必要条件。今回でも油谷が後半取り残されたのは
>スピード不足のため。100と400よりは相関が強い。

そうですねぇ・・・しかし中山や瀬古が欧のレースでポン!と出したトラックの記録(特に中山
は前スレで知った)が未だにトップランクで残っているのはなんなんですかねぇ。アフターケ
アーも含めてそれなりに科学的なトレーニングもできる時代だろうに(´・ω・`)
高岡+油谷÷2くらいがちょうどいい、ということなんだろうか?

日本人で、五輪のマラソンとトラック両方に入賞したのはいまだに
円谷一人しかいなかったような……。
集団で来て最後の10キロは余力と1万の実力が参考になるという事か?
高速コースの42.195キロタイムトライアルとはまた違うんだろうね。
920ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 00:01
油谷の1万のベストタイムってどれくらい?
921ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 00:20
>>914
>>916
乙。勉強になったよ。
高岡は(千葉も)年齢的に北京は厳しいから、今回出してあげたかった。
日本からは4、5人エントリーしたらいい、女子も。
922ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 00:42
スレタイとは離れますが、アテネ五輪30km以降のラップ(5km,5km,2.195km)
http://www.athens2004.com/en/AthleticsMen/results?rsc=ATM099101&frag=ATM099101_C73L&btnSubmit=%3E%3E
(↑保存版)
1 ステファノ・バルディニ イタリア 2時間10分55秒
(14:47)(14:12)(6:06)
2 Mebrahtom Keflezighi アメリカ 2時間11分29秒
(14:48)(14:21)(6:30)
3 Vanderlei De Lima ブラジル 2時間12分11秒
(15:06)(15:08)(6:54)
4 Jon Brown イギリス 2時間12分26秒
(15:12)(14:55)(6:30)
5 油谷繁 日本 2時間13分11秒
(15:19)(15:08)(6:54)
6 諏訪利成 日本 2時間13分24秒
(15:34)(15:19)(6:34)
7 エリック・ワイナイナ ケニア 2時間13分30秒
(15:12)(15:22)(7:06)
8 Alberto Chaica ポルトガル 2時間14分17秒
(15:44)(15:34)(6:50)
9 Alberico Di Cecco イタリア 2時間14分34秒
(15:48)(15:21)(6:30)
10 ポール・テルガト ケニア 2時間14分45秒
(14:47)(16:02)(8:06)
・・・
42 國近友昭 日本 2時間21分13秒
(17:17)(17:08)(7:21)
923ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 00:51
>>922
バルディニ(14:47)(14:12)(6:06)
ケフレツィグ(14:48)(14:21)(6:30)
>>916 の10000の記録
バルディニ  イタリア記録保持者(27'43"9).
ケフレツィグ 全米記録(27'13"9)

やっぱ〜り
>結果から言えば、ある程度の走力は必要条件
ですねえ
ばるでぃにの最後信じられないくらい元気だったな。
今までは何?と聞きたいよ。
>>923
メダル取るためには高岡クラスのスピードが必要ってことだね。
こりゃ日本人のメダルは当分ないかも。
926ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 03:21
ところで、次スレどうする?
俺はこのスレすっごい好きなんでまた作ってほしいんだけど。
俺もこのスレ、大好きだ。勉強になる。


油谷の粘りに、スピードがあればってことか。

逆に、いつも30km過ぎで失速するランナーがいたなぁ。
名前忘れちゃったけど。フリーで独立した人。
彼にも油谷の粘りパワーを分けてあげたかった。
928ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 09:32
>>927 早田のことか?
929ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 09:45
皇帝のゲブちゃんはマラソンに転向してうまくいくのだろうか?
930ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 09:54
>>929 いかないと思う。ロンドンを1回走って3位。6分台なのでまあまあという
感じもするが、その後の故障が尾を引いた。トラックでのバネとスプリント
の効いた走りはマラソン向きではない。もっとも山岳レースは暫くないだろう
からフラットな北京に的を絞って序盤からハイペースで走るレースをチーム
メートがお膳立てすれば可能性はある。
>>928
そうそう、早田だ。
最近、聞かないね。引退したのかな?
932ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 13:53
早田俊幸 自己最高記録

3000m 7分53秒22 1991・7・15
5000m 13分30秒11 1997・5・10
10000m 27分53秒12 1995・8・8
ハーフマラソン 1時間00分42秒 1996・1・21
30km 1時間29分28秒 1993・2・28
マラソン 2時間08分07秒 1997・12・7
933ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 13:59
年度別男子世界ランク1位 (1980−1991年は前スレにて既出)

2003 2:04:55 ポール・テルガト (ケニア)
2002 2:05:38 ハリド・ハヌーシ (アメリカ)
2001 2:06:50 ジョゼファト・キプロノ (ケニア)
2000 2:06:36 アントニオ・ピント (ポルトガル)
1999 2:05:42 ハリド・ハヌーシ (モロッコ)
1998 2:06:05 ロナルド・ダコスタ (ブラジル)
1997 2:07:10 ハリド・ハヌーシ (モロッコ)
1996 2:08:25 マルティン・フィス (スペイン)
1995 2:07:02 サミー・レレイ (ケニア)
1994 2:07:15 コスマス・デティ (ケニア)
1993 2:08:51 ディオニシオ・セロン (メキシコ)
1992 2:08:07 デビッド・ツェベ (南アフリカ)
934ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/01 14:01
年度別男子日本ランク1位 (1980年ー1992年は既出)

2003 2:07:52 国近 友昭 (ヱスビー食品)
2002 2:06:16 高岡 寿成 (カネボウ)
2001 2:07:52 油谷 繁 (中国電力)
2000 2:06:51 藤田 敦史 (富士通)
1999 2:06:57 犬伏 孝行 (大塚製薬)
1998 2:08:43 小島 宗幸 (旭化成)
1997 2:08:07 早田 俊幸 (鐘紡)
1996 2:08:50 実井謙二郎 (日清食品)
1995 2:09:33 大家 正喜 (佐川急便)
1994 2:10:19 早田 俊幸 (鐘紡)
1993 2:10:41 川嶋 伸次 (旭化成)
>>887
言いがかりつける気は無いんだけど、ゴール後の余裕=全力を出してない
みたいな考えって安易じゃない?女子マラソン通史の方でも高橋のことを
同じように言っていた方?
ある程度リズム良く走れればゴール後でも、余裕はあると思うんだけど、どう?
ランナーズハイって言葉もあったけど、今は使われてないの?
読んでて面白いレスだっただけに気になりました。気にさわったらごめんなさい。
936935:04/09/01 19:02
付け加えると、諏訪が後半巻き返したのは走りのリズムを取り戻したからだと思うし、
そのリズムの良さと、6位入賞を果たした高揚感がインタビューでのテンションの
高さにつながったかと思ってます。
力を使い切るレースは倒れる寸前はかなり失速してしまう。 
今、テレ朝の報道ステーションにソウル五輪後の中山がでていた。
「常に目指しているものは1位であって、2位ならビリも2位も一緒だ」と
言っていた。
昔はこういうギラギラしたランナーがいた。
最近の男子マラソンがつまらなく感じるのは中山のようなギラギラした
ランナーがいなくなったからかな。   
>>938
俺も見た。あの言葉好きだったんだよな。
当時あのインタビューを会社で仲間と真似っこしたりしてたw
ニコニコして、ケロッとした感じで言ってたし、凄い人だな。
ああいう異端児、出てきて欲しいね。中山最強!
940ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 00:51
中山竹通のアテネ五輪寸評。

「予想どうりのレースだった。リマが仕掛けたが、後続はなぜ牽制し合ったのか。日本勢の対応は遅かった。
あれでは入賞が精一杯。メダルを狙う走りではなかった。
テルガド、ガリブなどのように、外国選手はメダルが獲れないと諦めたら、レースうぃ捨てる事がある。
油谷や諏訪もそういった選手を最後に拾って順位を上げただけだった。
たしかに5キロを14分半で上がる走力も必要だし、アテネのコースを想定した練習をする事も必要だろう。
ただ、日本勢も5番や6番に入る力はあるのだから、それより上にいきたかったら、スピードがどうこうより
も、試合に対する逞しさが必要だ。
日本の選手はメダルや入賞を意識して無難にいこうとしすぎる。今回もただ集団についていっただけ。
前でひっぱったわけでもなく、揺さぶって相手の表情を伺ったわけでもない。こういうレースをしていたら
同じ事の繰り返しだ。
自分がトップクラスの選手だと自覚したら、トラックに出る時もハーフマラソンに出る時も、自分が先頭に
立ったり、ペースを上げ下げしてみたりと、普段のレースから実践的のことを試さないといけない。
リマは金メダルを狙って20キロから思い切って飛び出した。バルディーニも下りで勝負をかけた。
男子の大人数の中で3番以内に入ろうとしたら、失敗を恐れては進歩はない。
世界のトップ選手も勝ったり負けたりを繰り返し、学んでいるのだから。
(ソウル、バルセロナ五輪代表 愛知製鋼監督)


相変わらずの中山節だが、こと五輪に関して、中山自身が攻めの走りができず、
メダルを逸した経験が言わせた言葉でもあるだろう。
941ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 08:37
現世界最高記録保持者
テルカド(ケニア)ラップタイム

5km(15.01)
10km 29.58(14.57)
15km 44.46(14.48)
20km 59.45(14.59)
25km 1.14.43(14.58)
30km 1.29.25(14.42)
35km 1.44.00(14.35)
40km 1.58.38(14.38)
(6.17)
2時間04分55秒
942ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 08:59
ロス五輪男子マラソン金メダリストのカルロス・ロペスもやはり35km以降は5`を14分中盤にスピードアップして逃げ切った。
今回のバルディ二はさらに速い14分前半。
トラックレースも同様に終盤からラストにかけて人並み以上のラストスパートが出来た選手が優勝している。
五輪のような参加選手のレベルが高い位置で拮抗しているレースでは、スピードを切替られる選手が勝利を掴む傾向が高い。
943ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 10:48
久しぶりに拝見。
今回のアテネ五輪、2人の入賞という形で終了したが、ここ数回の日本五輪マラソン
の入賞ケースと違う感情があった。
メキシコ以来、ミュンヘン、ロス、ソウル、バルセロナと入賞を重ねてきたが、
ほとんど「残念な、無念な」気持ちが残る入賞が多かった。
ミュンヘン、ロスは、エース宇佐美、瀬古が惨敗。そんな中での君原、宗猛の入賞。
ソウルの中山のメダル逸での入賞。そしてバルセロナ
銀の森下の快走も競り負けてのもの、中山のトラック勝負に
敗れての4位、靴の脱げた谷口の8位と残念さがあった。

今回の油谷、諏訪はまず今の自分達の力が出せたのではないかと思う。
なにせ3大会入賞なしの危機を救った。女子がこのところメダルが当たり前の
現状だったので、評価は上がらなかったが、よく粘れたのではないかな。
944ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 11:00
>>940
中山、何言っているんだ?
二度の五輪と、東京の世界陸上といったビッグゲームではいつも萎縮して期待を裏切ってきたくせに。
相変わらず人間性の低さを表しているよ。
945ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 11:19
児玉と中山の時って世界ランク1位だったね
946ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 12:03
瀬古や中山は日本を背負って五輪に出場した。
今回の五輪男子代表なんて誰が出場したなんて一般人はほとんど知らんだろ。
一般のファンは正直だよ。
世界と勝負するランナーが見たいのだ。
油谷と諏訪には世界を相手に勝ちに行くレースをこれからしてもらいたい。
見せ場のひとつもつくれないようなランナーには一般のファンは魅力を感じない。      
947ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 12:18
そうだよね。中山さんはオレもファンだったけど、五輪でメダル取れなかった
んだからあまり偉そうなことは言えないよね。でも今でもすごいと思ってるよ。
中山氏。
948ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 12:39
中山の言うことは的を得ているよ。ズバズバ言うのがいないとダメだ。
マスコミ、メディアで「感動をありがとう」なんていうのを聞くと
頭がクラクラして体が具合悪くなる。まあ、男子マラソンでは日本選手には
感動はしなかったが・・
男子マラソンには凄さを自分自身では求めている。
日本の男子マラソンが面白くないのは凄いランナーがいなくなったからかな?                 
全くだな。
いつの間にか女子マラソンの華ってのが日本の代表に置き換えられちまった。
俺も中山が他の陸連連中と同じ様に、優等生的な発言してたら
ファンじゃなくなるなぁ。
>>935-936
確かにそうですね・・・・・
最近、ゴール後に倒れこむランナーって少なくなりましたね。
951ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 14:50
アテネ五輪 男子マラソン優勝
バルディーニ(イタリア) ラップタイム

5km(15.58)
10km 31.56(15.58)
15km 48.18(16.22)
20km 1.03.55(15.37)
25km 1.20.08(16.13)
30km 1.35.50(15.42)
35km 1.50.37(14.47)
40km 2.04.49(14.12)
(6.06) 2時間10分55秒

同マラソン 5位 油谷繁 ラップタイム

5km(16.02)
10km 31.57(15.55)
15km 48.19(16.22)
20km 1.03.56(15.37)
25km 1.20.11(16.15)
30km 1.35.50(15.39)
35km 1.51.09(15.19)
40km 2.06.17(15.08)
(6.54) 2時間13分11秒
952ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/02 14:56
このスレおもしろいね。
記憶力と時代、選手の話題、データが物凄く広い。
そして前スレのPART1(?)も勉強になるね。
弱い時代の男子マラソンしか知らないので、
世界と勝負してた頃が信じられないです。
皆さん、わかりやすく書いてくれてありがとうございます。
>>948
>日本の男子マラソンが面白くないのは凄いランナーがいなくなったからかな?

レースを作れるランナーがいなくなったことだな。

瀬古の王者の風格や余裕さえ漂うようなカリスマ的強さ、
中山の破滅的かつ破天荒な先行逃げ切りの速さ、
二人で先行や追い込みなどいろいろな策を駆使した宗兄弟の安定感、
ゴールするまでがレースだと実感させた谷口浩美、
いつもレースにいる上に安定して上位に顔を出してた伊藤国光、喜多、工藤、須永、
のるかそるかの森下広一、新宅、
全てが懐かしいというか。

瀬古や中山の時はTVで見てて我慢できずに城内交差点(平和台陸上競技場の登り口)まで見に行ったもんだが
その頃の福岡とか東京はあつかったな
954953:04/09/02 18:14
>>953
自己レスだが、福岡での藤田は「よくて中山だめでも森下広一」という感じがして今後に非常に期待してた。
怪我が悔やまれるな。
藤原は世界陸上の棄権がマイナス評価だが今後に期待だ。
あとアテネでは残念な結果だったが、都道府県対抗駅伝のアンカーで快走して以来、国近は気にいってる。
S&B移籍は今のところどちらかというと吉って感じだが。
>>954
藤田の評価は次のレース(あればだけど)まで待ってあげても良いんじゃない?
諏訪と同期でまだ若いはずだし。
956ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/03 13:49
藤田敦史(富士通)
2000年 福岡国際マラソン優勝 ラップタイム

5km:14:54
10km:29:58(15:05)
15km:45:05(15:07)
20km:1:00:06(15:01)
25km:1:15:23(15:17)
30km:1:30:37(15:16)
35km:1:45:44(15:07)
40km:2:00:26(14:42)
〜2.195km:6:25
ゴール:2:06:51(当時 日本最高記録)
957ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/03 14:29
高岡寿成(カネボウ)トラックベスト記録

1,500m 3.40.20 99年
3,000m 7.41.87 99年 セビリアグランプリ セビリア
5,000m 13.13.40 99年 ナイト・オブ・アスレチクス ヘクテル
10,000m 27.35.09 01年 カーディナル招待 スタンフォード


高岡の10000mベストパフォーマンス10

1 27分35秒09 2001年・バロアルト・カージナル招待6位
2 27分40秒44 2000年・シドニー五輪決勝7位
3 27分49秒89 1996年・大阪・日本選手権1位
4 27分50秒08 1998年・ヴィルヌー・ヴィルヌーブタスク7位
5 27分53秒03 1997年・オスロ・ビスレットゲーム7位
6 27分53秒37 1999年・ヘンゲロ国際9位
7 27分58秒01 1999年・ストックホルム・DNガラン5位
8 27分59秒72 1994年・兵庫・兵庫リレー1位
9 27分59秒95 2000年・シドニー五輪(予選)5位
10 28分00秒90 2004年・北海道・ディスタンスチャレンジ2位

2002年 シカゴマラソン
3位 ラップタイム

5km:14:54
10km:29:40(14:46)
15km:44:22(14:42)
20km:59:10(14:48)
25km:1:14:03(14:53)
30km:1:28:56(14:53)
35km:1:43:45(14:49)
40km:1:59:16(15:31)
2.195km(7:00)
2時間06分16秒 (現 日本最高記録)
958ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/03 16:19
高岡はビックレースでの優勝がほしいよね。
959遅レス:04/09/04 18:47
>>920
>>920
28分13秒76

ちなみに
5000m:13分39秒38
マラソン:2時間7分52秒
960ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/04 19:22
瀬古を持った事のある日本のマラソンファンは勝負処で遅れる
ランナーは評価しません
油谷も諏訪もまったくつまらん

油も判で押したようにズルズル下がってるんじゃないよ 馬鹿
また五着かよ、ってそうとうなナルシストだな
961ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/04 21:01
テレビで見ていても今のランナーは存在感がない。最初から優勝じゃなくて
入賞狙いなんていうランナーは見るに値しないよ。
日本の男子はいつからこんな消極的になっちまったのかな?
ワクワクさせてもらいたいよ。    
中山利通のクローンキボンヌ
963ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/04 22:02
中山は「走る広告塔」といわれダイエーのオレンジのユニフォームを着て
東京、福岡と走った。
佐久長聖高校の両角速監督もかつてダイエーに所属していてダイエーの
ランニングの真似をして佐久長聖のユニフォームをオレンジ色にした。
瀬古もSBの赤いユニフォームを着て福岡を走った。
その瀬古を見た新庄少年は赤いランニングを着て走ったとか。その影響で
リストバンドは赤いのかもしれない。
              
964ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/04 22:11
>その影響で リストバンドは赤いのかもしれない。

そうだね。
郵便ポストが赤いのも瀬古の影響なんだろうね。
「5着は飽きました」

自分で油を売ったくせに... 引退宣言かと思った。
966ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/06 09:39
>>963 ユニフォームというかロス五輪の時の瀬古の白い帽子を見て
「いつもと違う」「異変だ」と感じたのは私だけであろうか。
瀬古の帽子姿はロス五輪以外では見たことは無い。  
>>966
確かに違和感あったよなー
あまり背の高くない瀬古がますます小さく見えたもんな
昨日のEZTVでデリマに突入した男のインタビューが放送された。
「マラソンは世界的に注目度が高く、しかも発祥の地アテネを走っているから狙った」
などと言っていた。
まあ、マラソンが今でも人気競技であるという事は証明されたわけだが・・・・・

次のスレタイは
「【仙内勇】男子マラソン史PART3【弘山勉】」
あたりを希望。
969ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 00:40
次のスレタイどうしましょうかね?
970ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 00:49
次スレタイ
【奇蹟】史上最強 瀬古利彦【滑走する天才】
971ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 00:52
初代スレタイに敬意を表して「もっとも強いランナー」の語を入れてほしい。
972ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 00:53
【脱糞�疾走】史上最強 F�ショーター【私は左足で走る】
973ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 00:57
【瞑想する哲学者】マラソン史上もっとも強いランナー、A�ビキラ【裸足の王者】
974ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 00:57
ではシンプルに 
マラソン史上もっとも強いランナー【マラソン通史3】
としましょうか?
でもスレタイが長いな。    
975ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:05
>>974がいいと思う   
976ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:07
【長距離走者の孤独】マラソン史上もっとも強いランナー【マラソン通史3】
977ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:07
マラソン史上もっとも強いランナー3【マラソン通史】の方が良いのでは?
978ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:08
【君は瀬古利彦を見たか】マラソン史上もっとも強いランナー【マラソン通史3】
979ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:10
【サラザールの翼】マラソン史上もっとも強いランナーその3【マラソン通史】
980ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:14
【人間機関車】マラソン史上もっとも強いランナーは誰だ part3【裸足の王者】
981ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:20
【原爆ボーイ】マラソン史上もっとも強いランナーは誰だ part3【疲れきって走れません】
982ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:22
【心臓破りの丘】マラソン史上もっとも強いランナーは誰だ part3【瀬田の唐橋】
983ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:37
誰かが新スレ立てた!
984ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:43
新スレ マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史3
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1094488524/150   
985ゼッケン774さん@ラストコール:04/09/07 01:49
>>984 新スレじゃなくて次スレじゃろ! でも乙!  
986ゼッケン774さん@ラストコール
次スレ立てたのか