今でも忘れられない、日本の陸上名選手を語ろ!

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387ゼッケン774さん@ラストコール
>>384です。多少記憶違いも有りましたのでもう一度書き込みます。
1974年6月に久留米インターハイの東海地区予選(瑞穂競技場)の女子200bで
24秒3の日本新記録が出ました。出したのは富士見高校の有泉厚子(2年)しか
し、日本記録としては公認されなかった。(当時日本新記録はその年の末にな
って公認される)これには次の理由がある。
@ 当時あまり行われていなかったセックスチェックが行われ、その結果染色
  体の数で女性と認められなかった。
A セックスチェックが行われたのには、鹿児島女子高校から強い要望がださ
  れた。
B 強い要望をだした理由は、1970年(だと思う)のインターハイで優勝した
  同校の石野ますよに対して富士見高校の花崎隆司監督がクレームをつけた
  ため(結果的に石野ますよは優勝者としても名が残っている)これに対す
  る報復措置と思われる。
  
388ゼッケン774さん@ラストコール:04/11/14 19:35:29
>>387続き
有泉厚子はインターハイ欠場。もともと顔の頬骨がでているようで気の
毒だが、女らしい顔立ちではなかったため他からも疑惑の念がされてい
たようだ。
1974年の鹿児島女子高校には短距離に1年の大迫夕起子、2年の森田美智
子と良い選手を揃えていた。大迫夕起子は2年の東京インターハイ、3年
の長野インターハイと100、200で連覇を果たし、また日本選手権でも勝
っている。卒業後は静岡の大昭和製紙で数年間活躍した。森田美智子は
卒業後東京女子体育大学に進学、その後新日鉄(だったと思うが)で数
年競技をしている。
こんなとこで分かりやすいでしょうか?もう30年前のことですので記憶
がかなりあいまいになっています。