「あきらめきれない」高橋悔し涙…小出監督語る
「あきらめきれない」。アテネ五輪の女子マラソン代表選考で、まさかの落選と
なった高橋尚子選手(31)。お茶の間も含め、列島が燃えた賛否の激論も収まり
つつあるが、師匠の小出義雄監督(64)が26日までに、産経新聞の取材に心に
積もった本音を吐露した。「落選会見では涙が出そうになった」「陸連が記録で選ぶ
と言っていたら、名古屋国際で走っていた」。会見では明るく振る舞ったQちゃんの
「悔し涙」の胸の内とは…。
「あの日は、まさか落選するなんて思っていないから」
名古屋国際マラソン翌日に設定された代表選考当日(15日)。佐倉アスリート倶
楽部代表取締役の小出監督は昼ごろから、待機してホテルで祝杯になるであろう
ビールや焼酎を味わっていた。
午後3時。思いもよらない知らせが届いた。
「落選」
同日夕、都内でQちゃんと会見に。苦楽をともにしてきた師弟は、いつもの笑顔を
みせた。
「監督をアテネに連れて行きたかった。(アテネで)走っている姿を想像していた。
後悔していない。今日は悲観の日ではない」というQちゃんに、「泣かせることを言うね」
と、いつもの小出節を連発していた。
だが、Qちゃんの本音は違っていた。
「本当は悔しくて仕方がなかったんだ。でも、まず高橋のことを考えないといけない
と思った。国民栄誉賞をもらい、CMにも出ている。彼女のイメージを傷つけるような
ことをしてはいけないとね」
「2人で会見場に向かうとき、『人の悪口を言っても、決定は変わらないから言わない
でおこう』と話した。Qちゃんを9年間見てきたが、一度も人のことを悪く言ったことが
ないんだよ」
Qちゃんは会見で、気丈にも笑顔を絶やすことはなかった。
「本当は涙を流したかったと思うよ。あの姿がいじらしくてね。会見で一度だけQちゃん
が天井を見上げたでしょう。後で『あのとき涙が出そうになったんで上を向いた』って
言ってたよ」
落選翌日、けろっとした表情で「監督、私走りますから。アテネが最後だと思ってい
たけれど、そんなどころじゃないです」と師匠に伝えた。
「五輪後に引退を考えていたんだな」と思ったが、「また婚期が伸びちゃうな。でも
結婚は50でいい。それまで走らないとね」と冗談で励ました。
会見で「(陸連の)決定に納得」と言ったQちゃんだが、小出監督にはわだかまりが
残った。
「『私は不完全燃焼です。陸連がひと言、記録で選ぶって言っていたら、(名古屋
国際で)走っていたのに。走らないで落ちたので、あきらめきれません』って言ってたよ」
「(終盤で失速した)東京国際の後、Qちゃんは陸連関係者から『もう走らなくていいよ。
アテネの準備をしておくように』といわれたようだ。だから、本人は名古屋に出なかった」
代表決定から2日後、小出監督は、日本陸連の関係者に「腑(ふ)に落ちないことが
2点ある」と言ったという。
「1つは男子は実績、女子は記録と選考基準が違う。2つ目はレース前に女子は記録
で選考すると最初から打ち出しておくべきだとね。記録で選ぶなんて、どう考えても
“高橋おろし”にとれてしまう。後からとってつけたような理屈でね」
ただ、陸連の苦悩にも理解を示す。
「『苦渋の決断だった』と陸連の沢木啓祐強化委員長が言っていたが、選ぶほうも
大変だったと思う。気の毒だ。ただ選考の仕方がまちがっていた。みんなが納得でき
るようにしなければね。あやふやな選考では不満は出る」
代表選考翌々日の夕方、約2時間、2人で次の目標を話し合った。Qちゃんはノート
を持ってきていて、それを見ながら話していたという。
「落選後に寝ながらいろいろと考えたんだろうね。4、5月は全国の市民マラソンとか
に参加する。Qちゃんが『私が持っていないメダルは世界選手権(世界陸上)だけ。
がんばって取ってみようかな』って話していたので、挑戦するかもしれない」
秋にはベルリン、シカゴ、ニューヨークのどこかのマラソンを走るつもりだという。
Qちゃんはまだまだ走り続ける。 [ 2004年3月26日(金)13時0分 ]
ttp://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/takahashi_naoko.html?d=26fuji36005&cat=7&typ=t