【友達の友達は ポルポト派】菅民主党研究第751弾【友達という友達が アルかニダ】

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321日出づる処の名無し
>>296
芥川が日本で一番最初に指摘した事…「菅直人の視察が問題だったのだ」に対しての真実の答えが、やっと出て来た。

「新工程表はデタラメ」週刊朝日7月29日号

福島第一原発 “最高幹部”が語る フクシマの真実 後編 本誌取材班
地下に漏れた汚染水の現実、現場から見た細野原発相の実力、避難区域「100キロ圏内にすべき」、菅首相「早朝視察」の実態

「菅首相「早朝視察」の実態」の章から抜粋します。

現場は事故から4ヵ月たったいまでも、本社の“事なかれ主義”そして官邸のパフオーマンスじみた言動に振り回され続けている。
その矢面に立たされてきたのが、現場で陣頭指揮を執る吉田昌郎所長だ。
震災翌日の3月12日早朝に、菅首相が断行した「現地視察」も、現場にとっては大きな“弊害”だった。
11日、原発事故の状況が刻一刻と深刻化する中、深夜になって菅首相は突然、第一原発の現場を視察すると言いだす。格納容器内の圧力が上限を大きく超え、一刻も早くベント(排気)の必要があるとされていたころだ。
菅首相は「一向にベントをしない現場に活を入れるためだった」などと説明しているが、この視察が結果的に、現場を混乱させることになったという。
    ◇   ◇
 12日早朝(午前7時すぎ)に菅さんがこちら(フクイチ)に乗り込んできたときは、本当に驚きました。確かに事前に「総理が来る」との連絡はありました。
しかし、そんな急に、本当に来るとは思いもしなかった。しかも、ヘリコプターで来て免震棟で会うなり、「何をやっている。ベンドはどうなっている。早くするんだ!」などと怒鳴り散らすのです。
総理にそこまで言われると、さすがに皆、引いてましたね。吉田所長は、「とにかく、どんなことをしてでもやります。決死の作業で、命かけてでも絶対に何とかします」と答えてました。
1号機が水素爆発を起こしたのは、ベンドが遅れたせいだと指摘されていますが、現場としては、近隣住民のことが気になっていました。
ベンドをすれば放射能がまき散らされる。近隣住民の避難状況はどうなのか、放出される範囲は広範囲にわたるので、現場としては、かなり深刻に考えていました。
それに、自動でベントを開閉する装置がダメになっていたため、手動で動かさなくてはならない状況だった。当時、1号機のリアクター(原子炉)建屋はかなりの放射線量が予想されていました。そんな危険な場所に誰を行かせるのか。本当に決死の作業なのです。

もうフクイチで死んでゆくのか

この「早朝視察」について、吉田所長は周囲に、無念そうにこう言ったという。
「言い訳になるかもしれないけど、菅総理がフクイチの現場に来たことで、そちらにばかり目がいってしまい、2時間ほど『ベント』などの指示が出せなかった。当時は、すべて私が指示して動いていた。それが止まったことで、周りも動けなくなってしまった」
 東電が6月に公表した報告書によると、吉田所長がベントの準備を指示したのが12日午前0時6分のこと。そして東電が、ベント実施を菅首相、海江田万里経産相、そして原子力安全・保安院に申し入れ、了承される。
ところが、午前2時24分には、現場の放射線量から作業可能時間は17分と報告され、午前4時半ごろには、余震による津波の可能性から現場操作の禁止が指示された。ベントに向けた状況が、いかに困難だったかがわかる。

…後はいずれ。