【アレが総理で】菅民主党研究第734弾【総理がアレで】

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365早○田の食客 ◆3zWaseda2A
>>361
■「政治主導」を捨てた男
菅は違う。実績と呼べるものが1つもないこともそうだが、菅は近年、まれにみるダメージを日本にもたらしている。
それは、震災復興と原発事故への対応で失敗を積み重ねてきたことや、レームダック化しても居座り続けて国会審議を滞らせていることだけではない。

原発対応や居座りに批判が集中しているが、むしろその最大の罪は09年の歴史的な政権交代の意義を台無しにし、
日本政治の時計の針を巻き戻し、政治不信をこれまで以上に高めてしまったことである。

実際に十分な政権担当能力があったかどうかは別にして、少なくとも政権交代当時の民主党が標榜したのは、
官僚支配に代わって政治主導で改革を進め党利党略による政局よりもマニフェストを土台とした政策論争による二大政党制を築き、
密室政治に代わってオープンで熟議する民主主義を定着させることだった。

長年の自民党政治に限界を感じ、民主党の可能性に懸けた有権者の思いが、09年の政権交代の原動力になった。
しかし菅が首相を務めたこの1年で、こうした理想は見る影もなくなってしまった。

03年に日本に初めて国政レベルでマニフェストを導入したのは菅だ。以前から「公約」は存在したが、
小泉純一郎元首相が国債発行額の上限を巡って「この程度の約束を守れなくても大したことではない」と開き直ったように、あまり重くみられていなかった。
それに対して、マニフェストは政策を実現するための手順や財源を明記した工程表であり、後にどの政策がどこまで実現できたかを示せるもの、という触れ込みだった。
本人がどれだけの信念を持って導入したのかは別として、菅が政策論争をこの国に少しでも根付かせたことに一役買ったのは事実だろう。

ただ、立役者である、菅自身が自らの手でマニフェストを詐欺の代名詞に変えてしまった。
09年に政権交代した時の民主党のマニフェストが実現可能だったかは疑わしいが、
それでも鳩山由紀夫前首相は少なくとも、国民から選ばれた以上は実現に向けて努力する姿勢を示していた。

しかし菅は「5%維持」が政権交代時の約束だった消費税について、昨年の参院選を前に自民党案を利用する形で突然10%を持ち出し、子ども手当も半減させる形で修正した。
震災による財源不足を補うためにというならまだ話は分かるが、いずれも震災前の決断だ。その流れのまま、現在は野党の要求をのむ形で見直しが進められている。
それは震災以前からマニフェストをなし崩し的に骨抜きにする構えだったと言われても仕方が無い。

「政治主導」という言葉もすっかり聞こえて無くなった。
政権交代直後、菅は霞が関の官僚を「成績が良かっただけで大ばか」とこき下ろしたが、
昨年首相になった途端、「官僚の皆さんこそが政策やいろんな課題に長年取り組んできたプロフェッショナル」とあっさり前言を翻した。(続く)