6・25に崩壊した漆谷‘護国の橋’…人材? 【聯合ニュース 東亜日報】
http://news.donga.com/Society/New/3/03/20110625/38305748/1 浚渫過程で補強しなかった橋脚が崩壊…施工者"岸辺にあって除外"
http://news.donga.com/IMAGE/2011/06/25/38306288.1.jpg 崩れた護国の橋。25日明け方に一部区間が崩れた慶北(キョンブク)漆谷郡(チルゴクグン)倭館邑(ウェグァンウプ)と
若木面(ヤンモクミョン)をつなぐ'護国の橋'(ナクトン工夫倭館(ウェグァン)鉄橋)。左が崩れる前、右が25日明け方に
崩れた姿。
国土海洋部が4大河川振興事業の一環として、洛東江(ナクトンガン)底を浚渫して橋梁基礎を補強しながら、慶北
漆谷郡の'護国の橋'(旧倭館鉄橋)の一部区間は補強していなかったことが明らかになった。しかも梅雨の雨が降る中で
護国の橋橋脚9本のうち、補強しなかった橋脚が崩れたことで、4大河川事業推進にともなう人災という指摘が出ている。
25日国土海洋部などによれば、国土部は4大河川振興事業を推進するにあたり、昨年末漆谷区間を担当した施工者に
洛東江上の橋脚基礎をコンクリートで補強させた。洛東江浚渫にあたって橋脚周辺も浚渫したことで橋脚の基盤が弱く
なったと判断したためだ。
しかし国土海洋部と建設会社は、'護国の橋'橋脚基盤を補強する際、全体9本の橋脚のうち、若木(ヤンモク)側8番
橋脚と9番橋脚を対象から除外した。二つの橋脚は川の水中ではなく川原にあったので除外したとのことが、施工者と
管理関係者の説明だ。
しかしこの日崩れたのは偶然にも8番橋脚で、この橋脚は増水した川の水中にあった。このため近隣住民は、あらか
じめ橋脚を補修していたならば崩壊を防げたと主張する。特に一部住民は、"これまで雨が降って川の水が増えても
特別な問題がなかった"として、"4大河川事業で川底を掘りおこしたことで、高まった水圧に勝つことができなくて橋が
崩れた"として惜しんでいる。
(1/2) つづきます
>>472 つづきです
これに対して政府関係者は、"正確な事故原因はさらに調べてみてこそ知ることが出来る"と話した。また、6.25韓国
動乱(朝鮮戦争)と縁が深いこの橋が、何故戦争勃発61周年にあたるこの日に崩れたのも妙なことだと、住民たちは
コソコソ言った。
護国の橋は1905年に京釜(キョンブ)線開通に合わせて建設されて、1941年から人道橋に変更され、1950年8月の
朝鮮戦争時には、北朝鮮人民軍の南下を防ごうとした米軍によって一部が爆破された。その後爆破された区間が連結
され人道橋に利用されたが、1979年から通行が統制され、1993年に現在の形態に復旧して歩行者専用道路として利用
されてきた。
2008年、文化財庁から登録文化財と指定されたこの橋は、朝鮮戦争時に爆破された部分だけにアーチ型の欄干がない
状態だ。この橋が戦争が起きて61周年になった日、それも戦争勃発時間に近い午前4時10分頃に崩れたという点で、
多くの住民は惜しんでいる。
(2/2) 以上です
,(V) (V) 、
ミ( ゚w゚)彡 <洗掘だろうなぁ。まだ台風が行っていてないのにこのざまですか
本日の業務をこれで終了させていただきます。支援ありがとうございました。