【立てば鳩山、座れば小沢】菅民主党研究第636弾【歩く姿は菅の様】
とりあえず、ツイッターで小沢支持層の発言をゆっくり眺めながら、小沢支持層の人と電話して面白い話が拾えたので
長文なのですが、書いてみるテスト。
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「小沢さんは加藤六月になったかもしれない」
こう言ってましたね。
若い人は知らないかも知れないので、簡単に説明すると、極東板的に「大都会」と称される岡山の政治家。
最初の内こそロッキード事件関係でえらい言われようをしていたのですが、時の首相中曽根康弘に発掘された後、
税制のプロとして高く評価され、農政にも通じ、その実力は高く評価されていました。
そんな加藤六月が小沢一郎と行動を共にして自民党を出て行った時は非常に残念でした。
そして、時は流れて、1996年、この年から衆議院議員選挙に小選挙区制度が導入されます。
加藤六月の地元、岡山県4区には強敵が居ました。
橋本龍太郎、時の総理大臣です。
しかし、それまでの中選挙区での戦績は2勝2敗。
「もしかしたら、現職の総理大臣を下せるのではないか?」
当時、名前を「新進党」と変えた新政党は、盛り上がりまくってました。
加藤六月にとって、戦うべき最高の舞台だったと言って過言がない。
そして、選挙当日、1996年10月20日、岡山4区に激震が走ります。
比例重複無しで堂々と一騎打ちを挑んできた橋本龍太郎に対して、加藤六月は比例重複を選んでしまったんです。
「加藤さんはどうせ、比例で当選するから」
戦うべき最高の舞台から、自ら降りてしまったんです。
全く選挙になりませんでした。
加藤六月、56,646票に対し、橋本龍太郎、152,595票。