【烈士】土肥隆一スレ

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28日出づる処の名無し
43分も動画見てられない方、誤字脱字、おおまかにまとめた所もありますがほぼしゃべってることを抜き出しました
気になるところがあったら時間を書いておきますのでそこから確認してください

H23/03/10 竹島放棄求める文書に署名した土肥氏の会見
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13832381
1:48〜
えーみなさんこんにちは。遅い時間帯にお集まりいただきまして心からお礼を申し上げます。
これから記者会見に移らせていただきますけども座ってさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
本日はお忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。
昨日から報道されております通り、去る2月27日に韓国へ参りまして、3.1独立宣言のまあ韓国では大変意味のある意味の深い、
そして全国民が自分たちの民族の独立とそして平和とを願う民族として原点に原点として考えてるこの3.1集会がございまして、
そこへ私招かれまして参加を致しました。
その共同宣言を発しようということになりまして、それが問題になったということでございます。
本日これをご説明させていただきたいと思います。
3:16〜
2月27日の日曜日でございますが、私は民主党の国体の許可を得まして、そして3.1集会に参加をさせていただきました。
その際に後でご説明いたしますけども、日韓キリスト教議員連盟、クリスチャンの国会議員が双方におりまして、
日本は7名か8名くらいしかおりませんが、韓国は100名から115名くらいおられましてですね、大変活発な活動をしておられまして、
そういう3.1の集会に双方の議員連盟日韓キリスト教議員連盟も参加したということでございまして、
その際に共同宣言を発しようということになりまして、今回の問題を生じさせたということでございます。
これは全く私はこんなに大騒ぎになるとは思いませんで、これをもちまして心から国民のみなさん、
あるいは関係者のみなさんにお詫びを申し上げたいと思う次第であります。
4:46〜
共同宣言に盛られた中で竹島の領有権の問題に言及しておりまして、
私がその共同宣言の中で竹島に関する文面を十分に精査することなく推移してしまった、その経過は後で申し上げますが、
その結果今日私がこのような記者会見をすることになったわけでございます。
でーまず冒頭きっちりと申し上げておかなければなりませんが、竹島は日本の固有の領土であります。
それは一歩たりとも譲ることのない歴史的にも、これまでの経過からみても日本の固有の領土であることは間違いありません。
私は国土交通委員の時に竹島の周りを海上保安庁の巡視船でぐるーっとまわりました。
29日出づる処の名無し:2011/03/11(金) 01:36:41.25 ID:p9VfhnaP
6:00〜
そしてなるほどこれが竹島か、そしてこれは我が国の領土であるときっちり確認したわけでございます。
したがって今菅内閣が言っております竹島は日本の固有の領土であることについて一つも反論することはない、
同一の一致した意見をもっておることをまず申し上げたいとおもいます。
今回の問題の経過でございますけれども、2月27日にですねこの国体の許可を得てですね日帰りで日曜日でしたが
日帰りでこの3.1独立記念集会に出たわけです。
この招待をしたのは韓国にあるかなり大きな教会ですけども聖エデン教会、聖なるエデン、エデンというのはエデンの園のエデンですね、
の協会の招きでございまして、それに私は日韓キリスト教議員連盟の代表として、そして韓国からも3,4名参加してたと思います。
7:23〜
この日韓キリスト教議員連盟といいますのは任意の団体でございまして、
連盟といってもですね韓国サイド日本サイドそう厳密な組織化をしているわけじゃございませんで、
まあ日本では7,8人いるクリスチャン議員たちと交流をしながらですねこういうことがありましたよという報告をする、
そして相互に一年に一、二度交流を致しまして、そしてクリスチャンの国会議員としての交流をしてまいったわけでございます。
ですから私としては国を背負って国益を背負ってあの行動したというよりはキリスト者として、
あるいは牧師として同時に衆院議員としてということは間違いないわけででございますけれども、
交流を致しておりましてあまり国家を背負った交流したつもりではそういう意識はあまりなかったというのが、
実は今回の問題を引き起こしたんではないかという心配をしております。
8:41〜
なぜ日韓がキリスト教議員連盟をつくらなければならないのかと申しますと、
韓国と日本の問題は私の表現を入れればほとんど解決の道がない
クリスチャンマインドで問題の本質を解決しようと
11年前に日韓キリスト教議員連盟をつくった、会費も取っていない組織化もしていない緩い意見交流の場でございます
で、韓国も今年に入りまして法人化をしたようでございますけれども日本はそういう状況ではございません
本当に大変な日韓関係でございまして、これをどう解決していくかということは非常に重大な問題であるし、課題が大きいのでございます
私はなるべく韓国に参りまして、そして韓国のみなさんの戦後65年の歴史の中でもまだおもーい課題を残してますから、
そういう方々にお会いして、そしてじっくり話を聞いて参りました。

例えば8.15日はだいたい一週間くらいソウルにおりまして、ソウルのいろんな行事を訪ねて参りました。
それからこの3.1はですね、韓国の独立宣言の出発点でございますから、
まあこれは民族挙げて民族意識を高める時でございますから、そういう意味では韓国の近代史の出発点だと言ってもいいわけでございます。
そういう交流の中からでございますね、少しずつ相互理解や今後のあるべき姿にどう立ち向かって行ったらいいのか徐々にわかってくるわけでございます。
30日出づる処の名無し:2011/03/11(金) 01:38:15.45 ID:p9VfhnaP
11:27〜
ですから、私は専ら政治的なアクションというよりは、耳を欹てて一つ一つの戦後の残された課題を聞き取っていくとという仕事をして参ったと思っております。
ですから私は一切の大使館などの政府の世話にもよらないで、自分で単独で行って単独でみなさんと交流して、
一定の成果といいましょうか、一定の共通理解を得つつあるという今日でございます。
12:11〜
そうした矢先にこういう問題が起きたわけでございます。
で私はどうしても皆さんに申し上げなきゃならないのはですね、年齢を申し上げますと1939年生まれでございますから、戦前の生まれでございます。
そしてなんと、ソウル生まれ、昔ケイジョウと言ったんですね。ソウル生まれであります。
父親はなんと朝鮮総督府、まあみなさんお若い方は辞書でも引いてもう一度見てください。朝鮮全土を監督する、いわば植民地政府でございますね。
朝鮮総督府というのは軍人が総督になったんです。海軍と陸軍が交代で総督になりまして、
まあ言ってみれば植民地は軍事政権であったと、軍事政策に基づいて統治されてきたといってもいいのでございます。
その総督府に務めておりましたのがわが父親でして、もう死にました。
ほとんど総督府勤務時代の実情を私に語ってくれませんでした。口を固く閉ざしてですねおりました。
で戦後引き上げてまいりましたが、実は終戦の直前、春ですけども突然万里の長城を超えてですね、
中国東北地方のチャンジャコウという所の旧満鉄病院の薬剤師として就職したわけでございます。
父親は薬剤師でございまして、今のソウル大学の前身でございますソウル薬学専門学校を出て薬剤師になっております。
で私の爺さんも韓国で商売をしておりまして、私三代目の韓国生まれの韓国育ちということになるのでございます。
でチャンジャコウに行って終戦です。そして今度はもう孤児同然のような恰好で子供3人親2人両親とですね日本に引き揚げてきたわけでございます。
で6年間朝鮮のトウダイモン、トンデモンにおりまして、数か月トンデモン小学校の小学生をおくりました。
それでもやっぱりですね、この社会はこれでいいのかな漠たる不安を持っておりました。
例えば交番がございますけれども、その所に警官がいて韓国人の朝鮮人の警官がいてですね、
韓国人の泥棒を捕まえては罰してという姿を見るにつけ、それから学校は全部日本語でございますから、当然のように日本語を使って、
そして同じ1年生の子供がついうっかり朝鮮語を話すとですね、朝鮮人の先生がその子をぶん殴るというような光景も見てきたわけでございます。
15:36〜
そういう複雑な植民地時代の生活を若干経験してるものでございまして、韓国というのは私にとっておも〜い、とても重い課題であります。
本当は韓国に行きたくなかったんです。議員になりましてからもね、韓国に行くまいと思っていましたら、
私の相手方であります朝鮮、クリスチャン議員連盟の代表でありますキムヨンジンが、キムヨンジン議員がやって参りました。
で彼のお父さんは日本に強制連行された、炭鉱に強制連行された父親を持つ人なんですね。
で日本に戦後帰って、日本に日本から戦後韓国に帰ってそして生まれた男でございまして、だからもう日本の憎しみに満ちている議員でありまして、
で私は一方でですね植民地支配のシンボルみたいな生活ですから、そこで二人が出会いまして、
実にギクシャクしながらお互いにこの自分の立場を披瀝し合ってですね、そこで和解をしたんであります。
そして一緒に日韓問題に取り組んでいこうという決意をして11年が経ったわけでございます。