>>546 >何で俺が検索能力のない馬鹿の為に手間をかけなきゃいけないんだよ(笑)
>出したら出したらでどうせ俺は認めないの一点張りだろ。つかお前と議論してね-よ。横槍にいちいちレスしてらんねーんだよ馬鹿(笑)
検索したらこんなのが出てきました!
118 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 12:22:57 ID:WwAYkamW
一次性を持つ史料が一次資料なのであって、一次性の確認が出来ない史料は一次史料にはならない。
なんでこんな当たり前の事が、大虐殺捏造派には理解できないのか。
日記は一次性が確認されればという条件付きで(もちろん日記に限らないのだが)一次資料となる。
その事を曲解して「日記であれば一次性の確認が出来なくても仮名であっても一次資料」などと
強弁する姿は滑稽でみっともない。
通常日記というものは、個人が管理してリアルタイムで公開されないので一次性の確認は極めて困難、
いくらでも捏造や事実と異なる思い込みを記述できる為証拠とすることは極めて難しい。
また、日記の傍証となる公的文書や記録が全く存在しない場合は捏造や事実と異なる思い込みで記述
された可能性が極めて高いと判断せざるを得ないだろう。
ってゆーか、根拠を出せと言えば大虐殺捏造派は日記しか出せないことを見越して言ってるのに
見事に引っ掛かってくれるとはww
案の定、公的記録や公文書は出てこないんだよねえww
126 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 12:59:15 ID:yh8ZwPBv
一次史料であっても 史料批判がなされていないものであれば
史料の価値はない。 つまり肯定派の提出する史料には史料批判が全くなされていない