佐藤説では、日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した【場合のあったこと】が知られる。
とあるように熾烈な戦闘にあった部隊に限定された状況について述べている。
ところが
>>590では、佐藤氏と原氏が(同じ資料を見たうえで)違う見解だといっている。
(違う資料を見て違う見解になるのは当たり前で、そんなアホな主張はいくらなんでもしないだろう)
要するに、原氏が見た戦闘詳報や日記は、熾烈な戦闘にあった部隊に限定されたものと
>>590は主張している。
ところが、原氏の説にはどこにもそんなことは書いていない。
要するに、
>>590のアホアホ脳内妄想がまたしても炸裂したということ(爆笑)
佐藤説の解説
その二は、戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断である。
(便衣兵の摘出処断とは別の話)
同じように戦闘中に捕えられながらも釈放された支那兵が多数いたことを見れば(前出『南京戦史』第五表を参照)、
(ある程度限定された部隊でのみその二の状況が発生)
日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である。
(基本的に日本軍には敵兵を組織的に絶滅させる意図はなく、それが発生した部隊には理由があった)
具体的な 熾烈な戦闘状況を調べてみると(本稿では詳述する余地がない)、
(そういう理由が発生する状況は、熾烈な戦闘にあった部隊がそうであると考えられる)
日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した【場合のあったこと】が知られる。
熾烈な戦闘にあった部隊という限定された状況において、軍事的必要が認められる。