【影の】谷垣自民党研究第16弾【内閣】

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249木道 ◆VEkb2cSbK2
 この話の流れだったら、一応、書いておいた方が良さそうな事。
 
 谷垣総裁の国政デビューは1、983年8月7日、前尾繁三郎、谷垣専一死去に伴う旧京都2区補欠選挙。
 その時、2議席独占を目指して、自民党から立候補させたのは2人
 一人が谷垣偵一、もう一人が野中広務。
 ただ、あの当時の京都は共産党が滅茶苦茶に強かったため、2議席独占は無理じゃね?って意見が、
結構あったんですが、強引に立候補を決めたのは時の、自民党総務局長。
 名前は、小沢一郎。
 おかげで、二人とも、相当に無茶な選挙をする羽目になって、何とか、「期待の新人候補」であるこの
二人が当選したが、その時から小沢一郎との関係が微妙な物になる。

 ちなみに、その時、共産党から立候補していた候補者が「有田光雄」を言って、ガチな共産主義者だった。
どれくらいガチかと言うと、息子の名前にスターリンの名前を付ける位にガチだった。
 で、ヨシフ・スターリンの名前を付けられた、その人物の名前が「有田芳生」と云う名前です。