【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】106次資料

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29日出づる処の名無し
否定派が挙げる即決の軍事裁判を検証してみましょう。
>・ラーベの日記にも軍隊の司法権・行政権の下で銃殺が行われたと記述されている。

ラーベの日記 12月17日
 軍政部の向かいにある防空壕のそばには中国兵の死体が三十体転がっている。きのう、即決の軍事
 裁判によって銃殺されたのだ。日本兵たちは町をかたづけはじめた。山西路広場から軍政部までは
 道はすっかりきれいになっている。死体はいとも無造作に溝に投げこまれた。
 『南京の真実』P124

 先ず説明すべきはラーベの日記は1次史料ではありません。日記は1938年にラーベがドイツに帰国し
た後に加筆されたもので、さらに出版の為に編集までされた2次史料で3等史料です。1996年に出版さ
れました。現在では日記の検証が各所で行われ、数々の矛盾と誤認を指摘されています。また、日本
語訳に誤訳が多い事でも知られています。では「中国兵の死体が三十体転がっている。きのう、即決の
軍事裁判によって銃殺されたのだ。」という箇所のドイツ語原文はどうなっているのでしょうか

 30 Leichen von chinesischen Soldaten, die dort gestern standrechtlich erschossen wurden.

直訳してみます。

 (戒厳令下の)即決裁判により昨日そこで撃たれた支那兵30の死体。

 standrecht+lich(〜の)は厳戒令の;(戒厳令下の)即決裁判による;ですが、この即決裁判には正式
な軍事裁判という意味はありません。司法手続き上の即決裁判ならばschnellverfahren、軍事裁判なら
kriegsgerichtと書く筈です。何よりドイツ語で“(戒厳令下の)即決の軍事裁判”はstandgerichtという単語に
なります。ラーベが書いたのはstandrecht(即決裁判)で、standgericht(即決の軍事裁判)ではありません。
 つまり“即決の軍事裁判”は誤訳であって、ラーベ自身が“即決の軍事裁判”と書いたわけではなったの
です。ラーベは日本大使館及び日本軍と接触していて、軍の情報を得られる立場にあったのに、1938年
以降に加筆されている日記においても“即決の軍事裁判”と書けなかったのです。ラーベはこの銃殺体が
どの様な経緯で撃たれたのか知らなかったし、その後も情報を得られなかったわけです。
 戒厳令下の即決裁判という記述では軍事裁判が在った根拠になりません。兵士による私的裁判でも即
決裁判です。裁判もどきをしていた事が判っただけでは意味がないのです。正式な手続きを経た上での
裁判でない限り違法となります。したがってラーベの日記は軍事裁判が行われていた根拠になりません。