【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】101次資料

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689<:2010/02/16(火) 01:04:50 ID:OFZ3q3Dh
>>684

あ、後チミの"ド級捏造レス"も曝しといて上げるよ♪・・・(・∀・)

 ★237 :日出づる処の名無し:2010/02/10(水) 23:54:24 ID:LsGT1IJo
  南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
  正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
  1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww

>>572
>>573
>>574
>>575

に書いてるからね♪ゆっくり深呼吸して落ち着いてから読んでね♪・・・(・∀・)
690日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:05:34 ID:gJD+9sy4
>>680
>●【細則】は【本則】に付随するものなんだよ♪ば〜〜〜か♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

だからなんだよw 内海の文章のどこに虜取扱規則が出てくんだよ。すり替え馬鹿w
お前がすり替え馬鹿だという事実は変わんねーだよ m9(^Д^)プギャー
691日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:07:23 ID:OinDyVAd
そして栗原証言w

多分17日と思うが、捕虜を舟で揚子江対岸に渡すということで、午前中かかって形だけだが手を縛り、午後大隊全員で護送した。
4列縦隊で出発したが、途中で列を外れて小川の水を飲もうとして射殺された者もいた。丘陵を揚子江側に回りこんでからは道も狭く、4列では歩けなかった。
列の両側に50メートルくらいの間隔で兵が付いた。左側は荒れ地で揚子江の向こうに島(注・草鞋洲、八卦洲ともいう)があり、右側は崖が続き、山頂には
日本軍の姿もあったが、中腹に不審な人影を認めた。2時間くらいかかり、数キロ歩いた辺りで左手の川と道との間にやや低い平地があり、捕虜がすでに
集められていた。周囲には警戒の機関銃が据えられてあり、川には舟も2、3隻見えた。(スケッチ3)
 うす暗くなったころ、突然集団の一角で「××少尉がやられた!」という声があがり、すぐ機関銃の射撃が始まった。銃弾から逃れようとする捕虜たちは中央
に人柱となっては崩れ、なっては崩れ落ちた。その後、火をつけて熱さで動き出す生存者を銃剣でとどめをさし、朝三時ころまでの作業にクタクタに疲れて隊に
帰った。死体は翌日他の隊の兵も加わり、楊柳の枝で引きずって全部川に流した。
 その後20日ころ、揚子江を渡り浦口に行った。
 これは「虐殺」ではなく「戦闘」として行ったもので、その時は「戦友の仇討ち」という気持ちであり、我が方も9名が戦死した。殺したなかに一般人は一人もい
ない。当時日本軍の戦果は私たちの13,500を含めて7万といわれていたが、現在中国で言うような30万、40万という「大虐殺」などとても考えられない。
私たちも真実を言うから、真の日中友好のために、中国側も誇大な非難は止めてもらいたい。
(偕行社『南京戦史』 漢数字を一部算用数字に書き換え)

>「虐殺」ではなく「戦闘」 だそうだw
692<:2010/02/16(火) 01:08:04 ID:OFZ3q3Dh
>>690
この池沼レスは今後も【永久に】曝すからね♪怒らないでね♪ニヤニヤ・・・(・∀・)
  ●池沼中間派の"芳しい脳内世界自己解釈"♪ニヤニヤ・・・(・∀・)
       ↓   ↓   ↓   ↓

 【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】98次資料
 ★665 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 03:56:26 ID:kNvP1uKE
  お前がなw 戦時国際法であるハーグ条約の法規慣例に適合した国内法(具体的には軍令
  及び軍律)に違反しているという肯定派の主張が未だに読み取れない馬鹿だもんなwww

 ★767 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:55:32 ID:wM5LpyPr
  やり直しのヒントを与えてやる。原剛の>しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないと
  するならば軍律会議で処置を決定すべき というはまさしくその通りで・・・

だけどこれが【事実】♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

 【『戦時国際法提要』 信夫淳平氏】
 ■http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_03.html
 【軍律は、憲法上に謂ふ所の法律でも命令でもない】
 【軍律は、住民取締の命令である】
 【軍律は、【【占領地】】行政上必要と認むる事項を己れの裁量にて随時制定する】
 【軍律は、主として占領地の内外【【常人】】、敵国人及び第三国人たる【【住民】】に適用すべきもの】

 【信夫淳平博士の『戦時国際法提要』】
 ■http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_03.html
 【陸軍刑法適用対象は主として『自国人』!】
 【外国人をも管轄することあるも、それは例外で原則ではない】
  外国である所の軍事占領地に於て【【陸海軍刑法】及び【【軍法会議の対象】】と
  為す所のものは主として【【自国の軍人】】【【軍属】】及び【【特定『『常人』』】】
           ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ぷぎゃーーーーm9((^д^))ーーーーーー♪
693日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:08:26 ID:gJD+9sy4
>>685
626の駄文など見る価値ないわw 全て推測で確たる証拠無し。はい論破完了w ( ・ω・)ノジャ-ネ-♪
694日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:09:01 ID:q3wa9DI5
あ〜あ、何も聞こえないニダ叫ぶニダ、そうすりゃ都合の悪いことは聞こえないニダの声闘が始まっちゃいましたよ


だから白丁は・・・
695日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:10:29 ID:Lw7qiVT4
>>690
だからなんだよってwwこんな初歩的な事も知らずに言ってるのかww
いつまでも逃げ回っていないで早く>>670>>675に答えろやクズがwww

690 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:05:34 ID:gJD+9sy4
>>680
>●【細則】は【本則】に付随するものなんだよ♪ば〜〜〜か♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

だからなんだよw 内海の文章のどこに虜取扱規則が出てくんだよ。すり替え馬鹿w
お前がすり替え馬鹿だという事実は変わんねーだよ m9(^Д^)プギャー
696日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:11:34 ID:gJD+9sy4
>>689
やっと俺のレスが出てきたかw お前の主張はこれで合ってんだろw

南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww

ハハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ハライテ-       ゲラゲラ
   ( ´∀`) < 正式な捕虜って何?  ∧_∧       〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______   (´∀` ,,)、      ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),     _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ
697<:2010/02/16(火) 01:11:43 ID:OFZ3q3Dh
>>693
どうしたの?こっちにもレス返したら?♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

くやしい?♪くやしい?♪たった一つの"希望"が"絶望"に変えられてくやしい?♪♪♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

怒ったらダメだよ♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

ぷぎゃーーーーm9((^д^))ーーーーーー♪
698日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:12:21 ID:Lw7qiVT4
あはははwwwwwwwwwwww
腹いてーーーーーーーーーwwwwwwww
お前がしっかり論破しないと何回もコピペされるんだぜ、しっかりしろクズwwww
まあ、反論が無いおかげでだいぶ裁判があったという事については浸透してきたようだがなwwww

693 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:08:26 ID:gJD+9sy4
>>685
626の駄文など見る価値ないわw 全て推測で確たる証拠無し。はい論破完了w ( ・ω・)ノジャ-ネ-♪
699日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:12:46 ID:gJD+9sy4
>>691
ああ、2次史料だから読む価値もないわw 戦後書かれた思い出日記になに求めてんだアホw
700<:2010/02/16(火) 01:13:25 ID:OFZ3q3Dh
>>696

こっちで答えてるよ♪"捏造ドキチガイ君"♪・・・(・∀・)

>>572
>>573
>>574
>>575

に書いてるからね♪ゆっくり深呼吸して読んでね♪・・・(・∀・)
701日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:14:34 ID:Lw7qiVT4
>>696
>やっと俺のレスが出てきたかw お前の主張はこれで合ってんだろw
どのレスをさしてそう解釈したのか抜き出してみなよwwww
できるもんならなwww

しかし、こっちの質問にはいつまでもいつまでも逃げ回る奴だwwww
702日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:15:18 ID:gJD+9sy4
>>698
ぐだぐだ言ってねーで裁判があった証拠出せよ。あると言った方に立証責任が発生するって教えてやったろwww
703<:2010/02/16(火) 01:15:20 ID:OFZ3q3Dh
>>699
捏造ドキチガイ君のレスを曝しアゲ♪♪・・・(・∀・)

 【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】98次資料
 ★765 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:52:39 ID:wM5LpyPr
 >便衣兵や拘束兵を無裁判で処刑する事を【【違法】】とした国際法は存在しないから
 そりゃそうだろ。こっちは国内法により違法と言ってんだからなwww

 ★766 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:54:05 ID:wM5LpyPr
  つ【陸軍刑法】
  さんざん既出だろ。まだ覚えられないのかボケwwww

 ★767 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:55:32 ID:wM5LpyPr
 やり直しのヒントを与えてやる。原剛の>しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないと
 するならば軍律会議で処置を決定すべき というはまさしくその通りで・・・

 ★"池沼中間派"のド級珍論自己解釈★
  "便衣兵や拘束兵は、軍法会議か軍律会議で処置を決めなければ国内法違反である。"


ハハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ハライテ-       ゲラゲラ
   ( ´∀`) < 国内法違反だって?  ∧_∧       〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______   (´∀` ,,)、      ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),     _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ
704日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:15:40 ID:q3wa9DI5
逃げます宣言してからがしつこいのも白丁の特徴(韻を踏みましたw)

>>699 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:12:46 ID:gJD+9sy4
>>691
ああ、2次史料だから読む価値もないわw 戦後書かれた思い出日記になに求めてんだアホw




どこまで墓穴もオケツも広げるんだw
705日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:17:18 ID:Lw7qiVT4
>>702 ほれ、反論してみろwwwできるもんならなwwww
ウンコカスのゴミ野郎には到底無理だと予言しておくよwwww

ま、どうやら裁判はあったようだからいいんだけどね。

・南京戦史に「摘出処断」と記されている。
・ラーベの日記にも即決の軍事裁判が行われた事が記されている。
・一般兵士ではなく、「憲兵」による調査が行われている写真が存在する。
・中支那方面軍法務部が12月14日に到着している。
・日本軍にもちゃんと法務官がいた。
・東京裁判でも「軍法会議にかけて処断したのが誤って虐殺したと伝わったのではないか」と証言されている。
・南京国際委員会の第37号文書第185件にも日本軍の処刑を「合法な処刑」と記載されている。
・憲兵が実際に行動しているのだから、「司法」がかかわっている。
・これだけの根拠が有るにもかかわらず、「裁判がなかった」等と言うのは明らかにオカシイ。
・裁判が無かったという証拠はもちろん根拠すら提示されない。

憲兵 (日本軍)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E5%85%B5_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
憲兵(けんぺい)とは、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し主として軍事警察を掌り兼て行政警察、司法警察を掌る兵科区分の一種。

中支那方面軍軍律審判規則
第九条 軍罰の執行は検察官の指揮に依り憲兵をして之を為さしむ

大虐殺肯定派は「裁判記録が無いから裁判が無かった」等とバカの一つ覚えの様に言っているが、
記録が無かったら、確かに言えることは「有ったのか無かったのかわからない」の筈である。
これがアフォの論理では「裁判記録が無いから裁判が無かった」となるのだから笑える。
ましてや特設軍法会議や軍律裁判では通常裁判記録を取らないのだから、「裁判記録が無いから裁判が無かった」
等と言うのは全くアフォの脳内でしか成立しない事であるのは言うまでも無い。

普通、ある資料が無ければ他の傍証を当たる物だが、大虐殺肯定派がそれを頑なに拒むのは
「傍証をあたれば裁判があった可能性が高いという結論になってしまう」からに他ならない。
706日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:17:23 ID:q3wa9DI5
679 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:57:47 ID:gJD+9sy4
>>670
お前等否定派が裁判記録出せよ。出せなきゃ裁判はなかったでFAだろ馬鹿めw


686 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:02:59 ID:q3wa9DI5
>>679

つまり、被害者の名簿がないと被害者はいなかったとなるんですねわかりますw
707<:2010/02/16(火) 01:17:30 ID:OFZ3q3Dh
>>702

学校に行かなかった捏造ドキチガイ君の"国語力"を曝しアゲ♪♪♪・・・(・∀・)

ガッコウ行ってねーからしょーがないか♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

 ★573 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:50:27 ID:z0buN+61
  ""監督の意味""と""管轄の意味""は全く違います。
 ★637 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 17:28:47 ID:zNIm/O1y
  監督と統括の意味は違う。


ハハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    ハライテ-       ゲラゲラ
   ( ´∀`) < 日本語知らないの?   ∧_∧       〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______    (´∀` ,,)、      ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,,  へ,, へ⊂),     _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ´∀`)つ     (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ
708<:2010/02/16(火) 01:20:06 ID:OFZ3q3Dh
>>702

捏造ドキチガイ君の"勘違いレス"を曝しアゲ♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

なーーーにが"「管理長官」の規則ができたのは昭和16年の俘虜収容所令から"だよ!
糞ウソ吐きが!!!!・・・(笑

 ★471 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 18:50:15 ID:UJ/hzMA1
  B誰が「管理長官」になるのかといえば軍司令官または衛戍司令官だ。この規則ができたのは
   昭和16年の俘虜収容所令から。「管理長官」である軍司令官または衛戍司令官は陸軍大臣が
   統括する。内海愛子著では“陸軍大臣の管理下の捕虜、すなわち軍政が管理する捕虜”と書い
   ているのだからこの著作は昭和16年以降の状況を書いている。


【俘虜収容所管理責任者 = 衛戍司令官 = 管理長官】の制度は【明治時代】から
とっくに存在してるワ!糞ボケ!!!・・・(笑


  【俘虜収容所条例(明治38年勅令第28号)】
  ■http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rm38-28.htm
  第三条 【【俘虜収容所】】ハ所在地【【衛戍司令官】】之ヲ管理シ陸軍大臣ノ監督ニ属ス
709<:2010/02/16(火) 01:21:26 ID:OFZ3q3Dh

このスレは【保存モノ】だな♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

最後にもう一発"捏造ドキチガイ君"を【釣り上げた】レスを曝すか♪ニヤニヤ・・・(・∀・)
710日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:26:55 ID:gJD+9sy4
>>700
>●オイラの見解は、【明治37年の時点でとっくに『管理長官』の制度は存在した】というものだ!
  捏造すんなよ!糞ボケ!・・・(・∀・)

だからそれがなんなんだよw キチガイは要点をまとめる事もできないのかw 管理長官がどうしたってw
明治37年の時点で制度は存在したから何なんだ? そもそもお前の主張はこうだった。

99次252 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 00:28:02 ID:Cum8rl++
捕虜の殺害は殆ど城外だから城内の話されても全然反論になってないんですけど。

このレスに対しお前が

99次255 名前:<[] 投稿日:2010/01/18(月) 00:34:06 ID:4fAqT5LX
 『4. POWの管理の二元性』
 日本軍では、捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取
 扱細則」による「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる。
 すなわち俘虜収容所に責任をもつ陸軍大臣(軍政機関の責任者)は、その管理する収容所にお
 ける事件の責任は負う。
 だが、収容所までの過程での出来事は陸軍大臣の所管ではないということになる。

   ↑    ↑    ↑    ↑    ↑
 『捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取扱細則」による
  「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる。』

こうレスしたんだろが。南京の捕虜は「正式な俘虜」じゃないとお前が言い出してんだよボケ。自分のレスも
覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
711日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:28:24 ID:gJD+9sy4
>>705
全て推測で確たる証拠無し。はい論破完了w ( ・ω・)ノジャ-ネ-♪
712日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:31:27 ID:gJD+9sy4
>>707
実際意味が違うからどうしようもないわなw その程度の反論しかできねーの。くやしーのーくやしーのーm9(^Д^)プギャー

いいから早く俺の宿題やれよw

>ところで、99次760で『明治37年の「俘虜取扱細則」にも「管理長官」という文言が出ていた事が判明!・・・(・∀・)』
>と書いてるが、明治37年の「俘虜取扱細則」の何条に「管理長官」と印刷されてんだ。とっとと挙げてみろよ( ´,_ゝ`)プッ
713<:2010/02/16(火) 01:33:13 ID:OFZ3q3Dh
>>710
だからどうした?南京で捕らえられた拘束兵が"捕虜である"根拠も示せんクセに・・・(笑
自称中間派の"池沼級チン論自己解釈"を【何度でも】曝しアゲ♪♪♪♪・・・(笑笑笑

 【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】98次資料
 ★665 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 03:56:26 ID:kNvP1uKE
  お前がなw 戦時国際法であるハーグ条約の法規慣例に適合した国内法(具体的には軍令
  及び軍律)に違反しているという肯定派の主張が未だに読み取れない馬鹿だもんなwww

 ★767 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:55:32 ID:wM5LpyPr
  やり直しのヒントを与えてやる。原剛の>しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないと
  するならば軍律会議で処置を決定すべき というはまさしくその通りで・・・

その元となったレスがこれ♪・・・(笑

 【統一スレ】南京大虐殺を議論する【その2】
 ★359 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 02:39:43 ID:ko1r2VQ9
  何度も書いてるが陸軍刑法。私の主張は、敵拘束兵に死罰を課す決定ができる機関は
  裁判しかなく、前線部隊が勝手に処刑をしていいものではない。
  ・・・・・・・
  旧仮名遣いでは判らない様なので現代仮名遣いにしてみよう。
   「日本以外の部隊に属し、もしくは従う者、又はこれに捕虜たる者」
  であるから、日本以外の部隊に属し、もしくは従う者が外国人(むしろ殆ど外国人になる)でも
  陸軍刑法を適用できます。

下記陸軍刑法第五条を"勝手に超脳内自己解釈変換"して『従フ者』に便衣兵を含めてた・・・(笑
すごいぞ中間派♪・・・ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪
こんな"イカサマ"をやらないと"中間論"は成立しないワケかよ♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

 ■http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm41-46.htm
 第五条:帝国外ニ在ル部隊ニ属シ若ハ""従フ者""又ハ之ニ俘虜タル者其ノ部隊ノ所在地ニ
      於テ刑法又ハ他ノ法令ノ罪ヲ犯タルトキ亦前条ニ同シ
714日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:34:04 ID:Lw7qiVT4
>>710
>だからそれがなんなんだよw キチガイは要点をまとめる事もできないのかw 管理長官がどうしたってw
カスにはわからないんだろうよwwwwこの↓ウソツキキチガイをおちょくってるんだよwww

 ★471 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 18:50:15 ID:UJ/hzMA1
  B誰が「管理長官」になるのかといえば軍司令官または衛戍司令官だ。この規則ができたのは
   昭和16年の俘虜収容所令から。


>こうレスしたんだろが。南京の捕虜は<<<<<「正式な>>>>>俘虜」じゃないとお前が言い出してんだよボケ。自分のレスも
>覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
いつの間にか「正式な」が出現してるぞwwww
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw

696 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:11:34 ID:gJD+9sy4
>>689
やっと俺のレスが出てきたかw お前の主張はこれで合ってんだろw

南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

さっきまで、単なる何も無い【捕虜】と捏造妄想していたくせにwwwww
715日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:34:25 ID:gJD+9sy4
>>708
>【俘虜収容所管理責任者 = 衛戍司令官 = 管理長官】の制度は【明治時代】から
>とっくに存在してるワ!糞ボケ!!!・・・(笑

それが内海愛子と立川京一の文章に何の関係があるんだよ糞ボケ!m9(^Д^)プギャー
716日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:35:27 ID:OinDyVAd
>>645
で?お前が出してきたのは「日記」と称する、いつ誰が書いたか不明な空想小説モドキしかないわけだがw
さらに大寺隆陣中日記でさえ
>671
>昨夜までに殺した捕リヨは約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居る【そうだ】
と伝聞だということを隠して後半部分を省略した悪質なトリミングw
お前が出してきた日記には『無裁判処刑』である根拠が存在しない。
そして
>661
>戦史叢書

>682
>阿部輝郎著『南京の氷雨』第五中隊長角田栄一中尉(当時)の証言

>691
>栗原証言

防衛庁防衛研修所戦史室の見解や虐殺を実行されたとされる人の『実名証言』では「反抗した捕虜に対する発砲」w

防衛庁の見解や実行者の『実名証言』より、
【いつ誰が書いたか不明で、無裁判処刑という根拠がない空想小説モドキ】
の方が信頼できるとでもw
717<:2010/02/16(火) 01:35:53 ID:OFZ3q3Dh
>>713の続き

"便衣兵"や"敵拘束兵"を"軍律"や"軍法会議"で裁くなんてチン論は存在
しえないぜ♪・・・(・∀・)

 【『戦時国際法提要』 信夫淳平氏】
 ■http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_03.html
 【軍律は、憲法上に謂ふ所の法律でも命令でもない】
 【軍律は、住民取締の命令である】
 【軍律は、【【占領地】】行政上必要と認むる事項を己れの裁量にて随時制定する】
 【軍律は、主として占領地の内外【【常人】】、敵国人及び第三国人たる【【住民】】に適用すべきもの】

 【信夫淳平博士の『戦時国際法提要』】
 ■http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_03.html
 【陸軍刑法適用対象は主として『自国人』!】
 【外国人をも管轄することあるも、それは例外で原則ではない】
  外国である所の軍事占領地に於て【【陸海軍刑法】及び【【軍法会議の対象】】と
  為す所のものは主として【【自国の軍人】】【【軍属】】及び【【特定『『常人』』】】
           ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

・ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪
・ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪
・ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪
718日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:36:01 ID:Lw7qiVT4
>>712
>いいから早く俺の宿題やれよw
おいおい、俺が出した宿題はまだかねこのグズがwwww

670 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:51:00 ID:Lw7qiVT4
>。645
>「宮本省吾(仮名)少尉陣中日記」…1次史料
>「菅野嘉雄(仮名)一等兵陣中メモ」…1次史料
>「大寺隆(実名)陣中日記」…1次史料
では、どうやってこれらの日記の一次性が確認されたのか示してくれ。
大虐殺肯定派の脳内では「一次性が確認できなくても日記なら一次史料」らしいなwwww

>はい、指揮官が投降兵を捕虜として認識し、その後、無裁判で殺してしまった例ですがwww
へえ〜〜〜〜
どこが無裁判を示しているのか抜き出してみなよww
お前の脳内妄想ではダメだぞwwww


675 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:54:21 ID:Lw7qiVT4
>>665
>正式の捕虜収容所に移される前は捕虜じゃないとした論文でも持って来い
へえ〜〜〜〜
だれがそんな主張をしているのかな?そのレスを出してみなよww
お前の脳内妄想ではダメだぞwwww
719日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:37:25 ID:gJD+9sy4
>>713
>だからどうした?南京で捕らえられた拘束兵が"捕虜である"根拠も示せんクセに・・・(笑

指揮官がこんなに捕虜と認識してますがw m9(^Д^)プギャー

第16師団歩兵第33連隊 佐々木倒一少将私記 「捕虜ぞくぞく投降し来り数千に達す」(南京戦史資料集T)
第16師団参謀長 中沢三夫大佐及び佐々木元勝野戦郵便長証言 「馬郡付近の投降捕虜約3〜4千名」(証言による南京戦史)
第16師団長 中島今朝吾中将日記 「約七八千あり尚続々投降し来る」(南京戦史資料集T)
                       「至る処に捕虜を見到底其始末に堪へざる程なり」(南京戦史資料集T)
第6師団歩兵第45連隊第二大隊長 成友藤夫少佐 「下関にて投降兵約5〜6千名の捕虜」(証言による南京戦史)
第13師団歩兵第103旅団(山田支隊) 山田栴二少将日記 「投降兵莫大にして仕末に困る」「一四、七七七名を得たり」(南京戦史資料集U)
                        「捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す 皆殺せとのことなり」(南京戦史資料集U)

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
720日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:38:42 ID:Lw7qiVT4
>>715
>それが内海愛子と立川京一の文章に何の関係があるんだよ糞ボケ!m9(^Д^)プギャー
お前何にも話の流れを理解せずにイチャモンつけてるだけか?
そういった文句は最初にこれを持ち出したカスのウンコキチガイID:zNIm/O1yに言ってくれwwwww

639 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 17:30:18 ID:zNIm/O1y
さらにとどめ。

(2)捕虜収容所
 日本軍に捕獲された捕虜は、まず、捕獲した部隊が属する現地軍の管理下にある臨時の捕虜収容所などの施設に収容され、
そのうち正式の捕虜となり得る者は、陸軍大臣が統括する正式の捕虜収容所に移され、そこに収容される。ここでは、太平洋
戦争中に開設された正式の捕虜収容所について述べる。
 1941年12月23日に俘虜収容所令が発せられると、それに基づいて、まず、本土では善通寺(1942年1月14日)に、占領地域で
は香港(1月7日)と上海(2月1日)に捕虜収容所が開設された。
(中略)
また、本土でも、すでに存在していた複数の臨時の捕虜収容所を統合・再編する形で、大阪(9月23日)、東京(9月25日)、函館
(12月26日)、福岡(12月31日)に正式の捕虜収容所が開設された。さらに、満州の奉天には1942年11月11日に臨時の捕虜
収容所が開設されていたが、翌年1月10月に正式の捕虜収容所に改編された。
(日本の捕虜取扱いの背景と方針 立川京一)

>また、本土でも、すでに存在していた複数の臨時の捕虜収容所を統合・再編する形で

1941年12月23日に俘虜収容所令が発せられる前に存在していた複数の臨時の捕虜収容所は、陸軍大臣が統括する正式の
捕虜収容所ではありませんとさ m9(^Д^)プギャー
721<:2010/02/16(火) 01:40:17 ID:OFZ3q3Dh
>>719

オマエのチン論前レスを曝してやるぜ♪

 ★236 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 23:52:42 ID:LsGT1IJo
  【【俺の主張】】は『南京戦で拘束した支那兵は、指揮官が捕虜と認識すれば捕虜』
  ^^^^^^^^^^^^^^
  ↑    ↑    ↑    ↑
 ●"オマエの主張"なんざしらねーよ♪アホ〜〜〜〜〜♪・・・(笑
  こんな"自己解釈チン論"がどこにあるんだよ?♪・・・(笑
722日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:40:17 ID:q3wa9DI5
>>711

686 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:02:59 ID:q3wa9DI5
>>679

つまり、被害者の名簿がないと被害者はいなかったとなるんですねわかります
723<:2010/02/16(火) 01:44:53 ID:OFZ3q3Dh
>>719

まだ"判ってない"のか?・・・(笑
この"自己解釈チン論"がぶっ壊された以上、オマエには【何の存在価値も無い】んだよ♪・・・(笑
ぷぎゃーーーーm9((^д^))ーーーーーー♪
      ↓   ↓   ↓

 【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】98次資料
 ★665 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 03:56:26 ID:kNvP1uKE
  お前がなw 戦時国際法であるハーグ条約の法規慣例に適合した国内法(具体的には軍令
  及び軍律)に違反しているという肯定派の主張が未だに読み取れない馬鹿だもんなwww

 ★767 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:55:32 ID:wM5LpyPr
  やり直しのヒントを与えてやる。原剛の>しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないと
  するならば軍律会議で処置を決定すべき というはまさしくその通りで・・・


くやしいか?♪・・・(・∀・)
くやしいか?♪・・・(・∀・)
ネトウヨごときに【論破】されたのがくやしいか?♪・・・(・∀・)
ぷぎゃーーーーm9((^д^))ーーーーーー♪
724日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:46:09 ID:gJD+9sy4
>>717
俺のレスじゃなのにどうやって答えりゃいいんだよw お前さっきから見えない敵と戦ってるみたいだが
早く病院行ったほうがいいぜ。治る見込みないから死んだ方がいいかもなw m9(^Д^)プギャー
725日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:49:05 ID:Lw7qiVT4
過去ログを「管理長官」で検索すると一番初めにm9(^Д^)プギャーが出てくるわけだがww

471 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 18:50:15 ID:UJ/hzMA1
>>459>>462
だーかーらー。昭和18年改正の俘虜取扱細則にしか「管理長官」って文言が出てこないんだよ。明治37年版には無い。
明治37年の俘虜取扱細則に出てくる「管理」という文言は1つ、「管理長官」はゼロ。
昭和18年改正の俘虜取扱細則に出てくる「管理」という文言は5つ、その内「管理長官」が3つだ。
誰が「管理長官」になるのかといえば軍司令官または衛戍司令官だ。この規則ができたのは昭和16年の俘虜収容所令から。
「管理長官」である軍司令官または衛戍司令官は陸軍大臣が統括する。内海愛子著では“陸軍大臣の管理下の捕虜、
すなわち軍政が管理する捕虜”と書いているのだからこの著作は昭和16年以降の状況を書いている。

内海愛子のこの著作が、いつの時代の捕虜について書かれたかは他の文章でも判る。そもそもいきなり冒頭で
“太平洋戦争の間に、POW を扱った機関は二つある。一つは、俘虜情報局と陸軍省俘虜管理部である”
と書き出してるじゃねーか。俘虜情報局は1941年(昭和16年)設立、陸軍省俘虜管理部は1942年(昭和17年)設立。
それにURLのタイトル「豪日研究プロジェクト」はオーストラリア戦争記念館と日本大使館の協力プロジェクトだぜ。支那事変は関係ない。
太平洋戦争以降の状況を書いてるのに、否定派が南京戦と関係あるかの如く引用してるから勘違いすんなと指摘してんだよ。

そして俘虜取扱細則に何時から「管理長官」という文言が入ったかというと昭和18年改正から。例えば下記の改訂がそう。

(中略)
                                   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
捕虜の管理と全然関係ねえええええええええええええええええええ。m9(^Д^)プギャー
726日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:49:47 ID:gJD+9sy4
>>720
それは俺のレスだけどw

1941年12月23日に俘虜収容所令が発せられる前に存在していた複数の臨時の捕虜収容所は、陸軍大臣が統括する正式の
捕虜収容所ではありませんとさ m9(^Д^)プギャー

これを踏まえると否定派の論法はこうなるよなw

南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww

ハハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ハライテ-       ゲラゲラ
   ( ´∀`) < 正式な捕虜って何?  ∧_∧       〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______   (´∀` ,,)、      ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),     _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ
727<:2010/02/16(火) 01:50:41 ID:OFZ3q3Dh
>>724

クスクスクス?♪・・・(・∀・)
いいのかよ?そんなレスを書いて♪♪・・・(・∀・)

 ●このレスは"ド級の池沼チン論レス"だよな??♪・・・(・∀・) ※一回目
   ↓    ↓    ↓    ↓
 【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】98次資料
 ★665 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 03:56:26 ID:kNvP1uKE
  お前がなw 戦時国際法であるハーグ条約の法規慣例に適合した国内法(具体的には軍令
  及び軍律)に違反しているという肯定派の主張が未だに読み取れない馬鹿だもんなwww

 ★767 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 20:55:32 ID:wM5LpyPr
  やり直しのヒントを与えてやる。原剛の>しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないと
  するならば軍律会議で処置を決定すべき というはまさしくその通りで・・・
728日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:52:48 ID:Lw7qiVT4
>>726
>これを踏まえると否定派の論法はこうなるよなw

>南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
>正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
>1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww
こんな簡単な日本語すら理解できないとはwwww

こちらの主張 「正式な捕虜」ではない

キチガイの脳内を経由すると

単なる何も無い【捕虜】ですらない
729<:2010/02/16(火) 01:53:04 ID:OFZ3q3Dh
>>726

オイラがどこにそんなレスを書いてるん?♪レスを抜粋してみなよ♪・・・(・∀・)
"捏造でっち上げトリミングキチガイ"・・・(・∀・)
730日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:54:52 ID:Lw7qiVT4
>>728
>南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
>正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
>1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww
いったいどのレスをさしてそう言っているのかきちんと出してもらわないとなwwww
キチガイの脳内妄想でない事を祈るよwwwwww
731日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 02:01:33 ID:gJD+9sy4
>>721
お前の“正式の俘虜収容所に収容されてないから捕虜じゃない論”こそ自己解釈だろーがw 引用してる
原文の“正式な捕虜”はただの軍政の捕虜だからなwww くやしいーのーくやしーのー m9(^Д^)プギャー

因みに俺の論のベースは学説だけどなw

1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の
自由裁量とされていたが、1949年条約はその考え方を根本的に修正し、敵要員を捕獲した瞬間から最終的
にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた。
足立純夫『現代戦争法規論』

オマエの自己解釈なんざ世間で誰も相手にしねーよ♪アホ〜〜〜〜〜♪m9(^Д^)プギャー
732<:2010/02/16(火) 02:02:11 ID:TDapP4L4
>>726

 ★726 :日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:49:47 ID:gJD+9sy4
  南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
  正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
  1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww

      ↑    ↑    ↑    ↑    ↑
【1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから正式な捕虜じゃない】って
言ってるのは、どー見てもオマエの方なんだけどwwwwwwwwwwwwwwwwww

     ●ちなみにこれはチミが書いたレス♪・・・(・∀・)
   ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】99次資料
 ★471 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 18:50:15 ID:UJ/hzMA1
  B誰が「管理長官」になるのかといえば軍司令官または衛戍司令官だ。この規則ができたのは
   昭和16年の俘虜収容所令から。「管理長官」である軍司令官または衛戍司令官は陸軍大臣が
   統括する。内海愛子著では“陸軍大臣の管理下の捕虜、すなわち軍政が管理する捕虜”と書い
   ているのだからこの著作は昭和16年以降の状況を書いている。

 ★639 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 17:30:18 ID:zNIm/O1y
  1941年12月23日に俘虜収容所令が発せられる前に存在していた複数の臨時の捕虜収容所は、
  陸軍大臣が統括する正式の捕虜収容所ではありませんとさ m9(^Д^)プギャー


オマエの方が【言ってる】じゃねーかよ♪wwwwwwwwwwwwwwwwwww
733日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 02:05:51 ID:Lw7qiVT4
>>731
>お前の“正式の俘虜収容所に収容されてないから捕虜じゃない論”こそ自己解釈だろーがw 引用してる
>原文の(>>291参照)“正式な捕虜”はただの軍政の捕虜だからなwww くやしいーのーくやしーのー m9(^Д^)プギャー
これはもう失笑するほか無いなwww
ま、一般の人が>>291を読んでどう判断するかに任せようかwwww

>因みに俺の論のベースは学説だけどなw
>1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていた
いや、それこちらの主張だしwww

>1949年条約はその考え方を根本的に修正し、敵要員を捕獲した瞬間から最終的
>にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた。
お前の主張はこれか。まさか、南京事件は1949年以降だったとか言い出すんじゃないだろうなwwwwww
妄想もたいがいにしろwwww
734日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 02:06:03 ID:gJD+9sy4
>>728
俺の主張は既にこう書いてるだろ。捏造してんじゃねーよボケ。
>236
俺の主張は『南京戦で拘束した支那兵は、指揮官が捕虜と認識すれば捕虜』
足立純夫が、捕獲した敵要員を“いつから”捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量と言ってるように“いつから”かは捕虜
にしなければならない。給養できなきゃ解放するまでだ。佐藤和夫は、捕虜の継続的存在により、死活的な重大危険にさらされる
場合には、学界の通説は、右のような場合には、捕虜は武装解除された後解放されるべきと言っている。
735日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 02:06:25 ID:xK3XoGy8
核心ってどうなった?訴えられでもしたのか?
736日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 02:08:57 ID:gJD+9sy4
>>729
99次252 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 00:28:02 ID:Cum8rl++
捕虜の殺害は殆ど城外だから城内の話されても全然反論になってないんですけど。

このレスに対しお前が

99次255 名前:<[] 投稿日:2010/01/18(月) 00:34:06 ID:4fAqT5LX
 『4. POWの管理の二元性』
 日本軍では、捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取
 扱細則」による「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる。
 すなわち俘虜収容所に責任をもつ陸軍大臣(軍政機関の責任者)は、その管理する収容所にお
 ける事件の責任は負う。
 だが、収容所までの過程での出来事は陸軍大臣の所管ではないということになる。

   ↑    ↑    ↑    ↑    ↑
 『捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取扱細則」による
  「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる。』

南京の捕虜は「正式な俘虜」じゃないとお前が言い出してんだよボケ。

言ってんじゃねーかキチガイ野郎w m9(^Д^)プギャー
737<:2010/02/16(火) 02:09:30 ID:TDapP4L4
>>734

お〜〜〜い♪真性池沼♪♪・・・(笑笑笑

 ★726 :日出づる処の名無し:2010/02/16(火) 01:49:47 ID:gJD+9sy4
  南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
  正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
  1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww

      ↑    ↑    ↑    ↑    ↑
どー見ても上レスの"トンでも自己解釈"を提示したのは"オマエ自身"の方なんだけど・・・wwwwww
"南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵は捕虜ではない"と書いてるのはチミの方なんだけど?wwwwwww

     ●これはチミが書いたレスなんだろ???♪♪・・・(・∀・)
   ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】99次資料
 ★471 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 18:50:15 ID:UJ/hzMA1
  B誰が「管理長官」になるのかといえば軍司令官または衛戍司令官だ。この規則ができたのは
   昭和16年の俘虜収容所令から。「管理長官」である軍司令官または衛戍司令官は陸軍大臣が
   統括する。内海愛子著では“陸軍大臣の管理下の捕虜、すなわち軍政が管理する捕虜”と書い
   ているのだからこの著作は昭和16年以降の状況を書いている。

 ★639 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 17:30:18 ID:zNIm/O1y
  1941年12月23日に俘虜収容所令が発せられる前に存在していた複数の臨時の捕虜収容所は、
  陸軍大臣が統括する正式の捕虜収容所ではありませんとさ m9(^Д^)プギャー


【1941年12月23日以前に設置された複数の臨時の捕虜収容所は、陸軍大臣が統括する正式の捕虜収容所ではない】って
書いてるんだけど♪・・・(笑笑笑
【正式な捕虜収容所】ではないのに、そこに収容されてたシナ兵が【捕虜】だったとする根拠があるの?wwwwww
738日出づる処の名無し
>>734
>俺の主張は既にこう書いてるだろ。捏造してんじゃねーよボケ。
これ↓はお前の文章だろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw
自分のレスも覚えられないんだったら死んだ方がいいぜw

南京で捕らえた支那兵は、1941年12月23日以降に設置された“正式の俘虜収容所”に収容されてないから
正式な捕虜じゃないってよw 南京戦時の臨時俘虜収容所に収容された支那兵はおろか、日露戦争から
1942年1月14日まで捕虜は一人も居なかったんだとさwww



>佐藤和夫は、捕虜の継続的存在により、死活的な重大危険にさらされる
>場合には、学界の通説は、右のような場合には、捕虜は武装解除された後解放されるべきと言っている。
ほーう。ではその根拠を出してもらおうか。
その前に、>>305>>306を声に出して100万回読むことだなwwwwwwwwwww
今日だけでもどれだけ宿題ができた事かwwwww纏めておいてやるからきっちり答えろよwwww