【wktk】韓国経済ワクテカスレ 265won【世界最大の受訴業者】

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62日出づる処の名無し
<西利川物流センター火災から1年"悲しみは、その時のまま">(総合)
聯合ニュース|入力2009.12.02 11:33 |修正2009.12.02 11:35 |
http://media.daum.net/society/view.html?cateid=1010&newsid=20091202113309542&p=yonhap
生後100日余りの娘を残して亡くなったキム・ウンウォン氏の家族'忘れることはできない苦痛'和らげて
1年目民.刑事訴訟中(利川(イチョン)=聯合ニュース)キム・インユ記者=昨年12月5日に京畿道(キョンギド)利川市
(イチョンシ)西利川(ソイチョン)物流センター火災で亡くなった故キム・ウンウォン(当時23才)氏の娘ヘス(仮名)。

ヘスは自分が生まれて100日が経った日に、物流センター勤労者として就職し、火事が起こった冷蔵室で分類作業を
していた父を火魔により失った。

夫を失った悲しみから、嗚咽を堪え切れない妻チェ某(24)氏のふところに抱かれ、何も分からないまま大きな目だけを
パチパチさせる姿で、世の中の人々に憐憫を誘った。

そのようなヘスが去る8月27日に、満1才誕生日のパーティをした。 今は結構大きくなり'パパ、ママ'と微笑みをするヘスは、
相変らずパパが、この世にいない現実を知らない。
そのようなヘスを見て亡くなったウンウォン氏の両親と姉、妻などの家族は消されない悲しみを胸に抱き、とめどなく涙を流した。

西利川物流センター惨事が発生してから、1年を三日後に控えた2日ウンウォン氏の姉(28)は、姪のヘスの話を出し、去る
1年間での家族らが体験した悲しみの時間を伝えた。

ソウルに住むお母さん(53)は、半月前に過労と神経衰弱で倒れ、病院で治療を受けて最近になり退院した。
彼女は、一人息子を失った悲しみに打ち勝とうと、今年から町内のボランティアセンターに出て行って、奉仕活動をする。
特に一週間に1-2回ずつ近隣病院で、重病患者を世話するつらいホスピスでの仕事も躊躇しなかった。

仕事に没頭すれば、息子を忘れることができると思い、一心不乱に働いたが、いくら仕事をして忘れようとしても、母の頭の
中から息子は消えなかった。 むしろ、体と心だけが、さらに衰弱した。

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