アジアの中心地は東京から上海へ

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490日出づる処の名無し
日本の1950年代初頭、既製品の真空管ラジオは高価で
自作がメジャーだった
ナショナル、東芝などが多種多様な真空管を作り豊富に供給、
真空管ソケットやパイロットランプ、バリコンなどの小物を作るメーカーも多く、
アキバはそういった国産自作パーツを売る店で賑わった
(ドル円レートの関係でアメリカ製品を使うことはありえなかった)
大手メーカーが既製品のトランジスタラジオを安価に出すようになった
1960年代中期以後、自作ラジオは下火になった
だが当時自作していた人(小中学生なども多かった)から
日本家電産業の黄金時代を担うエンジニアが生まれて行った

日本の自作PCパーツ市場が縮小中でパーツメーカーはほぼ消滅
これではエレクトロニクスに興味を持つ子供が出てこない
日本の未来は暗いと言わざるをえない
2015年に一人あたりのGNPが韓国に抜かれ、
2020年には台湾に抜かれるという
家電メーカー製PCが幅をきかせているようではいずれそうなる