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煽りしかできない人はレスしないでくださいよ、ホント傷つく・・・
後、大虐殺を日時まで詳しくと言う人は笠原先生の本でもよんどいてください。
安全区職員が20万人=つまり全人口20万人という主張はいかがでしょうか
1、調査の記録がない。そんなに大規模ならスマイス報告の様に文書化されていてもいいはず。
2、彼らの言う二十万人は警察長官の王固盤伝聞と考えられる。
3、安全区のマギー自身が安全区外の住民について述べている、だが王固盤自身も根拠なしの見当である。
「極東軍事裁判」 速記録第49号 (A.検察側立証段階7)
○マギー証人 それは一寸幾らいたかと云ふことは申上兼ねるのでありますが、我々委員会の「メンバー」の委員の推定によりますと、安全地帯には約二十万、或は三十万を超したかも知れませぬ。
城外の安全地帯にはもつともつと沢山居りましたが、何れにしても推定は不可能であります。
〔小野寺モニター 一寸訂正致します。我々委員会で推定した所では、安全地帯に入つたのは少くとも二十万は入つたと思ふ。其の外に安全地帯に来なかつた者がどの位あつたかは到底推定出来ないと思ふ。けれども三十万は最低の見積りであらうと思ふ。
兎に角城外に居つた者、市外に居つた者がどの位居つたかと云ふことは到底推定出来兼ねる〕
(「南京大残虐事件資料集 第2巻」P100)
4、中国側証人の証言に城外の難民キャンプが出てくる
この事実を・・・に出てくる
5、日本側の日記にも城外の住民について述べられている
初年兵の手記 「硝煙の合間にて」 (歩兵第七聯隊第一歩兵砲小隊 N・Y一等兵)
畑にはネギがあったり、部落にはおどおどした土民が自分たちを見ていた。自分達はてんでにネギを取って夜食の汁に入れる事を考へていた。
歩兵第四十五聯隊第二中隊陣中日誌
一、宿営地には二、三○○の避難民ありて、之が取締を厳にし、特に軍紀風紀の維持に勉む。
牧原信夫日記 (歩兵第二十聯隊第三機関銃中隊・上等兵)
漢中門を出た所には五、六百の死体が真黒に焼かれて折重って居た。或は黄い皮が到る所むけ見苦しい状態で散乱して居た。大きな橋を通過し更に進む。
道の到る所には遺棄死体が転って居た。約一里半の所迄前進する。当部落は避難民が多く集って居た(大多数は老人や子供である)。