【wktk】韓国経済ワクテカスレ 184won【2ch運営からの朝鮮状】
586 :
日出づる処の名無し:
▼“店舗保証金のための2000万ウォンの融資が貰えれば再起の希望” (ハンギョレ)
-- [民生ニューディール]金融疏外者にも‘金融’を
-- 上手くいっていたクリーニング屋をIMF後にたたんで
-- 食堂開いて私債(=高利貸し)を使い‘破産’のくびき
金融疏外者720万名。経済活動人口10人中3人にのぼる数値だ。貧乏で彷徨っても銀行からはビタ一文
借りることができない人々だ。多くは高金利私債の沼にはまっていたりする。1997年の通貨危機と2003年の
カードバブル事態で‘経済的死亡宣告’を受けた人々はまだその‘くびき’に苦しんでいる。
‘信用’がすなわち資産である社会において、不況の‘刃’は一番先に彼らに襲い掛かる。信用回復委員会
には最近相談の電話が1日で1200本以上かかって来る。崖っぷちの人々がそれだけ多いという証拠だ。彼ら
を支援して働けるようにすることこそ、政府が持つ有効な危機対処法であると同時に責務でもある。
○ある破産夫婦の‘敗者復活戦’
#2008年12月:一生懸命働いても不安
ソウル論硯洞でクリーニング屋を経営するファン・ソンジン(45)さん夫婦は破産免責者だ。破産の傷は癒えて
いないが、夫婦は毎日‘牛馬のように’働く。ご主人は店に寝泊りしている。奥さんの李さん(41)は朝早く出勤
して夜10時に帰宅する。小学校6年生の息子(12)と幼稚園に通う娘(6)の面倒を見る時間もない。小学生の
お兄ちゃんが妹を幼稚園に送って、終われば連れて帰る。父親のファン氏は“心が痛くても、今度また失敗
すればおしまいと言う覚悟で堪えている”と言った。
大きな失敗を経験したファン氏夫婦は近付く2009年が恐ろしい。不況の余波が自分のような者にどんな速度
で飛びかかるのかひしひしと経験している。“江南の方はまだ堪えられる”と言ったが、苛立つ表情を隠すこと
はできなかった。ファン氏は“熱心に働けば、家賃113万ウォンを払っても生活に大きな問題はない”と言った。
彼を心細くさせるのは店舗保証金だ。賃貸保証金はもともと、このクリーニング屋の経営を諦めてファン氏に
店を譲った李さんの所有だ。契約も彼の名前になっている。彼が賃貸保証金と施設費として投資した3500万
ウォンのうち、(ファン氏は)一部を返済してまだ2500万ウォン残っている。書類上ファン氏は店に対する権利
がない。破産したため大金を持たないファン氏は賃貸保証金の利子として毎月40万ウォン彼に払うが、心の
片隅には‘熱心に働いても、店をいつ奪われるかもしれない’と言う不安感がとぐろを巻いている。“店を任せた
人(=所有者の李さん)が遊びに来て‘商売上手だね’と言うけれど、胸が張り裂けそうで睡眠もまともに取る
事ができない。あちらがまた店を引き受けると言えば、私はまた崩れるしかない…”
(1/4)
しえん
私怨
591 :
日出づる処の名無し:2008/12/20(土) 20:21:04 ID:CRr41XhN
>>586つづき。(ちょっとミクロな個人の話ですが、この10年間の韓国の庶民生活の一端が窺われます)
去年4月に店を譲り受けた後、資金を求めてあちこち走り回った。しかし一度押された‘烙印’は、彼に機会を
与える全ての通路を閉ざした。“賃貸保証金を早く返済して私の店にすれば、これまで以上に働く(=稼ぐ)こと
ができる”と訴えたが、誰もお金を貸してくれる人はいなかった。“私に過ちがないということではありません。
しかし社会が私たちにあまりにも冷たかったんですよ…”
#1996年12月:予告なき不況の沼
1996年12月に結婚した当時も、ファン氏は‘自手成家’というクリーニング屋の社長だった。13歳の時に新聞
配達で社会生活を始めてから20年余り、食堂・工事現場などを走り回りながら一生懸命働いた。結婚前には
仁川市富平に家も買ったし、数年前にソウル蚕室に開いたクリーニング屋の経営も上手くいっていた。
しかしファン氏は“不幸がある日突然後頭部をぶん殴った”と言った。結婚後1年で通貨危機が起こって、
クリーニング屋の売上げが落ち込んだ。彼は店を妻に任せて室内屋台を開いた。商売がぱっとしないため、
通りでかまぼこも売ってみた。これまた頻繁な取り締まりに堪えられず、結局1年余りで3000万ウォン失った。
‘災い’は続いた。2002年頃から店の前の蚕室アパート団地の再建築が決まった。住人がいなくなって店を
閉めざるを得なくなった。自分に出来る事は商売しかないと、借金して年末に松坡区三田洞に焼き肉屋を開いた。
彼は“それが38年の人生を一瞬にしてだめにする選択とは本当に分からなかった”と言った。
#2002年12月:綱渡りの終焉、そして破産
2002年末に食堂を初めて開いた時は結構商売になった。だが翌年クレジットカードバブルが消えて問題が
起きた。お客さんはがたっと減ったし、ファン氏夫婦もカード借金をするしかなかった。“少し堪えればよくなる”
と言って(店の)運営資金に使った。しかし金利が殺人的に走った。カードを使いまわしての自転車操業(=俗に
「大車輪」とも言う)が難しくなると、不法金融業社のお金も使った。ファン氏は“カード借金と日数借金(=日払い
ローン)と私債(=高利貸し)が一つになって同時に増えた”と当時を振り返った。3日ほどカード借金が延滞した
ある日、カードが停止された。ファン氏夫婦の危なげな綱渡りもそれで終わった。
担保に取られた富平の家がなくなり、あと三ヶ月で10年保障が受けられた保険も差し押えられた。保証金
500万ウォン・家賃30万ウォンの半地下アパートに物騒な人々が尋ね始めた。“ごろつきたちに家を取り囲ま
れて子供達を抱き締めて泣いたし、米が尽き果てて妻の手を握ってまた泣いた”そして二人ともに破産した。
(2/4)
C
試演
おまけに見つかっても罰金は今なら半分だw
支援で私怨
598 :
日出づる処の名無し:2008/12/20(土) 20:34:10 ID:CRr41XhN
>>591つづき。(韓国はOECD内でも自営業・個人商店の比率が特に高いのが特徴です)
#2006年12月:‘最後の勝負’でまた朝の通りへ
ご主人は2006年12月、お金を稼ぐために日本に発った。残った妻は月給80万ウォンの子供の家(=学童
保育所かな?)の補助教師になった。四ヶ月後にパスポートの問題でファン氏がしばらく韓国に帰って来た
時、ソウル論硯洞でクリーニング屋を経営する人が“(自分は)商売に向かないから、一度代わりにやって
みないか”と提案して来た。
‘商売はもう嫌だ’という妻を説得して‘敗者復活戦’を始めた。路地を隅々まで歩き回って‘クリーニング’
をアピールして名刺を配った。日曜日もなく、夜12時から朝5時でも、注文さえ入って来ればバイクに乗って
走った。漢江橋を渡って金湖洞の洗濯物まで収集した。“周辺のクリーニング屋から抗議が来ても、‘私に
とっては最後の勝負だ’と食って掛かりながら争ったんです。とても大変で逃げ出したい時もあったが、私が
ホームレスになれば子供達もまた私のようになるかもと心配で堪えました”
幸いにも長年のクリーニング屋の経験と、日本で学んだ包装技術のお陰で徐々に反応が来始めた。昼夜
の別ない誠実さに常連も増えた。店を引き受けて1年3ヶ月後の今年7月、妻も子供の家勤めをやめて店で
働き始めた。
#2009年1月:破産者に訪れた機会
ファン氏夫婦は2009年1月が正に‘ターニングポイント’になると希望を持っている。賃貸保証金を用意でき
なくて毎夜不安に苦しんだファン氏は‘脱出口’を捜し出すことができた。偶然新聞を見て知ったある民間団体
の‘マイクロクレジット’に、2000万ウォンの融資を申し込んだ。審査委員の反応は肯定的だった。融資が受け
られれば、賃貸保証金を返済して自分の店にする道が生まれるのだ。“今も貯金は子供達の名前でします。
破産したためか、銀行にお金を預けたら全部奪われそうで心細かったんですよ。熱心に働いて収入がもっと
増えれば、その時は夫婦の名前で堂々と貯金するつもりです”
ソク・ジンファン記者
[email protected] (3/4)
>598
> ご主人は2006年12月、お金を稼ぐために日本に発った。
> 四ヶ月後にパスポートの問題でファン氏がしばらく韓国に帰って来た
> 時、
どういう意味だろうね?
クリーニング屋の店員として仕事してたみたいだけど、どんなビザで入国したんだろうか?
ううむ。これから、こういう人の不法入国が増えるでしょうね・・・。
全米が泣いた
>長年のクリーニング屋の経験
黒人と日本人の高級衣服は盗んでうっぱらう事ですね
なんで金融疎外者が商売はじめるんだ?しかも高金利の韓国で!
自己資金の範囲内でやりなさい。
>>598つづき。(ひとまず投下終了。支援カキコありがとうございました。
>>599おそらくはビザ無し訪問で
入国した後、不法就労していたんでしょうね。技術さえあれば、接客の必要ないクリーニング工場になら
潜り込むことは可能でしょうから。こういった単純労働にはビザが下りませんから、最長90日間の滞在
許可をクリアするために一旦出国したのでしょう。こういうのを俗に「ビザラン(Visa Run)」と言いますね。
日本人でも諸外国でこういう「ビザラン」を繰り返しながら就労している人がいます。ちなみに昔から
「庭師」・「美容師」・「すし職人」が就労ビザ取得に有利と言いますね)
■アパート担保ローンを返す事ができない中産層も不安 (ハンギョレ)
-- “アパートを売りに出して3週間過ぎましたが、家を見るという人もいなくて電話さえ全然ないです”
京畿道高陽市一山に住むナさん(38)は“価格をどれだけ下げればいいかを考えると複雑(な心境)だ”と
言った。仁川の工業団地で部品を作る中小企業で働く彼は去る10月、会社から月給を30%削るという通告を
受けた。270万ウォンの月給が190万ウォンになった。
ベルトをきつく締めれば良いが、2年間住んだアパートが問題だ。銀行と実兄に借りた1億2000万ウォンを
合わせて合計1億9000万ウォンで買ったアパートのために、毎月70万ウォン位の利子を払わねばならない。
ナさんは“収入の35%を超える利子費用はとても負担だ”と打ち明けた。特にカード借金が増えているという
点も彼の決定を後押しした。一時2億7000万ウォンまで上がった家だが、彼は不動産屋に2億3000万ウォン
で売ると言っておいた。
それでも彼はマシな方だ。大金無しで無理して‘乗り換え’を試みた人々は今、心理的恐慌状態だ。2006年
坡州新都市でアパートの分譲を受けて‘乗り換え’を試みたチェさん(44才・ソウル奉天洞)の銀行借金は今
4億5000万ウォンだ。相場3億ウォン位の(今住んでいる)奉天洞アパートの担保ローンが1億5000万ウォン、
分譲価格5億2000万ウォンの坡州アパートを担保に、中間払い金融資もあわせてそれぞれ2億ウォンと1億
ウォンずつ二度受けた。まだ残っている中間払い金と残金は1億6000万ウォンにもなる。
3億ウォンで奉天洞の家を売って(引越し)、ローンを2億ウォン位に減らせば問題ないと思っていたが、
1年余りで事情が完全に変わってしまった。奉天洞の家は2億5000万ウォンでも取り引きがなく、来年9月の
アパート入居時に一遍に来る(月々の)利子費用は300万ウォン。結局チェさんは先週大きな損害を甘受
して、転売禁止の坡州アパートを便法転売で売りに出した。
ソク・ジンファン記者
記事登録:2008-12-19午前11:14:33記事修正:2008-12-19午後03:08:41
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/328622.html (韓国語)