////////ノーベル賞は白人のための賞////////

このエントリーをはてなブックマークに追加
41日出づる処の名無し
中国人初のノーベル文学賞は、
フランス亡命中の反体制作家。

中国ではこのニュースを一切報じてない。


トルコ人初のノーベル文学賞は、
「トルコ政府はアルメニア人100万人虐殺を認めよ」
と主張する人物。
トルコではノーベル賞はヨーロッパのいやがらせと受け止めている。

こないだ来日して、NHKで大江健三郎と対談。
「私がトルコ国民から、売国奴のように批判されたとき、
大江さんのことが頭に浮かびました」
と境遇が似てることを語っていた。

42日出づる処の名無し:2008/10/08(水) 23:36:23 ID:Muur01WR
北里柴三郎が第一回ノーベル賞の候補に挙がってから、50年間の間に医学だけで

1889年 北里柴三郎、破傷風菌の培養に成功する。
1894年 北里柴三郎、エルザン(フランス)、ペスト菌を発見する。
1897年 滋賀 潔、赤痢菌を発見する。
1900年 高峰譲吉ら、アドレナリンの純粋分離に成功する。
1906年 田原 淳、心臓の伝導系(田原氏結節)を発見
1911年 鈴木梅太郎、オリザニンを創製。
1913年 野口英世、梅毒スピロヘータを発見する。
1915年 山極勝三郎、市川厚一、人工タール癌の発生に成功
      稲田竜吉・井戸 泰、レストスピラを発見する。
1926年 三宅 速、胃癌における「ボールマン分類法」を日本に伝える。
1932年 吉田富三、佐々木隆興、肝臓癌の人工発生に成功する。

これだけの大発見があり、これらは、西欧人なら全て全員ノーベル賞を受賞している大発見だ。
実際、北里は第1回ノーベル賞候補になり、野口も3回に渡って最終候補になっているし、
山極・稲田・井戸も候補に挙がっていたことが後に明らかになっているが、
いずれも、人種差別により受賞には至っていない。こういった差別は、物理・化学でもあった。
43日出づる処の名無し:2008/10/08(水) 23:37:57 ID:Muur01WR
中村修二教授といえば、現在最もノーベル賞に近い学者といわれている。しかし、このノーベル賞だが、必ずしも公平なものではなく極めて政治的な一面がある。
白川英樹教授が2000年のノーベル化学賞を受賞したが白川教授の導電性プラスチックの研究は、20年も前にすでに有名で当時「ノーベル賞候補」として新聞や雑誌に何度も取り上げられたことがある。
しかし、一向にお呼びがかからず、世界も本人も忘れてしまった頃になっての突然の受賞である。しかも、白川教授の受賞は3人の共同受賞であり、他の2人の米国人学者を受賞させるべく米国政府が強く働きかけた結果といわれている。

 ノーベル賞は今年で創設100年になるが、日本人受賞者の数は9人で非常に少ない。
それは、日本がノーベル賞の受賞理由をきちんと調べて異議があれば申し立てるということをやらないことにも一因があるとされている。
なぜなら、ノーベル賞を受賞してもおかしくない日本人の優れた発明発見が数多くあるからだ。

現在でも、一例を挙げれば
光通信の分野では日本人科学者が大変な貢献をしているにもかかわらず、
この分野でノーベル賞をもらっている日本人はひとりもいない。
ノーベル賞を受賞したクレーマー博士のヘテロ接合の着想を最初に実現した のは、洲崎渉博士の「ヘテロ発光ダイオード」である。
そして発光ダイオードの三原色のすべてが日本人科学者の発明によるものである。
赤と緑は西沢潤一博士、そして青が中村修二博士なのに、なぜノーベル賞がゼロなのか。

日本人は差別さえなければ、世界最多クラスのノーベル賞をもらっていても不思議は無い。