在日は憲法上の日本国民なのだが###21

このエントリーをはてなブックマークに追加
2821 ◆f.X.BeEk2g
ちと考えてみろ。

「参政権認めなくてもいい。なぜなら彼は外国人だから」
「本来的な永住権はなく、居住が許可されているだけの者である。なぜなら彼は外国人だから」

一般的なウヨサヨ論争では、このような議論が行われている。
で、オレ(本論)はこれらに対して、
「なるほど一般には外国人とされているが、その外国人(政府が国籍を認めず外国人扱いしている)というのは、正しいのか?」
と追求してるわけ。根拠の根拠を問うのは普通だろ。
それで、「国籍が認められてない」ということが問われているのだから、
「国籍が認められてないから」なんてのは循環であり、根拠にならない。
>>3の例のように、「国籍がない」という事実や、無くしている現状国籍制度以外から、
正当性の根拠を導かなければならない。が、Q10で論じてるように、ここで有効な主な理念としては、
民主主義しかない。民主主義の場合、その適用対象者を何らかの資格や印(国籍)の付いた者に限定することもできるが、
別に、限定しなくても、民主主義自体は成り立つ(小学生の例など)。
よって、国民(国籍)認定における理論として“使用可能”である。
また、その一方で、民主主義の適用を「国民(国籍保持者)限定」と言い張るのは、
その「国民(国籍保持者)国民」の正当性を改めて、示さなければならず、
何の解決にもならない(単に答えるべき論点を循環させて、後回しにしてるだけ。結論の先取り)。
結局、国民認定に関して、

・民主主義はその役目を果たし、使用可能である。
・それ以外の対立理論は(憲法国是などには)見あたらない。

これで証明終わり(消去法、Q10)。まともな批判がでないじゃん。