満州にて旧ソ連兵から乱暴され、妊娠させられた女性がいた
1 :
日出づる処の名無し:
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/36712?c=210 第2次世界大戦末期、旧満州などに攻め込んだ旧ソ連兵に乱暴され、妊娠した引揚者が
多くいた事実を語り継ごうと、助産師の平田喜代美さん(66)=福岡市中央区=と田川市出身の
書表現作家、阿羅(あら)こんしん(本名・大友慶次)さん(68)=東京在住=が23日、博多港に
着いた妊婦に中絶手術を施した「二日市保養所」(現済生会二日市病院、筑紫野市湯町)そばに
ある「水子地蔵」を訪れ、罪もなく亡くなった胎児に手を合わせた。
二日市保養所は当時違法だった中絶手術の専門病院として1946年、京城大医学部(韓国)の
医師グループが中心となり開設。47年秋ごろまでに500‐600人ほどが手術を受けたとされる。
水子地蔵は82年、当時の勤務医らが安置。12年ほど前から毎年5月に関係者が供養している。
障害者施設で長年働き、「障害者を産んだ私が悪い」と自分を責める親と多く接したという阿羅さん。
先月、福岡市で開いた個展会場で平田さんと知り合い、堕胎した引揚者の話を交わしたことから、
供養を計画した。この日は、当時看護婦だった村石正子さん(82)=筑紫野市=も出席。
「乱暴されないよう男装した女性がトラックで運ばれるたび、涙があふれた」「泣き声を聞くと母性本能が
目覚めるので、(堕胎後の)胎児が泣きだす前に首を絞めた」などと証言した。
供養の後、平田さんは「極秘で実施していたこともあり、医療関係者も事情を知らない」。阿羅さんも
「中絶の事実を通じて戦争の悲劇を語り継ぎたい」と語った。
2 :
日出づる処の名無し:2008/07/24(木) 22:15:37 ID:e8QdzEQb
素朴な疑問なんだが、何で生まなかったんだろ?
3 :
日出づる処の名無し:2008/07/24(木) 22:20:21 ID:+/weWrQc
当時を生きた日本人はほとんどがこの事実を知っていた。
しかし、ソ連に盲従する日本共産党や日本社会党及びこれらの党員が
工作するマスコミは国民にこの事実を封印してきた。
当時は、中共よりソ連が圧倒していた。
村山富一、土井チョン子、まっサー又市、ジェンダー瑞穂など
狂気とテロの社会党社民党。
共産もムゴイ。戦後海兵陸士出の士官が大挙共産党に入党し、三鷹三河島列車
転覆事件を起こした。軍事知識がなければ出来ない仕業だ。
・・・中国とロシアが喧嘩してる?
5 :
日出づる処の名無し:2008/07/25(金) 07:19:35 ID:rrxHXHVD
語り継ごう
6 :
日出づる処の名無し:2008/07/25(金) 09:50:23 ID:Sf2Em8cY
7 :
日出づる処の名無し:2008/07/25(金) 09:52:55 ID:Sf2Em8cY
自ら強いオスに群がり楽しんでたんだよきっと
進駐軍の兵士も似たような経験をし戸惑ってたとか
毎日のおもしろ報道wもあながちデタラメなわけじゃないのかも
9 :
日出づる処の名無し:2008/07/25(金) 13:06:57 ID:fw0SUP4T
俺のばあちゃんと母親が満州・ハルピンからの引揚者。
ソ連侵攻の後、ソ連軍兵士が数人、ばあちゃんの住んでいた家に入り込み、「女を出せ」と大暴れ。
ばあちゃんの2人の妹は屋根裏に隠れたらしい。
そのとき、大家の白系ロシア人のマダムが、ロシア語で
「あんたたちはなんと言うことをするんだ、それでも人間か。ロシア人として恥ずかしい」
と涙ながらに抗議して、さすがにロスケたちはすごすごと帰ったと言う。
こんなことは日常茶飯事だったらしい。
ばあちゃんたちは、戦争って負けるもんじゃないと思った、という。
10 :
日出づる処の名無し:2008/07/25(金) 13:25:58 ID:WMAs1MO3
12 :
日出づる処の名無し:2008/07/25(金) 16:18:04 ID:zYeCmPkC
もはやお花畑サヨのなかにし礼ですら、引き上げ途中に遭遇したロシア
兵による暴行の数々に対しては、遠慮がない。あまりに悲惨というか、
救いのない話なので、語る日本人が殆どいなかったんだけど。
日本人の男たちも自分が助かるために女を差し出してたってのがまた悲しい
>>2 さすがに目の青い子供は戦後すぐでは
育てるの無理だろう。
進駐軍ってのは当時金をもっていた。だから商売女がすり寄る。
金を払わない露西亜兵にすり寄る理由などないだろう。
毎日新聞を擁護するような奴は全員お前のように頭が悪いなwww
16 :
日出づる処の名無し:2008/07/26(土) 10:03:20 ID:Qxm4pXPf
満州に不法滞在していたやつが悪いだろ。強姦してくださいといわんばかりだな。
17 :
日出づる処の名無し:2008/07/27(日) 01:15:52 ID:uA7nuUl0
>>16 お前のような阿呆は今すぐ首を吊るべきだと思うぞ
18 :
日出づる処の名無し:2008/07/27(日) 01:26:06 ID:uA7nuUl0
正論 2005年 11月号 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
(中略)
吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
(中略)
城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
(中略)
博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
(中略)
京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。
しかも一度では済まず、相手も変わった。
兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。
救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。
(中略)
中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。
19 :
日出づる処の名無し:2008/07/27(日) 05:12:42 ID:faeKcLD5
>>16 > 満州に不法滞在していたやつが悪いだろ。
漢族のことですね?
20 :
日出づる処の名無し:2008/07/27(日) 05:23:54 ID:4ExYO3D9
アジアで虐殺レイプしまくった日本に同情する国はありませんww