【政治経済】平成床屋談義 町の噂その94

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634日出づる処の名無し
>>512
>それ以前から軍事関係はタブーの空気があった

防衛庁が初めてスポンサーとなったのが、昭和37年の『陸海空をゆく』
訓練、演習、兵器等に焦点を当てた広報番組だったが、放映当初から、局労組の反乱と左翼団体、
市民団体の反対運動が起こり、一部地方局で放映拒否で別番組を流す事態も発生。
翌38年の『日本の防衛』でも同様の騒ぎ。
で、39年にテレビドラマ『列外一名』とドキュメンタリー『自衛隊とびある記』で左翼大ブレーク。
あらゆる労組、文化人団体に加え、子どもを守る会とか母親連絡会という、今と変わらぬ怪しげな
市民団体が大反対運動を展開。
当初2クール・26話の『列外一名』は1クール・13話で突如打切り、『自衛隊とびある記』はフジだけが
放映で、地方局は労組の団体交渉で全部放映中止。

その後、自衛隊の催事を番組の一コーナーで中継するような場合でも、放映前に労組が騒ぎを起こして
中継中止に持ち込んだりする始末。
自衛隊を好意的に扱った番組では、スポンサーが恐れて名前を伏せるという異常な言論弾圧状態。

昭和48年、各地の自衛隊を紹介する全国ネット番組『ミミの体当たりレポート』では、反対運動によって
結局、放映されたのは青森テレビただ一局。
しかも襲撃の危険があるため、青森テレビは機動隊による厳重な警備の中、ようやく放映。

これだけ騒ぎになった歴史があると、そりゃねw
マスゴミは、単純に数と威嚇に弱いのかもね。