【文化】ジャポニズム第八十二面【世界の中の日本】

このエントリーをはてなブックマークに追加
417日出づる処の名無し
>>330>>331>>332>>333
>>335>>337>>338>>341
んー地方の素封家として色々やってきたんだけど
ご一新以降も江戸時代も
今の農協的立場も兼任していたんだな、うちは。
他所の家はどうだか知らないけど主に農閑期に纏めて
出来るだけの治水・利水工事・道路整備などをやって
教育と医療もなるべく行って見所があるのが居たら手元に置いて
その中でさらに良いのがうちに入って、をしていたのが江戸時代まで。
鎌倉時代までには集団合議制(但し各集団の代表による)と
実力主義が確立していたっぽい。性別関係なく。
大阪の堂島で先物取引が始まった後はそこそこ高い値が付く
うちの方の米を(高い値が付く時期に)売って
他所の安い米を一番安くなる時期に買って、を繰り返して
資本を増やして他にも河川水系を利用した物流と
地元の一次産品の加工品(米・味噌・醤油等の加工食品と薪炭など)
や肥料の取引もしてはいましたが本職は[農家]w。

418日出づる処の名無し:2008/01/13(日) 15:06:56 ID:SKiC6a6L
明治以降は地元・東京を問わず見所がある人に
金を出したりしていたんだそうな。
色々やっていたけど結局戦後殆どの先祖伝来の土地を手放す事になって
今では体面を保てるぎりぎりの土地位しかなく、
建築と不動産関連で食べているようなのが昔地主だった家の現状だったり。
まぁ田おこしにユンボやトラクターを使えるのは楽だけど
山の管理・維持にはあんまり機械力が使えないし。

長文のスレ違い書き込みスマン。
本当は地主も商品開発や地域振興で大変だったんだと
書きたかっただけだったんだが。