>>330>>331>>332>>333 >>335>>337>>338>>341 んー地方の素封家として色々やってきたんだけど
ご一新以降も江戸時代も
今の農協的立場も兼任していたんだな、うちは。
他所の家はどうだか知らないけど主に農閑期に纏めて
出来るだけの治水・利水工事・道路整備などをやって
教育と医療もなるべく行って見所があるのが居たら手元に置いて
その中でさらに良いのがうちに入って、をしていたのが江戸時代まで。
鎌倉時代までには集団合議制(但し各集団の代表による)と
実力主義が確立していたっぽい。性別関係なく。
大阪の堂島で先物取引が始まった後はそこそこ高い値が付く
うちの方の米を(高い値が付く時期に)売って
他所の安い米を一番安くなる時期に買って、を繰り返して
資本を増やして他にも河川水系を利用した物流と
地元の一次産品の加工品(米・味噌・醤油等の加工食品と薪炭など)
や肥料の取引もしてはいましたが本職は[農家]w。