【文化庁出資】中国人監督『靖国』日本人のナショナリズム顕在化させる
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日出づる処の名無し:
日中合作の記録映画「靖国」、来年4月に日本で劇場公開
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200712/sha2007121008.html 日中合作のドキュメンタリー映画「靖国」が、来年4月に日本で劇場公開されることが9日、
分かった。靖国神社そのものに焦点を当てた初の記録映画で、小泉純一郎元首相(65)や
東京都の石原慎太郎知事(75)も“出演”。中国・韓国でも同時公開を目指すほか、
ベルリンなど海外映画祭への出品も決まり、世界的注目を集めそうだ。
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A級戦犯合祀や首相ら政治家の参拝問題などで外交的にも物議を醸す靖国神社。
ここが“主役”の初のドキュメンタリー映画が完成した。
しかも、靖国をめぐり何かと対立しがちな日本と中国の合作。監督も中国人で、日本在住が長く
日本のテレビドキュメンタリーを手掛けた経験が豊富な李纓(リ・イン)氏(44)。日本では文化庁が出資する異色作だ。
舞台は、ちょうど戦後60年目の平成17年の神社境内。軍服を着て闊歩し参拝する集団、
首相の参拝を批判する反対派、神社関係者に自身の先祖の廃祀を迫る人々…。靖国神社に
それぞれの思いを抱きながら境内を行き交う姿を、「右」にも「左」にも偏らず中立的な立場でカメラで追っている。
賛成派と反対派の取っ組み合いや、星条旗を境内で掲げた米国人に対する周囲の反応などが
赤裸々に映し出される。当時の小泉首相が同年10月に参拝、会見で参拝の正当性を主張する
シーンや、石原知事が境内で演説する場面もある。
こうした境内の喧噪とは別に、終戦まで境内で「靖国刀」と呼ばれる軍刀を作り、
今も現役を続ける唯一の靖国刀匠の男性(90)にも静かにスポットを当てる。
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記事の続きと李纓については2以降
このほど、『南方週末』紙の記者が映画の撮影状況について李纓監督を取材した。
http://www.pekinshuho.com/ztjl/txt/2007-11/07/content_84898.htm 問 このドキュメンタリー映画を制作する際、またはその前に、なぜ日本では今日になっても
この題材に触れた人がいないのかということをあなたは考えたことがあるかどうか?
答 ない。その時、私も知らなかった。のちにこの映画を制作する過程で、資料を探すため、
いくつかの映画のフィルムを参考することになり、調べてみると、みんながこの内容に関する
いかなる映画も制作したことはないと言うのだった。その後、撮影の仕事は非常に困難で、
私も撮影を続けることができなくなり、日本の監督協会理事長の崔洋一氏をたずねた。
氏は在日朝鮮人の二代目で、日本生まれの方であった。私は日本側に頼んで私と力を合わせて
この映画を完成する可能性があるかどうかと彼に尋ねた。彼はそれを耳にすると、不可能だ、
すべての人がこの問題を回避しているのだと答えた。
問 東条英機の孫娘を取材した内容は映画では使っていないのか?
答 使っていない。私は映画を学術的論証として作るのではなく、一定のゆとりを残した方が
よいと思っている。このことは簡単な言葉ではっきりと表わせるものではなく、現象の複雑性と
彼らのナショナリズム的心情を顕在化させ、彼らの気持ち、その中における天皇の存在を通じて、
人々に考えさせる方がよいのではないかと思っている。
>彼らのナショナリズム的心情を顕在化させ、彼らの気持ち、その中における
>天皇の存在を通じて、人々に考えさせる方がよいのではないかと思っている。
問 私は、あなたの表現は非常に抑制的で、できるだけ主観色を残さないようにしていると感じている。
答 その実、この映画には私の強い主観的なものがあり、私はできるだけそれを抑制した。
ドキュメンタリー映画を客観的なものにすることは不可能である。いくつかの日本人映画評論家の
言葉では、その実、これは中国の武術と日本の剣道との対決のようである。私は別にすぐ相手を
倒そうとするのではなく、ずっと相手に手を出させ、相手が手を出すと、その破綻が見え、
逆にあなたが意図を表す時には、彼はすでに反抗の能力が失っているのだ。1つの見方を表現する
時、みずからと相手を知らなければならず、自分の訴求を表わすだけではだめで、相手が
どうのように考えているのかを知らなければならない。
>私は別にすぐ相手を倒そうとするのではなく、ずっと相手に手を出させ、
>相手が手を出すと、その破綻が見え、逆にあなたが意図を表す時には、
>彼はすでに反抗の能力が失っているのだ。