日記・私記・証言で見る第16師団の「組織的な捕虜殺害」
佐々木到一少将私記 ささき とういち=歩兵第30旅団長(佐々木支隊隊長)・陸軍少将
十二月十三日
その後「捕虜」続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かば
こそ片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵ならずとも
「皆やつてしまへ」と云ひ度くなる。
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児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、
師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で
伝えられた。私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、
この命令だけは何としても納得できないと思っております。参謀長以下参謀にも
幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、
各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
『南京大虐殺の証明』P307
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第十六師団長・中島今朝吾中将の日記(12月13日)
後に至りて知る処に拠りて『佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千』
太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇其仙鶴門附近に
集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案として
は百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり
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