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日出づる処の名無し:
第16師団歩兵第30旅団は一体何人の捕虜を処刑したのかそして「組織的なのか?」という疑問に
対してこちらの考えを示しておこう。(k−k氏ややまんば氏ではまた違う意見が出るかもしれんが)
第16師団歩兵第30旅団歩兵第33連隊の戦闘詳報第三号附表を見れば
分かるように同連隊は俘虜(将校14、准士官・下士官兵3、082)
3、096名を獲得しており、尚且つ備考それらを「処断す」とはっきりと
書かれている。否定派の中では「処断」とは処刑には意味しないという?の豆知識を
出し「言葉遊び」をもって逃げようとしたが、この3000名を処刑した
という説は中間派の秦氏?や小虐殺派の板倉氏?も採用しており南京戦史を編集した
畝本正己氏ですら数を減らしつつも「処断」とは「処刑」であったと言っており、
この時点ですでに否定派の珍説は完全に否定されたがここは特別に解説してやろう。
まず第16師団の捕虜に対する基本方針を確認しよう。
第十六師団長・中島今朝吾中将の日記ではこんな記述がありました。
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたる(れ)共
捕虜をせぬや曖昧な言い方である「処断」は結論として
@解放(否定派的には「追放」かな?)A殺害の二つしかない。
すでに述べたように南京戦は典型的包囲戦であった以上中国軍を逃がさない事
を第一とした作戦でした事から、一つの隊が勝手に解放してもまったく意味がありません。
もし各師団に解放の通達か公式記録か通行証がなければ「解放」という結論は
まったく裏づけがないと言っても差し支えない。
さらに中島日記の続きではこんな事が書いていました
之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず
一案としては百二百に分割したる後適当のけ(か)処に誘きて処理する予定なり
(「南京戦史資料集T」P326)
文脈を素直に読めば「解放」あるいは「追放」なら「相当大なる壕」など必要とせず、
生き埋めあるいは処刑の後の死体を埋めるために使うのを考えるのが自然である。
しかもこの日記では処刑や連行の具体的な方法までもが示している点も注目すべきである。
第十六師における「基本的捕虜をせぬ」と言う意味は常識的に考えれば「解放」ではなく
「処刑」だと考えたほうが自然読み方である。そして「組織的」である事もが分かる。
以上の点師団方針第30旅団命令(佐々木私記など字数により省略)や戦闘詳報を念頭に入れれば
第16師団歩兵第30旅団歩兵第33連隊がいう「処断」とは解放ではなく捕虜殺害でありその結果
「3、096名」という膨大の数捕虜を殺害した事がわかるだろう。