在日は憲法上の日本国民なのだが###6

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まあ、船虫論の最大も問題点は、この人権享有主体という概念が頭からすっぽりと抜け落ちている
事なんだがな。
完全な民主主義など最初から有り得ない。 では現実論としてどの程度まで、その各々の個人や法人に
対して人権(基本権)を与えるべきか?という概念が端から抜け落ちている訳だ。

外国人に対して何故、参政権が与えられないのか?も、国家主権がその船虫論の枠外に存在し、
他国とのその主権概念と衝突するから、という前提条件をまるで無視していることでもある。

国家概念がなく、世界に統治機構は一つしかない(一国しかない)場合なら未だ船虫論にも一部の理が発生
してくる訳だが、多国間にて形成される現在の世界において、一カ国がその船虫のいう理論を実行するのは
不可能というものだ。 先ず、それを望まない勝手に国民認定される定住外国人の意思を無視する人権違反
(自己決定権の否定)、そしてその定住外国人自身と、主権を有する祖国の主権侵害に他ならない訳だからだ。

住んだから即その地域の諸権利がただちに発生するなんてのは暴論に過ぎる。その権利を得る資格は発生するが
あくまでそれを取得するのは個人の能動的な意思によって、が本当の民主主義というものだろう。
その際、元の国籍を有する国家から離脱し、その定住国の国民となるに当たって、国籍を変更するという現行制度こそ、
万人から見て一番筋の通った方法であろう。
国籍が自己アイデンティティがどうの、と船虫は主張しているようだが、米国籍などの朝鮮同胞等の存在からしても
それは言い訳に過ぎないことが判る。 国籍とは資格権であり、自己アイデンティティを構成するモノではない。
どうしてもそれを言い張るのなら、はっきりとそれを否定出来る具体的例を提示すべきだ。
それを全く提示せず、「いや、オレもそうは思っていない、しかし在日がそう考えており、云々・・・・・」などという発言しか
せず、言い逃れやすり替えに終始している時点で、船虫論に一分の理など存在しえないとしかいえんな。