【世界の】南京大虐殺は嘘【非常識】60次資料

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93日出づる処の名無し
【白井茂(映画カメラマン・東宝記録映画『南京』撮影者)の証言】

「中山路を揚子江へと向かう大通り、左側の高い柵について中国人が一列に延々と並んでいる。
何 事だろうとそばを通る私をつかまえるようにして、持っているしわくちゃな煙草の袋や、小銭をそ
えて私に差出し何か悲愴なおももちで哀願する。となりの男も、手前の男も同じように小銭を出し
たり煙草を出したりして私に哀願する。延々とつづいている。これは何事だろうと思ったら、実は
この人々はこれから銃殺される人々の列だったのだ。だから命乞いの哀願だったのである。それが
そうとわかっても、私にはどうしてやることも出来ない。一人の人も救うことは出来ない。

 柵の中の広い原では少しはなれた処に塹壕のようなものが掘ってあって、その上で銃殺が行われ
ている。一人の兵士は顔が真赤に血で染まって両手を上げて何か叫んでいる。いくら射たれても両
手を上げて叫び続けて倒れない。何か執念の恐ろしさを見るようだ」

「見たもの全部を撮ったわけではない。また撮ったものも切られたものがある。(中略)よく聞か
れるけれども、撃ってたのを見た事は事実だ。しかし、みんなへたなのが撃つから、弾が当たって
るのに死なないのだ、なかなか。そこへいくと、海軍の方はスマートというか揚子江へウォーター
シュートみたいな板をかけて、そこへいきなり蹴飛す。水におぼれるが必ずどっか行くと浮く、浮
いたところをポンと殺る。揚子江に流れていく。そういうやりかただった。

 戦争とはかくも無惨なものなのか、槍で心臓でも突きぬかれるようなおもいだ、私はこの血だら
けの顔が、執念の形相がそれから幾日も幾日も心に焼き付けられて忘れることが出来ないで困った。
私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺をされるであろう人々を沢山見たが余りにも残酷な
物語はこれ以上書きたくない。これが世に伝えられる南京大虐殺事件の私の目にした一駒なのであ
るが、戦争とはどうしても起る宿命にあるものか、戦争をやらないで世界は共存出来ないものなの
だろうかとつくづく考えさせられる。」(白井茂『カメラと人生』)